もし中日ドラゴンズがあの年に優勝していたら

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~1980年代[編集 | ソースを編集]

1972年・1973年[編集 | ソースを編集]

与那嶺監督率いる中日は1972年・1973年と勝ち越してV9巨人を苦しめた。もしどちらかで巨人を倒して優勝していたら?

  1. もちろん「読売巨人軍・栄光のV9」など存在しなかった。
    • 川上監督や長嶋茂雄は現実より早く引退していたかもしれない。
    • V9がV8あるいはV7になっていた。
    • 73年10月22日の阪神対巨人戦で阪神ファンが暴動を起こすこともなかった。
  2. 中日は、黄金時代に突入。名古屋の街は活気にみちあふれていた。

1975年[編集 | ソースを編集]

この年は、広島の「赤ヘル旋風」の前に2位で終わるも4.5ゲームという僅差。もし優勝したのが中日だったら?

  1. 中日は球団史上初のV2を達成。
    • 与那嶺監督は名将として、長期政権を築いていた。
  2. 広島の初優勝は一年遅れていた。
    • 長嶋巨人の初優勝もそれに伴って遅れていた。
  3. 「燃えよドラゴンズ!」は「中日の優勝を予言する歌」として、全国に知れ渡っていた。
    • 正しくは「燃えよドラゴンズ! V2」。
  4. この年の日本シリーズは中日VS阪急だった。
    • 後の山田久志の監督就任がもっと話題を呼んだ。
    • このシリーズは後に「ドラクエ決戦」と呼ばれるようになった。
  5. 果たして阪急は史実通り4連勝(引き分けを挟んで)できただろうか。
  6. 重松清が『赤ヘル1975』を書くことはなかった。
  7. 井上弘昭が10月19日の広島戦で「満塁敬遠」を受けることはなく、逆に山本浩二を抜いて首位打者のタイトルを獲得していた。

1984年[編集 | ソースを編集]

1984年、山内一弘が監督に就任。初年度は巨人戦に14連勝するなどして、優勝した広島と3.0ゲーム差の2位となった。もし中日が優勝していたら。

  1. この年の日本シリーズは、中日VS阪急ブレーブスの顔合わせとなっていた。
    • 30年ぶりの日本一を期待するファンが多数詰めかけ、1試合の最低観客数更新はなかった。
    • 後の山田久志監督就任がもっと話題を呼んだ。
    • このシリーズは後に「ドラクエ決戦」と呼ばれるようになった。
  2. 小松と牛島が出演したミカロンのCMはさらに有名になっていた。
  3. 「燃えよ!ドラゴンズ'84」がリリースされ、史実では一部のカラオケ版でしか聴けない「山内監督の胴上げだ」の歌詞になる。
  4. 山内一弘監督政権がもう少し長く続いていた可能性があるので、星野仙一の就任が遅れていた。
    • ゆえにユニフォームのデザイン変更も大幅に遅れていた。
  5. 広島の古葉監督はこの年限りで辞任していた(史実では翌1985年に辞任)。

1987年[編集 | ソースを編集]

  1. 星野仙一氏が監督1年目にしての優勝だった。
  2. 巨人の王貞治氏の監督辞任と藤田元司氏の監督就任が早まっていたかもしれない。

1990年代[編集 | ソースを編集]

1991年[編集 | ソースを編集]

1991年シーズン前半、中日は首位を走っていたが、シーズン後半広島に逆転されて優勝ならず。もし中日が優勝していたら。

  1. 星野仙一が監督を辞任することはなかった。
    • 高木守道が監督に就任することはなかった。
    • 史実の2期政権が終わる2001年まで監督を続けていたかも。
      • 星野監督辞任の理由は夫人の病気に伴うものだったので、さすがに続投は無かったと思う。ただ中日ファンからの辞任を惜しむ声は史実以上だったかも。
    • 逆に山本浩二の監督辞任が早まり、2001年の復帰もなかったかも。
  2. 例のごとく、日本一は逃している。
    • ましてや相手は、森監督率いる当時最強の西武ライオンズ。日本シリーズでは、完膚なきまでに叩きのめされていただろう。
    • 仮にパリーグの優勝チームが西武ではなく近鉄だった場合(史実では2位)、3年越しの名阪決戦として注目されていた。
  3. 広島は1986年以来現在(2011年)に至るまで24年間リーグ優勝から遠ざかっていることになる。
    • 0ゲーム差または0.5ゲーム差で優勝を逃した場合、「サヨナラインフィールドフライ事件」が史実より大きく取り上げられていた。
    • 2016年の広島リーグ優勝は30年ぶりという事になっていた。
  4. そもそも彦野が「サヨナラ代走ホームラン」の怪我で離脱せず1年間活躍できていた。

