もしあの県の県庁が○○に置かれていたら/中国・四国
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岡山県庁が○○[編集 | ソースを編集]
広島県庁が○○[編集 | ソースを編集]
東広島市[編集 | ソースを編集]
- 東広島市は広島市に。史実の広島市は西広島市に。
- もちろん立場も逆に。
- 地名の由来を考えるとありえない。
- 「広島」という地名は毛利輝元が太田川河口部の三角州で一番広い島に築城したことにちなむ。
- じゃあ逆に広島が「西西条」…いや何でもない。
- 安芸国分寺が大規模な寺院として存続していないと厳しい。
- こうなると毛利元就か輝元が「大規模な門前町であり山陽道の要衝でもあった」西条に目を付けても不思議ではない。
- 海上交易は黒瀬川の舟運を通じて行われる。よって河口にある広が外港として呉以上に発展していた。
- こうなると毛利元就か輝元が「大規模な門前町であり山陽道の要衝でもあった」西条に目を付けても不思議ではない。
- 西条杜氏たちは大都会化による地下水の水質悪化を懸念していた。
- 広島空港は現実ほど「不便な空港」のレッテルを貼られなかった。
- ただし離発着の難しさは相変わらずである。
- 広島西飛行場は開港しなかった。
- 西条駅に山陽新幹線の駅が併設されており、東広島駅は存在しない。
- そこから西は山陽自動車道同様、広島市北部を通過するルートを採っていた。
- 広島大学は最初からここにキャンパスがあった。
尾道市[編集 | ソースを編集]
- 明治9年ごろに実際に県庁移転計画があったが前島密の反対により中止された。
- 史実の計画通り県名は「御調県」になっていた。
- 少なくとも現在の人口は福山市よりは多くなっている。
- 旧松永市は尾道市に編入されていた。
- 沼隈半島もほとんど尾道市域に。
- 平地の確保にかなり苦しめられた。
- 各地で現実以上の規模の山の切り崩しや海の埋め立てが行われた。
- 「尾道水道を埋め立て向島と陸続きにする」といったとてつもない計画も一時期真剣に検討されていた。
- 空襲被害や開発のせいで中心部の歴史ある街並みはあまり残っていない。
呉市[編集 | ソースを編集]
- 陸軍も呉に拠点を置いていたらこうなっていた。
- 土地不足や機密保持の都合により敗戦まで民間産業はあまり発展しなかった。
- こうなると「政治の中心:呉、経済の中心:広島」といった役割分担ができていたかもしれない。
- 勾配回避も考慮して山陽本線が現実の呉線のようなルートになっていた。
- 広島市ではなくこちらに原爆が投下された恐れも小さくない。
- 本四架橋のルート案に「呉-松山」があった。
- もともとあったけど、亀井なんとかという過去最低の広島県知事が備後に橋を持っていった。
安芸高田市[編集 | ソースを編集]
- 毛利家が拠点を吉田郡山城に置いたままだったらこうなっていた。
- 高速道路のみならず、新幹線・在来線・国道2号線も中国山地経由で建設された。
- 史実の芸備線は国道54号線沿いを通るルートになっており、市中心部に「吉田駅」がある。
- 広島市は安芸高田の外港として倉敷程度にまで発展している。
- 三次市も人口が10万人を超えていた。
- サンフレッチェは練習場のみならずホームスタジアムも吉田地区に構えていた。
鳥取県庁が○○[編集 | ソースを編集]
米子市[編集 | ソースを編集]
倉吉市[編集 | ソースを編集]
- 現在、鳥取県では鳥取市と米子市が両端で同じくらいに発展して、こんなことしてますが、もしど真ん中にある倉吉市に県庁がおかれていたら、どうなっていたでしょう。
- 史実では人口が鳥取と米子に分散しているが、この場合は倉吉に人口が集中して40万くらいになる。
- 国道53号線の津山から北は、人形峠越えのルートが指定されていた。
