もしあの車が売れていなかったら
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大ヒットしたり、一時代を築いた車たちがもし売れていなかったらどうなっていたかを想像しましょう。
トヨタ[編集 | ソースを編集]
カローラ[編集 | ソースを編集]
- 「マイカー元年」はスバル360が発売された1958年の事を指す言葉だった。
- むしろブルーバードが「マイカー元年」を作るきっかけになっていたのでは?
- 姉妹車スプリンターは登場したか?
- レビン/トレノなどの他の派生車は他のモデルがベースになっていたと思う。
- トヨタの運命は大きく変わっていた。
クラウン[編集 | ソースを編集]
- トヨタの運命は大きく変わっていた。
- たぶんトヨタは倒産していただろうな。
- 当然コンフォート等のクラウンの亜種は生まれなかった。
- このクラスの覇権はセドリック、グロリア、デボネア、ルーチェで争われていた。
- むしろ外車。
プリウス[編集 | ソースを編集]
- エコカーは2代目インサイト発売まで殆ど売れないものだった。
- トヨタのリコール騒動の規模は史実ほど大きくなかった。
- 3代目はデビューせず消滅したかも。
- プリウスαやアクアも登場することもなかった。
- ドラえもんCMののび太の愛車は何になっていたんだろう・・・。
- ヴィッツだったかも。
- 当然SAIも登場しなかった。
- ドラえもんCMののび太の愛車は何になっていたんだろう・・・。
- プリウスαやアクアも登場することもなかった。
- カムリがハイブリッド化されることもなく、日本向けのラインナップから外されていた。
- 5ドアセダンが日本でも市民権を得るには至らなかった。
- 史実に反して2代目がコケて大ヒットしなかった場合、3代目以降は初代と同じく4ドアセダンに戻されていただろう。
- プリウスミサイルと言う言葉もない。
- 2012年に放送された東映制作のセルフパロディ作品である『非公認戦隊アキバレンジャー』に登場した「マシンイタイッシャー」のベース車両には、3代目プリウスは使われず、本家の戦隊シリーズに倣ってマツダ車(初代ユーノスロードスターorプレッソ/オートザムAZ-3のどちらか)になっていただろう。
ランドクルーザー[編集 | ソースを編集]
- 日本製四輪駆動車と言えば完全にパジェロだった。
- 世界の僻地を走る国連の車両もパジェロ。
- 三菱ジープが「4輪駆動車の王者」として君臨し、生産中止になる事もなく、未だに人気車種となっていただろう。
- あるいは日産のサファリ。
- でも肝心の日本の酷道に向いてる車はジムニーであることには変わりなかった。
- 世界の僻地を走る国連の車両もパジェロ。
ハイエース[編集 | ソースを編集]
- その後のタウンエース/ライトエースもなかった。
- 日産キャラバンは史実よりも売れていた?
マークII[編集 | ソースを編集]
- バブル期のハイソカーブームは起こらなかった。
- 地方の小型タクシーもコロナから鞍替えすることもなかった。
- コンフォートは登場しなかった。
- 90年代の教習車の定番にもならなかった。
- 7代目スカイラインがハイソカー路線に走ることはなかった。
- スカイラインファンから叩かれることもなかった。
- ホンダがインスパイア、マツダがユーノス800(後のミレーニア)を発売することはなかった。
- 三菱のディアマンテもなかっただろう。
- 地方の小型タクシーもコロナから鞍替えすることもなかった。
- マークXはおろか、チェイサー・クレスタも存在しなかった。
- 「GTO」の内山田教頭の愛車は漫画版でもメルセデス・ベンツになっていた。
ウィッシュ[編集 | ソースを編集]
- ストリ-ムのパクリと揶揄されることはなかった。
- 「パクリーム」と呼ばれることもなかった。
- ウィキペディアでこのことを書かれて荒れることもなかった。
- 他社の同格車種の売り上げに大打撃を被ることもなかった。
- ストリームの売り上げが落ち込むこともなかった。
- そして絶版になることもなかった。
- ラフェスタがプレマシーのOEMにはならなかった。
- ディオンが生産中止に追い込まれることもなかった。
- ストリームの売り上げが落ち込むこともなかった。
- 派生車種であるアイシスは存在しない。
- 代わりにガイアのフルモデルチェンジが実現した。
- アイシスがガイアの後継車と誤解されることもなかった。
アルファード[編集 | ソースを編集]
- ハイエースシリーズの車種統合は失敗したとみなされていた。
- エルグランドの独走が続いていた。
- ヴェルファイアは登場しなかった。
- トヨタの3ナンバーミニバンはエスティマしか売れない風潮が続いていた。
シエンタ[編集 | ソースを編集]
- パッソセッテが発売された時点で絶版になっていた。
- そして復活することもなかった。
- コンパクトミニバンでは未だにフリードの独走状態だった。
- むしろ、その前身のモビリオが敵なしの状態になったので、モビリオが継続販売またはフルモデルチェンジされていた。
- キューブキュービックは2代目へのモデルチェンジが実現していた。
- 日産からコンパクトミニバンのラインナップがなくなることもなかった。
