大阪市の神社

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西区の神社[編集 | ソースを編集]

土佐稲荷神社[編集 | ソースを編集]

  • 西区
  1. 三菱グループの神社。
    • そのため賽銭箱には三菱のスリーダイヤのマークがあり、境内と外を仕切る玉垣にも三菱関係の会社が目立つ。
  2. 元々は土佐藩のお稲荷さんだった。
  3. 桜の時期には混雑する。夜店も出るし。

サムハラ神社[編集 | ソースを編集]

  • 西区
  1. まず、字が書けん読めん。
  2. 機動警ら隊の隣にある。
  3. 先の大戦の折、ここで千人針を祈願して、それを持たせた兵隊は、みんな帰ってきたとか言う伝説がある。
  4. 字で書くとサとハがてへんに上に合で下に辛いと書いて、ムがてへんに台、ラがてへんに上に包むと書いて下に口を書く。
    • 神字なのでパソコンでは変換不可。
  5. お守り指環「御神環」が異様に人気ある。
    • あまりに人気なので月に1~2回しか授与されず、詳細な授与日も一切知らされない。
      • しかも入荷しても、自分に合うサイズでなければ授与して貰えないので、本当に運次第。
    • 御神環をオークションサイトに高値で出品する転売屋にとうとうぶちギレて、「御魂抜きの神事」を行った。
      • つまり過去の個体含めて、出品される御守りは御利益を一切無効化されたということ。
    • 以前から頒布当日の参拝客のマナーが悪く、近所迷惑をかけまくってたことから、とうとう御神環の頒布が無期限休止になってしまった。
      • 御神環と同じご利益がある「銭形肌守り」は頒布継続中なので、どうしてもご利益にあやかりたい人はそちらをどうぞ。
  6. 創建は1950年と、割りと新しい。
  7. 一部のファンに人気。

北区の神社[編集 | ソースを編集]

大阪天満宮[編集 | ソースを編集]

大阪天満宮
天満天神繁昌亭
  1. 受験のシーズンは特に賑わう。あと7月の天神祭も有名。
  2. 節分の日の昼間も、ある理由で賑わう。
  3. 日本三大天神の一つ。
    • 防府他多数と、北野、太宰府の確定した後の一枠を争っている。
  4. 神社のお祭りは日本三大祭の一つ。
    • ギャルみこしで有名。
      • 天神祭は7月25日だが、ギャルみこしは2日早い23日。
    • 今の天神祭のルートは、昔と逆。昔なら、神様のお帰りの時のルートだった。
      • 船渡御もかつては道頓堀川方面へ下っていっていたらしいが、今は逆に桜ノ宮方面へ上っていくコースになっている。ただこれは橋の高さと船の高さの兼ね合いによるものらしい。
  5. 混雑することが想定される日は、参拝順路が南から北への一通になる。因みに南側は正門。
    • 駅から近いのは北側なので、間違えたふりしてこっそり入っていく人間が居ないわけではない。
    • ここに限らず神社は大体南側が正門で本殿も南向きになっていることが多い。例えば京都の八坂神社も祇園交差点に面した西側ではなく南側が正門。
  6. 上方落語を始め古典芸能が見られる天満天神繁昌亭があるのはここ。
  7. 初詣の際には臨時の授与所もできる。
    • 御朱印はこちらのほうが断然早い。
    • 本来の授与所では列が長いうえ割り込みも多数発生する。
  8. 天満宮ではあるがえびす祭にも力を入れている。
    • 六代目の文枝師匠(旧三枝)も復活に貢献したとか。
  9. 現在の本殿は大塩の乱後に建て直されたもので太平洋戦争でも無事だった。
  10. 境内にある大将軍社は天満宮自体よりさらに300年古い。
  11. 学業成就のお守りだけ異常に高い。
  12. 境内には「すべらんうどん」の店がある。
    • 視覚障害者の人が開発したらしい。
  13. JR東西線の駅名にもなった。

歯神社[編集 | ソースを編集]

