もしあの野球場が○○だったら
- 新規追加は東から順にお願いします。
独立項目[編集 | ソースを編集]
札幌ドームが○○だったら[編集 | ソースを編集]
12球団の共通準本拠地になっていたら[編集 | ソースを編集]
- 北海道民は各人がそれぞれ好きな球団を応援するというスタイルが確立する。
- 球団によっては観客動員数が、札幌ドームでのホームゲーム>本拠地球場での試合、という現象が起きる。
- ファイターズは四国あたりに移転。
- 大社オーナーの出身地の香川(高松)が有力。
- 全ての節で札幌ドームでの試合を組み込むことになる。
- 日本シリーズの第1戦は札幌ドームで行う。
- いや、韓国シリーズみたいにラスト3連戦を開催しているかも。
- (株)札幌ドームはNPBパートナーになっていた。
- 12球団を挙げて北海道との地域交流を行っていた。
- 『212物語』全球団のマスコットが持ち回りで担当。
- 『179市町村応援大使』は全球団の選手から選抜。
- 12球団を挙げて北海道との地域交流を行っていた。
- オールスターゲームも最低1試合札幌ドーム。
- 侍ジャパンの国際試合も大半は札幌ドーム。
- それでも中日ドラゴンズは史実どおり「北海道は中日新聞の販売エリアじゃない」といって主催ゲーム開催を拒否。
- ここは中日新聞と北海道新聞の関係を考えて普通に開催。
建設されていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 2002年ワールド杯で札幌は会場にならなかった。
- 代わりに豊田スタジアムか広島ビッグアーチが会場になっていた。
- 青森の可能性も。
- 代わりに豊田スタジアムか広島ビッグアーチが会場になっていた。
- 日本ハムファイターズは移転しなかった。
- もしかしたら日ハムが北海道内に新しく球場を建設していた。
- 最初から北広島市を本拠地にしたかも。
- もしかしたら日ハムが北海道内に新しく球場を建設していた。
- もしかするとコンサドーレ札幌も設立されなかった。
- そもそも札幌ドーム関係なく発足していたはず…
- 史実では札幌ドームが出来る前からあった(その時にドーム計画があったかどうかは分からないが)
- ドーム計画とは別に札幌スタジアム構想はあったらしい。それらを合体させて札幌ドームに。
- 現在の札幌ドームがある場所に札幌競馬場が移転してきた。
東札幌駅跡地に建設されていたら[編集 | ソースを編集]
札幌ドームは当初旧国鉄東札幌駅跡地(現在のコンベンションセンター)に建設構想がありました。
- イーアス札幌がファイターズタウンになっていた。
- 白石、南郷18丁目、新札幌に代わって福住、苗穂、啓明ターミナルからシャトルバスが出ていた。
- 地下鉄東豊線の赤字が膨れ上がっていた。
- 土地の関係上野球専用の球場になっていたかもしれない。
- 現在の札幌ドームの場所にサッカー専用スタジアムができていた。
- 札幌コンベンションセンターは建設されなかったか、月寒グリーンドームを建て替える形となっていた。
- 共和汚職事件がなかったらありえた。
別の時期に開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 1990年代
- 遅くても、1999年頃に開業していた。
- 早まった分、札幌市営地下鉄東豊線の清田延伸計画が実現していた。
- その場合、東豊線は6両編成で運行されていた。
- その分、日本ハムの札幌への移転が2002年に早まっていたかもしれない。
- 関東地方のドームに触発されて建設された。2002年サッカーW杯の前なので野球専用で建設された。
- ドームの維持費は現実より少し安い(サッカー用の芝生の管理が不要)。その代わり,サッカースタジアムが↑の東札幌駅跡に建設。
- 1989年
- 同年のはまなす国体に合わせて建設された。
- はまなす国体で、一部の競技が行われた。
- Jリーグ発足前なので野球専用で建設された。
- 2002年のサッカーW杯はどこで開催されただろうか。
- 新潟と決選投票までいった豊田スタジアムが有力?
- 2002年のサッカーW杯はどこで開催されただろうか。
- 大阪ドームの建設目的は「なみはや国体の競技場整備」とされた。
- 東豊線の最初の開通区間はさっぽろ-福住間だった。
- 栄町-さっぽろ間は間を置かずに開通(南北線北部の混雑緩和の為)。
- 福住-清田間は1990年代後半に開通、同時期に東豊線は6両運転に。
- 日本ハム、ロッテ辺りがここへの本拠地移転を考えたかも。
- ロッテが完成後すぐに移転してきた場合、日本ハムは千葉マリンスタジアムを本拠地に。
- その逆は?
