もしあの人が選挙で落選していたら
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青島幸男[編集 | ソースを編集]
1995年都知事選[編集 | ソースを編集]
- 世界都市博覧会が中止にならなかった。
- これ以降東京都知事はオール与党相乗りになっていた。
- さいたま市の合併に影響が出ていたかもしれない。(対抗馬は後年合併協議会の会長になったので)
- 「有名人が出馬しても勝てない」ということになり、都知事は官僚出身など手堅い人事が続いていた。
石原慎太郎[編集 | ソースを編集]
- そもそも都知事になっていない場合のもし石原慎太郎が東京都知事にならなかったらと異なり、当選したが再選されなかった場合も含みます。
2011年都知事選[編集 | ソースを編集]
- そのまま国会でリベンジする姿勢を取っただろうから、日本維新の会の成立が史実より早くなっていた。
- もしくは太陽の党としての活動期間が若干長くなっていた。
- おそらく後者でしょう。
- もしくは太陽の党としての活動期間が若干長くなっていた。
- 各メディアから「天罰発言に対する天罰」と風刺された。
- ネット上では「非実在青少年」をもじって「非再選老人」と風刺されていた。
- 場合によっては2020年のオリンピック立候補が撤回されていた。
- 猪瀬直樹が都知事になることもなかった。
上田清司[編集 | ソースを編集]
2003年埼玉県知事選[編集 | ソースを編集]
- 果たして国政復帰していただろうか。
- 2007年県知事選に出馬していたら雪辱を果たせただろうか。
2019年参議院[編集 | ソースを編集]
- 恐らく2021年衆院選に出馬していた。
- 立花孝志は2023年現在も議員活動を続けている。
大野つや子[編集 | ソースを編集]
1996年参議院補選[編集 | ソースを編集]
- 新進党が勝利したためますます図に乗る。
- 住専国会が野党有利に動くため与党は大混乱。
- 住専に公的資金投入が行われない。
- 結果日本経済はやはり大混乱。
大村秀章[編集 | ソースを編集]
2011年愛知県知事選[編集 | ソースを編集]
- おそらく当選者は重徳和彦。
- 翌年の衆議院選挙には出馬していた。
- 日本維新の会か?
- まさかの自民党復党?
- 日本未来の党も有り得る。
- 2014年衆議院選挙で落選した場合、2015年愛知県知事選に出馬していたかもしれない。
- 2019年も有り得る。
2019年愛知県知事選[編集 | ソースを編集]
- それでも「2019年あいちトリエンナーレ」は「表現の不自由展」だった。
- 河村たかし名古屋市長と対立する事は無かった筈。
小沢一郎[編集 | ソースを編集]
2021年衆院選[編集 | ソースを編集]
- 岩手3区で敗北するも、比例復活当選。もし重複立候補しなかったor比例復活出来ず落選していたら、
- この時点で政界引退を表明していたと考えられる。
- 小沢グループは恐らく分裂していた。
- 情報番組のコメンテーターになっていた。
旭道山和泰[編集 | ソースを編集]
1996年衆院選[編集 | ソースを編集]
当時大活躍の現役力士のまま新進党公認候補(比例近畿ブロック)として出馬し、当選。もし落選していたら、
- 廃業届は受理されず、そのまま現役続行。
- 大島部屋を継承していた?
- 落選で現役続行となっても無論違法ではないのだが、「有権者をバカにしている」などの批判が殺到したことは間違いない。
- 当選者の死去などで繰り上げ当選となった場合、その時点で引退。
- 「引退(相撲協会残留)」と「廃業」が「引退」に統一されないまま今に至る。
黒岩宇洋[編集 | ソースを編集]
2017年衆院選[編集 | ソースを編集]
民進党籍のまま新潟3区から無所属で出馬し、自民党候補に僅か50票差で競り勝って当選。もし逆に競り負けていたら、
- 野田佳彦以来の悲劇と呼ばれていた。
- 史実通り米山知事が辞職していたら、2018年新潟県知事選に出馬していたかもしれない。
- もし当選したら、間違い無く同じ苗字の神奈川県知事から何らかのコメントが出ていた。
東国原英夫[編集 | ソースを編集]
2007年宮崎県知事選[編集 | ソースを編集]
- 宮崎は注目される事はなかった。
- 鳥インフルエンザも大問題扱いされず、対策も遅れていた。
- 鳥インフルエンザのニュースは二、三日ほどで報道されなくなっていた。
- 風評被害があと数年続いている。
- 都城泉ヶ丘高校はセンバツに選ばれてなかった。
- いまだに宮城県と混同されている。
- また宮城県の知名度が宮崎県に今のように逆転されることは無かっただろう。
- 宮城ってそんなに知名度低い?仙台は日本の主要都市だぞ。
- 知名度でいえば仙台市>>(越えられぬ壁)>>宮城県
- また宮城県の知名度が宮崎県に今のように逆転されることは無かっただろう。
- 今も「談合」のイメージが強い。
- ザ・グレートサスケ氏(岩手)や桜金造氏(東京)の知事選出馬はおそらくなかった。
- 勝手に都道府県知事の項目はつくられる事はなかった。
- 元嫁と復縁していたかも。
- 相変わらず「そのまんま東」のまま。
- そしてビートたけしに選挙のネタでイジられていた。
- TVタックル(テレビ朝日)で、東国原英夫とビートたけしが、競演する事も無かった。
- 2008年冬にも行われるであろう「衆議院議員選挙」で、自民党からの出馬要請も無かった。
- ただし2012年の衆議院選挙は史実通り比例代表での出馬をしていた。ただし日本維新の会ではない可能性が高い。
- おそらく自民党からの出馬で、近畿ブロックではなく九州ブロックだった。
- ただし2012年の衆議院選挙は史実通り比例代表での出馬をしていた。ただし日本維新の会ではない可能性が高い。
- 宮崎を代表する有名人といえば蛯原友里となっていた。
- そのうち彼女が知事選に立候補したりして。
- 特に政治に興味があるとかでもないのにそうやすやすと知事に祭り上げられることはないのでは?
