もしあの都市間を結ぶ大手私鉄があったら
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- 始終点のうち東にある都市(東京~仙台なら仙台)が、東から順になるように書いてください。
- 東にある都市が同じ場合は、もう片方の都市が東から順(東京~新潟・東京~名古屋なら新潟が前)になるように書いてください。
- 駅名標テンプレートは相応の記事量を満たし場合にご使用下さい。
旭川~稚内[編集 | ソースを編集]
- 運営は士別軌道あたりか。
- 史実の天北線は、この私鉄によって運営されていた。
- 史実で代行バスがそうしたように、宗谷岬を経由するようにすることで観光需要を喚起していた。
- 旭川空港や稚内空港も経由するようにして、JRとの差別化をはかった。
- 旭川市内の停車駅と本数を増やして、バスに対抗していた。
札幌~函館(室蘭・苫小牧経由)[編集 | ソースを編集]
- 札幌急行もしくは定山渓鉄道の運営となっている。
- 東急系列の会社になっていた。普通列車の車両なんかはほとんどが元東急の車両。
- 非電化区間のあるJRに対して「当社は全線電化」とおちょくる。
- が、有珠山噴火の時には山線のあるJRに負けていた。
- むしろ2011年以降のJR北海道のトラブル多発後は北海道は有数の私鉄王国になっている。
- が、有珠山噴火の時には山線のあるJRに負けていた。
- 新千歳空港までJRと輸送で対抗していたかも。
- 洞爺湖サミットの際には会場まで特別列車を運行していた。
- 登別温泉の観光開発がさらに進んでいた。
- ショートカットの為に札幌~洞爺間(中山峠経由)の路線も保有していた。
- 胆振線も同社の路線になっていた。
- 五稜郭から函館港(七重浜)への支線を建設し、東日本フェリー→津軽海峡フェリーと提携して本州-北海道連絡輸送も行っていた。
小樽~苫小牧[編集 | ソースを編集]
- おそらくボールパークに駅をすぐ作ることができた。
- 新千歳空港の輸送も史実ほどこみあうことはなかった。
- 人気の観光地小樽やフェリーの苫小牧にもアクセスがよくなっていた。
- 札幌圏は史実以上に栄え、国内海外問わず史実以上に観光客人気に。
- 一方でJR北海道の経営は史実以上に苦しくなっていた。
青森~弘前[編集 | ソースを編集]
- 運営は弘南鉄道あたりか。
- おそらく弘南鉄道弘南線を青森まで延伸していた。
- おそらく中央弘前にも延伸しており、大鰐線との接続もできていた。
- 青森市は史実以上に栄えていた。
- 北朝鮮のホテルと似てると話題のアスパムが史実以上に知られていた。
- 営業キロが約30キロは延びており、準大手私鉄になっていた。
- 青森空港やスケート場、三内丸山遺跡へのアクセスもよくなっていた。
東京~陸奥横浜[編集 | ソースを編集]
- 運営は下北交通。
- (陸奥)横浜港が条約港で大都市になっていた。
東京〜仙台[編集 | ソースを編集]
とうぶせんだい | |||||
東武仙台 Tobu Sendai | |||||
● | |||||
JRせんだい JR Sendai |
(仙台市青葉区) | でんりょくびる Denryoku bile |
- 東武鉄道が「東武仙台駅」まで延びる。
- おそらく東部宇都宮線が東武仙台まで延伸。
- 路線名は「東武仙台線」になっている。
- 郡山や福島も通っている。
- むしろ野岩鉄道・会津鉄道を買収&会津若松〜喜多方〜米沢〜仙台を建設。
- あるいは東京側の路線は武州鉄道や東京日光電気鉄道だった可能性もある。
- どちらにしろこの路線を運営する会社は日光への路線も敷設している。
- 東武鉄道の株主優待券が、金券ショップで人気になっていた。
- おそらく東部宇都宮線が東武仙台まで延伸。
- 仙台までおそらく直流電化。
- どうみても東武が近鉄化しただけ。
- 社名も「関東日本鉄道」になっている。
- 浅草〜宇都宮〜鬼怒川〜会津若松〜東武福島〜飯坂温泉〜小原温泉〜白石〜村田〜茂庭台〜折立〜(仙台西道路の隣に地下線)〜二高・美術館〜大町〜東武一番町〜電力ビル〜東武仙台(←あおば通を改称)
- 会津鉄道、やがん鉄道、福島交通飯坂線は買収。
- 東野鉄道・磐梯急行電鉄・秋保電鉄・仙台鉄道も吸収。場合によっては宮城電鉄も。
- 福島〜仙台のルートは現実の阿武隈急行線になっている可能性もある。
- 新藤原〜会津若松は、東武に統合で、会津〜福島を新設。福島〜槻木は、阿武急を統合。槻木〜仙台を、新設の方が、楽???
