もし青函トンネルが○○だったら

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建設されなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 青函連絡船がTSLになる計画があったが、原油高によって断念。
    • なぜかナッチャンWorld・ナッチャンReraが青函フェリーで現役だった。
  2. 羽田空港新千歳空港の航空路線にA380が就航。
  3. 新千歳⇔国内各地間の航空路線はもちろん、道内各地の空港⇔国内各地の空港間の航空路線の利用率が好調に。
    • トンネルがある現実でも、旅客シェアはわずかなものだから、旅客機の需要はあまりかわらないのでは。それよりも、フェリーや、内地←→北海道間の貨物便の増便が激しいのでは?
      • ただ、下でも述べているように新千歳が内際ハブ空港だった場合はその限りではない。
      • 新千歳⇔福岡の貨物輸送量が増大したため佐賀空港が補完空港として重視される。
    • 東北〜北海道の利用客流出を止めるため仙台空港アクセス鉄道はなかった。
  4. 国際ハブ空港と化した場合の新千歳発着の航空路線は国際線乗継客で満席。
  5. 格安航空も参入し、競争が日常的なものに。
  6. 函館からの人口流出率が今ほど高くなく、普通に50万都市になっていた。
    • 70年代の人口増のペースが続いたとしても2015年時点で推定42万2000人くらいなのでかなりの広域合併がないと厳しい。
    • 現在でも30万人くらいいると思う。
  7. 江差線が廃止されていた。
    • いや江差線も戸井線からの延長で函館空港フィーダー路線と化していたのでは?
      • 江差線は五稜郭-木古内間も非電化のままになる。
    • 津軽線も廃止。
    • どのみち松前線は廃止されていた。
  8. 戸井線が出来ていた。(そのため函館市の緑園通りはなし)
    • その戸井線は函館空港フィーダー路線と化す。
    • 停車駅:五稜郭(亀田)-亀田南-五稜郭北詰-本通-深堀花園-学園前-見晴町-榎本町-上湯の川-戸倉町-湯川団地-函館空港-志海苔-戸井
    • 戸井線建設中止の原因は太平洋戦争の終結なので青函トンネルの有無とは無関係。
  9. 函館市青森市が双子都市(ツインシティ)にならなかった。
  10. 札幌村内を屯田兵が闊歩してた。
    • 山の方にはアイヌの集落が残っていた。
    • 「北の国から」にも「氷点」にも屯田兵なんて出ていなかったような…。
    • ??? もしかしてギャグで言ってるのかもしれないが、もう昭和末期にはそんなものは存在しないのだが。
  11. 食堂車は絶滅していた。
    • 北海道での電気機関車も過去の話になっていた。
    • 急行列車も。
    • 九州ブルトレや新幹線からの食堂車消滅から「ななつ星in九州」の運転開始までしばらく食堂車の空白期間が発生していた。
  12. 津軽海峡大橋が建設された。
    • 中間に島も無く強風、塩害等の問題があるので橋は厳しいかと……代わりに野辺地or下北(大間までの道路整備は時間がかかりそうなので)-戸井間にカートレインが運行される。
    • 一応構想はあるらしい。
  13. ナッチャンReraがJR東日本の連絡船として八戸まで運行されるので、結局今より所要時間が短縮される。
    • でも、高速船「ナッチャン…」は、現実に2008年10月を以って実史の青森⇔函館線から撤退する。
      • ナッチャンは昨今の原油高に太刀打ちできず、大変残念ながら撤退することになった。
    • 青函航路の船籍が函館港だったのでJR北海道が運航していたかも。(JR北海道函館支社の前身が青函船舶鉄道管理局なので)
  14. 90式戦車の後継となる第4世代MBTはもっとデカく重くなってた。
  15. 当然北斗星もトワイライトエクスプレスもカシオペアもはまなすも走ってない。その代り特急・急行は函館中心ダイヤだったかも。
    • 2008年現在、寝台列車は全滅していた。
      • 食堂車も。
