もし鉄道国有法が公布されなかったら

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アメリカのように鉄道国有法が公布されず、1906~1907年の主要鉄道国有化がなかった場合を想定してみる。

全般[編集 | ソースを編集]

  1. 国有鉄道は東海道・北陸という幹線のほかには地方路線のみという、現在の第三セクター鉄道に近い位置づけとなる。
    • 新幹線も国が建設するが、東海道(東京-新大阪)のみ。
    • 「国鉄」や「JNR」の通称がさほど浸透しなかった。
      • 「JR」は日本鉄道の略称になっていた。
    • 東海道線と北陸線を逆に民営化していたかもしれない。
    • 国鉄路線は早期に民営化。
    • アメリカのコンレールのように経営がおかしくなった一部会社の路線も引き受けていたかもしれない。
  2. 合理化は早期に行われた可能性が高く、地方線では建設されなかった所も多く存在する。あったとしても、上記の通り国有路線となる。
    • 鉄建公団が政治家の道具にされなかった可能性はそれなりに。
    • 夜行列車などの長距離在来線列車は早期に衰退していたかもしれない。
      • その結果、航空需要が現実よりも早く伸びたことから成田空港は東京五輪が開催された1964年に、関西空港は大阪万博が開催された1970年に開港していたかもしれない。
  3. 長距離輸送を行う第二種鉄道会社ができていた。
    • 夜行列車専門の会社もできている。
    • 私鉄も貨物列車に参入。
    • それこそ鉄道院が国有化の代わりにこの事業を始めていた可能性大。
    • 鉄道事業法における第一種、第二種、第三種鉄道事業者の区分がかなり早い時点で制定されていた。
    • 格安鉄道会社(CTC)なる物ができていた。
  4. 東京~大阪を結ぶ私鉄も開業していた。
    • その結果東京~大阪間では国鉄と私鉄の競合が発生することに。
      • 近鉄名鉄は東京まで路線を延伸していた。
      • 逆に小田急が名古屋あるいは大阪まで延伸していた可能性もある。
    • 私鉄も新幹線を建設していたかもしれない。
    • 東京~大阪間では鉄道会社同士の競争が生じるため、運賃や料金が現実よりも安くなっていた可能性もある。
      • 現実のようにJR東海の独占ではなくなっている。各社とも割引切符などで対抗している。
      • 東京~大阪間の航空路線や夜行バスは現実ほど発展しなかった。
    • 会社によっては夜行列車も積極的に運行されている。
  5. 山陽電鉄が福岡まで延伸されていた?
    • 関門トンネルは費用が掛かるので国が建設した。
      • それこそ鉄建公団が建設した。
    • 北九州-福岡間は九州電鉄との競合。
  6. 終戦後、GHQの主導により国鉄発足。国内の路線が地下鉄や路面電車など一部を除いて全て国有化される。
    • そうすると日本が再度軍国主義化した際に鉄道が国家の道具にされるリスクが高まるためそれはない。
      • そもそもアメリカに国鉄が存在したことはない。
        • 戦前に存在した朝鮮半島の私鉄路線は連合軍軍政期に全て国有化されたのですが。
          • さすがに日本本土の路線を国有化するのはリスクが高いと思われる。
    • 戦後直後の日本は対外賠償も国土復興もしなけりゃいけない状況で、財政的にそれどころではない。私鉄への援助止まりだろう。
  7. 日本の大手私鉄=鉄道国有法被買収私鉄路線。
    • 現実の大手私鉄は準大手止まり。
      • そもそも大手私鉄/地方私鉄と言った分類が史実通りあったかどうか怪しい。史実の大手私鉄はアメリカのインターアーバンに習って「都市私鉄」とでも呼ばれていたんじゃないだろうか。
        • 但し近鉄(もしかしたら東武も)は都市私鉄ではなく日本鉄道や関西私鉄のような買収された大規模私鉄のグループになっていただろう。
          • 関西鉄道が残るなら近鉄は出来てたんだろうか?
            • ルートは違うから名古屋線は四日市か富田まではできていたと思う。
              • そもそも名古屋線はもともと伊勢電気鉄道の路線でそれが参宮急行に合併されたのが始まり。
  8. 日本の政府の体制は夜警国家に近い物になっていた。
    • 公共交通のほとんどは民間にまかせるという考えに主流になったかもしれない。
    • 新自由主義が早くから定着し、貧富の格差も現実以上になっていた。
      • 戦後の日本は夫婦共働きが当たり前となっていた。
      • 労組も現実以上に弱体化し、早くから非正規雇用の割合が高まっていた。
        • 政治に関しても社会党や共産党は早期に消滅あるいは弱体化し、自民党の1党体制となっていた。
      • ちょっとしたことで炎上する、不寛容社会が戦後すぐから存在していた。
      • 場合によっては高度経済成長そのものがなかったかもしれない。
  9. 結局私鉄各社の経営がやばくなって日本版アムトラックが誕生していたかもしれない。
    • アムトラックとは逆の方式で上下分離が進んだ。国鉄路線もその時に上の部分だけ民営化した。
  10. 東北本線東京大宮高崎線全線、信越本線の一部は中山道本線と呼ばれ、東北本線の大宮以北は中山道本線の支線として東北線が正式名称になっていたかもしれない。
    • 大宮から青森って結構な距離だし常磐線とはわけが違うから結局東北本線になっていたと思われる。
  11. 鉄道記念物は全ての鉄道会社を対象とした制度になっていた。
  12. 終戦後に「軍事輸送を担い戦争遂行に大きく寄与した」として分割される私鉄が出ていた。
  13. それでも外地は史実同様に総督府などの公的機関による運営がメイン。
  14. 太平洋戦争に敗れるまでは外国人や外国企業が鉄道会社の株を持つことが法律で禁止されていた。
    • 戦時輸送を考慮し幹線を担う会社の路線は全て1067mm軌間にすることが義務付けられる。
      • そうした会社が戦時統合の核にされていた。
  15. モータリゼーションに伴い各地で鉄道会社の大規模な再編が発生していたかもしれない。
  16. 中国(清)でも鉄道国有化計画がされないため、四川暴動も起きず辛亥革命も起きなかった。
  17. おそらく免許を得るのが楽だっただろう。
  18. 私鉄路線の内長距離のものや工事が大変なものは国が支援したり、国が建設するかも。