- 阿武隈急行は、交流電化の為、違うルートで建設をしていた。福島〜田村〜亘理がベスト!
- 槻木ではなく亘理を通るルートだったかもしれない。
- 会津鉄道、やがん鉄道、福島交通飯坂線は買収。
- 沿線のバス会社は殆ど東武傘下になっていたかもしれない・・。
- 東北急行バスは誕生しなかったかもしれない・・。
- 仮に誕生しても競合状態になっていただろう。
- そうならないよう、史実通りこの会社も東武傘下となる。
- 仙京ノンストップ特急があったかもしれない
- 一番町〜北千住間無停車?
- 基本タイプは北千住・鬼怒川・会津若松・福島・仙台に停車
- 東北新幹線との競合のため、東武日光線・野岩鉄道・会津鉄道が高規格化され160km/h運転を実施。
- 東武は何らかの形で山形にも進出していた。
- 幻の蔵王高速電鉄を買い取り完成させていた。
- JRと極力被らないで史実で道路が建設されている(=それなり流動があり、トンネルが作れる場所)ルートの場合、会津若松ー喜多方ー米沢ー高畠ー蔵王町ー村田町ー太白区(長町or八木山動物公園)という、山形県を通るニッチなルートも考えられる。
- 史実だとあまり需要は無さそうだが、仙台まで私鉄を通らせようという機運があった場合のif。米沢から仙台に、山形県から会津若松方面に出やすくなるメリットがある。
- JRと極力被らないで史実で道路が建設されている(=それなり流動があり、トンネルが作れる場所)ルートの場合、会津若松ー喜多方ー米沢ー高畠ー蔵王町ー村田町ー太白区(長町or八木山動物公園)という、山形県を通るニッチなルートも考えられる。
- 幻の蔵王高速電鉄を買い取り完成させていた。
- 東北本線に「仙台シティラビット」相当の快速列車が国鉄時代から存在した。
- 定期夜行列車が設定され「青葉」「まつしま」「新星」に対抗する。
- 国鉄→JRの夜行列車廃止後も東武は夜行列車を継続運転し、日比谷線経由で横浜、元町・中華街まで直通運転。
- 会津周りでなければ宇都宮〜白河間は大田原を通るルートになっていた。
- 長町あたりから仙台市営地下鉄南北線と相互直通運転を行っている。
東京~いわき[編集 | ソースを編集]
いばらきくうこう | |||||
茨城空港 Ibaraki Airport | |||||
● | |||||
倉数 Kurakazu |
(茨城県小美玉市) | 飯前 Iimae |
- 東武鉄道かつくばエクスプレスの運営になっていたかも。
- 後者ならいわきエクスプレスに改名していたかもしれない。
- いずれにしろ交流電化路線
- 茨城空港を経由していた。
- 東武鉄道なら東京~亀戸~柏~土浦~水戸~東武日立~いわきになっていたかも。
- つくばエクスプレスなら東京~つくば~石岡~茨城空港~水戸~日立~いわきになっていたかも。
- 震災復興の列車になっていたのは確実。
- ハワイアンズが東武の傘下に入っていた。
- 長らく東武いわき線と言う名前だったが、最近になって「東武パシフィックオーシャンライン」というクソダサい名前になっていた。
東京~新潟[編集 | ソースを編集]
焼鮒 | |||||
やきふな Yakifuna | |||||
● | |||||
えちごおおの Echigo-ono |
(新潟市西区) | Tokimeki ときめき {{{next3}}} |
- 東武鉄道の東武東上線の長岡延伸が計画通り行なわれていたら、もしかしたら考えられたかもしれない。
- だが、結局長岡までは上越線と競合してしまう。
- むしろ上越線の群馬新潟県境が5往復なんてなかった。
- だが、結局長岡までは上越線と競合してしまう。