      • その場合、おそらくあけぼのと日本海が新幹線新青森開業まで残ってたかと。あと函館発の道内夜行がしぶとく残ってそう
    • 1980年以降、本州への交通は完全に航空利用を前提とした交通体系になっているので、もしトンネルがなくても函館中心ではなく、札幌中心のダイヤになっているのは間違いない。
    • 「ミッドナイト」が存続している。ただし特急格上げの可能性も。
  16. 海峡トンネルが大間~戸井ルートで開業。上記に記述の戸井線と大間線が開業し、国鉄(後に下北交通)大畑線の廃止も無かった。更に、大畑線と現存する大湊線は、電化されていた。
    • 掘削距離が短くなり、実史よりも早く青函トンネルが開通。そのため東北新幹線は整備新幹線計画凍結前にある程度建設が進むため、北海道新幹線の開業が早まる。少なくとも2002年時点で既に盛岡以北まで路線が伸びている。
    • 史実で大間~戸井間にトンネルが掘られなかったのは水深の深さと掘削に適さない地盤のせいなのでそれはない。
  17. 東北新幹線は新青森ではなく青森が終点。
  18. 東北新幹線八戸-青森間が現東北本線と並行するルートになり(停車駅は三沢、野辺地)、北海道新幹線の起点が野辺地駅になる。
    • 野辺地-函館間の停車駅はむつ横浜、下北、大畑、風間浦(下風呂温泉?)、大間、戸井
    • 盛岡-野辺地間、野辺地以北はフル規格で建設され、野辺地-青森間はミニ規格で建設される。
      • ミニ規格車両の秋田新幹線・東北新幹線(盛岡止まり)・東北新幹線(青森直通)の三重連運転が実現する。
  19. 北海道の木古内が現実以上に廃れていた。
  20. 何気に青森の大間が少しだけ発展したかもしれない。
    • 大間市に昇格してるかもしれない。
    • 2004年のアテネ五輪レスリングでメダルと取った泉浩選手の地元という事と大間マグロ目当ての観光客で実史以上に賑わった?
    • 大間駅にはマグロの駅弁が作られて売られていた。
    • 下北地方の活性化、人口増加に伴ない大間原発、東通原発、六ヶ所処理施設の建設計画が無くなる。
      • 代わりにそれらは陸の孤島となった松前半島に建設され、本州に送電するために青函海底高圧線が建設される。
  21. 海底駅が注目される事もない。
    • 海底駅が作られることもない。
  22. 今でも函館が北海道の入り口。
    • 新千歳にとってかわられる。
    • 北海道の入り口が函館だったのは1970年代まで。
  23. 道路トンネルとして実史ルートの第二青函トンネル構想が浮上する。
  24. 北海道新幹線が戸井線に並行される形で建設されるため、現五稜郭駅が新函館駅に改称、新幹線停車駅となる。
    • ルート変更し函館駅へ乗り入れようとすると規格外の急カーブが出来てしまうため、どっちみち函館駅への新幹線乗り入れはされないだろう。
    • そもそも北海道新幹線は構想自体はあるものの基本計画線止まりになっていた。
      • 当然ながら計画上の起点は函館になっているので、渡島大野が注目される事もない。
    • 道内区間(札幌-函館)が先に建設されていた。
  25. 以外に、青函連絡船が残り、戦後の一時期に行われた客車航送が復活するとか。
    • オリエント急行はこの方法で渡道した。
    • バブル期の1990年代初頭に津軽丸型の後継船が建造されるが、単なる移動手段にとどまらずクルーズ色を兼ねたものになっていた。スイートルームや大浴場、イベントルームなども設置された豪華なものになっていて、青函航路以外にも津軽海峡クルーズにも使用されていた。
    • 青函連絡船には1980年代以降、ジェットフォイルを使用した特急便も2時間20分で運航されていて、運賃の他に特急料金が必要となっていた、普通席の他グリーン席もあり、便指定の定員制となっていた。
    • 客車航送を行う船はドイツ-デンマーク間で実際に使われているものと似た構造。
  26. 原因は「国際海峡の下にトンネルを掘るのはまずい」と政府が考えたためか。
  27. 日本のトンネル技術は低かった。
  28. そもそも北海道自体が日本領でなかったらこうなっていてもおかしくなかった。

