もし名古屋急行電鉄が開通していたら

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名阪熱田
めいはんあつた
Meihan Atsuta

Keihan
尾頭橋
Otobashi
阪 急 あつた
熱田
HANKYU ATSUTA

おとうばし
OTOBASHI
近 鉄 熱 田
KINTETSU-ATSUTA

尾頭橋
OTOBASHI
あつた
熱田
atuta
尾頭橋
otoubasi
名鉄熱田
めいてつあつた
Meitetsu atuta
神宮前
Jingu mae
尾頭橋
otoubasi
  1. 戦後は新京阪線と一緒に阪急のものとなる。
    • むしろ阪急が名古屋急行のものとなる。
    • 名古屋急行は京阪と一旦合併して「名阪電気鉄道」となるが、戦中に関西急行鉄道・奈良電気鉄道と合併して「近畿日本鉄道」が発足する。
      • 阪神急行電鉄や南海鉄道と京阪・関急→近鉄は関わりを持たない。
      • 戦後、「京阪電気鉄道」が分離するが、新京阪線はそのまま近鉄に残留。
        • この時、旧奈良電線(史実の近鉄京都線)が京阪に行ったかも。
  2. 梅田−熱田間にノンストップ特急が走っている。
    • 新幹線開通後は南京都・湯の山温泉停車となって一旦廃止されるが、国鉄の運賃大幅値上げ後に復活。平成に入って新車も大量投入される。
      • しかし京都市の強い要望により、ほとんどの特急は京都市内の駅に停車することになる。
    • (阪急に帰属した場合)・・・現行と同じく阪急梅田駅へ乗り入れ。
      • 一部は三宮に向かう。
    • (京阪に帰属した場合)・・・京阪梅田線が実現。天神橋から延伸して梅田へ乗り入れる。
    • (京阪・関急合同で近鉄が発足した場合)・・・天神橋・梅田が実現するだけでなく、阪神本線と直通したかもしれない。阪神なんば線と同じ流れで。
  3. 近鉄名阪特急は競争に負けて廃止。
    • ええっ、相手はあのビスタカーだぜ?
    • アーバンライナーは伊勢志摩特急に転用。
    • 昭和40・50年代の名阪特急と同様、名伊特急や阪伊特急が今日まで重視される。
      • が、阪神阪急HD化→阪神なんば線開業によって名阪間での共同戦線を張る。
    • 上にも書いたとおり関急と名阪の合併で近鉄が発足するのならば、南回りの名阪特急は設定されない。
      • 名古屋線の改軌は遅れたか早まったか微妙な所。車両共通化の目的もあって、いつかは実施したとは思うが・・・(名伊間直通のため)
        • 関急(他大阪資本)が伊勢電見捨てる→愛電が救済…現名鉄伊勢線。この場合21世紀に支線が何本残っているか(´Д`)
        • 伊勢電気鉄道が参宮急行電鉄に合併されたのは昭和11年。名古屋急行電鉄が開業するのがいつになるかで、伊勢電が近鉄・名鉄のどっちに帰属するかも変わると予想できる。
  4. 滋賀は京阪神・中京の2大都市圏にまたがるベットタウンエリアとして大発展。
    • 俺の家もボロい農家ではなくきれいな高層マンションに。
    • 滋賀県の人口増加が現実よりも早いペースで起こっていた。
    • 竜王町は市制施行し、八日市市は単独で人口10万人を突破していた。
  5. 現実では西明石から彦根止まりだった国鉄時代の新快速が、岡崎辺りまで延伸されていた。
    • 民営化後豊橋・浜松へ延伸される。
    • 新快速の混雑が現実よりも緩和されていた。
    • 新快速は昔の御堂筋線のように四六時中混雑し過ぎ(特に京都線)。
    • 新快速に指定席車が連結されていた。
    • 名古屋方面ではルート的に勝ち目がないから競合しない近江八幡・彦根・(直流化後の)長浜の需要に特化して棲み分けるんじゃないか。
  6. 名神高速バスは名神高速道路が開通しても開設されていなかったかもしれない・・。
    • 仮に開設されたとしても競合は避けられなかっただろう。
    • 特に現行では利用が多い名古屋・京都線は厳しい競争にさらされる。現在の名古屋・大阪線並の本数に落ち込むと思われる。
    • 1978年(国鉄バス神戸系統廃止)か2002年(急行便廃止)で名神ハイウェイバスが消滅していたかもしれない。
    • あるいは国鉄バス単独の運行になっていたかもしれない。
  7. 名古屋以西の建設が不透明な中央リニア新幹線建設のため、近鉄と共同出資で子会社の「名古屋極超特急電鉄」を設立し、名阪間のリニア新幹線を建設する。完成後は、名阪間をノンストップの極超特急が所用20分、「鈴鹿」、「奈良」停車の超特急が30分で結ぶ。
    • 車両は共通化し、中央新幹線と直通運転は実施する。(JR東海と近鉄は名伊間で競合しているが、連携した企画乗車券を出すなど仲はさほど悪くないため)
    • 京阪・阪神・名鉄も出資していたかも。南海は微妙。
  8. 名古屋に阪急百貨店ができていた。
    • 阪神との経営統合により、タイガースショップも開店。
    • 名鉄百貨店は開業にあたって阪急百貨店ではなく東横百貨店(東急百貨店の前身)の指導を受けて開業していた。
