広
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広の噂[編集 | ソースを編集]
- 広駅の噂はこちらへ。
- 広は広島に非ず。
- 広警察署がある。広と阿賀・郷原・仁方・川尻・安浦・蒲刈・下蒲刈が管轄
- 国道185号線では休山トンネルが境。
- 木江警察署廃止で所轄がもっと広がる悪寒
- 豊浜・豊の両地域を編入。
- 西条方面から国道で行くと広に出る。建設中の東広島呉自動車道も広に出る。
- が、その道路(国道375号)では、米軍が弾薬を運んでいる。
- 道せまい。
- 広に出るのなら「東広島広自動車道」
- 広には出ない。阿賀に出る。
- 広大広や広末広のように、広であるがゆえに変わった地名がある。
- 「広島県呉市広末広」と、「広」が3回も出てくる。
- 残念ながら志布志市志布志町志布志には負けている。
- 淡路島の南あわじ市市市なんてのもあったな。
- 「広島県呉市広大広」
- 広島県「広市」
- 実際に広では終戦直後に呉市からの分離独立を求める署名運動が行われたことがある。旧呉市内が空襲で焼けたせいもあって、終戦直後の広地区の人口はかなり多かった。
- 「広島県呉市広末広」と、「広」が3回も出てくる。
- 黒瀬川は広に行くと「西大川」と呼ばれる。
- 黒瀬川が阿賀と広の境
- 寧ろ広大川と言う方が多い気が・・・
- 西があれば東がある。昔は東大川といったが今は埋められて川というより溝みたい。
- 黒瀬川が阿賀と広の境
- 広支所(広市民センター)は「市役所か」というほどのデカさ
- 朝と夕方、広地区全域で聴こえるほどの大音量の音楽を、時報代わりに流している。
- 体育館に行く交差点は無理やり右折レーン。
- 白岳山はかつて石灰の採石場があり、所々崖が見えるのはその名残。
- ホームセンターが何故か四つ(タイム・ナフコ・ジュンテンドー・ユーホー)もある。
- ユーホー広店は県西部唯一の店舗。タイムも県内は福山市多治米と広だけ。
- 戦前は広「村」と仁方「町」だった。
- 逆じゃないのか?とツッコミたくなりますね。
- 23年3月現在、広の人口4.3万人。仁方は7千人。
- 仁方はもともとあのあたりで最大規模の民用港だったからね。呉港が軍港だったので民間人は基本的には利用できなかった分デカかった。
- かつては近畿方面に出荷されるほどのキャベツ(品種・広甘藍)の生産量をほこった。
- 市営バスの東営業所の建物の存在感は異常。
- 今はマックスバリュになりました。
- 王子製紙の煙突は、広地区のシンボル。
- かって「東洋パルプ」と言ってた時代煙突からでる強烈な悪臭と海への廃液で奇形魚が発生。
- 広大川の「お化けハゼ」は80年代前半の社会科の教科書にも載っていた。
- 近畿大学に逃げられた。(近大工学部は広から東広島へ移転)
- 表向きの理由は「敷地が狭い」ということだが、実際は別の理由もあった[1]。
- 「敷地が狭い」はずの近大跡地に、広島国際大学(呉学舎)が。
- 設立当時の近代工学部知っている人は逃げられたなんて絶対言わない。
- 表向きの理由は「敷地が狭い」ということだが、実際は別の理由もあった[1]。
- 祭の日には、おでんを食べる。
- 棒の形をした二重焼きを売る店があるらしい。近所の子供には「ち○こ焼き」の名前で親しまれている。中身はあんこ、クリーム、カレー(キャベツ入り)。
- 横浜~広島の高速バスに乗ったら「広」と聞こえたので、広を経由しているのかと思った。実は「広尾」だった。(ていうか、広尾ってどこ?)
- 福山東IC手前にあるバス停かと思われます。
- 広高校がある。
- 隣には呉港高校。戦前、甲子園に何度も出場し、ミスター・タイガースの藤村富美男も輩出したかつての野球の名門校だが、その頃は広ではなく長ノ木町にあった。
- かって広島大学医学部付属病院が広にあった。これは逃げられた。
- 今の広警察署あたり。
- 世が世なら、「広市」になってた…のか?
- ハワイ島には「ヒロ」という町があるが、ここから移民が来たわけではない(でも広島だけにいそう)。
- ムツゴロウラーメンは、熊本が本家の味千拉麺の公式サイトに、店舗として載っている。だが、外観や店内には一切「味千拉麺」の文字はない。
- しかし、食べてみたら、正に味千ラーメンそのものである。どういうこっちゃ。