もし京成電鉄が○○だったら
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- 系列企業である北総鉄道もここに含めます。
→「もし西武鉄道が○○だったら#京成電鉄」を参照
| うえの | 浅草 | おしあげ | |||||
| Ueno | |||||||
| Asakusa | Oshiage | ||||||
- 町屋経由の路線は誕生しなかった。
- 当然京成の日暮里駅もない。今に至る駅舎大改造もなく、日暮里・舎人ライナーだって計画の大変更があったに違いない。
- 「こち亀」の両さんの思い出話(博物館動物園前駅、お化け煙突、東京スタヂアムetc)が変わってしまう。
- 青砥駅も今のような複雑な構造にはなっていなかった。
- 堀切菖蒲園近辺は鉄道空白地帯になってしまう。
- 21世紀に東京都交通局の新交通システムが整備される。
- 筑波高速度電気鉄道は東武と合併していた
- 東武は筑波方面への免許は切り捨てて、上野~北千住のルートを建設していた。
- 浅草駅の地位は史実よりも低下していた。
- 東武は筑波方面への免許は切り捨てて、上野~北千住のルートを建設していた。
- 押上で京成と都営地下鉄が分岐していた。
- いややっぱり浅草では?
- いや、昔まじにあった。京成白髭線というものが、押上から今のJR貨物の「隅田川」駅近くまで単線で伸びていたそうな。駅名は白髭橋だったかな。
- 上野へ向かうとすれば向きが逆でしたけどね。
- 浅草〜青砥間も複々線になっている。
- いや、昔まじにあった。京成白髭線というものが、押上から今のJR貨物の「隅田川」駅近くまで単線で伸びていたそうな。駅名は白髭橋だったかな。
- そもそも浅草線が浅草を通っていない可能性もある。その代わりに東駒形の辺りに駒形駅ができていそう。
- いややっぱり浅草では?
- 浅草から銀座線と競合するわけだが、急行線的性格を持たせて押上、浅草、上野の3駅になっただろう。
- 相互乗り入れはさすがに無理っぽい。
- 京成上野駅の場所が間違いなく変わるので、今みたいに「いらない子」扱いにはならず大発展・・・か?
- 上野駅東側にしか駅を作らせてもらえず、山手線内側(通称・万里の長城)に路線を食い込ませることができなかったかもしれない。
- 多分今東京メトロの本社がある辺り。
- そして東京メトロの本社は別の所に出来ていた。
- 台東区役所の辺りに頭端式ホームが出来ていたかもしれない。
- 多分今東京メトロの本社がある辺り。
- 上野駅東側にしか駅を作らせてもらえず、山手線内側(通称・万里の長城)に路線を食い込ませることができなかったかもしれない。
- 戦争中、上野のトンネルに省線(後の国鉄→JR)の1等車を疎開させたという話があるが、これができなくなる。
- スカイライナーの都心側ターミナルが京成上野だけになっていた。
- 日暮里駅での山手線との乗換えができないため、京成上野駅の立地次第ではスカイライナーの利用が史実よりも低迷していた。
- おそらく乗り換えの利便性は現実の東京メトロ上野駅位だった。
- 「外国人に人気の高い観光地」ということで京成浅草(仮)にも止まっていたかもしれない。
- 日暮里駅での山手線との乗換えができないため、京成上野駅の立地次第ではスカイライナーの利用が史実よりも低迷していた。
- 雷門の真ん前に線路を引くわけにもいかないだろうから、京成浅草駅と東武浅草駅は若干離れているはず。
- 都営浅草線・京急線乗り入れのため、京成の全路線は1959年(昭和34年)に軌間を1372mmから1435mmに改軌しています。
- 現在も1372mmの軌間である都営新宿線・京王線と直通運転をし、新宿~高尾と成田空港を結ぶ路線になっていた。
- 北総線は本八幡から成田方面に伸びていた。
- 千葉県営鉄道北千葉線が計画通り開通していた。
- 本八幡から京成本線に直通する線路も建設され、都営新宿線と京成本線との間にも相互直通運転が実施されていた。
