もし北陸本線が全線直流電化だったら

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かじやしき
梶屋敷
Kajiyashiki
いといがわ
Itoigawa
うらもと
Uramoto
  1. 関西の新快速は福井まで乗り入れ。
    • 雷鳥サンダーバードを食うので、それは無い。
    • 湖西線のローカル列車は敦賀発着となっていた。113系が敦賀まで乗り入れていた。
      • 永原~近江塩津が列車過疎区間になることもなかった。
    • 永原、近江塩津、敦賀で長時間待たされることも無くなった。
    • そこまで行かなくても新快速の敦賀延伸は史実よりも早かっただろう。福井乗り入れも一部あったかもしれない。
      • 他に小浜線乗り入れも設定されていたかも。
      • 117系や221系が敦賀駅まで乗り入れていた。
    • 福井県は現実以上に関西の一部となっていた。
      • 関西広域連合にも参加していただろう。
  2. 北陸特急は281系や283系で運用。
    • 国鉄時代は181系や183系だった。
      • 東海道新幹線開業後151系→181系が真っ先に雷鳥・しらさぎに転用されたが、その後山陽・九州方面との運用共通化のため485系に置き換えられ、181系は史実通り全車関東に転出。
        • 北陸転用時にパーラーカークロ151はクハ181に、ビュフェ車モハシ150もモハ180に改造されていた。
        • 向日町の485系はJR化後直流専用に改造され183系となった。
          • むしろ183系800番台は登場しなかった(七尾線に交直両用車を投入する必要が無いので)。
    • 急行列車には153系や165系が使用されていた。ただし「立山」の地鉄乗り入れ編成は勾配の関係上165系の限定運用。
      • 七尾線直流電化後165系は「能登路」でも運用。
      • 北陸線用のサハシ153は寿司コーナーではなく蕎麦コーナーで製造され、サハシ153-50番台となっていた。
    • 大阪-青森間の特急「白鳥」はJR化後すぐの1988年3月改正で「雷鳥」と「いなほ」に系統分割されていた。なお、大阪-新潟間の「雷鳥」の金沢での系統分割(「雷鳥」と「北越」に)は史実通り。
    • 「しらさぎ」にJR東海の383系も運用されていたかも。
  3. 北陸ローカルは113系や115系で運用。
    • 北陸ローカルの新車は125系か223系5000番台。
    • 103系食パンを忘れてもらっては困る。
      • むしろ103系は72系の後継として富山港線に投入される。車体色はもちろんスカイブルー。
        • クモハ123の単行も走るかも。
    • サンパチの宝庫になってる悪寒。
    • 70系新潟色も糸魚川あたりに足を伸ばしていた。
    • 史実の681系が281系を名乗っていた。
  4. EF81形電気機関車や485系・583系電車は登場しなかった。
    • 北陸だけが交流というわけではない。関門トンネル九州側の一点で区切られる九州はともかく、東北や茨城などは数箇所で切り替わっているので、そのような地方向けにもその種の交直両用車は絶対必要。
      • いや、そういう意味ではなくて、「3電気方式対応の車両が…」と言いたかったのですが…。日本海縦貫貨物列車もEF80の重連運用とかで何とかなるし…(TдT)
        • 三電源方式は主目的が「東西へ転属配車させやすくする」なのでやっぱり三電源車は作られた。
      • 敦賀かどっかで、交流と直流切り替えるために電気が消えて夜は真っ暗になる。
        • 全線直流ならそれは無いのでは?
    • ED70,ED74,EF70も存在せず、他の交流電気機関車の形式称号が繰り上がる。
      • 抑速ブレーキ非装備かつ60Hzのみ対応の交直流急行形電車も存在しない。
  5. 夜行急行「きたぐに」が285系電車で運行されている。
    • 逆にずっと客車で電車化がなかった。
    • 寝台特急「つるぎ」はスハ25を連結。
  6. 変電所数は今と違って多い。
  7. かつての「白山」には189系が投入され、夜行急行「能登」は全区間直流電気機関車牽引による運行。
    • 山陽新幹線博多開業で余剰となったサシ481がサシ189に改造されて「白山」に連結される。
    • EF62が金沢まで乗り入れていた。
    • あるいは急行時代に「白山」が169系化され、1972年以降は同区間の昼行に特急と急行が併存する形になる。
  8. 寝台特急「北陸」は285系での運行か、全区間直流電気機関車が客車を牽引して運行。
    • サンライズきたぐにが走ってるかもね。
  9. EF58は投入されず、EF64系列かあるいは全く別形式の機関車が投入。
    • 或いはEF66だったかも?
