ざんねんな野球選手事典/外国人/は~わ行
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- 「選手」とありますが監督としてざんねんだった方も含みます。
- 登録名(基本的にはファミリーネーム)の五十音順で。
は行[編集 | ソースを編集]
ランディ・バース[編集 | ソースを編集]
- 1983年~1988年間に阪神に在籍。1985年に三冠王、1986年にNPB記録である打率.389を記録、阪神どころかNPB史上最高の助っ人として今も語り継がれる名外国人選手。
- 因みに苗字を正しく発音すると「バス」になるが、当時阪神バスが球団の親会社である阪神電鉄の直営事業だったこともあり、好調時に「阪神バス大爆発」、怪我をした時に「阪神バス故障」、不振時に「阪神バス急ブレーキ」などとマスコミに揶揄されるのを嫌った球団側の配慮で、敢えて音を延ばした「バース」という登録名になったそうな…。
- しかし、1987年からは徐々に成績が降下、1988年には難病に罹った長男の医療費の支払いをめぐって球団と対立しシーズン途中に解雇されてしまう。
- 退団後の7月19日には当時の球団代表が自殺、さらにシーズン後にバースとともに黄金期を支えた掛布が引退するなど悪いことが一気に重なり、暗黒時代へと突き進むことになる。
- 退団の経緯とその後の流れは非常にざんねんである、だが、本当にざんねんだったのは、阪神ファンがその後バースのような名助っ人が阪神を救ってくれるという幻想を抱くことになってしまったことだろう。
- 阪神にはその後も数多くの助っ人外人が入団。そのたびに「バースの再来」であることを願われ、そして結果を出せずに去っていった。(もちろんちゃんと活躍した選手もいるけど・・・)
白仁天[編集 | ソースを編集]
- 東映フライヤーズを皮切りに、日本球界で19年に渡って活躍。故郷韓国のKBOリーグの設立にも尽力した。
- 何よりも、その喧嘩っ速さは伝説。
- 東映時代、アンパイアの判定に激怒、暴行で退場。その後、審判から刑事告訴される羽目に。
- これは後に「白事件」として語り継がれる日本プロ野球史上初の出来事であった。
- 東映時代、アンパイアの判定に激怒、暴行で退場。その後、審判から刑事告訴される羽目に。
- 生粋の韓国人だが、来日から数年間、日本人として登録されていたことがある。
バッキー・ハリス[編集 | ソースを編集]
- 戦前に名古屋軍(現中日)やイーグルス(のち大和軍→消滅)で活躍した選手だが日米関係の悪化により帰国を強いられた。
- 帰国の日に他の選手に向けて書いた手紙には「カナシクテ、カナシクテ、サヨナラガイヘマセン」と記されていたという。
- 日本語を学びその語学力を生かしたささやき戦術を駆使するなどユニークな選手だっただけにもっと日本で活躍してほしかった。
- 晩年に日本を再訪できたのがせめてもの救い。
ラリー・パリッシュ[編集 | ソースを編集]
- ヤクルトと阪神でそれぞれ一年ずつ在籍。
- ヤクルトでは本塁打王に輝くも新監督の野村克也氏の構想から外れ解雇。翌年阪神に移籍するもシーズン途中で退団。
- 何と言っても、「ゲテモノ食い」で有名だった。
- 大好物が「ワニ肉の唐揚げ」というのは、今でも語りぐさ。
フランク・ハワード[編集 | ソースを編集]
- メジャー通算1774安打、382本塁打という当時の来日外国人として最高成績を持ち、鳴り物入りで太平洋クラブライオンズに入団したが、膝の怪我のため開幕戦1試合出場したのみで帰国。
- 全盛期はワシントン・セネタース(後のテキサス・レンジャーズ)に在籍していたが、2023年にレンジャーズがワールドシリーズを制覇して初の世界一を達成するわずか二日前に死去し、世界一を見届けることができなかった。
エリック・ヒルマン[編集 | ソースを編集]
- 1995~1996年のロッテ時代はいずれも10勝以上挙げ、助っ人として活躍。
- しかし巨人に移籍してからは左肩を故障、ロクに投げなかったばかりか、「左肩に小錦がのっている」と発言して顰蹙を買う。
- 二軍落ち後も練習をそこそこに切り上げ昼に帰ることから「昼マン」と揶揄された。
- 最終的にナベツネから「金はやるから出ていけ!」と追い出されるも、帰国時に「俺をミッチェルやグリーンウェルと一緒にしないでくれ」とマスコミに反論した。
- 実際に左肩の故障は本当であり、「回旋筋腱板全層断裂」という深刻な怪我だったことが判明。
