ざんねんな日本の政治家事典

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あ行[編集 | ソースを編集]

浅沼稲次郎[編集 | ソースを編集]

  1. 分裂した社会党の委員長を務め、1960年10月12日の立会演説会の壇上、右翼青年・山口二矢に刺殺された不運の政治家、というイメージだが・・・。
  2. 1959年の第二次中国訪問団団長として中国を訪問、中華人民共和国の「一つの中国」論に賛同する。ここまではいい。

麻生太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 九州の炭鉱王の麻生家をルーツに持ち、祖父は戦後首相となった吉田茂。
  2. 1976年のモントリオール五輪でクレー射撃の日本代表にも選ばれた。
  3. 育ちのせいか「庶民生活を知らない」「浮世離れしている」と言われる。
    • 首相在任中、国会でカップラーメン1個の値段を聞かれ、「400円」と答えてしまった。
    • 政財界の要人との会合は高級ホテルのレストランやバーなどが多く、「庶民感覚からかけ離れている」と非難された。
  4. 「漢字が読めない」と批判を浴びる。
    • 「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだ。
  5. 失言が多い。
    • 米価に関する問題で「アルツハイマーの人でも分かる」と発言した。
    • 全国知事会議で「(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言。日本医師会が発言に抗議した。
    • 憲法議論では「ナチスに学んだらどうか」と発言し、物議を醸した。
    • 「北海道のコメが美味しくなったのは温暖化のおかげ」と言ってしまい、野党などから批判を浴びた。

安倍晋三[編集 | ソースを編集]

  1. 歴代最長政権を築いた人物だが、熱狂的な支持者とその真逆の猛烈なアンチがおり、評価が二分されている。
  2. 出身地が山口説と東京説があり、安定しない。
    • 岩手の豪族の子孫」を自称したこともあった。

池田勇人[編集 | ソースを編集]

  1. 第58・59・60代内閣総理大臣。所属倍増計画を唱え、日本を高度経済成長に導いた名宰相だが…
  2. 実は大蔵大臣だった頃は森喜朗氏に匹敵するほど失言が多く、「貧乏人は麦を食え」や「中小企業の倒産はやむを得ない」など庶民を舐めた発言を繰り返して猛抗議を受けた。
    • 師匠だった吉田茂にすら「お前は何も喋るんじゃねえ!」と叱責されてしまう始末…。
    • しかし首相になってからはそれを逆手にとって、「私は嘘を申しません(正直者です)」とアピールし庶民を勇気づけた。歴代首相の中でもトップクラスの人気を誇った。
    • ちなみに白米よりも麦飯の方が栄養価自体は高いので、おかずを買える富裕層以外は麦飯を食べた方が栄養失調になりにくく脚気の予防にもなっていたため、当時としては正しい論理ではあった。
      • 「中小企業の倒産はやむを得ない」、これが実現していたら日本企業はもう少し淘汰されてスリムになっていたかもしれない。日本社会の停滞は中小企業が乱立していることだと言っている経済人がいるくらい。
  3. 実は受験に何回も失敗している。
    • 子供の頃は軍人を目指していたらしく、陸軍幼年学校を受験したが、体が弱いことを理由に不合格となっている。
    • 旧制第一高等学校(現在の千葉大学の前身)を目指して二浪したが結局行けず、第五高等学校(今の熊本大学)に入学。その後、京大法学部に入学し卒業した。
  4. 官僚の中でも少数派の京大卒だったため、東大にコンプレックスを持っていたのだとか。
    • 弟子の宮沢喜一は池田のことは表向きは一応尊敬していたものの、内心では自分より学歴の低いことを馬鹿にしていたという。
  5. 戦前は大蔵省の官僚だったが、京大卒だったことから出世コースから外されてしまっていた。
    • また、落葉状天疱瘡という難病に罹ってしまったため一旦大蔵省を退職してしまっている。
      • しかしそれまで大したことのなかった経歴のおかげで公職追放の対象者にならずに済み、戦後大活躍することができたのである。
  6. 首相在任中に末期癌に罹ってしまい、東京オリンピックの閉会式で首相を辞任することを表明。その翌年亡くなった。

石橋湛山[編集 | ソースを編集]

  1. 報道畑出身では唯一の総理大臣。鳩山一郎内閣の後を継いで1956年の年末に内閣総理大臣に就任。
    • しかし混戦となった総裁選の影響からか組閣人事で閣僚の人選が遅れ、一時は石橋が臨時代理の形で全ての閣僚を兼任した。
  2. 更に年明けの1月25日に自宅の風呂場で倒れ、医師から「軽度の脳梗塞、2ヶ月の絶対安静が必要」との診断を受けた。
    • 結局1ヶ月後の2月25日に辞任、僅か65日(歴代4番目の短さ)での内閣辞任となってしまった。
  3. 即刻辞任の理由が記者時代に当時の首相が狙撃されて国会に出てこれないのを批判してたから。

宇野宗佑[編集 | ソースを編集]

  1. 言わずと知れた「キング・オブ・ざんねん」。
  2. 女性スキャンダルで歴代最短の総理大臣となる。
    • 最短ではなく歴代4番目です。
    • 日本国憲法制定後でも羽田孜(64日)のほうが5日短い(宇野は69日)。
    • 純粋な在職日数だけなら宇野氏より短い首相もいるのだが、宇野氏はその理由がざんねんなので、ざんねんな首相の代表格として名前を挙げられることが多い。
  3. これが元で、参院選で自民党は社会党に大敗した。まさに、戦犯である。
  4. こち亀でも日暮熟睡男が「宇野首相って誰!?」とネタにされていた。
    • 1992年に日暮が登場した際、両津勘吉が「(日暮が寝ていた間)首相が竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一に変わった。」と説明しており、それについてのツッコミ?である。
      • ただしアニメでは1996年に登場したため、「細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎」の順番に変更された。

