雲ヶ畑
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雲ヶ畑の集落を貫く府道
- 意外かもしれないが、ここは北区。
- 旧山城国であるが、過去には葛野郡から愛宕郡へ移されている。
- 奈良時代までは、丹波国桑田郡だったらしい。ややこしいなあ……
- 旧山城国であるが、過去には葛野郡から愛宕郡へ移されている。
- 近年は減ったが、出雲風の千木屋根の家が多かったらしい。
- ちなみに、この造りは山城では珍しい。というか、まず見られない造り。
- 過疎化と少子化の関係で広いエリアなのに小中学校共に閉校になった。
- 地名の由来は以下のとおり。
- かつて、薬王菩薩とやらが近くの山に降り立った。
- その人が、薬草の種を付近に投げ捨てまくったそうな。
- すると瞬く間に薬草の花が開き、まるで山裾に紫雲がたなびくように見えたそうな。
- なので、紫雲がたなびくような薬草畑を略して紫雲ケ畑、さらに略して雲ヶ畑となったとか。
- 徳川さんの家紋の由来の元となった二葉葵の自生している地域。
- 正確には二葉葵を家紋にしていた酒井氏のやつだが、その酒井氏のを真似て創られた家紋ゆえ、別に間違ってはなかろう。
- 二葉葵は人名っぽい。
- 下賀茂さんにも供出されているが、近年減り始めている。
- 正確には二葉葵を家紋にしていた酒井氏のやつだが、その酒井氏のを真似て創られた家紋ゆえ、別に間違ってはなかろう。
- 波多野さんと秦さんが多い。
- 波多野さんは丹波に多いのでこの辺りも関係性が伺われる。
- 一方、秦さんは太秦とかで有名。
- 波多野さんは秦さんの派生系の気もする。
- 大正時代までは水守というのが御所から派遣されていた。
- 実は、御所水の水源だったため、ものすごく大切にされていたから。
- このため、この地域では死者の埋葬も禁止されていた。
- じゃあ、どうやってたかというと、山を越えて真弓集落へ持って行きそこで埋葬していたそうな。
- 山奥ではあるが、厳島神社がある。
- もともとは、弁財天を祀ってたらしい。他には秦氏の先祖神とか。
- 神仏分離の時に、厳島神社に変わったとか。
- 延喜式を漁ってみると天津石門別雅姫神社というのが、この神社の元の名前だったらしい。
- かつて、空海が護摩修行をここでもやってのけたらしい。
- そこらじゅうでやっとるのう。
- 寺社関係で言うと、無量寿院と志明院も、パワースポットとしても有名かも。
- 志明院は、面白い石が多数配置されている。
- 歌舞伎の18番『鳴神』の舞台の護摩洞窟はここのもん。
- 石楠花で有名。この時期だけ入山料が25%上がって400円になる。
- 御本尊は弘法大師の自作の品。淳和天皇が勅願ださはったそうな。
- 無量寿院は司馬遼太郎氏が愛したお寺らしい。
- 志明院は、面白い石が多数配置されている。
- ここを走るコミュニティバスは「雲ヶ畑もくもく号」という名前。
- かつては京都バス37系統が来ていた。
- 高雄の近くには梅ヶ畑という地名もあって紛らわしい。
- 府道61号は行き止まり。
- 雲ヶ畑なんて名乗るくらいだから、雲の上にあるような山奥=京都のチベットなんだと思ってた。