もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関東私鉄
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- 台車が特殊で保守に難があったためお流れに
- 7000形はなかった。
- 富岡製糸場が世界遺産にならなかったらでもある。(これにより補助金が増額されたので新車導入に踏み切れた)
- 東武からの譲渡車として話題になっていた。
- 一方で上毛電気鉄道300型(東武から上毛に譲渡されたが5年で引退)の二の舞を危惧する声が出た。
- 上毛300型は非冷房・釣りかけ駆動だったから二の舞にならないのでは。
- 東武8000系の他にも東急8090・8590系があった。
- =上信電鉄が20m級の3ドア車に固執しなかったら、といえる。
- JR東日本から107系を購入することはなかった。
- 8000系2連車を捻出するべく10000型2連車のワンマン化改造が史実より早く行われた(譲渡が実現しなかった理由に東武の廃車予定時期と上信の譲渡希望時期が合わなかったのもある為)。
- 上記の東武8000系と比較検討されていたが、富岡製糸場が世界遺産に登録されたため、中止となった。
- 7000形はなかった。
- 秩父鉄道にも譲渡されているため、導入される車両は中間車から改造していた。
- あるいは秩父鉄道に7800系が来ず、7500系のみの導入となった。
- JR東日本から107系を購入することはなかった。
- 上信電鉄はステンレス車の導入に対する躊躇いが無くなる。
- 250形、1000形、6000形、500形の置き換え用としてJR東海から211系6000番台を譲受していたかも。
- 急行「秩父路」用として京阪旧3000系を購入することを検討したそうですが、結局実現しませんでした。
- 首都圏において京阪電車に乗れることがファンの間で話題になっていた。
- 有料列車になるので批判されるかもしれない。
- 南海2200系の銚子電鉄譲渡はそこまで話題にならなかったかも。
- 外部塗装は京阪時代のまま、テレビカーも健在。
- 外装はともかくテレビカーは撤去されていたと思う。
- 走行機器は富山地鉄や大井川鐵道に譲渡された車両と同様別に調達していた。
- 現実に導入された3000系(元JR165系)よりも新しいことから、2015年現在も現役で活躍している可能性が高い。
- となると台車(京阪は標準軌、秩父・地鉄・大井川は狭軌)を換装出来たかがターニングポイント。営団地下鉄の台車から交換できた富山地鉄は今でも現役、できなかった大井川鐵道では引退した事を考えると尚更。
- 一般車両が元東急の車両への置き換えに連れて見劣りが否めなくなるので一般車両と同時期に置き換えられた可能性も。
- 史実通り西武101系に置き換えられていた。時期は遅いかもしれないが。
- あるいは西武10000系が譲渡されていたかもしれない。
- 富山・大井川とは異なり中間車も譲受していた。
- ダブルデッカー車かどうだったかは微妙だが。
- 富山地鉄は阪急2800系を譲り受けていたかもしれない。
- 座席は当初の予定通り京阪3000系のものを調達していた(譲渡から漏れた中間車のものを中心に)。
- 2002年以降も、埼玉県内で転換クロスシート車に乗ることができた。
- モハ63形2両が入線する予定であったが、在来車の地方私鉄への供出を嫌ったため辞退。
- 国鉄モハ50形借り入れ→西武モハ311形編入はなかった。
- 史実通り63系の払い下げもしていた場合、この車両も初代401系になっていた。
- 戦後の西武は早くに20m4扉車を標準としていた。
- 全席ハイデッカー仕様の3両編成の特急車両。図面は近江鉄道「あかね号」に流用されたという説がある。
- 計画通り秩父鉄道への直通特急として運行されていた。
- とはいえ直通区間はせいぜい長瀞までだっただろう。
- 案外小田急10000形のようにバリアフリー対応が困難なことから早期に廃車されていたかも。
- 秩父鉄道が3000系置き換え用に購入していた。
- 長大トンネルを抜けるため、貫通扉が設置される予定だったらしい(ソース:Rail Magazine)
- 5000系置き換え用として計画されていたが、費用対効果が薄いことや競合交通機関のなさもあり、10000系が導入されることになった。
- JR四国8000系をベースに導入していた。
- 完全新製車なので001系への置き換えはなかったか遅れていた。
- 機器流用がないのでその分5000系や101系から改造の5両や8両の9000系が製造される
- 史実では小田急8000形と東急9000系がサステナ車両として西武に譲渡されますが、これが別の車両だったら?