ブーマー・ウェルズ[編集 | ソースを編集]
- 阪急ブレーブス時代、ハイタッチの際に、同僚の門田博光の肩を脱臼させたことがある。
- 正確には阪急ではなく球団名がオリックスになった1989年。この門田の負傷が尾を引き、オリックスは近鉄に優勝をさらわれてしまった。
- 阪急時代、場外ホームランで西宮球場近所の民家の窓ガラスを割ってしまったことがある。
- 来日1年目の1983年に彼の身長にちなんで2メートルの長さの特大フランスパン「ブーマーパン」を彼が場外ホームランを放った際にファンにプレゼントする企画が行われたが、この年は公式戦で場外ホームランが出ず企画倒れとなった。
マーティ・ブラウン[編集 | ソースを編集]
- 広島東洋カープ2人目の外国人監督だった (1992年~1994年に広島に在籍) が、その後楽天での監督時代も含めて5年間で12回も退場処分を受けている。
- あえて退場させられるという芸風(芸じゃ無いけど)だったというのもある、ちゃんと退場処分喰らってから、裏でコーチにこの後どういう方針で行くかというのをきっちり指示してたとか。
- そして彼の得意技といえば「ベース引っこ抜きからのぶん投げ」である。広島のファン感謝デーではベース投げコンテストが行われ、監督自ら始球式を行った。
- 楽天の監督のときにもベースを引き抜こうとしたがベースが固定されていたため出来ず、砂をかけてベースを隠すという行為を行った。
- ベース投げをネタにしたTシャツが売られたことがある。
ファン(ホァン)・フランシスコ[編集 | ソースを編集]
- 2015年、セペダとアンダーソンと亀井の不調に加え阿部が故障し離脱したことから巨人が緊急補強した外国人選手。来日前はブルージェイズの準レギュラーでメジャー通算48本塁打を放っていた。
- 二軍戦で結果を出したことで、5月2日に一軍に昇格、最初の試合では藤浪から決勝打となるタイムリーをあげたが、その後は鳴かず飛ばず。
- さらに5月4日の広島戦ではインフィールドフライを落球、三塁ランナーにタッチすべきところホームベースを踏んでしまう。それが元で巨人は広島にサヨナラ負けを喫してしまった。
- 三振続きのうえ拙守を連発するなど攻守のお粗末ぶりを見せてしまい、原監督は「フランシスコ?野球選手じゃないでしょ。野球選手になってからじゃないと話にならない」と痛烈にダメ出しした。
- さらに彼の獲得を決めた巨人のGMが5月に解任されたということも起こった。元々素行不良でなおかつ故障の影響で衰えてたにも関わらずそれを把握せずにGMが獲得に踏み切ったことを考えると致し方なしか。
- なお一連の出来事は「フランシスコ事件」と言われている。
- その後二軍に降格するも「練習をさぼる」「コーチの指示を無視する」「同僚をいじめる」「球団の女性職員をナンパ」など傍若無人な態度を取っていた。
- 結果的に一軍に復帰することなく2015シーズン終了とともに解雇された。
ブラッド・ペニー[編集 | ソースを編集]
- メジャーでは最多勝投手に輝いたこともある投手だったが…。
- 日本では楽天戦で初登板するも、その結果は3回1/3(64球)を6失点(自責点4)、被安打7、四死球3、5盗塁を許して敗戦投手に。防御率は10.80。
- そしてその後右肩の故障を訴え登録抹消。福岡市内の病院で精密検査するも「異常なし」と診断。更にアメリカの再検査でも異常は見られず。
- その後「日本の野球環境になじめない」ということで退団。そしてその直後にTwitterで「アメリカに戻れて最高だ!」と発言。最後までなめきった態度を見せた。
- そもそもメジャー時代からも素行不良やチームメイトとの確執等を起こす問題児であった。
ジョー・ペピトーン[編集 | ソースを編集]
- メジャーリーグで218本塁打を放った優秀なスラッガーだったのだが……。
- あまりにも素行が悪すぎた。練習はまともにやらず、いきなり離婚裁判を理由に無断帰国。復帰したと思ったらアキレス腱を痛めて欠場、したと思いきやディスコで踊っていた。
- 一塁に向かって走っている間にカツラが落ちて取りに行っている間にアウトになったこともあった
- 翌年も今で言う2年契約を結んでいたためかクビにできなかったが、オープン戦が始まっても来ずしかも犬の空輸料金まで請求する有様。
- さすがにヤクルトもキレたのか任意引退扱いにしてクビにしたが、その後ニューヨークタイムズに日本の事を事実無根かつボロカスに言い腐す。
