もしあのイベントが○○だったら
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独立済み[編集 | ソースを編集]
成功していたら[編集 | ソースを編集]
淡路島ガールズ・ポップ・フェスティバル[編集 | ソースを編集]
- FORCE MUSICがイベント運営業務からの撤退することはなかった。
- 寺嶋由芙が淡路島の女王と呼ばれることはなかった。
- 「有吉反省会」で紹介されなかった。
UDO MUSIC FESTIVAL[編集 | ソースを編集]
ガラガラだったのにスポーツ新聞やテレビでは大勢のお客さんが来ていたことになっていました。もし、本当に大勢のお客さんが来ていたら?
- KISSのポール・スタンレーが「今夜ここに4万人ものオーディエンスが集い……後ろを振り向くんじゃねえ!」と言うことはなかった。
- マナーの悪さ(前列の方でイス、ゴザ、テーブルを置いている客がたくさんいた。)が原因であちこちで乱闘が起きてしまった。
- 史実より大変なことが起きていたはず。
開国博Y150[編集 | ソースを編集]
- マスコットキャラクター「たねまる」は、そのまま横浜市のキャラクターに就任。
- 「横浜博」の二の舞…などと罵られることはなかっただろう。
- 神戸開港150周年を記念して2017~18年に神戸でも似たようなイベントが行われていた。
COOL JAPAN YAMANASHI 2013[編集 | ソースを編集]
- 全国のありとあらゆる"ハコモノ"施設でクールジャパンイベントが行われるようになっていた。
- 交通の便が悪くても有料シャトルバスで対応。
- 結果、徳島の『マチ☆アソビ』のように、地方での強みを生かして成功したイベントも共倒れに終わる。
世界・食の祭典[編集 | ソースを編集]
- ショックの祭典と言われることはなかった。
- 自殺者まで出ることもなかっただろう。
- 夏季オリンピックの年に開催される、恒例イベントとなっていた。
- 2回目以降は会場を全道に拡大。
- 2008年の第6回では『夕張を救え!』というキャッチフレーズがつけられていた。
- 2012年の第7回は、東日本大震災復興支援イベントとして行われていた。
- 道内のテレビ・ラジオ各局でも特番が組まれていた。
- 『水曜どうでしょう』でも、世界・食の祭典の会場を舞台にした企画が放送されていただろう。
- 札幌をはじめとする北海道の有名ラーメン店も多数出展していた。
- 北海道以外のラーメン店も出展していたかも。
- 札幌以外、大阪や福岡での開催もあったかもしれない。
- ウィキペディアでの記述も変わっていただろう。
- キャスビレッジももう少し長く営業が続いていた。
- 北海道での万博開催が検討されるようになっていたかもしれない。
- 2025年の万博は大阪ではなく北海道になっていたかもしれない。
- 北海道新幹線が現実よりも早く開通していたかも。
- 青函連絡船復活運航は、青函博だけでなくこちらの宣伝も兼ねていることがもっと知られていた。
- タカアンドトシ(メンバーの2人が北海道出身)の凱旋お笑いライブが、最低1回は行われていた。
- 同じく北海道出身であるGLAYの凱旋ライブも行われていた。
- 横路北海道知事(当時)は、もう少し知事を続けた後、現実通り国政に進出していた。
- 横路知事ならびに北海道の黒歴史になることもなかった。
- もちろん、黒字で終わっていたし、目標の400万人を軽々超えていた。
- 当時北海道は、最終的に約90億円にも及ぶ赤字に終わる。無論、観客動員数は目標を大きく下回る170万人、うち有料での入場者は90万人程度。
- 世界都市博覧会は予定通り開催されていた。
- 青島幸男が都知事になれたか不透明。
- 出馬していたかどうかすら怪しい。
- TAMAらいふ21の失敗があったから中止の可能性はあった。
- 青島幸男が都知事になれたか不透明。
- これが後のオータムフェストに発展していた。
- レストラン電車は交通局が管理し、普段から貸切電車車両として人気を集めていた。
- 旭川市の開基100周年の博覧会も開催にこぎつけていた。
- 色々試行錯誤の上、さっぽろオータムフェストやさっぽろ大通ビアガーデンみたいな感じに落ち着く。
- テーマソング「JOY OF SHARING」を歌った大井裕子は「仮面ライダーBLACK」に本人役で出演したアイドルに留まらず、これを機に人気を獲得していた。
横浜博覧会[編集 | ソースを編集]
- 全国の地方博覧会のいい見本となっていた。
- やくみつるの漫画で「横浜の恥」と書かれることはなかった。
- 当時「パロ野球ニュース」と言うマンガでこっぴどくこき下ろしていた。
- もちろん「崎陽軒のシウマイ弁当を購入すると、無料招待券が1枚もらえた」なんてことはあり得ない!
