もしあの市町村があの地域を編入しなかったら/近畿

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滋賀[編集 | ソースを編集]

堅田町(現大津市)[編集 | ソースを編集]

  1. 平成の大合併で志賀町と合併し、「志賀市」になっていた。
    • どう考えても市名は「堅田市」。あの辺りの中心は堅田なので。
  2. 高島市とともに湖西地域に分類されていた。

膳所町(現大津市)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実の大津市域が大津市と膳所市に二分される。
  2. 「膳所」駅に改称されたのは馬場駅ではなく石山駅。
    • 馬場駅の所在地は旧大津市。石山駅の所在地は旧膳所町。

信楽町(現甲賀市)[編集 | ソースを編集]

  1. おそらく、独立独歩を続けている。
  2. 甲賀市は甲賀市を名乗れなかった可能性も。
    • 旧町名に甲賀町があること、この世界軸では甲賀郡が存続していることから、もしかしたらひらがな表記になっていた可能性も。
      • もしひらがなになっていた場合、「こうか」と「こうが」のどちらにするかで揉める。

平成の大合併で長浜市と合併した伊香郡4町と東浅井郡4町[編集 | ソースを編集]

  1. びわ町を除いて7町が合併し、「湖北市」が誕生していた。
    • びわ町が合併しない場合は滋賀県からひらがなの自治体が消滅することはない。

マキノ町(現高島市)[編集 | ソースを編集]

  1. カタカナの町がニセコ町以外にも存続していた。

武佐村(現近江八幡市)[編集 | ソースを編集]

  1. 平成の大合併直前に朽木村の他にも滋賀県の村が存続していた。
  2. 武佐駅が武佐村にあると勘違いされていた。
  3. 学区は八日市市に編入されている。
  4. 平成の大合併で東近江市になっていた。

志賀町(現大津市)[編集 | ソースを編集]

  1. 大津市は代わりに草津市を編入していた

京都[編集 | ソースを編集]

伏見市など(現京都市伏見区)[編集 | ソースを編集]

  1. 現在の京都市伏見区のエリアは最終的に伏見市に合併されていた。
    • 醍醐村は史実通り京都市と合併して山科区になっていた可能性が高い。
  2. 伏見市は2009年現在、人口約28万人を誇る京都府内第2位の大都市となっていた。
    • 特例市となっていた。
    • 一方、京都市の人口は約120万人、広島市と同規模に。
  3. 京都市営地下鉄東西線の三条京阪以東は京阪京津線の地下化区間となっていた。
    • 御陵~六地蔵間は京阪醍醐線として開業していた。
    • 上記の場合だと史実通り京都市営地下鉄東西線として開業しており、醍醐・石田の各駅は山科区になる。
  4. もちろん伏見市内に京都市バスは運行されず、京阪バスのエリアとなっていた。
    • ただし京都電気鉄道(後の京都市電伏見線)は史実でも伏見市が京都市に合併される以前に京都市に買収されていた。
  5. 京阪の伏見桃山駅が「伏見市」駅に改称されていた。
    • 丹波橋駅が伏見市駅を名乗っていた可能性も。
  6. 「京都市伏見区」は伏見市をからかう文句になっていた。
  7. 現実の名神京都南IC(もしくは京都深草BS)が「京都伏見」という名前になっていた。
  8. 京都市と宇治市の合併話など出るわけがない。
    • 伏見・宇治と久世郡・綴喜郡で合併して政令市を目指す構想があった。

京北町(現京都市右京区)[編集 | ソースを編集]

  1. 美山町と2町で合併していた。
    • 町名は「東丹町」あたりになっていた。
    • 南丹市は東西に長い形にならなかった。
  2. 市外局番は075にはならず0771のまま。

山科町(現京都市山科区)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実では同時に編入された醍醐村(現伏見区)と合併して山科市になっていた。
  2. 伏見市とその周辺も編入されなかった可能性が高い。
  3. 一部では「滋賀県山科市」と呼ばれていた。
  4. 「京都市山科区」は山科市をからかう言葉になっていた。

大原野村(現京都市西京区)[編集 | ソースを編集]

  1. 向日町(現向日市)と合併していた。
    • この場合、向日市の面積が広くなっていたが、かなりいびつな形になる。
  2. 洛西ニュータウンは向日市内に位置していた。
    • 京都市バスは運行されず、代わりに阪急バスが現実よりも多く運行されていた。

美山町(現南丹市)[編集 | ソースを編集]

  1. 京北町ともども京都市に合併され、右京区の一部となっていた。

東舞鶴市(現舞鶴市)[編集 | ソースを編集]

  1. 舞鶴市は人口が少ないままだったかもしれない。
    • 少なくとも宮津市よりは人口が多いはず。
  2. 舞鶴市は平成の大合併で宮津市や与謝郡との合併を視野に入れていた。

大阪[編集 | ソースを編集]