- JR東日本E217系
- トイレ付きセミクロスシート車のため、特に4000系の置き換えにはうってつけだった。
- 数は豊富なのでサステナ車両が全てこれになっていた可能性も。
- この場合4000系置き換え分以外はロングシート車をあてていた(ついでにそちらはトイレを撤去)。
- 改造費用を抑える為、基本編成(6連短縮分のみ)と付属編成との間で組成変更も行われる。
- この場合4000系置き換え分以外はロングシート車をあてていた(ついでにそちらはトイレを撤去)。
- 伊豆急行に譲渡された209系2100番台と比較される。
- インドネシア譲渡の話がなければ本当にこうなっていたのかもしれない
- 東京臨海高速鉄道70-000形
- 編成数を考えると小田急8000形のかわりに6連の分がこれになっていたと思われる。
- JR九州に譲渡されることなどなかった。
- 都営地下鉄6300形
- 元が6連なのでそのままの両数で譲受していた。
- 1・2次車の数の関係で恐らく4連はない。
- 小田急1000形
- 流石に更新車を小田急が放出することは無いだろうから、未更新車が譲渡されていた。
- ワイドドア車も譲渡対象外となった。
- 電磁直通ブレーキ車なのでブレーキ改造が必須になりそう。
- 機器更新も必要だろうからこうなれば改造費用が高くついてしまうことに。
- むしろ電磁直通ブレーキであることを活かし西武9000系と扱いが共通化された。
- 小田急3000形
- 更新が噂されておらず、かつドア幅が広幅でない2次車を譲受していた。
- 形式名は当然3000系となる。
- 下手をしたら「本命だったが小田急側が手放す気ゼロで諦めて8000形にした」という説など、現実性は高めだった可能性がある。
100系の4両編成版。6編成投入予定だった。
- 100系とは違い、コンパートメントは持たなかった。
- 野岩鉄道・会津鉄道にも乗り入れていた。
- 「きりふり」「南会津」「しもつけ」で運用され、最初から特急だった。
- 300・350系は登場しなかった。
- 1800系が持て余すため、東上線に転用されていたか史実より早く格下げ改造されていた。
- 後者だと1800系の機器を流用した通勤車に改造され、編成数が一致する野田線に転用されていた。
- 京成3400形のように10030系を鋼製車体にした車両として登場していた。
- ひどいと東武5070系が早期廃車の上で車体流用された。
- どちらにせよ今頃は80000系の置き換え対象になっている。
- 後者だと1800系の機器を流用した通勤車に改造され、編成数が一致する野田線に転用されていた。
- これらのことから、500系は登場しなかったかもしれない。
- 1800系が持て余すため、東上線に転用されていたか史実より早く格下げ改造されていた。
当初は1800系の機器を流用する案もあった。
- おそらく史実で唯一転用されず廃車された1814Fの機器を流用していた。
- ただし一部機器は新製とし、回生ブレーキ付き4M2Tの界磁添加励磁制御となった。
- 書類上は1814F→251Fの改造扱いになる。
- 通勤転用車の廃車後一部の200系が同車の廃車発生品に機器更新していたかもしれない。
- ただしその編成が250系化されたかは微妙。
- 機器流用版の250系が4M2Tの先頭電動車だったら十分に考えられた。
- ただしその編成が250系化されたかは微妙。
- 110km/h化に影響が出ていた。
- 場合によっては110km/h化が見送られていたかもしれない。
- ただし4M2Tの界磁添加励磁制御とされた場合、影響は出なかった。
200系投入で捻出した1800系を東上線に転用する案があった。
- 恐らく秩父鉄道直通特急に投入されていた。
- しかし特急の有料化で利用者の不満が募っていた。
- 有料列車としての水準が劣るので料金不要のままだったかも。
- 西武鉄道も対抗して有料特急車を導入。
- よって、7000系の投入が実現していた。
- 1800系は設備が見劣りするため大規模なリニューアルで対応していた。
- 「TJライナー」以前に通勤時間帯の有料着席列車が実現していた。
- 恐らく名称も異なっていただろう。
- =もしフライング東上が有料特急として成功していたら、である。
- そもそも成功していたらためらわれることなく実現していた。