- コスモワールドの規模も大きくなっていた。
- 同じ港町ということで1981年に神戸で開催されて大成功を収めたポートピア博覧会と何かと比較された。
- 会場内の鉄道は今も走っている。
- 1989年8月の台風上陸がなければこうなっていたかも。
- 都市博は開催中止にならなかったかも。
VISUAL JAPAN SUMMIT[編集 | ソースを編集]
- YOSHIKI個人に依存しない体制になっていた。
- 自伝映画の製作やXYの育成、無謀なアメリカ進出などよりも自身の音楽に集中していた。
- Toshlと再び仲違いすることもなかった。
- 「YOSHIKIは大人になった」「丸くなった」と評価されていた。
- 史実では延期を続けていまだにリリースされない新作アルバムもちゃんとリリースされていた。
- HEATHの死はhideの死なみに大きく報道されていた。
- 両者とも、低俗な日本の地上波バラエティーとは無縁になっていた。
- Toshlと再び仲違いすることもなかった。
- 自伝映画の製作やXYの育成、無謀なアメリカ進出などよりも自身の音楽に集中していた。
- タイムテーブルや出演バンドは早く発表されていた。
- VIP席も改善されていた。
- ヴィジュアル系文化がここまで衰退することはなかった。
- SHOXX、キュア、メンズナックル、ケラなどの雑誌は休刊しなかった。
- 現在でも盛り髪を町中で見かけた。
- VJSが毎年恒例のイベントとして定着していた。
- 20、21は中止になっていたとしても、24年で7回目の開催を予定していた。
- 0.1gの誤算や色々な十字架などが出場するようになっていた。
- もしかしたら、孔雀座、dexcore、human errorなども。
- ルナフェスと合併していた可能性もある。
- 0.1gの誤算や色々な十字架などが出場するようになっていた。
- 20、21は中止になっていたとしても、24年で7回目の開催を予定していた。
- 史実ほどV系バンドの活動休止が相次ぐことはなかった。
- Gacktは映画やインフルエンサー活動、テレビ出演などにかまけるのをやめて、昔のようにV系を再開していた。
- 「格付けチェック」に出演するのもやめていた。
- SNSで失言をすることもなかった。
- 終演遅れによる終電問題もなかった。
- トイレや動線も改善されていた。
- Dir en greyも出演していた。
- ついでに屍忌蛇さんに批判された例の件についてなんらかの釈明をしていた。
失敗していたら[編集 | ソースを編集]
Animelo Summer Live[編集 | ソースを編集]
- アニメソングのジャンルとしての盛り上がりは史実ほどではなかった。
- アニメ専門以外のメディアでアニメソングについて取り上げられる機会が減少していた。
- 「ANIMAX MUSIX」や「リスアニ!LIVE」、「アニソンキング」も開催されない。
- ドワンゴのアニメソングコンテンツ配信は史実よりも小規模になっていた。
- アニソンコンサート配信「アニメロライブ」もなかった。
キャラフェス[編集 | ソースを編集]
参照:キャラフェス
- アダルトゲームで出演声優のルックスや主題歌などの音楽が重視されることはなかった。
- アダルトゲーム主題歌中心のライブイベントはありえない。
- 榊原ゆいによるヲタ芸禁止宣言もない。
- アダルトゲームのテレビアニメ化は史実ほど盛り上がらなかった。