戦前に開通していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 日本最初のブルートレインは上野~札幌間の「はくつる」になっていた。
    • 上野~札幌間には多数のブルートレインが運行され、国鉄時代は花形列車となっていた。
      • 愛称は「はくつる」(東北本線経由)・「ゆうずる」(常磐線経由)・「あけぼの」(奥羽本線経由)など。
        • ゆうずる?
    • 他にも、上野~道内各地、名古屋~札幌間(中央西線・羽越線経由)、大阪~札幌間(北陸・羽越線経由)のブルートレインも運行される。
      • 1970年の大阪万博の時には大阪~札幌に臨時列車「エキスポ日本海」が運転されていた。
      • 1972年の札幌オリンピック開催時にはブルトレを利用してオリンピック観戦に行く人が目立ち、臨時列車も増発されていた。
      • 札幌を通らず室蘭本線を全線走破する列車もあった。
        • 筑豊本線経由の「明星」「あかつき」みたいなポジション。
    • 昼行特急でも上野~札幌間に「はつかり」(東北本線経由)・「みちのく」(常磐線経由)が運行されている。
      • 「みちのく」ではなく「おおとり」になったと思う。
      • 上野を午前4時に出発してもその日に札幌に着くのは…ちょっと難しくねえか。
      • むしろ、1960年台に実際に運行されていた「青森~大阪間」の長距離普通列車みたいに、まる2日かけて運行するんじゃない。
      • 1982年(実史の東北新幹線開業前)のダイヤなら、特急列車ならギリギリその日には着くだろう。(上野~青森間「はつかり」9時間、青森~函館間「(実史の)白鳥(相当の列車)」2時間半程度、函館~札幌間「(実史の)北斗」約3時間半程度で、当時の列車性能等を加味しても、17時間位となり、朝6時に上野を出ても夜23時位には札幌に着く。)
      • または、上野~盛岡・青森間は夜行、それ以北は昼行もありうる。
    • 山線経由と海線経由の両方がある。
    • 20系客車や583系電車にも引き戸仕様の車両が存在した。
    • 寝台特急登場前は旧客急行が主力。中には二晩がかりで全区間を走破する列車も。
      • 「オホーツク」「摩周」「宗谷」が本州に乗り入れる。
    • 連合軍専用列車「Yankee Limited」は札幌まで専用列車で向かっていた。(史実では青森から連絡船に積み込み、函館から日本人が乗る列車に併結)
    • 1973年に食堂車が営業休止されることはなかった。
    • 上野駅を日没前に出発する夜行列車も大昔からあった。
    • 東京以北にも戦前から特急列車の運転が上野-札幌・稚内で行われていた。一等展望車も連結されていたが、積雪・寒冷地を走行するためオープンデッキ式ではなく密閉式となっていた。
  2. 当然青函連絡船は戦前のうちに廃止。
    • 洞爺丸の事故もなかった。
  3. 戦後の高度成長期には北海道内から鉄道で集団就職する風景が見られた。
  4. 青函トンネルは単線トンネル2本になっていた。
    • 災害対策上、ユーロトンネルのように途中何箇所に渡り線が設けられている。
  5. トンネル内は当初から直流電化されていた。
    • これに合わせる形で東北地区の主要在来線の多くは直流電化になっていた。
      • 常磐線は平(現:いわき)付近にもう1箇所デッドセクションが設置された。
    • 函館本線や室蘭本線・千歳線も1960年代のうちに全線が直流電化されていた。
      • 関門トンネルの例を見るに、北海道内は史実通り交流電化となっていた。
    • 新幹線に合わせて交流電化に変更。
  6. 昭和末期には北海道新幹線と青函道路トンネルが開通している。
    • 東京~札幌間に夜行高速バスが運行される。
      • その結果、上野~札幌間の寝台特急は新幹線と夜行高速バスに押され、21世紀に入って次々と廃止に追い込まれる。
        • 道路トンネルではなく、排ガス対策などの理由からカートレイン用トンネルになったと思う。
        • 上野~札幌間の寝台特急に関しては、むしろ寝台新幹線化するか、又は高級化したり、カートレイン化して生き残る。
    • 国道5号も函館市起点~札幌市終点ではなく、史実の国道280号~青函道路トンネル~史実の国道228号~史実の国道5号のルートが指定され、青森市起点~札幌市終点の国道となった。
      • カートレイン用トンネルが建設された場合もトンネル部分以外の上記の箇所とカートレイン用トンネルが国道5号に指定され、青森市起点~札幌市終点の国道となった。
    • おそらく関門海峡同様に新幹線用のトンネルは新しく掘るはめになったと思われる。
    • むしろ津軽海峡大橋が建設されていた。
  7. 終戦時、ソ連は満州ではなく北海道経由で本土まで侵攻したであろう。その結果…日本は…
    • そのため、トンネルに海水を流し込んで皆殺しにする装置が付いていた。
      • ソ連兵「た、助けてくれー……ごぼごぼっ!」。
    • 満州経由での侵攻になった裏には日露戦争で失った権益の奪還や満州国の富の略奪という理由もあったので結局史実と変わらなかったのでは。
  8. 「津軽海峡冬景色」の歌詞が変わっていた。
    • 連絡船自体がなかったろうから、車窓から海峡が見えることもなく、そもそも歌が作られなかった。
  9. 北海道側で松前線に接続する形になっている。
    • 松前線の廃止はもちろんなかった。
      • 北海道新幹線が開通したら、松前〜木古内〜五稜郭間が3セク化された。
  10. 711系は455系1000番台となっていた。
    • 455系1000番台は、仙台に配置され、2008年にE721系に置き換えられ、廃車となった。
      • 史実の713系は、711系となっていた。
    • 「くりこま」と「さちかぜ」が1つの列車だったかも。
  11. 工事による犠牲者数は少なくとも史実の数倍(100名以上)に及んだ。
    • 青函トンネルは「日本一怪談話の多いトンネル」の座を不動のものとしていた。
  12. トンネルの坑口付近も要塞地帯に指定されていた。
  13. 本州と四国を結ぶ「備讃隧道」「芸予隧道」や北海道と樺太を結ぶ「稚泊隧道」も計画されていた。
  14. この工事のために開発された技法によりその後のトンネル建設技術は史実以上に進歩した。
  15. 冷戦期のソ連軍は対日戦の際に北海道を孤立させるため津軽海峡で核爆発を起こしトンネルを破壊する作戦を立案していた。
  16. 『日本沈没』の原作だけでなくテレビドラマ版でも青函トンネルが破壊されるシーンが描かれていた。
    • 現実でも北海道が舞台だった第19回か20回が最有力。
  17. 東北本線の複線化は戦前のうちに完成し、全線電化も史実より数年早かった。
  18. 津軽海峡が関門海峡並みの幅だったら有り得た。
  19. 1985年開催のつくば科学万博を事前にPRするために運行された「サイエンストレイン エキスポ号」は北海道でも展示された。
    • 瀬戸大橋も1984年までに開通していた場合は四国でも展示された。
    • 12系客車が北海道に上陸していた。