- 新潟交通電車線が燕まで残っている時代だったならば、長岡から燕へ延伸した上で新潟交通電車線を買収する。
- 東関屋からは別に路線を作って新潟駅へ。
- 耐寒化改造された8000系が新潟近郊で運行される。
- 自社のみで貨物列車を関東まで走らせる。
- 信濃川に架橋して越後交通と接続する。
- 魚沼鉄道(→国鉄魚沼線)も買収していた可能性。
- 上記の東京~仙台も併せると、東武鉄道は大会社となる。
- 東武が日本最大の私鉄となる。
- 調子に乗って仙台~会津若松~新潟間の路線を作るかもしれない。
- 社名も「日本電鉄」に改称していたかもしれない。
- 名阪間における近鉄特急のように、東京~新潟で新幹線と競合していた。
- 新幹線より割安な料金や割引切符で独自の需要を手に入れるが、2000年代に入ると高速バス・ツアーバスの攻勢で衰退気味に。
- 「ひのとり」のような高級路線にもグランクラス導入の影響で舵を切れていない。
- 上越新幹線のノンストップタイプの「とき」は毎時1往復の割合で設定されていた。大宮のみ停車の列車は朝夕に各1往復、他は大宮のほか上野・長岡にも停車していた。
- 上越新幹線は全線で275km/h運転が行われ、高崎以北では一部区間で300km/h運転も行われていた。
- 新幹線より割安な料金や割引切符で独自の需要を手に入れるが、2000年代に入ると高速バス・ツアーバスの攻勢で衰退気味に。
- 上越線との差別化の為、(寄居〜)前橋〜三国峠〜十日町を経由するルートを通っていた。
- 別案で、鬼怒川線から北の野岩鉄道、会津鉄道を編入し、会津若松から西へ延伸して新潟へ。
高崎~宇都宮~水戸[編集 | ソースを編集]
- 東武鉄道の運営になっていた。
- 東武鉄道は北関東を中心に結ぶ路線になっていたかも。
- 東武東上線が予定通り渋川駅まで延伸していたら直通運転もあり得た。
- 東武宇都宮駅からJR宇都宮駅をダイレクトに繋いでいたかもしれない。
- 日光方面に直通する列車が存在していた。
- 両毛線と何が違うんだ?
- 高崎~伊勢崎と館林~藤岡に線路を敷けば、あとは伊勢崎線と宇都宮線の既存の路線を使って高崎~宇都宮は簡単に結べそう。宇都宮~水戸は芳賀~茂木~御前山を通って那珂川沿いに水戸へ。宇都宮のLRTがいらなくなってた。
仙台~新潟[編集 | ソースを編集]
- 上記の通り東武の路線で会津若松経由。
- 史実よりも東北と新潟の交流は深くなっていた。
- 新潟からさらに弥彦まで延伸され(新潟交通電車線を買収、一部その路盤を使用)、東武弥彦駅は近鉄宇治山田駅と同様、ヨーロピアンスタイルの豪華な高架駅である。
- 弥彦周辺の観光開発は史実よりも進み、東の伊勢と言われている。
- 会津若松駅は乗り換えが大変しやすい構造である。
- 新潟ロシア村は東武が開発したリゾート地であり、東京や仙台から特急「越後新潟ライナー」で行くことができる。
- 上の二つを含めれば東武は確実に日本一の鉄道会社になる。
東京~大宮[編集 | ソースを編集]
- 恐らく東武鉄道の運営になっていた。
- 基点は池袋か。
- 大宮から東武野田線・伊勢崎線へ直通させていたため日光スペーシアはなかった。
東京~葛西~千葉[編集 | ソースを編集]
- 東武鉄道か京成電鉄の運営になっていた。
- 東葉高速鉄道かも。
- 東武野田線を千葉方面に伸ばす構想が出来るかもしれない。
- さすがに東京駅を起点にする訳には行かないので、池袋駅を起点にしていたかもしれない。
- 池袋だと線形が不自然になるので日本橋あたりが妥当だろう。
- 京葉線と地下鉄東西線のバイパス路線になっていた。
- 京成の運営の場合、JRで実現しなかった「東京ディズニーランド駅」が実現していた。