- なぜかヤクルトが移転してきたかも。
- 日本ハムは空いた神宮に本拠地を移転。
- 2000年代中盤にヤクルトは「北海道ヤクルトスワローズ」に、日本ハムは「東京日本ハムファイターズ」に改称していた。
- ロッテが完成後すぐに移転してきた場合、日本ハムは千葉マリンスタジアムを本拠地に。
- 1990年限りで西宮を見限ったオリックスの移転先候補には札幌もあったので、主力投手に星野伸之、佐藤義則と道産子が二人いたオリックスは神戸ではなく札幌を選んでいたかも知れない。
楽天が仙台に新球場を建設していたら[編集 | ソースを編集]
新球場は[編集 | ソースを編集]
- 場所は新田東地区(史実では仙台市民球場がある場所)になっている。
- 2007年に収容人数が約30,000人程度の新球場が完成。
- 収容能力が足りないとNPBにダメ出しされる事はなかった。
- 2000年代以降のボールパーク志向を反映し、内外野総天然芝の球場になっていた。
- 正式な名称は「仙台市民球場」。しかし、命名権の関係でマスコミなどでは、「楽天スタジアム仙台(略して楽スタ)」と呼ばれている。
- 「コボスタ」になるのは史実通り。
- そして2018年は 「楽天生命パーク」 になるのも言うまでもない。
- 「コボスタ」になるのは史実通り。
- 最寄り駅が宮城野原駅ではなく小鶴新田駅になるので、小鶴新田駅がイーグルス一色になっていた。
- それでも楽天の成績は史実通り。
ドーム球場だったら[編集 | ソースを編集]
- 東京ドームのパクリみたいなデザインになっていた。
- 風雨を防げるという特性上、東日本大震災では大規模な避難所として活用されていた。
- 某トップアイドルグループのドームツアーが毎年開催される。
宮城球場は[編集 | ソースを編集]
- 宮城球場は新球場ができるまでの暫定的な本拠地となっていた。
- なので最低限の改築しか施されず、あんなに立派な球場になる事はなかった。
- 宮城陸上競技場(現:仙台市陸上競技場)のサブトラックが撤去される事はなかった。
- なので最低限の改築しか施されず、あんなに立派な球場になる事はなかった。
- 2005年以降も宮城におけるアマチュア野球の聖地として数々の名勝負を繰り広げている。
- 楽天の2軍本拠地になっていた可能性も。
西武ライオンズ球場→西武ドームが別の場所に建設されていたら[編集 | ソースを編集]
立地面などで色々言われる球場ですがもし史実とは別の場所だったら?
- 少なくとも西武沿線に建設されていることは確実。
- 上井草球場の跡地も候補か?
- もしくは西武がホームゲームで時々使用している大宮公園野球場をドームに改装していた。
- その場合、野球だけでなくサッカーでも使用できるようになっていたかも。
東京球場が解体されていなかったら[編集 | ソースを編集]
東京球場の経営権は大映の倒産後、小佐野賢治の手に移り、貸球場としてではなく買取を希望したものの結局ロッテが拒否し1972年限りで閉鎖され、1977年に解体された。 もし東京球場が解体されず、かつ閉鎖もなく野球興行を続けていたら
- メダリスト北島康介はここのスポーツセンターからは生まれていない。
- すぐ近くに何らかの形で鉄道が敷設された。
- 路面電車が残されたか、日暮里-舎人ライナーのような新交通になったか・・・・・・
- 周辺がめざましく発展し、第2東京タワー(スカイツリー)までもが建設候補地となり、そこにできていたかもしれない。
- 調布市の東京スタジアム(味の素スタジアム)は「調布スタジアム」や「グリーンスタジアム東京」など別の名前になっていた。
ロッテが使い続けていたら[編集 | ソースを編集]
- カネやんがブチぎれて早期退団
- 投手不利の球場というカネやんの意見で買取せず
- 買取を決めたとしたら、カネやんの意向でグランド拡張のために外野席が全て撤去されていた可能性がある。
- 「天皇・金田に歯向かった」として(特に読売系の)マスコミからバッシングを受けるが、かえって人気が出たかもしれない。
- 投手不利の球場というカネやんの意見で買取せず
- 落合が王の年間本塁打記録塗り替え3冠王になる
- 最後は老朽化により千葉マリンスタジアムへと移転→「千葉ロッテマリーンズ」
- 移転時期は史実と同じ1991年ぐらいか?