- VOCALOIDが出てくるまでのブームだったと思うが。
- アダルトゲーム主題歌中心のライブイベントはありえない。
- Dreamparty、character1も開催されない。
神戸ルミナリエ[編集 | ソースを編集]
- 「神戸ルミナリエ」は復興のシンボルと言われることはなかった。
- ただ「震災を忘れない」という意味で、規模を小さくして続けられていたかも。
- 史実の2021年のようにロソーネのみの展示になっていたかもしれない。
- 開催時期も12月ではなく震災のあった1月中旬になっていたかもしれない。
- それ以後年末のイルミネーションイベントは現実ほど盛んにならなかったかもしれない。
コミックマーケット[編集 | ソースを編集]
- 同人誌は本来の意味でしか使われない。
- 「本来の意味」って恐らく文藝の同人誌のことだと思いますが、漫画の同人誌はコミケが始まる前から存在してましたよ。初期の漫画同人誌からプロデビューした漫画家には藤子不二雄・赤塚不二夫・石ノ森章太郎らがいます。
- 少なくとも現実の形態では使われなかっただろう。
- 「本来の意味」って恐らく文藝の同人誌のことだと思いますが、漫画の同人誌はコミケが始まる前から存在してましたよ。初期の漫画同人誌からプロデビューした漫画家には藤子不二雄・赤塚不二夫・石ノ森章太郎らがいます。
- 幕張メッセや東京ビッグサイトを含むコンベンション施設は史実ほど建設されなかったかもしれない。
- マンガ図書館なんか構想すらされなかった。
- 日本漫画大会の二の舞になっていた。
- りんかい線、ゆりかもめは赤字経営になっていた。
- 確かにコミケの時期の混雑は凄いが普段の乗客も多いからそれはない。
- コミケの利用者は年間利用者全体で見れば1~2パーセント程度でしかない。
- 確かにコミケの時期の混雑は凄いが普段の乗客も多いからそれはない。
- フジテレビのみで臨海副都心が発展できたか不透明。
- 大阪市問題並の重大な問題として史実以上にクローズアップされていた。
- 少なくともガンダム設置は無かっただろう。
- 他にも様々な施設があるからそれはない。
- 2000年代以降の東京オリンピック招致にやきもきすることはなかった。
さっぽろ雪まつり[編集 | ソースを編集]
- 雪ミクは誕生しなかった。
- クリプトン・フューチャー・メディアが北海道の企業であることが史実ほど知られない。
- 札幌市がユネスコの創造都市ネットワークに参加しなかった。
世界コスプレサミット[編集 | ソースを編集]
- 河村たかし名古屋市長はアムロ・レイのコスプレを披露しなかった。
- ブラザー工業はアニメへの関心を無くしていた。
- TAKERUも黒歴史に。
- らき☆すたとコラボしなかった。
- 大須からオタク系店舗が消え去っていた。
- テレビ愛知も大須から移転していた。
- ID-Oもなかった。
ニコニコ超会議[編集 | ソースを編集]
- 赤字幅にもよるかもしれませんが。
- 在日米軍が一般向けにアピールする機会はほとんど無かった。
- 米軍基地でのイベントなどがあるからそれは無い。
- 各政党も若者向けにアピールする機会はほとんど無かった。
- ニコ生で中継以外のコンセプトを決めないのが原因とされた。
- 代わりにニコニコ町会議が定着して現在も開かれていた。
B-1グランプリ[編集 | ソースを編集]
- ゆるキャラグランプリが大コケした場合と同じかな?
