もし放送界であの事件がなかったら/1990年代以前
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- 事件がきっかけで番組が打ち切られた場合、「打ち切られずにすんだ」のは基本的に当然のことなのでご遠慮ください。
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- アニメ・特撮関連はもしアニメ・特撮であの事件がなかったらで。
- 芸能人の問題発言(ドラマでの発言を除く)はもしあの芸能人の問題発言がなかったらで。
独立項目[編集 | ソースを編集]
- もしあのCMの発言・演出が問題にならなかったら(CM中の発言・演出に関してはこちらへ)
- もしあの番組のやらせ・捏造が問題にならなかったら(やらせ・捏造に関してはこちらへ)
- もしあのアナウンサーのあの事件がなかったら(アナウンサーの出来事に関してはこちらへ)
1950〜80年代[編集 | ソースを編集]
日本初のテレビCM事故(1953年)[編集 | ソースを編集]
- 日本初のテレビ放送事故はこれになっていた…と思う。
『荒野の素浪人』抗議事件(1974年)[編集 | ソースを編集]
ドラマ『荒野の素浪人』の劇中で「きちがい」という語句が使用されたことに精神障害者の家族会が抗議した事件。この事件が日本のメディアで「きちがい」という語句の使用が控えられるきっかけの一つになったとされることが多い。翌年1975年以降、差別用語が本格化。
- それでも「きちがい」という語はいわゆる「放送禁止用語」の仲間入りをしていた。
- 当時近畿地方のある精神障害者の家族会が様々な番組に対し同様の抗議を行っていたため。
- ドラマ自体の現在の知名度は史実よりやや落ちている。
- その代わり別の「発端になった」とされる番組の知名度がわずかに上がっていた。
笑福亭鶴瓶『独占!男の時間』全裸事件(1975年)[編集 | ソースを編集]
- 詳細は独占!男の時間を参照。
- 鶴瓶はテレビ東京を出入り禁止されることはなく、テレ東との関係が悪化することはなかった。
- 鶴瓶の東京進出は史実より早く成功していた。
- 『FNS27時間テレビ』での下半身露出もなかっただろう。
- 2004年の『FNS27時間テレビ』で鉄のパンツを穿かされることもなかった。
- 『うわさのチャンネル』で×××××を露出して山口百恵を号泣させることもなかった。
- 仮に27時間テレビで史実通り露出した場合、活動自粛か最悪引退に追い込まれていた。
西城秀樹「ブーツを脱いで朝食を」見た子供がライターで火遊び(1978年)[編集 | ソースを編集]
- 次のシングル「あなたと愛のために」で予定通り小道具として手鏡を使用した。
『吉田拓郎のオールナイトニッポン』吉田拓郎死亡放送事件(1981年)[編集 | ソースを編集]
- 詳細は吉田拓郎のオールナイトニッポン#吉田拓郎死亡放送事件を参照。
- 『とんねるずのみなさんのおかげです』で木梨憲武が復帰企画が組まれた時、木梨の追悼番組に見せかけたドッキリ事件はなかった。
- 『金田一少年の事件簿』でもこのネタが使われることはなかった。
『はいすくーる落書』工業高校風評被害事件(1989年)[編集 | ソースを編集]
- 原作通りに農業高校を舞台としていたらこのようなことが起きなかった。
- 逆に農業高校への風評被害が起きていたかも。
- 工業高校=底辺校のイメージがついてしまうこともなかった。
- 再放送も積極的に行われていた。
- DVD化もされていただろう。
- 史実ではDVD化して欲しいドラマアンケートでも上位にランクインしたが、実現には至っていない。
- パート2では普通高校に舞台を移すこともなかった。
- そもそも職業系高校を舞台とするドラマの制作には慎重になることはなかった。
TBSビデオ問題(1989年~1996年)[編集 | ソースを編集]
- ワイドショー空白期間が無かった。
- それでも平日昼は惨敗のまま。
- ベストタイムやひるおび!のような情報番組路線が敷かれなかった可能性もあるので、史実より長く低迷していたかもしれない。
- 朝の番組『おはようクジラ』に関しては実史通り。(『おはようクジラ』開始は、TBSビデオ問題が直接の要因では無い為。但し、開始時期は、変わっていたかもしれない。)
- 特に午後のワイドショーが日テレ独り勝ちになることもなかった。
- それでも平日昼は惨敗のまま。
- ロゴマークが未だにミクロコスモス。
- ドリームプレスででてくるあれ?