- ドラえもんCMでは20年後のスネ夫の愛車はFJクルーザーのままだった。
- 派生車種としてジャパンタクシーが登場することはなかった。
ファンカーゴ[編集 | ソースを編集]
- 愛河里花子が早口言葉が得意であることを知るのは『ポケモンはらはらリレー』まで待たなければならない。
パッソ[編集 | ソースを編集]
- ダイハツ ブーンも間違いなく絶版になっていた。
- 「東京フレンドパーク2」末期の賞品になることはなかった。
- 2代目bBはヴィッツをベースにしていた。
- トールワゴン版であるタンク、ルーミー、ダイハツ トール、スバル ジャスティは登場しなかった。
ハリアー[編集 | ソースを編集]
- レクサス・RXの日本発売時点で絶版になっていた。
- 史実とは逆にクルーガー、ヴァンガードが売れていた。
- ハリアーハイブリッドも登場しなかった。
日産[編集 | ソースを編集]
- ダットサンやプリンス自動車も含む
シルビア[編集 | ソースを編集]
- シルビアの痛車は無かった。(特にこの動画シリーズに出てくる奴とか)
- スープラやランエボ辺りがシルビアの痛車の代わりとなっていた。
- ガゼールや180SXもなし。
- 輸出名200SXや同240SXもなし。
- 初代200SXは歴代シルビアで最も不人気なS10(2代目シルビア)の輸出仕様ですが…。
- ガゼールはあったのでは? 初めて売れたシルビアがS110(3代目)。3代目シルビアの姉妹車が初代ガゼール。
- その180SXと顔面スワップしたシルエイティやワンビアは存在せず。
- 輸出名200SXや同240SXもなし。
スカイライン[編集 | ソースを編集]
- 日産のスポーツカーは完全にフェアレディに一本化されていた。
- ローレルは初代から歴代のモデルを通じてブルーバードとの親近性が強くなっていた。
- グロリアはスカイラインからの派生ではなく、最初から独立した車種として登場した。
- GT-Rもなかった。
ブルーバード[編集 | ソースを編集]
- 日産自動車は大手メーカーにはなれなかった。
- 自動車業界はトヨタ一強。
- セドリックとフェアレディといった値段の高い車しかないので大衆車メーカーと提携した。
- コロナとのモデル争いもなく、コロナの独走状態になっていた。
フェアレディZ[編集 | ソースを編集]
- トヨタがセリカXXを生み出すことはなかった。
- 開発再開は遅れていた。
- もしくは開発再開はされない。
- 今存在していたZ33やZ34は存在していない
- もしくは開発再開はされない。
- というかこれじゃなくスープラの復活していたか?
ホンダ[編集 | ソースを編集]
インサイト(2代目)[編集 | ソースを編集]
- 2代目プリウスと3代目プリウスが併売される事は無かった。
- ハイブリッドカーは未だに高いものだった。
- 千葉県警のパトカーとして導入されたのはプリウスになっていた。
オデッセイ[編集 | ソースを編集]
- 自動車評論家にこき下ろされていた。(事実下馬評は「誰がこんな中途半端なアメリカンカーを買うか」と叩いていた)
- ホンダは未だにRV車などに進出していない。
- 大コケしてたらホンダは間違いなく×××××。
- 事実、ホンダはオデッセイの大ヒットによって息を吹き返したので。
- オデッセイといえばスーパーマリオの方が知名度が高かった。
シビック[編集 | ソースを編集]
- ホンダと言えばオデッセイかアコードになっていた。
- そのアコードの登場が2年くらい早まっていた。(マスキー法対策で)
- むしろ、ホンダ1300のセダン/クーペが「アコードの先祖的名車種」と呼ばれていただろう。
- そのアコードの登場が2年くらい早まっていた。(マスキー法対策で)
フィット[編集 | ソースを編集]
- ホンダはコンパクトカー市場から撤退していた。
- 7代目以降のシビックの売れ行きは良かった。
- 8代目にフルモデルチェンジ後も日本でもハッチバックが発売される。
- フィットアリア、エアウェイブ、モビリオなどの派生車種は登場しない。
フリード[編集 | ソースを編集]
- ステップワゴンの影が薄くなることはなかった。
- コンパクトミニバン市場は間違いなくオワコン化していた。
- フリードしか売れていなかった頃はパッソセッテの販売不振、シエンタの一時絶版、キューブキュービックの絶版があったため。
三菱[編集 | ソースを編集]
パジェロ[編集 | ソースを編集]
- 日本製四輪駆動車と言えば完全にランクルだった。
- 三菱はパリダカに出場していない。
- この番組の目玉景品はなんだったんだろうか…
- ランサーエボリューションが景品になっていたかも。
ランサー[編集 | ソースを編集]
- 当然これのスポーツ版であるランサーエボリューションは発売されていない。
- 終息も10年ほど早まっていた。
マツダ[編集 | ソースを編集]
コスモ[編集 | ソースを編集]
- ロータリーエンジンの存在は技術者以外ではほぼ黒歴史になっていた。
- 2010年現在マツダはスポーツカーを作っていない。
- 『帰ってきたウルトラマン』の劇中に登場した「マットビハイクル」のベース車両は、一体何になっていただろうか?