北海道[編集 | ソースを編集]

  1. 北海道鉄道と北海道炭鉱鉄道の2社があったが、統合された可能性はある。
    • やはり現実のJR北海道にようになる。
    • 胆振縦貫鉄道、苫小牧軽便鉄道、日高拓殖鉄道、北海道鉄道(千歳線・富内線)、渡島海岸鉄道も合流。
  2. 採算性の問題で、元炭鉱路線など赤字ローカル線の廃止は早期に行われた可能性が高い。白糠線などは建設すらされなかっただろう。
    • 炭鉱関連の路線はほとんど全てが炭鉱を運営する会社の所有だったかもしれない。
    • 北海道の私鉄は史実では昭和40年代までに殆どが消えているから、廃止がその辺に合わさった可能性は高い。
      • 史実より10年位は早く炭鉱線は廃止になっただろう。
  3. 現代では赤字体質になるため、半官半民の運営となるか、全廃された可能性も否定できない。
    • アメリカのアムトラックみたいなのが北海道でだけ出来てた可能性も。
    • ヨーロッパの私鉄みたいに補助金頼みの経営になっていた。私鉄とは名ばかりで第三セクターのような運営形態だった。そのため本州のリバタリアン(特に大阪維新信者)からは「北海道営鉄道」と揶揄されていた。
      • 北海道鉄道や北海道炭礦鉄道のような私鉄はさすがに補助金を受け取らずに運営できている気がする。
  4. 札幌中心ダイヤの構築が早かった。
  5. 阪急みたいに早期に沿線を開発していたら上に書いてあることが起こらなかった可能性がある。
    • 岩手開発鉄道みたいに貨物専用だらけになっていたかも。それでも炭坑線は廃止されていると思うけど。
    • 函館、札幌、名寄、根室、旭川などが発展して、そこと郊外を結ぶ私鉄が生まれていたかも。
      • 要は関西の私鉄ではなく関東の私鉄ということですね。
      • さすがに函館、札幌、旭川ぐらいだと思う。路面は存在していたが今は旭川に残るのみとなっていた。
  6. もしかしたら国と日本鉄道と北海道鉄道(初代)が共同で津軽海峡線を建設していたかも。
    • 境界はおそらく木古内駅だと思う。
    • 建設はやっぱり鉄建公団。

