もしあの路線が普通鉄道規格で開業していたら
ナビゲーションに移動
検索に移動
- モノレールや新交通システムとして開通した路線が、もし普通鉄道として開業していたら?
独立項目[編集 | ソースを編集]
関東[編集 | ソースを編集]
埼玉新都市交通[編集 | ソースを編集]
- 会社名は埼玉高速鉄道。
- 大宮から地下延伸し浦和東(駒場スタジアム?)を経由し浦和美園へ。
- 浦和美園に接続しない場合は現実通り埼玉新都市交通。
- あるいは埼玉新都市鉄道。首都圏新都市鉄道みたいな感じで。
- 京浜東北線か埼京線と直通運転をしていた。
- 常に10両編成で運転しているため、昼間は輸送過剰。
- ただ、沿線の人口はもっと多くなっていたのでは?
- 埼京線は川越線に乗り入れてるし京浜東北線かな。
- 埼京線は車庫を造れなくて仕方がなく川越線に乗り入れたわけだから、ここが普通の鉄道規格ならこっちに車庫を造ってそのまま埼京線として一体運用になるはず。
- 荒川鉄橋強風運休がなくなり、かつ複線であったなら埼京線のダイヤは大幅に改善されていた。
- 「ニューシャトルは埼京線と同じ境遇(新幹線建設の見返り)であるが、埼京線ほどの需要がないと判断されて新交通システムになった」という経緯を考えると、普通鉄道だったら普通に国鉄が建設してJR埼京線の一部になっていた可能性が高い。
- 常に10両編成で運転しているため、昼間は輸送過剰。
- いまだに開通当時に導入したステンレスカーが現役。
- 京浜東北線では神扱い(もっとも209系ばかりの頃の話)
- 最近になってE233系の色違い(もしくはロゴだけ違う)が導入され始める。
- 埼玉車は朝晩のみ横浜方面に乗り入れ、日中は蒲田以北で運転。
- どこかで地下に降りて東南東のほうに向かい本物の埼玉高速鉄道と接続していつの間にか南北線になっている。
- 関連項目
日暮里・舎人ライナー[編集 | ソースを編集]
- 鉄輪式リニアモーター地下鉄になっていた。
- 大江戸線と接続していた。
- おそらく上野御徒町から分岐する形になっていた。
- 「光が丘~都庁前~上野御徒町~見沼代親水公園」という運転系統が存在していた。
- 光が丘までは行かず、都庁前発着だと思う。
- 「光が丘~都庁前~上野御徒町~見沼代親水公園」という運転系統が存在していた。
- 都営地下鉄の一路線として扱われていた。
- マジレスするとそれでは「普通鉄道規格」ではない。
- 駅の数はもう少し少なかった。
- 建設費を安くするため結局どこかで地上に上がっていたかもしれない。
- 路線名は「尾久橋線」か「舎人線」になっていた。
- 鳩ヶ谷までの延伸構想があるものの、未だ着工せず。
- 「熊野前で都電荒川線と直通させるべきだ」という無謀な意見が出ていた。
- そもそも「高架橋を走る都電」として建設されていた。
- 荒川車庫だけではこの路線で使う車両を収容出来ないので史実通り舎人公園に車庫を建設、この路線専用の車庫を建設するのだから5連接の新車を…あれ?
- 南北線の一部として開通していた。
東京モノレール[編集 | ソースを編集]
ZZZ ZZZ ZZZ | |||||
とうこう はままつちょう TOKO HAMAMATSUCHO | |||||
● | → | ||||
JR新橋 JRSHIMBASHI |
東高 浜松町 | 天王洲アイル TENNOZU ISLE |
- 浜松町から京浜東北線に直通していた。
- または浜松町から内幸町に延長され、三田線と直通していた。
- 天王洲アイルからりんかい線乗り入れもあり得る。
- 東京駅〜羽田空港間を往復するだけの気がする。(実例)
- 当初はそうだったがリムジンバスに対抗するために直通区間を増やしているだろう。仙台空港とは需要が違いすぎる。
- 東海道貨物線の旅客化計画はなかった。
- 社名は「東京高速鉄道」辺りになっていた。
- 普通鉄道で開業する場合は国鉄の路線になっていたかと。
- あるいは国鉄→JR東日本や東京都などの出資する第三セクター?