1993年[編集 | ソースを編集]

この年は、8月末に首位ヤクルトに追いつくも結局引き離され2位に終わったがもし優勝したのが中日だったら?

  1. 平成初の最下位からの優勝が8年早く実現していた
    • 高木守道は名将と謳われ、長期政権を築いていた。
  2. ヤクルトは逆転V逸のショックで翌年は最下位に沈み。野村克也監督が辞任していた…
    • ヤクルトは再び暗黒時代に突入し広島は95、96辺りに、横浜は97に優勝できたかもしれない…
      • 2011も史実と同じ中日がヤクルトを逆転して優勝したら1993アゲインと呼ばれた。
  3. この年リリースされた「燃えよドラゴンズ平成FIVE」の冒頭の台詞にもあるように、平成5年に5年ぶり5回目の優勝として話題になった。
  4. もしかしたら落合博満がFA宣言せずに中日に残留し中日で現役を終えていた?
  5. 「最多勝投手が2人出た球団は優勝できない」というジンクスはなかった。
  6. セ・リーグMVP(史実ではヤクルト・古田敦也)は今中か?

1994年[編集 | ソースを編集]

1994年10月8日、セントラルリーグ公式戦の最後の試合(130試合目)である中日×巨人戦が行われ、どちらかが勝てばセリーグ優勝という状況の中、巨人が6-3で中日を破り36回目の優勝を飾りました。そして日本シリーズでは西武ライオンズを4勝2敗で下し17回目の日本一を達成しました。しかし、もし中日が勝っていたら・・・。

  1. 中日が5回目(当時)の優勝を果たす。
    • 名古屋での反応は言わずもがな、だが全国的(特に関東)には・・・。
  2. 翌年、当時の高木守道監督のシーズン中の休養(事実上の辞任)が起こることはなかった。
    • 第二次星野政権樹立は1,2年程度ずれ込んでいた。ナゴヤドームで高木監督が見られたかも。
      • むしろ、第二次星野政権さえもありえなかったかもしれない。
        • その場合星野氏が阪神の監督に就任することはなかった。
      • あるいはナゴヤ球場ラストイヤーまで高木政権→ナゴヤドームオープニングイヤーから第二次星野政権になっていたかも。
        • ソンドンヨルやジョンボムは来なかったか、来るのが1,2年遅かったかも。
    • 当時巨人の4番だった落合が、中日の監督に就任していたか、根拠は無いがなんか怪しい。
    • その後の球団史が今とは違うことが予想される。
    • 守道氏の生涯で唯一の退場劇もなかったはず。
      • 政権が長期化することで、退場回数はむしろ増えていたかも。
        • 現役時代は退場ゼロでも、監督やコーチになったとたん退場回数が増えるケースは意外とあるからね。星野もそうだし。
        • 長らく退場回数日本一だった金田氏さえ、監督としての退場回数のほうが多い。
  3. 中日は日本シリーズに負けてしまい、40年ぶりの日本一は達成できなかった。
    • 西武の森監督は続投し、石毛・工藤は西武に残留している。
    • 巨人に勝って喜んで、それに満足して日本シリーズで燃え尽きるのは中日の悪しき伝統。
      • 森監督はこの年のシーズンで成績がどうであろうが退任はすでに決まっていた。そこでやる気をなくしていたため、史実では巨人が日本一になっていた。同じような感じで中日が38年ぶりの日本一になっていた可能性があった。
        • 森監督辞任の第一報は中日新聞が流したことになる。
  4. ナゴヤ球場最後の優勝だった。
    • 優勝していればナゴヤ球場最後の日本シリーズだった。
    • いや、1996年も土壇場で追いつきペナントを制し、本当にナゴヤ球場で最後の日本シリーズとなった。
      • となると「メイクミラクル」という言葉は2008年に使われていた。流行語大賞にもならなかった。そして「メイクレジェンド」は生まれてない。
  5. 1994年は西武ライオンズ球場(当時)開催分の第3・4・5戦がテレビ朝日の独占だったため、ネットしたメーテレにおいて50%超えと言う驚異的な視聴率を記録していた。
  6. 「燃えよドラゴンズ!'94優勝記念盤」がリリースされた。史実ではこの年の優勝祈願バージョン自体リリースされていなかった。
  7. ナゴヤ球場正門前駅の廃止が延びていた。(現実では10・8決戦当日が最終営業日)
    • ドームへの移転前のラストゲームまで営業を続けていたかも。
      • いや、いずれにせよ翌シーズン開幕前までに常設駅として尾頭橋駅が開業することが決まってたから、せいぜい日本シリーズ期間限りで廃止となる。
  8. 逆転したイニングと継投のタイミング次第では山本昌がこの試合で勝利投手となり、1989年の西本聖以来5年ぶりの20勝投手になっていた。
  9. セ・リーグMVP(史実では巨人・桑田真澄)は大豊泰昭(同年は本塁打・打点の二冠王。最有力)か山本昌(最多勝。ただし史実通り沢村賞を受賞するため野手の大豊が有利?)、アロンゾ・パウエル(首位打者)のうち誰かになっていた。

