伊達政宗
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伊達政宗[編集 | ソースを編集]
- 独眼流
- 独眼だからといって一つ目じゃありません。
- だが某戦国ランスで目玉の化け物になってた…
- 独眼流?
- 独眼竜じゃないのか? 隻眼だったからそう呼ばれたらしいよ。
- どくがんりゅうを変換したら独眼流って出た…しかも候補がこれだけ…。
- だが某戦国ランスで目玉の化け物になってた…
- 目が二つ描き込まれた肖像画も存在する。
- 独眼だからといって一つ目じゃありません。
- あと10年早く生まれてれば…。
- それより、もっと都近くに生まれていれば…。
- しかし奥州に生まれ、特に周囲に強敵もいなかったので運がいいとも言える。
- せめて最上芦名佐竹くらいは強敵と認めてあげて。苦戦はしてるんだから。
- 南部大崎安東あたりも手ごわい。
- 仙台のすぐ北を領する大崎・大崎領の北にいる南部の脅威はわかるけど、安東と伊達は直接領界を接してない。出羽国を治める安東氏にとって脅威なのは山形の最上義光・仙北の小野寺義道あたりだぞ。
- 次いでいうと最上義光は叔父だ (伊達政宗の母の兄)。というか東北地方の大名の血縁は結構入り組んでいる。
- 仙台のすぐ北を領する大崎・大崎領の北にいる南部の脅威はわかるけど、安東と伊達は直接領界を接してない。出羽国を治める安東氏にとって脅威なのは山形の最上義光・仙北の小野寺義道あたりだぞ。
- 政宗が家督相続したばかりの頃の伊達家には相馬も十分に脅威。
- 強敵だらけじゃねぇか。でも一番の強敵は身内か?
- 南部大崎安東あたりも手ごわい。
- せめて最上芦名佐竹くらいは強敵と認めてあげて。苦戦はしてるんだから。
- gdgd中世やってた奥州で「俺信長みたいになるわ」と突然言い出したから成功した面はある(本能寺の時政宗15歳で直撃世代)。10年早ければ今の政宗じゃない可能性も高い。
- 昔、フジテレビの特番で「もし天下を取っていたら、今頃『仙台ラブストーリー』が放映されていた」というネタがあった。
- 奥州筆頭。
- 伊達男という言葉はこの人が発祥。
- 秀吉に謀反の疑いをかけられた時や、朝鮮出兵時に派手ないでたちだった事から「伊達者」と呼ばれ、転じて派手な格好をする者を「伊達者」というようになった。
- しかし鎧は黒漆を使った一見地味目なもの。ただし当時は黒で身を固めること自体珍しかったため、武将の中では逆に目立っていた。
- 伊達者というのは単に派手なのではなくオシャレなセンスがあってこそ。政宗の鎧は黒で締めて金の三日月が目立つようになってるバランス感覚がいいのです。
- しかし鎧は黒漆を使った一見地味目なもの。ただし当時は黒で身を固めること自体珍しかったため、武将の中では逆に目立っていた。
- 秀吉に謀反の疑いをかけられた時や、朝鮮出兵時に派手ないでたちだった事から「伊達者」と呼ばれ、転じて派手な格好をする者を「伊達者」というようになった。
- 徳川将軍家が発した「一国一城令」に唯一あてはまらず、一国二城(仙台城と白石城)許された武将。それだけ徳川家に恐れられていたということ。
- 何せいつ謀反起こされるかと思うと徳川家にとってはヒヤヒヤものだし、かといって転封やら改易なんぞ仕出かせば「許さんぞ徳川メ!!伊達力思い知らせてくれるわ!」と国許から大軍が攻め込みかねないしで、「う~ん、しょ~がねぇ!」という特例中の特例で認められた…っつ~か認めさせた。伊達軍団スゲーな。
- 唯一では無い。佐竹とか池田とか例外は他にもあった。
- さすがにイトコ殿(伊達成実)の居城・亘理城はダメなようで亘理要害になった。「城にあらず、要害にござる」とごまかしたどうかは不明だが。
- 詩歌を嗜み、なかなかの文化人だったらしい。
- ユーモアたっぷりな狂歌・公家衆が絶賛した和歌のクォリティーに「ケッ田舎大名が」と嘲笑う中央の大名が赤っ恥かいたそうな。
- 連歌などに堪能だった武将は他にもたくさん居たが、完全な平仄で漢詩を詠めたのは、同時代の武将では政宗だけらしい。
- 和歌は後水尾天皇に激賞されて細川幽斎、武田信玄などと共に集外三十六歌仙にも選ばれている。
- 意外なことに料理が趣味。もともと兵糧開発だったのが平和な世になるや美食を極める為に料理研究したそうな。仙台に美味いものが多いのはその名残か影響か?