- それは社名変更から90年までずっと使われていた筆記体ロゴ。ちなみにミクロコスモスは91年から94年。
- でも94年ならTBS事件関係なくない!?>>ミクロコスモス
- TBS事件の反省により今のやつに変えたって言う噂がある。
- でも94年ならTBS事件関係なくない!?>>ミクロコスモス
- それは社名変更から90年までずっと使われていた筆記体ロゴ。ちなみにミクロコスモスは91年から94年。
- むしろドリームプレスのロゴのままだったかも。
- ドリームプレスででてくるあれ?
- 薬丸が主婦層に高感度が上がることはなかった。
- 「痛快!明石家電視台」のネット局が今ほど増えなかった。
- 「ワンダフル」もなかった。
- 証券会社から損失補てんを受けるというほどモラルが低下していなかった可能性もあり、田中氏は1995年(赤坂ビッグハット完成後)の株主総会で勇退。
- その後引田氏か志甫氏が社長に。磯崎氏は社長になれず亡くなったかも。
- 黄金時代が再来する。
- MBS・CBCを始め、系列局との関係もそこまで悪くはならなかった。
- ただ、CBCの場合は上記の事件より相変わらず険悪。
- とりあえず、現在まで続く改編が起こるごとに視聴者が離れる・・・というスパイラルな改編も起こらなかった。
- それでも水曜19時台はずっと低迷したまま。
- 赤坂サカスはなかったし、スタイリングライフHD(プラザ、マキシム・ド・パリ日本法人の親会社)の買収もなかった。
- 赤坂メディアビル(旧社屋)は改修を施されてどこかに売却された。
- テレビ朝日の悪いイメージが続いていた。
- ABCとの関係改善は現実より遅れていた。
- ABCはテレ朝に対する嫌悪感がますます強くなり、ついにはTBS系列に戻りたいと思っていたでしょうね。
- でもいずれにせよいつかはテレ朝のイメージがよくなる日が来ていた。
- そういえば椿事件もこの時期だったような。
- ABCとの関係改善は現実より遅れていた。
- TBSは現在もワイドショーのイメージが強い。
- TBSのラジオとテレビが引き離されることもなかった。
- CBCに関しても同じく。
1990年代前半[編集 | ソースを編集]
『M10』たかじん・味の素激昂事件(1992年)[編集 | ソースを編集]
やしきたかじんが、当時テレビ朝日で放送されていた深夜番組『M10』の料理コーナーで隠し味にどうしても必要だった「味の素」が見つからず、番組スタッフに「味の素はどこじゃー!!」と殴って、生放送中に帰宅した伝説の事件。
- やしきたかじんは、「M10」以降も東京で番組を持っていた。
- もちろん、たかじんが「こんな腐った番組辞めたらぁ!!」と「M10」を降板することもなかった。
- 当然「たかじんのそこまで言って委員会」が日テレでも放送されていただろう。
- 「たかじん胸いっぱい」もフジテレビで放送されていた。
- 「胸いっぱい」はともかく「そこまで」は放送自体されなかった気がする。「シャベタリーノ」は東京収録だったかも。
- 「たかじん胸いっぱい」もフジテレビで放送されていた。
- たかじんはアンチ東京になることはなく、関西ローカル番組で東京を積極的に批判することはなかった。
『オールスター感謝祭』アマンドいたずら電話事件(1992年)[編集 | ソースを編集]
- 予定通り休憩時間前にアマンドから商品が発注されていた。
- 翌年(の春)以降も出前発注は継続されていた。
- 序盤から出前発注は飽きたということで、史実より遅れてビュッフェスタイルになってた。
『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』ウォン・カークイ事故死事件(1993年)[編集 | ソースを編集]
- フジテレビ土曜20時台は『めちゃ×2イケてるッ!』がヒットするまで迷走することはなかった。
- 裏番組の『マジカル頭脳パワー!!』が打ち切りまたは枠移動に追い込まれていた。
- それでも史実通りに枠移動していただろ。
- BEYONDは中華圏だけではなく日本でも史実以上にヒット曲を連発していた。
- マセキ芸能社とアミューズの関係も悪化しなかった。
『ハッスルかましてよかですか!?』 岡村隆史が浜田雅功にどつかれた事件 (1994年)[編集 | ソースを編集]
