もしあのラジオ局が開局していなかったら
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福島エフエム[編集 | ソースを編集]
- 福島県は民放FM局空白区のままだった。
- TFM日曜夕方のスズキ提供枠(福山雅治→ももクロの番組)は引き続きラジオ福島で放送されていた。
FM群馬[編集 | ソースを編集]
- 群馬県は史実の奈良県のように民放ラジオ空白県になっていた。
J-WAVE[編集 | ソースを編集]
- ライバルのTOKYO FMは未だに「FM東京」のまま。
- 「ワールドオブエレガンス」や「日本のうた」、「ステレオ歌謡バラエティ」「新日鉄アワー音楽の森」なども健在。
- 当然FM802、ZIP-FMも存在していなかった。
- 大都市圏でもAMラジオ局のように「1県1波」の時代がいまだに続いたのかよ。
- 民放FMの多くは録音放送。
- FM情報誌が未だに存在している。
- 「J-POP」を未だに「邦楽ポップス」と呼んでいた。
- 番組が完全自主製作のコミュニティFMがもう少し増えていた。
- MegaNet各局の経営も少しはましになっていたか?
- RADIO-iも存続できていたかもしれない。
- 1990年代以後の日本における洋楽のヒット状況にかなり影響が出ていたと思われる。
岐阜放送[編集 | ソースを編集]
- 岐阜県は、radio80開局まで民放ラジオ空白区となっていた。
- 実史よりも早く開局できた。
- 岐阜県域テレビ局は、中日新聞資本で開局していた。
- 岐阜新聞の影響力が現実以上になくなってしまう。
ラジオ大阪[編集 | ソースを編集]
- ラジオ関西と京都放送が合併し、現実の東海ラジオ放送のように広域化していた。
- MBSとABCのノリに付いていけなくなり、NHKか他県局にチューニング合わせる府内のリスナーが増加した。
STVラジオ[編集 | ソースを編集]
- 日高晤郎は北海道で甘い汁を吸うことなく、結果的に表舞台から消えていた。
- あるいは大阪に戻ってやしきたかじんのポジションを奪っていた。
- 日高が北海道に着た経緯からするとHBCラジオに居座った可能性も。
- AMではHBCラジオの独壇場になっていた。
- そもそもSTVがラジオをやらなかったら「テレビ局がラジオを…」と言うことがトンデモ論の扱いになっていたかも。
- 松山千春も歌手デビューできなかった。
- 花畑牧場も存在したかどうか怪しい。
- 放映権の関係でヤクルト主催試合を中継出来なかったHBCラジオで、その試合の中継が出来た。
FM Port[編集 | ソースを編集]
- 「新潟レベルの県で県域FM2局あるのはありえない」という風潮が続いていた。
RADIO BERRY[編集 | ソースを編集]
- 栃木放送は茨城放送と同じ時期にワイドFMを開始していた。
ラジオ沖縄[編集 | ソースを編集]
- 「民放AM2局=大都市」と扱われていた。
- RBCiラジオはクロスネットになっていた。
- もしかすると極東放送がそのまま現存していたかもしれない。
茨城放送[編集 | ソースを編集]
- 47都道府県の中で唯一「民放」そのものが存在しない状態になっていた。
もしあの放送局が… | |
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○○だったら | 北海道・東北/関東/キー局/甲信越・北陸 東海/近畿/中国・四国/九州 親会社(関東)/ラジオ局 |
違う系列局だったら | 北海道/東北/甲信越/北陸/東海/中国・四国/九州/沖縄 |
開局していたら | テレビ/ラジオ |
開局していなかったら | テレビ(FNS/ANN/TXN)/ラジオ |
ネットワーク関連 | キー局が在阪局だったら/独立局のままだったら クロスネットを禁じていたら ラジオネットが新設されたら/ラジオネットが新設されたら |
その他 | 社名・愛称・略称が変わっていなかったら/合併していたら 免許取り消しになっていたら/放送対象地域が広域圏だったら テレビ放送を開始していなかったら/同一企業だったら ラテ兼営局だったら/ラテ兼営局が分社化したら 免許が一本化されていたら/免許が一本されていなかったら |