大阪市の第1次市域拡張(1897年)で編入された地域[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪駅は現在も大阪市外。
  2. 湊町駅(現・JR難波駅)は国鉄→JRで唯一大阪市内に所在する駅だった。よって現在まで開業時の位置を死守。
    • むしろ道頓堀川を跨ぐように北進した。
  3. 今頃「梅田市」ができていたかも。

大阪市の第2次市域拡張(1925年)で編入された地域[編集 | ソースを編集]

以前の市域:中央区、西区、天王寺区、浪速区、港区、大正区、此花区(一部除く)、北区(南半分)、福島区(南半分)、都島区(南半分)

  1. 他地域へ金が回らないので、大正区中心部への地下鉄延伸はとっくに実現していた。
    • それ以外の地下鉄はそれほどなかった。
      • ただ埋立地の発展が進み、桜島線延伸が実現している。
      • ニュートラムは最初から大阪市が建設していた。

旧西成郡(概ね現西淀川区、淀川区、東淀川区、西成区)[編集 | ソースを編集]

  1. 現在の新大阪駅の位置は大阪市外となるため、新幹線は大阪駅に乗り入れていた
  2. 新淀川左岸の地域はどのみち大阪市に編入されていた。

1955年に大阪市へ編入された隣接6カ町村[編集 | ソースを編集]

  1. 瓜破・矢田村は松原市に、加美村と巽町は東大阪市に、長吉村は八尾市に、茨田町は大東市or門真市に編入されている。
  2. 大阪市は旧河内国を市域に含まなかった。
  3. 地下鉄谷町線は平野駅、千日前線は新深江止まりとなり長堀鶴見緑地線は建設すらされなかった。
    • この「平野駅」は南海平野線の駅そのままの位置である。
    • その代わりに阪和貨物線(久宝寺-杉本町間)の旅客線化が行われていた。おおさか東線(旧城東貨物線)の旅客線化も1973年の関西本線奈良電化と同時に行われていた。
    • あるいは谷町線は天王寺から南下し、住吉・堺東方面に延伸されていたかも。
    • 長堀鶴見緑地線ではなく長堀線で、蒲生四丁目-門真南は建設されず、代わりに大正から鶴町に伸びていた。
  4. 平野区と鶴見区はそれぞれ東住吉区・城東区から分区しなかったかもしれない。
  5. 1990年の「国際花と緑の博覧会」は鶴見緑地で開催されなかったかもしれない。
    • 大正区にある昭和山で開催されていた。
    • 地下鉄長堀線のうち1990年に開業した区間は心斎橋-鶴町となっていた。心斎橋-京橋の開業時期は史実と同じ1996年。
  6. 戦後の大阪市の人口が300万人を突破することはなかった。
    • 大阪市の居住人口が横浜市に抜かれたのも史実より数年早くなっていた(史実では1978年)。
  7. 南港島(咲洲)の造成計画及び南港ポートタウンの建設は史実より10年早く行われていた。

美原町(現堺市美原区)[編集 | ソースを編集]

  1. 堺市は政令指定都市にはなれなかった。
    • そうなると大阪府は平成に入ってから一回も市町村合併を行っていないことになる。
    • 少なくとも遅れて政令指定都市に移行していたはず。

山滝村(現岸和田市)[編集 | ソースを編集]

  1. 千早赤阪村の他にも大阪府の村が存続していた。
    • しかし、千早赤阪村は河内長野市に編入されるのだろうか。
  2. 平成の大合併で忠岡町とともに岸和田市への編入合併を求めるが結局破談される。

兵庫[編集 | ソースを編集]

神戸の近隣町村(現神戸市)[編集 | ソースを編集]

仮説1[編集 | ソースを編集]

  1. 北区
    • 淡河町は三木市に編入。
    • その他は有馬町として合併→後に市制施行で有馬市に
  2. 西区→明石市に編入。
    • 明石市北部に明石ニュータウンができる。山陽電鉄田園都市線(明石-明石ニュータウン中央-桜ヶ丘-木津)が開通。
    • 学園都市周辺はただの山のまま。逆に狩場台と桜ヶ丘の間が開発される。
  3. 神戸市は平成の大合併で近隣都市(有馬市・明石市・芦屋市)に合併を申し入れるものの、住民投票で白紙に
    • 阪神大震災後、財政再建団体になる危機に瀕している神戸市のひどい財政赤字の肩代わりになるのを避けたいため。
    • 有馬市はむしろ三田市と合併。
      • あるいは西宮市。
  4. 神戸市営地下鉄は名谷から本多聞方面へ向かう。
    • 東側は新神戸から灘区の山の手方面へ向かい、神戸大学へ至る。

仮説2[編集 | ソースを編集]

  1. 昭和の大合併では以下の通りになる。
    1. 東灘区5町村は芦屋市と合併、灘市となる。
    2. 有馬郡道場村・八多村・長尾村・大沢村は三田市と合併。
    3. 有馬郡有馬町・有野村は、山口村・塩瀬村と合併して有馬町となる。
    4. 美嚢郡淡河村・上淡河村は三木市と合併。
    5. 武庫郡山田村は単独町制。
    6. 明石郡玉津村・伊川谷村・櫨谷村は明石市と合併。
    7. 明石郡平野村・押部谷村は合併して押部町となる。
    8. 明石郡神出村・岩岡村は合併して岩岡町となる。
  2. 平成の大合併で岩岡町は稲美町と合併、印南野市になる。
  3. 有馬町は三田市に吸収合併。