- このせいで日本国内に外国人選手排斥ムードが巻き起こり、ガチの日米問題を巻き起こしかねなかった。
- 代わりに入団したマニエルは、ペピトーンで失墜した信頼を回復するための人格者として送り込まれその役目を見事に果たした。
- このせいで日本国内に外国人選手排斥ムードが巻き起こり、ガチの日米問題を巻き起こしかねなかった。
- さすがにヤクルトもキレたのか任意引退扱いにしてクビにしたが、その後ニューヨークタイムズに日本の事を事実無根かつボロカスに言い腐す。
- 帰国後もその素行の悪さがばれて野球ができず、その後はバツ3、逮捕歴少なくとも3回。
ヨギ・ベラ[編集 | ソースを編集]
- ヤンキースで付けていた背番号8が永久欠番になったほどの名選手だがそれ以上に数々の珍発言のイメージも強い。
- 「野球は9割がメンタル、残りの半分(the other half)はフィジカルだ」
- 合計すると180%になる。
- 「私は言ってきたことの全部を言ったわけではない」
- 「言ってきた「とされる」こと」のつもりだったのだろうか。
- 「現金を貰うっていうのはお金を貰う位にいいことだ」
- 日本にも進出している大手保険会社のCMでの発言。
- 「今まで遅れた中では一番早かったよ」
- それでも遅刻したことに何の変わりもない。
- 「野球は9割がメンタル、残りの半分(the other half)はフィジカルだ」
ボブ・ホーナー[編集 | ソースを編集]
- 1987年にヤクルトへ途中入団。
- 1シーズンで本塁打31本。ホーナー旋風というブームを巻き起こした。
- しかしその後「地球の裏側まで来てベースボールとは言えない代物なんてやりたくない。」と発言して退団。
- 「かっとばせ!キヨハラくん」では、「アホーナー」とあんまりな名前のキャラが登場した。
メル・ホール[編集 | ソースを編集]
- MLB3球団で活躍し、1993年に2年連続最下位に低迷していた千葉ロッテマリーンズに推定年俸2億2000万円という破格の待遇で入団。
- この年のチーム四冠王(打率・本塁打・打点・盗塁)で、翌1994年も活躍したが、オフに就任したバレンタイン監督の構想から外れて退団、中日ドラゴンズに移籍した。
- 当時の本拠地だったナゴヤ球場での本塁打量産が期待されたが、両膝の故障による不振のため1995年限りで退団。
- これだけなら優秀な助っ人外国人だが…素行に非常に問題があった。
- 自分が指名打者であることをいいことに、相手の攻撃のときはテレビゲームをやってゴロ寝を決め込み、それにキレたマックス・ベナブルに対して逆ギレし、乱闘になるもホール自身は全く反省していなかった。
- 後輩のミューレンを虐めまくり、当時の八木沢荘六監督に2度も叱られたが反省することはなかった。
- 中日移籍後も、3年連続首位打者をマークしたアロンゾ・パウエルに尊大な態度を取ったり、自身の使用するグラブを座布団代わりに尻に敷いていた等、全く素行は変わってなかった。
- しかもミューレンがヤクルトに移籍後も、ヤクルトの試合時にはわざわざヤクルトベンチまで行ってミューレンを虐めるという畜生ぶり。
- ミューレンもパウエルも人格者として名高いことを考えるとなおさらである。
- 因みにヤンキース時代には、あのバーニー・ウィリアムスをも虐めていたという噂も…。
- 後輩のミューレンを虐めまくり、当時の八木沢荘六監督に2度も叱られたが反省することはなかった。
- 自分が指名打者であることをいいことに、相手の攻撃のときはテレビゲームをやってゴロ寝を決め込み、それにキレたマックス・ベナブルに対して逆ギレし、乱闘になるもホール自身は全く反省していなかった。
- 以下、関係者のコメント。
- ミューレン「ホールは嫌な奴だった。二度と思い出したくない」
- 愛甲猛「史上最低の野球選手」
- 小宮山悟「こいつだけは許せないと思った」
- 山崎武司「自身が見てきた中で、一番ダメだった外国人選手」「俺の見る目はまちがってなかった」
- 引退後の2007年に、バスケットボールのコーチを務めていた1998年~1999年当時の教え子である少女に対する猥褻行為により逮捕。
- 最終的には児童に対する3度の強姦罪と別の児童に対する2度の猥褻罪で有罪とされ、2009年に裁判で禁固45年の刑を命じられてしまった。
