もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら/1980年代以前

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1960年代[編集 | ソースを編集]

江夏豊(1966)[編集 | ソースを編集]

※史実では阪神に入団

巨人
  1. 1968年の奪三振がさらに増えていた。
  2. 高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
  3. 南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
  4. 現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
  5. 引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
東映
  1. 尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
  2. 日本ハムへの売却時に放出されたかも。
  3. 高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
阪急
  1. 2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
  2. 黄金時代がもう少し長く続いていた。
  3. 山口高志はずっと先発主体だった。
  4. トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。

1970年代[編集 | ソースを編集]

江川卓(1978)[編集 | ソースを編集]

木田勇(1978)[編集 | ソースを編集]

※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団

大洋
  1. 在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
    • 広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
  2. 1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
    • そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。

岡田彰布(1979)[編集 | ソースを編集]

※史実では阪神に入団

  1. 1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
  2. 某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
    • となると2005年と23年の阪神のアレはなかったかも。
阪急
  1. 当時の打線に更に磨きがかかっていた。
  2. 三塁ではなく、外野に転向していたか?
  3. 松永の代わりに阪神へトレードされた。
    • 岡田自身が阪神ファンだったため松永のように1年でFA宣言して移籍なんてことはせず、史実とは逆に阪神で現役を終えていた。
  4. 仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
    • 「29-1」が「33-4」になっていたかも。
  5. 1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
  6. 1984年の日本シリーズは逆に阪急が日本一になっていたかも。
西武
  1. 石毛の三塁転向は遅れていた。
  2. 1985年も日本一になれた。
南海
  1. 大阪出身ということで歓迎される。
  2. 王監督の後任になっていた可能性が高い。
  3. 藤原満の引退後三塁に再転向した。
  4. 連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
近鉄
  1. 1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
  2. 大石より先にバファローズの監督に就任した。
    • 梨田昌孝の後任になっていたかも。
  3. 大阪ドーム移転後に打撃コーチに就任し「いてまえ打線」をもっと強力なものにしていた。
  4. 金村義明は外野にコンバートされていた。

1980年代[編集 | ソースを編集]

原辰徳(1980)[編集 | ソースを編集]

※史実では巨人に入団

  1. 80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
  2. 日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
    • 入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
    • 巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
      • 大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
  3. 無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
  4. 入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
広島
  1. 川口和久は他球団に指名されていた。
    • 巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
  2. 史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
  3. 当然あの手首負傷はない(津田恒実とチームメイトになるので)
  4. 2000本安打も達成していたはず。
  5. 80年代〜90年代前半にもう1、2回優勝出来ていたかも。
  6. 三村敏之か達川光男の後任として広島の監督に就任し、山本浩二の2度目の監督はなかった可能性も。
大洋
  1. 1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
  2. FAで駒田を取りに行っていなかった。
    • 屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
  3. 2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
    • もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
  4. 背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
    • 応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
  5. 80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
    • 史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
  6. 田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
    • 近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
  7. ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。

石毛宏典(1980)[編集 | ソースを編集]

※史実では西武に入団

阪急
  1. バンプ・ウィルスの加入はなかった。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
  3. オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。
    • オリックスの監督としても活躍出来ていたかも。

金村義明(1981)[編集 | ソースを編集]

※史実では近鉄に入団

阪急
  1. 地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
  2. 打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?

西村徳文(1981)[編集 | ソースを編集]

※史実ではロッテに入団

  1. 外野手やスイッチヒッターに転向していたかどうか?
  2. ロッテのコーチや監督には就任しなかった。
    • ネット上で「西なんとか監督」と呼ばれることもない。
    • 2019年にオリックスの監督に就任することもなかった。
      • 監督によっては、2019年、2020年の2年連続最下位を免れていた。
南海
  1. 内野の要として守備を安定させる。
  2. ダイエー買収・福岡移転後、九州出身ということで人気が上昇する。
  3. 引退後はホークスの指導者になっていた。
    • 2005年・2010年のソフトバンクがロッテに日本シリーズ進出を阻まれることはなかった。
      • 2005年はボビー・バレンタインがロッテの監督だったので、どっちみちそこは史実通りだろう。
    • 秋山幸二の後任で監督に就任していた。
      • 工藤公康の監督就任は遅れていた。
        • あるいは工藤公康はソフトバンクの監督にはならなかった。
    • 工藤公康は伊原春樹の後任として2015年に古巣西武の監督に就任し、黄金時代を築いていたかも。
ヤクルト
  1. 入団後数年間の選手層を考えるとレギュラー定着は80年代後半になっていた。
    • マルカーノ退団後に二塁手の定位置を確保する。
    • もしくは早い段階で外野手に転向した。
  2. ヤクルトで指導歴を重ねた場合、若松勉の後任で監督に就任したかも。
    • 古田敦也が選手兼任監督を務めることはなかった。

荒木大輔(1982)[編集 | ソースを編集]

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 史実より引退が早くなっていた。
  2. 巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
  3. 王監督就任時に野手への転向を打診される。

野口裕美(1982)[編集 | ソースを編集]

※史実では西武に入団

中日
  1. 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。
阪急
  1. 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
  3. 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?

