国鉄の電気機関車/旧型直流機
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全般[編集 | ソースを編集]
- 形式番号が50代の高速機=P機、10代の低速機=F機という傾向が強い。
- 10代の旅客用機関車の勇姿を見た人はかなりの年配者。
B~D級[編集 | ソースを編集]
EB10形[編集 | ソースを編集]
- 元蓄電池電気機関車AB10形。
- 凸型電気機関車で、中央にパンタグラフがある。
ED15形[編集 | ソースを編集]
- 大正生まれの国産初の電気機関車。
- 1号機が日立製作所水戸工場にて保存。
ED16形[編集 | ソースを編集]
- 初の省形D形機。
- 次の制式D形機のED60の登場までは30年ほど待たなければならなかった。
- EF52とEF10という2つの有名な形式に挟まれて微妙な存在感の形式。
- 旧型D形機の中では廃車がかなり遅く、後発のF形機よりも後まで残っていたりした。でも譲渡もされなかった。
- 東のどっかがこれを2両保管してたくせに共々溶鉱炉送りにしやがった。何考えてんだ一体。
- 青梅鉄道公園にトップナンバーが保存されている
ED17形[編集 | ソースを編集]
- イギリス出身の昭和一桁生まれ。
- 晩年までほぼ一貫して中央東線で運用されていたため、末期は機関区の主と呼べる存在になっていた。
- ん?大正生まれじゃなかったか?種車のED50は1925年生まれとあったが…
- 2010年現在、トップナンバー機は大宮の鉄道博物館で余生を送っている。
- 実は他形式の種車から改造され、同形式になったものも少なくない。
- 旧ED50系統から改造されたED18形は飯田線専用機。
- 一見どこにも変化がない様に見えるが、実は台車を「B-B」から「A1A-A1A」とする大掛かりなもの。
- 1992年に動態復元され、「トロッコファミリー号」の牽引が最後の活躍の場となった。
- そのため普通のED17のイメージとは違うデッキ付の車両までこの形式に纏められていた。
- 旧ED50系統から改造されたED18形は飯田線専用機。
- 出力は840kwと書いてある資料と915kwと書いてある資料がある。どっちが本当なんだ?
- 一度戦後の時期に電動機を交換しているため、その際出力が変わったと考えられる。
ED18形[編集 | ソースを編集]
- 同じくイギリス出身の大正生まれ。
- どっちがED18なん?
- 飯田線で使うために台車2軸の間に遊輪がある。ED17の項を見れ。
- 1925年生まれなのに奇跡の営業運転復活。やや短くはあったが。
ED42形[編集 | ソースを編集]
- 横軽区間がアプト式だった時の最後の形式。
- 上野に来ていたころの特急「白鳥」も牽引していた。
- スイス製のパクリとは言ってはいけない。
- パクリっつーか国産が出来る程度にデチューンしたっつーか…
- ラストナンバー辺りは戦時型なのだが事故もなく。アプト式そのものが保守にすげえ苦労したらしいが。
F~H級[編集 | ソースを編集]
EF10形[編集 | ソースを編集]
- 鉄道省時代に製造された戦前型電機。
- 関門トンネル向けにステンレス車体に改造された車両もいた。
- 最後まで活躍したのは飯田線。
- 1983年まで50年近く活躍してきた。
- 門司港駅にて保存されている。
- 福岡県内を自走した唯一の直流電機(のはず)
EF11形[編集 | ソースを編集]
- EF10の回生ブレーキ付きバージョン。
- 中央線や上越線が主戦場だった。
- てか、戦前に回生ブレーキってあったんですね…笑
- 4両しか製造されず、引退もEF10より早かった。
EF13形[編集 | ソースを編集]
- D52、63系、トキ900と並ぶ戦時型車両の一角。車体は凸型だった。
- 後にEF58から車体をもらった。
- とはいってもその車体もそれほど質のいいものではなかった。
- 後にEF58から車体をもらった。
- 戦時設計にも関わらず、色々な部分が補修され1980年頃まで日本の輸送を支えていた。
- 粗悪な設計は乗務員を苦しめたが、その一方で部品の削減や軽量化技術は戦後の車両設計に大きな影響を与えた。
- 付けられたあだ名が木とセメントで造った機関車。
- 開発者が説明に赴いた機関区で軟禁された。
- クソ設計とはいえ最初凸形で目立つ形態だったのに復元保存皆無、無念。
