もしあの地域が日本領だったら
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独立項目[編集 | ソースを編集]
ハワイ[編集 | ソースを編集]
- 日本領が広すぎる…。
- さすがに領土問題になっていただろう。
- そもそもアメリカが取っていなければそんな事にはならない。
- 飛行機の日本~ハワイ運行が増える。
- 東京都の領土?
- さすがに「布哇県」だろう。
- 県庁所在地は羅吠那(らはいな)市。
- さすがに「布哇県」だろう。
- 富士山は日本一の高い山では無くなる。
- 台湾の時などと同様、本土一で収められる。
- かつてハワイにあった鉄道は第三セクターとして開業していたかもしれない。
- 「JR布哇」じゃないの?
- 史実通りの経過では日本が領有できるような要素は見当たらない。
- ハワイは19世紀初めからイギリス、アメリカ、ロシア、フランスなどによる介入を受けていた。
- ハワイ王国は日本が滅ぼしたということに。
- 展開次第ではハワイ側から日本に編入を求める可能性もありそう。
- どちらに転ぶかはさておき太平洋戦争序盤の展開にも影響があったはず。
- 吉良恵亜山(キラウェア山)のせいで桜島の影が薄くなる。
フィリピン[編集 | ソースを編集]
- 米西戦争は勃発しなかった。
- むしろ日西戦争が勃発していた。
- 桂・タフト協定が全く違う内容になっていた。
- おそらくサンフランシスコ講和条約で台湾や南洋庁ともども所有権を放棄することになった。
- 現在まで日本領の場合、中国との領土問題に南沙諸島が追加されていた。
- 日本が先占した際、南沙諸島はフィリピンの管轄になっていたと思うので、中国・台湾の大義名分がなくなる。但しフランス時代に先占したと主張するベトナムとは対立していたかも。
- 現在まで日本領の場合、中国との領土問題に南沙諸島が追加されていた。
- 支配できるのはせいぜいルソン島周辺くらい。
- スペインが領有権を確立した後はまず支配できないであろう。
- となると、豊臣時代に朝鮮ではなくフィリピンに侵攻していたら可能性はあった・・・?
- 本能寺の変の時点で既にフィリピン-メキシコ-スペイン本国のよく儲かる交易ルートが出来上がっていたので意地でも手放さなかったのでは。
- 当然台湾も日本領のまま。
- この場合、スペイン領東インドとして、現在のグアム・サイパンも含んでいたかも。
- 島内の鉄道もマシだった。
- 車両は内地のお古ではなく完全な新車が導入される。
- 南部まで支配できていた場合は日本人とイスラムの出会いが早まっていた。
- 日本人のムスリムも17世紀までには誕生していた。
- 県の数は30前後。
- 馬尼刺は東京大阪名古屋に並ぶ重要都市。旧帝国大学も設立されていた。
- 史実のフィリピン大が馬尼刺帝国大になり、戦後は地帝扱いされていた。
- 聖トマス大やアテネオ・デ・マニラ大は早慶的位置付け。
台湾[編集 | ソースを編集]
- オランダが支配する1624年以前に大規模な入植などを行っていれば考えられた。
- 例えば島津が琉球から台湾方面へと攻め入り保護領にしたとか、秀吉が台湾から大陸進出を試みようと台湾出兵を行ったとかなら…。
- 有馬晴信の台湾偵察・村山等安の台湾出兵が成功していた。
- 最初は九州の大名が開発に噛んでいた。
- しばらくして日本と明の係争地になる。
- この時点で両国に従っている琉球に預けられたかもしれない。
- この場合19世紀に調所広郷あたりが交易拠点としての開発を進言しそう。
- もしくは早い時期に幕府直轄領とされていた。
- 対オランダ・中国の貿易拠点が長崎から移されていた。
- 「高砂国」という律令国が設置されていた。
- 現在は3県くらいに分割されている。
- もしかすると「台湾」ではなく「高砂」という島名だったかもしれない。
- 流石に複数国設置されているだろう。
- たとえば高砂・新高・嘉前・嘉後・葛羽・美麗・宝児と7つの律令国が設置されていたなどと。
- 高砂/たかさ…台東・花蓮から
- 新高/にいたか…苗栗・台中・南投から
- 嘉前/かぜん…彰化・雲林・嘉義・台南から
- 嘉後/かご…高雄・屏東から
- 葛羽/かつば…宜蘭から
- 美麗/みれい…基隆・台北・新北・桃園・新竹から
- 宝児/ほうご…澎湖から
- 以上のようになったかもしれない