- 「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」とは政宗の談とか。
- 宮城名物ずんだ餅の生みの親とされる。大河ドラマでもネタに使ってたなあ。
- ちゃんと青葉城でずんだ餅食えるぞww 美味かった。
- なおずんだ自体はお隣山形にもある。仙台のずんだは粒あん風の枝豆を荒く砕き餡にしたもの。山形のずんだはこしあん風。
- ちゃんと青葉城でずんだ餅食えるぞww 美味かった。
- 味噌醤油の原料である大豆を領内で大量に栽培し、商品作物として江戸に販売。江戸は米と共に、奥州に胃袋を握られた形になる。
- 意外だが、実は酒に弱かった。
- 酒飲めない代わりかどうか(?)喫煙者。キセルがほぼ完全な形で現存。朝・昼・夜と決まった時間に吸ってたそうな。
- 晩年を過ごした仙台若林屋敷は現在刑務所。庭の臥竜梅のみ残ってるそうな。
- 誰が何と言おうと渡辺謙
- あの不祥事さえ無ければね…
- 「美人の側室と美形の小姓。二人は姉弟。ものにするならどっち?」「両方」という剛の者。
- 江戸初代将軍の家康から3代目将軍・家光までの信任が厚かった。家康からは臨終間際に「秀忠を頼みまするぞ…」と託され、秀忠からは「仙台!家光を頼むぞよ!家光はわがままな男、大人にするにはそち以外にできぬ!何とぞ何とぞ頼んだぞよ!」と願われた。
- 将軍就任後の家光からは「父の御遺言に従い、政宗を父と思うぞ」と声をかけられ、「微力ではございまするが…」と忠誠を誓った。しかし、家光個人からの処遇は外様以上で、御三家・譜代と同等か、それ以上だったとか。
- 没後、江戸で7日、京で3日、歌舞音曲や猟が禁じられた。
- 最期まで隻眼だったのを気にしていて、「わしが死んだら肖像画などには両目を添えよ」と遺言。
- 仙台ではなく山形の米沢出身というのは以外に知られていない。
- ほんの一時期だけだが会津を本拠地にしていた事はもっと知られてないかも。
- 会津の大名・芦名義弘を破った摺上原(すりあげはら)の合戦後。
- 葛西大崎一揆鎮圧後岩手沢城(その後岩出山城に改称)に移封。
- 仙台城を居城にしたのは関ヶ原の戦いの後。
- ほんの一時期だけだが会津を本拠地にしていた事はもっと知られてないかも。
- ご存知仙台藩祖だが、伊達家十五世当主でもある。名乗りの「政宗」は、武人として誉れ高かった伊達家九世政宗にあやかってのもの。
- いかにも遅れてきたヒャッハー戦国大名というイメージが強い政宗だが、実際のところ下剋上要素はなくかなりの名門出身だったり。織田は守護代、松平は国人、豊臣は言わずもがななのに比べると、探題だか守護だかに相当する伊達家は元々足利一門に次ぐぐらいの上流クラスである。
- 朝鮮出兵では、敵将を馬の鞍ごと斬ったという武勇伝もある。
- 大坂の陣でのエピソードの一つに…ある陣所で香合わせ(匂いをかいで「これは○○の香だ」と当てるクイズ)があり、瓢箪を景品に出した。居合わせた武将達はバカにしたが、当てた武士に「あそこにつないである白馬を差し上げよう」と言って相手を仰天させた。それを見て笑いながら「よく言うではござらぬか。瓢箪から駒が出ると」と言い、「さすが仙台候」と周囲の武将を羨ませた。
- NHKの大河ドラマで、本人が出演したのは後にも先にも彼だけだろう。
- 文化財クラッシャーとしても知られる。
- 天下への野心は宣教師の記録にさえ書かれている、よほどバレバレだったらしい。
- 家康が卒したとき、「あいつ(政宗)が絶対に謀反起こすから、戦に備えておけ」と国許に指示した大名の手紙が残っている。
- 家康から鬼子扱いされていた忠輝の才能を見抜き、娘婿にした。
- 仲を取り持ったのがあの大久保長安だから、きな臭さ全開であるが・・・。