- 製造時、視察に訪れた東条英機に「いつまで持つのか」と尋ねられ、設計者が「大東亜戦争を勝ち抜くまで」と答えた。結局大東亜戦争には勝てなかったが、ベトナム戦争終了まで生き残った。
- 全23両。うち終戦までに完成した車両は8両で、半分以上は戦後に完成だった。
EF15形[編集 | ソースを編集]
- 貨物専用のジミなやつだけど日本の色々な場所で幹線用電気機関車として活躍していた。
- どこにでもいるしたくさんいるし、ということで鉄道ファンはこぞってマイナーだけど何か魅力のあるED17、EH10、EF13等を追いかけたため、気づいたら国鉄解体とともにいつの間にか消えていた。
- しかし保存車はそれなりにある。国鉄解体まで残っていた最後の制式貨物用旧型電機のためだろうか。
- どこにでもいるしたくさんいるし、ということで鉄道ファンはこぞってマイナーだけど何か魅力のあるED17、EH10、EF13等を追いかけたため、気づいたら国鉄解体とともにいつの間にか消えていた。
- EF58とはほぼ同一設計だが人気の差も見た目の差も歴然。
- 製造両数としてはEF58をわずかに上回ってた。
- 大宮工場の前、大宮駅と鉄道博物館の間にそのEF58と共に168号機が見るに堪えない姿になって保存されている。
- 貨物機ながらイベントで12系客車を牽引したらしい。
- これは12系客車の空調装置が発電機から供給する方式であり、牽引する機関車を制限しなかったからできたこと。
- 数年前までプラレールで販売されていた、現在は絶版。
- 同時期のプラレールと比べるとかなりチープで他の機関車には号機まで書かれてるのにEF15としかない。色は違えど同じ金型で二十年以上前から作られ続けていたのかもしれない。
- 全廃は実は2011年。
- 関東では青梅線や南武線をよく走ってた。奥多摩からのセメント輸送列車牽引で。
EF16形[編集 | ソースを編集]
- EF15を勾配区間用に改造(回生ブレーキ取り付けなど)して誕生。
- 補機専門で、活躍したのは奥羽本線板谷峠区間と上越線水上~石打間。
- 数や活動範囲では EF15 >>> EF16 だが、人気は EF16 > EF15 だったかも。
- 当時の水上~石打間では、EF16(ブドウ色でデッキ付)+EF58(青塗装)+ブルトレ「北陸」、という編成が実現していた。そりゃ人気も出るわ。
- 当時の鉄道誌の「北陸」紹介の写真は多くがこれ。撮影の難しい深夜帯にもかかわらず。
- 当時の水上~石打間では、EF16(ブドウ色でデッキ付)+EF58(青塗装)+ブルトレ「北陸」、という編成が実現していた。そりゃ人気も出るわ。
EF18形[編集 | ソースを編集]
- もともと国鉄が東芝にEF58電気機関車製造を発注していました。
- しかし緊縮財政のため増備車20両の発注を突如キャンセルしました。結果、東芝の工場には作りかけのEF58が大量に余ってしまいました。
- 交渉の結果、31号機までは引き取りましたが、32~34号機はEF18という貨物用機関車として転用されることになりました。
- そのためEF58に32~34はありません。一説にはEF58に編入するためにあけてたそうです。
- そのあとEF58は増備が再開され、最初から存在した車両も半流線形の車体に載せ替えられたため似ても似つかない状態になりました。
- 1979年にすべて廃車されました。
EF50形[編集 | ソースを編集]
- イギリス生まれの大型F級電機。ED17と同じく1925年生まれ。
- EF52よりデカい。長い。全長が21米。
- 故障がち、デカ過ぎで使いにくいカマだったけど、それでも持ち前の高出力と巡航性で戦後しばらくまで活躍した。
- 同じイギリス生まれのD形機、ED50(=ED17,18)系列は平成時代まで生きながらえたのに、こっちは哀しきかな、保存機ゼロ。
- 引退の時は一応盛大に見送られたのだが。
EF52形[編集 | ソースを編集]
- 記念すべき国産初の省形F形旅客機。
- 交通科学博物館に保存されている1号機は鉄道記念物に指定されている。
- 現在は京都鉄道博物館に移されている。
- 7号機も生まれ故郷の工場に戻り安らかに余生を送る幸運なカマ
EF53形[編集 | ソースを編集]
- EF52形の設計を全面的に見直した。
- ギアレシオ変更して(EF52→3.45、EF53→2.63)最高速重視に、全長もややコンパクト化。
- 2次形の13号機からモーターをチューンして巡航性強化。15,16号機はお召列車に抜擢された。
