春秋
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春秋時代の噂[編集 | ソースを編集]
- 呉と越の仲が悪く、川中島で三回戦った。
- 島まで行くときには同じ船を使っていた。
- 越後へ行くときも同じ船を使っていた。
- 島まで行くときには同じ船を使っていた。
- 孔子が儒教を始める。
- 「文藝春秋」創刊。
- 夏と冬がなかった。
- なので、杞の国は天変地異の前触れを恐れた。
- 残念ながら夏はとっくに滅びてしまっていた。
- 戦乱によって荒れ果て、冬の時代を迎えた。
- 500年戦った。
- 孫子が風林火山といった。
- 「風鈴貸さん」の間違いでは?
- 「不倫母さん」の間違いでは?
- 「風鈴貸さん」の間違いでは?
- 実際には「春秋」とは諸国の年代記のこと。
- 孔子の生まれた魯の年代記(魯国春秋)だけやたらと有名になったが、他の国にも斉国春秋、宋国春秋などがあった。
- 春秋時代とは、本来この「魯国春秋」に記載されている時代のことを言った。
- が、「魯国春秋」の開始年(BC722)にも終了年(BC481)にも、取り立てて大事件が起こったわけではないので、それに近い年代の大事件で時代を区切るようになった。
- 開始は西周が滅亡して周が洛陽に遷都したBC720、終了は晋が魏・趙・韓の三国に分け取りにされたBC403とする区分法が有力。
- 「怒髪天を突く」「刎頚の交わり」「ひそみに倣う」なんて成語が生まれた。
- グルメファンも覚えて欲しい言葉「食指が動く」「指を染める」なんて成語も生まれた。
- ぶっちゃけ、実績が無くても口先だけで出世出来る時代。
春秋の国々の噂[編集 | ソースを編集]
斉の噂[編集 | ソースを編集]
- 周の建国の元勲・太公望を祖とする由緒正しい国。
- 妹萌えの君主(襄公)のおかげで大いに乱れる。
- その弟・桓公の時、ツキの悪い、冴えない、しかも以前自分の命を狙ったことのある男を、重臣の薦めで試しに宰相にしてみたらこれが大当たり。斉の国力はぐんぐんとアップし、東の強国にのし上がった。
- ちなみにこの宰相の名は管仲。彼を推薦した重臣は鮑叔。「管鮑の交わり」で知られる親友同士であった。
- 実は管仲の黒幕が鮑叔で、鮑叔は自分のプランを管仲を通じて実現したのだという説を唱える人も。当時、献策が外れたりすると命を奪われる危険があったので、スケープゴートとして、死刑になってもともとの管仲を表に立てておいたというわけ。
- ただ、管仲が逝世した後の桓公は佞臣3人(開方・易牙・豎刁)を取り立ててしまったためにgdgd。斉の国力も凋落。
楚の噂[編集 | ソースを編集]
- 他の諸国からは、なんとなく異民族と思われていた。
- 自分らも開き直り、王号を称する。
- 周王からとがめられると、「何せおいらは野蛮人だからな」とうそぶいた。
- 春秋時代を通じて、軍事的には最強の国だったが、それだけに軍制改革などをおこなう必要がなく、古い体制が残ってしまった。
- 最近は『長江文明』の末裔かも知れないとも言われている。
晋の噂[編集 | ソースを編集]
- 建国以来慢性的なお家騒動が続いていたが、文公(重耳)の出現でようやく安定、以後北方の強国として中華ににらみを利かせる。
- 書店で「重耳」というタイトルの本が並んでいるのを見て「何の本だ」と戸惑った人はきっといる。
- が、お家騒動の余波で重臣たちの権力が強く、文公以後の君主の印象は甚だ弱い。
- 武公による主家乗っ取り、献公・恵公による中央集権化の過程で公族はのきなみ排除されたため、文公以降の君主は重臣の一族に公族の待遇を与えた。これが結果として君主の弱体化を招き、家老たちの重臣争いを呼んだ。
- 6家あった家老たちが相争って4家となり、さらにその中で最強だった知氏を他の3家(魏氏・趙氏・韓氏)が連合して亡ぼし、その3家がついに晋の版図を分け取りにしてしまい、滅亡。
- 春秋と戦国の境目をこの事件に置く人が多い。
- 最後のほうの君主の事項は「女郎買いの最中に盗賊に殺された」(幽公)ような一見大事件に見えてそっけない記事しか出てこない。