- 川崎球場は1980年代の中盤には老朽化により取り壊されていた。
ヤクルトが移転してきたら[編集 | ソースを編集]
- チームカラーが下町の雰囲気がつよいものになる
- 東京音頭は南千住で流れ続ける
- 最後は老朽化により千葉マリンスタジアムへと移転→「千葉ヤクルトスワローズ」
- 移転せずそのまま東京球場に残る可能性もある。
- その場合、東京スタジアムは2000年代前半に取り壊されヤクルトは仙台に移転→「仙台ヤクルトスワローズor東北ヤクルトスワローズ」に。
- 楽天はブルーウェーブを買収し「神戸楽天ブルーウェーブ」に、オリックスはバファローズの親会社にスライドし「大阪オリックスバファローズ」に。
- その場合、東京スタジアムは2000年代前半に取り壊されヤクルトは仙台に移転→「仙台ヤクルトスワローズor東北ヤクルトスワローズ」に。
- 移転せずそのまま東京球場に残る可能性もある。
- 1年契約ものめたオリオンズは神宮へと移転
- ヤクルトが千葉に移転した場合は「東京ロッテオリオンズ」に、ヤクルトが東京に残留した場合はロッテが千葉に移転し史実通り「千葉ロッテマリーンズ」になっていた。
- この場合も川崎球場は80年代中盤に取り壊されていた。
- 下町までヤクルトファンが多数になった。それにより、巨人人気低下。
- 神宮球場と違って日程を組む際の縛りがない。
日拓(日本ハム)が移転してきたら[編集 | ソースを編集]
- 球場の権利を残し日拓はフライヤーズを日本ハムへ売却
- 最後は老朽化により千葉マリンスタジアムへと移転→「千葉日本ハムファイターズ」
- 球場跡地は通勤に便利がウリのマンションかエスパス日拓
- 不利な日程をのんだオリオンズは後楽園に定着
- やっぱり後楽園(→東京ドーム)の日程に不満で札幌ドームに移転→「札幌ロッテオリオンズ」
巨人が移転してきたら[編集 | ソースを編集]
- サンフランシスコジャイアンツの本拠地に倣った球場ですと我が物顔になる
- 王が自身の年間本塁打記録を塗り替える
- 老朽化により解体跡地にドーム球場を建てる←(東京球場と現実の東京ドームはともに竹中工務店が関わっている)
- オリオンズは流れ者生活を続けざるを得ず
- ロッテは史実どおり川崎→千葉の流れ
- フライヤーズ→ファイターズは後楽園老朽化により札幌移転
- 後楽園での野球興行の歴史に幕を閉じる。野球体育博物館は南千住にある
- むしろ神宮か、日本で最初に野球の試合が行われた本郷か駒場か(わからん)じゃね?
- そうなるとヤクルトが改修して移転するかも。
- 川崎球場のようにアメフト用に改修される可能性も。
- 後楽園競輪復活かな
- 後楽園での野球興行の歴史に幕を閉じる。野球体育博物館は南千住にある
後楽園球場を本拠地とする球団が3球団以上の時期が続いていたら[編集 | ソースを編集]
1950年代は読売ジャイアンツ、国鉄スワローズ、東急フライヤーズ、毎日オリオンズ、大映ユニオンズの5球団が本拠地として構えていた。もし巨人軍以外のチームが後楽園球場を本拠地としていたら・・・
全部に共通する事[編集 | ソースを編集]
- 東京ドームはできてなかったかも。
- 人気が上がっていた。
- 4月から10月まで、プロ野球以外の試合ができなかった。
- 都市対抗野球も他の球場でやるしかなかった。
国鉄[編集 | ソースを編集]
- 武蔵野グリーンパークが再開され、準本拠地としてたまに使われた。
神宮球場がプロの使用を認めていなかったら[編集 | ソースを編集]
国鉄(ヤクルト)は[編集 | ソースを編集]
- 国鉄は1964年(史実で神宮球場を本拠地として使用し始めた年)以降も後楽園球場を本拠地としていた。
- しかし、日程上の問題から長続きせず、70年代半ばにはジプシー・ロッテと呼ばれた頃のロッテのようになっていた。
- その後、80年代初頭に、ロッテに逃げられた仙台に移転していた。
- 地元密着を軽視していたロッテを反面教師にして、地元に密着した球団になっていた。
- 宮城球場は、90年代初頭に改築され、3万人収容の球場になっていた。
- 90年代後半に球団名を仙台ヤクルトスワローズに改めていた。
東映(日本ハム)は[編集 | ソースを編集]
- 後楽園への移転が数年早まるだけで、それ以外は史実通り。
神宮球場は[編集 | ソースを編集]
- 「プロ野球の試合が行われない=大学野球でしかプレーできない」という事になるので、地方の大学の野球部員にとっては、高校野球における甲子園球場以上に神格化された聖地になっている。
- 地方大学硬式野球部の合言葉は「目指せ神宮!」になる。
- 現実にそうなっているが、その言葉の重みは現実をはるかに上回るものになる。
- 地方大学硬式野球部の合言葉は「目指せ神宮!」になる。
- プロ野球の日程に縛られる事が無いので、自由に日程や試合時間を組んでいる。
- 東京六大学=土休日に一日1~2試合・東都大学=平日1~2試合なんてせず、土日午前=東京六大学2試合・午後=東都大学2試合も成立する。
- プロが試合を行わないので、最低限の改築しか行われない。なので史実ほど立派な球場にはならなかった。
- 未だに両翼は91mのまま。
- そのかわり、本塁打記録が更新されるかも。
- 未だに両翼は91mのまま。
その他[編集 | ソースを編集]
- 楽天は神戸を本拠地としていた。
- 長野の可能性も。
- NRNの土日ナイター中継枠はTBSと同時期に廃止された。
新宿に「屋根つき野球場」が完成していたら[編集 | ソースを編集]
1958年6月10日、日本テレビの清水社長は、新宿区東大久保に「屋根つき野球場」建設の構想を発表(出典「大衆とともに25年沿革史」(日テレ社史)112頁)したが、結局この構想は実現せず、これから丁度30年後の1988年春、文京区に国内初の「屋根つき球場」である東京ドームが開場しました。もし、この時の構想が実現していたら?
