宗教
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独立項目[編集 | ソースを編集]
全般[編集 | ソースを編集]
- 基本的にどこの宗教でも「やったことが自分に返ってくる」という教義がある。
- そのほか、「殺してはいけない」「盗んではいけない」「嘘をついてはいけない」といった、誰からしても否定しがたい、子供に教える道徳のようなものが根幹にある。
- これに対して「ただし異教徒なら殺してもよい」「弱者のためなら盗んでもよい」「信仰を守るためなら嘘をついてもよい」といった例外を設けていく形で教義が発展する(場合がある)。
- オウム真理教の「救済のためならポア(≒殺害)してもよい」という理屈は、なにも珍しいものではない。
- この価値観が法律を形成することもしばしばある。
- あと「早寝早起き」をめちゃくちゃ変な言い回しで言っている所も多い。
- これに対して「ただし異教徒なら殺してもよい」「弱者のためなら盗んでもよい」「信仰を守るためなら嘘をついてもよい」といった例外を設けていく形で教義が発展する(場合がある)。
- そのほか、「殺してはいけない」「盗んではいけない」「嘘をついてはいけない」といった、誰からしても否定しがたい、子供に教える道徳のようなものが根幹にある。
- 何か祈るときや宗教に則った儀式を行う際はお金を払う。
- 特定の神を信仰しないのが一般的な日本でも例外ではない。受験祈願やら葬式のお布施だのでお金を払っている。
- キャッシュレス決済ができる場合は少ない。
- 「儲」という漢字は「信者」を縮めたもの。なるほど、収入源は信者である(宗教法人に限らない。下記参照)。
- 宗教法人のこれは非課税だが、対価をとって物販などをする場合は宗教法人でも課税される。そのため拝観料やお守りなど宗教行為は販売ではなくお布施の目安を書いているだけという建前をとっているケースも多い。
- そのためあくまで目安だろといってお布施を払わないこともできる。ただし、有料駐車場などこの建前を使わずに事業と扱われているものは踏み倒せば当然捕まるし、喜捨の建前を使っているものでも、立ち塞がれて強行突破したりしたら当然捕まる。そのためリーガルリスクなくこの裏技を使えるケースは少ない。
- なお「宗教法人であっても課税されるのは具体的にどういう手段の収入なのか」は法人税法施行令5条1項に規定。2024年現在で34種類ある。
- 該当する手段で得た収入は本来的な宗教活動と経理を分離しなければならないし、税務署に収支報告書を提出する義務もある。
- 罪を犯してしまった場合、つまり教義に反することをしてしまった場合に許してもらうメソッドがある場合が多い。
- キリスト教でいえば、罪を告白してお金を払うという具合である。
- このメソッドでは自身が清廉潔白であると信じている人からはお金が取れないわけだが、そこは「原罪」という仕組みで解決である。「人はみな生まれながらにして、アダムとイヴが犯した罪を背負っている」という理屈である。
- お金を払うかどうかは別としても、「罪を告白する」ことは多くの宗教で必須である。そして、告白する先は多くの場合教団の上位者である。
- キリスト教でいえば、罪を告白してお金を払うという具合である。
- 下記のような宗教法人が連想されるが、「特定の価値観とヒエラルキーを持つ集団」として一般化することもできる。
- 宗教法人との違いは宗教法人格の組織を持つか否かだけである。
- 同調圧力やブラック企業、SNS、トイレの素手掃除、天皇なども宗教である。結局あらゆる集団は宗教的な特質を持つことになり、そこでのローカルルールは教義と見なせ、行動規範としての役割を持つ。
- 構成員(=信者)は理屈や功利抜きでそうしている(=信仰)。よって他の集団より自分の集団の方が優越しているだとか、他の集団の思想による侵略を避けねばならないという考えに至る(これがいわゆる宗教戦争である)。客観的に見れば大差ないのだが、彼らにとっては全く異なるものであるようだ。従っていくら理屈で説得しようが信仰の本質はそこではないため納得はされない。「理屈は正しいだろうがお前の態度が気に入らない」となるのが関の山である。論破しようものなら彼らのアイデンティティを破壊したことになるため、ますます発狂して襲いかかってくる。