東ルートで開通していたら[編集 | ソースを編集]

青函トンネルの計画時には、距離的に有利な東ルート(下北半島ルート)も検討されていましたが、水深が深いことと地質が軟弱なことから現行の西ルートでの建設に決まりました。

ここでは、東ルートで現実同様1988年に開通できたと仮定します。

東ルートだけ開通していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 青森市を通らないルートなので、トンネル名は「青函」ではなかったと考えられる。
    • 「北海道トンネル」とかかな?
      • 「津軽海峡トンネル」では。
      • ちょっとまて、実際の「トンネル」(西ルート)も青森市は通りません。
        • 青森市と函館市を結ぶ輸送をメインとしているのでおk。一方で東ルートだと線形の関係で本州方面や新幹線だと青森市をスルーした可能性大。
  2. 海底が200m以上の深さがあるので、トンネルは最深海抜-300m以上になる。
    • 300m下から地上に出るのに25‰で12km、20‰だと15km(水平方向で)以上必要。よって大間や戸井の地上を経由するのは物理的に不可能。
      • 「大間海底駅」「戸井海底駅」が誕生する。
  3. 下北側のルートは、海底区間を最短にするルートか、海底の最浅部を狙うルートかによって変わりそう。
    • 前者の場合は大間崎の真下を通るが、後者の場合は風間浦村から海底区間に出たのでは?
  4. 東北新幹線は新八戸どまり。そこから先は北海道新幹線で函館へ建設が進み、青森市は衰退。
    • 大湊線が並行在来線扱いされて青い森鉄道に押し付けられていた。
      • 南部縦貫鉄道が廃止されなかった可能性がある。それどころか、新八戸まで延伸。
        • 新幹線のルート決定以前から経営がガタガタだったのでおそらく不可能。
    • 新青森駅は開業していない。
    • 八戸(新八戸?)〜青森間がミニ新幹線化される。
    • ルート的にも新幹線野辺地駅は存在してそう。
  5. 駅の配置によっては大間町民がより函館を生活圏にする可能性もある。
  6. 快速「海峡」は青森発と八戸発の双方が存在していた。
  7. 津軽線の蟹田以北の廃止が検討されている。
    • 江差線は2014年に全線廃止されていた。
  8. 日本海縦貫線は史実よりも発展しなかった可能性。貨物輸送も武蔵野線経由で東北・東海道輸送がメインになる。
  9. 大湊線との交点~トンネル大間方までの区間まで大畑線(と大間線)の活用が検討されるが、松前線同様無視されて新線が建設される。
  10. 開港場に(陸奥)横浜が指定されていたらあり得た。
  11. 猿ヶ森砂丘が人気の観光スポットになっていた。
  12. 八戸の重要性が増していた。30万都市になっていたかもしれない。
  13. 五稜郭辺りに「新函館駅」ができていた。