- たとえば高砂・新高・嘉前・嘉後・葛羽・美麗・宝児と7つの律令国が設置されていたなどと。
- 19世紀始めから西洋列強にしばしば狙われた。
- 日本の海防意識はもっと早く高まっていた。
- 場合によっては維新が早まっていたかもしれない。
- 結果として世界史が大きく変わる可能性さえあった。
- 最大の都市は「桂覧」(史実の基隆)。
- 台湾が「日本列島」の一部と考えられていた。
- 戦前の外地を失わなかった場合同様金門・馬祖は中華人民共和国の手に落ち、中華民国は消滅していた。
- 海南島か雲南の山奥に逃げ遂せた可能性も。あるいは香港。
- 海南島は山奥に共産ゲリラが潜んでいたらしいので雲南・ビルマ方面の方がありそう。
- 日本領であるところの台湾にも亡命者が多くやってくる。
- 場合によっては、日本領台湾に「中華民国亡命政府」ができただけかも。
- 海南島か雲南の山奥に逃げ遂せた可能性も。あるいは香港。
- 当然日本最高峰はここにある(史実の新高山)。
- 江戸時代から日本領なら「高砂山」として知られていたかもしれない。
- 沖縄同様、度々中国がいちゃもんをつけてきた。
- 台湾高速鉄道は基本計画線に組み込まれていた。
- 台湾西部を縦断する道路が鹿児島~沖縄を縦断する道路とともに国道に指定されていた。
- 史実の国道58号を含め国道3号に指定されていたかもしれない。
- 流石に長すぎるから鹿児島~那覇~桂覧~高雄が国道4号に指定されていただろう。
- 史実の国道58号を含め国道3号に指定されていたかもしれない。
- 台湾西部を縦断する道路が鹿児島~沖縄を縦断する道路とともに国道に指定されていた。
- 場合によっては沖縄ではなく台湾が米軍に占領統治されていた。
- 台北大(現在の台湾国立大)が九州大と競っていた。
- 陽明大は熊本大と競っていた。特に医学部。
- 「台清交成」のうち清華大と交通大がなかった。
- 台湾人というのはいわば九州人や東北人のような地域区分を指していた。
ウェーク島[編集 | ソースを編集]
- 日本名は確実に「○○鳥島」。
- 史実の戦中では「大鳥島」と呼ばれていたらしい。
- 敗戦前には日本海軍の拠点でもあった。
- 太平洋戦争後期には激戦地になっていた。
- 艦これにもそれっぽい海域が登場していた。
- 講和の際に南洋諸島に組み込まれかけるが何とか阻止。
- それでも1968年まではアメリカに占領される。
- 現在は南鳥島とあまり変わらない雰囲気。
- 日本最南端・最東端の2冠になるので知名度自体は比較的高い。
- かつて太平洋横断路線の航空機が途中寄港していた頃には土産物店や日本料理店を営む若干の日本人が居住していた。
南沙諸島[編集 | ソースを編集]
- 日本では「新南群島」と呼ばれている。
- 現在は外国に不法占拠されている・・・。
- それも中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、イギリス、アメリカ、フランスなどから。
- 歴史的経緯を考えると欧米列強とアジアの国が同じ領土をめぐり対立というのは非現実的な気がする。
- それも中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、イギリス、アメリカ、フランスなどから。
- 今なお日本が領有権を主張できている理由は「サンフランシスコ講和条約で言及するのを忘れていたから」。
- 尖閣と同じように領有権問題が浮上したのは資源が出ると分かってから。
- 台湾が日本領のままじゃないとかなり苦しいだろう。
ニューギニア島西部[編集 | ソースを編集]
- 史実でも1930年代前半に当時の支配国だったオランダから買収する計画があった。
- 日本が買収した後は南洋興発など多くの企業が進出した。
- 鉱産資源の開発が盛んに行われたと思われる。
- 史実では満州に移民した人々のうち少なからぬ数がこちらに渡っていた。
- 南海岸のどこかに軍港が建設された。
- 先住民のパプア人による抵抗はあまり大きくなかった気がする。
- ただし天皇崇拝を強制しすぎたり現地語を弾圧したりした場合は除く。
- 史実の南洋諸島と同じように地名の日本語化は行われなかった。
- 太平洋戦争の経過が結構変わっていた。
- ここを拠点としたオーストラリア上陸作戦が決行される。
- その一方で戦局が悪化すると早いうちから日本人住民を巻き込む地上戦の舞台となった。
- 各地でサイパンや沖縄並みの惨劇が発生していた。