東京~長野[編集 | ソースを編集]
全般[編集 | ソースを編集]
- 北陸新幹線の建設はもう少し早かった。
東武による運営[編集 | ソースを編集]
- 寄居-吉井間を新設し、上信電鉄を併合。下二田から西上州やまびこ街道・富岡街道・平賀街道に沿って富士山まで伸ばし、上田電鉄西丸子線・別所線を併合。上田原から信越本線・上信越自動車道に沿って建設し、オリンピックスタジアムを経由して長野。
- 上田電鉄を併合するため東武もろとも東急の路線になっていたかもしれない。
- やはり耐寒化改造された8000系が長野近郊で(ry
- 100系使用の特急が池袋~長野間で運行。最速達特急は池袋~オリンピックスタジアム間無停車。
- さらに上の3つが実現した時には・・・
- さらに飯山線か信越線に沿う形で延伸して東京~新潟に接続していたかも。
- 「スノーパル」がこちらにも走っている。
西武による運営[編集 | ソースを編集]
- 西武秩父線を軽井沢まで延長させ、信越本線・上信越自動車道に沿って建設し、オリンピックスタジアムを経由して長野。
京王による運営[編集 | ソースを編集]
東京~金沢[編集 | ソースを編集]
- おそらく西武が西武秩父~西武金沢間を造っていた。
- 経路は秩父~軽井沢~小諸(or佐久)~松本~飛騨~金沢
- 小諸から白馬か黒部を経由して富山・金沢という案も。
東京~下田[編集 | ソースを編集]
- もちろん東急系。
- 田園都市線が中央林間~厚木~伊勢原~小田原~熱海~伊東と延長され、伊豆急を併合。
- 特急あまぎは誕生したか微妙。
- 伊豆急が東急の路線であるため。
- 「伊豆」の特急化は少なくとも1年遅れた。
- リゾート21は、「豪華な普通列車」ではなくただの「優等用特急車両」だった。
- サシ191の後継車両が登場。
- 会津若松から下田まで一本の線路でつながる。
- 東急不動産が伊豆半島を別荘兼用の邸宅として開発していたかもしれない。
- 朝ラッシュ時には渋谷まで通勤特急も運行されていた。
大宮~秩父~松本[編集 | ソースを編集]
- 多分、西武鉄道が運営するのでは?
- 大宮方面は西武秩父線の吾野駅から分岐し、北吾野~権現堂~北高麗~高麗川…と進んでいた。
- 西武大宮線が一部の路線で復活するかもしれない。
- 松本方面は小鹿野町、上野、小海、松本と進んでいた。
東京~静岡~名古屋[編集 | ソースを編集]
全般[編集 | ソースを編集]
- 多分近鉄系の大手私鉄だったのではないか?
- 名鉄系かも(リアルに日本電気鉄道・東海道電鉄・愛電が名古屋から東京まで結ぼうとしてた。安田氏が殺されてなければ…)。
- 狭軌だったら名鉄と小田急が直通してロマンスカー3100系NSEと7000系パノラマカーが並ぶシーンが見れたと思う。
- パノラマカーは当初から座席指定制で、便所・洗面所・ビュフェコーナー付きで登場していた。
- これでJR要らずで東京に行ける。JR西日本・JR東海は激しいバトルに晒されていたのでは。
- JRの運賃は現実より安くなっていた。東京~大阪間の運賃+新幹線特急料金が1万円を切っていた可能性もある。
- リニア新幹線は計画すらされなかった。
- 1970年代中盤における国鉄の運賃値上げの幅は現実より小さくなり、その結果民営化が早まっていた。
- 静岡地区の在来線にオールロングシート車が導入される暴挙は無く、名古屋地区のように転換クロスシート車が走っていた。
- もちろん快速列車が充実して、18きっぱーにとっては理想的なダイヤになっていた。
- 個人的に東京-名古屋間の大手私鉄があったら「名東急行電鉄(以下名東急)」になっていたのでは?