梅田の真ん中にある歯の神様
  • 北区
  1. 全国で唯一、歯痛にご利益のある神社。
    • かつてここに大きな石があり、それが淀川の氾濫によって襲来した大水を食い止めたことから歯止め→歯痛止め、ということになったらしい。
    • 本殿の前にある石を撫でて歯の痛い場所をさすると痛みが和らぐらしい。
  2. 梅田の繁華街のど真ん中にある。
    • 位置的にはHEP FIVEの環状線の線路を挟んだ裏あたり。
  3. 神社とは言っても、小さい祠があるだけ。
    • 実際には北区内にある綱敷天神社の末社という扱い。
  4. 大阪駅から見えるダイキン工業のぴちょんくんの広告塔のほぼ真下にある。
    • すぐ横に大阪環状線の高架も通っているが、大多数の人は気づかないだろう。
  5. 所在地は北区角田町。つまり阪急百貨店うめだ本店と同じ。

堀川戎神社[編集 | ソースを編集]

  • 北区西天満
  1. えびす祭の時期だけで、1年間の賽銭の9割を稼ぐ神社。西宮や今宮でもここまでではない。
    • 普段は大阪天満宮にはとてもじゃないけど敵わないくらいに、参拝客数が少ないが、1月9日~11日だけは、エゲツない混み方をする。
  2. 関西では西宮えびす神社、今宮戎神社に次ぐえべっさんとして知られるが、どこにあるかを知らない人が多い。
    • 尼崎戎神社などよりも参拝客数は多いし、知名度も高い。
    • 最寄駅は大阪メトロ南森町駅。
  3. 14世紀中頃にこの地に遷座したとか。
    • それまでは、何故か何鹿郡山家村にあったらしい。結構遠距離の遷座である。

露天神社[編集 | ソースを編集]

通称「お初天神」
  • 北区曽根崎
  1. 通称の「お初天神」のほうがずっと有名。
    • かの『曽根崎心中』(近松門左衛門)の舞台になった神社。
    • だが公式サイトのアドレスは「tuyutenjin.com」。
    • 商店街(むしろ歓楽街かも)の曽根崎センター街は「お初天神通り」とも呼ばれている。
  2. 梅田・曽根崎地区の総鎮守らしい。
  3. もともとは広大な境内を誇っていたが現在は建物に埋もれかけている。
  4. 御所さながらに左近の桜と右近の橘がある。
  5. この神社最大の恩人とでも言うべきお初と徳兵衛の現代化されたキャラを募集していた。
  6. 「ろてんじんじゃ」ではなく「つゆのてんじんしゃ」と読む。

旭区の神社[編集 | ソースを編集]

日吉神社[編集 | ソースを編集]

  1. 本店はもちろん大津坂本の日吉大社。
  2. 元々でっかい寺がありそこの鎮守として創建された社だったが、寺が大阪の陣で燃え神社だけ残ったという。

大宮神社[編集 | ソースを編集]

  • 旭区大宮
  1. ここもえべっさんで、十日戎には賑わう。
    • 「大宮戎」の別名もある。
    • 近くに千林商店街があるので、その関係者の信仰が厚い。
    • 明治時代までは大宮八幡宮だったらしい。
  2. 神社の前から南に延びる道はかつて神社の参道だったらしい。
    • まっすぐ行くと京街道に合流する。
      • 合流地点に一ノ鳥居があった。その近くには老舗のうなぎ屋もある。
  3. 2020年に行われた改修工事で全国でも最大級の大きさを誇る豊臣秀吉像が発見された。
    • その秀吉像は本殿の西側にある高良社に祀られていた。

住吉区の神社[編集 | ソースを編集]

神須牟地神社[編集 | ソースを編集]

  1. ヤクルト・大引啓次の実家として有名。
    • 大引は契約金の全額を神社の修繕などに使ったらしい。
      • 修繕はされてもおみくじやお札そしてお守りなどは売っていないみたい。
    • オリックス時代の応援歌に「天より授かりし」とか「神の申し子」とか入ってたのはこのため。

大依羅神社[編集 | ソースを編集]

