もし新京阪線が戦後京阪に帰属していたら
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| いばらきし | ||
| ● | 茨木市 | ● |
| 南茨木 Minami-ibaraki |
Ibarakishi | 総持寺 Sojiji |
- 北浜から高槻市経由で四条河原町までの二階建て特急が120km/h運転。
- 京阪本線は急行主体のダイヤとなる。
- 河原町-三条間が開通。
- むしろ四条では?
- たぶん、三条は地権の問題で京都市電に没収されるはず・・・。と言うことで、叡山電車が廃線かな?
- むしろ四条では?
- 枚方市-高槻市間も開通。
- 交野線は私市から生駒まで延伸され、高槻市-生駒で直通運転が行われていた。。
- 淡路-十三間は廃止
- それはない。
- 阪急への連絡線としてしか意味がなくなるため、東海道新幹線開業に合わせて新大阪経由に付け替えられる。
- 千里線が十三〜北千里を運行したんじゃない?
- いや、千里線も京阪のものだったと思うので、普通に天六がターミナルだったと思うぞ。ただ大阪/梅田駅周辺に京阪梅田駅を作った場合はこの限りではないと思うが。
- 千里線も京阪に返したか阪急に残ったかによって結果が変わるだろう。前者だった場合十三~淡路は支線になっていた。後者の場合淡路駅は早い時期に丹波橋駅のように京阪と阪急で分離されダイヤ上のネックはなくなっていた。
- 後者の場合、千里線には神宝線と共通の車両が入っていた。
- HEPファイブの場所に京阪梅田駅ができ、新京阪線のターミナルとなっている。
- 茨木市民・高槻市民も「おけいはん」と呼ばれる。
- 天神橋-梅田と森小路-桜ノ宮-梅田の路線が出来、京阪梅田駅は京都線が来なかった阪急梅田駅と同規模にはなる。
- 大阪市高速電気軌道谷町線の東梅田以北は京阪梅田線とルートが被ることから建設されなかった可能性が高い。
- 阪神大阪梅田駅の改良工事に合わせてそのいずれかが同駅に乗り入れるようになり、梅田経由で阪神と直通していたかも。
- 特急にテレビカーが連結される。が、その後ロングシート特急が多数走るようになる。
- テレビカーは生まれなかった可能性が強い。因みにテレビカーが出来た経緯は、新京阪線を阪急に盗られてスピードでは歯が立たなくなり、サービス向上で誘客するしかなかったから。
- 21世紀に入るとこちらにもプレミアムカーが連結されていた。
- 京阪中之島線が西九条まで延びていたかも。
- 中之島線自体が作られず、天満橋から先、堺筋線に乗り入れていたかも
- 新京阪線-堺筋線、北大阪急行(京阪系)-御堂筋線と、京阪と大阪市営地下鉄の乗り入れが出来ているので、中之島線は大阪市営地下鉄の路線として建設され、そこに京阪が乗り入れる形で中之島に進出。
- あるいは淀屋橋延伸線の開通が現実よりも遅く(1980年代以降かも)、淀屋橋から中之島を経て九条・西九条まで延伸されていた。その場合淀屋橋駅は御堂筋線と四つ橋線をくぐる位置に設置されていた。
- 神宝線までが京阪にのっとられるハメに。
- そして名古屋への新線が開通し、近鉄を上回る日本最大の私鉄に成長する。
- 名古屋急行の計画が頓挫したのは戦前で、しかも近鉄が出来たところに戦後わざわざ参入するとは思えませんが。
- 戦後の高度成長期に計画が再燃し、人口が急増した滋賀県から京都・大阪への通勤路線としての役割も担うことになる。
- 新快速との対決が史実以上になり、その影響で滋賀県はあと10万人くらい多かった。
- 近鉄の京伊特急がこっちを通るようになっていたかも。
- というか近鉄の京伊特急自体がなかった。
- 戦後の高度成長期に計画が再燃し、人口が急増した滋賀県から京都・大阪への通勤路線としての役割も担うことになる。
- 赤字で首が回らなくなった国鉄から片町線を押し売りされた。
- 片町線の貨物線も押し売りされる上に柳ヶ瀬線も半ば強引にかいとりさせられた。
- 交野線の私市~生駒間が戦後になって開通していた。場合によっては信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒・田原本線)が近鉄ではなく京阪の路線になっていた。
- 奈良電も近鉄ではなく京阪と合併していたかも。
- 枚方市以北も高槻市まで延伸され、新京阪線との接続も果たしていた。
- 生駒線が京阪の路線になった場合、東信貴鋼索線は廃止されなかった。
- 田原台は京阪によって史実より早く開発されていたほか、生駒市内でも京阪が開発したニュータウンが存在していた。
- 名古屋急行の計画が頓挫したのは戦前で、しかも近鉄が出来たところに戦後わざわざ参入するとは思えませんが。
- 堺筋線も京阪と直通するために、2階建て車が直通できる規格になっていた。
- 阪急阪神京阪ホールディングスが立ち上げられる。