- 強盗殺人を犯して逮捕された小川博ですら、彼を知る関係者から「何故あの人が?」とショックの声が上がっていたが、ホールに関しては殆どの関係者が「やっぱりな」と落ち着いた反応をしていたとのこと。
ジェイソン・ボッツ[編集 | ソースを編集]
- 貧打に喘ぐ日本ハムに2008年途中に入団したが…。
- 彼もあまりにも打てず、応援団から「崖の上のポニョ」の替え歌で揶揄される始末。
- ちなみに本人はファンから意味を伝えられ悲しんでいたという。
バリー・ボンズ[編集 | ソースを編集]
- ホームランのMLB記録を更新したスラッガーだったが、薬物疑惑が付きまとい、司法妨害罪と偽証罪で起訴されるまでに至った。
- 人間性が残念。今でこそ多少丸くなったが現役時代は性格があんまりだった。
- 何故か新庄剛志とは仲が良かったらしい。
ま行[編集 | ソースを編集]
ビル・マドロック[編集 | ソースを編集]
- MLBで首位打者を4回獲得した名打者。1988年にロッテに入団したが…。
- 入団時に37歳だったこともあり、打率.263・本塁打19・打点61という低調な成績に。
- 川崎球場の外壁には「マドロック立入禁止」という落書きがされていた。
- しかも既に解雇が決まっていたにも関わらずあの「10・19」の試合に出場し先制アーチを放つ、という…
- 入団時に37歳だったこともあり、打率.263・本塁打19・打点61という低調な成績に。
- 愛甲猛によると「あいつはテレビゲームばかりやっていたよ。」とのこと。
- 引退後は「ホーナーは地球の裏側にもう一つの違う野球があったというが、日本の野球だって十分立派にやっている。」と、自らの不甲斐なさを認めた上で日本野球を評した。
- 応援歌が「サザエさん」だったのも印象的。
マイカ与那嶺[編集 | ソースを編集]
- 1975年の中日ドラゴンズ監督だった与那嶺要を大叔父に持つハワイ出身の日系人。
- 日ハムに育成契約で入団するもその年に見限られてしょうもない言い訳をして逃亡。
- それでは彼の二軍成績をどうぞ
- 49試合 135打席 打率.189 HR3本 打点14 盗塁なし OPS.538
マニー[編集 | ソースを編集]
- 来日前年まで兵役についていたためブランクがあり、1勝も挙げられずに退団。
- 成績もだが、名前も残念。「マニー」は登録名であり、本名は「Frank Edward Mankovitch」。本人に落ち度はないとはいえ、このファミリーネームをカタカナにすると、日本語ではアウトである。
ドン・マネー[編集 | ソースを編集]
- 1983年に引退を決意していたが、近鉄たっての頼みで1984年入団。
- しかし開幕からわずか1か月後に退団。当時は「ゴキブリが出た」という所ばかりがピックアップされ非難を浴びていたのだが…。
- 実際には近鉄の詐欺同然な契約内容のせい。以下その実態。
- 近鉄側はマネーがリクエストした「緑で囲まれた落ち着けるマンション」のパンフレットを事前に用意し、マネー本人もそれを見て納得したのだが、実際に用意されたのはアメリカ人はおろか英語が話せる人間も殆どおらず、タクシー使っても球場まで1時間以上かかる程の劣悪な住宅環境であった。(一説には前年助っ人のテリー・リーが散らかしに散らかした住居をそのままあてがったそうな…。)
- 更に当時近鉄の本拠地であった藤井寺球場もシャワールームやロッカールームがボロボロで、ゴキブリも大量に出ていた程の汚さ。(当時チームメイトであった梨田昌孝は「和式便所がダメだったというのもあるだろう」と後に自著で述べている。)
- 藤井寺球場のみならず、実質的本拠地だった日生球場のボロさも相当なものだったため、それがより拍車をかけたのは言うまでもない。
- 実際には近鉄の詐欺同然な契約内容のせい。以下その実態。
- これらのせいで妻子もホームシックになってしまったにも関わらず、契約金全額返金を申し出たばかりか「球団は悪くない。環境に慣れなかった自分が悪い」と殊勝な対応をした。
- この一件はマネーを慕って入団した外国人選手リチャード・デュラン(かなり活躍していた)も不快感を覚えて退団という事態に陥るわ、最初はマネーを我儘だと非難した近鉄ファンのみならず日本のプロ野球ファンすら近鉄球団を非難するレベルだった。
- しかしマネーとデュランの一件はその穴を埋める優良助っ人のリチャード・デービスが入団して活躍したので、近鉄の待遇改善に至ったかは不明である(最も、デービスはデービスで…)。
ホセ・マラベ[編集 | ソースを編集]