1996年[編集 | ソースを編集]

1996年は巨人・中日・広島による団子レースが繰り広げられました。最終的に巨人がペナントを制しますが、もし別球団だったら?

  1. 「メークドラマ」は中日ファンの間でブレイクした。
    • ちょっと待った、「メークドラマ」は長嶋茂雄(現:巨人軍終身名誉監督)が考えたフレーズだぞ。
  2. でも結局この年の日本シリーズには勝てなかったかも。
    • ナゴヤ球場なら自慢の強竜打線(コールズ、立浪、パウエル、音、山崎、大豊など)が火を噴くが、相手のオリックス・ブルーウェーブも田口、イチロー、ニール、DJ、藤井、高橋智といった好打者揃いだし、(貧打戦だった現実とは逆に)日本シリーズ史上屈指の馬鹿試合になりそう。
    • 一方、グリーンスタジアム神戸では強竜打線が全く通用せず、オリックスのワンサイドゲームになる。
      • しかし、日本シリーズ敗退がきっかけで「機動力野球」の必要性が1年早く中日球団内に浸透し、翌1997年のナゴヤドーム移転に備えたチーム改革がなされるかもしれない。その場合、1997年の最下位転落はなかったかも。
        • つまりその場合、暗黒時代真っ只中の阪神が1995年から2001年まで7年連続最下位になっていたことになる。
        • この年限りでオリックスのコーチを辞任した山田久志が、そのまま中日コーチに就任していたかもしれない。
    • ちなみに当時のオリックス・仰木彬監督は、中日が日本一となった1954年、日本シリーズ対戦相手だった西鉄ライオンズの新人選手だった。つまりこの年中日に日シリで勝てば、同じナゴヤ球場(当時の名称「中日球場」)で42年ぶりに雪辱を果たしたことになる。
    • また、史実で7年後(2003年)にトレード相手となった平井正史・山崎武司が日本シリーズで対戦。星野監督が平井のピッチングを見たことがきっかけで史実より早く中日への移籍が実現していたかも?
  3. 日本シリーズでは中日-オリックスとなり、地元出身のイチローが中日応援団から拍手喝采を浴びた
    • 愛工大名電の先輩・山崎武司と日本シリーズで出会っていた。
    • イチローvs今中・山本昌の対戦が見どころの1つになりそう。また、山本昌vs星野伸之という「球の遅い一流投手」同士の対決も見られた。
  4. 先述にもあるようにナゴヤ球場ラストイヤーを飾れていた。
    • 名鉄名古屋本線・ナゴヤ球場前駅(現・山王駅)への、特急などの臨時停車は、史実ではリーグ最終戦限りで廃止されたが、日本シリーズ進出時はその期間中も実施されていた。
    • また、1995年に開業したJR尾頭橋駅が、日本シリーズの盛り上がりを経験したことになる。
  5. 「燃えよドラゴンズ!'96優勝記念盤」がリリースされた。史実では94年と同様優勝祈願バージョン自体リリースされていなかった。
    • 8番の歌詞では、日本シリーズ対戦相手のオリックスを意識して「神戸の青波」などのフレーズが盛り込まれる。
  6. 音・山﨑・大豊の3連発が現実以上に語り継がれるだろう。
    • 1985年の阪神のバックスクリーン3連発と同じくらい有名になっていた。
    • 大豊の阪神移籍はなかったかもしれない。
      • その場合、久慈・関川のいずれかが中日に来なかったか、矢野も阪神に移籍しなかったかもしれない。
        • 矢野の阪神移籍がなかったら2003・2005年の阪神リーグ優勝もなかったかもしれない。
  7. 中山裕章が胴上げ投手を務めていた場合は賛否両論となっていたかもしれない。
  8. 球団創設60周年のメモリアルイヤーを飾れていた。
  9. セ・リーグMVP(史実では巨人・松井秀喜)は山﨑武司(同年の本塁打王)が受賞していた。