  1. 今でこそその辺の神社よりちょっとだけ格上かなという感じの神社だが、元を正せば開化天皇の四男坊を祀る由緒正しき神社だった。
    • この四男坊は依羅氏の先祖に当たるとやらで、神功皇后の命でこの神社ができて以来、南北朝期に依羅家が没落するまでずっと神主を務めていたとか。
  2. 摂津国では、住吉大社の次に偉い神社とされたこともあったと、社伝に記載されているらしい。

止止呂支比売命神社[編集 | ソースを編集]

  • 住吉区沢之町
  1. 名前のインパクトが強い。
    • 「とどろきひめのみことじんじゃ」と読みます。
  2. 別名「若松神社」。
    • 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒すために兵をかき集めている道中で、この神社の松林に「若松御所」を造営し、国家安泰と武運を祈祷させたことが由来とされる。

浪速区の神社[編集 | ソースを編集]

今宮戎神社[編集 | ソースを編集]

  1. 「えべっさん」といえば、こちらのこと。
  2. 一年の稼ぎを3日で賄っている。
    • しょ~ばいばんじょでささもってこぃ♪
    • 縁日で約4日間難波から神社までほぼ終日歩行者天国になるほどなので、その凄さがわかるであろう。その3日以外は、至ってよくある静かな神社の姿になる。
  3. その「えべっさん」の福娘の採用は有名人の娘さんや大企業のエライさんの娘さんとか、縁故採用(?)があるらしい。
    • 天満宮のギャルみこしと並んで競争率高し。
    • その福娘は、履歴書に書けるらしい。
    • 何故か、元・福娘には女子アナが多い。
  4. 名探偵コナンの昔の映画に登場する「難波布袋神社」のモデルがここ。

難波八阪神社[編集 | ソースを編集]

  • 浪速区
  1. でっかい獅子舞の形の社がある。はじめて見るとギョッとする事請け合い。
    • そのおかげで、近年はインスタ映えするスポットとして話題になっている。
      • 海外にも知られてるようで、外国人観光客も多数訪れる。
  2. 戦艦陸奥の記念碑がある。
    • 戦艦陸奥の主砲抑気具の記念碑だったかな。
  3. 難波神社の片割れ。
    • 今の本殿は、難波神社とほぼ同時期に完成したうえ、建築意匠も似通っている。

阿倍野区の神社[編集 | ソースを編集]

阿倍王子神社[編集 | ソースを編集]

阿倍王子神社.JPEG
  • 阿倍野区阿倍野元町
  1. 熊野古道沿いにある。
    • おそらく昔は、熊野古道側から入って参拝するしたんだろうが、今は阿倍野筋の方に王子商店街もあったりする関係で、そちら側が表筋。
  2. 王子というのは、別に親王などという意味ではない。
    • 藤白王子や切目王子、発心門王子など、熊野古道の九十九王子の1つだったことに由来する。
  3. 仁徳天皇の夢の中に出てきた八咫烏。その八咫烏を探していたらこのあたりで見つかったらしく、それ以来この地を神域化したのが、この神社の始まり。
    • 鎮座地域に勢力を持っていた豪族・阿倍(安倍)氏の氏神神社だったという説もある。
      • 下記の安倍晴明神社を末社としているのは、その由縁もあるからかと。
  4. 3階建てくらいの鉄筋コンクリートの建物(社務所)の下を抜けて本殿にお参りするという、味気ないつくり。
  5. 末社に安倍晴明神社を抱える。
    • その関係で、安倍晴明神社の御朱印はこちらで頂ける。1つ500円也。
    • 京都の晴明神社と違って、こっちは手書きもきちんとやってくれる。
      • 安倍晴明神社の分と平仄を取った関係で、今となっては九十九王子の1つということ以外、さして取り柄のない阿倍王子神社の御朱印も500円という高値。(元はこっちのほうが歴史的価値がある神社ではあったとはいえ、今はねえ……)

安倍晴明神社[編集 | ソースを編集]