- 少なくともインドネシア領にはなっていないはず。
- 戦後処理の過程でアメリカの有力者に対し「お国のアラスカのように平和裏に買収した領土であり他国に譲り渡す理由はありません」などと説得できていたら現在も領有できていた可能性あり。
- カイロ宣言やポツダム条約を見るに、「そもそもこうなったのは軍国主義のせい」と半ば無理矢理な難癖を付けられていたらどうやっても放棄せざるを得なかったと思う。結果的に下にあるように信託統治領になっているのが自然だろう。
- パラオと同じように「アメリカ信託統治領→独立」となったかもしれない。
- パプアニューギニアと別の国になっていたとすれば、単に「ニューギニア」と呼ばれている。
- パプアニューギニアの国名に「パプア」が付いている理由を知っている日本人も史実より多かったかもしれない。
- しかし独立直後にインドネシアに併合。
- パプアニューギニアと別の国になっていたとすれば、単に「ニューギニア」と呼ばれている。
- 可能性は低いがオーストラリアに割譲されたかも。
- 戦後処理の過程でアメリカの有力者に対し「お国のアラスカのように平和裏に買収した領土であり他国に譲り渡す理由はありません」などと説得できていたら現在も領有できていた可能性あり。
- 部族が異なる先住民の意思疎通の手段として日本語が用いられていた。
グアム[編集 | ソースを編集]
- 沖縄みたく米軍基地がいっぱい。
- 海兵隊移転反対デモが活発に行われている。
- 一方観光開発が進んで自然が壊される。
- グアム産交は日本本土の企業に売却されていた。
- 米西戦争でアメリカ軍に占領されていなかったらドイツ領を経て日本の手に入っていたと思われる。
- 史実でマリアナ諸島の中心となったサイパン島よりさらに広いためより大規模な開発が行われていた。
- 南洋庁のマリアナ支庁や南洋興発本社もここに置かれていた。
- 砂糖王松江春次の銅像もグアムに建てられていた。
- サトウキビ運搬用の鉄道が旅客やその他貨物の輸送も行う本格的な鉄道に脱皮していた。
- 地名は特に日本語化されなかった。
- ただし当て字がなされることはあった。
- 例:アガナ(政治の中心)→阿賀名
- いや、史実の日本軍占領時代では地名は全て日本語化されてるよ。グアム島→大宮島、アガナ→明石、タモン湾→富田湾、ウマタック→馬田って感じで。
- そのケースでは占領時期が太平洋戦争中だったからご丁寧に日本語化したような気がする。
- 史実のサイパンやテニアンなどでは第一次大戦後の編入ということもあり地名の正式な日本語(漢字表記)化はなされていない。
- サイパンやテニアンはあくまで国連の委任統治領だから地名を日本語化しなかったのであって、そうでないのなら日本語化の可能性はある。実際、樺太のロシア語地名は全て改称された。
- 県名は「大宮県」か?
- 4.のような経緯なら南洋庁の一部(それどころか中心地)かと。
- ただし当て字がなされることはあった。
- 結局太平洋戦争によりアメリカの支配下に入る。
- そこまでの経過はサイパンやテニアンと大差なし。
イースター島[編集 | ソースを編集]
- チリ政府が財源を捻出するために日本へ売却を打診していた
- 第2次大戦中は海軍基地になっている。
- 軍用機の開発では日本ーイースター島を飛ぶ航空機が検討されるが結局できないまま終戦を迎える。
- 史実の「富嶽」あたりが有力な候補。
- 南米大陸攻撃の拠点になっていた。
- 逆に早くから連合軍の攻撃を受け最も早く奪い取られた日本領土になっていた可能性あり。
- (当時の日本領で最も南東に位置していた)マーシャル諸島からでも相当遠い。
- 軍用機の開発では日本ーイースター島を飛ぶ航空機が検討されるが結局できないまま終戦を迎える。
- モアイ像の研究は日本がリード。
- どこかの博物館か富豪か大学が1体くらい日本に持ち帰っていた。
- イースター島ではなく、ラパ・ヌイとかパスクアと呼ばれていたかもしれない。
- 無理やり日本名を付けるなら「四月一日島」(わたぬきじま)か。
- 同じ読みで綿貫島じゃ……違和感ありすぎる。
- 「羅波縫(らぱぬい)島」とか?
- 無理やり日本名を付けるなら「四月一日島」(わたぬきじま)か。
- 戦後日本領じゃなくなっていた場合、どこの国に入っていたのやら。
- チリ領に復帰しない場合はアメリカかフランス(仏領ポリネシアの一部として)あたりか、まさかの独立国?
