もし茨城県庁が○○に置かれていたら
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土浦市[編集 | ソースを編集]
- 新治県が茨城県を編入していた。
- 茨城新聞ではなく、「新治新聞」が県紙になっていた。
- プリマハムFCが水戸に移転してこんなのになることはなかった。
- スーパーひたちは全列車土浦に停車。
- 筑波鉄道は廃止にならなかった。もっと言えば、関鉄から切り離されなかった。
- そして、気がついたら水郡線みたいなポジションになっていた。
- 中核市になっていた。
- 土浦の市制施行が、1920年代と早かった。
- 常南電気鉄道の土浦—阿見が戦後も残っていた。
- 土浦—谷田部—水海道の予定線も開通。
- 研究所群は谷田部城近辺に建設され、名実共に「谷田部研究学園都市」になっていた。
- 当然、1985年の科学万博は「EXPO谷田部」と呼ばれていた。
- 桜村が「谷田部市」に編入されていた。後に、史実の「つくばみらい市」が谷田部市に編入された。
- 筑波町がそのまま「筑波市」になっていた。
- 史実通りTXが建設された場合、秋葉原~守谷~谷田部城下~筑波(当然、史実の筑波町)のルートで建設されていた。
- 谷田部駅が常南電気鉄道とTXの乗換え駅になり、筑波駅が関鉄筑波線とTXの乗換え駅になっている。
- 第二次大戦前には、旧城下町である谷田部に、五年制中学校(第二次大戦後の○○第一高校)と高等女学校(第二次大戦後の○○第二高校)が立地していたかも。
- 研究所群は谷田部城近辺に建設され、名実共に「谷田部研究学園都市」になっていた。
- 土浦~江戸崎~麻生or香取~鹿嶋の連絡鉄道(名称は「江戸崎線」か?)が開通していた。
- 土浦—谷田部—水海道の予定線も開通。
- 土浦市街が現実より広いせいか、レンコンの産地と言えばお隣の『出島村』という事になっている。
- 土浦五十銀行(常陽銀行の前身のひとつ)が存続していた。かんぎん…何ですかそれは?
- 当然、鹿島アントラーズの選手は、五十銀行の宣伝キャラになっている。
- 第二次大戦後の地銀として、「水戸銀行」が水戸に設立されている。
- 歴史ネタでは、小田家(南北朝時代~戦国時代の大名)や土屋家(土浦藩主)に関する話題が、常連のトピックスになっている。
- 逆に、佐竹家(戦国大名)や水戸徳川家(水戸藩主)に関する話題は、現実ほどの高知名度にはなっていない。
- 土浦が開港場に指定されていたらあり得た。
石岡市[編集 | ソースを編集]
- 水戸と土浦が揉めた末、中間地点で常陸国府があった等の理由を付けて県庁所在地に。
- 史実では茨城県と新治県を合併して「石岡県」を設置するよう政府に要請したが却下された経緯がある。
- 石岡に全てのスーパーひたちが停車。
- 鹿島鉄道は関鉄鉾田線のまま。
- 水戸電気鉄道は「石岡電気鉄道」という社名で石岡側から開業。
- 水戸線よりも先に常磐線が建設されて、6号沿い(茨城町経由)に線路を敷いていた可能性もある。
- かすみがうら市の誕生はおそらくなかった。
- たぶん小美玉市もない。
- 八郷町誕生前に旧林村あたりが石岡市に編入されてしまい「七郷町」とか「六郷町」とかになっていた。
- 平成の大合併を経て、石岡市の範囲は史実の「石岡市+かすみがうら市+小美玉市-旧小川町」。(小川は玉造と合併して市制施行。)
- 「新治県」でも「石岡県」でも北陸の県と間違われることが増えていた。
- 国道6号バイパスはすんなり開通している。それでも恋瀬橋は渋滞している。
- 県央南部と県南北部で「県央」となり、水戸は県北扱い。
- 県北の中心都市はそれでも日立。
- もし磐前県が存続していた場合、助川以北は磐前県に編入され、常陸太田以北は福島県に編入されていた。
- 県北の中心都市はそれでも日立。
- 石岡と土浦は京都と大阪みたいな関係だった。
- 行方郡がもっと発展している。
- 特に玉造界隈がね。
- 「恋瀬姫」は誕生せず、代わりに水戸市から「那珂姫」なる萌えキャラができる。
- 法政三高は廃校にならなかった。
笠間市[編集 | ソースを編集]
- 水戸に県庁として使えそうな建物が無かったら…
- 地形の関係上、常磐線と水戸線の乗換駅は友部に置かれてしまい、笠間と友部は浦和と大宮みたいな関係になる。
- 水戸線ではなく笠間線だったかもしれない。
- あるいは山口と小郡っぽくなる。
- 浜通り夜ノ森以北に置き換えると、笠間が小高、友部が原町、水戸が中村、大洗が新地みたいな位置関係になっている。
- 最悪の場合、笠間市と友部市が合併されて「西水戸市」に改悪されていたかも…。
- 「スーパーひたち」は友部で笠間行といわき行に分かれる。
- 常磐道のルートがだいぶ西にずれていた。
- 愛宕山をぶち抜くトンネルができる。
- 笠間稲荷は今よりも大盛況。
- 笠間にもナンバースクールがあった。
- 友部+内原で10万都市が誕生。
- 「城里市」が誕生…?
