東海の寺院
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静岡[編集 | ソースを編集]
富士市の寺院[編集 | ソースを編集]
妙法寺[編集 | ソースを編集]
- 地元では毘沙門さんとして名高い。
永明寺[編集 | ソースを編集]
- 回遊式庭園がとにかく大きい。
- 富士乱水の庭という名前がある。
- 曹洞宗の寺院として、格式高い。
- 開基は行基。元々は真言宗の寺院だったらしい。どこかで改修したんだろう。
- 今川家、武田家、徳川家と歴代の武将からも庇護を受けて繁栄したそうな。
法雲寺[編集 | ソースを編集]
- 臨済宗妙心寺派の寺院。
- 鎌倉の建長寺の高僧がこの地の景色が見事だと言って創ったお寺。
- 境内で湧き水が湧く。
- そのため、富士の湧き水寺というあだ名を自分に名付けている。
静岡市の寺院[編集 | ソースを編集]
清見寺[編集 | ソースを編集]
- 売りはなんといっても名勝認定の庭園。
- ここが寺の売りだということを寺側もよく分かっているのだろう。ここだけ拝観有料。
- 家康公縁の寺らしいよ。
- 太原雪斎が住職を兼ねていたからこう言われている。実際まあ臨済寺が本宅でこっちを別荘がわりに使っていた感はあるようであるが。
- 因みに太原雪斎の母方の興津氏はこの辺りが拠点の海賊だったとか。父方の庵原氏も興津から山に分け入った庵原の豪族だし、そういう意味で故郷の実家みたいな役割も果たしていたんだろうか。
- 太原雪斎が住職を兼ねていたからこう言われている。実際まあ臨済寺が本宅でこっちを別荘がわりに使っていた感はあるようであるが。
- 東名高速のトンネルの名前にもなっている。
- 清見オレンジの名前の由来の一つでもある。
- ただ、清見寺が「せいけんじ」なのに対し清見オレンジは「きよみおれんじ」なんだよなあ。
- それと、現在の主産地の地位を和歌山県など他県に奪われている始末。寺の責任ではないが。
- って言われてもなあ…… それを名付けたのは農研機構の職員さんだし、そこの元職員がそういう由来だって話もしてるんだよなあ。3つ上書いた私に言われても困るというか……
- 清見オレンジの名前の由来の一つでもある。
臨済寺[編集 | ソースを編集]
- 松平竹千代公が幼少期を過ごされた場所として有名。公が学問に励んで居られた部屋もある。
- その教育係が太原雪斎。坊主のくせして軍師として今川家の殺生を勧めていた御仁。
- 裏山の傾斜を利用した見事な禅宗庭園がある。
袋井市の寺院[編集 | ソースを編集]
尊永寺[編集 | ソースを編集]
- 遠州随一の厄除観音。行基が開基の古い寺。
- 冬以外は四季折々の見事な自然。でも一番入りが多いのは当たり前だが冬(というか正月3が日)。
- 道中がすさまじい大渋滞になり断念して引き返す車も見かける。
- 全体的に鎌倉期の建築様式が色濃く出ているが、仁王門は桃山期の建築。
- 名物は厄除けだんご。
- 地元民曰く、 昔のほうが美味しかったらしい。
- 現地の標識では「法多山」と表記されていた。
- 油山寺、可睡斎と並んで遠州三山の一角。
- JR愛野駅から歩いていけなくもない。
- エコパスタジアムのある丘を越えていけば着く。だいたい徒歩40分~50分位。
可睡斎[編集 | ソースを編集]
- 幼少時の徳川家康をかくまった寺。
- 成長した家康が再訪した際に和尚が居眠りしていたのを見て「安心して睡るべ(可)し」と言ったのが寺名の由来。
- 三つ葉葵の紋所を使っている。
- 元日から3月末までずっと雛人形を飾っている。
- この時期限定の御朱印もあるらしい。
- 後に秋葉権現が遷座され防火のご利益も追加された。
- 観光寺院というより修行場の色彩が強い。
- 初詣の参拝者はおそらくほとんどが地元住民。
- 戦前には袋井駅から路面電車が来ていた。
- 一部のお守りの価格表示などで「円」を「縁」とする独自表記を使用している。
油山寺[編集 | ソースを編集]
- 孝謙天皇の眼病を直した功績により「目の霊山」という別名を得ている。
- 眼病平癒を願ったと思しき額も奉納されていた。
- 見どころはかなり上の方にある三重塔と掛川城大手門を移築した山門(ともに重要文化財)。
- 山門の上部はいかにも城郭という感じ。
- 三重塔のところまで行くとかなり足にくる。