1998年[編集 | ソースを編集]

1998年、ナゴヤドーム2年目の中日は、関川・久慈、李鍾範を獲得し、前年の最下位からの巻き返しを図りましたが、最終的にはOB・権藤博監督率いる横浜との優勝争いに敗れ、2位に終わりました。この年、優勝を達成していたら?

  1. ベイスターズは2018年現在に至るまで、58年間(近鉄バファローズが存在していた年数より長い!)リーグ優勝を達成できていない。
    • それ故に2017年の日本シリーズ出場は57年ぶりということで現実以上に盛り上がりを見せていた。
  2. 日本シリーズは西武と対戦。いつものように敗退…してしまうのか、それともこの年こそ日本一達成か。
  3. 川上憲伸が新人で沢村賞(史実より6年早い)に選出されていた…と思いきや史実でも沢村賞は横浜ではなくヤクルト・川崎憲次郎だから厳しいかも。
  4. 平成初の前年最下位からの優勝が3年早く実現していた。

2000年代以降[編集 | ソースを編集]

2000年[編集 | ソースを編集]

  1. ドラゴンズが「辰年・20世紀末」にリーグ優勝達成、それも悲願のリーグ連覇というわけで、名古屋の街の盛り上がりは尋常ではなかった。
  2. 日本シリーズは前年のリベンジマッチと言わんばかりにダイエーと再戦。工藤がいなくなり、秋山も衰えが来てたから、悲願の日本一達成もあり得た…と思いきや、こちらも宣・サムソンが抜けてるし、優勝が精いっぱいかもしれない。
    • 宣の穴はギャラードで埋められる…と思いきや、史実で江藤・二岡に連続ホームランを打たれてV逸を決定づけられたそのギャラードが日本シリーズでダイエー相手に炎上し、日本一を逃すきっかけになっていたかもしれない。
    • サムソンの穴は中継ぎ陣の補強に成功していれば…(史実では佐野重樹・鈴木平の獲得がいずれも大失敗)
  3. 「燃えよドラゴンズ!2000」が史実以上にヒットしていた。実際に優勝した1974年・82年と同じく板東英二が歌っていたので「板東英二が歌う燃えドラがリリースされると優勝する」というジンクスになっていた。
  4. 史実では翌2001年限りで辞任していた星野監督がもう少し監督を続けていたかも。
  5. 中日が工藤公康か江藤智(どちらも巨人移籍)のどちらかを獲得に成功していればこうなっていたかも。
  6. メルビン・バンチが沢村賞を受賞していた?(史実ではバンチも候補に挙がったが、完投数が2と少なかったため受賞できず。結局は「該当者なし」)
    • そうなれば2016年の広島・ジョンソンより16年早く、バッキー(阪神・1964年)に続く2人目の外国人沢村賞投手が誕生していた。
  7. 逆に巨人・長嶋監督は大補強を敢行してもなお優勝を逸した責任を取り同年限りで辞任。史実より1年早く原監督が誕生していた。
  8. ディンゴが目論見通りV2の使者となれていたか。
  9. セ・リーグMVP(史実は巨人・松井)は(史実のメンバーの場合)投手ならバンチorギャラードか。ただしディンゴの活躍、工藤の獲得成功云々によってはまた違った顔ぶれになるかもしれない。