- 当時、後楽園球場を本拠地としていた巨人が本拠地をここに移転していた。
- 当然、「屋根つき」なので、野球中継の「雨天中止」は無い。
- 当然、「屋根つき」なので史実の1988年開業の東京ドームは存在しなかった。
- ここが「東京ドーム」を名乗っている。
- 野球以外のスポーツやコンサートも、ここでやっていた。
- 野球のオフシーズンには、日本テレビつながりで全日本プロレスの興行が毎週のように行われていただろう。
- 『正力タワー』も実現していたら、東新宿は、都内屈指の観光スポットになった可能性もあった。
- 完成時期によっては、1964年東京オリンピックで、何らかの競技が行われた可能性もあった。
- 後楽園は遊園地のみの施設となっていたかもしれない。
- 老朽化のため、1980~90年代に大改修が行われていた。
- 場合によっては新築移転していた。
川崎球場が○○だったら[編集 | ソースを編集]
ロッテの移転を認めなかったら[編集 | ソースを編集]
大洋ホエールズは当初、横浜スタジアム移転の際に「保護地域である神奈川県内の準本拠地として継続使用する」という理由から、横浜スタジアムへの本拠地移転を断念したロッテオリオンズの川崎球場の本拠地使用を認めませんでしたが、川崎市などの説得もありロッテの川崎移転という形で終止符を打ちました。 もし、大洋の主張通りにロッテの川崎球場移転が認められなかったら?
- ロッテのジプシー状態はもう一年続くことになった。
- 西武の所沢移転直後にロッテが福岡に移転した。
- 南海→ダイエーはどこに本拠を置いただろう。四国?
- 神戸のような気がする。オリックスは京都。
- 阪急は身売りせずに、西京極を本拠地としていた。
- 神戸のような気がする。オリックスは京都。
- 南海→ダイエーはどこに本拠を置いただろう。四国?
- 結局そのまま仙台を正式に本拠地にするかも。
- その場合、正式に仙台球場が建てられるだろう。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスは北信越あたりに本拠を置き「新潟楽天(or北陸楽天)」を名乗っていた。
- 新規参入時に候補に挙がってた長野じゃないのか?
- それでも日程に余裕のできた川崎球場での試合は前年より増加していた。
- 西武の所沢移転直後にロッテが福岡に移転した。
- 結局老朽化により川崎球場は取り壊しに。
- Jリーグ開幕に伴い川崎球場跡地にサッカースタジアムができた。
- スペースが足りないような・・・。
- あるいは川崎競馬の厩舎が多摩川沿いから跡地に移転していた。
- Jリーグ開幕に伴い川崎球場跡地にサッカースタジアムができた。
- いずれにせよ、千葉マリンスタジアムの完成と共に移転はしていたと思う。
横浜スタジアムが○○だったら[編集 | ソースを編集]
もっと早く開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 大洋ではなくヤクルト・ロッテ・東映が移転していた可能性もある。
- どこが移転してくるにしても、横浜市民にもっと愛される球団になっていた。
- 1960年代に建設された場合、建設時に国土計画が絡むことはなかった。
1970年代前半に開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実通り大洋が移転していた。ロッテは川崎に移転していた。
- ロッテは「ジプシー・ロッテ」と呼ばれることはなかった。
- プロ野球再編問題は起こらなかった。
- 後楽園球場に続いて、スコアボードに電光掲示板が導入された。
- その影響で、近鉄は、1970年代に、近鉄花園ラグビー場付近に野球場を建設していた。
- 場合によっては、1974年頃に開業していたかもしれない。
- 1972年に開業していたら、この年に開業していたテレビ神奈川は開局当初から大洋ホエールズの中継により力を入れていた。
- 史実よりも早くロッテの中継を開始していた。
TBSが横浜スタジアムを買収していたら[編集 | ソースを編集]
2003年ごろに構想があったものの、当時はまだ難しいということで実現せず。
- 無論ハマスタの改装は15年近く早まっていた。
- トイレは真っ先に改修されていた。