- 「東名」の方がありそう。
- どこを通るにしてもどこかで長大トンネルにぶつかる。
- 基本は東海道線沿いで、一部を御殿場線に近いルートにすれば長大トンネルなしでいけるかもしれない。
- 東名ハイウェイバスは誕生していなかったかもしれない・・。
- 中央道経由の新宿-名古屋間高速バスも存在したかは微妙・・。
- 名阪間の名神ハイウェイバスは現実に残っているので、あとは価格次第。
- ルートは小田原までは小田急と同じ。小田原から沼津まではJR御殿場線と同じ。それ以降は東海道本線と競合。
- 焼津から浜松あたりまでは沿岸部の牧之原市や御前崎市などを走る。
- 御前崎の観光開発も進んでいた。
- 豊橋からは名鉄と同じかな。
- 但し小田急は横浜を通らないので京急が小田原まで延びる可能性もある。
- 焼津から浜松あたりまでは沿岸部の牧之原市や御前崎市などを走る。
- 東京~名古屋間の直通列車は有料特急と「ムーンライト」的な夜行列車のみ。
- 東名直通特急は名古屋で近鉄名阪特急に接続するダイヤが設定され、東阪通しの特急券も発行されていた。
- 名古屋駅では東名直通特急と近鉄名阪特急の対面乗り換えも可能になっていた。
- 名鉄名古屋本線と近鉄名古屋線間の連絡線が撤去されることはなかった。
- 静岡空港にも駅が設置されていた。
- 天竜浜名湖鉄道が電化の上編入されていた。
- ルートによっては天浜線(=二俣線)自体が存在しない(姫街道ルートで建設されていた場合、重複する)。
- 静岡鉄道も吸収された。
- 浜名湖の観光開発は史実以上に進み、伊豆・伊勢志摩と並ぶ全国有数のリゾートエリアになっていた。
- 東京寄り30~40kmの区間(史実の小田急線ルートなら相模大野あたりまで?)は比較的早期に複々線化されていた。複々線区間のみ運転の近郊列車は地下鉄(小田急ルートの場合は東京メトロ千代田線か?)を介して都心に直通していた。
- 首都圏大手私鉄としてPASMOには参加しているが、manacaにはICカード相互利用まで非対応だった。
- 磁気カード時代も沼津がパスネットの最端駅になっており、トランパスには最後まで参加せず。
- 近鉄の例を考えれば、おそらく東名間をICカードで乗りとおすことは可能。
近鉄による運営[編集 | ソースを編集]
近鉄東京 | |||
KINTETSU TOKYO | |||
← | 日比谷 HIBIYA |
→ |
- 近鉄名古屋駅が通過式ホームになり、カーブして名鉄の下を潜って名古屋市内を貫通、東方へ向かう。
- 代わりに桜通線が出来ていない。
- 東海道新幹線の開業後しばらく、2両編成の名古屋のみ停車の特急が全区間で見られた。
- 東名高速みたく、豊田を経由するかも。
- アーバンライナーに寝台車が連結されていたかも。
- 近鉄バファローズが静岡を本拠地にした可能性がある。
- スナックカーは史実より長く営業した。
- 近鉄日本橋は大阪日本橋に改称。
阪急による運営[編集 | ソースを編集]
- 新京阪鉄道が計画していた名古屋急行を更に延伸、名古屋を経て横浜まで敷設、京急と接続。
- 名古屋・豊橋で3社競合となる可能性が。
- 料金不要特急が全区間で。
- あるいは京都線だけ特急は有料種別になっていた。
- 三宮・新開地・姫路まで直通。
- 一部、十三(or塚口、武庫之荘)で分割して宝塚に向かう。
- この場合は全線で特急は有料種別に。
- 東京側の起点はおそらく銀座にある。
- 数寄屋橋阪急(→モザイク銀座阪急)が阪急東京数寄屋橋駅と一体化した構造になっていた。
名鉄による運営[編集 | ソースを編集]
- 豊橋からかつての東海道電気鉄道の計画を引き継ぐように、浜松・静岡・御殿場を経て松田で小田急と接続。
- 当然、パノラマカーが新宿駅に顔を出し、ロマンスカーは名古屋駅に顔を出した。前面展望車の東西対決が実現。
- パノラマカーにもトイレはついていた。
- 東京駅に例のアレを流しながら入る。
小田急による運営[編集 | ソースを編集]
- 小田原からよりは、松田分岐で御殿場線に沿うルートの方が現実性はありそう。
- 現実の「あさぎり」は自力で御殿場・沼津、更に静岡・名古屋へ乗り入れていた。
京急による運営[編集 | ソースを編集]
- 静岡辺りまで建設し、近鉄か阪急の延伸線と接続することに。
- 京急でも有料特急が出来る。
- 列車種別は恐らく「スーパー快特」か「アーバン快特」。
- 「超特急」だと思われ。
- 愛称は「ラ・メール」。
- 列車種別は恐らく「スーパー快特」か「アーバン快特」。
- 逝っとけダイヤも酷いことになる。例えば快特静岡行きが快特熱海中央行きになったりだとか・・・
- 富士山静岡空港~羽田空港間のエアポート快特があるかもしれない。
- 入線メロディーがさらに増える。
東急による運営[編集 | ソースを編集]
- 田園都市線を西に延伸。
- 東名高速道路と並行しており豊田市を経由して名古屋まで結ぶ。
京阪による経営[編集 | ソースを編集]
- 七条から分岐して甲賀経由で名古屋へきてそこから東海道線とバトル。
- おけいはんに東京出身者がいたかも。
豊橋以西京阪、豊橋以東京急の場合[編集 | ソースを編集]
- 豊橋で乗務員交代のため全列車停車。
- 静岡でも京急と東海道線がバトル。
東京~甲府~名古屋[編集 | ソースを編集]
- 京王電鉄を西へ延伸。
- 大月より先の山梨県区間は富士急行による運営でもいいかも
- 高尾から相模湖・大月・甲府・諏訪・木曽を通る。
- 中津川からさきは418号線沿いに可児へ
- そこから先は名鉄広見線・小牧線で名古屋へ
- 南アルプスを貫いて速達化を図ろうとするも、断念し諏訪経由にする。ただ諏訪以降は中央道同様飯田経由にしても良いかも。
- 飯田経由の場合、飯田-名古屋のルートは旧飯田街道(根羽・足助・豊田)経由にしてもいい。その場合、豊田以西は史実の名鉄豊田新線~地下鉄鶴舞線とほぼ同じルートとなる。
- 何れにせよ1372mm軌間のままでは無理。名鉄線につなぐということは1067mm軌間に?
