もし近鉄の軌間が○○だったら
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全線狭軌化[編集 | ソースを編集]
実は近鉄は、名鉄や国鉄との互換性を考えて、標準軌路線の1067mm改軌も検討していた。この話がもし実現していたら?
- 768mm軌間の路線も、部品の都合や回送を考えて1067mmに改軌される。ただし、車両限界が上がるわけではないので、電車は今でもマッチ箱。
- 大井川鉄道井川線のような状態。
- マッチ箱電車を回送する為、普通の電車の旧形を改造して、普通の連結器と簡易線用の連結器を備える車両が常にいる。2006年現在は元10400系初代エースカー。
- あるいは湯の山線のように線形改良と車両限界の拡大を実施し大型車の乗り入れをできるようにしたかも?
- 大阪市高速電気軌道中央線と千日前線は堺筋線同様の架線集電方式で開業して近鉄と相互乗り入れしていた。
- 大阪市営地下鉄は1067mmではなく1435mmの標準軌です。
- ただ、狭軌に改軌された近鉄と相互乗り入れすると言う前提で中央線・千日前線だけが狭軌で作られていたか、あるいはそのまま現実同様標準軌で作られ千日前線だけ架線集電方式で作られていた(千日前線は阪神と相互乗り入れする為)。
- いや、現実の中央線の事を配慮し、けいはんな線のみ標準軌で建設される。
- 中央線・千日前線が狭軌の場合は、同じ森之宮検車場管轄の谷町線も狭軌で作られていたかもしれない。
- ただ、狭軌に改軌された近鉄と相互乗り入れすると言う前提で中央線・千日前線だけが狭軌で作られていたか、あるいはそのまま現実同様標準軌で作られ千日前線だけ架線集電方式で作られていた(千日前線は阪神と相互乗り入れする為)。
- 大阪市営地下鉄は1067mmではなく1435mmの標準軌です。
- 東大阪線も架線集電方式。
- 京都市営地下鉄烏丸線も狭軌で開業していたか、標準軌で開業しても京阪と相互乗り入れしていた。
- この場合史実通り竹田は経由するも当初から淀まで建設されていた。
- 史実の淀or樟葉止まりの列車が地下鉄直通に充てられていた。
- 奈良電気鉄道は近鉄ではなく京阪と合併し、京阪奈良線となっていた。史実の大和西大寺駅の南側に京阪(奈良電)の西大寺駅が別に建設されていた。
- 京阪西大寺から三条までの直通運転も続けられ、1989年以降は出町柳まで直通している。
- この場合史実通り竹田は経由するも当初から淀まで建設されていた。
- 京都-吉野間の特急が運行されていた。
- 阪神との相互直通は考えられなかった。
- 南海と相互直通していた。
- その場合、名鉄を巻き込んで中部国際空港-関西空港間に特急が運転されていた。
- 関西空港-鳥羽間にも特急が運転されていた。
- その場合、名鉄を巻き込んで中部国際空港-関西空港間に特急が運転されていた。
- パノラマカーが近鉄難波まで顔を出す。
- 新幹線開業とともに名阪特急は衰退、ノンストップは消滅、乙特急も昼間の運行がなくなる。
- 伊勢中川の短絡線は造られる。
- その前にビスタが可能かどうか。でもビスタを作るなら直角カルダンに突っ走るとかして大出力モーターを積むので、標準軌と変わらない。
- そして、新幹線が出来る頃には、狭軌用中空軸並行カルダン用でも120~150kW級モーターが出現しているので、問題ない。
- 乗り心地も、在来線・私鉄レベルだと軌間よりも線形と軌道のコンディションと台車の問題なので、むしろ狭軌にしてしまった方が改良と整備のコストが下がって有利。