大平正芳[編集 | ソースを編集]

  1. 香川出身の政治家。三角大福の一人だが、政権基盤が他の3名に比べて弱かったため、自民党総裁・首相の座は最後となってしまった。
    • さらに盟友の田中角栄の影響力が非常に強かったため、後継の鈴木善幸政権と共に角影内閣と呼ばれた。
  2. 政界でも随一の知性派で先見の明があり、素晴らしい考えを沢山持っていた人物だが、権力闘争が激しい時代に首相に就任したため、あまり功績を残すことができなかった。
    • 一般消費税導入や田園都市構想は大平の構想だったが、実現しなかった。(ただし前者は後の竹下登政権で実現済み)
    • またかつて田中内閣の外務大臣であり日中国交正常化を実現した人物であったことから親中派のイメージが強いが、それ以上に日米同盟の強化を訴えていた人物であり、後の中曽根康弘政権の親米路線にも繋がっている。
  3. 元々心臓に持病があった上に権力闘争による過度のストレスから心筋梗塞を発症し、首相在任中に亡くなってしまった。
    • 現職総理の死去は犬養毅が暗殺された五・一五事件以来である。

小沢一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 平成5年以降の日本史の政治分野を難しくした張本人。
    • 政党を新しく作っては壊し、また作っては壊しの繰り返し…。
  2. 岩手選出だったにもかかわらず、東日本大震災が発生した際には(一応盛岡市には行ったものの)被災地には全く顔を出さなかったため、地元民から見放されてしまうことに…。
    • それどころか妻や子供たちからも見放されてしまった…。
  3. 2021年(令和3年)の衆議院議員総選挙では初めて小選挙区で落選した。一応比例で復活はしたが…。

小渕恵三[編集 | ソースを編集]

  1. 中選挙区時代は福田赳夫や中曽根康弘と同じ旧群馬3区から出馬していたが、この2人が大物だったために小渕氏の得票数は常に少なく、いつもギリギリで当選する形だった。
    • また、福田と中曽根は有権者に対してご馳走を振る舞い、(福田は懐石料理を、中曽根はお洒落な西洋料理を振る舞ったため)それぞれ福田料亭、中曽根レストランと呼ばれたが、小渕氏はどうしても資金力が弱く、おにぎり程度しか出せなかった。
      • ちなみに小渕飯場と呼ばれた。
    • ちなみに群馬であまり人気が無かったのは、小渕氏が自民党総裁選で同郷の福田ではなく、小渕氏の派閥の師匠だった田中角栄に投票したためとも言われている。
  2. 中学生の頃に生まれ育った群馬から東京に引っ越したが、編入した学習院中等科では周りが名家の子息ばかりだったことから学校に馴染めず、孤立していたらしい。
    • ちなみにあだ名は「群馬」。
  3. 1998年に同じ派閥の橋本龍太郎氏の後継として首相に就任するが、ライバルの小沢一郎氏が率いる自由党との足並みが揃わずストレスが溜まり、さらに元々心臓に持病があったのもあって脳梗塞を引き起こし、辞任後に亡くなってしまった。
    • ちなみに同じ派閥の青木幹雄氏が首相臨時代理を務めている。
  4. 周辺事態法や通信傍受法、国歌・国旗法、男女共同参画社会基本法、沖縄サミットなどの功績があり平成ではかなりマシな首相だったという評価がある一方で、赤字国債を増やしたことや労働者派遣法の改悪など批判されている面も多い。
    • また、創価学会を母体とした公明党と連立を組んだのも小渕内閣からであり、保守派の方々からの批判は少なくない。
  5. 首相というより、竹下登内閣で官房長官(平成おじさん)を務めていた印象の方が強いかもしれない。
  6. この人が亡くなってから経世会が著しく弱体化してしまった印象がある。
    • 小渕氏の後継の首相として清和会の森喜朗氏が選ばれ、さらにその後継の小泉純一郎氏によって経世会は壊滅させられてしまった。
      • ちなみに小渕氏は「凡人」というあだ名が付いていたが、小泉氏自身は「小渕氏は凡人では無い」と言っており良きライバルとして見ていたようだ。

か行[編集 | ソースを編集]

片山哲[編集 | ソースを編集]