東ルートが先に開通していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 同時開通のケースとは異なり、東ルートが在来線用、西ルートが新幹線用と最初から決められていた。
    • 着工時期自体はそれほど差が無いが、西ルートは北海道新幹線のレール敷設まで使われないまま眠っている。
    • 東ルートが「青函トンネル」、西ルートが「新青函トンネル」を名乗っていた。
    • 東ルートが新幹線で西ルートが在来線のほうがいい気がする。
      • 理由は東ルートのほうが線形が直線的で遠回りせずにすむため。
        • 札幌延伸後の北海道新幹線を4時間の壁を切らせて飛行機に対する優位性を持たせるためには、すこしでも短絡するルートを走らせたい。
  2. 青森市民が東北・北海道新幹線開業の早期化をひたすら要望していた。
  3. この場合はどちらもJR北海道が管理する事になっていただろうから、負債が物凄い額になっていた。
    • 北海道新幹線開業時に青函トンネルを道南いさりび鉄道に移管する訳にもいかないので、在来線の旅客列車を全廃した上でJR貨物への移管が検討される。

東ルートと西ルートが同時に開通していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 恐らくトンネル名に新が付いていただろう。新津軽海峡トンネルみたいに。
  2. でも、メインは東ルートになっていそうな気がする。東ルートには函館駅があるため。
  3. 北海道新幹線は東ルート、西ルートどちらを通らせるかで紛糾する。まあ、東ルートだと函館駅には止まるけど青森市内には通らないだろうし。
    • 昔ならどちらも通らせるように計画されていたが、現在はどちらか新幹線を通せる計画になっていたかもしれない。
    • 札幌までの所要時間短縮を考えると、おそらく東ルートになっていた。
      • 青森市への補償として、羽越新幹線が建設されていたかもしれない。そうなれば、山形・秋田の新在直通もなかった可能性がある。
        • 羽越新幹線は青森~新潟まで建設すれば、東京まで一本で行けるし、新大阪まで行く需要は少ないので、新潟~糸魚川は建設されなかった。ほくほく線超快速で十分とされた。
  4. 北海道新幹線開業後も在来線で本州から北海道に行く事は可能。
    • 一方で並行在来線問題をどう処理するかで紛糾していた。
  5. 在来線は東ルートは津軽海峡線で西ルートが新津軽海峡線になっていたか。
    • 東側が大間と函館を結ぶため「大函線」、西側が中小国と木古内を結ぶため「中木線」になっていたと思う。
  6. 新青森駅は開業していたか微妙な所。北海道新幹線が西ルートになっていたら別の話だが。
  7. 同時開業なら東ルートがJR東日本、西ルートがJR北海道の管理下に置かれていた。
  8. 史実とは異なり建設の背景にやたらと黒い話が渦巻いていた。
    • 例:北海道にソ連軍が攻めてきた際の補給路の確保。
      • トンネルを2本掘ることになった背景にアメリカの関与がささやかれる。
    • 北海道や青森出身の大物政治家の名前も黒幕としてたびたび浮上していた。
      • 中川一郎あたりは確実。
  9. 国会では西日本選出の議員に「本州-北海道間に2本もトンネルを掘るのは過剰投資だ」とたびたび指摘されていた。
    • 四国の有権者をなだめるため本四架橋神戸-鳴門ルートにも鉄道を建設することを約束させられた。
      • 豊予海峡にもトンネルをつくる話も。
    • 逆に青函側も「本四間に橋を3本も架けるのは(以下略)」と圧力をかけていたかもしれない。そうなるとしまなみ海道の立場が危うい。
      • しまなみ海道と淡路ルートは島と島をつなげているだけという反論が来る。
  10. 青函トンネルの貨物列車の存廃議論は起こらなかった。

複々線だったら[編集 | ソースを編集]