- と、言うわけで近鉄の看板名阪ノンストップが消滅することはなかった。
- 全線狭軌となると四日市付近の線形改良を行ったかどうか…、高度経済成長期だからやっぱり現実と同じ線形になったのだろうか。
- 半径100mの善光寺・天理教カーブは20m級車の導入の阻害(≒速度のみならず輸送力強化の阻害)となってたので改良は必然だったと思われる。木曽長良揖斐の鉄橋も同様。
- 全線狭軌となると四日市付近の線形改良を行ったかどうか…、高度経済成長期だからやっぱり現実と同じ線形になったのだろうか。
- と、言うわけで近鉄の看板名阪ノンストップが消滅することはなかった。
- 青山の複線化は改軌と同時に実施、昭和40年までに終了。
- 予算の都合上、ほぼ旧線に沿った形で行われる。
- 狭軌で線形が悪いのとスピードアップのため、21000系以降の特急車は振子式車両で登場していた。
- 予算の都合上、ほぼ旧線に沿った形で行われる。
- 鳥羽方面は参宮線を買収して電化、志摩線と繋ぐことを試みるが、国鉄に断られる。
- 参宮線の伊勢市~鳥羽間は赤字83線に指定されていたので場合によっては近鉄による買収が実現していたかもしれない。
- 名古屋から吉野方面へ直通特急を運転。
- 大和八木を出た後、八木西口へスイッチバック。
- 上本町から上野市へ直通特急を運転。
- 特急用小型車が21世紀初頭まで残っている。
- 南海が関西私鉄の異色的存在と思われることはなかった。
- 関西の大手私鉄は北側が標準軌、南側が狭軌という図式が出来上がっていた。
- 養老線や伊賀線は孤立せず、第三セクター化されなかったかも。
- 伊賀線の伊賀神戸駅 - 西名張駅間は近鉄買収時点で廃止された(史実では国鉄直通の貨物運行のため1964年まで存続)。
- 団体列車を中心に、国鉄との直通列車があったかもしれない。
- お召列車(1号編成)も直接東京方面から伊勢へ直通していたかも。
- 名伊直通も早期に実現するため、参宮線の衰退が早まった。
- 松阪駅に国鉄(現JR東海)との連絡線が設置され、大阪難波~松阪~尾鷲~新宮間に直通特急が運行されていた。
- 三重県南部から大阪へのメインルートとなっていた。場合によっては新宮駅からでもJR西日本の「くろしお」と互角に戦えた可能性がある。
- 近鉄も気動車を所有している。
- かつてはDMH17H機関ながら、特急電車と協調運転する為の自動進段主幹制御器とシーケンス読み替え装置が付いていた。
- 現行車は新潟orコマツエンジンに3段変速機、中間にダブルデッカーを挟んだ「ビスタDX」。
- 20000系「楽」はJR線乗り入れ対応となっていた。
- 昭和59年まで貨物列車が走っていた。
- EF64の近鉄版というべき電気機関車が投入されていた。
- 近江鉄道の車両が本当に宇治山田に来ていたかもしれない。
- 名古屋市営地下鉄桜通線が蟹江駅か富吉駅まで建設され、そこから近鉄と相互乗り入れしていた。
全線標準軌化[編集 | ソースを編集]
近畿日本鉄道(以下近鉄)の多くの路線は1435mm軌間(標準軌)ですが、一部1067mm(狭軌)や762mm(特種狭軌線)が存在します。もしこれらの路線が全て標準軌に改軌されていたら…
- 早くに全線共通仕様の車両が実現していた。
南大阪線系統[編集 | ソースを編集]
- 車両は奈良線グループと共通化されていた。
- 京都~吉野間の直通特急が運行されていた。
- 桜のシーズンには三宮-吉野間の臨時直通快急も運転されている。