東北[編集 | ソースを編集]

  1. もともと日本鉄道と岩越鉄道、官営鉄道しかなく、日本鉄道の規模が特に大きいため、現在のJR東日本に近い状態となる。
    • 岩越鉄道が日本鉄道に合併されていた。
      • 仙北軽便鉄道(石巻線)、岩手軽便鉄道(釜石線)も合流。仙台ー石巻間で競合していた。
  2. 宮城電気鉄道は独立して残った可能性が高い。
    • 東北唯一の都市私鉄として注目されていた。
  3. 東武鉄道が自力で会津若松延伸を果たしていたかもしれない。
    • 特急「あいづ」にDRCが投入されていた。
  4. 青森の地方路線は弘南鉄道と南部縦貫鉄道に二分される。
    • 陸奥鉄道(五能線)は津軽鉄道に組み入れられる。
  5. 秋田鉄道(花輪線)は独立して残る。
  6. 横荘鉄道西線(矢島線)と東線(羽後交通横荘線)がつながっていたかもしれない。
  7. 岩越鉄道が会津若松から福島駅まで延伸し、東武と直通して東京福島間で競争していたかも。もしかしたら宮城の鉄道空白地帯を埋める形で宮城電気鉄道が延伸して福島交通に直通、そして福島交通が岩越鉄道に直通することで東京仙台間で競争していた。
  8. 三陸沿岸の小牛田(あるいは前谷地)-八戸間は日本鉄道「三陸本線」として史実より早く開業した。
    • 2011年の東日本大震災で一部区間が津波で流されてもBRTでなく鉄路として復旧した。
  9. 史実の秋田内陸縦貫鉄道は戦時中に沿岸からの艦砲射撃を避けるため、奥羽本線のバイパス線として国鉄「鷹角線」として早く全線開業した。
    • そもそも奥羽線は日本鉄道が作っていた。
  10. 日本鉄道は東北本線、常磐線、奥羽線、三陸線という長大路線を4本東北に持っていた。

関東[編集 | ソースを編集]

  1. 総武線は総武鉄道、中央線は甲武鉄道、東北・高崎・常磐線の運営は日本鉄道となる。
    • 甲武鉄道は紆余曲折を経た後西武に合併されたかも。
    • 下手したら東武鉄道秩父鉄道なども日本鉄道に合併されていた。
      • むしろ東武は総武鉄道と合併した方が違和感がないと思う。
      • 京浜東北線東武野田線が直通運転していたかもしれない。
      • 水戸鉄道(水郡線)、足尾鉄道(足尾線)も日本鉄道に合併されていた。
    • 成田鉄道(現在の成田線)や房総鉄道(現在の外房線)は総武鉄道に合併。
      • 千葉県営鉄道久留里線も。
    • 逆に現実のつくばエクスプレスが国営だったかも。
    • JRと私鉄が並行している区間でJRのほうが運賃が高くなることはなかった。総武線でも京成でも1000円で都心から成田空港まで行けた。激しい運賃競争が行われることで京成より総武線の方が安くなっていた可能性すらある。一方、総武線から山手線に乗り換えると別会社になるため運賃が高くなっていた。そのため、都心内の移動は山手線や総武線よりも地下鉄が主流になっていたかもしれない。
    • 総武鉄道と京成で東京成田間で激しい競争があった場合、京成は東京成芝電気鉄道の免許を使って時間短縮していたかもしれない。
  2. 総武線・中央線と常磐線の複々線化は、小田急同様遅れた可能性もある。
    • 常磐線は割りと早めにしていたと思う。日本鉄道だし。
  3. 諸外国同様、上野・飯田町・新橋・両国がターミナルとして長く残り、東京駅が出来ない可能性もある。
    • 東京駅開業は東海道新幹線の開通と同時だったかもしれない。
    • 秋葉原に市場ができることもなかっただろう。
      • 秋葉原が史実より早く電気街になっていた可能性も。
  4. 山手線は環状運転にならず、赤羽~品川間を結ぶだけだった。
    • 京浜東北線はこのルートを通っていた。
    • 環状運転をする地下鉄が東京にもできていた。
  5. 武蔵野線は国と鶴見臨港・南武・甲武・西武・東武・日本・総武の各鉄道による共同出資で建設。
  6. 青梅電気鉄道・奥多摩電気鉄道(青梅線)、南武鉄道(南武線・五日市線)、鶴見臨港鉄道、相模鉄道相模線、横浜鉄道は大東急に組み込まれていた。
  7. 地下鉄の直通先の路線としては史実に追加又は変更(変更がない場合は表記しない)で、半蔵門線:東武総武線(両国駅)、東西線:西武甲武線(中野駅)、千代田線:東武伊勢崎線(北千住駅)※変更、日比谷線:常磐線(北千住駅)※変更
    • 史実で開業していない路線を含めた場合。東西線:流山線(東陽町駅)、副都心線:鶴見線(大森駅)、銀座線?:山手急行電鉄(品川駅or新橋駅)
  8. ぶっちゃけ流れは結構変わっているから、京浜地下鉄道を作り上げた京急が山手急行電鉄の免許を得るという流れになっていたかも。史実の横浜線を得ていた可能性高そうだし。ただし井の頭線は小田急、地下鉄は史実通り営団→メトロになっていると思われる。
  9. 横浜線·八高線に当たる路線はは京急、川越線に当たる路線は日本鉄道、京葉線にあたる路線は京成、伊東線·伊豆急行線にあたる路線は東急が持っていただろう。