- 初代モデルのコスモスポーツが史実に反して人気車種にならなかった場合、『帰りマン』と同じく円谷作品である『ジャンボーグA』、『ファイヤーマン』、『ウルトラマン80』に登場した防衛チームのパトロール車や、東映特撮(スーパー戦隊やメタルヒーロー)で主人公の変身前の愛車として登場した多くのマツダ車は、他社のスポーツカーになっていたかもしれない(当時の特撮番組にマツダ車が多く使われていたのは、「マットビハイクル」の影響が強かったと思われる為)。
- 1977年に登場したランドゥトップ(2ドアセダンのようなもの)の『コスモL』のCMソングとして使われたしばたはつみが歌う『マイ・ラグジュアリーナイト』は大ヒットせず、この年唯一にして最後の紅白歌合戦にも出場できなかっただろう。
デミオ[編集 | ソースを編集]
- マツダは間違いなく×××××。
- しかし、デミオが大ヒットしたことで息を吹き返した。
- マツダの普通乗用車のラインナップは3ナンバーのみになっていた。
ファミリア[編集 | ソースを編集]
- やっぱりマツダは×××××。
- オート三輪に頼り続けるも結局は時代に逆らえず撤退。
- キャロルをはじめとする軽自動車に活路を見出そうとするが‥
- ダイハツがトヨタの子会社になったように、マツダは日産の子会社に。
- 赤いファミリアが社会現象にはならなかった。
- 陸サーファーが流行語になることはなかった。
- ロータリーエンジンを廃止し、「スポーティー路線」から、その名の通り「ファミリー路線」に変更したのが失敗と見なされていただろう。
- 5代目サニーがマイナーチェンジ時に、クーペを一時廃止して3ドアハッチバックを設定する事はなかっただろう。
- 1987年に東映制作、テレビ朝日系で放送された『超人機メタルダー』で、主人公が乗っている「メタルチャージャー」のベース車両が変わっていたかもしれない。
- そしてやっぱり、「戦時中に『日本勝利のための切り札として作られた』という設定は無理がある」として、特撮ファンから叩かれるのは史実通りである。
SUBARU[編集 | ソースを編集]
360[編集 | ソースを編集]
- 国民車構想は実現不可能と結論付けられた。
- その後後釜狙いで立て続けに発売された軽自動車も全て作られていない。
- 庶民がマイカーにあり付けられたのはカローラが発売されてからだった。
- いや、スズキはほぼ並行してフロンテをやってたから、そっちの線じゃないか?