  1. 和歌山出身の弁護士、政治家。日本社会党の初代委員長であり第46代内閣総理大臣を務めた人物だが…。
  2. 保守系政党との連立による挙国一致内閣発足を目指したために人事が難航し、最初の9日間は全閣僚を片山1人で務めるという大暴挙に出ていた。
  3. ようやく閣僚が決定した後も与党の足並みが揃わず、それどころか社会党内部でも左派と右派の争いになり、さらにGHQの圧力もあって政権運営が難しくなったため、僅か8ヶ月で退陣した。
    • ちなみに後に自民党総裁かつ首相になる三木武夫も逓信大臣として入閣していた。
    • 後の非自民連立政権(細川護熙、羽田孜両首相)や民主党政権と同類の烏合の衆という評価である。つまりお察しください。
    • 盟友の芦田均が片山の後を引き継ぐが、こちらも片山内閣よりさらに短い半年あまりの短命政権で終わった。
  4. 1949年の衆議院議員総選挙では社会党の議席数が大幅に減ってしまった上に片山自身も落選してしまった。首相経験者であったにもかかわらず、である。
  5. 決断力に乏しく社会党を万年野党にしてしまったため、「ぐずぐずしていた」ことからグズ哲というあだ名がついてしまった。
    • 次に村山富市氏が首相になるまでの47年間、社会党から首相は輩出されなかった。
      • とは言っても村山内閣も首相が社会党委員長ってだけであって実質的に権力を握っていたのは自民党だがね…。
  6. 社会主義理論を鵜呑みにして国営の公団や公社を作りまくったため、経済面での評価は低い。
    • またこれが後に中曽根康弘氏や小泉純一郎氏の評価を上げてしまうことにも繋がってしまった…。
    • 一応フォローを加えると、失業保険制度を作ったり改正民法の公布、警察制度の民主化を目的とした警察法の制定などの功績もあるにはある。
    • ちなみに公営競技(競馬、競艇、競輪など)を提案したのも片山。

菅直人[編集 | ソースを編集]

  1. 年金未納問題で中川昭一・麻生太郎・石破茂の3人を「未納三兄弟」と揶揄するなど自民党を激しく追及していたが、後になって自分にも、それも年金の所管である厚生大臣時代に年金未払い期間が存在したことが発覚した。
  2. 民主党政権で首相に就任するも、在任中に東日本大震災が発生し、その後自民党政権への復帰を促すことに…。
    • もっとも、東日本大震災自体は数世紀に一度とも言われるほどの大災害だったのは事実であり、もし仮に他の人が首相だったとしてもマトモな対応ができたかと聞かれると疑問符が付く。だからといっても菅直人がマトモな政治家だったとは全く思わないが…。
  3. 実は「美作の菅家」の系譜に連なる(菅原道真まで家系図をさかのぼれる)人なのだが、さすがに東日本大震災での対応はご先祖に申し訳が立つものと言えない。
  4. 山口県宇部市出身だが「戦後の総理は出身選挙区でカウントする」ので山口県ではなく東京都の総理扱いされる。
    • 同字異音の苗字の方は出身は神奈川か秋田でちょっとした論争になっているのに。
    • ちなみに本籍地は山口でも東京でもなく岡山
  5. 息子の菅源太郎氏が岡山1区から出馬しているが、落選している。
    • 源太郎氏がここから出馬したのは菅氏の本籍地だから。
    • ちなみに源太郎氏は中学校では生徒会長を務めていたが、その中で政治的主張を行ったために全校生徒から嫌われ生徒会長を罷免されたらしい。
  6. 従姉と結婚したことが一部の人たちからネタにされている。
    • 昔はそういうのが結構あったらしい。
  7. 叩き上げ政治家の代表格と言われることが多い(世襲議員ではないのは事実だが…)が、菅直人氏のお父さんは有名企業の役員であり、直人氏もなかなかのボンボンである。
    • 直人氏のお爺ちゃんも医師であり郡会議員を務めていた。
    • 叩き上げと言えば異音同字の苗字の元首相の方も言われていた。
  8. 菅直人氏が応援に駆けつけた候補者は高確率で選挙で落選しており、党内でも煙たがられているのだとか…。
  9. しばしば鳩山由紀夫と並んで「戦後最低の総理大臣」の一人に名前を挙げられることが多い。それでも流石に「日本を焼け野原にした東条英機(東條英機)や近衛文麿よりはマシ」だとは思うが…。
  10. 自身のTwitterにて、維新の会の橋下徹氏のことを「ヒトラー」と揶揄し、大炎上。
    • 「スターリン」と呼ばれたいのだろうか、菅氏は…。
  11. 見た目だけは仏様のような優しそうな雰囲気を醸し出しているが、実はかなり短気な性格であり些細なことでも癇癪を起こすことから「イラ菅」と呼ばれ恐れられていた…。
  12. 一応「麻雀点数を計算できる電子計算機」という特許を持っており、政治家になどならなければもしかしたら優秀だったかもしれない、ざんねんな人物でもある。
    • あと弁理士の資格も持っている。
    • そういう意味では鳩山由紀夫氏と共通する。

小泉純一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 神奈川出身の政治家。第87・88・89代内閣総理大臣を務めた人物。
  2. 当時としては平成最長の政権を築いたが、その功績は疑問視されており、郵政民営化などの新自由主義的な経済政策は批判的な意見も多い。
    • 北朝鮮の拉致被害者を取り戻したことを評価する意見もあるが、今ではむしろ官房長官だった安倍晋三氏の功績と言われている。
  3. 郵政民営化に関しては保守派の方々から猛烈に批判されてはいたものの、「靖国神社に毎年参拝することで保守派を黙らせた」と言われている。
    • 靖国を政治利用した人物として批判の声も多い。
  4. 自慢だった平成最長政権の記録も2017年に安倍氏に抜かれた。
    • 小泉氏が唯一勝っているのは支持率の高さくらいか。
  5. 実は逮捕歴がある。
    • 大学生の頃、婦女暴行事件を起こして逮捕されている。
  6. 離婚歴がある。そしてそれ以降、結婚していない。
    • ちなみに元妻は宮本佳代子氏。エスエス製薬の会長の孫娘である。
    • 子供は俳優の小泉孝太郎氏と政治家の小泉進次郎氏の他、そして宮本佳長氏がいる。
      • 宮本佳長氏は離婚した元妻に引き取られたが、皮肉にも孝太郎・進次郎よりも小泉元総理に近い顔をしている。