- 最も宗教的にならない(=集団に属さない)生き方も可能ではあるが、アイデンティティの拡散や孤独死のリスクがある。
- (宗教法人格を持つか否かに関わらず)基本的にヒエラルキーの頂点やそこでの教義、構成員間の暗黙の了解に逆らおうとすると(程度は様々だが)バッシングの対象となる。また何らかのライフイベントがない限り脱退は難しいのが現状である。
- 一番苦しいのは人間関係上こちらの意志によらず入れさせられた場合であろう。先に入っていた人ほど信仰心はないため、教義に疑問を感じやすい。しかし口に出すと上記のように理解してもらえないばかりかバッシングを受けたり、頭のおかしい者扱いされたり、最悪人間関係に亀裂が入る。最も面倒なのは親子のケースであり、権力関係から子供側はねじ伏せられやすい。というわけでしかたなく付き合いで信者のふりをし、相手を喜ばせたいがために信仰しているかのようなことを言うことになる。本音が言えるのはその人が死んだときくらいである。
- 宗教には何らかの伝説または(創始者などの)偉業がつきものである。
- 宗教の対極として科学がよく挙げられるが、科学も宗教のうちと考えられる。
- 宗教や迷信と科学の違いは再現実験(他者による同一条件をそろえた上での検証)が可能か否かであるだけ。観測された現象を好き勝手解釈していることには変わりない。また、解釈と異なる現象を報告することによりその説の否定が可能であるが、実際はどちらも「お前は何を言っているんだ」「やり方が間違っているのでは」などと一笑に付されることも共通している。
- ヒエラルキーとしては神>教祖>幹部>教職者>信者代表>一般信者といった感じである。もちろんこれも宗教法人に限らずあてはまる(適宜別の言葉に置き換えて)。
- 媒体は様々だが教典がある。
- 子供や新加入者にもわかりやすくするためか、あるいは
一般的でない読み方 が含まれるためか、各文字にはルビが振ってあることも。
- 子供や新加入者にもわかりやすくするためか、あるいは
- 信者に勧誘やお布施を義務付けている場合が多い。数値で指定されていることもある。
- その実績が肩書きゲットの条件になることも。
- 「カウンセリング」と「マインドフルネス」としてとらえることもできる。
- 前者は教職者に対し身の上相談をした時が該当する。相手に話を聞いてもらうということがカウンセリングの本質である。ヘンなこと(もっと貢げだとかマルチ商法まがいのことをしろだとか、下手すると犯罪に手を染めろとかも)を吹き込まれるリスクはあるが、それでも大分安く済むことが多い。
- 後者は祈ることに相当する。祈っているとき目標を思い浮かべるがそれと同時に自分の現状を理解しようとしている。
- 宗教の対極に科学(特に自然科学)があると考えると、自然科学者はじめ理系の人は宗教に興味がない、と考えがちだが案外そうではない。数学者でも宗教を信仰している人は多いし、オウム真理教の幹部に理系エリートが数多くいたのは記憶に新しい。
- 理系の学問は初めはとっつきがたいが、それを乗り越えるとどんな現象も数式1つで記述できることに魅了され、自身の価値観もそれに準じたものになる。一方人生を含む実生活は一般的な正解が存在しないどころか時と場合そして人によって大きく異なる。今まであらゆることには唯一の正解があると考えているとそこで思い悩む。そんなとき唯一の正解を与えてくれるのが宗教であり、人生や自分の行動指針に正解を与えてくれる存在に傾倒してしまうのである。
- ここで注意しておきたいのは、宗教及び上記の行為は必ずしも悪いことではない。自身の不安を和らげる方法として依存先を作っておくことは問題なく、むしろ心理的健康に良い。マズいのは依存しすぎて金を多くつぎ込みすぎること、嫌がる人を無理やり引き込もうとすること、そしてなによりも法に反する行為を行うことである。宗教ばかりクローズアップされるが、これらは宗教に限ったことではない。
- 共産主義はこれを嫌って排除しているが、結局やっていることは宗教と一緒なんだよな。
宗教団体・法人[編集 | ソースを編集]
- 宗教法人:日本において宗教団体が法人格を得る場合の制度。
- 宗教団体、というか宗教法人はマネーロンダリングに最適な存在である。
- 宗教法人における賽銭含む布施全般は非課税であることから、その形にすればマネーロンダリングを委託する側からしてもメリットがある。宗教法人に支払う手数料以外に経費が掛からないからである。
