もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら/1990年代~2000年代
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1990年代[編集 | ソースを編集]
小池秀郎(1990)[編集 | ソースを編集]
※史実ではロッテの指名を拒否
- 全般
- 社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
- ヤクルト
- 東都1部の本拠地である神宮球場に入りたかったこともあり、本人は大喜びだった。
- 高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
- 石井一久のブレイクが遅れていた。
- 史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
- 近鉄
- 2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
- 右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
- とはいうものの入団しただろうか?
- 巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
- ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
- 西武
- 工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
- 前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
- 高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
- 中日
- 岐阜出身なので歓迎される。
- 小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
- 高木監督時代に優勝していた。
- 星野監督時代の1996年にも優勝していた。
- 1997年の最下位は回避できた。
- 2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
- 広島
- 大野や川口の後釜と目される。
- 1996年は優勝していた。
- 江藤と同時にFA移籍した可能性も。
- 阪神
- ロッテと同様絶対に行きたくないと思っていた球団だったため間違いなく蹴られていた。
- 阪神はその後しばらく亜細亜大学出身の選手を指名できなくなっていた。
- 史実で阪神が1位指名した湯舟敏郎はロッテが本来1位指名する予定だったため湯舟はロッテに入団し、阪神の暗黒時代が悪化していた。
- つまり1990年ドラフトでの小池の一件におけるロッテと阪神の立場が逆になっていた。
矢野輝弘(1990)[編集 | ソースを編集]
史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。
- 巨人
- 村田真一と兼用で捕手を務めていた。
- 村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
- 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
- ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
- 中日のその後
- 殆ど影響無し?
- 史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
- 野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
- 史実とは逆に巨人が矢野のハズレで2位指名した吉原孝介を中日が指名していたか?
- 阪神のその後
- 正捕手は山田勝彦のままだった。
- 当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
- 上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
- その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
- 阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
- 2025年現在阿部は阪神で監督をしていた可能性もある。
- 2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
- 全般
- 声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
- 野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
- 阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。
斎藤隆(1991)[編集 | ソースを編集]
※史実では横浜に入団
- 中日
- 1998年は中日が優勝していた。
- ストッパーに転向していなかったかもしれない。
- 中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
- 「ササキ様に願いを」は作られなかった。
- 史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。
松井秀喜(1992)[編集 | ソースを編集]
※史実では巨人に入団
- 阪神
- 阪神暗黒時代はなかったかも。
- 松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが阪神暗黒時代なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
- ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
- 暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
- 優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
- 現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
- 普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
- 1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
- それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
- というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
- 上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
- 指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
- ヤンキースタジアムのスポンサー広告が何故かオレンジ色の「○○新聞」などではなく「朝日新聞」になっていた。
- 勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「三菱電機」。
- 浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
- 外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
- 内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
- チーム事情で一塁を守ることもあったかも。
- オマリーやパチョレック退団後の助っ人外国人の何人かは入団しなかったかも。
- 3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
- 一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
- ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
- 萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
- 天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
- 中日
- 巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
- 少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
- 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
- 王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
- 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
- 松井の出身地の石川県での北陸中日新聞の購読者が増えていた。
- その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
- 1996年最終戦での敬遠はなかった。
- もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
- 福留孝介は入団しなかった可能性も。
- 福留は当初遊撃手。
- 1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
- 1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
- 1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
- 入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
- 星稜高校の大先輩・小松辰雄の引退試合で花束贈呈を務めていた。
- もちろん「燃えよドラゴンズ!」の歌詞に「3番松井がタイムリー」あるいは「4番松井がホームラン」などと登場していた。
- ダイエー
- 活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
- 謎の無償トレードでナベ○ネ部隊にプレゼントされる。
- 王の後継者として期待される。
- 「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
- ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
- 生卵事件もなかった。
- 星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
- 松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
- 高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
- パ・リーグ所属なので、2000年のシドニー五輪に選出されていた。
- 巨人のその後
- おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
- ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
- 外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
- 長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
- 「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
- 全てに言えること
- 長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
- 長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?
伊藤智仁(1992)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- 全般
- 史実で入団したヤクルトも含め、どの球団に入っていても太く短くの野球人生は避けられなかった。
- 広島
- ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
- 投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
- オリックス
- 小林宏は入団しなかった。
- 小林-オマリーの14球もなかった。
- スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
- 広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。
- 1993年のセ・リーグの新人王は松井か鶴田泰だった。
福留孝介(1995)[編集 | ソースを編集]
※史実では近鉄の指名を拒否
- 全般
- 中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
- 中日
- 原俊介はすんなり巨人が獲得。
- 荒木雅博の指名はなかった。
- 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
- こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
- 荒木は4位で獲得の予定だったため予定通りなら彼のその後は史実通りだが、事前挨拶に来ていた球団は中日以外にもあったためそれまでに獲得されている可能性もある。
- いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
- 1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
- おそらく松坂大輔を指名していたはず。
- 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
- 種田仁は中日で現役を全うしていた。
- 「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
- 1996年と1998年に優勝していた。
- 巨人
- 原俊介はすんなり中日が獲得。
- その代わり荒木雅博を2位指名か?