- 船橋駅で京成からJRに乗り換えて都心に向かう客は史実よりかなり少なくなっていた。
- 北総線は本八幡から成田方面に伸びていた。
- 新京成線は、開業当初は1067mmだったが、その後1372mm→1435mmと2回改軌している。そのため、2回目の改軌は行われず、京成千葉線との直通運転は史実通り行われていた。
- 成田方面と高尾を結ぶ有料特急が実現していたかもしれない。
- 20m4扉車が導入されていた。
- 10両編成の列車が存在した。
- 史実通り京王電鉄との合併が実現して新宿駅と京成上野駅が1つのレールで結んで居た。
- 浅草線への乗り入れがない京成押上線は東武亀戸線のように2両編成で運用。
- 浅草線は押上には行かず、浅草橋から史実のつくばエクスプレス(TX)のルートに沿って北千住に向かい、北千住からTXに直通していた。
- TXは北千住-つくば間の路線となり、1435mm軌間で建設されて都営浅草線・京急線と直通運転していた。
- つくばエクスプレスの計画時の計画では東京駅起点だったことを考えると、つくばエクスプレスと浅草線は東武スカイツリーラインと日比谷線のような関係になっていて、つくばエクスプレスは史実と変わらず秋葉原起点。
- 守谷以遠の交流区間への乗り入れはTX車のみとなり、都営車・京急車の乗り入れは守谷までとなっていた。
- TXは北千住-つくば間の路線となり、1435mm軌間で建設されて都営浅草線・京急線と直通運転していた。
- 浅草線は押上には行かず、浅草橋から史実のつくばエクスプレス(TX)のルートに沿って北千住に向かい、北千住からTXに直通していた。
- 上野・日暮里より都営新宿線沿線のほうが都心への通勤路線としては強くなると思われるので、京成本線の八幡以西は衰退していたかもしれない。
- 本八幡(京成八幡駅)は史実以上に非常に栄えていた。
- 京成八幡駅は少なくても、都営新宿線と直通するときに地下化され踏み切りが解消・大規模再開発されていた。
- 都営新宿線の急行が激減することはもちろんなかった。むしろ急行運転が増えていた。
- 京成は10両編成対応を行い、都営新宿線の完全10両編成化は史実よりも早くなっていた。
- 京成千葉線、新京成も10両編成対応を行い、一部列車はそちらに乗り入れていた。
- 京成は10両編成対応を行い、都営新宿線の完全10両編成化は史実よりも早くなっていた。
- 都営新宿線の急行が激減することはもちろんなかった。むしろ急行運転が増えていた。
- 本八幡、船橋、津田沼エリアが全般的に史実よりも栄えており、JRも東西線の津田沼乗り入れを一日中行うなどで対抗していた。
- 東葉高速鉄道も史実ほど高額運賃にはならなかった。
- 京成八幡駅は少なくても、都営新宿線と直通するときに地下化され踏み切りが解消・大規模再開発されていた。
- 成田スカイアクセス線は本八幡以西を救済する使命ももって誕生していた。
- 京王も調布まで複複線化していた。
- 本八幡(京成八幡駅)は史実以上に非常に栄えていた。
- 1957年に免許申請書取り下げ
- 有楽町方面が本線となり、青砥-京成上野間は上野線。
- スカイライナーは有楽町発着。途中駅は東京駅と空港第2ビル駅のみ。
- 快速特急は休日も押上・有楽町方面への運行。
- 都営の初乗り運賃分だけ安くなっているので利用者は増えていた。
- 現実的には京成グループの車両は自動連結器を採用がメイン。
- 京急蒲田以南の快特運用が大幅に増加していた。
- 京急は12両運行が積極的な故に密着型連結器が基本で都営5500形もそれに合わせて改良したので。
- 浅草線や京成線も12両運行に積極的な状況になっていた。
- スカイライナーが8+4の12両編成が登場し、輸送力も大幅に増えていた。
- 6両編成版も登場していた。
- なので関東大手私鉄で唯一、10両運転が存在しない区間は存在しなかった。
- 京成高砂駅~京成津田沼駅間で12両運行が実施されていた。
- 6両編成版も登場していた。