- 社名からして東急も絡んでいる気がする。
- 「東京高速鉄道」というのはもともと銀座線の新橋-渋谷を建設した東横電鉄系企業の名称だった。
- 普通鉄道で開業する場合は国鉄の路線になっていたかと。
- 日立や名鉄がこの路線に関わるわけなどない。
- 日本における実用交通機関としてのモノレールの発達が遅れていた。
- 羽田〜成田の直通列車が存在していた。
- りんかい線がこの会社の管轄になった可能性が高い(特に第三セクターの場合)。
- 史実の東京モノレール・りんかい線同様、非JR線であってもSuica(PASMOではなく)が2002年頃から導入されている。
- 軌間はおそらく1067mm。
- 場合によっては蒲蒲線構想が20世紀のうちに実現していた。
- 最初から大井競馬場前駅がある。
多摩都市モノレール[編集 | ソースを編集]
- たぶん西武系の会社になっていた。
- 玉川上水から西武拝島線に直通していた。
- 箱根ヶ崎ではなく東村山への延伸が計画されていた。
- 西武球場前だと思う。
- 昔の貯水池工事軌道を流用し、山口線が玉川上水まで延伸された。
- 京王の系列だった可能性もある。
- この場合動物園線が組み込まれていた。
- 程久保駅は開業しない。
- この場合動物園線が組み込まれていた。
- 延伸が早まっていた。
- 北は箱根ヶ崎/新所沢/所沢へ。
- 南は町田-相模大野/南町田へ。
- あるいは熊谷~横浜とか長大延伸してたかも。
- 事業者は…JRか小田急か京王?か同じく第三セクター。
- 多摩高速鉄道=多摩高額鉄道とか。
- JRだったら東京メガループ仲間入り。
- 上にあるように西武系の可能性もある。
- 駅数は少なく、箱根ヶ崎-三ツ木-武蔵村山-村山団地-玉川上水-武蔵高松-立川-東日野(甲州街道)-高幡不動-多摩動物公園-帝京大前-多摩センター-鶴牧-小山田-桜美林前-木曽境川-森野-町田とかになってた。
- 軌間は1067mmになっていた。第三セクターとなった場合、車両は209系か都営6300形辺りをベースにしたものが入っていた。
- 立川市中心部や町田駅は地下で建設されていたかもしれない。
- 上を見る限り、立川を境に西武・京王の路線に分断されることになりそう。
- 町田方面への延伸は小田急が構想していた。
ゆりかもめ[編集 | ソースを編集]
- ライトレールとして開業していた。
- 一部区間では併用軌道になっていた。
- 世界都市博では「未来型の都市交通機関」として目玉の一つになる予定だった。
- 東京五輪開催時に虎ノ門方面へ延伸される(史実ではBRTとして開業予定)。
- 駅数はもう少し増えていただろう。
- 全国的にライトレールの普及が進んでいた。
横浜新都市交通[編集 | ソースを編集]
- 初めから金沢八景本駅に乗り入れていた。
- 桜木町まで伸ばされ、東急東横線に乗り入れていたかもしれない。
- または金沢八景から逗子に伸ばされ、新杉田から根岸線に乗り入れて横須賀線の短絡線になる。
- 少なくとも京急とは別会社になっていたと思われる。
- おそらくここも横浜高速鉄道が保有している。
- なぜか市営地下鉄3号線の一部に。
舞浜リゾートライン[編集 | ソースを編集]
ディズニーシー | 舞浜 | ディズニーランド | |||||
DisneySea | |||||||
Maihama | Disneyland |
- 「京成ディズニーリゾート線」となっている。
- 舞浜から京成船橋辺りまで伸ばされている。
- 駅名はまともだった。
- 現在の駅名は副駅名として存在する。
- 「夢を壊さないように」と現駅名が採用された可能性もある。
- 現在の駅名は副駅名として存在する。
- ディズニーの一アトラクションとなった可能性もある。
- どのみちディズニーデザインの車両が導入されていたのは間違いない。
- ディズニーシーのアトラクションのように、アメリカの高架鉄道をモチーフにした車両が導入されていた。
- おそらくシカゴ・L風になっていた。
- 単線ループ構造なのはおそらく史実通り。
- モノレールが普通鉄道に変わっただけで、軌道と車両構造以外は全部史実通りだろう。
- 車両は親会社と共通設計で基本的に4両編成で運行。
千葉都市モノレール[編集 | ソースを編集]
- 鉄道連帯演習線が全区間新京成になっていれば、少なくとも京成千葉までは開業できている。
- 開業当初、穴川-千城台間は千葉急行が建設・運営を担当していた。
- その分会社が潰れるのも史実より早まったかもしれない。
