もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/は~わ行
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鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。
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- 日本国外のプロリーグ含め、野球選手として現役を引退している人物限定で。
- 外国人選手はもしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/外国人選手へ。
- 野村克也のとポジション争いで強肩が強みとしていた。
- 大洋移籍後のブレイクなら結果的に名捕手となれたか
- 大宮高校の知名度が上がった。
- 野手から投手にコンバートされた数少ない選手として注目された。
- 投打両方で活躍出来てた場合、大谷翔平より先に二刀流選手が誕生したことになっていた。
- 途中から日本ハムへ移籍することもなかったかもしれない。
- 1990年代の阪神が外国人野手を採っては1年でクビにする、ということはなかった。
- 阪神で「ダメ外人」といえば今でもスタントンやオルセンだった。
- 実際は荒んだチームなので逃げられたのでは。
- 阪神では貴重な1973年生まれの選手となっていた。(イチローや三浦大輔などと同世代)
- 阪神で1973年生まれの選手はいることはいるが有力選手が思いつかない(1968年生や1976年生と比較すればわかる)。
- 1990年代の阪神の成績はもっとましだった。
- ひょっとしたら1992年は優勝、1993~2002年の間にも何度か優勝している。
- 今岡の入団後は彼とともに「W誠」と呼ばれるようになっていた。
- 彼は大阪出身なので、「地元の星だ!」とファンが喜んでいた。
- 出身校の大阪桐蔭も現実以上に強豪化し、90年代後半にはPL学園から覇権を奪っていた。
- 松坂大輔擁する横浜と死闘を繰り広げたのも大阪桐蔭だった。
- 1991年から2008年の間にも何度か優勝していて、その間の大阪勢の低迷もなかった。
- 前田健太はPLではなく大阪桐蔭に進学していたかも。
- 逆にPLの凋落が早まっていたかも。
- 加えて本人も入団前から阪神ファンだったので、地元での人気は絶大だった。
- 出身校の大阪桐蔭も現実以上に強豪化し、90年代後半にはPL学園から覇権を奪っていた。
- 登録名はずっと「萩原誠」だった。
- 結婚の際夫人の婿養子に入ることもなかったかもしれない。
- 「背番号31の重み」「背番号31の呪い」とネタにされることもない。
- 江川氏の背番号を継いだのは伊達じゃないと評された。
- 進む予定だった本田技研としては逃した魚は大きいとされたか。
- 90年代後半の投壊はなかったか。
- PL学園の後輩の入来弟といいコンビとなり、ダイエーに移籍する事はなかったか。
- 間違いなく当時の阪神としては天敵とされていた。
- 黄金期の西武で秋山幸二・平野謙と共に鉄壁外野陣を形成していた。
- 闇カジノで多額の借金を抱えることもなかっただろう。
- 場合によっては、羽生善治や羽生結弦との対談も実現していた?
- 元祖レーザービームとして現実以上に有名となっていた。
あえて本名で
- 巨人から移籍後の大洋で大活躍することになるので、「馬場=大洋」という図式になっていた。
- 1962年にも大洋がリーグ優勝したかもしれない(史実では阪神が優勝し大洋は2位)。
- その後の日本プロレス史が現実とかなり異なっていた。
- BI砲や全日も誕生しない。
- 力道山の死とともに、プロレスはマイナースポーツになっていた。
- 引退後にタレント活動する際も、本名を名乗っていた。
- あるいは、ジャイアンツ馬場。
- 上の例で考えれば「ホエールズ馬場」だよなあ・・・。
- または野球指導者の道を歩んでいた。
- どこかで監督に就任する機会もあったかもしれない。
- 地元の新潟アルビレックスBCの初代監督を務めていた可能性も。
- またはベイスターズ関連で、TBS専属の野球解説者になっていた。
- あるいは、ジャイアンツ馬場。
- 60過ぎて現役というのは有り得ないので、癌を早期に発見できていた可能性も。
- 結果、80歳を過ぎても健在だと思われる。
- 当然、証券会社の社長になどなっていない。
- 妻であった黒木真由美はもっと有名になっていた。
- そもそも離婚しなかったかも。
- 阿部慎之助の指名はなかったか。
- 背番号昇格があったら村田真一のあとの9か、史実で阿部が背負っていた10。
- 引退後は母校(東海大相模)の監督には就任せずに巨人でコーチを務めていたかも。