- それでもチームのモチベーションにはあまり影響しないだろうから、おそらく末期は野球よりもコンサートやイベントで稼いでいる状況だった。
- ネーミングライツ導入は間違いないだろう。
- DeNAの買収直後数年間は「横浜モバゲータウンスタジアム」みたいな名称になっていた。
- 横浜ドーム構想が浮上することはおそらくない。
- 現在はTBSとDeNAが株式を半分ずつ保有する形になっている。
建設されなかったら[編集 | ソースを編集]
- ハマスタに移転できない大洋は川崎球場を本拠地にし続けるが、老朽化もあり90年代序盤に千葉マリンに本拠地を移転。
- 川崎球場に移転できないロッテは宮城球場を正式に本拠地球場としていた。
- 90年代には球団名を「仙台ロッテオリオンズ」に改称。
- 楽天は神戸か長野を本拠地にしていた。
- 横浜公園平和野球場は史実とほぼ同じ時期(1977年ごろ)に解体。
- (Jリーグの創立が史実通りなら)横浜市はプロ野球不毛の地になっていたかもしれない。
横浜ドームが建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 横浜スタジアムは2軍専用球場になっていた。
- 雨天中止がないのでベイスターズの終戦が今よりもよけい早まっていた。
- このような球場を作るだけの球団愛が地元とTBSにあれば、DeNAとなる前に暗黒時代は脱してたと思う。
- 横浜市長主導なら現実通り。
- このような球場を作るだけの球団愛が地元とTBSにあれば、DeNAとなる前に暗黒時代は脱してたと思う。
- 当然広さが国際規格になる為、投手力重視のチームを目指すしかなくなる。
- 開閉式天然芝ならマリノスのホームゲームにも使われていた。
- 横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の建設がなくなる。
- 横浜アリーナの立場が危うくなる。「○大ドームツアー」のほうがインパクトあるし・・・。
ノリタケドームが実現していたら[編集 | ソースを編集]
1970年代にノリタケカンパニーがドーム球場を建設する計画がありましたが、もしこれが実現していたら?
- もちろん日本初のドーム球場になっていた。
- 2010年頃に老朽化で解体される。
- ノリタケが球団経営に乗り出していた。
- 買収されるのは西鉄ライオンズか?
- ドラゴンズが移転してきたかも。
- 名鉄栄生(さこう)駅が「ノリタケドーム前」駅に改名していたかも。
- 但しナゴヤ球場前駅は史実どおり山王駅に改名。
- 人工芝の影響でどちらかのリーグの記録が変わっていた。
- 史実で活躍した選手が選手生命を縮めた可能性すらある。
- さすがに現在は天然芝に近いものに張り替えられている。
- 史実で活躍した選手が選手生命を縮めた可能性すらある。
- ナゴヤドームが開業しなかったかもしれない。
- 上に書いた『新宿の「屋根つき野球場」』が完成してたら、現実味はありそうだったな。
- ドームそのものが陶器製となり、ティーカップを伏せたような外観を呈していた。
- 名古屋オリンピックが'88年に実現していたらその会場として使用された。
- とんねるずの木梨憲武がネタにしていたかも。
鳴海球場が存続していたら[編集 | ソースを編集]
名鉄のドラゴンズ経営撤退により試合数が激減し閉鎖された鳴海球場ですが、もしも存続していたら?
- 前提として名鉄がドラゴンズの球団運営から撤退していない可能性が高い。
- この場合はナゴヤ球場が解体されていたor全焼火災後に再建されずに閉鎖されていたか…?
- 名鉄自動車学校は史実とは違う場所に建設されていた。
- 鳴海駅は野球開催時に特急が臨時停車していた。
ナゴヤドームが稲沢操車場跡地に建設されていたら[編集 | ソースを編集]
稲沢操車場跡地はナゴヤドームの建設候補地の1つとして挙がっていたそうですが、もし稲沢操車場跡地にナゴヤドームが建設されていたら?
- ナゴヤドームの所在地は名古屋市ではなく稲沢市になっていた。
- 他球団のファンからは「名古屋市に無いのになぜナゴヤドーム?」と言われる。
- そのため「愛知ドーム」に改称される。
- 間違っても「オワリドーム」にはならない。
- そのため「愛知ドーム」に改称される。
- 名古屋市のプロ野球球団が消滅していた。
- 稲沢市そのものが名古屋市に編入されていた可能性は?
