大阪市の神社/天王寺区
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大江神社[編集 | ソースを編集]
- 狛犬ならぬ狛虎で有名。
- というわけで、結局ここも虎党の聖地。
- 実際に狛虎の回りに朽ち果てた黄色いメガホンが置いてあったりすることもある。多分備えた当初は新品だったんだろうと思うが、もはや不法投棄のような汚さ。
- 「愛染さん」こと勝鬘院のすぐ隣にある。
- 因みに神社の横の坂は天王寺七坂の1つ、愛染坂。
- 大江千里ファンが反応する神社。
- 堀越神社などと並んで四天王寺七宮の1つ。
- 同じ四天王寺七宮の1つだった熊野古道の上野王子にあった上之宮神社を合祀している。同様に小儀神社も合祀。
- 聖徳太子が四天王寺建立の記念に創建した神社。
- 明治初期に神仏分離令にが出るまでは大きな神宮寺を抱えたりするなど、仏教とは、他の神社以上にズブズブの関係だった。
- それだけ歴史がある神社だったのに、旧社格は郷社。
生國魂神社[編集 | ソースを編集]
- とにかく鳥居が大きい。
- サントリー提供らしい。サントリー創業者鳥井さんの鳥居。
- 日本総鎮守の神社
- 神武天皇東征の折、天皇自ら起請なさったとかで、天皇家公認。とにかくエライのである。
- かなりの歴史と由緒があるはずなのに、一宮にならなかったのが不思議。
- 上方落語の聖地でもある。
- 神武天皇東征の折、天皇自ら起請なさったとかで、天皇家公認。とにかくエライのである。
- とにかく、よく焼失する、
- 大坂夏の陣、ミナミの大火の巻き添え、大阪大空襲・・・。
- そう言えば、ジェーン台風で本殿が倒壊したこともあったような。
- 2018年の台風21号では手水舎が倒壊してしまい、今は仮の屋根が付けられている。
- 東側には回廊付きの表門が建ってたものの、大阪大空襲で焼失したまま再建されていない。
- 神社側としては再建を諦めたわけではないらしい。
- 境内に合祀されている鴫野神社は淀君が篤く崇敬した縁結びと悪縁切りに霊験あらたかな御宮。
- その裏手に生玉さんの御神木がある。その裏手はすぐ急崖。上町断層の切れ目。
- 同じく合祀されている源九郎稲荷神社は元々大和吉野の神社の御分祀で歯痛の神様。なのに、なぜか歌舞伎役者や松竹の芸人の崇拝を集めていたりする。
- 道頓堀の中座で、芸能の神として祀られていた八兵衛大明神が、中座閉館によって源九郎さんへ合祀されたから。
- 普通の「稲荷神社」も末社として鎮座しているのだが、何故か祐徳稲荷神社から勧請して建てられた。
- 全国で唯一、家造りの神を祀った家造祖神社がある。
- 大阪城の築城時に御神徳を発揮しまくったんだとか。
- 他にもたくさんの境内末社があり、それぞれの末社に対応した絵馬もあるので、いくつもの御利益を得ようとするなら、あちこちの神社へ行かなくても、生玉さんへお参りするだけで十分事足りる。
- 上方落語の聖地であるというのは上述のとおりだが、その起こりは米沢彦八。
- 米沢彦八は、京都で露の一門が始めた上方落語を大阪に持込み、生玉さんの境内で始めた。これが大阪での上方落語の起こりだったりする。
- でも落語だけではなく芸能全般において生玉さんは神様扱い。なぜなら浄瑠璃神社に浄瑠璃七功神が祀られていたり、井原西鶴が一昼夜4千句も俳句を読み続けるというアホみたいな記録を生んだりしたところだから。
- 神社を出て前の道路を80mほど歩いて谷町筋迄出て左へ10mほど歩くと今□耕司の実家の寺がある。
- 1月に御朱印をお願いすると、その年の干支朱印も押してくれる。
- その数は60種類もあり、全部集めようとしたら、文字通り一生かかる。
- 御朱印ではない、普通の記念スタンプも常設されてあったり。