- 仰木監督の引退勧告を糧にして主にDHや代打の切り札として活躍。95-96年連覇のシーズンも活躍。震災後の神戸を明るく励ましている。
- イチローとパンチのコンビが長く続いている。
- タレント転身はしていない。
- したとしても史実よりだいぶ遅れていた。
- タレント転身はしていない。
- 「下痢するまで飲みたいです。」は史実以上の名言(迷言?)となっていた。
- 仰木チルドレンとして営業していた。
- 60〜70年代の中日の大ストッパーとして長くに渡り君臨していた。
- 「権藤、権藤、雨、板東、雨、雨、権藤、雨、板東」という流行語になっていた。
- 現実の第一次星野監督時代の時期に中日の監督に就任していた。
- 長嶋茂雄や王貞治率いる巨人軍の強力なライバルとなっていた。
- タレントなんてやってなかったかも・・・
- 「燃えよドラゴンズ!」は山本正之自ら歌っており、第1作の歌詞には「板東」が登場した。
- 現役時代から事業に手を出していたために思うような活躍ができなかったので、現実以上の活躍なら副業などもやっていないはず。
- 島田紳助も彼から手解きを受けていないので、同様に副業はしていなかった。
- 副業をしていなかったら、紳助は2011年8月に黒い交際が発覚した時には芸能界を引退せず再び「謹慎」となっていた。
- 島田紳助も彼から手解きを受けていないので、同様に副業はしていなかった。
- ゆで卵協会の名誉会長就任。
- 「マジカル頭脳パワー!!」で所ジョージが「司会が下手で進行が悪い、野球バカだったのでただのバカになった」と答えることはなかった。
- 石井琢朗(旧名:忠徳)は野手に転向せず、投手のままだった。
- 少なくとも「ファミスタ」シリーズに未登場のまま現役引退なんてことにはならなかっただろう。
- 当時のファミスタは実名じゃなかったため、ナムコスターズに「ぴの」がいるせいで彼が出せなかったという噂もあったらしい。
- 中日への移籍もなく、中継ぎ転向もなかったかもしれない。
- もし中日に移籍して守護神になっていた場合、岩瀬仁紀は抑えに転向しなかったか遅れていた。
- 中日に移籍していたとしても、トレードではなくFA移籍だっただろう。
- 岩瀬仁紀は通算400セーブを達成できていなかった。
- その場合、岩瀬仁紀に代わって中日の落合政権の守護神として活躍し、名球会入りしてオリックス時代も合わせて通算500セーブを達成できていた。
- 山﨑武司の移籍先が異なっていた。
- もし中日に移籍して守護神になっていた場合、岩瀬仁紀は抑えに転向しなかったか遅れていた。
- おそらく100勝100セーブは達成していた。
- オリックスの33はエースナンバーか守護神ナンバーになってた。
- 少なくともオリックスは2000年以降も優勝できていた。
- 2008年か2014年にチー厶のリーグ優勝に貢献し、引退も1~2年遅れていた。
- 平野佳寿は抑えに転向せず、中継ぎのままだった。
- 前田幸長の人的補償にならなかったか。
- イケメン選手として史実以上に人気が出たか。
- ヤクルトやオリックスに移籍することはなく、ホークス一筋で現役を終えていた。
- 「メモリアルアーチ男」の異名が更に有名になっていた?
- 1988年は近鉄が優勝していた。
- 翌年も現役を続行。
- 近鉄の監督に就任していた。
- 娘・吹石一恵の印象は薄かった。
- 福山雅治とも結婚をしてなかった。
- 一般の人と結婚していた。
- 彼女自身現実ほどブレイクしていたか怪しい。
- 福山雅治とも結婚をしてなかった。
- FULL JUMPがネタにされなかった。
- 広島移籍、芸人転向はなかった。
- 「年俸1000円」の誤植もなかった。
- 清水のつけていた35に改め、それが出世番号となり、また、ミセリの背番号も違っていたか。
- 中日の強打者として80年代後半~90年代の強竜打線の一角をなしていた。
- 80年代後半の落合もしくはゲーリーの獲得はなかった。
- 山崎と共に「地元の星」としてファンに応援されていた。
- 引退後暴行事件を起こした際史実以上に大バッシングを受けてた。
- そもそも事件を起こさなかったかもしれない。
- 背番号1が藤王のものとして固定された場合、後の福留孝介の背番号も史実と変わっていた。
- もちろん矢場とんブースターズの監督にならなかった。
- タクシー運転手への転職はなかった。
- 上手くいけば日本ハム初の三冠王になってたかもしれない。
- ナイジェル・ウィルソンやDTクローマーを獲得しなかったかもしれない。
- 「ジャイアン」というあだ名もあるため、登場曲にジャイアンの歌が使われたかもしれない。
- 同じく「ジャイアン」というあだ名の山崎武司とのジャイアン対決が見られた。
- たてかべ和也や木村昴とのジャイアン対談も行われたかもしれない。
- 盗塁王を皮切りに仁志以来の巨人で計算できる二塁手となれていた。