- 格下げ改造されることはなかった。
- 現在に至るまで残留していたかは微妙。
- 後継車両は史実の50090系を基本6両+付属4両にした車両になっていた(そうしないと秩父鉄道に入線することができない)。
- フライング東上をイメージしたカラーリングに変更されていた。
6000系のモデルチェンジ車として両開き扉を持ち、冷房を備え、集団見合い式セミクロスシートを採用した車両。6000系の増備車となるが、あくまで登場していたらということでここに記載。
- 5700系を置き換えていた。
- そして3070系への機器流用対象となった。
- だいや・おじかにはこの車両が優先的に投入されていた。
- 6000系から6050系への改造はこの車両の設備を踏襲していた。
- 6050系への改造は免れていた。
- その代わり、8000系のような大規模な更新を受けていた。
6050系への改造に際して転換クロスシートを採用する案があった。
- 私鉄の117系と呼ばれていた。
- だいや・おじかにももちろん投入されていた。
- 東日本は転換クロスシート車不毛の地と言われ続けることもなかった。
- E217系も当初の通り転換クロスシート案が採用されていた。
- 側面は京阪旧3000系と似たような感じになっていた(実際に設計図までできていたらしい)。
- 改造時期にもよるが213系に似た車両になっていたかも(ただしこちらは裾絞りのない鋼製車体で扉配置が微妙に異なる)。
- それはこっちじゃない。
- 間違いなく近鉄5200系に影響を与えていた。
- 西武4000系も転換クロスシート車になっていた。
- 下記の富山地方鉄道への譲渡が実現していたかもしれない。
1980年代にステンレス製通勤車が検討され、アルナ工機でモックアップが製造されたが、導入には至らなかった。形式は諸説ある為不明。尚、後に登場する9000系や10000系とは別の車両。
- 製造されても少数派で終わっていた。
- 他の8000系同様、その後青と水色の帯が追加された。
- 2000年代には更新工事の対象となり、前面も他の8000系と同様のタイプに改修されていた。
- 現在は全車野田線に配置されている。
- 8000系として製造された場合、80000番台あたりからがステンレス車にモデルチェンジされていたかも。
- ファンが恣意的に80000系と呼ばれていた。
- 9000系の没案かもしれない。
- この車両がうまくいっていれば、阪急も7300系あたりからステンレス車体になっていたかもしれない。
- 北急8000形もステンレス車体だったかも。
- 7300系が廃車とならず、この車体で再更新された。
1960年代に計画されていた。
- 2000系の前面に8000系の側面を組み合わせた車両だった。
- もしくは2000系の下回りに8000系の車体を組み合わせた車両だった。
- 野田線が旧型車の墓場と揶揄されることもなかった。
- 車齢を考えると1990年代には淘汰の対象になっていた。
- 10050系が新車で野田線に投入されていた。
- あるいは8000系と同時期にリニューアルが行われていた。
- 支線や北関東に転用されたかも。
- 性能は101系並だった。
- 私鉄の101系と呼ばれていた。
- 2080系は登場しなかったか、別の路線に投入されていた。
- 上述のように支線や北関東に転用されたかも。
- 形式は7000系だった。
- 8000系と同様に1980年代半ばには新塗装化されていた。
1980年代に計画されていました。
- ステンレス車体になっていた。
- 上記のステンレス車の試作車体は実は7300系の更新用だったとか…。
- 5070系もステンレス車体だった。
- 世にも珍しいステンレス車体の釣掛車となっていた。
- 余談だが、アルミ車体のつりかけ車は、相鉄と北鉄→大井川に実績がある。
- 後にVVVF車に更新されていた。
- いや、東武の感覚では機器更新には消極的だからそのまま廃車になっていたかも。
- あるいは1800系の廃車発生品を転用していた。
- 相鉄3000系と比較されていた。
- 10000系の製造数が減っていた。
- 冷房は5050・5070系同様、備えていた。
- 形式は7000系だった。
- あるいは5010系・5090系だった。
- 釣り掛け駆動の界磁チョッパ制御だった。ちなみに、釣り掛け駆動の電機子チョッパ制御なら、山陽電気鉄道にいた。