- 井上康生の可能性もあり。
- コブクロの小渕も候補。
- そのうち彼女が知事選に立候補したりして。
嘉田由紀子[編集 | ソースを編集]
2006年滋賀県知事選[編集 | ソースを編集]
- 例の新駅は予定通り建設に踏み切る。
- 国松善次が3選。
- 他の政策も転換していない。
- 大戸川ダムも国交省の計画通りに工事が続けられる。
- 「日本未来の党」も誕生しなかった。
- メディアにおける小沢一郎の悪役性もやや薄くなっていた。
- 2014年1月現在、小沢たちは未だに民主党にいるかもしれない。
- メディアにおける小沢一郎の悪役性もやや薄くなっていた。
谷亮子[編集 | ソースを編集]
2010年参院選[編集 | ソースを編集]
- 仮に繰り上げ当選した場合、どうなっていたかは不明。
- 2012年ロンドン五輪には出場していただろうか?
橋下徹[編集 | ソースを編集]
2008年大阪府知事選[編集 | ソースを編集]
- 「大阪維新の会」は誕生しなかった。
- 御堂筋パレードは2010年現在も継続中。
- 2023年には東京ディズニーランド40周年のパレードがここで行われる。
- 「大阪都構想」はいつのまにか立ち消えに。
- 大阪府庁舎のWTC移転は議論すらされなかった。
- 現実では後任になっている松井一郎も知事にならなかった。
- そのまま自民党に残っていたか、別の神輿を見つけていたか…?
- みんなの党では?
- そのまま自民党に残っていたか、別の神輿を見つけていたか…?
- 泉北高速鉄道が南海の子会社になることはなかった。
- 北大阪や東大阪のトラックターミナルが南海系列になることもなかった。
- 「泉北ライナー」もなかった。
- 9300系は南海8300系をベースにした車両ではなく、独自設計の車両となっていた。
- 平松邦夫が2011年の選挙で大阪市長を続投していたが共産党が支持することはなかった。
- 2025年開催の大阪・関西万博への立候補もなかった。
- 2019年のG20大阪サミットも開催されなかった。
- 万博は大阪ではなく福岡で行われていたかも。
- 大阪モノレールの東大阪市延伸や北大阪急行の箕面萱野延伸はなかった。
2011年大阪市長選[編集 | ソースを編集]
- 当然ながら、「大阪都構想」はもろくも崩れ去っていた。
- むしろ維新アレルギーで都構想に反対する人がいなくなるため、数年後に別の勢力が都構想を実現させていたかも。
- 都構想は大阪市の税収を他の市に還元し大阪府全体の均衡な発展を目指す仕組みになっていた。
- その場合、大阪市以外の衛星都市も都構想に参加していた。
- 都構想は大阪市の税収を他の市に還元し大阪府全体の均衡な発展を目指す仕組みになっていた。
- むしろ維新アレルギーで都構想に反対する人がいなくなるため、数年後に別の勢力が都構想を実現させていたかも。
- 翌年の衆議院選挙は自民党が史実以上に圧勝していたのは言うまでもないだろう。
- 民主党の議席数ももう少しだけマシになっていたはず。
- 慰安婦発言は史実ほどの波紋を呼んではいなかったか、その発言自体が無かった。
- 大阪市交通局の民営化も議論されなかった。
- 市営バス路線の廃止も現実よりは少なかった。
- 2012年にバス運転手の給料4割カットが行われることはなく、他社も追随することはなかった。その結果バスの運転手が仕事量に比べて薄給というイメージはなくなり、運転手を志望する人も現実より多かったことから、バス業界の人手不足は現実よりもましになっていた。
- 2020年代に入って路線バスが次々と廃止に追い込まれることもなかった。
- 金剛自動車の廃業もなかっただろう。
- それでも市営バスの運転手は年収1000万円超えなど高給取りで批判されていたので、いずれ見直しは行われていただろう。
- 2020年代に入って路線バスが次々と廃止に追い込まれることもなかった。
- 2012年にバス運転手の給料4割カットが行われることはなく、他社も追随することはなかった。その結果バスの運転手が仕事量に比べて薄給というイメージはなくなり、運転手を志望する人も現実より多かったことから、バス業界の人手不足は現実よりもましになっていた。
- 地下鉄の終電の延長や駅トイレのリニューアルなどもなかったかもしれない。
- 2014年の値上げの時、1区の運賃が180円に値下がりすることはなかった。
- 逆に2023年にバリアフリー料金として10円値上げされることもなかった。
- イベントなども現実より少なかった。
- 御堂筋線への30000系投入は現実よりも早いペースで行われている。