- 慶長出羽合戦では一応東軍ということで最上に申し訳程度の援軍しか送っていないのだが、上杉軍が無事に撤退すると「最上のオジキが弱いから直江のヤローを取り逃がしたじゃないか。最上のオジキが弱いから勝ちきれなかった。無念だ!」と言っている。
- つまり、大事なことは二度言ったのである
- 「伊達」は本来難読だが、政宗のおかげで誰もが読める。「いだて」→「だて」へ変化。
- 大阪市西区の難読地名の立売堀(いたちぼり)を掘った。
- あまり長男秀宗と仲が良くなく、正室の子だが次男の忠宗 (仙台藩2代目) ができた後、秀宗はお役御免とばかりに宇和島へと飛ばされた。
- 秀の字が入っていることからも分かるように豊臣との関係が深いため、政宗としては徳川時代の跡継ぎにはちょっとなーという感じであり、秀宗は秀宗でそういう環境に相当ストレスが溜まっていた。最終的に「親父あれは酷いよ」「正直すまんかった」という漫画みたいな喧嘩をして関係修復。うーん、伊達家。
- ちなみに仙台の方では宇和島を分家の支藩扱いしていたが、秀宗の方は兄より優れた弟など存在しねえとばかりに将軍の前で忠宗より上座に座ったそうな。伊達家はほんとさぁ・・・。
仙台・宮城と伊達政宗[編集 | ソースを編集]
- 未だに伊達家が崇拝されている
- 仙台市内の至る所に伊達家の家紋があふれている(縦三引・竹雀・九曜・牡丹・蟹牡丹・雪輪薄・ナズナ・菊・桐)
- 旧伊達家家臣団が未だに存在して、宮城県内の政財界を牛耳っている。
- 市のマークがまさにそれ。(縦三引を少しアレンジ)
- 陸上自衛隊東北方面隊の何かの記念品が「竹雀」の文鎮だった。
- 仙台市消防局のマスコットが「レスキューまさむね君」(兄弟あり)。このキャラクターは伊達家の許諾を得ている。なお、救急車の側面には政宗騎馬像のシルエットがペイントされている。
- 仙台市中心部には、政宗公の冑の前立て(三日月)や陣羽織の柄をアレンジしたデザインの看板や旗等が非常に多い。
- 今の御当主の泰宗さまが大学を卒業されて仙台に帰ってきたとき、県知事に仙台市長をはじめ旧伊達藩のVIPが仙台駅に並んでお迎えした。
- 泰宗さまは西公園近くのラーメン屋のねぎ味噌がお気に入り。無精ひげとマシンガンのようなおしゃべりですぐ分かる。
- 仙台市内の至る所に伊達家の家紋があふれている(縦三引・竹雀・九曜・牡丹・蟹牡丹・雪輪薄・ナズナ・菊・桐)
- 伊達政宗を崇拝しているため、「伊達男」とバカにされてもまんざらでもない。
- というか、悪い意味があることをそもそも知らない。
- むしろ誉められていると感じる。
- 「人目を引く、しゃれた身なりの男。また、侠気(きようき)のある男。侠客。男だて」(大辞泉)…どう考えても褒め言葉だが?
- 使い方を間違えてるやつを「うつけ」と笑ってやればいいと思うよ。
- なんで「大辞泉」w
- 「××は伊達じゃねぇ」のような用法で使われている時は「伊達=格好だけ立派」てな意味に使われている。蛇足ですが。
- 使用例「νガンダムは~じゃない」。
- これは伊達眼鏡(=必要ないけどおしゃれで掛けてる)とかの方の意味だな。この場合も「わざわざ中身の伴わない物をファッションとして身につける」ことを伊達と呼んでいるので、それ自体に「見掛け倒し」といったような否定的意味合いはない。
- 使い方を間違えてるやつを「うつけ」と笑ってやればいいと思うよ。
- しかし現代の学都仙台の男はあんまり伊達じゃない。地味かつよれよれな服装で研究に励む大学生みたいな。
- 戦国大名では、とにかく(伊達)政宗公以外は相容れないせいか、豊臣秀吉&徳川家康が嫌い。
- 中国の商標を権利侵害しているので問題になっている。法治国家の自治体くせに、中国の法律を守れない犯罪組織。
- なんのこと?つーかそれ言ったら「お前が言うな」と返されるのがオチじゃね?
- しかし青葉まつりが伊達政宗の祭りであることを知っている地元民は意外なほど少ない