- いや、界磁チョッパ制御は複巻電動機でないと使用不可。界磁位相制御や界磁添加励磁制御であれば考えられた。
- 釣りかけのままなら、2010年頃まで使用していた。新性能化されていれば、令和に入っても生き延びていた可能性が高い。
日比谷線車両20m化の際に60000系を7両に増結して日比谷線直通に転属させ、穴埋めとして野田線に20000系と営団03系を走らせるという噂がありました。
- 18m3ドア車ばかりになった沿線民の心境はいかに。
- ホームドアなんてできるわけがない。
- 70000系は無かった。
- 塗装は東武と共通化されていた。
- 形式は東武20000系に編入されていた。
- 前提文通りだと20000系も野田線に転出するので、20400型への改造数が減っていた。
- 実際に、計画では、2階建て車両が投入される予定があり、完成予想図や模型も作られていました。
- 2010年代後半以降に、京阪電鉄のプレミアムカーのような座席指定車両が投入されていた。
- 全席座席指定列車である「つくばライナー」を設定されていた。
- 後継の3000系電車に影響があったかもしれない。
- 計画段階で元のイラストの3扉から4扉に変更されていた。
- 8両の譲渡が計画されたが、資金難により実現しなかった。
- 3716F〜3719Fが譲渡されていた。
- 伊予鉄道800系を譲受しなかった。
- 700系も。
- 南海2200系も。
3600形は8連化を想定していましたが、8連化用車両は登場しませんでした。
- そもそも先頭車がすべて電動車だったらあり得た。
- 付随車として登場していた。
- 1991年以降に製造された場合、3700形と同一の車体となっていた。
- 史実の8連化で持て余した車両は存在しない。
- その分、電装化した6連(現在は4連)が登場することはなかった。
- 牽引車代用になることもなかった。
- その分、電装化した6連(現在は4連)が登場することはなかった。
- 2012年頃に3600形自体がVVVF化された。
- 先頭車が付随車だった場合は先頭車の電装も同時施工された。
当初新京成電鉄8900形はダブルデッカー車を連結するという大胆な計画がありましたが、「駅間距離が短い」という理由で没となりました。
- クロスシートになっていたのだろうか…
- 駅間距離の短さから利用者に敬遠され、全編成6両化の際に早々に廃車となっていた。
- 喜んで乗るのは長距離乗車する人と鉄オタくらい。
- 確実に「迷列車で行こう」シリーズでネタ化されていた。
- さすがに1両だけ2階建てにしていただろう。
- 10両対応可能な駅があるが。
- 現実にはない特別車が設定されたかも。
- =コロナの流行がなかったら。
- 関東大手私鉄は、全社に10両以上での運行実績があることになる。
- 桃花台新交通の廃止時に実際に譲渡を打診されていた。
- ユーカリが丘線の建築限界が桃花台新交通と同じだったら十分あり得た。
- それでも路線の構造上編成の組み替えは避けられなかった。
- 首都圏から冷房車両が存在しない路線が消えていた。
- はたして愛称はどうなっただろうか?置き換えられるであろう1000形のものを継いだか、それとも「こあら4号」以降を名乗ったか…
- ピーチライナーから連想するなら「ピーチ」か「もも」になるのか。
- 地下鉄乗り入れ機器を設置して目黒線に転属させる構想があったが実現しなかった。
- 3000系はなかった。
- そのため実際の5000系は3000系に、6000系は5000系に、7000系は6000系になっていた。
- 3000系は東横線用の新車として導入されていた。
- 結局5000系の投入で大井町線に転属している気がしなくもない。
- 副都心線直通運転開始後も東横線に9000系が残っていた。
- ただし8両のみで各駅停車・8両急行専用になる。
- むしろ運用増により9007Fも大井町線から没収、大井町線は2020年代になっても8500系の天下が続く。
- 帯の色は史実の3000系に近いものになっていた。
- 新規製造ならともかく、改造ならば6両化改造で中間車がいくらか余る。
- むしろ目黒・南北線は8両で運転される(埼玉スタジアム対応)。
- 三田線も8両になるかは微妙、白金高輪で全列車接続で済ませる???