- 数字でない路線名が付けられていた。
- 史実通り京成が関係せずに設立されたらJRと同じ1,067mm軌間で開業し、千葉みなと駅か都賀駅でJRと線路をつないでいた。
山万ユーカリが丘線[編集 | ソースを編集]
- 開業当初から京成の中古車を譲受して使用していた。
- 本線と直通する必要が無いので、2両編成に短縮されて使用されていた。
- こあら号の帯自体は京成の車両にそのまま転用しても違和感はない…と思う。
- 少なくとも90年代には冷房が導入されていた。
- そもそも運営主体が京成などの出資した第三セクターになっていた。
- 鉄道ではなく不動産が本業の山万では運輸省から許可が下りなかったと思われる。
- その場合山万鉄道または山万電気鉄道という子会社を設立しその会社では許可が降りる。
- 鉄道ではなく不動産が本業の山万では運輸省から許可が下りなかったと思われる。
都営地下鉄大江戸線[編集 | ソースを編集]
- ここではリニア式地下鉄でなく浅草線と同じ規格だったらという想定。
- 浅草線と直通運転する構想が建てられていた。
- 12-000形はなく、この路線にも5300形電車が投入されていた。
- ラインカラーがマゼンタじゃなかったかもしれない。
- E5000形電気機関車は誕生しなかった。
- 関連項目
中部[編集 | ソースを編集]
愛知高速交通[編集 | ソースを編集]
- おそらく東山線の延長部分としての開業になっていた。
- あるいは名古屋市交通局が嫌がり、直通はするものの別会社の路線だったかもしれない。
- この場合名鉄の資本が入っていた。
- その場合の会社名は現実と同じか、あるいは「愛知高速鉄道」になる。
- あるいは名古屋市交通局が嫌がり、直通はするものの別会社の路線だったかもしれない。
- 急行運転が検討されていたかもしれない。
桃花台新交通[編集 | ソースを編集]
- 名鉄小牧線の支線の「名鉄桃花台線」として開業していた。
- 廃止は避けられたかもしれない。
- 小牧での乗り換えもなく特殊な方式によるコスト高も避けられるため。
- さらに上飯田線開業後は名古屋中心部への利便性がさらに向上していた。
- 桃花台ニュータウンはもう少し発展していた。
- そろそろ高蔵寺延長が具体的に検討され始めていた。
- 愛知環状鉄道の一部として開通していたかもしれない。
- その場合、愛知環状鉄道は本当に環状線になっていたかもしれない。
- 熱田-神宮前間で名鉄とJRの連絡線を作ったとしても犬山・小牧で2度のスイッチバックが必要。
- そもそも愛環線は国鉄岡多線の構想を受け継いだものなので全くの別物。
- その場合、愛知環状鉄道は本当に環状線になっていたかもしれない。
名古屋ガイドウェイバス[編集 | ソースを編集]
- ライトレールとして開業していた。
- 名城線の支線として開業していた可能性もある。分岐の向きからすると名港線と一体運用もできそうだし。
- 砂田橋駅が2面4線になっていた。
- 名城線の支線として開業していた可能性もある。分岐の向きからすると名港線と一体運用もできそうだし。
- 名古屋市電が廃止されてなかったら在りえたかもしれない。
- 小幡緑地まででは中途半端なので高蔵寺まで作られていた。
- 瀬戸電の小幡以西の混雑緩和に貢献した。1990年代初頭までに開通した場合は,名城線の大規模な車庫が守山区内に建設される。
名鉄モンキーパークモノレール線[編集 | ソースを編集]
- 基本的に名鉄小牧線直通。
- イベントなどで戦前などの古い車両が乗り入れることもあった。
- 場合によっては2008年ではなく2001年か2005年に廃止されていた。
- 新名古屋からの直通特急を運行しやすいことが大前提。この場合,動物園駅は「モンキーパーク駅」に改称。名鉄の行き先で知名度が高くなるので,路線自体が存続したかも。
近畿[編集 | ソースを編集]
南港ポートタウン線[編集 | ソースを編集]
- 第三軌条式集電になっていた。
- 中央線・四つ橋線と直通していた。
- 両線とも中ふ頭駅までの乗り入れ。
- 路線図では同駅を境にラインカラーが変わっている。
- 9号線の建設計画がもう少し具体的になっていた。
- 同時に開業していればコスモスクエア-住之江公園-喜連瓜破-八尾南といった運転系統になっている可能性が高い。
- 勝手にダイヤ改正で西梅田発学研奈良登美ヶ丘行きが作られる。
- それはないにしても、住之江公園発の中央線乗り入れはありそう。
- 本町駅近くの中央線と四つ橋線を結ぶ連絡線は建設されなかった。
大阪モノレール[編集 | ソースを編集]