- 例えばコインパーキングを使ってマネーロンダリングをしようとすると、1億円を洗浄するためには手数料のほかに2000万円程度の法人税を払うことになってしまう。
- 誰がどころか何人がお金を払ったのかさえ不明で、個々の金額も一切わからない賽銭という仕組みはこれ以上ないほど好都合である。
- 賽銭を使ったマネーロンダリングを突き止めようとすると、お金の出口の側を調べないといけない。
- 出口の側というのは、寺社が外部から委託を受けてマネーロンダリングをしている場合には自分たちの取り分(いわば寺銭)を抜いた後に必ず委託元に洗浄済の資金を還流させるはずであるから、そこを見つけるということである。
- わかりやすいパターンは特定の会社から異様に高額な神具や仏具を買っているなどであろうが、宗教関連の商品はもともと原価率が異様に低いものであるから一筋縄ではいかないだろう。
- 出口の側というのは、寺社が外部から委託を受けてマネーロンダリングをしている場合には自分たちの取り分(いわば寺銭)を抜いた後に必ず委託元に洗浄済の資金を還流させるはずであるから、そこを見つけるということである。
- 賽銭や布施がひとたびキャッシュレス決済となると、外部の決済業者が間に挟まるためにマネーロンダリングは一気に困難になる。「キャッシュレスだと真心が伝わらない」というような言説でキャッシュレス導入を積極的に否定している宗教団体を見かけるが、いくら入ってきても税金がかからない布施の額を明らかにしたくないというのはそういうことなのであろう。
- 賽銭を使ったマネーロンダリングを突き止めようとすると、お金の出口の側を調べないといけない。
- 一方で、ざんねんな企業・団体事典#宗教法人にあるようにかなり誤解を受けているのも事実である。
- なお、法人税が原則非課税である根本的理由は法人税について説明したページに詳しい。
- 宗教法人における賽銭含む布施全般は非課税であることから、その形にすればマネーロンダリングを委託する側からしてもメリットがある。宗教法人に支払う手数料以外に経費が掛からないからである。
- 神を信仰するはずが、教祖や教職者を信仰することにすり替わっている場合がしばしばある。
- 教祖は神の生まれ変わりやその言葉を通訳する者とされる場合が多い。教職者はその言葉を解釈する位置づけである。
- 上記のヒエラルキーは各施設にもある。具体的には本部>地区本部>各教会>支所・出張所といった感じ。より高いヒエラルキーに位置する施設はそれ以下の施設を管理統括する。
- 支所・出張所には教職者がおらず、信者(教団より認められた有資格者)が教職者代理を務めることもある。一定の条件を満たせば教会に昇格する。
- 一般信者が教祖や幹部になれることはほぼない。教団が定めた条件を満たして資格を得、準教職者のような位置づけになれるくらい。あとは教職者育成学校に通えば教職者くらいにはなれる。
- 教祖は基本的に前教祖の血族あたりがなる。
- 1990年あたりまでは単に人口が多くそれゆえ信者数も多く、また個人主義的価値観もあまり醸成されていなかったため、勧誘やお布施、日々や各行事での規律がかなり厳しかったらしい。
- しかし、教団内も少子高齢化と個人主義化が進んでいるため、最近はかなり緩くなっているらしい。それゆえ、世代間で認識の違いが生じてしまうことも。例えば上の世代がやった苦しいことを武勇伝として語るため、下の世代がおびえたりする。
- 日本の宗教法人は「神道系」「仏教系」「キリスト教系」「諸教」(その他、という意味)のいずれかに分類される。
- 役所への法人設立申請の時点で、どれであるのかを定めなければならない。
- なお、完全なる自己申告であるため、形式上は前三者のどれかであっても実質が全然違う法人もある。
ジャイナ教[編集 | ソースを編集]
- 生物を殺してはいけない。
- 信者は必然的に農民や軍人ではなく、商人が多い。
- そのため、インドでは商業界のトップにジャイナ教徒が多い。
- インド人と商売する時は、ジャイナ教に改宗するのがおすすめだとか。(高校の世界史教師談)
- そのため、インドでは商業界のトップにジャイナ教徒が多い。
- 蚊に刺されても傷口をさすってはいけない。日本人には明らかに向いていない。
- 虫を殺さないようメガネとマスクをかけ、ほうきをはたきながら歩く人がいるらしい。
- リアルな「レレレのおじさん」状態?