- 片岡易之は巨人に移籍せず脇谷亮太のFAによる巨人復帰も無かった。
- 切り込み隊長として貢献できていたか。
- 現役を長く続けていれば「球界初の平成生まれのコーチ」にはなっていなかった。
- 背番号18のはく奪はなかった。
- 初勝利を挙げ、その後も勝ち星を量産しエースに成長していた。
- 阪神は2010年代に一回は優勝出来ていた。
- ロケットボーイズの3人目として、2009年現在も活躍している。
- 林昌勇はヤクルトに入団できず、中日かロッテでプレーしていた。
もし、ちゃんと、守備ができるほど活躍していたら・・・
- ライバルの村田修一と史実以上に激しくデッドヒートしていた。
- 2005年、小池正晃との定位置争いに敗れることはなかった。
- 2007年にトレードでオリックスに行くことはなかった。
- オリックスを戦力外になった後、格闘家になることもなかった。
- つまり、≒もし「古木あーっと事件」がなかったら と言える。
- 松坂退団後に開幕投手も任されたか。
- 左腕エースの呼び声は史実以上に高かったか。
- ホークスへのFA移籍は史実通りか。
- 彼のお陰でパームボールを投げる投手は史実より増えていた。
- 阪神のタフネスな中継ぎとして活躍。
- 大学の後輩の脇谷と巨人戦で対決していただろう。
- 1996年のドラフトは阪神にとって実史以上に大成功のドラフトとなっていた。
- DeNAになっても正捕手として活躍。
- ソフトバンクとの育成選手契約、トヨタ自動車野球部には所属していなかった。
- 嶺井、戸柱のブレイクは遅れていた。
- 大幅減俸による「松屋、吉野家で節約するしかないかも」という発言はなかった。
- (大学時代にバッテリーを組んでいた)斎藤佑樹か大石達也がDeNAに移籍していたかも。
- 寧ろ、須田幸太との同級生バッテリーを売りにしていた。
- オリックスから伊藤光を獲得することはなかった。
- 30歳前後でプチブレイクした際この歳での若手扱いが疑問視しされることはなかった。
- 中日の右の主砲として活躍した。
- タイロン・ウッズの獲得に乗り出していない。
- 5chの野球板で「幕田カイコスターズ」スレが立つ事は無かった。
- 勝率10割を記録した投手として史実以上に認知されていた。
- 仮に日本ハムへトレードされず、同じ年に横浜大洋でこの記録を達成していれば1981年の横浜大洋の成績はもう少しマシだった。少なくとも土井監督の辞任はなかった。
- その代わり同年の日本ハムは優勝できなかった。
- 2013年に田中将大が24勝0敗を記録した際に、現実以上に彼(間柴氏)が引き合いに出されていた。
- 仮に日本ハムへトレードされず、同じ年に横浜大洋でこの記録を達成していれば1981年の横浜大洋の成績はもう少しマシだった。少なくとも土井監督の辞任はなかった。
- 150勝か200勝も達成できたかもしれない。
- メジャーからスカウトも来ただろう。
- ダイエーに放出されることもなかった。
- 大洋に残留していた場合、平松政次や遠藤一彦、斉藤明夫と共に投手陣を支えていた。
- 巨人は大久保博元を獲得することはなかった。
- 阿部慎之助のブレイクは遅れていた。
- 『かっとばせ!キヨハラくん』→『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』にも、最低1話は登場していた。
- 西武の外野守備の要として活躍。
- ファンからは「松坂2号」か「野手の松坂」か「濁らない方の松坂」で呼ばれていた。
- 栗山巧は史実より早く指名打者に転向していた。
- 西武は秋山翔吾をドラフトで指名することはなかったか、入団してもレギュラーを獲得できずくすぶったままだったかも。
- 61番への変更はなかった。
- 梶谷隆幸や荒波翔のブレイクが遅れていたかもしれない。
- 筒香嘉智はサードのまま中軸になっていたかも。
- 弓岡敬二郎氏とともに「東洋大姫路コンビ」として注目されていた。
- オリックスでも活躍していたかもしれない。
- 日系ブラジル人ですが、現在は帰化して日本人になってるのでここに記載します。
- WBCで4番を務めたことが史実以上に注目された。
- ブラジルからプロ入りする選手も増えていた。
- ブラジル野球殿堂も設立されたのかもしれない。
- 社会人野球のトヨタ自動車に所属することはなかった。
- 2003年・05年の優勝に貢献していた。
- 「虎のモノマネ王」といえば現実以上に今成亮太ではなく彼のことだった。
- 今成は「的場二世」と呼ばれてたりして。
- ムードメーカーとして普段からチームを盛り上げていた。
- 野手転向はなく、リリーフの人材での迷走はなかった。
- 同期入団の松本正志氏と共に活躍していたら、「MMコンビ」がさらに注目されていた。
- 村田兆治の後継者になっていた。
- その場合、村田は82年頃、トレードされていたかも?