高野光(1983)[編集 | ソースを編集]

※史実ではヤクルトに入団

  1. いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
西武
  1. 渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
    • 渡辺←→高野のトレードがあったかも。
  2. 渡辺が西武監督に就任することはなかった。
大洋
  1. 銚子利夫は他球団に指名されていた。
    • 長内孝は広島で現役を全うした。
阪急(オリックス)
  1. 投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
  3. 阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
  4. 引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。

広沢克己(1984)[編集 | ソースを編集]

※史実ではヤクルトに入団

西武
  1. 大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
    • 広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
  2. 巨人に移籍していなかったかもしれない。
  3. 1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
日本ハム
  1. 大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
    • 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。

清原和博(1985)[編集 | ソースを編集]

阿波野秀幸(1986)[編集 | ソースを編集]

※史実では近鉄に入団

  1. 1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
  2. 10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
  3. 指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
大洋
  1. 史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
  2. 長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
    • 野村弘樹のブレイクが遅れる。
  3. 巨人のコーチには就任しなかった。
巨人
  1. やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
  2. 西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。

立浪和義(1987)[編集 | ソースを編集]

※史実では中日に入団

南海
  1. 中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
  2. 翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
    • おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
      • 史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
        • 鳥越が浜名ギャルに「浜名出せ」といわれてしまうこともなかった。
          • 史実よりも中日での出場機会が増える李鍾範や久慈、神野のパフォーマンスが悪ければ、鳥越はトレードされていない。
  3. ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
  4. 本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
  5. 1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
  6. 杉浦監督が構想していた湯上谷と立浪の二遊間が実現していた。
  7. 当然、中日の監督に就任することはなく、2022年から工藤公康の後任でソフトバンクの監督に就任していた。
    • ホークスは3年連続Bクラスに沈んでしまっていた。
      • 23年オフの戒めFA騒動と人的補償拒否騒動では、史実以上にイメージが悪化していた。
  8. 大阪府民でPL学園高出身ということで「地元の星や」と歓迎されていた。
中日のその後
  1. 種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
    • 種田は中日のコーチになっていた。
      • いまでもがに股打法が親しまれていた。
  2. 小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
    • どっちにしても近鉄は蹴っていた。
    • 福留孝介もダイエーに入団し、福留・松中・城島の最強クリーンアップを形成し、2003年のダイハード打線が史実以上に強力なものになっていた。
  3. 森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
    • 森野将彦は球界を代表するスラッガーの1人に成長していた。
      • 森岡良介は1軍ベンチで内野のバックアップになっていったので、2軍でパワハラ騒動が起きることもなかった。
        • アライバコンビに加えモリモリコンビも注目されていた。
          • ショーゴーが失敗したとしても、中日で森という文字がついた名字は大成しないといわれてしまうこともなかった。
          • むしろ史実より早くアライバコンビは解体されており、井端より荒木が上とされていた。
  4. 中日は連続最下位になることはなかった。
  5. 立浪政権でのさまざまな迷走もなかった。
  6. 落合が立浪の特別扱いを解除し、立浪を干すことでタニマチやフロントに目をつけられることもなかった。
    • 落合監督が星野政権時代の体罰肯定的な、立浪のPL的な気質を解体するのに5年かかることもなかった。1年で積弊生産し、むしろタニマチやフロントも解体し、もっとまともな親会社に身売りさせることに成功していた。
      • 落合監督は退任させられることもなく、まだ監督を続けていたかも。落合のもとで現代的な人権感覚が導入され、中日は現在でも強豪で12球団ホワイトで雰囲気の明るいチームになっていた。
  7. ミスタードラゴンズといえば荒木雅博になっていた。その荒木雅博と落合の関係性はもっとも理想的な師弟関係と呼ばれていた。
  8. 李鍾範が史実のようにポジションを変えることなく、遊撃手のままアジャストしていたかも。
    • そうなっており、中日も史実のように低迷していなかった場合、李政厚は韓国からメジャーではなく中日に移籍していた。大島洋平の後釜になっていた。

長嶋一茂(1987)[編集 | ソースを編集]

※史実ではヤクルトに入団

大洋
  1. 史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
  2. 外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
  3. 父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
  4. 背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。
  5. 一茂をライバルに据えた水島新司の野球漫画「虹を呼ぶ男」の舞台が大洋になっていた、あるいは連載されなかった。

川崎憲次郎(1988)[編集 | ソースを編集]

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 中日に移籍することはなかった。
    • 勿論川崎祭も起きてない。
  2. 吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。

野茂英雄(1989)[編集 | ソースを編集]

※史実では近鉄に入団

ロッテ
  1. 90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
  2. バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
    • 広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
  3. 拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
    • 小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
    • その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
    • 12球団OKじゃなかったっけ?
ダイエー
  1. ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
  2. 99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
  3. 野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
  4. 元木大介は無事巨人入り。
    • 元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
オリックス
  1. オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
  2. 次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
    • その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
  3. そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
    • 佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
      • ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
  4. 第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
日本ハム
  1. 数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
    • 江夏~矢作の後継者と呼ばれる
  2. いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
  3. 東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
    • 史実で2位になった1993年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
阪神
  1. 大阪出身なので一躍大スターに。
  2. 中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
    • でも92年は優勝できたのかも
  3. 史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
    • よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
    • もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
    • 彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
      • 葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
      • ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
        • ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
大洋
  1. 先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
    • 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
      • それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
        • でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
        • 日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
    • 斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
  2. ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
ヤクルト
  1. ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
    • ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
  2. 「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
  3. 女性芸能人若しくはフジテレビの女子アナと結婚していた。
  4. 石井一久は指名されていないかもしれない。
近鉄のその後
  1. 他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
  2. 人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。