安倍晴明神社.JPEG
  • 阿倍野区阿倍野元町
  1. 言わずと知れた陰陽師安倍晴明の生誕地にある神社。
    • 安倍保名が白狐と獣姦したところとも言える。
      • そういう言い方やめてーなw
    • 京都の晴明神社と同様、全国の晴明ファンやスピリチュアル好きがお参りにやって来る。
      • だけど境内は広くないので、ある程度の数の参拝客が来るだけで、いっぱいいっぱいになってしまう。
  2. 江戸末期までは隆盛を極めたのに、幕末に廃れてしまった悲しき歴史を持つ。
    • 当時は大坂城代が就任の都度、ご挨拶に訪れるほどだったとか。
    • 大正年間に再興。現在はすぐ隣の阿倍王子神社の末社に成り下がっている。
  3. 戦時中、境内に焼夷弾が落ちるも、被災せずにすんだ。
    • それが故に、厄除けの神様としても崇められるようになった。
  4. 境内にある水晶玉を撫でると、頭がよくなるとかなんとか。
  5. オリジナルのお守りや授与品があるが、ここを管理している阿倍王子神社の授与所でも貰える。

東成区の神社[編集 | ソースを編集]

深江稲荷神社[編集 | ソースを編集]

深江稲荷神社
  1. 太古の昔、大和国から深江に一族郎党で移住してきた人たちの氏神様を祀る。
    • この人達は、菅笠づくりが得意だったそうで、明治の頃まで実際に笠を編んでいたらしい。
    • 今も帝にお納めするために笠は全てここから出されている。
  2. 中高野街道と暗越奈良街道の辻のすぐ近くにある。
    • お伊勢参りの旅人は、深江稲荷に参拝し、菅笠を買ったとか。
  3. 深江稲荷神社のある辺りは、笠縫島と呼ばれていた。今は大阪府史跡「摂津笠縫邑」として境内が史跡扱いされている。
    • これは、まだ、河内平野が内海だった時代の事のようで、島というのは比喩ではない。
  4. 豊臣秀頼が片桐市正らに命じ、社殿が改築されたのに大阪の陣で消失している。
    • その後、1760年(宝暦10年)に本殿と絵馬堂を再興している。なお、拝殿等はその後複数回修理されている。
  5. 神社本庁モデル神社の指定を受けているらしい。

鶴見区の神社[編集 | ソースを編集]

阿遅速雄神社[編集 | ソースを編集]

阿遅速雄神社.jpg
  1. 年に一度、名古屋熱田神宮から、お礼参りに人が来る。
    • その昔、新羅の王族の1人が、熱田神宮に預けられている草薙神剣をパクって持って朝鮮半島へ持って行こうとした。その際、その盗人は草薙神剣の神威にビビって河内国で剣を捨てる。捨てられた剣が拾われて祀られた結果、のがここだからということらしい。
      • まあ、天智天皇の頃の話だから、何とも言えんけども、れっきとした事実らしい。日本書紀と熱田神宮の社伝、それから、ウィキペディアとアンサイクロペディアにも出てくる。
      • この頃から、某半島の民族は盗みやパクリが手に染み付いていたということなんだろう。日本では古来より不倫は文化だが、朝鮮半島では古来より盗みは文化だったと言えるのかも。
  2. この神社、裏が児童公園につながっているが鳥居をくぐらずに神社って行ってもいいのか?
  3. この神社は、大阪市内で唯一お陰灯籠が現存する。
    • 幕末の頃、お伊勢さんお詣りをした記念で、各地に建てられたのに、大阪市内では残ったのはここだけ。
  4. でっかい楠が植わっている。
    • 樹齢1,000年超と推定されているらしい。デカすぎて、写真には写しきれない。
    • 主幹は大正期の落雷で焼失するも、支幹は当時この木の面倒を見ていた樹木医のおかげで、生き残って今に至る。
    • 大阪府指定天然記念物に認定されている。堂々とした枝ぶりは見事である。
  5. 延喜式神名帳にも記されている式内社らしい。因みに当時も当社は阿遅速雄神社という名前だった。
    • 江戸期には、何故か、八劔神社と呼ばれ、神社への参道を剣道と呼んでいたとか。剣道は「鶴見」の由来ともされる。
      • でも、最終的には、歴史ある阿遅速雄神社の名称に戻されている。

平野区の神社[編集 | ソースを編集]

杭全神社[編集 | ソースを編集]