- コンビニ、スーパー、道の駅等苦しくなっている。
- 運営や観客数が「B級だった」と批判されていた。
- 「B級グルメ」という単語の意味は「B級=あまり美味しくない」料理、という意味になっていた。
マチ★アソビ[編集 | ソースを編集]
- 地方での特定作品に依らないアニメイベントはタブーになっていた。
- お隣の香川県でキャラ★フェスが開催されることもない。
- ufotableは徳島県から撤退していた。
- 阿波おどりのポスターにアニメキャラが使われなくなっていた。
ゆるキャラグランプリ[編集 | ソースを編集]
- 町おこしのためにゆるキャラを作るという自治体は史実より少なかった。
- ゆるキャラブーム自体が全くなかったとは考えにくいが、全国区での人気を獲得するというケースはほとんどなく、地域単位でのブームに留まるケースが多かった。
- それでもふなっしーは何らかの形で全国区に浸透していた。
- おそらくピン芸人としてブレイクしていた。
- YouTuberとして有名になっていた。
YOSAKOIソーラン祭り[編集 | ソースを編集]
- 長谷川岳は国会議員になれなかった。
- 杉村太蔵は2009年の総選挙で北海道第1区から出馬していた。
- 多分落選してあとは史実通り。
- 杉村太蔵は2009年の総選挙で北海道第1区から出馬していた。
- 北海道民は本州の文化を受け入れることに消極的になったかもしれない。
- 「みちのくYOSAKOIまつり」は史実通り行われても小規模だった。
- 「YOSAKOIさせぼ祭り」など、この祭りの影響を受けた祭りは存在しなかった。
- 「よさこい」と言うと高知一択だった。
今でも開催されていたら[編集 | ソースを編集]
闘劇[編集 | ソースを編集]
- 2013年以降は主催をKADOKAWAに変更して開催されていた。
- =2012年の第10回大会での不手際がなかったら、である。
- EVO Japanは開催されなかったか、別の形で開催されていたか。
- 『UNDER NIGHT IN-BIRTH』や『ストリートファイターV』、『電撃文庫 FIGHTING CLIMAX』あたりは確実に開催種目に選出されていた。
きたまえ↑札幌マンガ・アニメフェスティバル[編集 | ソースを編集]
- AIR-G'前田幸の上京で司会はSTV藤井アナのみになっていただろう。
- あるいはノースウェーブ片岡香澄とのタッグとなっていたか。
- =T×T GARAGEがスポンサードを継続していたら、であるかもしれない。
- 赤い羽根まんが祭りとの共同企画が続いていた。
- nonocは確実にライブ出演していた。
- eスポーツ関連の企画も入れられていた。
- 林原めぐみは大通でのジャズライブ出演ではなく、芸術の森野外ライブにてトリを飾っていた。
- 派生コスプレイベントの来場者が数十人となることもなかった。
イザイホー[編集 | ソースを編集]
- 琉球の宗教的文化が史実よりよく知られていた。
- ただし迷信と感じ参加を面倒に思う女性も増えていただろう。
- 特に2026年のイザイホーはクリスマスとかぶるため。
- ネトウヨに誹謗されていたであろうことは間違いない。
水都祭花火大会[編集 | ソースを編集]
- 2001年を最後に天神祭奉納花火と統合され行われなくなりました。
- 2007年以降は今里筋線も観客輸送に活躍していた。
- もちろん花火当日は大増発が行われる。
- 2019年以降はおおさか東線も。転換クロスシートの221系では混雑するので花火大会当日は201系や207・321系なんかも応援に入っていた。
- 花火当日は女性専用車両も解除される。
- 淀川の花火大会としては十三のなにわ淀川花火大会と並び称されていた。
- 客が分散するため、同花火大会の混雑も緩和されていた。
- 枚方のくらわんか花火や宇治川花火が史実通り中止に至っていたら京阪沿線では貴重な花火大会となっていた。
- 京阪がなにわ淀川花火大会をPRすることもなかった。
- 史実で2016年に開催された守口市花火大会はなかった。
イベント別[編集 | ソースを編集]
祇園祭[編集 | ソースを編集]
山鉾巡行の日程が統合されなかったら[編集 | ソースを編集]
祇園祭の山鉾巡行は元々は7月17日の前祭と24日の後祭に分かれていましたが、1966年から2014年までに両方の日程が17日に統合されました。もしこの日程統合がなかったら・・・。
- 祇園祭は現在でも17日の前祭には鉾が、24日の後祭には山が巡行するようになっている。
