もしあの鉄道車両が計画されなかったら/国鉄・JR
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新幹線[編集 | ソースを編集]
100系[編集 | ソースを編集]
- 200系H編成は登場しなかった。
- 「グランドひかり」編成も登場しなかった。
- 「スーパーひかり」が企画されることはなかった(史実では実現せず)。
- 0系がJR発足後まで製造されていた。
300系[編集 | ソースを編集]
- =「のぞみ」が計画されなかったら、である。
- JR東海は史実以上に新幹線至上主義に走ることはなかった。
- 以降、東海道新幹線で運用される車両は編成・座席数の統一を徹底されることはなかった。
- 更なるサービス低下も起きなかった。
- 東海道新幹線は現在でも車両のバラエティに富んでいた。
- その分、スーパーひかりが実現していた。
500系[編集 | ソースを編集]
- 現実の700系が500系、N700系が700系になっていた。
- 700系(現実のN700系)誕生前は、のぞみは500系(現実の700系)のみになっていた。
- 0系と100系(山陽こだま)の置き換えが300系になっていた。
- 700系が失敗作になっていたかも。(by500系ファン)
- N700系の登場が史実より早かった可能性もある。
- 「勇者王ガオガイガー」のガオガイガー両肩はE2系になっていただろうか…。
- 300Km/h運転は700系(史実のN700系)登場まで待つ事に。
- じゃあ現実のN700Aは「700A」か。
E1系[編集 | ソースを編集]
- 現実にはない200系3000番台が存在したかも。
- E4系は2階建てではない。
- 東京駅の東北新幹線ホームは早くに増設されたり、上越新幹線が早くから全駅で16両編成の乗り入れが可能になっていた。
E4系[編集 | ソースを編集]
- E2系8連同士を連結した16連が実現していた。
- つばさ号は2012年春まで200系と連結していた。
- E2系との連結は2004年ごろから行われた。
- E2系が2004年に上越新幹線高崎以北からいったん撤退することもなかった。
- 上越新幹線の停車パターンが複雑化することもなかった。
- E2系J編成0番台の製造数が史実より多くなった。また、E3系も当初から200系を置き換えるべく多くの編成数が導入された。
- 長野新幹線の多客期に対応するため、E2系J編成1000番台の一部編成やE3系0番台の一部編成も急勾配&周波数切り替え対応になっていた。
電車[編集 | ソースを編集]
80系[編集 | ソースを編集]
- 長距離列車は機関車牽引の客車ばかりで、電車王国日本は存在しなかった。
101系[編集 | ソースを編集]
- 吊り掛け式車両が民営化でJRになるまで製造され続けていた。
- 以下の項目も大幅に変わっていた筈。
103系[編集 | ソースを編集]
- ずっと101系が1980年代まで製造され続けていた。
- 103系は現実の201系が名乗っていた。
- 変電所増設などで国鉄の財政が傾いていた。
- 101系の全電動車化が実現していた。
- 逆に必要両数は減りトータルコストはあまり変わらなかったかも。
103系1500番台[編集 | ソースを編集]
- 常磐緩行線への203系投入で余剰となった103系1000番台が筑肥線に転用されていた。
- あるいは203系が筑肥線にも投入されていた。
- その場合2017年現在も廃形式にはなっていない。
- 2000年代に入るとVVVF改造されていたかも。
- 筑肥線は列車密度が低いため、発電ブレーキ用の抵抗器が搭載されていた。
- あるいは203系が筑肥線にも投入されていた。
クモハ103形[編集 | ソースを編集]
- 京浜東北線や常磐線の103系は(10両化)当初から6+4の分割編成だった。
- 京浜東北線のATC化で組み替えが複雑になることもなかった。
- その分モハ103形の製造数(現実では793両)がモハ102形並みに増える。
- こちらも2000番台を割り振られた車両が存在した。
- 800番台では低屋根仕様と誤解されるため799の次が2001になったかもしれない。
- こちらも2000番台を割り振られた車両が存在した。
- クハ103形500番台も登場しなかった。
- 0番台の車号が499から701にジャンプすることもない。
- 短編成の線区に103系が進出する際は先頭車化や105系への改造が多く行われた。
107系[編集 | ソースを編集]
- 211系7000番台や403系1500番台が存在した。
- 小山や新前橋の165系置き換えは上記の211系導入により押し出された115系で行われていた。
- 15両運行拡大で編成組み替えが多発。
111・113系[編集 | ソースを編集]
車両形式そのものが登場しなかった