- 地下鉄駅構内の案内表示(サインシステム)のリニューアル(ヒラギノ&パリサインへの変更)も行われなかった。
- ekimoなどの駅ナカ商業施設も開設されず、駅売店は今も大阪市の外郭団体が運営する「SUBSTA」のまま。
- 400系は登場しなかった。
- 下記のように万博開催がなかったことから、30000系が増備されているか、新系列が登場してももっと地味なデザインになっていただろう。
- 市営バス路線の廃止も現実よりは少なかった。
- 大阪市においては中学校における学校給食は現在に至るまで実施されていない。
- 桜井誠との意見交換会は行われなかった。
- マスコミにとって在日特権を許さない市民の会を紹介せざるを得ない事態にならなかっただろう。
- 大阪の公立学校で使用されていた「にんげん」という副読本は廃刊にならなかった。
- 大阪人権博物館が閉館することもなかった。
- 2025年の万博に大阪は立候補しなかった。
橋本昌[編集 | ソースを編集]
1993年茨城県知事選[編集 | ソースを編集]
- 1993年に佐川一信氏が当選するが、史実通り彼が1995年に亡くなってしまった場合、茨城県知事選のサイクルが史実と狂う。
- 結局1995年、知事に就任する。
- 2003年の知事選は衆院選と同日だった。
2009年茨城県知事選[編集 | ソースを編集]
- 茨城空港は開港しなかったかもしれない。
- 彼が当選していたら、全国最年少の知事が誕生していた。
- 参院選に出ることもなかった。
- 石川県知事と在任期間を巡って耐久レースをすることもなかった。
- 民主党系の単独候補がいたら危なかったかもしれない。
日吉雄太[編集 | ソースを編集]
2017年衆議院選挙[編集 | ソースを編集]
惜敗率は低かったものの、比例名簿の掲載者が少なかった為初当選。(最低惜敗率当選者) もし落選していたら、
- 最低惜敗率当選者という事にはなっていなかった。
- 史実通り、自由党に復党していた。
- 2019年参議院選挙に出馬していた。
- 当然だが、比例区からの出馬。
福島瑞穂[編集 | ソースを編集]
2022年参院選[編集 | ソースを編集]
- この時点で新社会党との合併を模索していた。
- 恐らく政界引退を表明していた。
- 弁護士に復帰し、夫婦別姓や同性婚の訴訟に関わっていた。
美濃部亮吉[編集 | ソースを編集]
1967年都知事選[編集 | ソースを編集]
- 大井オートレース場と後楽園競輪場は存続していた。
- 「走れコウタロー」のネタにされることはなかった。
- 参議院選には出馬しなかった。
- 美濃部達吉の方が有名だった。
- 下手したら父・達吉どころか外祖父・菊池大麓や曽祖父・箕作秋坪、高祖父・箕作阮甫も亮吉より有名だったかも知れない。
- 外環道の工事のペースは現実以上に早く、関越~東名の区間もとっくに開通済み。
- 東名から先の区間も既に着工してたかも。
- 成田新幹線は開通していた。
- 京葉線は大崎の方へ行っていた。
- りんかい線は勿論JRの路線となっていた。
- 京葉線は大崎の方へ行っていた。
- 多摩ニュータウンの整備が史実よりも進んでいた。
- 民間委託による開発になっていたかもしれない。
- その場合、京王電鉄と小田急電鉄が激しく対立していたか。
- 民間委託による開発になっていたかもしれない。
若狭勝[編集 | ソースを編集]
2016年10月衆議院補選[編集 | ソースを編集]
- 小池を支持していた自民支持層が民進候補に流れた事で落選したとみなされていた。
- 小池都知事はこの時点で自民党に見切りをつけていた。
- 都議会では公明党のみならず民進党、生活者ネット、社民党などにも協力を求めていた。
- 若狭勝は自民党を離れていただろう。
- むしろ自民にい続けた気がする。
和田義明[編集 | ソースを編集]
2016年4月衆議院補選[編集 | ソースを編集]
- 「町村信孝氏の婿養子になっていれば当選していた」という声が出ていた。
- 補選で保守勢力は両方とも落としていたことになっていた。
- 史実どおり京都3区で泉健太が勝利した場合、両選挙区で落としたことから7月の参議院選挙に大きく影響を与えていた可能性もある。
- 自衛隊基地のある千歳市、農村部の当別町周辺の票が野党候補に流れたことで「安倍政権の進める農業政策・安保政策が支持されていないのではないか」という声が大きくなり、時の安倍政権の進退問題に発展していたかもしれない。
関連項目[編集 | ソースを編集]
- もしあの政党が国政選挙で議席を獲得していたら(既存政党以外の政党で立候補した人はこちら)