フジテレビの正月番組『ハッスルかましてよかですか!?』の『くつ下リーグ選手権』で岡村隆史がくつ下をうまく飛ばせなかった後、浜田雅功に襲われてボコボコにされた事件。ナインティナインがテレビでダウンタウンと共演しなかったのはこの事件が原因だった。
- 1997年の『27時間テレビ』でダウンタウンが怖くて、うまく、進行が出来ないナインティナインにダウンタウンが怒ることなんてなかった。
- ナインティナインが何度も、ダウンタウンと絡んで、番組を盛り上げることが出来た。
- TBS『リンカーン芸人大運動会』にナインティナインが参加していた。
- 岡村は浜田組(赤)、矢部は松本組(白)に入っていた。
- 「Re:Japan」にナインティナインも参加していた。
- この事件がなくても松本がナイナイはダウンタウンのチンカスと遺書に書いたことが怖がる原因にもなってるので史実と変わらなかったかも
梅垣義明「イヨマンテの夜」事件(1994年)[編集 | ソースを編集]
- 梅垣義明は「イヨマンテの夜」の芸を封印しなかった。
- 梅垣は史実より多くのテレビに出演していた。
- ガキ使の笑ってはいけないシリーズでも芸を披露していただろう。
- 「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」は打ち切りにならずに済んだ。
- 復活版が放送された際の視聴率はもっと高かった。
1990年代後半[編集 | ソースを編集]
江頭2:50のトルコ全裸事件(1997年)[編集 | ソースを編集]
- 「ザ・道場破り!」の知名度は史実より上がっていた。
- 江頭がこれ以降過激な行動をテレビですることはなかったかも。
- 江頭2:50が「嫌いな芸人ランキング」で1位になることはなかった。
- 同時にそこまで知名度が上がることもなかっただろう。
- 『電波少年』の企画と誤解されることもなく、「トルコの江頭はウチではありません」とテロップを表記することもなかった。
- 『笑っていいとも!』で橋田寿賀子に抱き付いたりキスをすることもなかった。
- スタジオアルタを出入り禁止されることもなかった。
- とはいえ別の騒動を起こして出禁を受けていた可能性も否定できない。
- スタジオアルタを出入り禁止されることもなかった。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』プロ野球中継差し替え事件(1997年)[編集 | ソースを編集]
- 詳細はダウンタウンのごっつええ感じ#突然の番組終了を参照。
- 松本人志が叩かれることはなかった。
- 「エキセントリック少年ボウイ」の本編がお蔵入りすることはなかった。
- ということで、『エキセントリック少年ボウイ』は史実以上の知名度を得ていた。
- 木村祐一扮する猪豚ピッグの登場が実現していた。
- 「ダウンタウンのごっつええ感じ」は少なくとも2000年頃まで放送が続いていたであろう。
- うまくいけば「とんねるずのみなさんのおかげでした」や「めちゃ×2イケてるッ!」が放送終了する時期までは続いていたかも。
- 史実の状況(出演者とスタッフとの対立、松本によるリニューアル案)を考えると事件が無くても半年~1年ぐらいで終わっていたかと。
- 余談だが、第1回目のスポンサーの中には皮肉にも「ヤ◯ルト」が入っていた。
- CSでの再放送が普通に行われていた。
『救命病棟24時』盗作疑惑(1999年)[編集 | ソースを編集]
- 『ER緊急救命室』の二番煎じと揶揄されることはなかった。
- 第1シーズンもDVD化されていた。
- 大人の事情が減っていた。
- 第1シーズンの再放送も精力的に行われていた。
- 第4話がカットされることもなかった。
- 第2シーズン以降の路線変更もなかった。
- 第2シーズンには松嶋菜々子も出演していた。
『ニュースステーション』所沢ダイオキシン訴訟(1999年)[編集 | ソースを編集]
- 久米宏の人気が下がることはなかった。
- 食品において「風評被害」という言葉が登場するのはもっと後になっていた。
- ダイオキシン問題はもっと注目されていた。
- 「買ってはいけない」などもそこまで叩かれることはなかった。