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もし関西国際空港が○○だったら

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別の時代に開港していたら

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  1. 大阪空港は廃止されていた。
    • 正確には「大阪国際空港」の移転扱いであろう。
  2. 1970年の万博期間中は万博の観客などで空港は大変にぎわっていた。
  3. 史実における成田空港の開港(1978年)より早かったことから、日本における空の玄関口となっていた。
    • 東京一極集中も緩和され、関西経済も地盤沈下しなかった。
      • 東京は政治の中心、大阪は経済・文化の中心と棲み分けていた。
        • 東京一極集中は日中戦争の頃には始まっていたので結局現実と変わらないというオチもありうる。
    • 成田空港の開港が遅れていた可能性もある。
    • いまの成田と同程度の路線があった。成田は現状の75%程度の路線しかない。
      • もしかしたら羽田の沖合拡張だけで済まされた。その場合茨城空港が1985年に開港する。
    • 航空需要が現実よりも早く拡大していた場合、東京五輪があった1964年に開港していた。
  4. 関西空港の離発着容量がいずれパンクすることから国内線専用の空港として神戸空港が1980年代に開港する。
    • PeachなどのLCCは神戸空港に発着していたかもしれない。
      • のちの大震災で神戸空港の被害が大きく,関西空港がパンクした。
    • ポートピア博覧会が開催された1981年開港だった。
    • 中部国際空港も1980年前後に開港していた。
  5. 阪神なんば線も1970年までに開業していた。
    • 神戸方面から泉州沖の関西空港へのアクセス改善のため。
  6. 大阪府の人口が神奈川県に抜かれることはなかった。
  7. 和歌山県がもっと発展していた。
    • 1970年代後半には紀勢本線の和歌山~新宮間が複線電化され、20世紀中に紀伊半島を一周する高速道路も完成していた。
    • 逆に南紀白浜空港は建設されなかった。
    • 阪和線の新快速は存続しており、一部は関西空港線や紀勢本線にも直通する。
    • 県内中小私鉄の経営状態も史実よりマシだった。
      • 開港の翌年に開催された和歌山国体を機に,紀伊田辺まで複線電化しただろうか。新快速は既に登場の上紀伊田辺まで乗り入れるだろう。
  8. 大阪市高速電気軌道堺筋線は阪急のほか南海とも相互直通運転していた。
    • 堺筋線開業と同時に南海本線は1435mm軌間に改軌され、架線電圧も1500Vに昇圧していた。逆にその時点で南海は貨物営業と南紀直通列車を全廃していた。
      • 南海の車両は7100系以降、3ドア19m車となっていた。
      • あるいは阪急京都線の3300系以降が21m車となっている。
    • 堺筋線は1969年の時点で天神橋筋六丁目~天下茶屋間の全線が一気に開業し、南海天王寺支線はそれと同時に廃止されていた。
    • 万博期間中は関西空港~北千里間に直通の臨時列車が運行されていた。
      • さらに,関西空港-河原町間を走る無料特急が運行される。
  9. 関西空港への新幹線乗り入れが計画されるも実現せず。
  10. 新東京国際空港も海上空港になっていた。
    • 関西空港の建設から「海上空港なら騒音・立ち退きなどの問題が発生しにくい」ということを学んだため。
    • アクアラインは空港建設と同時に整備されていた。
    • 羽田空港の沖合展開を(1970年代の内に)同じ意味で実施したかも。アクアラインは川崎木更津道路として整備。成田に空港が建設されない。京浜急行の乗り入れは1970年代に行われた。
  11. 瀬戸大橋ではなく紀淡海峡大橋が鉄道併用橋として作られた。
    • 大鳴門橋も同様。1990年頃までに紀淡海峡大橋と大鳴門橋が完成。
  12. 開港と同年の70年に市制を施行した阪南市(空港立地自治体の一つ)の名称が変わっていたかもしれない。
    • 泉南市であろう。
  13. 「ガメラ対大魔獣ジャイガー」や「日本沈没」で破壊シーンが描かれていた。
  14. 183系がボンネット顔で大阪万博までに登場。梅田貨物線-大阪環状線・大阪環状線-関西本線・関西本線-阪和線の連絡線は万博開幕までに整備。京都-新大阪-天王寺-関西空港を結ぶ特急が開業時から運転。当初183系が使用される。この列車がおそらく「つばさ」を名乗り,上野-奥羽本線の特急は「べにばな」を名乗るか
    • 関西空港駅国鉄→JR乗り場のホーム有効長は20M車10両分(天王寺駅1番線と同じ)。機回し線も整備(貴賓客や繁忙期の輸送を考慮)。
    • 関空発着の客車列車は上の複数の連絡線経由で京都発着になりそう(既存の阪和線客レ,天王寺発着の紀勢本線直通急行,特急も)。関西空港線は(羽衣線同様)阪和線の支線扱いになりそう。日根野駅からの関空方面の線路の勾配は機関車列車を考慮し緩やかに。
    • 「太公望列車」も京都発着になるだろう。関空発着の客車列車は大阪万博の臨時列車の名残で,国鉄末期まで存続。