- 山よりも鉾の方が勇壮なので、祇園祭といえば17日の前祭を指すようになっていた。
- 17日の前祭が終わると直ちに後祭の準備に入る。このため四条通などの交通規制は7月の半分以上にわたって行われるようになっていた。
- さすがに、それをやってしまうと流石の京都人も嫌な顔をするので、せいぜい前後祭当日とその前4日間ずつがいいところの気がする。
- 7月21~23日は後祭の宵宮ということになっていた。
- 祭りの見物客はやはり17日の前祭の方が多いが、少し分散されていた。
- 7月24日の「花傘巡行」はなかった。
- 大船鉾が20世紀の間に復興されていたかもしれない。
- 1864年に焼失するまでは後祭の最後尾を務めていたため。
- 2014年に後祭が復活するのに伴い大船鉾も復興しました。
- 鷹山も平成期までに復興されていただろう。
- KBS京都の山鉾巡行中継は、前後祭各1回ずつの年2回放送になる。
- 数が分散されるので各巡行とも昼頃には終わる。
- その場合、本来は途中までしか中継できていない巡行の様子が、年によって、完全中継ができたりできなかったりという事態が起きる。
- そうなると、梶原アナウンサー辺りは放送時間と祭りの進行状況を気にしながら司会進行に当たるだろう。
- その場合、本来は途中までしか中継できていない巡行の様子が、年によって、完全中継ができたりできなかったりという事態が起きる。
- しかし2014年から再び前祭と後祭に分かれようとしている。
- 2013年以前も阪急で祇園祭と天神祭のヘッドマークの競演が見られた。
- 「後の祭り」という言葉の由来が現実よりもよく知られていた。
世界都市博覧会[編集 | ソースを編集]
1996年にお台場で開催される予定だった「世界都市博覧会」は、1995年5月に青島幸男都知事(当時)により中止にされましたが、もし別な展開を迎えていたら?
開催されていたら[編集 | ソースを編集]
- 21世紀になった今でも、お台場では空き地が目立つ。
- 現実も結構空き地多いと思うが。
- 最近はだいぶ減ってきた。おかげで某イベントの時、駐車場に苦労する。
- 当初の予定通りオフィス街になればレインボーブリッジの向こうには第二の新橋が広がってる。
- フジテレビは今も河田町に。
- もしくは、2005年あたりに移転。
- それはないな。移転はすでに決まっていたから。
- そればかりか、開幕直前の移転になっていたに違いない。建物は1996年春落成だから。
- でもビッグサイトはある。
- テレコムセンターもある。
- 都市博終了後、大阪の万博公園みたいに跡地が、記念公園となる(かな…)。
- 東京MXテレビで「都市博だより」が、期間中連日放送される。
- 深夜等のフィラーで、都市博会場の模様を流し続ける。(事実、現実には、テレコムセンターにある本社(当時)の天カメからの映像を流していた。)
- 史実のパレットタウンやヴィーナスフォートなどは記念公園内に建設され、史実通りアーバンリゾートとして名を馳せている。
- 現実も結構空き地多いと思うが。
- オリンピック誘致ではお台場周辺がメイン会場となる。
- 「ゴジラVSデストロイア」で派手に破壊されていた。
- ゆりかもめは開業直後、博覧会の入場者で大盛況だった。
- お台場へ向かうバス路線が現実より増えていた。
- イメージソングだったスティーヴィー・ワンダーの「For Your Love」が有名になっていた。
- 日本においては「To Feel The Fire」などと並ぶ1990年代スティーヴィーの代表曲の一つになっていた。
- 大コケしていた場合、その後の愛・地球博も史実より規模や入場者数が少なかったかもしれない。
- その場合、2025年の大阪・関西万博もなかった。
- オウム真理教が博覧会粉砕・撹乱を掲げ大規模テロを計画していた。
- 「走れマキバオー」の間奏の台詞部分が「都市博も開催するし、公営ギャンブルも開催しよう。レースの実況は名前がいいからアオシマアナウンサーでいこう」という旨の内容に変わっていた。
- 東京での開催だったことから、少なくとも1981年の神戸ポートピア博覧会を上回る入場者があっただろう。
- 地方博としては史上最多の入場者数になっていた。
- 湾岸部の埋立地で開催されたことからこれと比較されていた。さらに2025年開催の大阪・関西万博のモデルにもなっていた。
- この博覧会が成功していた場合、東京での万博開催実現に動いていた可能性がある。
- 2005年の万博が史実通り愛知県だった場合、恐らく2015・2020・2025年の何れかに開催されていた。
