もしあの車が市販されていたら

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  • モーターショーに展示されたものの市販には至らなかった車種、あるいは市販に向け開発中だったものの、諸般の事情により結局市販されなかった車種がもし販売されていたらどうなっていたでしょうか。

トヨタ自動車[編集 | ソースを編集]

RSC[編集 | ソースを編集]

  1. 2001年東京モーターショーで展示されていたコンセプトカー。
  2. 2000年代後半のクロスオーバーSUVブームのおかげで販売が伸びる(特に欧米)。
  3. プライベーターレースチームがパリダカールラリーに投入する。

日産[編集 | ソースを編集]

MID4[編集 | ソースを編集]

  1. その後の日本製スポーツカーの歴史が大きく変わっていたに違いない。
    • 日本初の3リッター級3ナンバーミッドシップスポーツはNSXではなくこっち。
      • NSXは後輪駆動なのを逆手に取って、ピュアスポーツを名乗る。
    • NSX-Rの向こうを張り、GT-R同様の「V-Spec」が登場していた。
    • ある意味、NSXとは好対照の展開になっていたに違いない。
  2. 果たしてR32やZ32との共存はできただろうか…。
  3. やはり日本国内仕様は280psにデチューンされる。
    • Z同様、ツインターボ版とNA版の2本立てとなっている。
    • またはVG20DET(あるいはDETTを新開発か?)を搭載した2000cc版が登場していた。
      • 時期は税制区分が変更された1989年頃。
      • 3ナンバーボディに変更はないが、若干全幅は縮小されている。
      • こちらのライバルはMR2(SW20)あたりか。
      • むしろこちらがWRCに出場していた。
  4. 石原プロモーションが刑事ドラマに採用しまくること間違いなし。
    • もちろんガルウィング仕様に改造される。
  5. フルモデルチェンジで2代目になった頃にV8かV12が搭載されている。
    • むしろフルモデルチェンジはなく、マイナーチェンジを重ねながら15年近く生産されていたかも(NSXみたく)。
      • 2000年頃にリトラクタブルを廃止して固定式のヘッドライトに変更。
      • エンジンもV6のまま、VGからVQに変更。
      • トランスミッションは5速から6速になり、後に2ペダル式のセミATに変更。
    • フルモデルチェンジがあった場合は、海外での販売チャンネルがインフィニティに移行していたかも。
  6. 少なくともリアスポイラーは追加装備されていただろう。
    • S14シルビアのテール周りのデザインも違うものに。
  7. サスペンションはMID4-IIでは前輪:ダブルウィッシュボーン、後輪:マルチリンクだったが、市販時には4輪マルチリンクになっていた。
    • 実際に途中でお蔵入りになったMID4-IIIがそうだったらしい。

富士重工共同開発版マーチ[編集 | ソースを編集]

  • 富士重工の初代ジャスティの後継として検討された。結局日産独自でK11型を開発。
  1. 旧中島飛行機の双方の技術が合わさった車となっていた。
  2. おそらくスバルはトレジアのような、OEMとしての販売扱い。
  3. プリンス系の牙城であった荻窪事業所が閉鎖されても、同じ中島飛行機系のスバルがかかわるためプリンス色がそこまで薄まることはなかった。
    • 2001年のスカイラインモデルチェンジや村山工場閉鎖以降プリンスファンの最後の砦になっていたがスバルのトヨタ傘下入りで史実に近い状態になる。
  4. パルサーがブルーバードと統合されシルフィーになることもなかったかもしれない。

ホンダ[編集 | ソースを編集]

Acura Advanced Sports Car[編集 | ソースを編集]

  1. =「もし2008年の金融危機がなかったら」である。
    • ホンダがここまでハイブリッドにこだわる結果にはならなかった。
      • 予定通り日本にアキュラブランドが展開されていた。
  2. レクサス・LFAの強力なライバルになっていたに違いない。
    • 日本初のV10エンジン搭載車として注目されていた。
    • 2012年頃の「Type R」の追加が発表されていた。
  3. 2009年のスーパーGTでは、レギュレーションに完全適合した車両で参加することができた。
    • 史実でのHSV-010である。
    • GT-Rを2009年のレギュレーションに完全適合させることができなかった日産は2009年限りで撤退していたかもしれない。
      • そして2010年のFIA-GTには本山哲やブノワ・トレルイエらが参戦したかもしれない。
        • てか、現在のホンダのスーパーGTの車ってHSV-010「NSX後継車」をベースにした車両だった気が・・・これが本当なら、実はNSXはすでに後継車が走っていることになる。
  4. もう少したてばスープラ後継とRX系新型が出るから、伝説のスポーツカーの後継(GT-Rとこいつは直系)同士がサーキットを疾走これから先あるかどうかすらわからない、デットヒートを繰り広げたことだろう。
  5. 逆にSH-AWDハイブリッドのNSXコンセプトは発表されなかった。

ステップワゴン10人乗り仕様[編集 | ソースを編集]