- 信者は必然的に農民や軍人ではなく、商人が多い。
儒教[編集 | ソースを編集]
- これほど誤解されている宗教・哲学は他に無いと思う。
- 保守的というイメージがまず強すぎる。
- 間違いなくこれは宗教なのだが、あまりそういうイメージがないため宗教禁止の公民館なども使えるとか使えないとか
- 意外と三国志とつながりが深いのだが三国志ファンにはあまり知られていない。
- 文革で激しい迫害を受けたが、今になって必死過ぎる勢いで再評価が進んでいる。
- 文革時代は法家思想が賞賛され、それまで暴君とされてきた始皇帝や則天武后が再評価、逆に名君の代表漢の武帝は儒教を国教化したことでマイナス評価。
- 儒教では「公的立場を利用して身内に便宜を図る」ことが人として正しいことになってしまうので、近代化には脱儒教化の過程がどうしても必要だったのかも。
- 発祥の中国だけでなく周辺諸国にも影響を与えた。その最もな例は韓国。
- 影響を与えすぎて、孔子も儒教も韓国起源ということになっている。
- 体罰マンセー。
- レイプマンセー。
- 儒教の国はアメリカに利用されやすい。日本、韓国は「儒教の国らしくアメリカに忠孝を尽くせ」といわんばかりに、アメリカの属国にされ、不平等な軍事同盟を結ばされている。
- 発祥の地である中国はどうなの?
- 確かに中国は儒教発祥地ではあるが、でも今日の中国は儒教国ではないよ。毛政権により徹底的に排除されたからね。
- それでも慣習としては残っているような...。
- 確かに中国は儒教発祥地ではあるが、でも今日の中国は儒教国ではないよ。毛政権により徹底的に排除されたからね。
- 発祥の地である中国はどうなの?
- 人の年齢を気にする。年齢不詳の人とは付き合えない。
- 韓国では交通事故が起きて運転手が開口一番相手に効くのは免許を持っているかではなく「お前何歳だ」らしい(ホントか?)
- お年寄りを大切にしている。
- 子供はどうせ失なってもまたすぐ作れるじゃないかと考えている。
- 政治と宗教が癒着したらダメの典型例ってここじゃないのかなって思う
- 癒着した結果、革新性を失ってしまったのではないかと思う。
ゾロアスター教[編集 | ソースを編集]
- 別名「拝火教」
- 転じて、たばこを吸う人のことを指すことも。
- 鳥葬という鳥に死体を食べさせる習慣がある。
- 光景はパースィー (信者) 以外みることができない。
- WPの鳥葬のページではグロすぎて、表示ボタンを押さないと画像が表示できない仕組みになっている。
- 迫害から逃げてきた信者だけあって、団結力が強い。
- 光の神アフラ・マズダーと悪神アーリマンの対立がメイン。
- 昔東芝が売っていた「マツダランプ」はアフラ・マズダーにちなむ名前。
- 自動車メーカーのマツダも由来はこれ
ヒンドゥー教[編集 | ソースを編集]
- 信者数世界3位の宗教なのに日本ではやけに影が薄い気がする。
- まず信仰されている地域が小さい。
- 同じくインド発祥の仏教にも多大な影響を与えている。
- 牛を神聖視してその肉を食べないのは有名。
- ただし水牛はあまり神聖視されていないらしい。
- 肉は輸出品にもなっているとか。
- ただし水牛はあまり神聖視されていないらしい。
- インドでは「国外発祥の特定宗教以外は全てヒンドゥー教」と見られているらしい。
- ルーツはインダス文明にまで遡れるらしいが文字が解読できないので真相はまだはっきりしない。
- 豚を禁止している場合もあるらしい。
ブードゥー教[編集 | ソースを編集]
- 黒魔術?
