もし平成新局が全て現実より20年早く開局していたら
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全般[編集 | ソースを編集]
- ANN系列は1975年の関西地区のネットチェンジ前に大半の県にフルネット局があった。
- 「○○朝日放送」という名前では無かったかもしれない。
- NET(当時)よりMBSと親密だった局の中にはMBSと同時にTBS系列にネットチェンジする所もあったかもしれない。
- 福岡・北海道・宮城・広島といった主要都道府県は、昭和30年代までにすでに4局以上開局していた。
- その場合、VHFの可能性大なので地デジ移行で史実より余計にコストがかかる局が現れる。
- この場合、UHF帯でのテレビ放送が史実より早く行われていた事が前提条件。
- また、現在県庁所在地が50万人以上の人口を有する県では昭和30年代までに3局以上、30万人以上を有する県では2局以上開局している。
- というわけで、一部の県での乗り入れはなかったかもしれない。
- その場合、VHFの可能性大なので地デジ移行で史実より余計にコストがかかる局が現れる。
- 山形テレビはさくらんぼテレビ開局後にテレ朝にネットチェンジするだろう。
- YTSが山形県民から裏切り者扱いされる事も無かった。
- 数年後には、宮城・静岡・広島辺りにテレビ東京系列の局が出来ていた。
- 昭和が終わるまでに現在のANNと同じように25局程度は開局していた。
- 中継局が圧倒的に足りないという事態が回避された。
- その代わり、1960年代末に開局したUHF局との競争に長くさらされる。
- 平成期には史実で実現しなかった局が開局、そちらが「平成新局」と呼ばれていた。
- 1県4局化を田中角栄が主導していたらあり得たかも。
もし平成新局のみ20年早まっていたら…[編集 | ソースを編集]
- 各系列の最後の開局は以下の通りになり、現行のネットワーク完成が一番早いのがFNSになっていた。
放送局別[編集 | ソースを編集]
テレビ北海道[編集 | ソースを編集]
- 1969年開局
- テレビ愛知、テレビ大阪も早く開局していたのかも。
- 広域局になっていた。
- 視聴可能範囲も広かった。
- 勿論、端から全道ネットで開局しただろう。
- この場合、道内初のUHF放送局として開局したかもしれない。
- ちなみに、UHBは1972年開局なので4年早くなる。
- フジ・NET(現・テレ朝)・12CH(現・テレ東)のトリプルクロスで開局。
青森朝日放送[編集 | ソースを編集]
- 1971年開局
- 青森放送はANNに加盟しなかった。
- 青森テレビはこの時点でANNを離脱していた。
- あの政治家のせいで平成時代にフジテレビ系列局は出来なかった。
- いやいや平成初期に開局か。
岩手めんこいテレビ[編集 | ソースを編集]
- 1971年開局。
- 当然、社名は違うものになっていただろう。
- 「岩手県民テレビ」辺りがベターなところか?
- 略称を変えず「水沢第一テレビジョン(Mizusawa dai.I Television)」でしょうが。
- まず、フジ・NET(→テレ朝)クロスネットとして開局。
- のちに、朝日系テレビ局が開局した時点で、テレ朝系列から離脱というのが無難。
岩手朝日テレビ[編集 | ソースを編集]
- 1976年開局
- テレビ岩手はこの時点でANNを離脱していた。
- 報道にも力を入れていたか。
テレビユー山形[編集 | ソースを編集]
- 1969年開局
- 社名は別の名前になっていたかも。
- 筆頭株主はあの「天皇」だっただろう。
さくらんぼテレビジョン[編集 | ソースを編集]
- 1977年開局
- 山形テレビネットチェンジ&山形放送マストバイ化も同時に行われた。
- 社名は別の名前になっていたかも。
- 筆頭株主はあの「天皇」だっただろう。
北陸朝日放送[編集 | ソースを編集]
- 1971年開局
- 石川のアニメ事情もましになっていた。
- 福井放送がANNに加盟しなかった。
長野朝日放送[編集 | ソースを編集]
- 1971年開局
- 日テレとのクロスネットは避けられなかった。
- テレビ信州も開局が早まっていた。
- 信越放送の兄弟企業になっていた。
あいテレビ[編集 | ソースを編集]
- 1972年開局
- 南海放送のせいで別系列になったかも。
- JNNで開局しても視聴者保護を名目に並行放送は避けられなかった。
- 伊予テレビのままだったかも。
高知さんさんテレビ[編集 | ソースを編集]
- 1977年開局
- フジテレビ系列になれたかは美妙か。
- もしかしたらテレビ朝日系列だったかも。
- それなら高知朝日放送(愛称:さんさんテレビ)でいいのでは。
熊本朝日放送[編集 | ソースを編集]
- 1969年開局
- テレビ熊本はANNに加盟しなかった。
- 熊本県民テレビも早く開局していたことでしょう。
- 1970年代以降(オイルショック以前から),県内ではこの目標を目指して東京12チャンネル系の局を福岡より先に開局(九州初の5波化)させようと熱心になる。
TOKYOMX[編集 | ソースを編集]
- 1975年開局
- やはり、教育局として開局。
- この場合、12ch(現・テレ東)やNET(現・テレ朝)は、現実よりいち早く総合局となり、MXが教育局を一手に引き受けた。
- テレビ埼玉や千葉テレビ、TVKとは、不仲にならなかったかも知れない。
とちぎテレビ[編集 | ソースを編集]
- 1979年開局
- 32代表制末期の全国高等学校サッカー選手権大会北関東代表の試合を群馬テレビと共同で中継していた。
- 開局の翌年に開催された栃木国体で特別番組を制作した。栃木県内での視聴率は実際より高い。
- 下野新聞・足利銀行・栃木県・宇都宮市・東武鉄道・関東自動車(栃木)・日産自動車が大株主になる。読売新聞ではなく毎日新聞が大株主の一つだったかもしれない。
- 毎日新聞の当時の経営状態から,そこと関係の深いTBSが大株主かもしれない。実質TBSテレビの第2放送局に。テレ朝は対抗し,茨城放送テレビを開局させる。
TVQ九州放送[編集 | ソースを編集]
- 1971年開局
- 社名は「テレビ九州」を名乗っていた。
- まず、独立局として開局。その後、東京12チャンネルがテレビ東京に社名変更と同時にテレ東系列に。
- ギリギリ、福岡のライオンズ戦を中継できていた。
- 1980年代に行われていた各球団による平和台球場での主催ゲームも中継されていた。
- ダイエー主催の試合も、初年度(1989年)から中継されていた。
鹿児島読売テレビ[編集 | ソースを編集]
- 鹿児島テレビは、早くフジテレビ系シングルネットに移行した。
- 九州の日テレ系放送局に多大な影響を与えていた。
- 大分・宮崎は、クロスネットから脱出できてたかも知れない。
- 沖縄の日テレ系テレビ局も既に存在していただろう。
琉球朝日放送[編集 | ソースを編集]
- 琉球放送との1局2波とはならなかったかも知れない。
- もちろん、南西放送も既に開局していただろう。