  9. 湯の山温泉や御在所岳の観光開発がもっと進展していた。新幹線開業後に名阪直通客が激減した後、代わりに湯の山・御在所の開発・PRの方に力を入れていた。
    • 員弁から分岐して湯の山温泉に向かう支線が建設され、大阪・名古屋からの有料直通特急が運行されていた。新幹線開業後しばらくは名阪直通輸送よりも湯の山温泉への温泉観光客輸送が中心となっていた。だがバブル崩壊後は温泉観光客のマイカー移行などもあって利用者が減少し、21世紀に入ると湯の山温泉への直通列車は土休日のみに縮小された。
  10. 新京阪・名急は伊勢電との連携も考えていたらしい。伊勢電の多度がジャンクションとなり戦時中に伊勢電と合併。今の近鉄はなかったのかも。
  11. 名阪間における新幹線のシェアが少し下がっていた。
    • 名阪(京阪・阪急?)・近鉄・新幹線の三つ巴の戦いが演じられていた。
    • JR東海は名阪間・名京間で割引切符を発売する。
    • それでも1976年の国鉄運賃大幅値上げ以前は新幹線に歯が立たなかった。
  12. 後に静岡あたりまでの延長構想がたつ。
    • 静岡以東は熱海・小田原を経由し東戸塚へ、東戸塚から湘南電気鉄道・京浜電気鉄道に直通。
      • しかし未成に終わる。
      • 小田急が静岡あたりまで延伸し、標準軌に改軌の上直通していた可能性もある。
  13. どのみち、名古屋急行の熱田駅が置かれた金山橋一帯(史実の名鉄・JR金山駅)は史実以上に発展していた。
    • 東海道線の金山駅ホームも1972年3月ダイヤ改正時までには完成済み。
    • 金山駅の総合駅化が早まっていた。
    • 名駅・栄に次ぐ名古屋では3番手の繁華街となっていた。上記の阪急百貨店もここに出店。
      • ターミナル駅であることを考えると恐らく栄と同等、あるいは栄を抜いていたかも。その場合栄は現実以上に衰退していた。
  14. 阪急にも有料特急が設定されたかもしれない。
  15. 名古屋駅に直接行けない弱点を補う為に、名古屋駅への直接乗り入れか名古屋市営地下鉄との直通が構想されていた。
    • 桜通線が標準軌で開業していたかもしれない。
    • あるいは名駅への一極集中が緩和されていた。
      • 名古屋の繁華街は名駅、栄、金山(熱田)の三つ巴となっていた。
  16. 奈良電気鉄道は近鉄ではなく名阪(あるいは京阪or阪急)に合併させられていたかもしれない。
  17. 京都・滋賀府県境付近は東海道本線旧線の廃線跡を流用したため、名神高速道路の瀬田東IC-大山崎JCT間は史実の京滋バイパスのルートになっていた。
    • あるいは東山を長大トンネルで抜けていた。
      • 新十条通りが史実より広く、現在は側道二車線ずつ、中央に片側三車線の高架となっている。
    • 京阪山科がJR山科駅と遠く離れた名神高速と新山科街道の交点付近にあるため、JR山科駅と間違う外国人が続出。
  18. 近江鉄道・三岐鉄道・北勢鉄道・養老鉄道の利用者が増えていたかもしれない。
    • 北勢鉄道や養老鉄道は近鉄ではなく名古屋急行の系列になっていたかも。
      • 近江鉄道も。西武グループが滋賀県で強くなることはなかった。
  19. 八日市(滋賀県)と四日市(三重県)を間違えて訪れる人が増えていたかもしれない。
  20. 藤森駅が京阪本線と名古屋急行が交差するターミナルとなっていた。
    • 特急も停車していただろう。
    • 竹田駅は一旦駅の外に出て徒歩連絡。
      • 駅舎改築時に新京阪線のりばと近鉄京都線のりばがようやくつながる。
      • 奈良電が京阪保有の場合は連絡改札が整備され、昭和中期にデルタ線が作られる。
  21. 現実の京阪や阪急の運賃を考えると、名阪間の運賃・料金は近鉄のアーバンライナーよりも安かったと思われる。
    • 近鉄の「名阪まる得きっぷ」が廃止されることはなかった。
  22. 国道421号石榑峠道路のルートに影響を与えていた。
    • 史実でも、戦前から国道に昇格する動きがあったらしいので鉄道建設とセットに道路改良が行われたかも。もちろん、例のコンクリートブロックは無い。
    • 二級国道に指定されて、国道昇格が早まっていた。石榑峠道路自体も昭和のうちに完成していた。
  23. 京津線は昭和中期のうちに地下化されていた。
  24. 京都市中心部へのアクセス改善のため、現実の阪急の京都地下線は京都河原町からさらに山科・大津方面に延伸されていた。
    • 名阪特急はこちらを経由するようになっていた。
    • 西向日~竹田~藤森~山科の路線は支線として存続。
  25. 西武大津店もH2Oに譲渡され、「大津阪急」として存続していた。
  26. 通る予定だった員弁、多度は昭和の大合併の時点で周辺町村を巻き込む形で市になっていた。
  27. 新快速が京都~野洲間でも私鉄と競合するため、現実より停車駅が少なかった。(阪急の特急が停まる茨木や長岡京を新快速が通過しているように)
    • それとともに運賃面における電車特定区間も草津あるいは野洲まで延長されていた。
    • 快速は近江八幡より西で史実の新快速の停車駅で運行し、新快速は八幡を出ると草津・大津・京都・高槻の准に停車。
  28. JRが動かない時の滋賀の陸の孤島状態が解消される。