- 何故か映画・アニメ・ゲーム等でネクロマンサー系のキャラクターが習得している確率が矢鱈高い。
- オカルトチックな雰囲気のキャラクターも、かなりの確率でこの魔術を習得していたり,アイテムを持っていたりする。
- 一応死者をゾンビにする魔術もあるらしい。
- 実際、ウェード・デイビスやゾラ・ハーストンといった学者が論文や本を書いている。毒で仮死状態にした後、連れ去って解毒し、別の薬物で奴隷化するのが定石らしい。
- 一応死者をゾンビにする魔術もあるらしい。
- オカルトチックな雰囲気のキャラクターも、かなりの確率でこの魔術を習得していたり,アイテムを持っていたりする。
- 何故か映画・アニメ・ゲーム等でネクロマンサー系のキャラクターが習得している確率が矢鱈高い。
- ファーストフードでゾンビがバイトをしてるらしい。
- そもそもはフランス人に奴隷にされた現地民が脱走し、白人を抹殺するために毒殺の技術を研究し始めたのが起こりらしい。呪いが重要視されるのはそのためだとか。
- この宗教のゾンビに噛まれてもゾンビにはならない。
- 西アフリカのベナン、カリブ海の島国ハイチそしてアメリカの都市・ニューオーリンズに信徒が多い。
モルモン教[編集 | ソースを編集]
- 自転車で布教するのがおなじみ。
- ペアを組んで行動する。
- なんでも大学を何年間か休学してその間異国の地で布教するのがルールらしい。
- コーラを飲んではいけない。
- コーヒーも飲んではいけない。
- 聖地はユタ。
- 石を投げればほぼ必ず信者に当たる程一杯住んでいる。
- 家族間の仲は大抵良い。
- 2012年の大統領選挙でオバマの相手がモルモン教徒だったので注目された。
- モルモン教徒の政治家は多い。「アメリカ版創価学会」というイメージ…
- かつては一夫多妻制を認めていた。
- 正式名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」で、キリスト教の一派ということになっている。
- ただし、「モルモン書」という聖書の外伝を独自に設定していることや三位一体説の否定が理由で、正統派のキリスト教側からは「異端」扱いされている。
ユダヤ教[編集 | ソースを編集]
- 世界のほかの場所と違って、1日はいちばん星が出るときに始まり、1週間は土曜日の夜始まる。ちなみに新年は9月から10月で、毎年変わる。
- 独自の暦を使っている。
- 皇紀よりも長いやつだっけ?数え始めて5000〜6000年くらいだった気もするけど。
- 独自の暦を使っている。
- 土曜日にタバコを吸っていると、知らない人からすごい剣幕で怒鳴られる。ユダヤ教で禁止されている行為らしい。
- チーズバーガーはユダヤ教によって正式に禁止されている食物である。
- 土曜日が休日。日曜日は普通の日で、みんな普通に働きに行く。
- 厳密には、金曜の日没~土曜の日没。
- 「旧約聖書」と言ってはいけない。
- 聖書は聖書、それ以外認めないということ。というか自分たちの契約を神との旧い契約とかにされて、キリスト教の契約を神との新しい契約とか言ってたらキレるだろ常識的に考えて。
- 上座部仏教のことを大乗仏教側からの呼称「小乗仏教」で呼んだら怒られるのと同じである。
- ユダヤ教の墓に入ると、未だにハーケンクロイツを落書きされることがある。
- ダビデの星は日本の篭目紋に似ている。
- それが日ユ同祖論の根拠の一つだったりする。
- ユダヤ過激派という連中がいる。過激すぎるのに支持している人が多く、イスラエル当局から目をつけられ、頭痛の種になっている。今時神権政治を本気で目指している団体である。もし政権をとることになれば、イランと似たような国になると思われる。その時ひょっとしたら王政独裁もあるかもしれない。