- 大阪市営地下鉄堺筋線を針中野まで延長し、南大阪線との相互直通運転が実現していた。
- 道明寺線が大阪線と繋がっていて、上本町から大阪線・道明寺線経由で河内長野・吉野を結ぶ列車が運行されて、桜のシーズンには三宮からも道明寺線経由で吉野まで運転されていた。
養老線[編集 | ソースを編集]
- 車両が名古屋線と共通になっていた。
- 名古屋線との直通もかなりあったかも知れない。
- 420・430・440系は史実より早く廃車となっていた。
- 桑名で名古屋線との直通が実現していた。
- 桑名駅下りホームでも車両交換可能になるので、益生駅がごく普通の2面2線の駅になってたかも。
- ひょっとしたら分社化されず、現在も近鉄のままだったかも。
- むしろ国鉄のセメント輸送の需要に応えられず、もっと早期に廃止されてた可能性もあるよ。
- 貨物廃止後に広軌化の判断を見送った事が、その後の分社化を決めてしまったかも知れない。
- むしろ国鉄のセメント輸送の需要に応えられず、もっと早期に廃止されてた可能性もあるよ。
伊賀線[編集 | ソースを編集]
- 上本町~上野市間の直通特急が運行されていた。
- 伊賀線には急カーブが存在するので、18200系あたりがこの直通特急に運用されていた可能性が高い。
- あるいはR半径を改善して伊賀上野まで大型車も乗り入れ可能にした。
- 大型車乗り入れが実現していた場合、一部の快速急行が伊賀神戸で分割され「前6両青山町行き、後ろ4両上野市行き」となっていた。
- むしろ大阪線の車庫が青山町ではなくて伊賀線内に出来ていた可能性もある。史実の「青山町行」は全て伊賀線直通になっていた。
- こちらも分社化されず近鉄のままだった可能性もある。
- 近鉄バスが梅田~上野産業会館の高速バスを運転していなかった。
- 伊賀は大阪の通勤圏に入ってた。
内部・八王子・北勢線[編集 | ソースを編集]
- 車両は名古屋線と共通になっていた。
- もうとっくに冷房車が走っている。
- 近鉄の冷房化率100%も実現。
- もうとっくに冷房車が走っている。
- 架線電圧は1500Vに昇圧されていた。
- 全体にスピードアップが実現している。
- 北勢線が三岐鉄道に移管されることはなかった。
- 内部・八王子線には名古屋直通列車も走っている。
- 廃線が検討されることもなかった。
- 四日市あすなろう鉄道として分離されることもなかった。
- 両線の近鉄四日市駅は名古屋線と同じく高架化されていた。
- 同じ支線区ということで湯の山線と直通運転されている。
- 廃線が検討されることもなかった。
- 2012年現在、ケーブルカーなどを除き日本の大手私鉄は全社冷房化率100%を達成している。
南海・高野線[編集 | ソースを編集]
| 大阪難波 | |||
| おおさか なんば | |||
OSAKA-NAMBA
| |||
| ← | 今宮戎 IMAMIYA-EBISU |
→ | |
南海電鉄が戦時合併後も近鉄に残ったことが条件です。
- 南大阪線などと同じく広軌化。
- 河内長野駅で相互乗り入れしていた。
- 阪神なんば線開通後は神戸三宮から阪神本線・なんば線・近鉄大阪線・道明寺線・南大阪線・長野線・高野線経由で極楽橋まで行く有料特急が運転されていた。道明寺線は勿論大阪線に繋がっている。
- 場合によっては山陽姫路発になっている。
- 高野線の中百舌鳥で御堂筋線に乗り入れしていた。
- 高野線は架線式・御堂筋線は第三軌条なので直通は難しいのでは?