小泉進次郎[編集 | ソースを編集]

  1. 地方遊説では神的存在。
    • 各地の方言を勉強し、自ら原稿を作っている。物書きに書かせるあぐらをかいた政治家とは一肌も二肌も違った立派な政治家。
  2. 小泉構文
    • 「今のままではいけないと思っています。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている。」
      • これが進次郎構文の代表例であり、単に進次郎構文というとこれを指す場合が多い。元々は強調構文だったのだが、現在は自己言及やそれにより無限ループに陥ること、つまり意味の把握ができなくなるような説明文や定義を指す場合が多い。
    • 「約束は守るためにありますから、約束を守るために全力を尽くします。」
    • 「毎日でも食べたいという事は毎日でも食べているという事ではないです。」
    • 「リモートワークができてるおかげで、公務もリモートワークでできてますから、それもリモートワークのおかげですからそれも非常に良かったと思っています。」
    • 「反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思いますが、反省しているといいながら反省している色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省している。」
    • 「プラスチックの原料って石油なんですよね。意外にこれ知られていない。」
    • 地球温暖化を止めるために温室効果ガスを2030年までに46%削減すると発表し、なぜ46%なのか聞かれた時の回答「くっきりとした姿が見えてるわけではないけど、おぼろげながら浮かんできたんです。46という数字が。」
    • 「環境問題はセクシーに」

河野洋平[編集 | ソースを編集]

  1. 自民党総裁でありながら首相になれなかった人物第1号。
    • ちなみに第2号は谷垣禎一氏。
    • 一応総裁途中で自民党は政権に復帰したものの、首相は河野ではなく社会党の村山富市が務めている。
    • 1995年の参院選後に首相就任を打診されたが、辞退したという。
  2. ハト派政治家の重鎮として宮沢喜一氏、野中広務氏などと並んで右翼の方々から厳しく批判されている。

さ行[編集 | ソースを編集]

桜田義孝[編集 | ソースを編集]

  1. サイバーセキュリティー政策担当大臣だったのに、パソコンに触ったことがなかった。
    • 彼の最大のサイバーセキュリティーは、全ての情報をアナログ化することでサイバーテロを起こされても奪う情報を作らないことだったらしい。

鈴木善幸[編集 | ソースを編集]

  1. 岩手の網元の家に生まれた政治家。大平正芳の急逝に伴い首相に就任するも、海外での知名度は低く、「Zenko?Who?」と言われてしまった。
  2. 実は最初は社会党に在籍していた。
    • 学生時代に共産主義的な思想を持っていたことから就職活動では苦戦していた…。
    • 後に同郷の小沢佐重喜(小沢一郎氏のお父さん)に誘われて自民党に入った。
  3. 元々社会党出身であったためか外交や安全保障の分野は苦手であり、「日米同盟は軍事同盟では無い」などの失言が少なくなかった。

鈴木宗男[編集 | ソースを編集]

  1. 紆余曲折ありながらも、北海道の第一次・第二次産業関係者の間では強烈な権威を維持し、60代でもフルマラソン3時間50分切りができるなど非常にパワフルな政治家である。一方で……
  2. 「中川一郎の秘書・金庫番」という立ち位置での政界デビューだったが、後継者の地位は中川昭一に、秘蔵っ子のポジションは武部勤に持って行かれた。
  3. 実は「著名人と同姓同名の人を立候補させて、誤認票を拾う」手法をNHK党より先に行っている。
    • 選挙そのものを荒らす意図でないと言う意味では同党と異なる。自身が公民権停止中であった間の中継ぎにするつもりだったらしい。
  4. 「坂田利夫に激似」なことを度々いじられている。
    • 大手マスコミの著名人画像データベースでは、ジョークのつもりで「取り違え注意」の注記を付けられていたらしい。

た行[編集 | ソースを編集]

竹下登[編集 | ソースを編集]

  1. かつての師匠だった田中角栄を裏切り経世会を立ち上げ、その後10年以上自民党内の最大勢力を維持した人物。
    • 自身の門下から2人(橋本龍太郎氏、小渕恵三氏)も首相を輩出しており、政治屋としては超一流と言われていたほど。
      • 後に自民党を離れた人物を含めるなら羽田孜氏も。
  2. しかし竹下内閣は超不人気内閣であった。というのも消費税を導入した政権だったし、さらに戦後最大と言われた汚職(リクルート事件)もあったためである。
    • 一方、平成の元号を発表した小渕官房長官は人気者だったが…。
  3. 孫のDAIGOの方が有名人かもしれない。
    • さらに漫画家の影木栄貴氏も孫であり、DAIGOの姉でもある。
  4. 角栄からは「俺の悪いところばかり真似した」として酷評されていたらしい…。

立花孝志[編集 | ソースを編集]

  1. NHKから国民を守る党の党首。
    • 一番のウリは、NHKと契約しないこと。
  2. 参議院議員に当選後、議員会館にテレビを設置し、NHKと契約してしまった。
    • そして速攻訴えられた。
    • というか元々NHKの職員だったらしい。
      • 不正経理を内部告発したところ、自分が不正経理の濡れ衣をかぶせられ依願退職に追い込まれたのがアンチNHKのきっかけだとか。
  3. 結局NHK解体も受信料にまつわるアレコレも達成できず。今はホリエモンとかマツコ・デラックスがどうこうとか言っている。
  4. スラップ訴訟などを多数起こすも連続して敗訴している。
  5. 政治家よりYouTuberに転向した方がいいのかもしれない…。
    • 事実Youtuberとしても活動している。
  6. なんぼ党名を変えれば気が済むねん