- むしろ目黒・南北線は8両で運転される(埼玉スタジアム対応)。
- 2000系も2020系投入により6両化され、目黒線に転属していた。
- 編成構成は4M2Tで、機器更新を実施。
- 余剰12両はさすがに廃車。
- 3020系の導入は史実通り。
- 相鉄直通には流石に対応せず、3020系で置き換え。
- 史実より早く置き換えが進んでいたため、その分早く西武鉄道に譲渡されていた。
- 上記2000系も3020系による置き換え対象となった。
- 相鉄直通には流石に対応せず、3020系で置き換え。
- 平成23年度までに、田園都市線では混雑緩和と輸送力増強を図るがために、5000系250両(およそ35編成)が導入される予定で、内訳は8500系(非軽量車体)30本、8590系2本の置き換えと、3本の増発用を兼ねていた。しかし、8631F以降の軽量車体は残存するや、VVVF制御を設置した上での12本が継続使用を予定されていた。
- 5000系が予定通り35本全て投入となると、リーマンショックは恐らく発生せず。
- 当然導入中止となることもなく、5000系が東横線に転用されることもないため、9000系の置き換えor大井町線転用なども行われることはなかった。
- 非軽量車体に施されていたラッピング広告が実施されていた(伊豆の夏号〜8614Fなど)
- 大井町線でも8638F〜8641Fの計4本が未だに活躍していた。
- 今よりも多くの8500系列が国内外各地で中古車が散見されていた。
- 特に秩父電鉄や福島交通、KRL(ジャカルタ都市鉄道)は8500の宝庫ともされた。
- VVVF換装以外にも諸共の内装や機器など、9000系とほぼ同一化されていた。
- ヘッドライドはHID化、ダンジョンポータルや車内表示器の設置、側面部の行先表示はフルカラーLED化、床材の黒調片化粧板への交換などなど。
- モケットシートは赤柄の7人掛けへ、吊り革の三角型への交換、さらには自動放送機材の投入も行われていた。
- ヘッドライドはHID化、ダンジョンポータルや車内表示器の設置、側面部の行先表示はフルカラーLED化、床材の黒調片化粧板への交換などなど。
- サークルK運用は指定されず、全車が南栗橋or久喜まで直通される。
- 2020年頃にようやく置き換えられる。
- 2020年頃に9000系が三菱sicに更新され、内装も2020系に準じたものになる。
「あさぎり」の電車化で持て余したキハ5000・5100形を停電時の救援用に残す案もあったが、保守面でのメリットのなさから見送られた。
- 関東鉄道に譲渡されることはなかった。
- 2エンジンを有する3ドアロングシート車は存在していなかった。
- 気動車では珍しい救援車の例として挙がっていた。
- 出力の大きさから牽引車としてももてはやされた。
- 南海も「きのくに」廃止で余ったキハ5551型を後年救援車として活用していたかもしれない。
- 事業用車となるので形式はキヤ5000・5100形に変更されていた。
- 国鉄の感覚では「キエ」となるが、私鉄では考えられないため。
- 西鉄「呼んだ?」
- 国鉄の感覚では「キエ」となるが、私鉄では考えられないため。
- 当時「あさぎり」に使われていたSSEが老朽化していた為に新型車両(LSEの短編成版?)を製造して置き換える予定だったらしいが、国鉄分割民営化直前のゴタゴタで実現しなかったという。
- 当時の国鉄が新型車両を作るとは思えないので、20000形と371系の双方が存在しなかった。
- 結果として「あさぎり」は一貫して小田急の片乗り入れ運用だった可能性が高い。
- 一方で国鉄への貸し出しは史実通り行われていたと思われる。
- 7000形の全編成に「あさぎり」の種別幕が用意されていた。
- 箱根特急用よりも短編成なのが災いし、史実通り60000形に置き換えられていた。
- 富士急行への譲渡が行われたかどうかも怪しい。
- ファンからは「SLSE」と呼ばれていた。