- いや名鉄改軌で高速鉄道化
- 三線軌でおk
- ぶっちゃけ京王が標準軌にしてもよい。
- 京王が標準軌にしたら、新宿線の延伸計画も進み、京成グループとの連携も生まれる(ただし、東武グループとはバチバチの関係に)。
- いや名鉄改軌で高速鉄道化
- 中央線の中距離電車が新宿乗り入れを継続している。
- 「ラビット」「アーバン」「アクティー」に相当する種別もできていた。
- 足助など三河高原地域や飯田など下伊那地域の観光開発が史実以上に進んでいた。
静岡~新潟[編集 | ソースを編集]
- 身延線と飯山線はなかった。
- 松本を経由するか上田を経由するかで変わる。
- 確実に甲府・長野・長岡は経由する。
- 始点は新静岡だったりするかもしれない。
- 高速道路の整備により、苦戦しているかもしれない。
- 運営主体はおそらく東急系。
名古屋~新潟[編集 | ソースを編集]
- 名鉄が運営する。
- 尾張瀬戸駅から伸びる中津川・長野・長岡を通る。
- 恐らく、中津川・長野・長岡を通る。
- 長野〜長岡は長野電鉄を買収し飯山線沿いを経由したかも。
- 長岡からは埼京線方式で通っていたか?
名古屋~飯田[編集 | ソースを編集]
- ルートによっては中津川線の計画がもっと具体化していたかもしれない。
- やはり事業者は名鉄。
- 案外飯田線が名鉄になっていただけだったりして。
名古屋~高山~富山[編集 | ソースを編集]
- こちらも名鉄の路線になっていた。
- 同区間の特急に「北アルプス」の名前は使われず、単なる全車指定席の特急になっていた。
- 最大のライバルはJRより寧ろ高速バス。
- 中濃電気鉄道が下呂まで来るハズなのでそれを名鉄が買収したのであろう。
京都~米原[編集 | ソースを編集]
- 京阪大津線と近江鉄道が繋がっている。
- 狭軌だったら岐阜まで延長して名鉄に接続。名古屋〜京都で新幹線と競合する。
松阪~新宮~和歌山[編集 | ソースを編集]
- 松阪~新宮は近鉄、新宮~和歌山が南海が運営。
- ライバルはJR特急南紀とくろしお。
- 新宮が便利になっていた。
大阪~金沢[編集 | ソースを編集]
京阪電気鉄道資本の場合[編集 | ソースを編集]
金沢市 | ||||||||||||
かなざわし | ||||||||||||
● | Kanazawashi | ● | ||||||||||
Keihan |
野町 Nomachi |
- 京阪線を出町柳から金沢市まで延長。
- 運営は京阪電気鉄道が行う。
- 現在の京阪本線はカーブが多くスピードが出ないので、萱島~中書島間に高速新線を建設。
- ルートは国道1号線沿いが有力。
- 淀屋橋~金沢市間に座席指定特急「兼六」を運転。運賃・料金はJR「サンダーバード」の60%位に設定。
- 史実のプレミアムカーのような車両が早い時期に登場していた。
- 和風喫茶と蕎麦屋を兼ねた2階建てのビュフェラウンジ車も連結されていた。
- 大阪~金沢間でJRと京阪が競合するので、JR北陸本線の特急料金が割安なB特急料金となる。
- そればかりか京阪に対抗するためJRは様々な割引切符を販売する。
- 北陸新幹線敦賀開業後は京都・大阪へ一本で行けることをアピール。
- 大阪・京都~金沢間の高速バスは運行されなかった。