- 1998年に横浜ベイスターズへ入団。
- ライトのポジションを中根仁や佐伯貴弘と争い、キャンプ・オープン戦でもそれなりに結果を出し、開幕スタメンを勝ち取った。
- 阪神との開幕戦で5番・ライトで出場すると、いきなり3安打の猛打賞・ホームラン1本。翌日も3安打の猛打賞と首脳陣を驚かせたが…。
- 投手にクセを覚えられたのか、はたまた開幕戦の猛打は偶然だったのか、その後はパッタリと当たりが止まってしまった。
- 「振った所にボールが来ない」という意味不明な発言も残し、この年限りで戦力外通告を受けた。
- 横浜退団後の2000年、韓国のヘテ・タイガースに入団したが…。
- 入国の際に「身辺保護」を理由に拳銃を所持していたため、金浦空港で逮捕されてしまった。
- 一応キャンプには参加したが、怪我もあって1試合も出場することなく、レギュラーシーズンの開幕前に解雇された。
ロジャー・マリス[編集 | ソースを編集]
- ベーブ・ルースの年間最多本塁打記録を破った選手として有名だがその際には全米から猛烈な嫌がらせを受けていた。
- フェンスぎりぎりの低いホームランが多くまた打率もルースより明らかに悪かったため。
- ヤンキースで二人合わせて「MM砲」と呼ばれたもう一人の強打者ミッキー・マントルよりも愛想が悪かったことも災いした。
- 大記録を達成しヤンキースで背番号が永久欠番になるほどの選手だったがとうとう野球殿堂入りは果たせなかった。
ジェフ・マント[編集 | ソースを編集]
- 1996年に読売ジャイアンツへ入団。
- 右の長距離砲として期待され、武上打撃コーチは「(本塁打を)70発は打つだろう」と評価したが、オープン戦で放った安打は僅か1安打…。
- ペナントレースが開幕してもヒット3本・打率1割台と成績は低迷。
- 二軍への降格も検討されたが、長嶋茂雄監督が「彼はテンプル大学出身だから、大丈夫でしょう」と擁護し起用を続ける。
- しかし成績は向上せず、当時の一軍の外国人選手枠との兼ね合いもあり4月23日に解雇。
- 帰国の際にナベツネが「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」と発言したのは有名。
ダン・ミセリ[編集 | ソースを編集]
- 1995年にピッツバーグ・パイレーツで21セーブを記録、1998年にはサンディエゴ・パドレスでは67試合に登板・10勝5敗とパドレスのワールドシリーズ進出に貢献。
- 2004年もリリーフ陣の一角として74試合に登板し、その年のオフに読売ジャイアンツに入団したが…。
- ↓以下、全4試合の投球内容。
- 4月1日の広島との開幕戦、1点リードの9回表に登板。
- 先頭のラロッカに同点ホームランを、続く前田智徳には内野安打を打たれ、前田の代走・福地寿樹には初球から盗塁をされ、緒方孝市に勝ち越しホームランを打たれ降板・敗戦投手に。
- 続く4月5日の横浜戦、同点の12回裏に登板。
- 先頭の金城龍彦に二塁打を打たれ、佐伯貴弘敬遠後の代打・ウィットはなんとか三振に仕留めるが、続く多村仁にフェンス直撃のサヨナラタイムリーを打たれ、敗戦投手に。
- 因みにこの時のウィットとの対戦は、とてもプロ同士の対戦とは思えない低レベルな内容だった。
- 4月7日の横浜戦、5点ビハインドの6回裏に登板。
- 先頭の種田仁にフォアボールを許し、更に決して足の速くない種田に盗塁され、次の金城はファーストゴロに打ち取ったが、佐伯にはタイムリーヒット、続く多村には2ランホームランを打たれ降板。
- 4月10日の中日戦、10点ビハインドの9回表に敗戦処理で登板。
- ここでは2安打を打たれるが、なんとか無失点で切り抜ける。
- この敗戦処理での登板にミセリは不満を顕わにし、更に右肩痛を訴え始める。
- 7日後の4月17日にミセリ本人・山本ヘッドコーチ・阿波野投手コーチとの3人で40分話し合ったが結局決裂。2日後の4月19日に球団史上最速で解雇された。
- 最終成績は4試合に登板して0勝2敗0セーブ、防御率は23.63という散々な成績に…。
- 解雇当日、ミセリは東京ドームに姿を見せ、荷物を纏めた後に井原国際部長と別れの握手を交わし、妻子と共に浅草観光に出かけた。
- 浅草での報道陣のインタビューに対しては「俺はミセリじゃないから質問は受け付けない」と返り討ちにしたが、雷門をバックにした家族との3ショット写真を要求されると笑顔で応じた。