- 南茨木から阪急京都線に直通していたかもしれない。
- または千里中央から北大阪急行に直通。
- 大阪空港が若干便利になっていた。
- 梅田や河原町から大阪空港への直通電車が運行されている。
- 場合によっては阪急の持ち物になっていたかもしれない。
- 彩都線内折り返しの列車はほとんど設定されない。
- 大阪外環状線の計画にも何らかの影響を与えていた。
- 門真市以南の延伸計画も実現していたかもしれない。
- 阪急のほかにも京阪との接続駅もあり、大阪高速鉄道には近鉄・南海も出資しているが、おそらく運営は接続駅の数が多い阪急の影響が強くなる。
- 軌間は標準軌。架線集電になっていたらおそらく阪急8000系あたりをベースにした車両が開業時に投入されている。第三軌条集電になっていたら北大阪急行8000形か大阪市20系をベースにした車両が入る。
- 架線集電の場合大阪市66系ベースのほうが可能性が高いか。
- 阪急の持ち物となったり、阪急色の強い経営体制となった場合、蛍池駅で線路が接続され、梅田-大阪空港間の列車が運転される。さらに前者の展開となった場合、蛍池駅で宝塚線と(史実の)大阪高速鉄道の路線が同一ホームで乗り換え可能となる。
神戸新交通ポートアイランド線[編集 | ソースを編集]
- 1435mm軌間となっていた。
- 三宮から阪神に直通し、大阪方面から神戸空港へのアクセスとなっていた。
- この場合阪神の列車種別がさらに複雑怪奇になっていた可能性がある。
- 乗り入れるとしたら三宮止まりの近鉄直通快速急行か?
- むしろ直進して新神戸に行っていたのではないだろうか。
- この場合は谷上発神戸空港行が見られたかもしれない。
- 谷上~新神戸~神戸空港で西神線、西神中央~新神戸で北神線と運用系統が分かれてたかもしれない。
- この場合阪神の列車種別がさらに複雑怪奇になっていた可能性がある。
- 六甲アイランド線も普通鉄道になっていた。
- 日本でAGTが発達することはなかったかもしれない。
神戸市営地下鉄海岸線[編集 | ソースを編集]
- ここではリニア式地下鉄でなく西神線と同じ規格だったらという想定。
- 阪神本線&国道線と山陽電車を繋げる路線だったかもしれない(神戸高速は無かった)
中国・九州[編集 | ソースを編集]
広島高速交通[編集 | ソースを編集]
- 実際、建設当時に「広電と直通できる規格にすべきだ」という意見があったらしい。
- 広島市営になっていた。
- もともと交通局を持っていないのにどこから人材を確保しろと…。
- もしくは広島電鉄の路線。
- 上下分離で地上設備の建設・保有だけ市および3セク、運行は広電。
- 本通から広電宇品線に直通していたかもしれない。
- 紙屋町交差点で合流する場合は広島駅行きも設定されていた。
- 白島線が城北辺りまで延びていた可能性もある。
- 西広島への延長ももう少し現実味を帯びていた。
- 広電の準大手化もあったかも。
北九州高速鉄道[編集 | ソースを編集]
- JR日田彦山線の志井公園以南が直流電化され、日田彦山線との直通乗り入れが実現していたかも。
- そのため、規格は架線集電方式の1067mm軌間で建設される。
- で、取り残された日田彦山線の城野~志井公園間は廃止...あれ?
- 小倉から日田方面への快速は、かつての急行「はんだ」と同じ筑豊本線・伊田線経由に変更された。
- 電化されるのはせいぜい添田までなのと、北九州高速鉄道線へのDC乗り入れは不可能と考えられるので。
- 小倉駅舎の構造が変わっていた。
- 小倉競馬開催時の輸送を考慮し鹿児島本線への乗り入れも可能な作りになっていた。
沖縄都市モノレール[編集 | ソースを編集]
- あちこちに将来の路線拡張に備えた設備が用意されていた。
- 例:赤嶺駅は豊見城・糸満方面への路線が分岐できる構造になっている。
- 最終的には糸満〜名護まで開通する計画。
- 運営会社の名前が「沖縄鉄道」のような現実よりスケールの大きい名前になっていた。
- 路線名は「那覇首里線」か?
- 県庁前駅あたりを境に「空港線」と「首里線」とか。
- 「JR沖縄・琉球本線」だったりして。
- 路線名は「那覇首里線」か?
- どこかの駅が「那覇駅」を名乗っていた。
- おそらく県庁前駅だろうね。
- 県庁前と旭橋の旧称(前者は仮称、後者は軽便運行期)時代は「久茂地」「那覇」だったのだから、旧称を名乗るべきだろう。
- おそらく県庁前駅だろうね。
- 開業時期が史実通りの場合、市中心部は高架ではなく地下線で建設されていた。