秦の噂[編集 | ソースを編集]
- 西の辺境の国としてバカにされていた。
- ただし軍事力や経済力は強かった。文化的に遅れていたからバカにされたので、ヨーロッパにおけるロシアのようなものか。
- 穆公の時、晋からめとった嫁のお付きとしてついてきた老人に見どころがあったので政務を担当させてみる。これが大当たり、秦は大いに国力を伸ばし、西方の大国として一目置かれるようになった。
- この老人の名は百里奚。奴隷として辛酸を舐めてきた男である。
- そして、このエピソードから産まれたのが「大器晩成」である
- この老人の名は百里奚。奴隷として辛酸を舐めてきた男である。
魯の噂[編集 | ソースを編集]
- 周の建国の元勲・周公旦を祖とする由緒正しい国。
- 由緒正しすぎて、やたらと格式張ってしまい、時代の流れについて行けなかった。
- 孔子が生まれた国。
- この時代、各国の年代記のことを「春秋」と言い、魯にももちろん「春秋」があった。この「魯国春秋」は孔子が編纂したものとされ、のち「春秋経」として大層な権威を持った。
- だが、魯国においては一介の野人に過ぎなかった孔子が、国家事業である国史の編纂に携わったというのはどう考えても無理。後世の儒者が孔子の偉大さを喧伝するためにこじつけたに違いない。
鄭の噂[編集 | ソースを編集]
- 春秋時代の初期にはなかなか強勢だった。
- 周王率いる王軍をはじめて堂々と撃破した。
- しかし、北の晋と南の楚という超大国に挟まれていたため、力を失ってのちはひたすら二股膏薬に。
- 美人が多いとか、詩経の鄭風には艶詩がおおいとか言われる。
- 夏姫という絶世の美女が出現。成人した息子が居る年齢になってからも、ちっとも衰えぬ美貌で各国の王侯貴族たちを惑わしまくった。
宋の噂[編集 | ソースを編集]
- 周に倒された殷(商)の人々の子孫。
- 襄公の時にはけっこう頑張って、覇者まであと一歩のところまで迫ったが、楚との戦争で変な義理堅さを見せたために大敗北、覇者への夢はついえた。
- このことから、無用の義理堅さのことを「宋襄の仁」と言うようになった。
- 「ウサギが飛んできて、ころりころげた木の根っこ...」という歌のことわざになった国。義理堅いとともにウサギが株にぶつかって死んだので、またくるかと思って期待してまってたらいつまでもこなかった、橋のたもとで恋人をまっていて増水しておぼれ死んだという話はこの国の人のことを言ってるに違いないと思われている。
杞の噂[編集 | ソースを編集]
- 天が落ちてこないか、ハレー彗星がぶつからないか、太陽や月が落っこちないかと余計な心配をしていた国。
- これが「杞憂」の語源です。
- たぶん竹本泉の「アップルパラダイス」にでてくる彗星のように空をかち割ってどこかへいってしまえば大丈夫だと納得するかもしれないが、その割れた空の破片が落ちてくるかもとさらに心配する可能性がある。
- 世の中にいる心配性の人は先祖がこの国の人だった可能性が否めない。
- ↑という具合に、軽侮され続けていた国。ずっと以前に亡びた夏の末裔たちの国と言われている。
呉の噂[編集 | ソースを編集]
- 天才的政治家・伍子胥と、天才的軍略家・孫武(孫子)がたまたま同時期に滞在していたおかげで、小国からものすごい勢いで膨張、楚を亡国寸前まで追いつめ、天下の覇者に。
- 呉王・夫差から疎まれた伍子胥が自害した途端に、風船に針を刺したみたいにあっという間に勢力を失い、越に亡ぼされる。
- せめて孫子が残っていれば良かったのだが、伍子胥に先立って病死してしまいました。
- 呉王・夫差は下の越の王・勾践と我慢大会(どちらがよりマゾか大会)を行い、負けた。
越の噂[編集 | ソースを編集]
- 新潟や富山や福井ではない。
- この越よりもっと南が越南と呼ばれる地方で、それがベトナムの語源。
- 越王・勾践が上の呉の王・夫差と我慢大会(どちらが真のマゾか大会)を行って、勝った。
- でもやったことを考えたら呉の王の方がマゾだよな~。
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