- そのことはチームメイトから苦言を呈され、特に「他人の悪口を言うことを聞いたことが無い」ほどの人格者だったブライアン・シコースキーからも「クビになって観光なんてとんでもない。外国人の恥だ。」と断じられた。
- 浅草での報道陣のインタビューに対しては「俺はミセリじゃないから質問は受け付けない」と返り討ちにしたが、雷門をバックにした家族との3ショット写真を要求されると笑顔で応じた。
ケビン・ミッチェル[編集 | ソースを編集]
- トラックスラーに代わってダイエーに加入したメジャー選手。メジャー在籍時は220本塁打を記録しており、低迷を続けていたダイエーの救世主になるかと期待されていた。
- 実際開幕戦では満塁ホームランを放ち鮮烈なデビューを果たすなど、能力の高さはあった。しかし・・・。
- とにかくトラブルを起こす困ったちゃんだった。開幕戦後に彼は無断帰国。「サンディエゴで経営しているアパートと美容院が心配になった」という理由だった。
- 帰国後も「チームがこんな状態になっていたなんて知らなかった」と発言する始末。
- ホークスファンである博多華丸によると、ごく普通のマンションに住んでいたにも関わらずベランダでバーベキューをして住人が消防へ通報。注意されたものの「日本では週末にバーベキューも出来ないのか」と逆ギレしてしまい、これが帰国の原因になったとか…。
- それらを含めて素行の悪さで球団と揉め事ばかり起こした結果8月に解雇されることに。しかし解雇後も年俸の全額支払いを求めて裁判を起こし、ペピトーン同様日本を貶す発言を残すなど最後の最後まで困ったちゃんぶりをみせた。
- 月間ホークスに掲載されていた「FDH助っ人列伝」というコーナーにはダイエーの助っ人を鳴り物入り度・貢献度・その選手独自の評価があり、最後は必ず5点満点になっていた。
- ミッチェルは鳴り物入り度が5、貢献度は3、そして最後の独自評価は「困ったちゃん度」であり、その点数は5点満点の枠を大きくはみ出す7点になっていた。
- 実はメジャー時代から素行の悪さをみせており、「カップケーキで口を負傷」「まぶたが攣った」「くしゃみで肋骨にひびが入った」「冷凍チョコレートドーナツで歯根を痛める」などの意味不明な理由で試合をサボったり、たびたび監督と乱闘になるなど問題行動の多い人物だった。
- 元阪神のランディ・バース氏は「実力があるのに、どこも取らなかったのは、本人に無視できない問題があるから。彼がトラブルメーカーだったのはわかりきっていたはずだ」とのちに語っている。
- 現役引退後にも1999年と2010年に二度暴行事件を起こして逮捕されるなど引退後も問題行為を起こしていた。
ダレル・メイ[編集 | ソースを編集]
- 1998年に阪神に入団した選手。
- 先発ローテーションに定着し安定したピッチングを見せたが、打線の援護が乏しく、2年間で僅か10勝に終わる。
- 気性も荒く、1999年5月29日の巨人戦(東京ドーム)で松井秀喜にデッドボールを与え、普段死球を受けても感情を露わにしない松井を激怒させた。
- 後に松井とは巨人でチームメイトとなり和解、さらにヤンキースでもチームメイトとなった。
- 1999年7月18日の巨人戦(甲子園)では、判定に抗議して塁審の胸を突き、暴力行為で退場となってしまった。
- この暴力行為で2週間の謹慎処分が下されたが、その謹慎期間中に恋人と歯の治療を兼ねたグアム旅行に行っていたことが発覚。当時の阪神監督・野村克也と対立してしまった。
- 帰国後、メイは報道陣に対して「野村監督は勝てば自分の手柄、負ければ選手の責任にする」と野村を痛烈に批判したコメントを配布。
- 結局球団から罰金1200万円と無期限謹慎処分を言い渡され、失意のまま帰国。
- ところが、この年3年連続で優勝を逃し、左ピッチャーの補強を進めていた巨人からオファーを受け、12月17日に巨人へ移籍。
- メイは入団に際して、「野村監督との事はもう終わった事。あとはマウンドで答えを出すだけ」とコメントしたが…。
- 翌2000年6月7日の阪神戦(東京ドーム)で、元チームメイトの和田豊が3回続けて打席を外した際、和田に危険球を投げて問題になった。
- 退場処分にはならなかったが、10日間の出場停止と罰金が科せられた。
- その日のインタビューでメイは、インタビュアーの「あの危険球は元同僚の和田を狙ったものか」という質問に対し「To Him(彼を狙った)」と答えた。
- 退場処分にはならなかったが、10日間の出場停止と罰金が科せられた。