- 北陸鉄道・福井鉄道・えちぜん鉄道の路線は京阪に編入されていた。
- というより武生新~福井間は福井鉄道の線路を改良の上流用していたかも。もちろん併用軌道は廃止。
- えちぜん鉄道三国芦原線の線路も流用。
- 江若鉄道も編入し、改軌。
- 同時に石山坂本線も高速化。
- 大聖寺-小松は北陸鉄道山代線・片山津線・粟津線を編入し改軌して使用していた。
- 加賀温泉郷には京阪系列のホテルやテーマパークが建設されていた。
- 列車種別は特急(有料)、快速急行、急行、区間急行、準急、区間準急、普通の7種類。
- 快速急行の停車駅は京阪間では史実の特急と、急行の停車駅は京阪間では史実の快速急行と同じで、淀屋橋発着の無料列車は最長でも敦賀市まで。
- 淀屋橋-敦賀市の直通列車にはトイレ付きで扉間転換クロスシートの車両が使用されている。
- 敦賀市以北の無料列車は武生市(史実の武生新)-金沢市には急行が設定される他、区間運転の普通も多く運転される。
阪急電鉄資本の場合[編集 | ソースを編集]
- 阪急京都線を四条河原町から金沢市まで延長。
- 滋賀県辺りまでは地下区間が続き、その後地上に出て、湖西線と並走する。
- 史実でも阪急は2024年を目処に有料座席指定サービスの導入を予定しているが、金沢まで延伸していれば、延伸直後から全列車にAシートのような有料指定席があった。
京福電気鉄道資本の場合[編集 | ソースを編集]
- 京福電鉄はかつて福井県内にも鉄道を持っていた。叡山電鉄とえちぜん鉄道はかつての京福電鉄線
- 叡山電鉄・えちぜん鉄道部分が現在も京福電鉄資本であるとする
- 梅田-嵐山-北野白梅町-出町柳-八瀬比叡山口(ケーブル八瀬)-ケーブル比叡(比叡)-比叡山頂-福井-番田-金沢
大阪~鳥取[編集 | ソースを編集]
- 山陰本線より内陸側を通る。
- 余部橋梁不通時は特に混雑する。
神戸電鉄資本の場合[編集 | ソースを編集]
- 北条鉄道・若桜鉄道を買収+延長し鳥取へ。
- また、新開地から阪神高速海岸線沿いに新線を建設し大阪・梅田へ。
- 粟生線が廃線の危機に陥ることはない。
阪急電鉄資本の場合[編集 | ソースを編集]
- 阪急宝塚線を宝塚から鳥取まで延長。
- 大阪~福知山間でも特急「こうのとり」とバトル。
山陽電気鉄道資本の場合[編集 | ソースを編集]
- 網干線を岡山に延伸する途中で分岐。
- 片上鉄道を買収するか、智頭線を自力で建設して日本海側へ北上。
鳥取~松江~益田~下関[編集 | ソースを編集]
- ここも阪急が運営かな?
- 鳥取と島根の人口は多かった。
- ライバルはJRの特急。
大阪~岡山~広島~福岡[編集 | ソースを編集]
もじ | |||
門司 Moji | |||
◄ | ► | ||
さんよう しものせき Sanyō-Shimonoseki |
こくら Kokura |
- 山陽電気鉄道が山陽下関まで伸びる。西鉄も山陽下関まで伸びる。
- 岡山電鉄・水島臨海鉄道・広島電鉄なども出資での発足だったか。
- 「岡山電鉄」…それはどこのペーパーカンパニーですか?
- 「岡山電気軌道」か「岡山急行電鉄」(計画のみ)の間違いでは。
- 「岡山電鉄」…それはどこのペーパーカンパニーですか?