飾磨市など(現姫路市)[編集 | ソースを編集]

  1. 姫路市は50万都市になれなかった。
  2. 旧夢前町・家島町も姫路市ではなく飾磨市に編入されていた。
    • 太子町も飾磨市。
    • 網干区も姫路市ではなく飾磨市になっていた。
  3. JR英賀保駅が飾磨駅に改称されていた。
    • 山陽電鉄の飾磨駅は山陽飾磨駅となっている。
    • 飾磨港線に飾磨駅が存在したことを考えると、民営化後に単独で「JR飾磨」に改称している可能性のほうが高いかと。
  4. 姫路市に工業都市というイメージは付かなかった。姫路は商業・観光都市、飾磨は工業都市というイメージが形成されていた。

塩瀬村・山口村(現西宮市)[編集 | ソースを編集]

  1. 西宮市の人口は現在も尼崎市より少ない。
  2. 当然、西宮名塩駅など、そこにある「西宮○○」という名称のものには西宮が付かなかった。
  3. 藤原紀香は西宮市出身にはならなかった。(彼女は塩瀬地区出身のため)
    • 生瀬勝久もね(彼も名前から分かるように塩瀬地区出身)
      • 彼は別のところから生瀬に引っ越してきたらしいが・・・
  4. 2村で合併して「塩山町」として合成地名を名乗っていたかもしれない。

武庫郡鳴尾村(現西宮市)[編集 | ソースを編集]

  1. 武庫川が西宮市と尼崎市の市境ではなくなっている。
  2. 阪神甲子園球場は西宮市内から外れている。
    • 当然阪神甲子園駅も。
  3. 阪神武庫川線も西宮市内から外れている。
  4. 2012年現在、西宮市の人口は40万人を割っている。

鳴尾村が単独で市制施行[編集 | ソースを編集]

  1. 市名は「鳴尾市」。
    • 甲子園市構想もあったという話があるが、噂レベルかもしれない。
  2. 武庫川は西宮市と鳴尾市の市境となる。
  3. 町の内情はともかく、芦屋市のようなポジションに落ち着く。
  4. 「甲子園警察署」は「鳴尾警察署」になっていた。

大庄村(現尼崎市)[編集 | ソースを編集]

  1. 尼崎市は40万都市になっていない可能性がある。
  2. 単独で市制施行していたのは確実。
  3. JR神戸線に大庄駅を設置しようという構想が出てくる。

志方町(現加古川市)[編集 | ソースを編集]

  1. 稲美町が印南郡に属していると間違われる。
  2. 岡山県藤田村が岡山市に編入された後に市町村合併が長野県鼎町の飯田市編入まで約9年間の期間が空くことに。

港村(現豊岡市)[編集 | ソースを編集]

  1. 旧豊岡市は海に面していない。
  2. 平成の大合併で港村、城崎町、竹野町で合併していたかも。
  3. 水族館の城崎マリンワールドはこの村にある。
  4. 町制施行していた可能性はあっただろう。

沼島村(現南あわじ市)[編集 | ソースを編集]

  1. 兵庫県唯一の村になっていた。
    • 後に平成の大合併で南あわじ市になっていた。
    • 香川県の与島村も合併していなかったら最初に村が消滅するのは広島県。

三河村(現佐用町)[編集 | ソースを編集]

  1. 南光町はかなり小さな佐用郡の町になっていた。
  2. 千種町か山崎町と合併していた。

奈良[編集 | ソースを編集]

月ヶ瀬村・都祁村(現奈良市)[編集 | ソースを編集]

  1. 奈良市がいびつな形になることはなかった。
  2. 現在、都祁村は「都祁󠄀村」という公式表記になっていない。

法隆寺村(現斑鳩町)[編集 | ソースを編集]

  1. 法隆寺を代表する村として自立していた。
  2. 斑鳩町はいびつな形になっていた。
  3. 「西和市」の計画では当村は大反対していた。

和歌山[編集 | ソースを編集]

玉置口村(現新宮市)[編集 | ソースを編集]

  1. 人口100人割れの自治体が存在するようになる。
    • おそらく今でも100人以上かもしれない。
  2. 北山村と同様に和歌山県の飛び地となっていた。

古座町(現串本町)[編集 | ソースを編集]

  1. 有田市と有田川町、日高町と日高川町、古座町と古座川町と混乱する破目になっていた。
  2. 今も明石家さんまの出身地として注目される。

南部川村(現みなべ町)[編集 | ソースを編集]

  1. 南部町は平仮名に改名されなかった。
  2. こちらも有田市と有田川町、日高町と日高川町、南部町と南部川村、古座町と古座川町と混乱していた。

下津町(現海南市)[編集 | ソースを編集]

  1. 有田市と合併していた。