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もし鶴岡県が存続していたら

  1. 三島通庸が鶴岡県に留まるため、自由民権運動の民権派政治家vs三島通庸のバトルは鶴岡県で発生していた。
    • 民権派政治家vs三島通庸のバトルは、「庄内三方道路」や港湾整備が導火線になっていた。
      • 「庄内三方道路」は、内陸(東方面)では山形方面と新庄方面の道路。
    • 中通り会津は、自由民権運動とは無縁で、「会津三方道路」は建設されなかった。
  2. 庄内地方が行政権を保持するため、庄内(鶴岡県)と下越(新潟県)の連携が行政面でも進行し、史実での東北の「内陸優遇、沿岸冷遇」の風潮は幾らか弱まっていた。
    • 新潟県と鶴岡県は、企業や省庁のエリア区分でも同じエリア(東北地区、出羽地区など)に入れられていた。
      • 観光でも行政でも、日本海沿岸同士である新潟県・鶴岡県・秋田県の連携が進んでいた。八戸周辺や下北半島が分離されていれば、これに青森県も加わっている。
    • 高速道路も、山形からの山形自動車道よりも、新潟からの日本海東北自動車道が早く開通した。
      • 鶴岡~秋田~能代~青森の高速道路も、山形自動車道や秋田自動車道とはならず、日本海東北自動車道(or出羽自動車道)が新潟から延伸されていた。
        • 秋田中央ICの南行き案内標識は、「北上」ではなく、「鶴岡」と表示されている。
    • 山形県と一緒にされる観光ガイドは「東北」のみ。通常の観光ガイドは、新潟県と鶴岡県を一括りにした「新潟 佐渡 庄内」「新潟 、鶴岡」と称した物や、新潟県・鶴岡県・秋田県沿岸部を一括りにした「出羽」と称した物が販売されている。
      • 山形県は仙台・宮城とのタイアップをより強めていた(蔵王や山寺など)。
    • 羽越本線の終点が、秋田ではなく青森になっていた。
      • 一方、奥羽本線の福島~秋田は、「山形本線」か「東羽本線」という名称になっていた。
        • もし、『奥羽本線』が『山形本線』を名乗ったら、実史の山形新幹線開業時に「福島~山形」間に付された通称・山形線は、別の名称になっていた。
      • 路線名は「奥羽越線」か?
    • 上越新幹線も新潟-酒田が整備新幹線としてフル規格で延伸されていた。1982年に新潟まで開業するのは史実通りだが、JR化後に新潟-酒田が建設され、2000年代のうちに延伸されていた。
  3. 岩船郡が、新潟県から分離されて鶴岡県に編入されていた。
  4. 史実の「テレビユー山形」は、「テレビユー庄内」という名称で、鶴岡県が放送エリアになっていた。
    • NHK鶴岡放送局は、(実史の)山形放送局傘下の放送局ではなく、鶴岡県域の(単独)放送局。当然、コールサインも、違うものが割り当てられていた。
      • NHKのテレビドラマ「おしん」の制作には、NHK鶴岡放送局が関与した。
    • 「テレビユー庄内」ではなく、「テレビユー鶴岡」になっていた。
      • TBSなどが製作に加わった映画「おくりびと」も、「テレビユー山形」ではなく、鶴岡県のTBS系列局が製作協力に加わった。
    • 県紙の荘内日報も、傘下のテレビ局を経営している。名称は「テレビ鶴岡」になっているだろう。
    • 先発民放は「鶴岡放送」(略称:KTBかTBK)となる。KRTラジオ東京がTBS東京放送に変わる前に「鶴岡放送」開局なら、こちらがTBSを名乗った可能性もある。
  5. 加藤紘一の地盤が鶴岡県になるため、第二次大戦後の国政選挙では、加藤紘一派vs反加藤紘一派の代理戦争が鶴岡県で勃発していた。
    • 2009年頃までは加藤王国として知られていたが、政権交代のあおりで崩壊。
    • 鶴岡と酒田で選挙区が違っていたはずなので元酒田市長の人は自民党から出ていた。(史実では公認を得られず、無所属で出馬)
  6. 第二次大戦後の駅弁大学として、「鶴岡大学」が設立される。
    • 史実の山形大学農学部は、鶴岡大学農学部になっていた。
    • 「庄内大学」が、私立大学として鶴岡県内に設立されていた。
      • 酒田大学とかもありそう。
    • 東北公益文科大学はなかった?
  7. NECの地域子会社は、「山形日本電気」ではなく「鶴岡日本電気」になっていた。
    • 史実でのJFL所属NEC山形サッカー部(1984年~1998年)は、「NEC鶴岡サッカー部」になっていた。このため、史実での「モンテディオ山形」は、鶴岡市を本拠地にする「モンテディオ鶴岡」になっていた。
      • この場合、アルビレックス新潟vsモンテディオ鶴岡の対戦カードが「羽越線ダービー」と呼ばれている。
    • 現在の社名はソニーセミコンダクタマニュファクチャリング鶴岡テクノロジーセンターに。
  8. 県庁所在地の鶴岡が、酒田を超える活気を呈していた。
    • 酒田と鶴岡の関係が高崎と前橋のような関係になっていた。
    • 温海町は鶴岡市に編入されずに独立を保ち、「温海市」になっていた。
    • 庄内交通湯野浜線は存続していたかも。
      • 観光路線というよりも鶴岡市中心部とベッドタウンを結ぶ通勤通学の足としての色合いが濃くなっていた。
    • 酒田市も港湾都市・商業都市として、鶴岡市と同様の人口規模(平成の大合併前で20万程度)になっていただろう。陸羽西線の運行上の起点や47号線の終点が余目か鶴岡になっている可能性はあるけど。
    • 酒田+鶴岡で合併して政令指定都市を目指すという計画があったかもしれない。
  9. 酒田南高校(私立)が、甲子園の鶴岡県代表の常連になっていた。
  10. 鶴岡県の県歌には、自然を描いた歌詞として「庄内平野」「日本海」「最上川」、産業史を描いた歌詞として「北前船」「稲」が含まれている。
  11. ラジオ局としては、コミュニティーFM局の酒田エフエム放送の外に、県域AM局の鶴岡放送(ラテ兼営放送局)と、県域FM局のエフエム鶴岡が、それぞれ立地している。
  12. 市は鶴岡・酒田・温海・余目(立川町とは合併せず)・三川あたりか。
  13. 「庄内空港」は、鶴岡空港か酒田空港として、実史より早く開港(実史上の「庄内空港」開港は1991年10月1日)していた。
  14. 上越新幹線の酒田延伸が行われていた。