- 別に神権政治がダメな訳じゃないだろ。というより王政って国王誰にすんだよ。
- 男性はもみ上げと髭を切ってはいけない。
- 土曜日には電気製品を使ってはいけないらしい。
- 火を使うことと同じ扱いらしい。
- 神様の名前が忘れ去られていた事がある。
- 聖書曰くユダヤ教そのものが忘れ去られそうになった事も結構あるらしい。
- そもそも、「神の名をみだりに唱えてはならない」という掟がある。
- その理屈で「Oh my God!」を「Oh my gosh!」と言うらしいが、「それでいいのか?」と思わなくもない。Twitterの言葉狩り対策で「○すぞ」と書いてるのとそう変わらないのでは。
- gosh は God の言い換えに当たる言葉だが、 God は神の名ではないので、この言い換えは「その理屈」によるものではない
- その理屈で「Oh my God!」を「Oh my gosh!」と言うらしいが、「それでいいのか?」と思わなくもない。Twitterの言葉狩り対策で「○すぞ」と書いてるのとそう変わらないのでは。
- そもそもキリスト教もイスラム教も元はユダヤ教の一派。よって信じてる神様は一緒。
- 実は非ユダヤ人のユダヤ教徒もいる。特にアメリカが多い。
日本の宗教[編集 | ソースを編集]
- 日本では特定の神を信仰しないのが一般的なため、各資料でも「○○教徒が主流」とは言わず「日本の宗教」と別枠になっている。
- とはいえ、神道信徒(神社本庁)が大多数と言われている。
- 一般的には神道・仏教・キリスト教の混合であると考えられる。
- 受験祈願と初詣は神社へ、葬式は仏式で、結婚式はキリスト教と言った感じ。
- ちなみに葬式を仏式で挙げないことも可能である。極端な話、段ボールの棺を買って自分で火葬場へもっていけばいい。
- しかしながら、それ以外の宗教の要素はほとんどない。せいぜい体験イベントに参加する程度か。
- 例えばイスラム教は東京ジャーミーあたり。
- 下手すると複数の宗教に入っていることも。仏壇と神棚が同じ部屋に置かれていても特に気には留められない。
- 受験祈願と初詣は神社へ、葬式は仏式で、結婚式はキリスト教と言った感じ。
- 「無神論者」(神の存在を積極的に否定する)ではない。「いつも気に留めているわけではないけどたまには頼るよね」程度。
- もし日本人が無神論者なら、歌謡曲の歌詞に「神様」なんて単語が多用されるはずがない。
- 特定の宗教を信仰する(あるいは特定の宗教法人に入会する)のは敬遠されがち。主に「他を捨てて特定の神を信仰しないといけない」「過度な金銭的負担や行事への参加、勧誘活動を強いられたりする」「過激思想を持っていたり、それを行動に移す人が多い」あたりが理由と思われる。
- 初めの1つはアニミズム信仰に由来し、あと2つは一部宗教(特に新興宗教団体)の度を越した活動が原因。
- なので、日本人にはどの宗教に入っているか明確には答えられない場合が多く、複数信仰している場合も少なくない。
- 同じく日本では、どの宗教に入っているか言えるレベルのものに入っていると、周りからの印象が悪くなることがある。
- だから、自分の宗教が明確にわかっていても答えないほうがいい場合が少なくない。
- なお、「宗教団体はテロを起こす」は間違い。実際こんなことをするのはごくわずかである。日本ではオウム真理教くらい。
- 日本人は宗教を信仰する人に対する配慮はなくてよいと考えている。さらに悪いことに一部の人はわざと踏みにじって悦に浸ろうとする。
- 有名どころだと、インドネシア出身の技能実習生(イスラム教徒)に対し豚肉をを食べさせ酒を飲ませた人など。
- そのくせして、天皇を風刺ネタに使われるとブチギレるダブルスタンダードなのが日本人。