- 国宝を持っていないにもかかわらず「国之宝 油山寺」という誤解を招くような案内表示がある。
浜松市の寺院[編集 | ソースを編集]
龍潭寺[編集 | ソースを編集]
- 井伊谷と呼ばれる浜名湖の奥の方にある地域の寺。
- 後の彦根藩になる井伊氏の菩提寺だったらしい。
- そのためか地方の田舎寺とは思えないほど、金と手間がかかってる。京都の有名寺院と余り遜色ないレベル。
- 後の彦根藩になる井伊氏の菩提寺だったらしい。
- 小堀遠州作の庭が美しいと評判。
- もっとも、小堀遠州の造った庭はどこもそんな感じだけど……
方広寺[編集 | ソースを編集]
- 正式には方広萬寿禅寺というらしい。しかし現在は寺側も方広寺という通称を多用しており、一般にもこの通称が浸透している。
- 奥山半僧坊という別称のほうが有名。
- 臨済宗方広寺派の大本山。
- 実は明治以降、南禅寺派から分かれた分派。でもそれなりに格式高いお寺であることは間違いない。
- 徳川家の朱印状を持つ程だったんだから相当なものだろうな。
愛知[編集 | ソースを編集]
豊川稲荷[編集 | ソースを編集]
- 豊川市
- 稲荷寿司と狐様
- 豊川稲荷。コ~ンコン
- 豊川駅&豊川稲荷駅前にもキツネのモニュメント。参道の店もキツネのオブジェに店名を書いている。
- 境内にもキツネのモニュメント(霊狐塚)がいっぱいある。
- 正月に車で行くと、漏れなく迷う。さすがキツネさま。
- 実は豊川稲荷は神社ではない。
- 正式名称を円福山豊川閣妙厳寺といい、れっきとした曹洞宗の寺院である。
- 初詣に並ぶ列は鎮守の荼吉尼天のために並ぶ。本来であれば本尊である千手観音への参るべきであることを知っている人は少ない。ちなみに、豊川稲荷の鳥居の横には寺を表す万字が刻まれている。
- 実は豊川市内の別の場所に、真の豊川稲荷というべき神社がちゃんとある。そちらは寺ではなく本当に神社である。
- 正式名称を円福山豊川閣妙厳寺といい、れっきとした曹洞宗の寺院である。
- 豊川稲荷の観光ボランティアの方々はすばらしい。地元民ながら教えいただいた事が多々あった<(_ _)>
- B-1グランプリで門前のいなり寿司が6位入賞した。
- 今年(2011年)のB-1中日本大会は豊川が会場。
- イチローは正月にここへ来ているらしい。
- しかも決まって1/2。
- 名鉄の駅名が「豊川稲荷駅」 である。
- それに対してJRは「豊川駅」。名鉄の場合は列車の行先表示までが「豊川稲荷」である。
- 豊川稲荷の中には奉納されたのぼり旗がいっぱい。千本のぼりというそうで。
- 伏見稲荷の鳥居といい、ああいうのを集めたがるのか?
- 鹿児島県曽於市と書かれたのぼりがあった。そんなに全国的に著名な場所だっけ。
- そして奥には狐の石像がやまほど。
- 一本二千円の奉納料で名前入り(自筆)のぼりが立てられます。一本奉納すると千日分の功徳に当たるとのことなのでみんなもどんどん
課金奉納しましょう!
- 門前に稲荷寿司のゲテ物を売る店も。パンの替わりに油揚げで具(レタス、みそカツ)を挟んだおきつねバーガーとか、稲荷寿司をひっくり返してみそカツを乗っけたやつとか。
- おきつねバーガーは好みが分かれると思われるが、みそカツ稲荷はうまい。そしてみそカツと稲荷寿司を別々に食べるとさらにうまい。
- 本店も有名だが、東京・赤坂の支店も有名。
笠覆寺[編集 | ソースを編集]
- 略して笠寺。観音を祀っているので笠寺観音。
- 名古屋市内で除夜の鐘を聞いたら、恐らくここが発信源。
日泰寺[編集 | ソースを編集]
- 名古屋市千種区
- シャム(暹羅)の国王より贈られたお釈迦様の遺骨を祭る為に建てられた。当初の名前は「日暹寺(にっしゃじ)」。
- 「日」は日本、「泰」はタイ王国。日本とタイの友好の証ともいえる。
- 在日タイ人は勿論、駐日タイ大使もお参りに来る。
- どの宗派にも属さない超宗派の寺院。住職は各宗派の代表が3年ごとに交代する。
- 覚王山駅から神社までの道が綺麗に整備されていて、これだけでも楽しい人は楽しい。
- この辺りの地名を指す時→覚王山、神社自体を指す時→日泰寺。
桃巌寺[編集 | ソースを編集]
- 名古屋市千種区
- 織田信長の父・信秀の菩提寺。
- ねむり辯天、直径1メートルの巨大な木魚で知られる。