田中角栄[編集 | ソースを編集]

  1. 田中眞紀子氏のお父さんで、第64・65代目の首相を務めた人物。
  2. ロッキード事件の裁判で有罪判決を受けたため、大勲位菊花大綬章を貰うことができなかった。
    • 首相を1年以上務めた人物は通常、亡くなった後にこの勲章が貰える(吉田茂など生前に貰った人も一部いる)のだが、角栄は貰えなかった。
    • ただしそれでも新潟では英雄視されており、西山町名誉町民の称号を貰っている。
  3. 双葉山やマリア・シャラポワと似ている。

田中直紀[編集 | ソースを編集]

  1. 田中眞紀子の夫。
  2. 眞紀子が自民党を離党してから眞紀子と自民党との板挟みに苦しんだあげく夫婦一緒に民主党に入党。
  3. 自民党時代、青少年有害社会環境対策基本法案を起草したが民放テレビが特番を組むほどの猛反対を受けて提出を断念。
  4. 民主党政権時防衛大臣に就任し自民時代では叶わなかった入閣を果たしたが…。
  5. 後任の防衛相を民間から招聘せざるを得なくなってしまった。
  6. 2016年、民進党公認候補として出馬した参院選で落選したばかりでなく法定外文書を頒布した容疑で書類送検されてしまう。
    • 公民権停止となり民進党を離党。
  7. 今や「たなかなおき」と言うとココリコの田中直樹の方を思い出す人が多い始末。

な行[編集 | ソースを編集]

野田佳彦[編集 | ソースを編集]

  1. 日本の黒歴史である、ミンス党政権の最後の総理大臣。
    • ルーピー鳩山や、未納兄弟の4人目の菅直人、枝野など、ホントの意味でざんねんなヒトたち揃いのミンス党の中での数少ない良識人である。
      • 民主党の中でも非主流派で保守寄りに位置する。
    • 最大の功績は、内閣総辞職をしてミンス党政治を終わらせたこと。
  2. (本人ではなく野田内閣の方だが)淫夢ネタにされてしまった。ゲイ向けAV男優が並んでいるところがニコニコ動画に投稿されたところ、誰かが「野田内閣」と書いたためそれが定着してしまった。
    • なお、安倍内閣や菅内閣になっても、コメントは「野 田 内 閣」に変わりない。また、そこで流れた「銀の龍の背に乗って(中島みゆき)」も風評被害を受けてしまった。

野々村竜太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 指定席券売機で領収書をもらえることを知らなかったらしい。
    • ちなみに、JRの指定席券売機で乗車券を購入すると、領収書の必要な方はボタンを押すようアナウンスがある。
    • その前に、目的地の城崎温泉へ向かう山陰本線は当日大雨で運休だったらしい。
  2. 辞職後の取材の様子や青年期の様子を聞く限り、かなり精神的に不安定なようだ。
  3. 唐澤貴洋弁護士と並びネットのおもちゃとされた人物として有名。

は行[編集 | ソースを編集]

橋本龍太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 昭和2桁生まれで初入閣、その後も党や政権の重要なポストを歴任し1996年に内閣総理大臣に就任。
  2. 就任後は行政・財政構造・経済構造・金融システム・社会保障構造・教育の六大改革に取り組んだが…。
    • 在任中に消費税の引き上げ(3%→5%)を実施したのが痛かった。
      • 増税の影響で北海道拓殖銀行や山一證券が破綻、慌てて財政再建路線を転換したが参院選の惨敗の責任を取って総辞職。
  3. 政界随一の政策通として知られていたが、一方で記者が分からないことを聞くと必ず嫌味っぽく返答したと言われている。
    • 竹下登は「怒る、威張る、拗ねるが橋本になければ、アイツはとっくの昔に総理になっていた」と評した。
    • 政界で唯一の友人といえるのは同期同学年の小渕恵三ぐらいだった。
  4. 一方で沖縄の普天間飛行場の返還に一定の道筋を付けたり、日本の総理大臣として初めて北朝鮮の拉致事件について答弁で発言したりするなど、ある程度評価できる点もある。
  5. 辞職後2001年の自民党総裁選に再出馬したが小泉純一郎に敗れ総理復帰は叶わず。
    • 晩年には闇献金事件も判明し政界を引退。その翌年の2005年に68歳で亡くなってしまった。
      • 亡くなる直前まで自身の経済政策の失敗を反省し後悔していたという…。
    • 小渕と橋本が亡くなったことによって経世会は著しく弱体化してしまった。

羽田孜[編集 | ソースを編集]

  1. 細川内閣退陣後、連立政権で内閣総理大臣に就任するも、統一会派「改新」の結成をめぐって社会党と対立、社会党が連立から離脱することになった。
    • 結果羽田内閣は少数与党として出発せざるを得なくなってしまう。
    • おまけに永野茂門法務大臣が就任早々「南京大虐殺はでっち上げ」発言で辞任。大臣の座にあったのはわずか11日のことであった。
  2. こうした混乱から平成六年度の予算案が可決された直後に自民党が内閣不信任決議案を提出、衆議院を解散しても勝ち目がないことから総辞職を選択。
    • 結局羽田内閣は在任64日という日本国憲法下最短の内閣となってしまった。(大日本帝国憲法下を含めると3番目)