  • 3代目で設定される予定となっていたが、エリシオンと被ることから実現しなかった。
  1. 3ナンバーサイズになっていた。
  2. 少子化のご時世であるため、売り上げは伸び悩んだ。
    • しかし、タクシーや送迎車ではそれなりの需要はあった。
      • デリカスペースギアのように幼稚園バス仕様も発売される。
        • その場合、ホンダ初のマイクロバスとして登場し、2ナンバー車となる。
      • 果たしてハイエースコミューターの牙城をどこまで崩せていたか…。

マツダ[編集 | ソースを編集]

アマティ1000[編集 | ソースを編集]

  1. 予定通り、ユーノスチャンネルに「ユーノス1000」として投入されていた。
  2. 日本車初のV12エンジン搭載車はセンチュリーではなくこっち。
    • しかもショーファードリブンではなく、オーナードライバーズカーというおまけ付き。
    • これに対抗するため、トヨタもセルシオに1GZ-FE型V12エンジンを搭載していた。
    • 日産もインフィニティQやシーマにV12エンジンを搭載していた。
  3. ユーノス800はアマティ500として北米市場に投入されていた。
    • ユーノス・コスモもアマティブランドで北米市場に投入されていた。
  4. 恐らく広島県や広島市の公用車にも採用されている。
  5. 欧州向けはXEDOS(クセドス)12として輸出されていた。
    • クセドスチャネルのフラッグシップになっていた。

SUBARU[編集 | ソースを編集]

アマデウス[編集 | ソースを編集]

  1. 果たしてオーバー3リッター3ドアワゴンというコンセプトが日本市場で受け入れられていたかどうか…。
    • そのため、日本には早々に5ドア版が投入される。
      • アウトバック(当時はレガシィランカスター)と異なり、車高の低いスタイリッシュワゴンというジャンルを確立していた。
      • 採用されるEG33エンジンもSOHC・レギュラーガソリン仕様とされ、最高出力も190ps程度といったところでしょう。
        • 廉価版にはEJ25(SOHC版)。
        • モデルチェンジでEZ36に変更されていた。
  2. CMソングは一貫してモーツァルトの楽曲が採用される。
    • Rock me Amadeusは?

スバル1500[編集 | ソースを編集]

  1. これも果たしてスバル360が史実通り登場していたかどうか…。
  2. 実際に市販が開始されていた場合、当時のプリンス自動車と史実以上にもめてしまう結果に。
  3. 水平対向エンジンは開発されない。
    • 後のスバル1000も直列4気筒のFRだった。
      • 但し、モノコックボディは採用している。
    • 開発されたとしても、登場時期は大幅に遅れていた。

エルテン[編集 | ソースを編集]

  1. R1がてんとう虫の名を使うことはなかった。

スズキ[編集 | ソースを編集]

隼コンセプト[編集 | ソースを編集]

  • 同社の輸出用大型二輪車「ハヤブサ1300」のエンジンを搭載したフォーミュラカー「フォーミュラ・スズキ隼」の公道向けモデル。→詳細
  1. 日本の厳しすぎる排ガス&加速騒音規制に対応させるため、やはりフルパワーの175psという訳にはいかない。
    • それでも150ps程度は確保する。が、やはり180km/hのリミッターは装着される。
  2. 2007年のマイナーチェンジでエンジンを1340ccに拡大。

いすゞ[編集 | ソースを編集]

アスカハッチバック[編集 | ソースを編集]

初代アスカには3ドア・5ドアハッチバックも設計されたが、発売には至らなかった。

  1. 3ドアはアコード、5ドアはコロナ5ドアリフトバックがライバルとなっていた。
  2. いすゞが売りとするディーゼル車、イルムシャーもラインナップされていた。
  3. ピアッツアの影が薄くなっていた。
  4. 当時の日本ではこのクラスのハッチバックは市民権を未だに得ていなかったので売れない車の1つに挙がっていた。
  5. 5ドアハッチバックから派生してワゴン・ライトバンも発売されていた。
    • ジェミネットは存在しなかった。

その他[編集 | ソースを編集]

童夢-零[編集 | ソースを編集]

  1. 当時の税制区分では全幅だけで年81,500円取られることに変わりはないため、日本仕様もL28エンジンのまま。
    • 後にS20またはRB20エンジンに乗せ換えるチューナーが現れていた。
  2. エンジンが日産つながりということもあり、やはり石原プロモーションが(ry
  3. 由良拓也の名前が少しだけ有名になっていた。

ジオット・キャスピタ[編集 | ソースを編集]

  1. ワコールは下着メーカーというよりも自動車企画メーカーのイメージが強くなっていた。
  2. スバルのF1参戦が成功していたら、有り得たかもしれない。
    • 史実のジャッドGVのスペック程度まで性能は引き上げられていた。

ヤマハ・OX99-11[編集 | ソースを編集]

  1. やはり由良拓也の名前が(ry
  2. ヤマハ発動機の四輪市場参入が実現していた。
    • が、後にトヨタ自動車のOEM供給ばかりになっていた。
      • 但し、エンジンは全て自社製の車種のみにラインナップは絞られている。

フォルクスワーゲン[編集 | ソースを編集]

W12 ナルドコンセプト[編集 | ソースを編集]

  1. 2001年の東京モーターショーで展示されていたコンセプトカー。
  2. アウディ・R8はこのマシンベースだったかもしれない(アウディはVW傘下だから)

関連項目[編集 | ソースを編集]