- この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
- 荒木は4位で獲得の予定だったため獲得できていれば彼のその後は史実通りだが、事前挨拶に来ていた広島、横浜、近鉄がそれまでに指名していてもおかしくはない。
- 2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
- メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
- 二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
- 史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も裏事情にもよるが。
- 高橋由伸よりも清水が指名されていない。
- 佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
- オリックス
- 1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
- 福留は当初内野手だったためポジションが被る塩崎真の指名を見送っていた可能性の方が高い。
- 2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
- 2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
- ヤクルト
- 岩村明憲は指名されていない。
- 池山隆寛の引退が早まっていた。
- 外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
- 近鉄は
- 外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
- 当然「ヨッシャー」も話題にならず。
- まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
原俊介(1995)[編集 | ソースを編集]
※史実では巨人に入団
- 中日
この年、中日は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
- でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
- ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
- 3位は藤井優志で決めていたため荒木は4位で指名する予定だったそうだが、それまでに事前挨拶のあった近鉄、広島、横浜のいずれかから指名されている可能性も十分ある。
- どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
- 小田幸平が中日に移籍しなかった。
- 落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
- 谷繁元信FA移籍の際に中村武志の代わりに横浜に移籍した可能性も。
松坂大輔(1998)[編集 | ソースを編集]
※史実では西武に入団
- 横浜
- 少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
- その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
- 04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
- マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
- その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
- その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
- 背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
- 横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
- 古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
- 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
- 逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
- 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
- 史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
- 99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
- 優勝できていた場合、権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。
- 99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
- 前年の優勝チームなので、高卒ルーキーの開幕投手はいくら松坂とはいえ厳しいのでは。
- 三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
- セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
- 2007年もNPBにいてメジャー挑戦が1年遅かったら
- 2007年は横浜はリーグ優勝できた。
- 優勝を手土産に翌年メジャーへ。
- 巨人戦と中日戦はもう少し勝てそう。逆に阪神戦は史実通り苦手。
- 2007年の三浦と寺原の負け数は事実よりも少なかった。
- NPBに復帰するタイミングも1年遅れる。
- 2007年は横浜はリーグ優勝できた。
- 日本ハム
- 北海道移転前に1回くらい優勝していた。
- 06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
- 背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
- 入団拒否→社会人入り、の可能性も…
- 父の出身地である稚内市で主催試合が行われた。
新垣渚(1998)[編集 | ソースを編集]
※史実ではオリックスの指名を拒否
- ダイエー
- 無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
- 近鉄との合併の回避は難しいかもしれないが、その後のオリックスの成績も史実より良かった。
- 暴投記録更新は史実通りかも。
- 2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
- 2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
- 1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。
田中賢介(1999)[編集 | ソースを編集]
※史実では日本ハムに入団。
- 中日
- 荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。
- 史実での田中賢介のブレイク時期からして荒木と井端に阻まれて田中賢介の方がトレードされていた可能性が高い。
- トレード先が日本ハムなら彼のその後は史実通り。
- 史実での田中賢介のブレイク時期からして荒木と井端に阻まれて田中賢介の方がトレードされていた可能性が高い。
2000年代[編集 | ソースを編集]
寺原隼人(2002)[編集 | ソースを編集]
※史実ではダイエーに入団。
- 共通する事
- ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
- 高校野球時代の豪速球をやや控えて制球力にまわすこと、NPB全体の球速インフレについていけず微妙な成績になるのは史実通り。
- 巨人
- 2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
- ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
- 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
- 杉内俊哉獲得時に人的補償で放出されていたかもしれない。
- 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
- 横浜
- 2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
- FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
- そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。
- 内川同様、「横浜を出る喜び」と揶揄されていたかも。
- 一方で、DeNA買収初年度のシーズンが終わるまでFA権がとれないはずなので、DeNAによってチームがよくなったと感じ残留してくれるかもしれない。
辻内崇伸(2005)[編集 | ソースを編集]
- オリックス
- 史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
- 女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
- T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
- 「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
- 母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない
陽仲壽(陽岱鋼)(2005)[編集 | ソースを編集]
- ソフトバンク
- 史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
- 柳田は地元の広島に指名されていたかも。
- ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
- 今宮健太を獲得していなかったかも。