- 他球団のファンからは「名古屋市に無いのになぜナゴヤドーム?」と言われる。
- 稲沢駅に特別快速と新快速が停車していた。
- 稲沢駅に名鉄バスが乗り入れ。
- 国府宮駅と稲沢駅・ナゴヤドームを結ぶ路線バスが新設される。
- 国府宮駅との利用者数の差がが再び逆転する。
- 「ナゴヤドーム前矢田」はただの「矢田」になっていた。
- 名鉄の同名駅から離れているが堀田駅の例などが既にある。
- 「ナゴヤドーム(前)ヤダ」とネタにされることもなかった。
- 現実より交通の便が良くなっていた。
- 今現在進められている旧国道22号や周辺道路の整備も早く進んでいた。
- 阪神のナゴヤドームでの勝率が良くなっていた。
- 少なくとも2008年はリーグ優勝していた。
- 2006年も。
- 少なくとも2008年はリーグ優勝していた。
- 駅前にアピタではなくイオンが出来ていたかも。最もユニーのお膝元だが。
藤井寺球場が○○だったら[編集 | ソースを編集]
史実よりも早くナイター設備を完成させていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、1973年7月にナイター設備の設置工事も含めた球場の改修工事に着工しましたが、周辺住民の反対により、工事は中断し、1984年4月に完成しました。
- 早くても、1974年頃に完成していた。
- 藤井寺球場での主催試合が史実よりも多くなっていた。
- 日生球場での主催試合は史実よりも早く撤退していたかもしれない。
- 1979年、1980年の日本シリーズは藤井寺球場で開催されていた。
- 1979年のオールスターゲームも藤井寺球場で開催されていた。
- チームの本拠地が大阪ドームへ移転するのは史実通り。
もしラッキーゾーンを設置していなかったらor再び撤去していたら[編集 | ソースを編集]
元々シカゴの旧コミスキーパークのような直線フェンスの球場だったのが、1960年代後半の大規模改修で円弧状フェンスにするためにラッキーゾーンが設置されています。
- MLB球場のネオクラシックブーム勃発が最初に伝わった際にメジャー流のスタジアムとして再評価された、かも知れない。もっともバファローズの大阪ドーム移転前に間に合えば、とか総人工芝化されていたので総天然芝下工事も行われていれば、と言うのはある。
大阪ドームが○○だったら[編集 | ソースを編集]
別の場所に建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 天王寺
大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)は現在地(大阪市西区)以外にも天王寺公園が建設候補地になったこともありました。もし大阪ドームが天王寺に建設されていたら…
- 立地条件は現実よりはるかに良かった。
- 大阪では大阪球場以来の、ターミナル駅に隣接する球場となる。
- 天王寺動物園は南港か鶴見緑地に移転していた。
- 地下鉄の動物園前駅が後発の環状線に合わせ新今宮駅へ改称されていた。
- 阪神なんば線の「ドーム前」、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の「ドーム前千代崎」駅は設置されなかった。
- あるいは「千代崎」駅として開業していたかも。
- 阪神側は九条と同じく近鉄と駅名が重複していた。
- あるいは「千代崎」駅として開業していたかも。
- 南海の身売りがなかったらあり得た。
- ホークスの難波に次ぐ本拠地になる場合、南海電鉄は天王寺支線を廃線しなかったかも。
- 建設・開業する時代が時代なら、バファローズではなくホークスがこちらに移転してきたかも。
- その場合近鉄は東大阪市の花園に新球場を建設していた。
- 建設・開業する時代が時代なら、バファローズではなくホークスがこちらに移転してきたかも。
- ホークスの難波に次ぐ本拠地になる場合、南海電鉄は天王寺支線を廃線しなかったかも。
- 場合によっては1000mクラスの超高層ビルと一体構造で建設されていた。
- もちろん日本一の超高層ビルとなっていた。
- 門真
市内にはなみはやドーム(現東和薬品ラクタブドーム)があります。
- 大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)長堀鶴見緑地線の門真南延伸はドーム開業に合わせて半年ほど早まっていた。
- 大阪モノレールも早期に門真南まで開業していた。
- 東大阪市内への延伸も早まっていた。
- 大阪モノレールも早期に門真南まで開業していた。
- 球場の立地の関係上バファローズは京阪沿線での人気が高まっていた。
- 門真市はパナソニック以外に野球の町というイメージも生まれていた。
建設されていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 近鉄バファローズの本拠地は1997年以降も藤井寺球場。
- 阪神タイガースの開幕ゲームがビジターになっていた。
- 現在でも「死のロード」が存在する。
- 日程をうまく調整して、阪神が近鉄の許可とって藤井寺ホーム開催になる…可能性はないか(史実でいうと大阪ドームで阪神ホームの試合があるような)。