  10. 今の広島地区のような姿になっている。
    • 419系がいることを考えるとまだましだったかも。
    • むしろ、1990年代のうちに223系を投入してもらえた。
    • 北陸は積雪寒冷地なので、温暖な広島のようにはいかなかっただろう。
  11. 「日本海」「トワイライト」はEF66が新潟までロングラン。効率よく方転しながら機関車交換。新潟にも寄れて一石二鳥。
  12. 当初は直流電化される予定もあったとの話。
    • 深坂トンネルが戦前に開通していたら、実際にそうなっていたのかも知れない。EF10やEF16が補機として使用されていた。
    • 当初の予定通り直流電化だったら米原-敦賀の電化は1956年11月の東海道線米原-京都の電化と同時に実施されていた。
      • 米原-木ノ本-敦賀の区間列車には80系が投入されていた。EH10形の製造数も史実より多かった。
  13. 大糸線も全線電化されていた。
    • この場合、直江津-糸魚川はJR東日本に帰属していた。
    • 高山本線の電化も実現していた。
  14. 富山駅構内に富山港線や富山地方鉄道本線とのデッドセクションが設置されることはなかった。
  15. 田村駅の構造はもっと単純だった。
    • 急行停車駅にはならなかった。それどころか国鉄時代は坂田・河毛同様、区間運転の気動車列車しか停車しなかった。
  16. 21世紀になった今でも80系が「N60改造」を施されて現役で走っている。
    • さすがに分割民営化前に113系が投入されているだろう。
      • いや、471系だってつい最近まで現役だった位だから確実にありえるかと。それも300番代のみならず初期型も含めて。
        • そもそも耐寒対策を施した史実とは全く異なる直流車が国鉄時代に導入されているはず。
        • 新潟と同じく115系の溜まり場かと。JR化後の新車は独自形式だろうが。
          • JR化寸前まで飯田線から転属してきた(EF61orEF58牽引の客車列車置き換えの為)戦前型電車が走っていたりして。
          • 恐らく寒冷地向けに装備を強化した115系1000番台になっていたと思う。湖西線用も共通だったため、113系700番台及び2700番台はなかった。
      • 北陸線は特急が高速運転を行うので、足を引っ張らないように新性能車への置き換えは早期に行われていただろう。
  17. それでもえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインは気動車だった気がする。なぜかというと両運転台構造の電車は高価格だから。
    • ET127系では過剰輸送だろう。
    • むしろ125系が投入されているのでは。大糸北線も経営分離されていたなら話は別だが。
      • 直流だったら恐らくそうなっていたと思われる(交流・交直流電車は高価なので)。
    • JR西日本時代に配置されていた123系を使用するのでは。
  18. JR西日本による北陸冷遇は、なかった。ICOCAは2010年までに導入され、国鉄型車両の体質改善工事もしっかり実施されていた。
    • 北陸が日本有数のクルマ社会になることはなかった。
  19. 福井駅以南は新幹線の敦賀駅開通と共に特急『はるか』導入してサンダーバードを置き換えていた。
    • 越美北線、氷見線、高山本線、大糸線、氷見線などが電化していた可能性が高かった。
  20. 場合によってはJR東海と西日本の車両は直流用車両しかなかった可能性も。
    • JR九州があるしそれはないと思う。九州も直流なら話は別だが。
  21. 北陸新幹線の並行在来線分離は少なくても津幡以西では起きなかった。
    • 津幡駅以西は特急『しらさぎ』で補完される他、小松空港線や関空特急『はるか』も福井発着で増便されていたかも。
    • 津幡-富山も分離されなかっただろう。
    • 福井駅~姫路駅を結ぶ新快速も大幅に増便される。
    • 新幹線開業後は、6〜8両編成の普通電車が15分〜20分間隔で走るようになる。
      • あるいは敦賀延伸後も大阪・名古屋から金沢に向かう特急「サンダーバード」「しらさぎ」が一部残されていた。
        • 特に「しらさぎ」新幹線経路としても外れるので能登方面直通を残して残存された。
          • 「サンダーバード」に関しては福井発着になった上で関西空港直通に置き換わっていた。
  22. 金沢市は人口50万人を突破していた。富山県は人口120万人台をキープしていた。
    • 福井県の人口も100万人突破し、その人数で維持していた。