甲信越[編集 | ソースを編集]

  1. ほぼ国有鉄道。
  2. 信濃鉄道(大糸線)は松電傘下におかれたかも。
    • その場合全線が直流電化される。
  3. 東上鉄道の長岡延伸が実現していた。
  4. 富士山麓電気鉄道と富士身延鉄道が合併。
    • 佐久鉄道(史実の小海線の北半分にあたる)も甲府まで延伸して合流
  5. 北越鉄道(信越本線新潟口)、越後鉄道(越後線・弥彦線)、魚沼鉄道(魚沼線)、新潟臨港開発(信越本線貨物支線)などで新潟鉄道ができていた。
    • 東上鉄道の免許を使って長岡から池袋までの新鉄東上本線を持っていた可能性あり。
  6. 国の支援のもと松本〜高山間の鉄道路線が建設されてたかも。

中部[編集 | ソースを編集]

  1. 国有鉄道が現実のJR東海の役割を果たす。
    • 民間に払い下げられ「東海道鉄道」とかになった可能性も。
  2. 現実の国鉄と同様の経営が続いたとする場合、東海道線は名鉄、高山線はバスに客を奪われたままとなる。民営のまま残った飯田線などは既に廃止となった可能性もある。名松線は建設されない可能性が高い。
    • そもそも高山線は愛知駅〜富山駅の路線になっていて、関西鉄道が作っていた可能性がある。
    • 飯田線は名鉄が買収していた可能性も考えられる。
      • 飯田線は関西鉄道と名古屋鉄道がそれぞれ買収し、三河川合駅を境に別れていた。関西鉄道は中津川線にあたる路線を建設していた。
      • 豊橋駅の発着番線不足に悩まされずに済んだ。
    • 名松線は関西鉄道の手により桜井-松阪間の「桜松線」として建設されたかもしれない。
      • 参宮急行か伊勢電気鉄道によって建設されていた可能性もある。
  3. 関鉄関西本線は最低でも中津川駅まで延伸していたかも。そのまま史実の中央本線のルートに行って甲武鉄道に直通するか、中津川駅で日本鉄道に直通するか、飯田方面に行くかは分からない。
  4. 日本鉄道の中山道本線は岐阜駅が終点(岐阜から先は東海道本線に転用された)ため、岐阜県が発展していたかも。

北陸[編集 | ソースを編集]

  1. 国有鉄道が新潟地域を除いて勢力を持ち、新潟地域のみ北越鉄道の運営となる。
  2. 七尾鉄道は北陸鉄道に組み入れられる。
  3. 中越鉄道(氷見線・新湊線・城端線)は富岩線(富山港線)ともども富山地方鉄道になる。
    • よって富山港線のLRT化は無いので少しばかりLRTの普及が遅くなった。
  4. ほくほく線、上越線は東武と北越鉄道によって作られた。

近畿[編集 | ソースを編集]