- 倉敷開幕ならありえたかも。
- むしろグリーンスタジアム神戸になってそう(阪神は兵庫県の球団なので)。
- 西京極でのホームゲームが増えていたかも。
- 日程をうまく調整して、阪神が近鉄の許可とって藤井寺ホーム開催になる…可能性はないか(史実でいうと大阪ドームで阪神ホームの試合があるような)。
- 現在でも「死のロード」が存在する。
- 近鉄バファローズは現在でも存在している。
- 大阪ドームがあっても無くても、地域密着を打ち出して大阪近鉄バファローズになるだろう。
- 史実通り合併に至った場合、本拠地は神戸になり球団名も「神戸オリックス・ブルーウェーブ」に変わっていた。
- 大阪府内からプロ野球の本拠地がなくなっていた。
- 阪神なんば線の建設が取りやめになっていたかも。
- 建設されていた場合、最短ルートで桜川へ向かっていた。
- あべのハルカスは建設されなかった。
- ハルカスの計画自体大阪ドームと一体だったので。
別の時期に開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 全般
- 場合によっては、大阪市がドームの経営に一切関わらなかったかもしれない。
- 1970年代
- 日本初のドーム球場になれた。
- 近鉄バファローズが移転してきた。
- 1980年代
- 1990年
- 1990年代(1991年以降)
- 南海→ダイエーが大阪から離れなかったらあり得た。
- 2000年代
- 合併でオリックスバファローズが誕生した際に移転してきた。
- 史実以上に「新しい球団」という印象を与えることに成功できた。
阪神甲子園球場が○○だったら[編集 | ソースを編集]
阪神と南海の共用体制が1951年以降も続いていたら[編集 | ソースを編集]
甲子園球場は阪神の本拠地ですが、南海も一時期本拠地にしていました。1950年秋に大阪球場が完成するとそちらへ移転しましたが、この球場は1948年に南海球団が自前の球場を設けてもいいということになったので建てられた球場でした。 もし、大阪球場が建てられず、南海が1951年以降も甲子園を本拠地にしていたら?
- 南海も「死のロード」を経験していた。
- よって、南海の優勝回数は実際より大きく減っていたと思われる。
- その代わり、西鉄や毎日が優勝回数を伸ばしていた。
- 阪急の黄金時代も現実よりも早く到来していた。場合によっては日本シリーズが阪神×阪急という西宮対決になっていたかも。
- 甲子園球場の老朽化が実際よりさらに進み、平成初頭には改修工事がなされていた可能性も。
- 1995年時点で改修工事が完了してなかった場合、阪神大震災での被害が現実よりも大きく、同年のセンバツは開催されなかった可能性も。
- 阪神タイガースの試合日程にも影響を与えていた。
- 1995年時点で改修工事が完了してなかった場合、阪神大震災での被害が現実よりも大きく、同年のセンバツは開催されなかった可能性も。
- 近鉄は近畿の他球場を間借りしていた。
- 大洋と松竹の合併も遅れた可能性も。
- 1960年代に入って南海は中百舌鳥あたりに新球場を建設していた。
新甲子園ドームが建設されていたら[編集 | ソースを編集]
1990年代序盤、甲子園球場をドーム化する計画がありました。建設地は阪神パーク跡地などが候補になりましたが、バブル崩壊や西梅田地区の再開発優先等で計画は立ち消えとなり、2004年に改めて改修計画が出された際も、高校野球界からの圧力等でドーム化は取りやめとなっていました。 もし、甲子園ドームが建設されていたら?
- 阪神の低迷が長引き、今なおAクラスに浮上できてなかった可能性も。
- 最近の夏は猛暑が多いので、むしろ夏場の成績は現実よりも良かったかもしれない。
- 2005年以降にもリーグ優勝できていた可能性もある。
- 最近の夏は猛暑が多いので、むしろ夏場の成績は現実よりも良かったかもしれない。
- 甲子園球場前の駅名が変わっていた。
- 駅から球場まで遠くなっていた。
- 甲子園球場が取り壊されていたら、跡地には野球メモリアル博物館とかが出来ていた。
- これまでの阪神タイガースや、高校野球の変遷等を紹介。
- あるいはららぽーととキッザニア甲子園ができていたかも。
- 夏の高校野球は、1999年以降は毎年55校開催になっていた。
- 雨天中止が無いため、会期にも余裕ができる。
- NHKや朝日放送で雨傘番組は用意されない。
- でも、台風や豪雨の影響による中止はあるだろう。
- 2008年大会では60校ぐらいで開催してたかも。
- 最近の猛暑による高校球児への負担も減っていた。
- 雨天中止が無いため、会期にも余裕ができる。
- 高校野球ファンの嘆き節が止まらない。
- ららぽーととキッザニア甲子園は建設されていなかった。
- あるいは甲子園跡地に建設されていた。
- 当然阪神パーク閉園も早まった。
- 阪神大震災以前に閉鎖されていた。
- 甲子園球場→高校野球、甲子園ドーム→阪神ってのは?
- この場合阪神に死のロードは存在しなかった。
- 阪神が夏から秋にかけて失速するシーズンが少なくなるので、シーズン成績がマシだった。
- 西武や神宮みたいに球場が並存していても全くおかしくはない。この場合球場側は2軍本拠地になっていた可能性も?