2005年[編集 | ソースを編集]

  1. 名古屋の街は(この時点で)悲願のリーグ連覇達成ということで盛り上がった。史実通り2006年も優勝していた場合、巨人以来セ・リーグ2球団目の3連覇を達成していた。
    • 2007年も優勝した場合、リーグ4連覇となる。
    • これに加えてこの年は、セントレア開港、愛知万博開催、春のセンバツで愛工大名電が優勝と、愛知県にとってイベントぞろいの年。ここでドラゴンズが連覇達成となれば、そりゃもうすごいこと。グランパスは降格寸前だったけど。
  2. 史実ではウッズが藤井への暴行事件を起こし、出場停止で途中離脱したのがV逸に響いた。これがなければ、この年の優勝があり得たかも。
    • 9月7日の阪神戦(史実で阪神の中村豊が決勝ホームラン打った日)に勝っていれば可能性があった。
      • そうなると中村豊は阪神時代に1本もホームランを打てず(平井から打った↑のホームランが阪神で唯一)、同年限りで引退していただろう。
    • ウッズ自身も離脱しなければ(横浜時代から移籍をまたいで3年連続の)本塁打王を取れていたかもしれない。打点王は流石に今岡の成績が圧倒的すぎるから不可能だろうけど…。
      • 福留も30本塁打を達成できていれば…
  3. この年の日本シリーズはどうなっていたことか…翌年の「強竜打線」でも日本ハムに完敗していたし、ヘタしたら史実の阪神同様、ロッテ相手に33-4みたいになっていたかも。
  4. セ・リーグMVP(史実は阪神・金本)はウッズか福留(福留は史実にて翌年に受賞)だろうか?

2007年[編集 | ソースを編集]

  • 背景については同年の阪神の節を参照。
  1. 中日恒例の燃え尽き症候群により、またしても日本シリーズで負ける。
    • CSで負けたかもしれない。
    • この年は史実でもCSストレート勝ち→日本シリーズ制覇するまでの力を残していたからそうなっていない可能性のほうが高い。
      • 1stステージがない分日本一までの試合数が減り、4勝1敗の史実より更に日本ハム相手にうまく戦え、初戦から4タテできていたかもしれない。
        • その場合、当然第5戦の山井事件は存在せず、この議論は存在しなかった。
    • そうなれば「53年ぶり日本一」は、正真正銘の「完全制覇」となる。そのため、中日が「完全制覇」を達成できていない年数が、2009年に近鉄球団の55年間を塗り替えてしまうことはなかった。
      • 2ちゃんねるの野球殿堂板に「中日がリーグ優勝と日本一を同年に達成」というスレッドが立つこともなかった。
  2. それでも名古屋ではV2ということで盛り上がる。
    • いや、前述のように日本一になっていた可能性が高いので、シーズン2位からCS優勝で日本シリーズに進出し、日本一になった史実以上に名古屋は盛り上がっていた。
      • 2022年にオリックスが26年ぶりの日本一になった際「リーグ連覇→前年敗れた相手に雪辱し久々の日本一」という流れが2006〜2007年の中日にそっくりだと話題になる。
    • 史実より4年早く、球団初の連覇を成し遂げていた。
  3. 日本シリーズ第5戦では山井大介が完投し完全試合を達成していた。
    • いや、流石に落合監督が山井を岩瀬に変えるのは史実通りだろう。

2009年[編集 | ソースを編集]

  1. 立浪和義・井上一樹のラストイヤーを「有終の美」ならぬ「優勝の美」で飾る。
  2. チェンが打線の援護に恵まれ、13勝ぐらいできていれば可能性があっただろう。
  3. MVPはトニ・ブランコ辺りが受賞していた。
    • 「汎用応援歌を使用されていた新外国人」がMVPを受賞したのは前例があるのだろうか?
  4. 史実通り2010年・2011年も優勝すれば3連覇。さもなれば落合監督の2011年限りの解任もなかったか、もしくは史実通り発表されるも後に撤回されていた?
  5. 沢村賞は吉見一起が受賞していたかも(史実では当時西武の涌井秀章。なお2018年現在までも吉見は沢村賞を受賞できず)。
    • もしくは前述のように援護に恵まれ勝ち星を伸ばしたチェン。