- 桜川市は合併後も県央地区に所属していた。
- 座頭の市の出身地を指し示せない人が減っていた。
古河市[編集 | ソースを編集]
- 東北新幹線計画の時に「古河駅に停車を!」と建設運動を行われていた。
- 水戸線は古河始発に。
つくば市[編集 | ソースを編集]
- 県名は筑波県に。
- 筑波鉄道は廃止にならなかっただろう。
- 国有化もしていた。常磐線と直通運転していたかも。
- 昭和の合併で「筑波市」が誕生する。
- 筑波大学の偏差値が少し上がってたかも
常総市[編集 | ソースを編集]
- 関東鉄道は大手私鉄に。
- つくばみらい市は誕生していなかっただろうか?
常陸大宮市[編集 | ソースを編集]
- 合併でそのまま大宮市に…。
- 埼玉の大宮市(現・さいたま市大宮区)から苦情がくるかも。
北茨城市[編集 | ソースを編集]
- 今でも磯原市と名乗っている。
- 福島県いわき市に編入する提案は無い。
常陸太田市[編集 | ソースを編集]
- 佐竹氏が太田城から水戸城に移らなければ、その後の水戸藩は太田藩となり、県庁も常陸太田市に。
- こちらが太田市を名乗り、群馬県の太田市は上野太田市。
- 日立電鉄は廃線にはならず、第三セクターとして存続していた。
- 水郡線は常陸太田-水戸間が太田線で支線扱いされていない。
- 上野-常陸太田間にひたちが走る。
- いわき方面へ向かう列車がときわとされた。
- 速達型はスーパーひたち、スーパーときわ。
- 上菅谷ー安積永盛は大子線。
結城市[編集 | ソースを編集]
- 徳川家康次男秀康が越前に移封されず、結城藩が水戸藩にかわって御三家になっていたら、結城市が県庁所在地に。
- こちらの場合も県内の東西で対立。
- 東北新幹線・東北本線は小山ではなく結城経由。
- 両毛線・水戸線も結城が起点。
- 水戸線は結城線という名前になっている。
- 両毛線・水戸線も結城が起点。
- 北関東自動車道も結城経由。
- 東北自動車道-結城間は早期に開通している。
- 関東鉄道は終点が結城市。
- 栃木県は茨城県に吸収されていたかも。
下妻市[編集 | ソースを編集]
- 水戸徳川家の祖たる松平鶴千代丸が下妻から水戸に移らなければ、下妻藩10万石が存続し、明治になって下妻市が県庁所在地となった。
- つくば市の北側や八千代町は下妻市に吸収されていた。
- 北関東自動車道は下妻経由でつくばJCTに接続していた。
- つくば-下妻間は20世紀中に開通していた。
- こちらの場合も関東鉄道が大手私鉄に。
- 筑波山を挟んで東と西で県内対立が発生していた。
大洗町[編集 | ソースを編集]
- 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は、国鉄が直接運営しそのままJR東日本が運行していた。
- 常磐線・水戸線ともに大洗まで乗り入れていた。
- ひたちなか海浜鉄道は茨城交通が運営し続けていた。
- 大洗と那珂湊の間にも線路を建設していた。
- 当然、市制施行し大洗市になっていた。
- それでも水戸市とそう遠くないので史実とそこまで大きく人口バランスは変わらない
- わざわざガルパンで町起こしすることはなかった。
- フェリーと県庁の存在、水族館やあんこう鍋で十分に存在感を持っていた。
- 北海道とのつながりが史実以上に強まっていた。
坂東市[編集 | ソースを編集]
- 平将門は史実以上に人気になっていた。
- 地震が多発するため県庁移転論も起きていた。
- 野田市の都心直通鉄道が建設されていて、そのまま坂東市まで乗り入れていた。
- 境や関宿ももう少し栄えていた。
- 人口バランスが県南部に傾いていた。水戸は田舎扱いされていたかも。
| もしあの県の県庁が○○に置かれていたら | |
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