- その場合2020年の夏季五輪開催地は東京ではなく、2025年の万博も大阪ではなかった。
- 2005年の万博が史実通り愛知県だった場合、恐らく2015・2020・2025年の何れかに開催されていた。
企画されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 青島都知事は誕生しなかった。
- 臨海副都心やお台場が有名になるのも遅れていた。
- 有名になるとすれば早くてもフジテレビ移転後か。
- 東京五輪招致が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 早ければ2004年か2008年大会を招致していた。
別の時代に開催されていたら[編集 | ソースを編集]
- 1985年
- つくば科学万博は開催されなかった。
- あるいはこちらが1996年開催となっていた。
- これから始まるバブル景気の始まりを象徴するイベントとなっていた。
- 人口の多い団塊ジュニア世代は小中学生時代にこの都市博を経験していた(特に関東在住)。
- 彼らにおける思い出話にこの都市博がよく出てくるようになっていた。
- 同年8月に発生した日航123便墜落事故では都市博帰りの人がかなり巻き込まれていた。
- マスコミで彼らのエピソードも取り上げられていただろう。
- 当時の人気番組だった「夕やけニャンニャン」が都市博の特設会場から生中継されていた。
- おニャン子クラブのライブもここで行われていた。
- フジテレビのお台場移転は昭和時代のうちに行われていた。
- 東京MXテレビは昭和時代のうちに開局していた。
- 1990年代前半
- 大阪で開かれていた「国際花と緑の博覧会」は開催されていなかった。
- もし花博も開催されていたら東西を代表するバブル期の博覧会となっていた。
- その場合、2005年の万博開催地が愛知県ではなく大阪になっていたかもしれない。
- BIE認定博になっていたかもしれない(史実では1990年の花博がバブルの追い風を受けBIE認定博になった)。
- JRと京成の成田空港ターミナル乗り入れと京葉線東京駅延伸はこれに間に合わせるように行われていた。
BIE認定博だったら[編集 | ソースを編集]
- 中止されることはなかっただろう。
- もし中止されていたら戦争以外では前代未聞の事態になっていた。
- 東京では初めての万博と言うことになっていた(1940年のそれは中止になったため)。
- 通称も「東京万博」になっていた。
- 中止された1940年の万博が機会あるごとに取り上げられていた。
- これの入場券も使用できていた。
- 首都圏に広げると1985年につくば科学万博が開催されている。
- 西暦の末尾が0か5以外の年に開催される日本国内では初の博覧会となっていた。
- 1996年の「今年の漢字」は「博」になっていた。
- 2020年の夏季五輪に東京は立候補しなかったかもしれない。
- 2016年の夏季五輪にも立候補しなかっただろう。
- 代わりに大阪または名古屋が立候補していたかも。
- 2016年の夏季五輪にも立候補しなかっただろう。
- 入場者数は3000万人を超えていた。
- オウム真理教が万博粉砕・撹乱を掲げ大規模テロを計画していた。
- 7月最終土曜日に開催されている隅田川花火大会の観客が例年よりも多かった。
- あるいは警備の都合上秋に開催時期が変更されていた。
- 同年の読売ジャイアンツの大逆転優勝(メークドラマ)が万博と合わせて語り継がれていた。
- 果たして特別博と一般博のどちらになっていたのだろうか?
東京国際アニメフェア[編集 | ソースを編集]
2011年の開催が実現していたら[編集 | ソースを編集]
- それでもボイコット自体は史実通り。
- アニメコンテンツエキスポもこの年から開催していた。
昔から存在していたら[編集 | ソースを編集]
- もちろん子供向けアニメばかりが揃っていた。
- しかし21世紀に入ると萌えアニメばかりにシフトされる。
- ドラゴンボールシリーズはもちろん常連だった。
- 声優アワードもこの頃から存在していたかも。
内国勧業博覧会[編集 | ソースを編集]
現在も行われていたら[編集 | ソースを編集]
1877年から1903年にかけて5回開かれた内国勧業博覧会は日本で産業革命を促進する役割を担いました。また、日本で開かれた近代的な博覧会の先駆けともなりました。もしこの博覧会が現在も定期的に開催されていたら?