ケビン・メンチ[編集 | ソースを編集]
- 2009年に阪神に入団した選手。俊足・強肩・強打の揃った外野手であり、レンジャーズ時代は7試合連続で本塁打を放つなど実績を見せ、また奉仕活動に参加するなど人格者であった。
- キャンプに合流してからも評判は上々、サンケイスポーツは毎週のように活躍を取り上げたことで、ファンからは「バースの再来」と期待させた。
- しかしオープン戦に入った途端に化けの皮がはがれた。元々故障があって劣化していたのもあり、140キロの球に手が出ず、変化球にも全く対応できず。
- シーズンに入ってもその弱点は解消されず打率.148・0本塁打・2打点という散々な成績だった。
- お陰でファンからは「レオナルド・ダ・メンチ」やミドルネームにフォードが付いていたことから「廃車」と呼ばれる始末。
- シーズンに入ってもその弱点は解消されず打率.148・0本塁打・2打点という散々な成績だった。
- 結局二軍に落ちてしまい、結局途中加入したブラゼルが活躍したことも手伝い1年でチームを去ることに。
- しかし人格者だったのは確かであり、二軍でも腐らずに練習し試合でも活躍していた。人間性では阪神の歴代助っ人のなかではトップクラスと言われている。
- なお、キャンプ時の活躍ぶりは「メンチコピペ」として今も某板を中心に改変ネタが使われている。
- 彼の他にリストアップの候補にあった、後にメジャー屈指の圧倒的強打者に化けるネルソン・クルーズ、ホセ・バティスタらの名も挙がっていた。
やらわ行[編集 | ソースを編集]
クライド・ライト[編集 | ソースを編集]
- 1976年に巨人に入団した投手。メジャー時代はエンゼルス唯一の左腕で20勝、メジャー通算100勝の実績持ちであり、在籍時には22勝をあげており普段は好人物であった。
- しかし気性が激しく一旦キレると手が付けられないレベルで暴れるというざんねんな欠点があった。
- 例えば「通訳の首を絞める」「カメラマンのカメラを取り上げて叩き潰す」「自分のユニフォームを引きちぎる」などあまりの大暴れから「クレイジー・ライト」という渾名をつけられてしまう。
- しかし気性が激しく一旦キレると手が付けられないレベルで暴れるというざんねんな欠点があった。
- 最後は1978年のヤクルト戦で乱闘を起こし退場、そのまま職場放棄して帰宅するという行為をしてしまいそれが原因で退団することに・・・。
- 実はアルコール依存症であり、その暴れっぶりの原因になっていたようだ。その後は依存症を克服し、実業家としての人生を歩み成功している。
ダニエル・リオス[編集 | ソースを編集]
- マイアミ大学から1993年にヤンキースに入団。4年後の1997年にスペイン生まれとしては3人目となるメジャーリーグ出場を果たしたが、2試合に登板しただけでオフに解雇され、ロイヤルズへ移籍。
- しかしロイヤルズ時代も5試合に登板しただけで1999年オフに解雇。
- その後はメキシカンリーグやアメリカ独立リーグでのプレーを経て、2002年に韓国KBOリーグの起亜タイガースに入団。
- 当初は抑えとして起用されていたが、シーズン中盤以降は先発に配置転換され14勝13セーブの好成績を残した。
- 2003年も10勝、2004年も17勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得したが、2005年は前半戦で6勝10敗という成績だったこともあり、7月に斗山ベアーズにトレードで移籍。
- 斗山移籍後は9勝2敗の好成績を残し最多奪三振のタイトルを獲得。
- 2006年は12勝16敗とやや調子を落としたが、2007年はKBOでは17年ぶりの22勝を挙げ、主要投手タイトルを総なめ。
- しかしこの年のオフに斗山との残留交渉が決裂し、NPBのヤクルトとオリックスの争奪戦になったが結局ヤクルトに入団した。
- ヤクルト時代は巨人に移籍したグライシンガーに代わる先発投手として期待されたが、不安定なピッチングが多く交流戦の中盤に2軍落ち。
- 更に禁止薬物の使用が発覚し6月28日にNPBから1年間の出場停止処分を受け、7月14日に自由契約となってしまった。
ベーブ・ルース[編集 | ソースを編集]
- もはや説明不要の伝説的な名選手だったがとにかく素行がひどかった。
- 審判や観客とトラブルを起こしヤンキースのキャプテンを辞めさせられたことがある。