- 史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
- この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。
田中将大(2006)[編集 | ソースを編集]
※史実では楽天に入団
- 全部に共通すること
- 1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
- 2009年も楽天はBクラスだった。
- 2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
- 2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
- 日本ハム
- 投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
- 斎藤佑樹は指名しなかった。
- 斎藤は大学卒業後のプロ入りなので指名は可能。むしろ斎藤と田中が同一チームなら話題になるので、指名したのでは。
- 吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
- オリックス
- 一応、出身地なので大いに歓迎された。
- もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
- 2014年にリーグ優勝を果たし、それを置き土産に渡米したかも。
- 史実通り2021年に帰国していたら、平野佳寿と揃っての帰国になり同年のリーグ優勝に貢献していた。
- 2014年にリーグ優勝を果たし、それを置き土産に渡米したかも。
- 里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
- その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
- 西勇輝のブレイクが遅れていた、あるいは影響を与えていた。
- 横浜
- 1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
- 広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
- 同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
- 2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。
- 2007年のパ・リーグの新人王は岸孝之。
堂上直倫(2006)[編集 | ソースを編集]
※史実では中日に入団
- 巨人
- 相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
- 坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
- その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
- 高橋周平や京田陽太が他球団に指名されていたかもしれない。
- 2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
- 2006年当時の高校生ドラフトの外れ1巡目指名はウェーバー方式だったため坂本は中日ではなく阪神が指名していたかもしれない。
- その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
- 兄である堂上剛裕が史実通り移籍してきた場合、兄弟揃っての出場はこちらで実現していたかも。
- 阪神
- 野原将志を獲得することはなかった。
- 甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
- 小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)
- 巨人の場合と同様、FA取得して地元中日へ移籍するかも。
中田翔(2007)[編集 | ソースを編集]
※史実では日本ハムに入団
- 全部に共通すること
- 1軍に入れてた?
- 他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
- 野手ではなく投手として指名されていたら?
- 阪神
- 福留は阪神に入団していなかっただろう。
- 福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
- 古巣中日への復帰もあった。
- 本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
- 2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
- 翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
- いや、西武はファーストで主砲山川穂高とポジションが被るので、T-岡田が衰えてきた同じ在阪球団のオリックスか日本ハムな気がする。
- あるいは暴行事件自体なかったかも。
- 2023年現在も在籍していれば、生え抜き最古参でチーム最年長になっているかも。
- 2014年、2015年、2021年のいずれかで阪神が優勝していた。
- 髙濱卓也は横浜の外れ1巡目で単独指名されていた。
- ソフトバンク
- ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。
髙濱卓也(2007)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- 横浜
- 外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
- DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
- 田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
- 2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。
- 現実以上に活躍して、ロッテへトレード移籍しなかったかも。
佐藤由規(2007)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- 共通する事
- 怪我に苦しむのは史実通り。
- 弟である佐藤貴規がプロ入り出来ていたかは危うい。
- 楽天
- 地元選手の1位指名に大フィーバー。
- 2013年の日本一には貢献出来ていない。
- 巨人
- 登録名はフルネームだった。
- 史実より選手生命が短かった可能性も。
大田泰示(2008)[編集 | ソースを編集]
※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。
- ソフトバンク
- 巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
- 大田は指名を拒否して東海大学に進学していたかも。
- その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
- 結局は史実とあまり変わらず、か?
- 史実より一軍出場は多かったと思う。
- 巨人の背番号55は空き番号のまま。
- 間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
- 2022年から北海道日本ハムへ移籍した。
松本啓二朗(2008)[編集 | ソースを編集]
※史実では横浜に入団
- 阪神
- 赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
- 藤川俊介のブレークは多分無かった。
- マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
- 2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
- 横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
- 松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。
- 細山田の指名を見送った場合は大洋時代からの早稲田大学との因縁の解消が史実より遅れていた。
- 松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。
- 大学でチームメイトだった上本博紀も史実通り阪神が獲得した場合早稲田コンビで売り出されていた。
- ポジションと投打が被る柴田講平は他球団に指名されていた。
菊池雄星(2009)[編集 | ソースを編集]
※史実では西武に入団
- 共通する事
- 球団によっては2021年開幕時点で残留している。
- 或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
- 2018年の西武優勝は無かった。
- ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
- 大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
- 楽天
- 地元では大フィーバー。
- プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
- それでも2013年の日本一には貢献していた。
- 史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
- この場合監督には就任出来ていない。
- 日本ハム
- 大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
- 菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
- 2016年の日本一に貢献していた。
- 場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
- 日ハムの成績が悪かった2013年と2017年に成績がいいため、2010年代は毎年ソフトバンクと日ハムの優勝争いになっていた。
- 日ハムの地元人気は史実以上になっていた。
- 中日
- 翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。