鳩山由紀夫[編集 | ソースを編集]

  1. 後継の菅直人氏と共に、理系政治家のイメージを著しく損ねてしまった人物と言われている。
  2. 「Trust Me!!」
  3. お母さん (ブリジストン創業家の娘) から毎月1億円のお小遣いをもらっていると言われている。
  4. 中韓から「こいつだけは日本の総理でまとも」と思われている。
  5. こんな彼であるが、東大出のエリートである。
    • 強いて言うならば、人間性や能力は必ずしも学歴とは比例しないということだろうか。それでも高学歴になるに越したことは無いけどね。

浜田幸一[編集 | ソースを編集]

  1. 「政界の暴れん坊」として、乱闘には付き物に。
    • ヤジ将軍としても有名で、「東の浜幸、西の(立川)談志」と呼ばれた。
  2. 例のラスベガス賭博事件では、すられたカジノが当時「浜幸先生のカジノ」として有名に。
    • ちなみにラスベガス賭博事件で、ハマコーは自民党を離党し議員辞職。
      • 「議員の品位を汚した」と会見で発言したが「ハマコーにも品位があったのか」とネタにされた。
  3. 「40日抗争」の時の、反対派議員に激怒しバリケードを破壊して大太刀回りを繰り広げた姿は、何度も繰り返しテレビで放映される。
  4. よせばいいのに、予算委員長に就任するも…
    • 共産党議員にとんでもない暴言を吐いてしまい、結局辞任。

東久邇宮稔彦王[編集 | ソースを編集]

  1. 大東亜戦争終戦直後に首相に就任した人物だが、敗戦処理内閣でありGHQに一切逆らえない状況からの状況だったため、(当時としては)最も在職日数が少ない内閣となってしまった。
    • ちなみにこの最短記録は第一次岸田文雄内閣が更新したが、次も岸田氏が首相(第二次岸田内閣)を務めているため、東久邇宮稔彦王が最も在職日数が少ない首相であるという記録は未だに破られていない。
  2. 首相辞任後、戦争責任を問われ公職追放され、さらに皇族から外され一般人に降格。
    • その後は皇族だった頃は比べ物にならないくらい貧乏な生活を送っていたのだとか…。
    • ちなみに皇族出身者で首相になった唯一の人物でもある。
  3. 千葉工業大学という準国立大学の創設者でもあるが、皇族が関わった大学として私立大学に降格させられてしまった。
  4. 一般人になった後は「ひがしくに教」という新興宗教を発足させたが、宗教法人としての認可が貰えず、そのまま解散させられてしまった。
  5. 不運の多い人物だが、一応幸運な面もある。
    • 近衛文麿が首相を辞めた後の後継者候補として名前を挙げられていたが、最終的には東条英機に決まった。
      • これにより、東久邇宮稔彦王はA級戦犯に指定されずに済んだ。
    • 政権こそ短命政権に終わったものの、歴代の日本の首相で最も長生きした人物でもあり、1990年に102歳でこの世を去った。

福田赳夫[編集 | ソースを編集]

  1. 福田康夫氏のお父さんで、第67代首相を務めた人物。
  2. 派閥的にはタカ派の岸信介の後継者なのだが、ダッカ事件の対応で非難を浴びた。
    • 「テロに屈した総理」という汚名が残ってしまった…。
    • 一応、田中角栄が対処できなかった狂乱物価を抑え込んだり、東安アジア諸国連合(ASEAN)との友好関係を築くなどの功績もあるにはあるが…。
    • ちなみに福田の派閥が後に清和会(森喜朗氏などの派閥)になる。また、同じ清和会の小泉純一郎氏はかつて福田の秘書を務めていた。
  3. 池田勇人との関係は険悪だった。
    • これは福田が過度にインフレを嫌った人物であり、池田が首相だった頃は彼の所得倍増計画に反対していたため。
      • もし福田の考えが本当に成立していたら、日本は永遠に先進国になれなかったかもしれない…。
  4. 三角大福中の一人だが、田中角栄ほどの大物感は無い…かも?
    • ただし福田の地盤だった群馬では未だに根強い人気を誇っており、同郷の中曽根康弘よりも格上扱いされている。

福田康夫[編集 | ソースを編集]

  1. 前の人や次の人に比べて親中派だと思われているため、右寄りな方々からの評判はあまり良くない。流石に民主党政権よりはナンボかマシだったとは思うけど。
    • ただこれに関しては福田氏が首相を務めていた頃がちょうど北京オリンピックと重なっていたため、中国に対して強気の態度をとれなかったという同情論もある。
  2. 渾名は「チンパンジー」「のび太くん」など。
    • あと「亜内(武文)検事」とか。
  3. 元々政治家になる気はなく石油会社で働いていたが、給料の安さを理由に政界に転職し、父親・福田赳夫の秘書として働いた。
    • ちなみに赳夫曰く「康夫は政治家に向かない」とのこと。
  4. 総理大臣としてはパッとしない評価の福田氏だが、小泉内閣の官房長官としては優秀だったという評価も多い。
  5. 2012年に自民党が与党に復帰した際には安倍晋三氏や麻生太郎氏などと異なり、表舞台に立たず息子の福田達夫氏に譲った。
    • もっともこれは安倍氏や麻生氏に比べて高齢だったってのもあるが。
  6. 前後の人たちがマスコミに叩かれまくったのは有名な話だが、実は福田氏もマスコミの餌食になっていた。
    • 首相を辞任する時の会見では福田氏に対して失礼な質問をした記者に対して「あなたと違うんです!」という名言を残している。