  1. トンネルが2本建設されていた。
    • 上下線の間に避難用トンネルが存在した。
  2. 在来線と新幹線用のトンネルが存在したため3線軌条にはなっていなかった。
    • 瀬戸大橋同様、新幹線の工事が始まるまでは双方に在来線の線路が単線分引かれていた。
      • 瀬戸大橋で単線分ずつの敷設になっているのは荷重のアンバランスで橋が傾くのを防ぐためなので普通に在来線分だけ使っていたのでは。
        • あっちにも鷲羽山辺りに新幹線用・在来線用の物に単線ずつ敷設しているトンネルがあるし、この場合だと長大トンネルの片方を30年近く放置する方が非効率だと思う。
      • 単線ずつ敷設できていれば未使用路盤に仮設ホームを作る事ができるので、海底駅のホームや見学ツアーにも若干余裕が出来ていた(新幹線開業時には新幹線側のホームを撤去して対応)。
  3. EH800は存在していない。
  4. 場合によっては北海道新幹線の開業が早まっていた。
  5. 奥津軽いまべつ駅と湯の里知内信号所の構造が大きく異なっていた。
    • 双方とも新幹線と在来線の線路が完全に分離されていた。
  6. 寝台特急は新幹線開業後も廃止されずに存続していた。
    • ただしカシオペアのみ。
  7. 北海道新幹線は青函トンネル区間でも260km/h運転を行うことになっていた。
    • 設計上はさらに速く運行できるため、新型車両の試験も行われていた。
  8. 竜飛海底・吉岡海底の両駅(在来線)は最初から恒久設備で作られていた。
    • 竜飛海底駅からは龍飛岬への観光が可能になる。
  9. 新幹線開業後に在来線トンネルをJR貨物に委託する案がでるも、諸般の事情から頓挫する。

青函カートレインが運行されていたら[編集 | ソースを編集]

  • 青函トンネルの活用例として青森ー函館間にカートレインを運行する構想が存在した
  1. 狭軌だと搭載できる車両が限られるためカートレイン用の列車は標準軌になっていた。
    • トンネル内は三線軌条。トンネルへの青森側、函館側アプローチは標準軌新線が建設されていた。
      • 新幹線開業後は新幹線が走るようになる。
      • 車両搭載所を地上に置く関係上、北海道側は木古内まで三線軌になっていたと思われる。一方で青森側は新線を作らない場合は蟹田、新設した場合は新青森の少し北側に搭載所が設けられていた。
  2. それでもカートレイン北海道(浜松町 - 白石)は史実通り。
  3. 青森ー函館間のフェリー会社は打撃を受けていた。
    • 青函トンネルを通せない物資も存在するので全滅しないかもしれないが縮小されていたのは確実。
    • 少なくても津軽海峡フェリーはなく青函フェリーだけになっていた。
  4. 新幹線の線路を使い東京ー札幌間にカートレインを運行すべきという声が出る。
  5. 大型トラック問題からワ100やその派生のDMTが量産され商業運用に就くが、SAGAWA・西濃・フクツー以外に付き合ってDMTを維持運用してくれるところがなく、結局ピギーバッグの終焉とともに廃止される。
  6. たぶん我々は苗穂工場の本気を目の当たりにしていた。

在来線規格だったら[編集 | ソースを編集]

  • 当初は在来線規格で建設される予定だったそうです。
  1. 北海道新幹線は凍結されたまま。
    • もしくは、札幌ー(新)函館(北斗)が先に開業していた。
      • 函館駅に乗り入れていた可能性も高い。
    • むしろ新青森~函館間をミニ新幹線で建設して開業したかも。
      • そもそも盛岡以北が全部ミニ新幹線になっていたか、九州新幹線長崎ルートよりも先にFGTを導入する事で決着していたと思う。
        • だが、FGTの開発が難航したことから導入が見送られ、特急はつかり存続へ。
    • 北海道新幹線の海峡区間は「新青函トンネル」(ほぼ史実の青函トンネルと同じ)を通す計画になっているが、それが原因でなかなか実現しない。
  2. 当然松前線は存続。
    • 五稜郭ー木古内も松前線に編入されていた。
    • そのとばっちりを食らい、江差線(木古内ー江差)は青函トンネル開業前に廃止。
  3. 津軽線と松前線は全線が電化されていた。
    • 渡島福島ー松前だけは非電化の可能性もあるが、そこだけディーゼルというのもな…
      • 普通列車が気動車なら非電化だった。
  4. 途中三厩と渡島福島に停車していた。
    • おそらくJR東日本とJR北海道の境界も三厩になっていた。
    • 中小国駅の知名度が下がっていた。
      • それでも利用者数には全く影響しない(むしろ増えてたかも?)。
  5. 開業段階で新幹線計画がなかったらあり得た。
  6. 史実以上に貨物輸送が重要視された。
    • 津軽線・松前線の複線化もありえたか?