- 名古屋大仏は昭和末期の建立。2006年に全身緑に塗られた。
大聖寺[編集 | ソースを編集]
- 通称犬山成田山
- 鳴尾浜タイガースの選手の父親が坊さんをやっているらしく、ここ10年ほど年始に中日軍の必勝祈願をやってるらしい。
- ちなみに、その坊さんは読売ファン……
- 交通安全祈願の寺ということになっているので、物流関係の参拝者が多い。
- 某元スケート選手も常連らしい。
- 寺なのに柏手を打っている人が妙に多い気がする。
- 境内のマンホールは中央に「成」の字が入ったオリジナルのもの。
大須観音[編集 | ソースを編集]
- 名古屋市中区
- 正式には、北野山真福寺宝生院、という。
- コスプレの聖地となってしまった商店街が参道みたいなもの。
- からくり人形その1、宗春。
- 元々は羽島にあったのだが、鉄道ファンには逆に有名かも。
- このため「尾張四観音」に数えられない。
- やたらと鳩が多い。
- 轟音を立てて一斉に飛び立つ様子はなかなかの迫力。
萬松寺[編集 | ソースを編集]
- 名古屋市中区
- あまりに大須商店街に溶け込みすぎていて、外から見ると何かのネタで設置している鳥居でないのかと思ってしまう。
- そりゃね、ハローキティとかの名古屋土産が目の前にあんなに売られていれば…。
- 万松寺ビルのせいで、かえって位置が分かりにくくなっている気がする。大津通うろうろしないように。
- からくり人形その2、信長。
- こちらのほうが見ていて滑稽。
- 狸オヤジの名古屋城普請(天下普請)の際に加藤清正が本陣を置いた寺でもある…ここは曹洞宗系寺院なんだが加藤清正って法華信者なんだよなぁ…。
興正寺[編集 | ソースを編集]
- 名古屋市昭和区
- 名物、五重の塔。
- 八事の「山」と言われる所以。
- 八事までこれのために路面電車が作られたほど。
- 昔はここから東は何もなかったので、砦代わりに使われていたとのこと。
- ここと名古屋城が秘密の地下道で結ばれている…という都市伝説が戦前にあったらしい。
- 真言宗のお寺だがやたら喧嘩してばかり。
- 墓地のすぐ裏が中京大学に南山大学…。
- なんかもめてるらしい。土地を勝手に売ったとかでクビにされた住職が居座ってるので本山がプレハブを建てた。
圓頓寺[編集 | ソースを編集]
- 名古屋市西区
- 那古野のそれなりに歴史がありそうなお寺。
- 尾張徳川家の徳川光友公から拝受した鬼子母神を祀る。
- どっちかというとお寺そのものより門前町が形を変えて残った円頓寺商店街のほうが有名?
- お祭りのときには、それなりに有名なタレントが来ることもある。加藤晴彦さんとかSKE48さんのような名古屋カラーの濃い人ばっかりではあるが……
定光寺[編集 | ソースを編集]
- 瀬戸市
- 臨済宗妙心寺派の山寺。濃尾国境の山中深くにある。
- 創建は14世紀だったかな。まあ、それなりの歴史があるようである。
- そんな寺であっても、紅葉と桜の名所であるがゆえに、その時期になると、名古屋方面から多くの人がやってくる。
- 源敬公廟(尾張徳川家初代藩主の徳川義直公の墓所)がある。
- そんなお寺ではあるが、尾張徳川家の菩提寺ではない。
- 定光寺駅は瀬戸市でなく庄内川対岸の春日井市にある。
三重[編集 | ソースを編集]
津市の寺院[編集 | ソースを編集]
津観音寺[編集 | ソースを編集]
- 三観音の一つらしい。そんなん初めて聞いた。
- 太平洋戦争で空襲を受けるまでは色んな物が残っていたが……
- 今は復元されたハリボテの五重塔や御本殿が皆様をお出迎え。
- 阿漕浦の漁民が拾い上げたものを祀ったのに始まるとか
- 正式名は慧日山観音寺大宝院。
専修寺[編集 | ソースを編集]
大観音寺[編集 | ソースを編集]
- 高さ33メートルの純金大観音で知られるお寺。
- それ以外にもカエルのオーケストラや、「西国三十三観音」「坂東三十三観音」「秩父三十四観音」を合わせて百観音巡り、マイクを持ったカラオケ観音など、全体的に造形過剰で、B級感にあふれている。
- 設計は黒川紀章氏。先生仕事選んでください・・・。
- 三重テレビのCMで「近鉄榊原温泉口駅前」とアナウンスされているが実際は榊原温泉口駅の裏手に位置する。
- 手前にルーブル彫刻美術館がある。
- 入館料1500円、寺のセット券で2000円とかなり高い。