- 西武移籍、競輪転向はなかった。
- 仁志退団後の正二塁手に定着していた。
- 少なくとも、犯罪に手を染めることはなかっただろう。
- ポスト内海哲也の名を不動のものとしていた。
- 交流戦でオリックス移籍後の清原との対決が実現していた。
- さすがにこの番組に出ておバカがばれることはなかった。
- タレント転向自体遅れていた。
- コーチ就任のオファーが早まっていた。
- モリモリ!バンチョー!キヨハラくんでの出番がもう少し多かった。
- 2000年代までは中日の抑えかセットアッパーとして活躍。
- 中山裕章が中日に入団することは無かった。
- オランダリーグには行くことはなく、逆にメジャー挑戦していたか。
- 40歳くらいまで現役で投げていた。
- 現役引退後に日ハムの監督に就任していた。
- 大沢親分以上に強面の監督として知られていた。
- 俳優に転職はしていない。
- 悪役商会は誕生していない。
- 青汁は全国に普及していなかった。
- テレビのバラエティの罰ゲームで青汁が登場することもなかった。
- 中継ぎだと武田久や宮西尚生のブレイクが遅れていたかもしれない。
- 交流戦などで矢野謙二との矢野対決が見れた。
- 日本ハム加入後に矢野コンビが結成された。
- 背番号4への変更もなかったか。
- 朝日生命野球部廃部はなかったか遅れていた。
- 史実通りメジャー挑戦しても史実以上の成績だったか。
- 阪神に残留した場合、同い年の下柳剛とのWベテランエースとして定着していた。
- 阪神の暗黒時代がもう少しマシになっていた。
- 2003年や2005年の優勝にも大きく貢献していた。
- 球界を代表する速球王として称されていた。
- 危険球退場した投手として皮肉られることもなかった。
- 100セーブ100ホールドを達成できたかもしれない。
- メジャー移籍は実現していたか。
- 1978年のケガがなかったら、3~6年までプレーしていた。
- リリーフとして、活躍していた。
- 100セーブを超えていた可能性がある。
- 1978年、1984年の日本シリーズでは確実に日本一になっていた。
- コーチの就任は史実より遅れていた。
- 足立光宏が投手コーチを務めていた期間が史実より長くなっていた。
- 阪神のコーチに就任したのは史実通り。
- (前年のドラフト会議で指名した)江川卓氏が入団していれば、酷使されることはなかったので、史実より長くプレーできたかもしれない。
- ソフトバンクの正捕手として活躍していた。
- 甲斐拓哉は野手転向していた。
- 甲斐キャノンではなく山下キャノンになっていた。
- 楽天へのトレード、中日への移籍はなかった。
- もちろん引退後に逮捕されることはなかった。
- 柳田に「お前まだ野球やってるの」とイジられることもなかった。
- 息子の裕貴の芸能界入りが大きな話題を呼んだ。
- 海賊戦隊ゴーカイジャーやなつぞらへのゲスト出演の話が出てきたかもしれない。
- 両者が親子であることが現実以上に知られていた。
- 同じ俳優の息子がいる工藤公康との対談が行われた。
- 郭源治や桑田真澄、吹石徳一も忘れずに。
- 倉持明も。
- 郭源治や桑田真澄、吹石徳一も忘れずに。
- 2025年8月にがんで亡くなった時は現実以上に惜しむ声が聞かれた。
- あるいは亡くなることはなかったかもしれない。
- 古田敦也・池山隆寛・山本昌などと黄金世代の1人を形成していたかもしれない。
- 山本昌広、今中慎二と共に、90年代の中日で左腕三本柱を形成していた。
- 登録名を「キク山田」にすることはなかった。
- 「ジャンプ放送局」で、「トップ2に比べて実力が大きく落ちる三番手」という意味でネタにされることもなかった。
- 2019年に東邦高校が(彼がエースの時以来の)優勝を果たした時の扱いは息子より大きかった。
- 木村拓也とのトレード相手が変わっていた。
- 妻の林絵梨子の知名度も高くなっており芸能界に復帰したか。
- 斉藤和巳はダイエーではブレイクできず、他球団にトレードされていた。
- おそらく投手力の弱い横浜やオリックスあたりに。
- 支配下選手契約にこぎ着いて父親(功児)の現役時代と同じ背番号「44」を着ける事は出来ていた。