2012年[編集 | ソースを編集]

  1. 落合解任への批判は沈静化していた。
  2. 高木監督が老害扱いされる事はなかった。
  3. 辰年優勝も話題となった。
  4. 翌年からBクラスに落ちることもない。
  5. 高木監督の後任は立浪和義になっていた。

番外編・もし中日ドラゴンズがあの年に優勝を逃していたら

1954年[編集 | ソースを編集]

  1. 優勝は巨人のものだった。
    • 史実通りなら1951年から数えて9連覇を成し遂げていた。
    • 巨人と西鉄の日本シリーズが2年早まっていた。
  2. 中日は2007年まで日本一を経験しておらず、RS1位を経ての日本一に至っては2023年現在まで未だに達成されていない。
  3. 中日のセ・リーグ初優勝は1960年代までずれ込んでいたかも。
    • 下手したら、1974年が初優勝になっていた。

1974年[編集 | ソースを編集]

  1. 優勝は巨人のものだった。
    • 当然、V10を達成していた。
    • 川上哲治は体力の続く限り監督を続けていた。
    • 長嶋茂雄も体力の続く限り現役を続行していた。
      • 長くても王貞治と同時期に引退していたかも。
  2. 「燃えよドラゴンズ!」があそこまで有名になる事はならなかった。
    • 山本正之は史実ほど有名にはならず、「タイムボカンシリーズ」の主題歌やBGMも違ったものになっていた。
      • あるいは「タイムボカンシリーズ」で有名になっていたか。

1988年[編集 | ソースを編集]

  1. 優勝は巨人か広島のものだった。
    • 巨人の場合は王貞治、広島の場合は阿南準郎はそれぞれ監督を続投できていた。
      • 巨人は藤田元司が監督に再就任することはなかった。
      • 広島は山本浩二の監督に就任しなかった。
    • どっちが優勝していたにしてもビールかけは自粛してただろうし、日本シリーズでは当時黄金期である西武に勝てていたかどうか…。
  2. 星野仙一は史実ほど監督を続けられなかった。
    • 高木守道の監督就任が早まっていたかも。
    • 1996年より監督に再就任することはなかったかもしれない。
      • その場合1999年の優勝もなかっただろう。
  3. 両球団掛け持ちファンの間で、近鉄(10.19で引き分けに終わり2位になった)との日本シリーズ名阪決戦を期待する声が大きくならなかった。

1999年[編集 | ソースを編集]

  1. 優勝は巨人のものだった。
    • パ・リーグが史実通りなら、長嶋巨人と王ダイエーの日本シリーズ(ON対決)が1年早まっていた。
  2. 李鍾範、宣銅烈、サムソン・リーのいわゆる韓国三銃士も史実ほど有名にならなかった。

2006年[編集 | ソースを編集]

  1. 優勝は阪神のものだった。
    • リーグ2連覇ということで大阪を中心とした関西の街の盛り上がりは凄まじいものになっていた。
    • その場合、阪神対日本ハムの日本シリーズが実現していた。なお、日本ハムは東映時代の1962年においても阪神と対戦していたので、44年ぶり2度目となっていた。
      • 球団の本拠地は異なるが、親会社の本社はともに大阪にあることも取り上げられていた。
  2. 2007年にRS2位でCS優勝・日本一になれていたかどうか怪しい。
  3. 逆に2007年にリーグ優勝していたかも。

2011年[編集 | ソースを編集]

  1. 落合監督は成績不振という形で解任していた。
  2. 優勝はヤクルトのものになっていた。
    • パ・リーグが史実通りなら、ヤクルトとソフトバンクの日本シリーズが4年早まっていた。
中日ドラゴンズ
項目別:マスコット | 中日ファン | バンテリンドーム ナゴヤ | ナゴヤ球場
親会社:中日新聞/中スポ・東京中日
○○に言いたい:中日ドラゴンズに言いたい
勝手国:ドラゴンズ王国
もしも借箱:もしも借箱(プロ野球編)
歴史のif検討委員会:歴史のif検討委員会(野球)
偽モノの特徴:偽球団 | 偽選手/偽山本昌/偽落合/偽星野 | 偽球場