細川護熙[編集 | ソースを編集]

  1. 肥後細川家の出で母方の祖父は近衛文麿。
  2. 京都大学を受験したが、不合格となり、上智大学に進学。卒業後は朝日新聞の記者になった。
  3. 32歳の時に初めて選挙に立候補したが落選した。
  4. 2年後に参議院議員選挙に立候補し、当選し、2期務めた後、熊本県知事2期務める。
  5. 熊本県知事退任後、日本新党を結成し代表となり、結成後の参院選に当選し、13年ぶりに国政復帰。政界再編の立役者となる。
  6. 翌年、衆議院に鞍替えし、衆議院議員に初当選。選挙後の特別国会で首相に指名され、非自民政権の首班となった。
  7. 在職中、政治改革四法案やコメ輸入自由化を受け入れるなど困難な政局を乗り切ったが、佐川急便からの関係を取り上げられ、苦境に陥り、首相を辞任するに至った。
    • 「国民福祉税」構想を打ち出しで国民から総スカンを食らったのも痛かった。
    • そもそも所詮小規模政党が集まっただけの烏合の衆だったために各政党の足並みが揃わず、僅か8か月で政権を投げ出してしまう…。
      • その後羽田孜氏に引き継ぐも、こちらも2ヶ月しか続かず、結局、自民党に政権を戻すことに…。
        • もっとも、その自民党政権も首相は社会党だったが…。
  8. その後、新進党に加わるが、離党。自身も60歳になったのを理由に議員を辞職した。
  9. 政界引退後に東京都知事選挙に立候補したが落選した。
    • ちなみに細川氏を応援していたのは同じく首相経験者だった小泉純一郎氏。だったにもかかわらず…。
      • 余談だが細川小泉コンビは腐女子に(ある意味)人気らしい…。
  10. 都合が悪いとすぐ地位をに投げ出すところは「祖父(近衛文麿)に似ている」と言われることが多い。
    • お父さんの細川護貞氏も息子の政界入りに反対しており、「あの性格ではいつか投げ出す」と言っていた。本当にその通りになったが。
  11. 鳩山由紀夫との共通点が結構ある。
    • どちらも祖父が首相経験者、自民党を下野させた直後の初の首相、在職日数が1年未満だったこと、反原発、安倍政権に対して批判的だったこと等。
      • しかし細川氏は首相辞任後まもなく(一旦は)政界を引退し陶芸家になったため、首相辞任後も元首相の肩書きを利用して暴れまくった鳩山氏よりはだいぶマシと評価されることも多い。

ま行[編集 | ソースを編集]

松岡利勝[編集 | ソースを編集]

  1. 農水官僚から政界入り。
  2. 自民党内では農水族として行動する。
  3. 地元の市長選挙で支援した候補が落選、その候補者が敗戦の弁を述べている後ろで、敗戦責任を巡って他の政治家と殴り合いの喧嘩をした。
  4. テレビ出演した際、同席者を誹謗したり、差別語を発言したりした。
  5. 農水大臣に就任後、事務所の支出が異常に高いと問題となった。
    • 特に光熱水費が問題が集中し、松岡は「なんとか還元水(を使用)」と答弁した。
  6. 進退窮まった松岡は議員宿舎で自殺した。

三木武夫[編集 | ソースを編集]

  1. 1970年代前半は田中角栄と人気を二分するほどの大物政治家だったが、角栄と異なり今はあまり人気が無い。
    • 当時はあの角栄が「政治のプロは俺と三木だけ」と言っていたほど。
      • 角栄もかつては三木を信頼しており、自身の内閣に副総理兼国務大臣として入閣させていた。
  2. 三角大福の一人だったが、他の3名に比べて派閥が小さく、しかも異質だと考えられることが多い。
    • 大きな勢力とは常に対立関係にあり、小規模な政党や派閥を渡り歩いたことからバルカン政治家というあだ名がついた。
  3. 田中角栄のライバルとして有名だが、同じく角栄のライバルだった福田赳夫とはそれほど親密な関係では無かった。
    • 田中角栄と大平正芳が親密だったのとは対照的。
    • 実際、三木内閣では福田は三木と対立し、角栄や大平に協力したことで角福戦争は一旦休戦したほどである。
      • ちなみに福田が三木と対立したのは、福田が三木内閣のロッキード事件の対応を批判したからである。
  4. クリーンな政治家と言われたが、これはあくまで親戚が裕福だったから本人が政治資金を稼ぐ必要が無かったってだけ。
    • 自分で稼ぐ必要があった角栄とは事情が異なる。
  5. 1975年に前々任の首相だった佐藤栄作の国民葬に参列する直前に、右翼に殴られる事件があった。
    • この事件がきっかけとなって首相などのVIPを守る警察官(SP)が配置されることが決められた。

宮澤喜一[編集 | ソースを編集]