- 当然ながら時代ごとに目標が変わっていた。
- 昭和10年代に入ると急激に戦時色を帯びてきた。
- 現在は環境・省エネ関連技術の展示が多い。
- 2011年以降は防災関係も。
- 史実で開催地となった東京、京都、大阪以外の場所も開催地になった。
- 名古屋、神戸、横浜では確実に開催されている。
- 福岡、札幌も忘れてはならない。
- 山陽新幹線の全通後である1970年代後半あたりに福岡か広島で開催されていた。
- 1980年代前半には東北新幹線が開通したので仙台あたりでも開催。
- 山陽新幹線の全通後である1970年代後半あたりに福岡か広島で開催されていた。
- 福岡、札幌も忘れてはならない。
- 戦前には外地で行われたこともあった。
- 京城、台北あたり?
- おそらく47都道府県の中で現在まで1度も開催地になったことのないところが複数ある。
- 沖縄返還直後、間違いなく那覇で開催されていた。
- 青函トンネルや瀬戸大橋が開通した直後の1990年代前半には北海道か四国で、明石海峡大橋が開通した直後の1990年代後半~2000年代前半には淡路島か徳島で開催されていた。
- 戦後も熊本市が九州の中心機能を持ち続けたら熊本でも開催された。
- 名古屋、神戸、横浜では確実に開催されている。
- 1940年の東京万博が中止になった際の代替として内国勧業博覧会が行われていた。
- 現在までに名称が変更されている。
- 現在は「全日本産業博覧会」(略称:産博)あたりに落ち着いていそう。
- 一回くらいはJAPAN EXPOなどの英字名になる。
- 所轄官庁はどこになったのだろう?
- 万博同様経済産業省では。
- その前は農商務省→初代商工省→農商省→2代目商工省→通商産業省だった。
- 万博同様経済産業省では。
- 国際博覧会におけるBIEと同じような常設の事務局が設けられている。
- 開催の周期が一定になっている。
- 5年に1回くらいと思われる。
- 「プロジェクトX」でもよく登場していた。
- 「内国勧業博覧会までに○○を完成させろ」などという形での登場がデフォルト。
- 外国企業の出品も認められるようになった。
- 1981年に神戸市で開催された「ポートピア81」は内国勧業博覧会という扱いになっていた。
- '89年の「世界デザイン博覧会」も同じ扱いに。
- バブル崩壊辺りを境に中止・廃止論が勢いを増していくようになっていた。
- 少なくとも青島都政が一回中止にしているはず。
- オイルショック後に中止の噂が出た。
- 幕張メッセや東京ビッグサイトは内国勧業博覧会を主目的として建設されていた。
- ジャパンエキスポ制度はなかった。
浜名湖花博[編集 | ソースを編集]
BIE認定博だったら[編集 | ソースを編集]
大阪花博のようにBIE認定博だったら
- 参加パビリオンも多かった。
- それとともに入場客数も増えていた。
- 会場最寄駅の東海道本線弁天島駅は臨時列車でにぎわっていた。
- 一部の「のぞみ」が浜松駅に臨時停車していた。
- 愛知万博が翌年じゃなかったらからかもしれない。
- 史実通り開催なら関連付けられたかも。
御堂筋パレード[編集 | ソースを編集]
現在でも行われていたら[編集 | ソースを編集]
1983年に大阪城築城400年を記念して始まりましたが、当時の橋下大阪府知事が財政再建を理由に2007年を最後に中止されました。もし今でも行われていたら?