- もし京阪が阪急阪神ホールディングスに参入したら
- あるいは阪神の経営統合の相手は阪急ではなく京阪となっていた。
- この場合阪神タイガースと阪急の関係はできなかったため、関西テレビによる阪神戦中継の回数は減っていた。
- 十三-梅田間は神宝線のみとなっていたことから、十三は歓楽街にはならなかった。
- 阪急神戸線の特急や宝塚線の急行は十三を通過。
- 急行は停まっていただろうが、神戸線特急や平日ラッシュ時などには石橋〜梅田ノンストップがあるため梅田での折り返し乗車が通年有効になる。
- 逆に淡路駅には特急がもっと昔から停車していた。京阪梅田駅ができた後も天神橋駅は急行は停車する。
- 淡路駅は1969年の堺筋線開業と同時期に2階建ての高架駅となっていた。
- 淡路や天神橋駅の周辺はもっと発展している。
- おおさか東線の建設も史実より早まり、直通快速もJR淡路に停車していた。
- 神戸・宝塚両線は梅田乗り換えが主流となる。
- なにわ淀川花火大会は行われなかった。
- ここよりも上流で開催されていた水都祭やくらわんか花火大会が今でも行われているかも。
- 天神橋筋商店街か千林商店街が主催していたかもしれない。
- 阪急神戸線の特急や宝塚線の急行は十三を通過。
- 阪急電鉄は正雀に工場を新設しなかった。
- 工場は今も西宮にある。
- 正雀には京阪の工場が設置され、新京阪線だけではなく京阪線の車両の検査も担当していた。
- 北大阪急行電鉄は阪急ではなく京阪グループとなっていた。
- 同社の8000系「ポールスター」は川崎重工業製となり、京阪6000系と似たスタイルになっていた。
- あるいは大阪市営地下鉄のまま千里まで延伸していた。
- 大阪モノレールも京阪グループになっている。
- 吹田市以東の阪急バスのエリアは京阪バスのエリアになっていた。
- 千里ニュータウンも阪急バスではなく京阪バスが運行されていた。
- 京阪線は昭和40年代前半に1500Vへの昇圧を果たしていた。
- 洛西ニュータウンの開発はくずは同様に京阪電鉄主導で行われる。手狭な桂駅に変わって物集女駅が早期からターミナルとして開発される。
- 物集女駅前には「もづめモール」が作られる。
- 逆に桂駅や洛西中央の重要性は低下していた。
- 千里ニュータウンや千里中央でも阪急ではなく京阪が開発を主導していた。千里中央駅前には阪急百貨店ではなく京阪百貨店が開店している。
- 但し千里線が京阪に帰属した場合に限る。阪急に帰属した場合は現実通り。
- 阪急は懲りずに能勢電を傘下にいれて能勢線にし、能勢線を亀岡→馬堀まで延長。さらに、山陰本線を新線に付け替えたのを機に山陰本線旧線を譲り受けて嵐山に進出後、京福電鉄を傘下に入れ、阪急線だけの京都進出を実現させる。
- いや無理、史実に能勢電を傘下に入れたのは1960年、京福電鉄も1960年に京阪傘下になった為無理。
- 阪急の力が現実より弱かったため、能勢電は西武系列になっていた可能性もある。
- 天六阪急ビルは解体されなかった。
- 京とれいんと洛楽のどちらかが存在しなかった。
- むしろ新京阪線でもプレミアムカーが設定されていた。
- 定期券による京阪間の選択乗車が今でも通用していた。
- つまり、河原町⇔天神橋筋六丁目 or 梅☒の定期で祇園四条⇔淀屋橋でも乗れる。
- 高槻西武は阪急百貨店ではなく京阪百貨店に引き継がれていた。
- 桜井ノ駅駅(現水無瀬駅)は改称されなかったか?
- 千里線の南千里から阪急箕面線桜井駅への延伸構想が出ることはなかった。
- 当初から山田を経て北千里に向かう構想だった。
- 戦後は間違いなく京阪と阪急の立場が逆転していた。
- 関西を代表する大手私鉄と言えば近鉄と京阪だった。
- 関西住みたい街ランキング上位に京阪の駅が史実以上に名を連ねていた。
- 嵐山線は10000系or13000系の4両ワンマン運転。そうなる前は2600系0番台が充当されていた。
- 2020年代に入っても行楽シーズンの直通運転は継続されている。
- 新京阪線の梅田~茨木市or高槻市間が戦後の高度成長期に複々線化されていた。
- それと同時に駅も増えていた。
- 阪急の沿線情報誌「TOKK」は「TOK」になっていた。
- 正月3が日には特別ダイヤが設定されていた。
- 大晦日→元日の終夜運転もコロナ禍で1度中止されるものの、その後再開していた。
- 2021年以降京阪本線と同様減便ダイヤに踏み切っていたかも。
- あるいは梅田に乗り入れていたことから京阪の状況は現実よりは良く、減便ダイヤもなかったかもしれない。
- 2025年の大阪・関西万博の期間中は大阪メトロ堺筋線直通の臨時特急が運転されていた。
- 堺筋本町駅で会場アクセスとなる中央線と乗り換えができるため。
- 京阪自身もこのルートに力を入れていただろう。
- 2025年10月にはこちらも運賃値上げが行われていた。それにより梅田~河原町が490円に。