- むしろ堺筋線が天下茶屋で南海線に乗り入れ、阪急-大阪市交-近鉄の3社直通が実現していた。
- ラピートは河原町発着となっている。
- この場合、阪急は京都線だけ近鉄規格の20m車となっていた。
- 南海線の難波・汐見橋駅も大阪難波駅に統合されていたか。
- 少なくとも同じ駅として乗り換えの扱いにはなるだろう。
- 阪神なんば線開通時に、なにわ筋線関係なく汐見橋駅は地下化されており阪神電車が乗り入れてくる。
- 岸里玉出駅の配線も汐見橋線から南海本線・高野線への営業列車乗り入れが可能になっている
- 貴志川線のみ狭軌のまま(無論全線広軌化された場合はこの限りでない)で、結局分社化される。
- 南海難波発着の「きのくに」は存在せず、近畿圏では「国鉄・JRと大手私鉄の相互乗り入れ」はあり得ないものだった。
名古屋線のみ狭軌残存[編集 | ソースを編集]
近鉄名古屋線は開業以来軌間1067mm(狭軌)で営業していましたが、伊勢湾台風で壊滅的な損害を受けたのを機に1435mm(標準軌)に改軌され、長年の懸案であった大阪線との直通を果たしました。もし名古屋線が現在も狭軌のままだったら…。
- 狭軌用特急型車両の研究が進む
- 南大阪線と共通運用になる。
- 名鉄との直通運転が今でもあると思う。
- 最近になって鉄道系YouTuberがノーラッチで豊橋~山陽姫路を移動するという企画をやっていた。
- 現在では近鉄側はシリーズ21とGTO-VVVF車を、名鉄側は3Rと9Rと2200系を直通に使用。
- 名古屋市営地下鉄と相互乗り入れしていた。
- フリーゲージトレインの試験車両が今頃(2006年)、三重県内を走っている。伊勢中川付近には軌間を変える「あの装置」が。
- 近鉄が全国で真っ先にフリーゲージトレインの営業用車両を投入。
- 高速運転を気にしなくていいので実用化が早まっていたかも。
- さっぱりとスペインからTARGOを輸入していたかもしれない。
- 2010年現在、大阪線用機関車は自社発注VVVFロコだが、名古屋線用は当然国鉄のお下がり。
- この為伊勢中川の短絡線は存在していない。
- 近鉄が全国で真っ先にフリーゲージトレインの営業用車両を投入。
- 江戸橋~新松阪間の伊勢線の廃線はもう少し遅いか、現在も残っていた。
- 伊勢直通の利便性を確保するために新松阪~大神宮前間が復活していたかも。
- 名伊特急はこちらを通っていた。
- 伊勢直通の利便性を確保するために新松阪~大神宮前間が復活していたかも。
- 現実以上に線形改良へ投資される。
- 長島-桑名の曲線が緩和。
- 名古屋-富吉は4線化。
- 現実より名阪間を近鉄で移動する人は少なかった。
- 現在でもJRの急行「かすが」が残っている。なぜかJR難波まで延長されていた。
- 近鉄志摩線の改軌はあったのだろうか。
- 改軌されていた場合、現実通り。
- 改軌されなかった場合、近鉄鳥羽線が狭軌として建設され、大神宮前~鳥羽の路線になっている。
- 国鉄貨車の直通の便を考慮して狭軌のまま残されたが、1984年2月に参宮線の貨物列車が廃止された後に改軌された可能性もある。
伊勢中川以東で三線ないし四線軌条化がなされていたら[編集 | ソースを編集]
- むしろ、伊勢中川から宇治山田ないし鳥羽まで三線軌条になっていた気がする…さすがに賢島はないと思うが。
- 保守が大変だが、フレキシブルな運用ができる・・・か?