- スバルは自動車事業から撤退していた。
インプレッサ[編集 | ソースを編集]
- スバルはWRCに出場していなかった。
- スバリストは殆ど存在していない。
- 新車当時ではなかったとはいえ、全ボディタイプがトミカシリーズでリリースされる事はなかっただろう。
レガシィ[編集 | ソースを編集]
- 富士重工業は間違いなく×××××。
- 実際のところ、レガシィが売れなかったらかなりヤバかったらしい。
- 「もし富士重工業が倒産していなかったら」の項目が出来てる。
- 日産ディーゼルのバス車体は西工に一本化していた。
- ステーションワゴンというジャンルが日本市場でこれほど受け入れられることはなかった。
- 最悪、未だに「ライトバン」呼ばわり。
- というより、「ステーションワゴン(ミニバンも含む)なんて、商用車の亜流だ」と呼ばれていただろう。
- 最悪、未だに「ライトバン」呼ばわり。
- 逆にレオーネが駆け込みでやたら売れていたかもしれない。
スズキ[編集 | ソースを編集]
ワゴンR[編集 | ソースを編集]
- スズキの軽自動車の基幹車種は現在でもアルト。
- 軽トールワゴンというジャンルを生み出すことはなかった。
- 他社が類似車種を生み出すこともなかった。
- ダイハツがムーヴ、ホンダがライフを生み出すこともなかった。
- 普通自動車仕様のワゴンRワイド(後のワゴンRプラス→ワゴンRソリオ→ソリオ)もないので、普通自動車においてもトールワゴンというジャンルは普及していない。
- トヨタがbB、日産がキューブを生み出すこともなかった。
- 軽自動車販売台数は今でもミラが1位。
- スズキは史実より早く軽No.1から陥落していた。
アルト[編集 | ソースを編集]
- 軽自動車界のカローラと呼ばれることはなかった。
- フロンテは現在でも生産されている。
- アルトワークス、アルトハッスル、アルトエコなどの派生車種も存在しない。
- これらはフロンテの派生車種として発売され、フロンテワークス、フロンテハッスル、フロンテエコとして発売されている。
- 軽ボンネットバンというジャンルを生み出すことはなかった。
- ダイハツもミラを生み出すこともなかった。
ハスラー[編集 | ソースを編集]
- 軽クロスオーバーは未だに市民権を得ていない。
- eKアクティブの二の舞になっていた。
- スズキは軽No.1に返り咲くことはなかった。
- ダイハツ・キャストアクティバは登場しなかった。
- それと同時に、軽クロスオーバー車としてネーミングが復活したタフトの登場もなかったと思う。
- クロスビーが登場することもなかった。
- 「ハスラー」といえば、未だにかつて販売されていた「スズキのオフロードバイク」のイメージのままだった。
スイフト[編集 | ソースを編集]
- スズキは日本国内では軽自動車専業メーカーになっていた。
- ハンガリー工場は他社へ身売り。
- スズキは普通車に力を入れることはなかった。
- 軽No.1の座をダイハツに明け渡すこともなかった。
- それすらなかったのでソリオもフルモデルチェンジすることなく絶版になっていた。
ダイハツ[編集 | ソースを編集]
タント[編集 | ソースを編集]
- スズキがパレット、ホンダがN BOXを生み出すことはなかった。
- ムーヴが主力車種から陥落することもなかった。
- もちろん、タントエグゼも存在しない。
- OEMのスバル・ルクラも存在しない。
- ダイハツは軽No.1になることはなく、万年2位のままだった。
- ワゴンRの天下が続いていた。
ミライース[編集 | ソースを編集]
- スズキがアルトエコを発売することはなかった。
ミゼット[編集 | ソースを編集]
- 軽オート三輪というジャンルそのものがウケなかった。
- 早期に軽トラが広まった。
- 平成時代に「ミゼットⅡ」が、1シーターの軽4輪トラック(後に2シーターも追加)として復活する事はなかっただろう。
いすゞ[編集 | ソースを編集]
ジェミニ(2代目)[編集 | ソースを編集]
- もちろん、あのCMは制作されなかった。
- 仮に制作されても控えめな内容になっていたかもしれない。
- 他社の車CMでも似通ったCMが制作されたりすることもなかった。
- いすゞの乗用車生産撤退は史実より早まっていた。
- 3代目はスバル・レオーネのOEMになっていた(2代目アスカがレガシィのOEMなので大いに考えられた)。
- 上級小型車クラスから大衆車クラスへのダウンサイジングは、「失敗」とみなされていただろう。
外国車[編集 | ソースを編集]
T型フォード[編集 | ソースを編集]
- 自動車はいまだに「お金持ちが乗るもの」。
- タクシーやトラックの割合が大きかった。
- 大量生産大量消費の社会は訪れていない。
- ベルトコンベア方式の流れ作業がないので、多くのものが手作り。
- アメリカそのものが今ほど繁栄していない。
- クルマ社会にはなっておらず、鉄道が現実よりも普及していた。
- ハイウエイやドライブスルーも発明されていなかった。
フォルクスワーゲン・ビートル[編集 | ソースを編集]
- フォルクスワーゲンは潰れていた。
- アウディはフォードの傘下に入っていた。
- 戦後ドイツの復興はなかった。
オートマチック車[編集 | ソースを編集]
- 高齢ドライバーの事故が現実より減っていた。
- 当然ながらオートマチック車限定免許もなかった。