- 6号車と7号車の運転台を撤去して中間車にするという噂が一時期あったらしい。
- 小田急の分割併合する急行の廃止が早まっていればこうなっていた可能性がある。
- 運転台撤去車は近鉄8000系のそれみたいな構造になっていた。
- 全編成を改造するならチョッパ制御車の2編成もVVVFインバーターに更新されていた。
- 小田急3000形も6連と8連から10連と4連を仕立てた編成が早々と現れた。
- 西武への譲渡対象外となり、代わりに3000形が西武送りになっていた。
- あるいは6両に短縮の上譲渡されていた。余剰となった中間車は廃車。
- 当初案は特急用車両として、2扉クロスシートになるはずだったが、混雑率の悪化の見越して、結局3扉ロングシートになった。
- 恐らく転換クロスシートを採用していた。
- 一畑電車には、台車以外ほぼ無改造で譲渡されていた。
- 富士急では、有料特急の運用もあった。
- 京急2000形みたいな集団離反式シートを採用していた可能性もある。
- 同じ日本車輌製の名鉄7000系をベースとした車体構造だった。
- 流石に6000系以降は事実通り4扉車ロングシート車が製造されていた。
- 8000系も特急用車として登場していた。
- 流石にロングシート主体の4扉だが、車端部だけでもクロスシートになっていた。
- 1980年代以降、朝ラッシュ時にこの形式を優等運用に入れることには、流石に無理があった。
- 扉の増設改造が行われ、3扉か4扉になっていた。
- 増設された扉が場合によれば両開きだった。
- 扉の増設改造が行われ、3扉か4扉になっていた。
- 京王ライナーは史実よりはるかに昔から運転していた。
- この場合、8000系は4扉転換クロスシート車だった。また、2代目5000系の登場が史実より遅かった。
- 近鉄より先にL/Cカーを開発していたかも。
- この場合、8000系は4扉転換クロスシート車だった。また、2代目5000系の登場が史実より遅かった。
- オールロングシート車で初の冷房車は、京阪2400系だった。
- 京王ライナーは当初は8000系をL/Cカーに改造して運行する予定だった模様。
- 計画変更の背景に中央快速線へのグリーン車導入があったようなので、これが無かったことが前提になりそう。
- 車体修理工事と併せての施工になっていた。
- 流石に10両編成全てには施されなかっただろう。
- 逆に、コケた時の保険として、8両固定編成を種車にしていたかも。
- 他の車両と区別の為帯の配色が変更される。
- それこそ史実の5000系と同じ感じになっていたか。
- あるいは近鉄のようにマークをつけていたかも。
- 5000系はロングシート車となっていた。
- 2000系を名乗っていた。史実の2000系(2代)は実現しない。
- ロングシート車をLCカーに改造した点では近鉄2610系・2800系と、一般車を有料特急車に改造した点では近鉄16200系と比較される。
- 前面形状を大幅変更して流線形とする予定だった。久里浜工場にモックアップが存在する。
- モックアップ通りのデザインでは泉岳寺に入線できなくなるので、全面貫通扉はどちらにしろ設置されていた。
- 前面が似ているので、台鉄ラッピングは本車両とEMU800型の間で行われていたかもしれない。
- 久里浜線の三崎までの延伸が実現していたら、あり得たかもしれない。
- その場合、京急ウィング号の本数が史実よりも多くなっていた。
- 早くても、2001年3月or4月頃に入籍していた。
- こいつもきっと歌ってたろうな。その後東洋IGBTに更新されるだろうが。
- あるいはIGBTで叫んでいた可能性もある。
- 創立総会の資料では今の209ベース(70-000形)の車両ではなく205系ベースだったそうです。
- りんかい線がもう少し開業早かったらこうなっていたに違いない。
- その分りんかい線の新型車両も史実より早く導入されていた。もちろん埼京線と同様E233系ベース。
- 置き換えも同時期に行っていた。