  • 「宮沢喜一」と書くことも。
  1. 自民党が下野(1度目)した時の首相。
  2. 政治家の中でも壊滅的に人望に乏しい人物と言われている。
    • 特に酒を飲むと暴言を吐きやすくなる。
    • 師匠で同郷(宮沢は広島出身)の池田勇人からはそれなりにかわいがられていたものの、先輩の大平正芳からは嫌われていた。
    • 田中角栄も宮沢のことを毛嫌いしており、「(宮沢は)官僚としては一流だが、政治家の器ではない」と酷評している。
    • 一応、小渕恵三が首相だった時には大蔵大臣として積極的財政政策を実行し「平成の高橋是清」と呼ばれるなど、有能な一面もあったんだけどね…。
  3. 東大法学部を卒業しており英語が堪能など秀才として有名だったが、同時に学歴厨としても非常に有名な人物であり、料亭で竹下登(早大卒)を侮辱して激怒させている。
  4. 河野洋平(当時の内閣官房長官)が談話を発表した時の首相であったため、右寄りの方々からの評価は低い。
    • ちなみに河野は宮沢と同じ宏池会所属。
  5. 通常1年以上首相を務めた人物は亡くなった後に大勲位菊花大綬章(勲章)を受勲するのだが、宮沢本人と遺族の意向で辞退した数少ない人物である。
    • ちなみに晩年は以前より人柄が温和になっていたという。

宮本顕治[編集 | ソースを編集]

  1. 日本共産党中央常任委員時代の1933年、袴田里見らとともに党中央委員の大泉兼蔵と小畑達夫にスパイ容疑があるとして査問処分という名のリンチを加え、小畑を死亡させた。(日本共産党スパイ査問事件)
    • この事件が再燃した1974年の第34回衆議院総選挙では、その影響もあってか共産党は38議席から半分未満の17議席と大きく議席数を減らすことになった。
  2. 上の宮沢喜一と組み合わせると宮沢賢治になる。

村山富市[編集 | ソースを編集]

  1. 社会党政権下で首相に就任するも、事もあろうに自民党との連立を打ち出し、社会党衰退の原因を作った。
    • 自民党との連立のために自衛隊合憲・安保条約堅持など、これまでの社会党の方針を180度転換してしまったのがまずかった。
  2. 不運にも在任中に阪神・淡路大震災が発生、その対応のまずさを露呈することに…。
    • もっとも、「信頼できる他人に任せただけ東日本大震災における菅直人よりはマシ」とも言われているが。

や〜わ行[編集 | ソースを編集]

吉田茂[編集 | ソースを編集]

  1. 内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代目)を5回務め、歴代でも伊藤博文と並ぶ名宰相と呼ばれた人物だが…
  2. ハト派の重鎮であり平和主義者として知られているが、実は短気で喧嘩っ早い人物。
    • 特にマスコミ嫌いで有名であり、カメラマンに対して水をぶっかけたこともある。
    • タカ派でありながら温厚な性格だった岸信介(安倍晋三元首相の祖父)とは対照的。
  3. 実は生まれた時は「竹内茂」だった。これは実の父親の竹内綱が政治犯として逮捕されたため。
    • 竹内綱の友人であった横浜の豪商である吉田健三の家に預けられた。
      • 茂が小学生の頃に養父が亡くなったため、茂は莫大な遺産を手に入れた。
  4. 貧しい幼少期を過ごした伊藤博文や田中角栄などと異なり大金持ちのおぼっちゃまとして育てられたため、高慢で偉そうな性格をしていた。
    • 外務省の官僚だった頃は(当時は今でいう高級外車並みかそれ以上の贅沢品と言われていた)白馬に乗って堂々と通勤し、先輩職員に対してマウントを取ったのだとか。
    • 寺内正毅が首相だった頃に「私の秘書官にならんか?」と問われ、「首相なら務まるが秘書官は務まらない」と答え、寺内を激怒させている。
    • でもこのくらい豪快な人物でなければ敗戦後の日本で連合国と対等に渡り合うことは出来なかったとも言える。
  5. 鳩山一郎(鳩山由紀夫氏の祖父)は永遠のライバル。
    • 鳩山が公職追放を受けていた間、自分の代わりに首相をやるようにと頼まれたため引き受けた。ところが吉田は一時的なピンチヒッターどころかそのまま通算7年も首相を務めてしまったのである。
    • ちなみに吉田の孫の麻生太郎氏も鳩山由紀夫氏とライバル関係。
  6. 実は大東亜戦争(太平洋戦争)末期に憲兵に逮捕されている。吉田が反戦主義者だとされて軍部に危険視されたためである。
    • そして戦後、吉田も知らなかった衝撃の真実が判明する。実は吉田の家にスパイがお手伝いさんとして紛れ込んでいたのである。
      • なおこのスパイは戦後吉田に謝罪するが、吉田は「上司の命令に従っただけでお前は悪くない」と言いこのスパイのことを許したのである。それどころかその後の再就職も手伝っている。
  7. 衆議院解散のバカヤロー解散は中学校の歴史の教科書にも載るほど有名だが、実は大声で叫んだわけでなく、たまたま小声で「馬鹿野郎…」と呟いたのがマイクに拾われてしまったのである。
    • 豪快な性格で有名な吉田のことだから大声で叫んだと誤解している人も多いのだろう。
  8. 選挙区が(竹内綱が育った)高知だったために浜口雄幸と同様に「高知出身の首相」の一人に数えられるが、実は生まれたのは世襲議員の例に漏れず東京であり、さらに育ったのは横浜である。
    • また、坂本龍馬ややなせたかしと異なり(功績が大きい割には)地元では実はそれほど人気があるわけでも無いのだとか。
  9. 首相になる前は内務省にいた同姓同名の人物と間違えられることが多かった。(後に首相になった吉田茂は外務省の官僚だった)

関連項目[編集 | ソースを編集]