- 因美線は存在しない。代わりに「伯美線」が存在する。
- 米子も交通の要所として一応発展する。人口15万人くらい。
- 対する鳥取は、山陰の端にあるただの小さい市になってしまう。
- インフラ整備もあまり進まない。ちょうど実際の倉吉みたいなもん。
- よってこんなことは起こり得なかった。
- しかし、米子と張り合うこともなく、県庁も近くにあるということで、鳥取の関西(但馬)志向はそんなに強くはなっていない。
- 鳥取空港も米子空港も建設されず、倉吉に倉吉空港が建設される。
- インフラ整備もあまり進まない。ちょうど実際の倉吉みたいなもん。
- そもそも鳥取県じゃない。倉吉県になっている。
- 現在まで鳥取城北高校ではなく倉吉農業高校(横綱琴櫻の母校)が相撲の強豪校として地位を築いている。
若桜町[編集 | ソースを編集]
- 鳥取、倉吉米子でもめるのが嫌だと、まるきり関係ない場所にあえて持ってきたと言うことで。
- 現在の鳥取県の分離運動が盛り上がってる。
- 智頭急行は開通せず、逆に若桜鉄道が国道29号沿いに姫路まで延伸されている。
- 若桜鉄道ではなく国鉄→JRの若桜線だったかもしれない。
- 山陰本線が若桜から戸倉峠を越えて八鹿か和田山に延びていた。このルートが国道9号になっていた可能性もあり。
山口県庁が○○[編集 | ソースを編集]
徳島県庁が○○[編集 | ソースを編集]
三好[編集 | ソースを編集]
- 三好市は昭和のうちに市制施行していた。
- 市名は阿波池田市になっていた可能性もある。
- 大阪ではなくここに池田市ができていた可能性もある。
- 市名は阿波池田市になっていた可能性もある。
- 県名は「徳島県」ではなく「三好県」か「池田県」になっていた。
- 現実の徳島県が近畿扱いされることはなくなっていた。
- テレビ局は県内に2局程度開設され、香川か高知と相互乗り入れしていた。
- 現実と同じように沿岸部では近畿広域圏の番組が視聴できる。ただ関西で徳島県のニュースが報道されることはほぼなくなっていた。
- 阿波池田~川之江間に鉄道が建設されていた。
- この場合江戸時代の阿波国は複数の領主に支配されていたと思われる。
- それ以前の南海道の分岐点も史実とは異なりこの辺りにあった。
鳴門[編集 | ソースを編集]
- 現実以上に徳島県が近畿地方扱いされていた。
- 高徳線は高松~鳴門間の「高鳴線」となっていた。
- 牟岐線の起点は鳴門駅あるいは池谷駅となっていた。
- 本四連絡神戸~鳴門ルートに鉄道が建設されていた。
- 開港場ができていたらありえたかもしれない。
- 淡路島も県域に含まれている。
阿南[編集 | ソースを編集]
- そもそも、阿南市とはならず、「富岡市」となっていた。(もちろん群馬/西毛の富岡市より先に)
- 蜂須賀氏の城代による改名がなければ「牛岐市」だった。
- 県名は「富岡県」か「那賀県」。
- 大分市並みの工業都市になる。
- 牟岐線は早くから複線電化。
愛媛県庁が○○[編集 | ソースを編集]
四国中央市[編集 | ソースを編集]
- 四国州の州都になる可能性が高い。
- 県の東端に位置するため、中予や南予がさらに衰退していた。
- むしろ松山市と四国中央市で二分されていたかもしれない。
今治市[編集 | ソースを編集]
- 松山市の人口は50万人を切っていた。
- 四国の玄関口とアピールしていたかもしれない。
- しまなみ海道はもう少し早くかかっていたかもしれない。
- 明治時代は東予・中予にあたる「石鉄県」の県庁所在地だったので、歴史的にはわりとありえた。愛媛県になっても県庁を動かさなかった世界線かもしれない。
- 今治港にはまだフェリー航路が多く残っていた。
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