- 車を運転し死亡事故寸前の事態を起こしたこともある。
- 一時期は猛烈な不摂生で上半身だけやけに肥大化していた。
- そもそも野球と出会う前はとんでもない悪ガキだった。
- 現役引退後には監督になることを熱望していたが「自分を監督できない男にチームの監督が務まるか」と言われとうとう機会が巡ってこなかった。
ボブ・レイノルズ(ブレット)[編集 | ソースを編集]
- 1977年に大洋ホエールズに所属していた投手。弾丸のように速い球を投げるということを自負しており、登録名を弾丸という意味である「ブレット」にしていた。
- しかしいざ実戦となると弾丸のような速球は投げることが出来ず、四球を乱発しまくるというとんでもない期待外れだったということが発覚。
- そしてシーズン開始からわずか1か月半で右肘の痛みが原因で退団を志望。球団社長が引き留めに向かうもすでにマンションから出払ったあとだった。弾丸の速さで帰国されたとネタにされたのは言うまでもない。
- 結局この大外れを引いたショックからか、大洋ホエールズは以後17年の間(その間にベイスターズに球団名変更)外国人投手をスカウトすることはなかった。
シクスト・レスカーノ[編集 | ソースを編集]
- メジャーリーグで1122安打・148本塁打を放った選手。
- 1987年に横浜大洋ホエールズに入団。
- 前年にそこそこ活躍していたダグ・ローマンを追い出してまで入団させたが…。
- しかし前年に夫人の病気の看病の為プレーしていなかった分のブランクの影響か、シーズン中に22打席連続無安打の不振に陥り、5月末に「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」と言って現役引退を表明し、退団。
- 退団に際し、他球団に所属する外国人選手から、「彼が日本でプレーできないことは最初から分かっていた」「ワールドシリーズを頭痛で欠場する奴が日本でやれるわけがない」とボコボコに言われてしまった。
ピート・ローズ[編集 | ソースを編集]
- メジャーリーグの様々な記録を作った名選手だったが、監督在任中に野球賭博に手を染めたため永久追放された。
- その後、脱税で服役もした。
ピート・ローズJr[編集 | ソースを編集]
- 上記のピート・ローズの息子だが、マイナーリーグでの選手生活がほとんどだった。
- 彼もまた、ドーピング関連で厄介ごとを起こしている。
ロバート・ローズ[編集 | ソースを編集]
- 横浜ベイスターズ時代は、「マシンガン打線」の中心打者として活躍し1998年のリーグ優勝・日本一に貢献。
- 2年間のブランクの後、2002年シーズンオフに鳴り物入りで千葉ロッテマリーンズに入団。
- しかし、春期キャンプでの紅白戦でノーヒットに終わり、キャンプ途中に「野球に対する情熱がなくなった」との言葉を残して退団、そのまま引退。
- 来日からわずか28日後の退団は「史上最速退団」の日本記録となってしまう。
- しかし、春期キャンプでの紅白戦でノーヒットに終わり、キャンプ途中に「野球に対する情熱がなくなった」との言葉を残して退団、そのまま引退。
ウィリン・ロサリオ[編集 | ソースを編集]
- 2018年に年俸3億4000万円+出来高払いと、鳴り物入りで阪神タイガースに入団したのにもかかわらず、75試合で8本塁打・40打点・打率.242と成績が低迷し、シーズン終了後にウエイバー公示された。
- 一部ファンの間では「平成最後の三億円事件」との声もある。
- ロサリオがあまりにも外角に曲がるスライダーに弱かったことから、新外国人選手に対して外角に曲がるスライダーへの対応力を阪神以外のファンまでもが求めるようになった。
ジャッキー・ロビンソン[編集 | ソースを編集]
- 近代メジャーリーグ初のアフリカ系選手として知られるがパイオニアだけあって人種差別に苦しめられた。
- ドジャースでメジャーに昇格したときには白人の選手がロビンソンと同じグラウンドに立つことを嫌って何人か他球団に逃げている。
- 引退後は糖尿病に苦しめられたり息子を交通事故で失ったりと不運が続き53歳で世を去った。
- 背番号42が全メジャー球団で永久欠番になるほどの名選手だったのに資金難のせいで記念館がなかなか建たない。
関連項目[編集 | ソースを編集]
| ざんねんな野球選手事典 | |
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