- もともと宗教は「特定の思想を持つ人が集まって集団を形成したもの」でもあるから、案外日本も宗教と言えるものがある。
- 例えば「善良な多数派・権威・伝統教」(エライ人や多数派の言うこと・昔から決まっていることは内容がどうであれ正しい)、ブラック企業(京セラとか)など。
- 多数の判例で信教の自由及びそれに伴う配慮義務が認められてきている。
- これを理由にして何らかの権利を行使する場合、相手に拒否されにくくなる。なぜなら拒否すれば訴えられかねないためである。
- これを利用すると学校を休んだり追試験(所定の日程で受験できない人のための制度。主に大学)が受けやすくなる。
- また、会社では有給休暇が通りやすくなる。最もその先の人間関係は保証できないが。
- どんな人間集団でも不祥事はつきものだが、それが宗教団体だと過度に叩かれがち。
- オウム真理教による一連の事件で宗教全体にケチが付いてしまったか。
- 不祥事や過激な思想を持つ人はあらゆる人間集団にありうる。何も宗教団体に限った話ではないし、宗教団体にそのような事例が多いわけでもない。
- 日本では、学校教育で宗教心が育たないようになっている。
- 国公立学校ではそもそも宗教教育が禁じられている。私立でも宗教系の学校はごくわずかで、そのほとんども宗教に準じた行事がある程度で宗教に深く触れる機会はない。現存している学校で信仰心が育ちそうなのは新興宗教系くらいしかないし、生徒もほとんどが入学前より教徒だった者であり、その宗教を信仰していない人が入って信仰心が醸成されることはほぼない。
- 新興宗教は何かと邪魔者扱いされるが、実はそうではない。何故なら自分の敵を新興宗教(カルト)の人間だとレッテルを貼れば大抵の日本人は信じるから。
- 日本人には「孤独死」を過剰に恐れるという宗教的な感覚がある。なぜなら、無神論者なら死んだら終わりでどう死んでも同じだから看取ってくれる人なんていてもいなくてもどうせなにもわからないし変わらないため恐れる必要がないから。
- 一方で宗教を信じているなら、孤独死を悪いとする宗教など聞いたことがない。大抵は来世や死後の裁きについて考えるはずである。
- 確かに独身だと急に倒れたときの通報者がいないため助かる急病でも死にやすいというリスクはあるが、そのわりには定期検診やまめな人間ドックなどにいく様子もなく、デッドマンズスイッチなんて考えもしないようだ。これはもう宗教的感覚としかいいようがない。
- 生命保険を目的とした自殺というのもある。経済的失敗者などが借金を返済するため、家族や他人に財産を残すため自殺するケース。
- しかし、無神論者なら自分が死んだら自分の損失は無限大なのに他人に金を渡すために命を捨てるなんて馬鹿馬鹿しい、借金なんて踏み倒して逃げるか自殺すればいいと思うはずであり、宗教においても自殺を禁止するケースが多いため、日本人の特異な宗教観の1つともいえる。
- そもそも、免責事項などで自殺では保険金を受け取れないケースも多い。仮に受け取れたとして、憎たらしい借金取りなんかに金を渡してどうするのだろうか。家族を愛していたとしても、命と引き換えに残されたトラウマを植え付けるだけだろう。そして本人はその後どうなったかなにもわからないし感じられないので、完全に無意味である。それでも日本では生命保険目当ての自殺が多く、論文の研究対象にもなっている。これは完全に宗教である。
- しかし、無神論者なら自分が死んだら自分の損失は無限大なのに他人に金を渡すために命を捨てるなんて馬鹿馬鹿しい、借金なんて踏み倒して逃げるか自殺すればいいと思うはずであり、宗教においても自殺を禁止するケースが多いため、日本人の特異な宗教観の1つともいえる。