函館口で松前線の線路を使っていたら[編集 | ソースを編集]

  • 「在来線規格だったら」と被る部分があるが、こちらはトンネルが新幹線規格の場合を考える。
  1. 松前線の渡島福島駅に出ていた。
  2. 湯の里知内信号場はなかった。
  3. この路線まで道南いさりび鉄道に入れるか問題になっていた。
    • 渡島福島以南が新幹線開業までに廃止されたかもしれない。
  4. どちらにしても松前線の普通列車は気動車だった。
  5. このようになった理由として「いずれ新幹線を建設するので、在来線としての開業時は極力費用を抑える」というのが挙げられていた。
    • 青森口も中小国ではなく津軽今別、若しくは三厩に接続していた。

北海道新幹線開業後も在来線旅客列車が運行していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 青春18きっぷ北海道新幹線オプション券は発売されなかった。
  2. iRいしかわ鉄道の津端ー金沢間同様、道南いさりび鉄道木古内ー五稜郭間に特例ができていた。
    • 青函直通列車だけ適用していたか。
  3. 奥津軽いまべつ駅に停車するかで揉めていた。(津軽今別駅を廃止にして奥津軽いまべつ駅を建てたので)
    • 史実のオプション券の都合上停車させると思う。
  4. 北海道新幹線のダイヤ設定がさらにやりづらくなっていた。
  5. 青函トンネルの架線電圧が新幹線対応の物になっているので、複電圧車を用意せねばらなないのが最大の問題になっていた。
    • 蓄電池車を導入する事で無理やりこの問題をやり過ごしていたかもしれないが、おそらくJR北海道は資金等の都合もあり導入せずに終わる。
    • 寝台特急に関してはJR貨物から電気機関車を借りる事でどうにかできた。
      • Ifに夢を見るなら… EH800-5xxの誕生(将来はJR貨物買取でどう?)
      • お薬ガンギマリな夢なら… ED79改ED800の誕生(車齢50年、お願いあの子はもう休ませてあげて)
  6. 新幹線に乗客を誘導する為に、運行こそすれど本数は極端に少なくなっていた。
    • 「函館まで乗り換えなしで行ける列車が残っては困る」と言う理由から、全列車木古内で折り返しと言う可能性も十分考えられる。
    • 寝台特急「カシオペア」「北斗星」(2往復) 「トワイライトエクスプレス」急行「はまなす」は廃止されず今も走っていた

JR東日本の管轄だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 奥津軽いまべつ(津軽今別)と津軽二股駅は同一駅になっていた。
  2. 北海道新幹線は木古内駅が境界になっていた。
    • 結果、津軽線青森~津軽二股間は青い森鉄道に経営分離。そっから先は廃止の憂き目に。
  3. 寝台特急「カシオペア」ぐらいなら残せたかもしれない。

青森市内と函館市内を直接結んでいたら[編集 | ソースを編集]

  1. トンネルがものすごく長くなる。
  2. 青森駅からそのまま線路が伸びていた。
    • 函館駅も同じく。
  3. 青函間の船は民間含めて消滅していた。

単線並列で建設されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 北海道新幹線は開業時から最高速度260km/hで運行していた。

道路トンネルだったら[編集 | ソースを編集]

  1. 名前は青函アクアライン。
  2. 北海道縦貫道が木古内まで開通している。
  3. アクアラインと違って途中に休憩スペースはなし。
    • 途中に換気塔くらいは設置される。
  4. 出口付近に大規模なサービスエリアを設置。
  5. 安価な高速バスが走るため青函連絡船は廃止。
    • その代わり青森~函館に国鉄→JRが連絡バスを運行していた。運賃は鉄道扱いで。
    • 本州~北海道に夜行高速バスが多数運行されていた。特に東京~札幌間は「はかた号」に匹敵する長距離路線になっていた。
      • それでもさすがに東京~旭川・釧路などは遠すぎて運行されないだろう。
  6. 関門トンネル・アクアライン同様危険物積載車両は通行禁止。