  1. 関西鉄道が残り、電化などがなされて国有鉄道といっそう激しい競争になった可能性がある。近鉄が開業したとするならば、大阪~伊勢間で2事業者、大阪~名古屋間は3事業者の競争となる。
    • 名古屋急行電鉄が開業していたら大阪〜名古屋間は4事業者になっていた。
      • 名古屋急行電鉄が開業していたら近鉄が誕生した頃に京阪と名古屋急行電鉄が合併した名阪電鉄が設立されていた。
    • 奈良県は沖縄県を除くと唯一国鉄→JRの路線のない都道府県となっていた。
    • 関西鉄道が現実の近鉄のような会社になっていた。
  2. 阪鶴鉄道が残るため、その関係者がつくった箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄宝塚線)は存在しない可能性がある。あるいは、同社の支線となっていた可能性もある。
    • 現実の阪急神戸線も同社により開業していた可能性がある。
      • 阪鶴鉄道が神戸線開業後阪神急行電鉄を名乗り、「阪急」という愛称で呼ばれるようになっていた。その後阪急電鉄に社名変更するのは史実と同じ。
        • 史実とは異なり、阪急電鉄阪鶴線(現実の福知山・舞鶴線)は1930年代に全線電化され(その時に宝塚まで複線化)、宝塚-道場の新線付け替えと宝塚-篠山口の複線化も1960~70年代に行われている。
          • 小林一三が経営を奪取していないと成立しないがもしそうなっていたら現実の宝塚以外にも三田・篠山口・丹波市などでも開発が行われていた。
        • 阪急電鉄は現実と異なり1067mm軌間となっていた。
          • 神戸高速鉄道東西線は阪神と山陽の2社が乗り入れる路線となり、神戸電鉄が湊川から三宮まで延伸して阪急神戸線と相互直通していた。
          • 新京阪線は戦後京阪が分離した際京阪側の路線となっていた。
    • 阪急により梅田(あるいは大阪)~東舞鶴間に有料特急が運行されていた。
    • 阪神電車の宝塚進出が実現していたかもしれない。
  3. 紀勢本線は東線を近鉄か関西鉄道、西線を南海阪和電鉄が開通させていた。
    • その場合、和歌山県にも国鉄の路線が作られないことになる。
    • それでも新宮鉄道区間(新宮ー串本駅間)は買収できず双方が乗り入れしていた。
  4. 東海道本線と山陽鉄道の境界にある神戸駅が神戸市の中心駅として君臨し続ける。
  5. 山陽電鉄は阪神、神戸電鉄は阪急と直通というように別れていた。
  6. 阪急は現実の福知山線を使って山陰本線と直通していた。山陰本線は国が建設していた。
  7. 京都鉄道は京阪か関西鉄道に吸収されていた。
  8. 阪和電鉄は南海に吸収されて、そのまま山手線として分離せずに運転されていた。
  9. 南海は戦時買収で関西鉄道に合併させられるが、戦後紀勢本線の白浜駅以西を受け取って分離した。
  10. 大阪和歌山は南海、愛知和歌山は関西鉄道と関西にしては珍しく棲み分けが行われていた。

山陽[編集 | ソースを編集]

  1. 山陽鉄道による独占運営。とはいえ当時は海運、現在では航空機と競合することから、サービスの充実はいっそう図られていた可能性が高い。
    • もし山陽新幹線が建設されない場合は、姫路以西で線形の悪い箇所においてトンネル新線化などを積極的に進め、130km/h(一部区間は160km/h)運転が行われている。
    • その場合山陽電気鉄道は山陽鉄道との区別のため別の社名になっていた可能性が高い。
      • 「神姫電気鉄道」か「兵庫電気鉄道」あたりになっていただろう。
      • いや現実では岡山延伸は断ち切られたが今では山陽鉄道しか無いので岡山まで延伸しているので結局山陽電気鉄道に落ち着く、区別は日本電気鉄道と日本鉄道みたいな感じで電気が違うので。
        • 赤穂線のルートで岡山まで行っていた。
    • 中国鉄道は山陽鉄道に吸収合併されていた。
    • 山陽鉄道の本社がある兵庫駅は神戸の西のターミナルとして機能していた。
      • 神戸高速鉄道は兵庫駅前の地下を経由するようになっていた。神戸高速鉄道と史実の山陽電鉄の境界駅は兵庫となっていた。