- この島への移民に由来する日系チリ人がそれなりにいる。
- 戦後に日本領でなくなっている場合でも遠洋漁船の寄港地としておなじみになっていた。
- サラ・イ・ゴメス島も日本に売却されており、「更井米須島」に改名されている。
山東[編集 | ソースを編集]
- 第一次大戦で日本は山東の独軍と戦い勝利しました
- 第一次世界大戦後から青島が日本領だった。
- 第二次大戦直後に米軍駐留。
- 国民党が台湾にも逃げられずに共産党に敗北し国民党政府消滅、冷戦下で共産党に渡すわけもなく、独立させると共産化が目に見えていたので米軍統治が続き、沖縄と同時に日本に返還。
- むしろ台湾や関東州同様にカイロ宣言で中華民国への返還が決められていたのでは。
- 黄河と長江を結ぶ大運河の一部、漢民族にとって聖地とされる泰山、北京や天津の喉元といえる山東半島などがあるため敗戦国の日本が保有という選択肢はありえないと思う。
- 日本で例えるなら富士山から小田原を経て三浦半島に至るエリアが関係の悪い国に支配されているようなもの。
- 黄河と長江を結ぶ大運河の一部、漢民族にとって聖地とされる泰山、北京や天津の喉元といえる山東半島などがあるため敗戦国の日本が保有という選択肢はありえないと思う。
- 元の条約どおりだと97年には返還してしまうので、いまだに冷戦中で条約を破棄しているのだろう。
- 香港・シンガポールにつぐ金融センターになっていた。
- 英国統治下の香港並みの自治がされており、五輪・W杯には日本代表とは別に青島代表が出場。
- 結局香港・マカオと同時期に中国に返還されたかもしれない。
- それ以前に旧ポルトガル領ゴアばりの力技で奪い返されていても全くおかしくない。
- 第二次世界大戦以降の中国が武力で海外領土を奪還したことはないのだが…。それだったら香港・マカオもやられてもおかしくない。
- それをやられた時点で香港に核ミサイルが配備される。
- 第二次世界大戦以降の中国が武力で海外領土を奪還したことはないのだが…。それだったら香港・マカオもやられてもおかしくない。
- 上記の通りカイロ宣言で返還されているかも。
- それ以前に旧ポルトガル領ゴアばりの力技で奪い返されていても全くおかしくない。
- イギリス租借地の威海衛の扱いがかなりややこしいことになっていた。
- 済南や煙台に陸軍の連隊、青島に海軍の警備府が置かれ大陸侵攻の拠点となった。
- 青島ビールはアサヒビール傘下。
- 事あるたびに「あおしまビール」と呼ばれ過ぎるので「あおしま」に改名していたかも。
- 山東大は旧帝レベル、青島大は金岡千広レベルになっていた。
カムチャツカ半島[編集 | ソースを編集]
- 江戸時代中期まで、カムチャツカ半島は北海道や樺太、千島とともに松前藩の領地とされていました。
- 「勘察加(かむさすか)半島」という名前になっている。
- 半島南部の地名は殆どがアイヌ語由来。一方北部はコリャーク語由来の地名が多い。
- 史実でのペトロパブロフスク・カムチャツキーに当たるポジションになるのはアナディリ。
- 1854年のクリミア戦争での包囲戦はアナディリで行われていた。
- 「バイオハザードV」の実験施設はカムチャツカ半島ではなくチュクチ自治管区にある。
- 「CoD:MW2」の収容所も同様か。
- 戦後も日本だった場合、ソ連と国境を接しているため日本国憲法に「戦争放棄」の文言は存在せず。
- 米軍基地も置かれていた。
- 日本の面積が倍以上になっていた(カムチャツカ半島の面積は日本よりも広い)。
- 大陸にも日本の領土があるため「日本は島国」と言われなくなっていたかも。
- 言うまでもなく北方領土や千島列島も日本領になっている。樺太は微妙。
- 半島を縦断する道路が作られていた。
- 冷戦終結まで、その道路の北端は国防軍(上記により戦争放棄がないため自衛隊ではない)または米軍の基地にぶち当たった。
- 冷戦終結後、一般人でもロシア国境まで行けるようになるが、ロシア側に続く道は作られていない。
- (もちろん正規に入国して)そこから探検的にロシア側に行く冒険者が多数現れる。
- 流石に鉄道は建設されていない。
- それは微妙。
- 北海道はあまり北国と思われない。
- 戦後に日本が放棄したとしても、ソ連に占領させたくない国際社会の意向で独立国となっていた可能性もある。
- カムチャッカが中立国なのとソ連なのではアメリカにとってかなりやりやすさが違うんじゃないだろうか。
- その場合千島も独立国であった可能性が高い。サハリンは微妙。
- アイヌやコリャーク、イテリメンの多民族国家になっていた。
- 独立してもソ連の傀儡だった可能性も。
- 昔の長距離国際線飛行機はアンカレッジではなくカムチャッカで給油していたかも。
- 北極海航路の開発に積極的になっていた。
- それでも沿海州がロシア領ではなかったかは微妙。
ブーベ島[編集 | ソースを編集]
- 当然、日本最南端と最西端の二冠になる。
- このため、知名度は高い。
- 南極調査の拠点になる。