- その後は全車両がインドネシアに譲渡されていた。
- 置き換えも同時期に行っていた。
- その分りんかい線の新型車両も史実より早く導入されていた。もちろん埼京線と同様E233系ベース。
- 八高線への買い取りは史実通り。205系3100番台として改造された。
- 3100番台は仙石線用で既に使われてたから3050番台か3200番台じゃないかな。
- ただし史実の209系3100番台と異なり、不足する中間車は新造せず元山手線の車両を転用していた。
- もしくは中間車12両と6連2本がりんかい線で引き換えとなった。
- 車内の行先表示器は無かった可能性が高い。
- 2002年度増備車は、205系5000番台と同じ東洋IGBT。それ以前の増備車は添加励磁制御。
- あるいは、2002年度増備分も5000番台への改造で発生した界磁添加励磁制御の転用で対処された。
- 予備部品確保の観点から71-000形の導入が早まった。
- 早いと2023年頃を目処に全廃されている。
当初は70-000形の他に103系(1000番台の予定だったらしい)を6連3本借入する予定だった。世界都市博中止により実現せず。
- =世界都市博が開催されていたら、である。
- 70-000形と同じ塗装になっていた。
- 遅くとも大崎延伸までには廃車されていた。
- 2004年に線内折り返し用6連運用が消滅するまでは運用されてたかも。そうなった場合、八高線の209系も史実と異なる組成になっていた。
- 8000系導入前後に際し5100系に次いで検討されましたが新車投入の方針に切り替えられあえなくボツに。
- 形式は2000系に戻されたが、5000系と同様50番台に区分された。
- コストカットのため6M4T構成となり、性能上は9000系の下位互換となった。
- 同時にモハ2109・2113・2117とクハ2614・2612の運転台は撤去され、6連・4連各2本と10連貫通1本に仕立てられた。
- ブレーキ方式はHSCのままとされたが、電空同期機構を設置しHSC-Rとされた。
- VVVFの仕様は東洋GTO。
- 同時に初期車のパワーウィンドウ化も実施された。
- 10000系導入により分割編成は廃車されたが、10両貫通編成は2009年まで生き残った。
- 代わりに5000系が2004年に全廃となった。
- 上記2100系とともに3010系に次いで検討されましたが同様の事由でボツに。
- 計画通り新6000系は対象外となった。
- 日立GTOが採用され、3000系のモハ3052と性能が揃えられたが、モハ6021のみ東洋GTOでそれ以外の3000系と性能が揃えられた。
- このため、モハ3052はモハ6021と差し替えられ、モハ6021-クハ3551は常に先頭に立った。
- ブレーキ方式が日立式電磁直通ブレーキである関係で電空同期機構が複雑となり10連2本のみで改造が打ち切られた。
- ただし、モハ6021のみは必ず改造され、モハ6001は改造対象から外れた。また、改造費用の都合で5M5T編成を維持した。
- 1997年以降も生き残ったが、うちモハ3052を含む1編成が1998年に脱線事故を起こし、少数派ゆえもう1編成と3000系・モハ6021混成編成もまとめて8711 - 13Fを追加する形で置き換えられ2000年頃を目処に全廃となった。
- それでもモハ6021が静態保存されるのは史実通り。
- TX-2000に似た車両。
- 鉄道車両の共通設計化はあまり進まなかった。
- もしくは東急5000系(2代)あたりが先駆けとなっていた。
- 日立IGBT+直角カルダンというとんでもない車両となっていた可能性大。
- もちろん11000系も日立が製造していた。
- 11000系のスペック次第では20000系が存在しなかった可能性も考えられる。
- というか、20000系の車体で塗装が史実で言うYNBの前のもの。
- それでも、12000系が走ルンですだったことに変わりない。