江戸橋ー伊勢中川間のみ標準軌[編集 | ソースを編集]
江戸橋ー参急中川(現・伊勢中川)間は1938年に標準軌から狭軌に改軌されましたがそれがなかった場合。
- それでも伊勢中川駅の短絡線は存在していただろうか。
- 江戸橋駅が運行系統上重要な駅となっていた
- 江戸橋駅が近江塩津のような駅だけが巨大な乗換駅になっていたかもしれない
大阪・山田線のみ狭軌に改軌[編集 | ソースを編集]
大阪線の大和八木以東のみを改軌し、大阪鉄道線(後の南大阪線)への連絡線を敷設して大阪阿倍野橋・名古屋間の直通を可能にする提案がありました。これが実施されていたら。
- 名阪特急・阪伊特急は大阪阿部野橋駅に発着。
- 南大阪線の規格が低いため、現行より時間を要した。
- アーバンライナーは振り子式車両で登場していた。
- あべのハルカスの建設が現実より早く進展していた。
- 南大阪線の規格が低いため、現行より時間を要した。
- 名古屋・吉野間の直通運転も団体を中心に実施。
- 一方で名古屋・天理や京都・伊勢などの直通列車はなかった。
- 京都-伊勢間の輸送は新名神が開通するまで、国鉄→JRの独壇場であった。
- 一方で名古屋・天理や京都・伊勢などの直通列車はなかった。
- 上本町が現状より早く凋落していた。
- 本社も未だに阿倍野橋にあった。
- 南大阪線との接続を考えると、現在の八木西口駅がそのまま大和八木駅になっていた可能性が高い。
- 高田市-大和八木間に連絡線が出来ており、高田市-橿原神宮前間は吉野線に編入されていた。
- 混乱を避けるために大和八木以東も南大阪線に編入されていたかもしれない。
- 新ノ口連絡線は建設すらされず、八木西口の連絡線が複線化されて大阪線の本線になっていた。
- 高田市-大和八木間に連絡線が出来ており、高田市-橿原神宮前間は吉野線に編入されていた。
吉野線のみ標準軌に改軌[編集 | ソースを編集]
吉野線は大阪鉄道より一足早く大阪電気軌道→関西急行鉄道の一部となりましたが、国鉄との直通貨物列車がある関係で狭軌線で残りました。ではもし、同線が標準軌化されていたら。
- 南大阪線に有料特急は走らなかった。
- 一方で新ノ口短絡線のみならず八木短絡線も特急が通過していた。
- 線路容量の関係で京都・伊勢特急と上本町・吉野特急が数分程度の間隔で八木を通っていた。
- 京都・橿原特急は京都・吉野特急となる。
- 大阪線の線路容量が逼迫することから、布施~河内国分間が複々線化されていた。
- 場合によっては近鉄御所線を吉野口へ延長して大阪-吉野直通は距離の短い御所経由とし、代わりに橿原神宮前-吉野口を標準軌に改軌している可能性もある。
- 吉野口駅は改札が分離されていた。
全線広軌化[編集 | ソースを編集]
- 狭軌、標準軌の他に1435mmを優に超える広軌もあるのでそれについても軽く触れる。
- いずれの軌間であっても、阪神直通計画はなかった。
1520mm[編集 | ソースを編集]
- ロシアのメトロワゴンマッシュ製電車が走っていた。
- 2022年のウクライナ軍事侵攻でかつてないほど大規模なストライキあるいはテロが発生していた。
1676mm[編集 | ソースを編集]
- 廃車後、海を越えてインドのムンバイやチリのサンティアゴに譲渡された車両が存在した。
1600mm[編集 | ソースを編集]
- ダブリンのDARTやサンパウロのCPTMと提携を結んでいた。
湯の山線が特殊狭軌残存[編集 | ソースを編集]
湯の山線は四日市鉄道の路線として762mm軌間で開業しますが、三重電気鉄道時代の1964年に標準軌へ改軌され(架線電圧も750Vから1500Vに昇圧)、翌年近鉄に合併されました。もし湯の山線がナローゲージのままだったら…。
- 名古屋線との直通運転はなかった。
- 特急列車が走行することもなかった。
- 軌間が同じ内部線・八王子線との直通運転が続いていた。
- 近鉄四日市駅の地上ホームはスルー可能な構造だった。
- こちらも四日市あすなろう鉄道に移管される。
- 湯の山温泉への観光客のマイカー・バス利用への転移は史実以上に進んでいた。