- 昔は新歌舞伎座付近まで表参道が続いていたが、谷町筋の開通で分断されてしまった。
- 谷町筋の東側の旧参道には、商店が立ち並んでいて、生玉表門商店会と呼ばれる。
- 表参道に立てられている当社の手書き看板を読む限り、谷町筋に対しては色々と思うことがあるらしい。
- 日本橋方面から北門へ登ってくると、石垣が積まれていて、一瞬お城へ来たのかと錯覚してしまう。
- 難波大社(なにわのおおやしろ)を自称している。
- だが、秀吉公に移転させられた時は、難波神社の方がデカかった(生玉さんは3百石で難波神社は2千石)。
- 本殿は、生國魂造りと言われる、独特の建築様式を採用。
- 緑色に塗られた社務所も異彩を放つ。
三光神社[編集 | ソースを編集]
- 御存知、真田の抜け穴のあるところ。因みに真田丸の最東端はこの辺。
- この抜け穴がなければ、豊臣秀頼が薩摩へ逃げたという伝説もなかったに違いない。
- というわけで真田幸村の銅像が立っている。わりと凛々しい。
- 真田の抜け穴は毎年11月の真田祭の日のみ中に入れるらしい。
- 玉造界隈では玉造稲荷神社と並んで崇められている神社。
- 因みにどっちも桜の花が美しいことで界隈では有名という共通点もある。
- 反正天皇の頃の創建だとか。そんなに歴史がありそうな気配は感じられない普通の神社だが、意外と古い歴史を持つ。
- 境内には野見宿禰社が勧請されている。なんでも明治のはじめに天満の方の相撲場から移ってきたんだとか。
- 境内には軍人墓地がある。
堀越神社[編集 | ソースを編集]
- 茶臼山町
- 天王寺と四天王寺の間の谷町筋沿いにある。
- 神社名の由来は昔は神社の南側に堀があり、それを越えて参拝したからだとか。
- 実は聖徳太子の頃からあるらしい。四天王寺と同じくらい歴史が古いとか。
- なんつっても聖徳太子が四天王寺建立の記念に建てた四天王寺七宮の1つですからねえ。
- 大阪夏の陣のときに東軍の誰ぞやったかが、陣を置いた所とされる。
- 歴史はあるのに、旧社格は村社。
- 江戸時代に、神君ゆかりの神社として祀られていたことと、仏教関連の神社(四天王寺七宮)だったことが影響したんじゃないかと邪推してみる。
東高津宮[編集 | ソースを編集]
- 東高津町
- 高津宮の東にあるからこの名前。
- なのだが、創建当初は生國魂神社の南にあり、「仁徳天皇社」と言われていた。
- 社殿は高津宮のお古。
- 高津宮より先に御朱印帳の授与を開始した。
安居神社[編集 | ソースを編集]
- 逢阪
- 「安居天満宮」とも。真田幸村が戦死した場所として知られる。
- 御朱印にも「真田幸村公戦死の地」とわざわざ書かれる。
- 神職不在らしい。
- そのせいか、夜間は参拝できない。
- 摂津名所図会、浪速名所図会で花見の名所扱いされていた。
- 落語通には「天神山」の舞台。
- 大宰権帥として太宰府赴任を仰せつかった菅原道真公が、風待ちのため休息をとったことから安居神社となったとされる。
- 祭神は菅原道真公と少彦名神。
- あべの橋にもほど近い、天王寺区の一角とは思えないほど、物静か。
五條宮[編集 | ソースを編集]
- 真法院町
- 敏達天皇を祀る。
- 即位前に、この地に居所を構えていらっしゃったらしい。その縁で、敏達天皇を祀っているんだとか。
- 源平藤橘の4家の1つ橘氏の祖神を祀っている唯一の神社。
- 源氏も平家も藤原氏も祖神を祀る神社は多くあるが、橘氏の祖神を祀るのはここだけ。
- 聖徳太子が四天王寺建立の記念に、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀ったことに始まる。
- 後に五條エリアの鎮守となり、鬼門・火災除けの神扱いされるようになった。
- 上町筋はこの神社の近くでちょっとずれている。