- もしかしたら父親の存命中に一軍で活躍する姿を見せる事が出来ていた。
- 一軍に定着できていた場合2017年オフに中川大志を獲得する事は無かった。
- 中川の引退は史実より2年早まり楽天のスカウト、或いは母校(桜丘高)で指導者になっていた。
- 前者なら彼が担当した池谷蒼大と髙田琢登は楽天から指名され、後者なら桜丘高は2019年に甲子園初出場を果たしていたかも。
- 中川の引退は史実より2年早まり楽天のスカウト、或いは母校(桜丘高)で指導者になっていた。
- 「都立の星」と嘱望され、公立校の底上げに繋がった。
- 阿部慎之助を脅かす存在となり、コンバートが早まった。
- プロ入り当初から野手で勝負していたら、中村ノリ以上の打者になっていた。
- ただし巨人で育ったかは疑問。最初から近鉄なら十分可能。
- 大阪ドーム時代特に2001年の近鉄いてまえ打線はもっとえげつなかった。
- 2001年に近鉄が日本一になれていたかも。
- 1994年のパリーグは近鉄が制していた。
- 帝京OBの顔となり、帝京の落日はなかった。
- とんねるずの年末のスポーツ特番にもっと出演している。
- 一塁コンバートを受け入れればあった。
- あるいは城島健司のブレイクが遅れた。
- 巨人移籍後ならペタジーニ獲得に慎重となった、清原を早くの放出も。
- 巨人移籍後捕手にこだわれば阿部のブレイクは遅れた。
- 引退が遅れれば遅れるほど、同期入団の大道典嘉や吉田豊彦と共に南海ホークス生き残り戦士として注目されていた。
- 2007年以降も巨人に在籍していれば、ホークスの同期だった大道典嘉と再びチームメイトとなっていた。
- 「メガネをかけた捕手」で連想される1人として現実以上に知名度も上がっていた。
- 初本塁打はもっと早かった。
- 三番か五番を任されてたかもしれない。
- ヤクルトへの移籍はなかった。
- FAで西武か阪神に移籍していたかもしれない。
- 阪神の場合かつて同姓同名選手がいたことで話題にされていた。
- FAで西武か阪神に移籍していたかもしれない。
- サードだと松田宣博のブレイクが遅れていたかもしれない。
- フリオ・ズレータを獲得しなかったかもしれない。
- 2000年代まで中日の抑えを務めていた。
- そして中日で現役を全うした。
- 毎年佐々木主浩や高津臣吾と最優秀救援争いを繰り広げていた。
- 通算セーブ数で佐々木・高津を上回っていたかも。
- 佐々木・高津同様メジャー入りもあったかも。
- 宣銅烈が中日に入団することは無かった。
- 岩瀬仁紀も当面は中継ぎのままだった。
- ギャラードは佐々木に代わる抑えとして横浜に入団していた。
- 史実より早く監督のオファーがあった可能性も。
- 同級生の内海哲也とのバッテリーで長く活躍した。
- 二番手捕手となっていた。
- 北京五輪の阿部離脱時には正捕手となっていた。
- 西武ライオンズを代表する右腕エースとしてチームに貢献していた。
- 2000年代のパ・リーグの優勝も西武の独占だった。
- でも右ヒジに爆弾を抱えていたから120勝くらいで引退を表明していたかもしれない。
- 衰えが見えていた渡辺久信にかわって、「西武の渡辺=渡辺智男」になっていた。
- ダイエーへのトレードも別の投手になっていた。
- 史実通りだったら、ダイエーの連続Bクラス脱出とリーグ優勝が少し早まった。
- 工藤を追って巨人に移籍したかもしれない。
- 「甲子園の優勝投手は大成できない」のジンクスを打ち破っていた。
- 正しくは「甲子園の初出場初優勝投手は大成できない」のジンクスだと思われ。
- そして現在西武の監督をしているのもこの人。
- ソフトバンクの監督をする可能性も十分ある。
- プロ入り後も桑田のライバルのイメージを保てていた。
- 投手として成功なら野手転向はなかった。
- 当然のことながら一軍デビューはもっと前であった。
| もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら |
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| あ~こ/さ~の/は~わ |