- 売りは本物から型を取ったミロのヴィーナス。
- 勝手にルーブルの名を使っているわけではなく、ちゃんとルーブル美術館から公認を得ている。地味に結構貴重な展示品もあったりする。
四天王寺[編集 | ソースを編集]
- 聖徳太子が建立したとされる「4つの四天王寺」の一つらしい。
- 尚、大阪の四天王寺の歴史には全国に四天王寺が4つあるという記載はない。
- 境内から奈良時代の瓦が出土しているため1000年以上の歴史がある寺院ではある。
- 尚、大阪の四天王寺の歴史には全国に四天王寺が4つあるという記載はない。
- 大阪の四天王寺とは宗旨は異なるが空襲で伽藍が消失して戦後再建されたという共通点がある。
- 大阪の四天王寺は和宗だがこちらは曹洞宗である。
- 大阪の四天王寺と同じく西国薬師四十九霊場の霊場になっている。
- 織田信長の母・土田御前の墓がある。
鈴鹿市の寺院[編集 | ソースを編集]
子安観音寺[編集 | ソースを編集]
- 正式には観音寺。でも子安観音寺が正式名だと思われている。
- 割りとスルーする人が多いが、仁王門が重文で不断桜が天然記念物。他は文化財的価値はおまへんで。
- 不断桜は散らないというわけではなく、あくまで花が咲く期間が他より長いというだけで、冬場はただの葉が残った樹木。
- この不断桜の葉は伊勢形紙のヒントとなった物らしい。
龍光寺[編集 | ソースを編集]
- 「りゅうこうじ」ではなく「りょうこうじ」と読む。
- 寝釈迦まつり。
- 住職は元・市長。
- 2017年の大晦日に仏様の元へ旅立った。
石薬師寺[編集 | ソースを編集]
- 東海道沿いにある寺院。
- このため、江戸時代には参勤交代でこの地を通る藩主から多くの信仰を集めた。
- ご本尊はその名の通り石に彫った薬師如来像(但し秘仏)。
- 歌川広重の東海道五十三次の石薬師宿に描かれている。
- 現在でもこの一帯の町名は石薬師町となっている。
松阪市の寺院[編集 | ソースを編集]
継松寺[編集 | ソースを編集]
- 岡寺と言った方が通じる。
- 年に3回、松阪駅前が賑わうイベントの一つ「初午大祭」はこのお寺の縁日。
- 初午に厄除けで参拝した際は厄と共に持ち物を一つ置いてゆく。そして帰る際は振り返ってはならない。
- 日本最初の厄除け観音。
飯福田寺[編集 | ソースを編集]
- 伊勢にある役行者所縁の修験場。
- 修験場にしては珍しく古来より女人にも開放されていたのがウリ。
- 寺裏併設の行場は、結構デンジャラス。距離の割に踏破に時間が掛かる。
- 通称・伊勢山上(いせさんじょう)。
朝田寺[編集 | ソースを編集]
- 「ちょうでんじ」と読むが通称の「朝田の地蔵さん」は「あさだ」と読む。
- この寺の周辺地域では宗旨宗派問わず葬儀から地蔵盆までの間、本堂の天井に故人の衣類を掛けて供養する風習がある。
多気町の寺院[編集 | ソースを編集]
神宮寺[編集 | ソースを編集]
- 平安期の鉱山開発のプロ、弘法大師が水銀鉱脈を見つけて掘り出していた地。
- 空海所縁の冷泉がある。冷泉のご利益は知らん。
- 山門が威風堂々としている。
- 本尊の大師像は空海が自分で彫った物とか。芸が細いのう。
- 通称は丹生大師。
近長谷寺[編集 | ソースを編集]
- 「きんちょうこくじ」と読む
- 上記の神宮寺と同じく山号は「丹生山」
- 上記の神宮寺と同じく真言宗山階派
- 奈良及び鎌倉の「長谷寺」とは無関係だがご本尊が十一面観音であるという共通点がある
伊勢市の寺院[編集 | ソースを編集]
金剛證寺[編集 | ソースを編集]
- 志摩半島の最高峰・朝熊山の頂上にある伊勢神宮の鬼門を守る古刹。
- 秘仏のご本尊は式年遷宮の翌年に開帳される
- 伊勢に参らば朝熊も掛けよ、朝熊掛けねば片参り
- 南勢地区では葬儀の後、宗旨宗派を問わずこの寺に参り塔婆を立てる。
松尾観音寺[編集 | ソースを編集]
- 伊勢市
- 日本最古の厄除け観音
その他の寺院[編集 | ソースを編集]
新大仏寺[編集 | ソースを編集]
- 伊賀大仏とやらがあるらしい。快慶作らしいよ。
- 重源上人が開基らしく、大仏も造って華々しくオープンした割には上人の死後すぐに廃寺となったとか。まさしく栄枯盛衰。
- 後に藤堂高虎が寄進して再建したらしいがその間約350年。よくまあ大仏が残っていたもんだわと。