- 現在に至るまで大阪の秋の風物詩となっている。
- 今頃はAKB48グループのフロートが参加している。
- 特に地元のNMB48のメンバーが多く参加していた。
- 阪急阪神ホールディングスのフロートなんかも参加している。
- 2018年以降はOsaka Metroのフロートも参加。
- 2017年には大阪府立登美丘高校のダンス部がパレードでバブリーダンスを披露していた。
- 令和になったらゆうちゃみ・ゆいちゃみ姉妹もパレードに参加していた。
- 2010年代後半以降は2025年大阪万博誘致をPRするイベントにもなっていた。
- 2020年東京五輪のPRもここで行われ、フラッグもパレードで披露されていた。
- 令和になると大阪・関西万博をPRする場にもなっていた。
- 大阪の万博が閉幕した2025年のパレードでは横浜花博がPRされていた。その際にも「今年は大阪で万博が開催された」みたいなことが言われていた。
- 2008年のパレードは京阪中之島線開業に合わせる形で開催されていた。
- そもそも東京一極集中が現実ほど進まず、大阪経済の地盤沈下も現実ほどではなかったらこうなっていただろう。
- 「御堂筋Kappo」などの後継イベントもなかった。
- 「御堂筋ランウェイ」も。
- それでも2020年と翌2021年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止されていた。
- 2023年は東京ディズニーランド開園40周年を記念したパレードが参加するだろう。
- 奇しくも開園したのは御堂筋パレードが始まったのと同じ年だった。
- ファミリーコンピューター発売40周年を記念したパレードも(発売されたのは御堂筋パレードが始まったのと同じ年である)。
- 近年は9月下旬~10月上旬でも暑くなってきたため、開催時期が10月下旬~11月に変更されていたかもしれない。
ゴールデンウィーク開催だったら[編集 | ソースを編集]
- 同時期に中之島で開催されている「中之島まつり」との相乗効果で観客動員が現実以上に多くなっていた。
- 「中之島まつり」が御堂筋パレードの関連イベントにもなっていた。
- 博多どんたく・広島フラワーフェスティバルとともに日本のGWの3大イベントと言われていた。
神戸ポートピア博覧会[編集 | ソースを編集]
BIE認定博だったら[編集 | ソースを編集]
- 通称「神戸万博」と呼ばれていた。
- 大阪・神戸と万博を開催してきたので、関西三都の残り1つである京都もそれに対抗すべく万博を誘致していたかもしれない。
- ひょっとしたら2005年あるいは2025年の万博開催地が大阪ではなく京都だったかもしれない。
- 大阪・神戸と万博を開催してきたので、関西三都の残り1つである京都もそれに対抗すべく万博を誘致していたかもしれない。
- 1970年大阪万博の開催地の候補に神戸もあったので、11年越しの悲願が叶ったことになっていた。
- それと同時に1970年万博の11年後で同じ関西で万博を開催する結果になっていた。
- 開催年が当初から1980年以降だったらそうなっていた可能性がある(特別博でも同一国での開催は最低でも前回から5年後という決まりがあるため)。
- 総入場者数は2000万人を超えていただろう。
- 1990年の花博は大阪以外になっていた可能性が高い。
- 恐らく名古屋で開催されていた。
- その場合、2005年の万博が国内開催の場合愛知県ではなく大阪開催となっていた。
- 恐らく名古屋で開催されていた。
- 神戸市営地下鉄西神・山手線の新神戸延伸はこれに合わせて史実(1985年)よりも4年早く行われていた。
- 阪神・山陽の直通特急もこれに合わせて運転開始していたかもしれない。場合によっては阪急も運行に加わっていた。
- 万博期間中は山陽新幹線の全列車が新神戸駅に停車していた。
- 終了後も停車列車は現実よりも多く、全列車停車になるのも史実よりも早かったかもしれない。
- ポートライナーは8両連結となっていた。
- こちらも起点が三宮ではなく新神戸になっていたかもしれない。
- 1996年に東京で開催される予定だった世界都市博覧会もBIE認定博になっていたかもしれない。
淡路花博[編集 | ソースを編集]
BIE認定博だったら[編集 | ソースを編集]
- 1990年の大阪花博のようにBIE認定博だったら
- 現実よりも開催規模は大きくなり、参加パビリオンも多かった。
- もちろん入場者数も多かっただろう。
- エニックス(当時)がドラクエのパビリオンを出展していた。
- 鉄道アクセスがないので、高速舞子からのシャトルバスが頻繁運転されていた。
- ほかに京阪神や四国各地からの高速バスも万博最寄りバス停に停車していた。
名古屋汎太平洋平和博覧会[編集 | ソースを編集]
正式な万博だったら[編集 | ソースを編集]
- 会期は1937年3~9月の6ヶ月間だった。
- 3年後の1940年東京万博は最初からなかった。
- ここで使われる予定だった入場券が後の万博で使われることもなかった。
- 戦後における名古屋市の地位が現実よりも高かった。
- 近鉄と名鉄の両名古屋駅は万博を前に開業が早まっていた。