- 12両運行に対応するために青砥駅~京成高砂駅~京成津田沼駅及び押上線を早めに高架化していた可能性がある。
- あるいは浅草新線を12両対応にして京成~京急の東京駅乗り入れを実現していたかも。
→「もし新京成線を西武が開通させていたら」を参照
- 新京成線の元となった鉄道連隊演習線は、新津田沼以東にも線路が引かれていたようです。
- 新津田沼以東の路盤をそのまま流用していた場合は、京成大久保が本線との接続駅になっていた。
- 演習線も千葉駅付近まで延びていたらしいので、意図的に京成千葉線に接続させなかった可能性は十分あり得る。
- ルートの一部が重複する為、千葉都市モノレールは開業しなかったかもしれない。
- 史実の新京成線同様、一部区間では線路が付け替えられている。
- 宮野木や犢橋へのアクセスが格段に容易になっていた。
- 少なくとも「宮野木=JCTがあるところ」としか思われないことはないはず。
- 犢橋高校に在学していたマツコ・デラックスが、後年新京成のサービスをトークのネタにしていたかもしれない。
- 新津田沼(or習志野)-二宮-作新台-犢橋-宮野木-穴川-作草部-(旧)京成千葉。駅の配置は概ねこのような感じか
- どこかの段階で国鉄が路線跡を利用していた。
- ただし史実よりも開業は遅れ、多くの箇所で線路が付け替えられていたと見られる。
- 遅くとも1970年代前半までに旅客化されている。
- 武蔵野線は松戸を起点としていた。
- 開業当初は府中本町から松戸に比べて松戸から津田沼までの本数だけが異様に多いと言うダイヤになっていた。
- 津田沼からそのまま南に伸ばすと谷津干潟にぶつかってしまうため、津田沼-京葉線間のルート策定に手こずっていた。
- 成田新幹線の跡地を利用して成田空港へのアクセス鉄道が国鉄(orJR東日本)によって建設されていた。
- 当然北総鉄道は存在せず。
史実では、1953年に1067mmから1372mmに、1959年に1372mmから1435mmに改軌されました。
- 北総鉄道との相互直通運転はなかった。
- むしろ、京成高砂~新鎌ヶ谷間の開業が史実よりも早まっていた。
- 東京地下鉄半蔵門線の押上~松戸間が開通し、相互直通運転が行われていた。
- 無論、京成千葉線との相互直通運転はなかった。
- 京成松戸線となる。
- 本当になった。
- 松戸〜柴又間は未成線とならずに開業していた。そのまま上野or都営行きで都心直結を果たしていた。
- その場合北総線の二期区間は開業せず、上記のルートを経由して都心に向かっている。
- 当たり前だが、車両は京成のものなのでくぬぎ山の狸はなかった。
- 車両は京成のお下がり。
- 基本新車が導入される事はない…と思いきや、最近になって野田線みたく専用の新車を導入していたかもしれない。
- 車両は京成のお下がり。
- 急行運転が行われていたかもしれない。新京成は駅間が短いため速達列車の設定ではなく車両性能を上げることを選んだが、お下がりでは加速性能が芳しくなく、急行運転による利便性向上に舵を切っていた可能性がある。
- 千葉線直通の快速ができていた。
- 急転直下、2025年に現実のものとなりました。
- バブル崩壊がもう少し遅ければ可能性はあったかもしれない…。
- 史実通りの状況で運賃を安くしていた場合は、千葉急行と同様に債務超過に陥り会社が潰れていた。
- 間違っても沿線住民に訴訟を起こされることは無かった。
- ここの代わりに東葉高速鉄道が槍玉に挙げられていた。
- 千葉ニュータウンはもっと発展していた。
- 西の多摩・東の千葉ニュータウンと言われていた。
- 印西市の人口はとっくに10万人を超えていた。
- 印旛、本埜と合併せずに10万超えを達成。開発次第では印旛村も市になれていた。
- 印西市の人口はとっくに10万人を超えていた。
- 西の多摩・東の千葉ニュータウンと言われていた。
- 開業時から低水準だった場合、駅や車両はもっと質素な造りになっていた。
- ボックス形の駅名標は存在しなかった。
