もし宮崎県庁が○○に置かれていたら

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延岡市[編集 | ソースを編集]

  1. 宮崎市と延岡市の人口はそっくり入れ替わっていた。
    • 県名も「延岡県」となっていた。
  2. 延岡自動車道はとっくに全線4車線で供用している。
  3. 日豊本線の特急「ソニック」は延岡発着となっていた。
    • 宗太郎越えの区間が改良されていた。
  4. 高千穂鉄道は南阿蘇鉄道とつながっていた。
    • もちろん大雨で被災しても復旧されていた。
    • そもそも3セクではなく国鉄→JR日肥線。
  5. 都城市は宮崎県ではなく鹿児島県となっていた。
    • 東国原英夫氏は鹿児島県知事になっていた。
  6. イヒの会社の本社は東京へ移転しなかった。
    • その会社の尽力もあり延岡空港が昭和30年代に開港。
    • 延岡アンモニア絹絲としての会社設立当初は本社が大阪でしたが‥。本社が延岡だった時期はあるんでしょうか?
  7. 各放送局の延岡本局は一体どの山になっていたのだろうか。
    • 史実の愛宕山では明らかにカバー面積が狭すぎる。
    • おそらく遠見半島(遠見山)と思われる(実際にMRT延岡アナログ局の設置予定地でもあった)

都城市[編集 | ソースを編集]

  1. 延岡市の人口は10万人に満たなかった。
    • 延岡市は大分県に編入されていた。
      • 特急「にちりん」は都城駅発着で、「ソニック」の一部の便は延岡駅発着だったかも。佐伯~延岡間の本数は現実より増えていた。宗太郎越えや宮崎以南の区間はとっくに早く改良されていた。
      • 寝台特急「富士」も1980年から1997年まで都城発着だった。
        • 都城発着は「富士」ではなく「彗星」。富士が都城発着になった時期はない。
          • ”都城が県庁所在地だったら「富士」も都城発着になっていた"という意味ですが。(by2つ上書いた人)
    • 現実の佐伯市と同じくらいの人口だったかも。
    • 内藤家の危機感が史実以上になるので、旭化成の工場群はやっぱりある。
    • 元々城下町だったので、県政上では北部の拠点として重要視されるのは変わらず。
  2. そもそも県名が都城県、または、諸県県になる。
    • 史実の都城県は、現在の宮崎県南部+大隅半島+霧島市。
  3. 鹿児島県境に近すぎる(現実でも滋賀県の例はあるが)のは不自然なので、実際に都城との繋がりが深い現在の曽於市・志布志市・大崎町も都城県に編入される。
  4. 宮崎自動車道は都城自動車道として建設され、なぜか終点が志布志になる。
    • そして都城から東九州自動車道が伸びる。高岡経由で延岡へ。
  5. 平成の大合併で三股町が編入される。
  6. 鹿児島弁とは微妙に違う都城弁の「微妙な違い」が史実以上に強調される。
  7. テレビ局の略称は史実どおりである(MRT都城放送、UMKテレビ都城)
  8. テレビ・FM親局が鰐塚山に置かれるのは変わらないが、そのための道路は三股から敷設される。
  9. 都城大丸(またはそれに相当する百貨店)は2015年現在も健在。もしくは都城山形屋がある。

旧佐土原町[編集 | ソースを編集]

  1. 佐土原町は宮崎市に合併されず、佐土原市となっていた。
    • 逆に宮崎市が佐土原市に合併されていた。
  2. 県名が宮崎県ではなく佐土原県になっていた可能性もある。
    • 史実でも佐土原県は短期間だがあった。
  3. いずれは蛯原友里が県知事になっていた?

高鍋町[編集 | ソースを編集]

  1. 多くの偉人を輩出した藩校明倫堂の精神が残っていて教育県と呼ばれている。
    • センター試験の県別平均点は中上位あたりに食い込んでいる。
  2. 高鍋から西都を経て湯前まで鉄道が通っていた。
    • 史実の妻線とそう変わらない運命をたどっていたのでは。
  3. 空港は新田原基地と共用。

旧美々津町[編集 | ソースを編集]

  1. 美々津県時代と同じ県庁所在地である。
  2. 日向市ではなく美々津市になっていた。
  3. 現実の日向市街地に当たる地域は細島港が開発されるまであまり栄えていなかった。
  4. 美々津駅には全ての列車が止まるようになっていた。
    • 美々津にもインターチェンジが設置されていた。
  5. 「神武東征の出発地」という伝承にちなみ明治時代くらいに巨大な神宮が創設された。
    • 八紘之基柱も美々津にできていた。

日南市[編集 | ソースを編集]

  1. 飫肥藩が日向国南部一帯を治めていたら現実味をおびてくる。
    • 小村寿太郎が史実より早く出世していたかも。
  2. 日南市ではなく飫肥市になっていた。
    • 全国の児童・生徒がテストで「飫」の字に苦しめられる。
    • 県名は郡名からとって「那珂県」に。
  3. 日豊本線は宮崎〜都城間で日南線+志布志線のルートを通っただろうか?
    • ただし遠回りになるので、現実通りの可能性も高い。
      • その場合大分以南の優等列車は、都城・鹿児島方面と日南線直通の2系統に分かれていた。
        • 「にちりん」が日南線のどこかを終点としており、一部は「きりしま」(この世界では大分発着)と併結運転している。
    • いずれにせよ日南線は大正時代までに開通しており、志布志線も廃止されなかった。
  4. ここでキャンプを行うプロ野球球団が現実より多い。

宮崎市は‥[編集 | ソースを編集]

  1. 宮崎市の市制施行が最悪昭和の大合併期にずれ込んでいた。
    • その場合そもそも「宮崎市」でなく、「大淀市」「赤江市」「日向太田市」「日向中村市」「城ヶ崎市」のいずれかになる。
    • 史実の旧宮崎町に当たる自治体も、地域内で町場だった名前から「上野村」「江平村」あたりになって、結局は上記の市に編入される。
  2. 宮崎県ではなくなるため、宮崎駿の出身地と勘違いされる事はなかった。
もしあの県の県庁が○○に置かれていたら
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