- この場合阪神に死のロードは存在しなかった。
- 近年の猛暑により、高校野球兵庫大会のメインスタジアムや高校軟式野球大会の開催場所が甲子園ドームに変更されたかも。
- TUBEや水樹奈々などのライブは甲子園ドームで開催されていた。
ラッキーゾーンが撤去されていなかったら[編集 | ソースを編集]
1991年シーズン終了後、甲子園球場からラッキーゾーンが撤去されました。もし撤去されていなかったら?
- 1992年シーズン、阪神は優勝していたか?
- 例の八木の幻の一打は文句無しに本塁打だった反面、この年の躍進は甲子園が広くなったことによる投手陣の防御率の向上も大きかった、と言えるだけに…
- 今頃東京ドームのエキサイトシートみたく座席が設置されていたかもしれない。
- 21世紀に入ってからの阪神の成績も現実よりも良かったかもしれない。
- 2005年以降にも何度かリーグ優勝・日本一を経験していた可能性もある。
- 間違いなくホームラン数は多かった。被弾数も多かったかもしれないが。
- 阪神は現実よりも打高投低型のチームとなっていた。
- 2010年以外に強力打線で優勝争いをしたシーズンが何度かあった。
- 1992年以降も金森栄治氏のように、ホームラン性の外野フライを追ってラッキーゾーンのフェンスを乗り越えて入ってしまう外野手が続出していた。
- それでも2000年代後半に行われた甲子園球場リニューアルでラッキーゾーンが撤去されていた可能性もある。
阪急西宮球場が○○だったら[編集 | ソースを編集]
野球場で競輪が開催されていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 西宮球技場がある場所のあたりに、競輪場ができていた。
- その代わりに、全国高校サッカー選手権大会は西宮球場で開催された。
- 阪急ブレーブスの身売りは史実よりも遅れていたかもしれない。
- 西宮球場の閉鎖が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 史実の競輪開催終了年の2002年には既に解体工事が終了していた。
福岡ドームが○○だったら[編集 | ソースを編集]
建設されていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 鴻臚館遺跡が発見されなかったら、平和台を改修して継続使用していた。
- 史実通り発見されていたら、隣の陸上競技場を野球場に作り替えたか博多の森に新球場を建設していた。
- ホークスタウンモールももちろん存在しない。
- 2000年の日本シリーズがあんな変則日程になることもなかった。
屋根が開閉式じゃなかったら[編集 | ソースを編集]
開閉式屋根付きドームではあるものの、開閉の頻度は非常に低く無用の長物化しています。もし、開閉式じゃなかったら。
- コストを抑えられるので、ダイエーグループの経営も少しは楽だったかも。
- 『ガメラ 大怪獣空中決戦』の展開が大幅に変わっていた。
- 「ギャオス捕縛の為に屋根の開閉を利用する」という策が使えなくなるので、福岡ではない別の場所が襲撃対象になっていたかもしれない。
- 有明コロシアムかな?
- 「ギャオス捕縛の為に屋根の開閉を利用する」という策が使えなくなるので、福岡ではない別の場所が襲撃対象になっていたかもしれない。
- 建設されたのがバブル時代じゃなければ可能性はあった。
ホームランテラスが新設されなかったら[編集 | ソースを編集]
2015年シーズンより新設されたホームランテラスですが、物議を醸していました。もし新設されなかったら?
- ソフトバンク2連覇は史実通り?
- 連覇はともかく「30発トリオ(松田、柳田、李大浩)」は達成しなかっただろう。
- 柳田のトリプルスリー達成もなく、「トリプルスリー」は流行語大賞にノミネートすらされなかった。
- 連覇はともかく「30発トリオ(松田、柳田、李大浩)」は達成しなかっただろう。
別の時期に開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 全般
- 時期によっては、福岡市内の別の場所に建設された可能性がある。
- 1989年
- よかトピアに合わせて建設された。
- ドームの運営会社は、当初「株式会社福岡ドーム」を名乗る。
- 福岡市・福岡県と、九州電力・西部ガス・西日本新聞などの地元有力企業でつくる、第3セクターだった。
- ドームの運営会社は、当初「株式会社福岡ドーム」を名乗る。
- 開業の翌年に開催されたとび梅国体で、一部の競技が行われた。
- 南海→ダイエーではなくロッテオリオンズがここに本拠地移転したかも。
- この場合南海→ダイエーは神戸、阪急→オリックスは関西か千葉に移転していた。
- 2004年の球界再編でダイエーは楽天へ、ロッテはソフトバンクにそれぞれ球団を譲渡していた。
- 近鉄はライブドアが買収するが、(2006年のホリエモンの逮捕が史実通りならば)その年のオフにまた身売りという事態に…。