- 7000形は京成3500形の色違いだった。場合によっては冷房も準備工事のみで落成した。
- 下手したら独自の車両を持たない第3種鉄道事業者だったかも。
- 史実では小室-印旛日本医大間が公団により建設されています(この区間が3セク保有なのもその名残)。
- 「北総・公団線」ではなく「公団線」と呼ばれていた。
- 9000系と9100系の編成数が史実よりも多い代わりに、北総の車両がほぼ全て存在しなくなる。
- 公団の独立行政法人化に伴い京成に押し付けていた可能性大。
- 線路保有自体は史実通り千葉ニュータウン鉄道となっているはず。
- ずっと公団運営だったとしても、東京メトロの民営化等の煽りを受けて民主党政権時に真っ先に仕分けされてしまう。
- 運賃は現実よりも安くなっていたかも。
- ちょうど大阪府都市開発により建設された泉北高速鉄道と似たような運命をたどっていた。
- 運賃が安くなる、と思ったら京成本体の経営危機の煽りで京成の運賃が北総並みに高くなる。
- 上下分離方式で運営。北総線内の運賃体系は京成の基本運賃+加算運賃という形になる。
- スカイライナー・アクセス特急は史実通り。
- 特急、急行は運転されていない。
- つい最近まで京成の「1000形」が走っていた。
- 大手私鉄同士の譲渡車として名鉄3880系と比較される。
- 成田のジャスコに駅ができていた。
- 最初から都心に直通していたため、経営が早い段階で安定していた。
- 武蔵野線の東松戸駅と東武野田線の新鎌ヶ谷駅は北総と同時期でなかったとしてももっと早く開業していた。
- 新京成電鉄と相互乗り入れをして居たハズだから今より、もっともっと経営は安定して居た。
- そもそも松戸方面への直通は実施されなかった。
- 京成高砂駅の立体化が早まった。
- 京成線は全面廃止され西地域が鉄道の空白地帯になっていた。
- どこかの私鉄の傘下に入っていただけだと思う。
- その場合、運賃が加算運賃もしくは打ち切り計算となってた可能性あり
- 西武グループ入りしていた。
- 同地域では史実の北関東や北陸並に車社会化が進行していた。
- 京成倒産のショックとトラウマから、それまで電車で通勤していた人達のうち車通勤でも可能な会社に勤めている場合かなりの人数が車通勤に移行していくだろう。
- 倒産時点で車通勤不可の会社に勤めている場合は多くの場合車通勤可能な会社へ転職するか、埼玉、東京、神奈川のいずれかへ引越するかの選択を迫られる。
- 但し倒産までに会社側が車通勤可能な体制を整うことが出来た場合この限りではない。
- この流れが千葉県のほぼ全域に亘り、昭和末期~平成の間に車社会を前提とした街作りが為されるようになる。これにより県内を通る殆どの鉄道路線の利用者が減少、経営難に苦しめられることになる。
- 千葉県は平成のうちに世帯当たりの自家用車普及台数が北関東や北陸を抑え全国1位になっていたかもしれない。
- 倒産時点で車通勤不可の会社に勤めている場合は多くの場合車通勤可能な会社へ転職するか、埼玉、東京、神奈川のいずれかへ引越するかの選択を迫られる。
- 京成倒産のショックとトラウマから、それまで電車で通勤していた人達のうち車通勤でも可能な会社に勤めている場合かなりの人数が車通勤に移行していくだろう。
- 千葉県では東葛のJR沿線や千葉市近辺除き鉄道での移動があまり便利ではない県であると印象付けられていた。
- 恐らく系列会社の関東鉄道、小湊鉄道、銚子電鉄(当時)のうち1社、或いは全社が親会社倒産の波に巻き込まれ連鎖倒産、路線廃止に追い込まれていた。
- 銚子電鉄も倒産していた場合、千葉県外におけるぬれ煎餅の知名度は令和時点でも史実よりかなり低い。
- どこかの私鉄の傘下に入っていただけだと思う。
- 印西市一帯は村のまま。
- 印西の市制は2000年代に入ってからだと思う。むしろ下手したら白井はまだ町だったかも。
- 印旛本埜と合併して市になっていたという可能性も。
- 印西市の中心駅は今でも木下駅のまま。