  1. 杭全にあるわけではないけど、杭全神社。
    • 大阪シティバスの杭全バス停からは遠く離れている。
    • 地名としての杭全は隣の東住吉区にある。
    • JRの最寄駅は平野駅で、1駅離れている。
  2. 日本で唯一残された連歌所がある。
  3. 毎年7月中旬に、夏祭りが開かれる。
    • 平野郷にある9地区で地車を出したりと結構大きなお祭り。このために国道25号線は通行規制がかけられる。
      • 平野宮前交差点をぶっ飛ばしながら地車が来る。パフォーマンスも含めなかなか見ごたえがある。
      • 南港通上で9地区の地車が一斉に会す。これもなかなか。
      • 一般的にだんじりと言えば秋が多いが、ここは夏の7月に開催される。
    • 夏祭りを見るためだけに、遠方から来る人も多い。大多数が平野周辺の出身者だけど。
  4. この辺り一帯を拝領した征夷大将軍坂上田村麻呂の孫当道が、862年(貞観4年)に祇園さんを勧請したのが始まり。
    • 因みに田村麻呂の子にして、当道の父である広野麻呂は平野の地名の由来。

城東区の神社[編集 | ソースを編集]

八劔神社[編集 | ソースを編集]

  1. この神社にお詣りすると、数千人に1人の割合でタイムトラベルができ、人生をやり直すことができるらしい。
    • 詳細は 「八劔神社 タイムトリープ」 で検索!
  2. 創建は応永3年(1396年)。
    • 地元の人達が同時に、夢の中で「淀川まで我輩を迎えに来い」という神のお告げを聞いて、探しに行ったら、神の代わりに蛇が出てきて、その蛇の後を追ったら、鴫野の当地に来たとかなんとか。
  3. 大阪夏の陣のときに、上杉景勝の陣があった所らしい。
  4. 大日寺と隣接している。
  5. 江戸期に境内の一部を整備し直したらしい。その時、大阪城の石垣と同じものが使われたらしく、刻印石がいくつか今でも残っている。

諏訪神社[編集 | ソースを編集]

諏訪神社
  1. 菅原道真ゆかりの神社。
    • でも天満宮とか、天満神社とかではない。
      • なのに、諏訪明神を勧請しているから
  2. 平安時代の創建と伝えられており、菅原道真も左遷決定後、太宰府へ行く前に道明寺の親類宅へ行く途中に詣ったとかいうのを地元で崇めて、神社にしたらしい。
    • 実は太閤殿下小田原攻めをした際に、必勝祈願をした神社だったりする。
      • なんでも太閤殿下が大阪城から東の方を見たとき、大きな森があるのが見えて、あの森が気になるわ~~とかで、部下に調べさせたら、古い神社だという報告があったので、殿下が「ほなそこで祈願してみようや」と言ったため、ここで戦勝祈願をしたとか。
  3. 大阪シティバスにここを行先とする系統が存在する。

関目神社[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪城の京都方面の護りとして太閤秀吉が建てた社に始まるとされる神社。
  2. 神社の裏を都島通(京街道)が抜ける。
  3. 「関目」という地名の発祥の地らしい。詳しい由来は知らんけど。

野江水神社[編集 | ソースを編集]

  1. 水害除難の神様。
    • 野江はなぜか元々湿地帯で、洪水になりやすいエリアなのに、あまり洪水被害を受けないでいる。
      • とは言うものの、明治18年の淀川洪水(河内湖が1,500年の時を経て再出したやつ。)では、野江も流石に水没した。
  2. 元々は三好長慶が榎並城を建てたときに水害対策で勧請したのに始まるとか。

生野区の神社[編集 | ソースを編集]

清見原神社[編集 | ソースを編集]

清見原神社.JPEG
  1. なんでも天武天皇の時代に遡るとかいう歴史ある神社。
    • 天武天皇の難波行幸の際、この地で休憩をとり「飛鳥浄御原宮はどっちや」と部下に尋ねたことから、この地を神域としたとか。
    • 江戸時代までは「天武天皇社」と呼ばれていたらしい。
  2. 旧社格は村社。
    • 見る限り、地域の氏神を祀る普通の神社という感じしかしないし、まあしゃあないわな。