    • 183系は空港対応になり、デッキ付近に大型荷物置場も完備されていた。
    • なにわ筋線も1990年代のうちに開業していた。
  15. JALの747-100デビューが開港と同時期かも。日本から「関空から747で海外旅行」747就航国から「747で大阪(万博)へ」が流行する。
    • JALの747-100には,「エキスポジャンボ」「セブン(1970の'7'から)ジャンボ」などの愛称を付けられた。
    • 全日空はJALの刺激を受け,75年の沖縄海洋博開幕に合わせ,747SR-100を導入する。
    • JAL747-100はデビュー当時関空-ホノルル線ぐらいしかなさそう(エンジン出力を考慮)。全日空の747導入は現実通りの頃か。707と727は開港時からたくさん飛来。
  16. '70年当時はジャンボ機は貴重。それでも飛行機で海外から関空へいく旅行者は多かった。全日空の747はおそらく現実通りの時期に導入か。国鉄のイメージ悪化もあり,飛行機で大阪(万博)へ行く国内旅行者は多かったと思う。
    • 現実よりも飛行機が苦手な人が減っていた。
    • 関西では昭和のうちに公立学校の修学旅行における飛行機利用が解禁されていた。
  17. 大阪万博の会場は千里ではなく、大阪府南部だったかもしれない。
    • 泉北丘陵で開催された場合、泉北高速鉄道は万博に合わせて史実よりも1年早い1970年に開業していた。
      • この場合地下鉄堺筋線は1067mm軌間で建設され、南海と直通していた。御堂筋線の中百舌鳥延伸も万博に合わせて行われていた。
        • 阪急は京都線系列だけ1435→1067mmに改軌されていた。
          • むしろ上記通り南海が阪急に合わせる形でそのままでは?
        • 南海側はそれに合わせて600→1500Vに架線電圧を昇圧していた。
      • 阪和線快速の三国ヶ丘停車も万博がきっかけだった。
      • 泉北高速は現実と異なり御堂筋線と直通していた可能性もある。
  18. 南海の経営は現実よりも良かった。
    • 1970年代に赤字に転落することはなかっただろう。
    • 1988年にホークスを手放すことはなかったかもしれない。
    • 難波駅の改良、移転も1970年までに完了していた。
      • 阪急梅田(現大阪梅田)駅よりも早かった(こちらは1973年完成)。
    • 高野線橋本駅までの複線化も1980年頃までには完了している。
  19. 第2滑走路や第2ターミナルビルも1990年までに完成している。
  • 関西国際空港の開港が「国際花と緑の博覧会」(以下花博と略す)が開催された1990年だったら?
  1. 花博は関西国際空港の開港記念イベントとなっていた。
  2. 花博の入場者数が現実より増えていた。
    • もちろん愛知万博よりずっと多かった。(史実でも花博のほうが多かったが)
  3. 関空~花博会場間にシャトルバスを運行されていた。
  4. 南海「ラピート」やJR「はるか」も史実より早く登場。
    • 「関空快速」は当初から全列車京橋発着となっていた。(史実では当初は一部が天王寺発着だった)
      • 「関空快速」には221系が投入された。
        • 空港アクセス用に転換クロスシートの配置を1列―2列に変更した221系1000番台が投入されていた。
          • 関空連絡橋を走行することから、ステンレスかアルミ車体になっていた。
    • 南海電車は1988年頃には新塗装となっていて、同時に羽車マークもなくなっている。南海1000系のデビューも1989年頃で、1990年デビューの2000系も全車両新デザインでデビューしていた。
    • 225系の登場が早まっていた。
  5. 1990年前後に大阪市内の交通インフラ整備が飛躍的に進んだ。
  6. 関空で撮影されたパンナム機の写真がレア物扱いされる。
    • 90年時点でアジアからは完全に撤退していたため飛来することはなかったのでは。
  7. 南紀白浜空港はジェット化に際して新宮市付近に移転し「南紀新宮空港」となっていた(後に「くまのはやたま新宮空港」と改称)。白浜では関空に近すぎるのと、三重県東紀州から和歌山県南東部にかけての空港空白域を解消するため。
  8. 90年代中ごろから路線撤退が相次ぎバブル崩壊の象徴として扱われた。
  9. 場合によっては、1989年頃に開港していた。
  10. なんばパークスの開業も史実より早まっていた。
    • 南海ホークスは身売りされずに、堺市に移転していたかもしれない。
  11. 和歌山が大都会だったらこうなれたかも。
  1. 名古屋オリンピックが1988年に開催されていたらこうなっていた。
  1. 先に整備された神戸空港の立ち位置が史実よりも上である。
    • そもそも神戸空港が史実の関空のようになる。
  2. 維新の会によるビッグプロジェクトとして進められていた。
  3. 同年の大阪・関西万博開催に合わせての開港だった。
  4. ラピートの車両は当初からなにわ筋線乗り入れに対応していた。
    • デザインも史実と大きく変わっていた可能性が高い。
    • 場合によってはなにわ筋線開業そのものが関空開港前に早まっていた。