- しかし、早々に主要線区から外されて全車瀬野八越えのEF59になり第二の人生を。
- その結果オリジナルで残るものは皆無になってしまった。鉄道文化むらのEF53 2号機はガワだけ作り直しただけ。
- 残っていた数量分の部材がEF55として活かされた。
- 引退したのは実は2006年だったりする。
- EF59 10=EF53 1のことか。でも晩年は殆ど仮死状態だった。おまけに廃車と同時に天国へ。残念無念
EF54形[編集 | ソースを編集]
- 54機関車の呪いの通り、2023年に節が立てられるまで投稿がなかった。
EF55形[編集 | ソースを編集]
- 通称「ムーミン」。
- 流線型で有名だが、片方の前面は当時の普通の機関車である。
- こちら側の従台車は貨物用EF10形と同じものなので、本来の最高速度は95km/h(戦後の制動600m制限による。設計時は換算10両で平坦線釣合最大速度120km/h)だが、こちらを向いているときは75km/hまでしか出せない。
- ゆえにこちら側の運転席は滅多に使われずターンテーブルで方向転換して流線型側を使っていた。
- 一応平たい方にも簡易運転台は付いている。
- 流線型側と比べるとかっこ悪い。 かといって両端が流線型のものを想像すると、微妙すぎる…。
- 日本国内ではないが、ペンシルバニア鉄道GG1形というのがある。なかなかのかっこ良さだ。
- 半流線型程度の(前進する風を切るイメージのデザイン)なら、日本にもEF58やEF66がある。どっちも人気機種。
- 流線型側と比べるとかっこ悪い。 かといって両端が流線型のものを想像すると、微妙すぎる…。
- プッシュプルにしたらよかったかもしれない。
- こちら側の従台車は貨物用EF10形と同じものなので、本来の最高速度は95km/h(戦後の制動600m制限による。設計時は換算10両で平坦線釣合最大速度120km/h)だが、こちらを向いているときは75km/hまでしか出せない。
- イベントには欠かせない存在だったが、ついに引退が決まった。
- 最後は高崎~横川で最後を飾った。
- しかし、新幹線0系の引退と被ったため、あまり注目されずに引退。 ほんとに在来線が好きな人はこちらへ、新幹線好きやこの人たちは新幹線へ。
- 最後は高崎~横川で最後を飾った。
- 安易に言えば失敗作だけど、元々使い勝手が悪いのを承知で作った節がある。
- C57より年上なのに営業運転に復帰した奇跡の電気釜。
EF56形[編集 | ソースを編集]
- パンタグラフが中央寄りに設置されているのが特徴。
- 前期型は車体が丸くなっていて、後期型は車体が角ばっている。
- EF59形の種車になった。
- 2号機ベースでEF59になったEF5921がこいつの形態を唯一伝える。オリジナル機体は残念ながら保存皆無。
EF57形[編集 | ソースを編集]
- 何故かパンタグラフとライトが車体屋根からはみ出ている。
- デッキが広く取られている似た様な容姿の機関車は幾つかあるものの、パンタが飛び出しているのはこのEF57だけ。もはや一種のチャームポイント。
- 1号機だけはパンタが真ん中寄りに設置されているものの、これはこの1号機が当初EF56として作られた名残り。
- 7号機が宇都宮の公園に静態保存されている。
- 普段はフェンスに囲まれていて直接触れることはできない。ただたまに解放される日はあるらしい。フェンスに囲まれていても隙間からデジカメ等で撮影する事は可能。
- EF57で現存するのはこの7号機のみ。かなり貴重。
- 東北本線の雄。
- 引退間際の1970年台中盤は沿線にファンが多数押し寄せ「ゴナナブーム」が起きた。だがEF58と共通運用のためどちらが牽引機かはその時次第。ゴハチが来たらシャッターを押さない者も多かった。
- 急行「新星」で20系を牽引したことがある。
EF58形[編集 | ソースを編集]
- 鉄道ファンの間では人気が高い。
- 重厚感と流麗な美しさを兼ね備えたすばらしいデザインだと思う。
- お召し列車には欠かせない存在である。
- 惜しまれつつも引退。専用編成もろとも引退したのは、老朽化だけが理由ではなく、機関士の確保が難しいという問題もあったはず。
- よっぽど手間のかかる大型蒸気機関車2両も保有(まもなく3両に)しておいて、電気機関車の機関士が確保できないなど悪い冗談。
- それに対して……「やっぱりJR西日本」と思ってしまう。まぁ、蒸気機関車も梅小路にたくさん保有しているけど。
- 2011年11月に引退しました。