山陰[編集 | ソースを編集]

  1. 私鉄では採算性が成り立たないため、国鉄により路線が開業した可能性が高い。
  2. 簸上鉄道と芸備鉄道がつながっていた。
  3. 山陰本線(下関〜福知山)は国が建設後、山陽鉄道に払い下げられていた。
  4. 史実の国鉄大社線のルートで一畑電車大社線はできていた。

四国[編集 | ソースを編集]

  1. 山陰同様、国鉄が都市間路線を整備した可能性が高い。
  2. あるいは讃岐鉄道や伊予鉄道が躍進し、巨大会社になった可能性もある。
    • 四国に大手私鉄が?
    • 松山市駅が松山市の中央駅となり「松山駅」のままで、現在の松山駅は建設すらされなかった。
    • 予讃線のルートは、伊予小松から最急25‰で桜三里を超え、伊予鉄道横河原に繋がっていた。この為、伊予小松と横河原は、補機の機関区が設置されていた。
    • 伊予小松から分岐して今治を経由するルートは、「今治線」と言う支線になっていて、伊予鉄道高浜駅に繋がっていた。「松山観光港駅」も設置されていた。
    • 松山市駅(松山駅)は、伊予鉄道郡中線とスルーする構造となり、郡中駅から愛媛鉄道伊予長浜駅に繋がる路線が開通したが、向井原駅と愛媛鉄道内子駅の短絡線開通と同時に伊予長浜駅を経由するルートは廃止になる。
    • 愛媛鉄道伊予大洲駅と宇和島鉄道宇和島駅間は、最急25‰で鳥坂峠を超えるルートになっていて、八幡浜駅は伊予大洲駅から分岐する支線の終着駅になっていた。
    • 四国の鉄道各社は、讃岐鉄道に吸収合併されて巨大会社になっていた。又、軽便規格の各線は、讃岐鉄道と同じ軌間に改軌され、早く電化されていた。
      • 讃岐鉄道、伊予鉄道など四国の私鉄が参加し「四国鉄道ホールディングス」を作る。
      • 結局現実のJR四国と同じような会社になる。
    • 高松~松山~宇和島、高松~今治、高松~八幡浜に、電車による特急(無料)が運転されていた。当初は転換クロスシートのみだったが、リクライニングシートの指定席が連結される。その後、指定席は現在のグリーン車と同等の設備となる。
    • 高松~松山(桜三里経由)に、電車による超特急が運転されている。途中停車駅は、多度津、観音寺、伊予三島、新居浜、伊予西条のみで、所要時間は2時間。その後、今治、八幡浜、宇和島に延伸。宇和島行き超特急は「しおかぜ」、今治行き超特急は「いしづち」、八幡浜行き超特急は「宇和海」と命名される。
    • 四国各線の超特急は、高速バスとの競争が激化したので、通過駅の一線スルー化と振り子車両の開発で、現在の四国旅客鉄道8000系のような車両で運転される。
    • 瀬戸大橋開通までに四国全線が電化している。(車両運用の共通化)又、岡山駅発着の各方面行き超特急が運転されるので、現在とほぼ同じような運行大系になっている。
    • そもそも瀬戸大橋が建設されない。
      • 讃岐鉄道社長の発案なので普通にできていたと思う。
  3. 讃岐鉄道は末期は山陽鉄道の路線になっていたはず。つまり四国の鉄道は山陽鉄道の傘下に。
  4. 徳島の鉄道は電化されていた。

九州[編集 | ソースを編集]

これが現実になっていた
  1. 九州鉄道による独占。
  2. 南九州の閑散線区は建設されないか、早期に廃止される。筑豊地区も昭和40年代に大整理が実施されている。
  3. かの「或る列車」は歴史の中に埋もれる事なくその豪華設備を存分に発揮し、日本鉄道史にその名を残す豪華列車となっていた。
    • いつの間にか水戸岡鋭治デザインの車両が使用されてる。
    • 「ななつ星 in 九州」の直接のルーツとされていた。
  4. 日本鉄道の長崎線が開業していたら北九州〜長崎間で日本鉄道と競争していた。

関連項目[編集 | ソースを編集]