- むしろ千葉県営鉄道が本八幡から建設され、都営新宿線と乗り入れていた。
- 印西の市制は2000年代に入ってからだと思う。むしろ下手したら白井はまだ町だったかも。
- 千葉県全体の人口も大幅に少なかった。
- 千葉市は単独での政令指定都市移行は出来ない。平成の大合併時に周辺自治体と合併しての移行となっていた。
- 千葉県から近隣都県へ、場合によっては首都圏以外の地方へ人口流出する事態が相次いでいた。
- これにより早くて2010年代には財政難が表面化してしまう旧京成線自治体があってもおかしくない。
- 某ネズミ王国も存在しない。
- 当初の予定通り清水市(現・静岡市清水区)にできていただろう。
- 或いは名古屋か浜松。
- それでもUSJは首都圏には置かれず、史実通り大阪で開業していた。
- 当初の予定通り清水市(現・静岡市清水区)にできていただろう。
- 成田空港はJRの一人勝ち。
- あるいは格安バス。
- それでも野田線は地味。
- 総武線千葉駅以西の利用者数や混雑率も史実とあまり変わらない。
- 三里塚闘争による成田空港開業の断念が1970年代に決定し且つディズニーランドが首都圏に置かれなかったらこうなっていてもおかしくなかった。
- 新左翼の勢力次第では下手すると東葉高速鉄道の開業も頓挫していた恐れすらある。
- 倒産以降、東京一極集中はある程度抑制されていたと思われる。
- 山万ユーカリが丘線は開業できなかったか、例え出来たとしても京成の倒産から10年もしないうちに廃止に追い込まれていた。
- 旧京成沿線自治体の地価の大幅な下落が避けられないため、山万の経営に悪影響を引き起こしていた。
- 最悪、同地域の経営権を他の不動産事業者に引き渡し撤退していた。
- 旧京成沿線自治体の地価の大幅な下落が避けられないため、山万の経営に悪影響を引き起こしていた。
- 在京鉄道事業者であっても安泰ではないという前例が出来てしまったことから、倒産後の首都圏の鉄道網計画に悪影響が及ぶ。
- 史実で開業できた鉄道路線のうち開業を断念した線区が1つや2つでは済まないはず。
- 東京一極集中の抑制次第によっては東京近郊区間は2024年時点でも水戸、宇都宮、前橋、新前橋、高崎、大月、小田原、千葉県北西部辺りから東京寄りの各区間までしか拡大していない。また今後の近郊区間拡大計画もないかもしれない。
- JRの会社区分次第では高尾以西と平塚以西は東京近郊区間の拡大すらできなかった(これらはJR東日本とは別会社となるため)。
- 西武鉄道はサーベラスからの圧力が史実より高まっていたと考えられ、最低でも秩父線(飯能~西武秩父)は廃止に追い込まれていた。また残りの4路線(多摩川、山口、国分寺、多摩湖)全てが現在も存続できたか非常に怪しい。
- 「せめて八高線乗換のために飯能~東飯能ぐらいは残して欲しい」との懇願が自治体からあったはず。ただ恐らく無理だっただろう。
- 「周辺路線(例:拝島線、武蔵野線など)の各駅やバスで代替可能」ということで4路線共にあっさり廃止されていたか。
- 西武ライオンズが売却された場合、現状プロ野球の本拠地がない北陸か四国辺りへ移転していた。
- 倒産時期次第ではJRの会社区分にも影響が出ていた。東海道本線平塚以西(+伊東線)と中央本線高尾以西がJR東海となっていた可能性がある。
- この場合、小海線野辺山以南、篠ノ井線、大糸線南小谷以南もJR東海管轄になる。
- 場合によってはJR東海自体成立せず、上記の各線区と東海道新幹線(+史実のJR東海の各在来線)がJR西日本管轄となっていた。
- きんいろモザイクの舞台は恐らく千葉県ではない。下手すると関東地方ですらないかもしれない。
- 恐らく作者の出身地である北海道が舞台となっていた(史実でもきんモザの後に連載される「魔女は満月に咲く」は北海道が舞台となっている)。
- 非東京なのに「東京ベイ京成ホテル」になる。
- ディズニーリゾート運営会社のオリエンタルランドが京成グループであることが知られていた。