- 山陽電気軌道が山陽電気鉄道に合併される。
- 岡山電鉄・水島臨海鉄道・広島電鉄なども出資での発足だったか。
- これと直結。東京から大牟田まで私鉄路線のみで行けるようになる。
- 東京-大牟田間の直通列車は寝台特急電車くらいか。
- 車両は車内インテリアに定評のある阪急が手がける。
- 新幹線開業前ならともかく、現在では梅田-天神間の直通列車も数える限り。
- 東京-大牟田間の直通列車は寝台特急電車くらいか。
- JRの新快速は中国地方まで行くようになる。
- 青春18キップ利用者は大喜び。
- JRと私鉄の寝台特急同士の競合が勃発。
- JRは寝台カートレイン列車で乗り切っていた可能性もあり。
- ルートは三原以西は現呉線か現広島空港辺り、現岩徳線を通っていたかもしれない・・・。
- 姫路~岡山は現実の赤穂線と山陽網干線を繋げて通っている。
- 山口県内は旧宇部鉄道線を走行。
- 線形的に呉方面には支線で対応しているかと。
- そもそも本社が福山辺りだったかもしれない。
- 山陽側のバス会社の勢力地図は様変わりしていたはずである。
- でも西鉄だけはそのままだった
- 井原鉄道も組み込まれている。
- 広電宮島線も。
- 連絡船も運航していたかも。
- 山陽下関-門司間は恐らく関門橋経由になっている可能性あり。
- そもそも関門間の開業は戦後になってからだった。
- 福岡-岡山・大阪・京都・名古屋・東京間の夜行高速バスは開設されなかった。
- 他にも東京・横浜-姫路・岡山・福山・広島・徳山・下関間の夜行高速バスも開設されなかった。
- 片上鉄道がいつの間にか「山陽片上線」になっていた。
- 岡山は関西圏・四国高松・広島との交通の要所として、広島よりも栄えていた。
- 岡山~倉敷は広島近郊よりも平地が広がっているので大都市として発展したかも。
- それにはこの路線はあまり関係ないような気が…。
- どちらにしろ岡山圏で宅地開発は行っていると考えられる。
- 岡山・広島はJRと全く違う位置に駅ができていた。
- JRより先に広島空港線を建設し大儲け。
- 未成に終わった広島市営地下鉄計画は本路線とも直通を検討していた。
大阪~高松[編集 | ソースを編集]
- 山陽電車が高松まで延伸。
- 下津井電鉄、ことでんも吸収。
- 琴平~坂出間は琴平急行電鉄のルートを利用。
大阪~和歌山~徳島[編集 | ソースを編集]
- 南海が和歌山~淡路島~徳島に新線施設。
- あるいはJR阪和線・鳴門線延伸→南海道本線→四国新幹線→並行在来線で南海へ譲渡か
- それに伴い四国航路は廃止
- サザンは徳島行きが主流に
- ライバル路線がないため一人勝ち。
大阪~神戸~徳島[編集 | ソースを編集]
- 山陽電鉄が淡路島進出。
- 山陽電鉄は準大手→大手私鉄に格上げ。
- 上記の南海とバトルか。
- 大阪~神戸は阪神or阪急。
- 名古屋から徳島まで線路が繋がる繋がる。
- 近鉄が直通特急運行。
姫路~岡山~広島[編集 | ソースを編集]
- 山陽電鉄の姫路~岡山~広島延伸
- 阪神・阪急・近鉄と直通
- 名古屋~広島で新幹線と競合
徳島~高松~松山[編集 | ソースを編集]
- 南海or山陽が延伸。
- JR四国が泣く。
- 多分琴電は南海が吸収。
高松~博多[編集 | ソースを編集]
- 西鉄の四国進出か。
- そのまま南海と相互直通して大阪へ…
- 琴電は西鉄が吸収。
大牟田~熊本・鹿児島[編集 | ソースを編集]
- 西鉄が熊本か鹿児島まで延伸する。
- これに対抗しJR九州は快速や特急、新幹線を増発したり、新快速を運転させたりする。
- 旅名人切符は、史実より値下げするか有効日数が4日に伸びる代わりに、西鉄をハブって対抗したかもしれない。
- 鹿児島交通は西鉄の路線となっていた。
- 鹿児島市電も西鉄鹿児島市内線に。
筑紫野~朝倉・日田[編集 | ソースを編集]
- 西鉄が朝倉街道駅か筑紫駅から甘木、杷木か日田まで延伸する。事実上、伝説の朝倉軌道を引き継いだ路線。
- 甘木線が国鉄時代に廃線となっていた。
小倉~・行橋・大分[編集 | ソースを編集]
- 特急が小倉~大分間に運転されていた。
- 大分交通を合併した関係で国東半島周りになっていたもかも。
- むしろ大分交通が小倉まで伸びるのもありかと思う。
- 大分空港に駅があるので、空港へ行く人も利用している。しかも特急も停まる
- ホーバークラフトは存在しなかった。
福岡~大分[編集 | ソースを編集]
- 大分自動車道に近い線形になる。
- 対小倉はともかく、対福岡ではJRより上位に立てた…か?
東京〜東武青森[編集 | ソースを編集]
とうぶあおもり | |||||
東武青森 Tobu Aomori | |||||
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陸奥勝田 Mutsu Katsuta |
(青森市安方) |
- 東武が東北地区の覇権を手にする為、東武青森まで延伸。