- 惜しまれつつも引退。専用編成もろとも引退したのは、老朽化だけが理由ではなく、機関士の確保が難しいという問題もあったはず。
- 動態保存車両も年々廃車になっている。
- ロイヤルエンジン61号機は休車、予備機60号機は国鉄時代に廃車解体…
- 20系ブルートレインの牽引機として一番美しいと賞賛するファンも多い。
- EF65Pのファンとは半永久的に抗争中。
- 塗装はブルトレ色か。
- 関西ブルトレや「北星」「北陸」を牽引したP形改造車もこの塗装にしてほしかった。
- レトロブームでどいつもこいつもぶどう色に塗られてしまい、青塗装が好きなファンを悲しませている。
- 古くて修理できないので引退、とJRは言うが、EF58より古い機関車は地方私鉄に掃いて捨てるほどあるんだがそれをどう説明してくれるのか。
- 下手すりゃ上のEF55よりも古くて、しかも現役(動態保存ではない)って機関車もいる。
- JR西日本の150の中身はEF65
- 150号機は通称「イゴマル」。近年までイベント釜として走り続けファンに親しまれた。
- 実はEF58で唯一四国入りした機関車だった。
- 速い速度で走り回った機関車と、入れ替えや小貨物牽引の地方私鉄の機関車と比べたら老朽化の度合いが大きいのは当たり前だろ?
- 最近どっかのJRがこの機関車を解体したため経営陣が、鉄ヲタどころか、株主からも批判された。
- 122号機のことだろう。
- 特急「つばめ」の「青大将」で有名だが、実は優等列車に限定すれば、青大将として活躍した時期より、ブルートレンとしての活躍が長かった。
- もともと戦前製機関車に代表される箱形の車体だったが、製造途中で載せ替えられて今の形になった。
- 箱形車体だったものも、のちに改造されて半流線形の車体に。
- 32から34号機が欠番になっていて、その欠番はEF18の車番になった。
EF59形[編集 | ソースを編集]
- あれ、おまえいたの!?
- EF53、EF57形の改造で、EF67登場前のセノハチで補機として活躍していた。
- EF53とEF56だった気がする。
- これで結局この2形式は国鉄末期まで長生きする事になった。
- 西村京太郎の小説に出てきたが、今一つ地味。というか最近の鉄ちゃんで知ってるやついるのか?
- 下関にいたEF59 10、ボロボロでほったらかしと思ったらまだ車籍残ってたのね(なんで動いてる事にしてんだ…)…
- と思いきや、或る日突然廃車にしてアッサリぶっ潰してくれた。元EF53形のトップナンバーなのになんて事を。
EH10形[編集 | ソースを編集]
- 別名「マンモス」。
- 車体や台車の構造は新性能機っぽいが、主電動機はEF15形と共通。
- よって旧式機扱いされる。
- 東芝製の15号機はギア比を変更し、高速度試験に使われた。
- 以前に当時最新鋭の10系客車を120km/hで牽引する動画がYouTubeに上がっていたのだが、その姿はド迫力だった。
- なお、残念ながら現在は削除されている模様。
- 公式にはそういうことになっているが、実は戦前の頃から横浜あたりから小田原にかけて電気機関車で120km/hでぶっ飛ばすのは常態化していたらしい。
- 以前に当時最新鋭の10系客車を120km/hで牽引する動画がYouTubeに上がっていたのだが、その姿はド迫力だった。
- 新性能機関車が実用化されると、何から何まで上位互換な彼らのせいでかなり早くお役御免になってしまった。
- かつてHOゲージでこれをモデルにしたEB10なる機関車が発売されていた。
- ウドの大木
- 設計時はあれがベストって想定&判断なんだから、可哀想な事言うなよ。
- それどころか、この機関車が誕生しなければEF15の主電動機をドライアイスで冷やしながら関ケ原越えを行う羽目になっていたらしい。(旅客列車が高速化するにつれて貨物列車も高速化を求められていた)さらに言えば後のEF60を始めとした新性能電気機関車の基礎となった機関車でもある。だから↑の評価は完全に間違い。
- 設計時はあれがベストって想定&判断なんだから、可哀想な事言うなよ。
- パンタグラフが下枠交差式に交換された車両も存在した。重厚な車体と軽快なパンタグラフの取り合わせはミスマッチを感じさせる。
EH50形[編集 | ソースを編集]
- もう少しで生まれるところだったのに結局造られず「流産」させられた…
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