- 史実とは異なり、111系が他の路線での使用は困難とされ、大船や静岡には小山や新前橋同じく抑速ブレーキ・耐寒耐雪構造を採用した115系が投入された。なお昔から湘南新宿ラインや上野東京ラインのような連絡線が出来ており直通運転が行われていた。
113系700・2700番台[編集 | ソースを編集]
- 湖西線開業や草津線電化にあたっては115系が投入されていた。
- 草津線電化に当たって投入されたのは2000番台ではなく耐寒耐雪設備を強化した1000番台だったかも。
- 関西地区の快速運用では国鉄時代から115系を見ることができた(史実では民営化後の一時期存在した)。
- 113系との併結も頻繁に行われている。
- 福知山線電化で納車された近郊型電車も全て115系である。
115系[編集 | ソースを編集]
1000番台[編集 | ソースを編集]
- 115系史上もっとも数が多い本番台であるが、計画ではEF64-1000、183-1000と同じく別形式で開発されていたことからこれらが本格化し、117系(仮称)と形式名が決まっている場合、登場してなかった。
2600番台[編集 | ソースを編集]
- 沼津区への800番台転入数が増えていた。
- 415系500番台同様1500番台が新造車で登場していた。
- あるいは62系が高性能化され、115系4000番台となっていた。
E131系[編集 | ソースを編集]
600番台[編集 | ソースを編集]
- 当然、あの積み残し炎上騒動はなかった。
- E231系・E233系でワンマン化を推進していた。
- さらにはE233系3100番台4連が登場していた可能性がある。
151系[編集 | ソースを編集]
- 昼行特急の動力分散方式への推進は行われなかった。
- =動力近代化計画がなかったら、である。
- 日本の有料特急車両がデザイン重視になることはなかった。
- 私鉄の有料特急車両もデザイン重視になることはなかった。
- 史実ほどデザイン重視になることはなかったので一貫して特急専用で使用する方針に転換する動きは見られなかった。
- 関東私鉄では有料特急車の格下げ改造が後継車の登場とともに行われていた。
- 東武5700系、1700系が通勤車に改造されていた。
- 関東私鉄では有料特急車の格下げ改造が後継車の登場とともに行われていた。
153系・165系[編集 | ソースを編集]
- 日本の鉄道が標準軌に改軌されていればそうなっていた。
185系[編集 | ソースを編集]
- 183系がさらに増備されていた。
- 2階建て列車のために貫通路付きのクハ183の製造が再開されていた。
- =国鉄が合理化を推進していなかったら。
- 優等列車と普通列車双方に使える特急型車両は登場しなかった。
- 117系と比べられることはなく、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
- 373系も登場しなかった。
- 代わりに313系が4年早く登場し(全席転換クロスシート装備)、急行「伊那路」「富士川」に入る。急行「東海」は1995年辺りに廃止された。
- 優等列車と普通列車双方に使える特急型車両は登場しなかった。
- 特急型といえば赤とクリーム色の印象が強いままだった。
- JR東日本のコーポレートカラーは緑ではなかった。
- 80系や157系の復刻塗装もなかった。
- 新特急は登場せず、関東近郊の特急は快速に格下げされた。
- 急行「伊豆」はすべて特急「あまぎ」に統一。
- 581・583系を直流化改造した車両が登場し、そちらが185系を名乗っていたといううストーリーも考えられる。
- 419系や715系は登場しなかった。
- 急行「銀河」の電車化が実現していた。
201系[編集 | ソースを編集]
- =第二次オイルショックがなかったら、である。
- その分、103系の製造数が増えていた。
- 1500番台の車体は103系ベースとなっていた。
- 途中から空気バネ台車に仕様変更されていたかも。
- 千代田線の発熱問題から203系の登場は史実通りとなっている。
203系[編集 | ソースを編集]
- =千代田線の発熱問題がなかったら、といえる。
- 207系900番代が登場後にはこれが量産化されていた。
- 捻出した103系1000番代が105系500番代に改造されることはなかった。
- 代わりに205系が常磐緩行線に投入された。
- 常磐線各停の冷房化が遅れた。
205系[編集 | ソースを編集]
- ステンレスカーの普及が史実以上に遅れた。
- ボルスタレス台車、電気指令式ブレーキも。
- 211系、415系1500番台、キハ54形、キハ185系なども登場しなかった。
- 四国にもキハ183系が導入されていた。
- その後一部が九州に移籍していた。
- JR東海(在来線)とJR四国はステンレスカー一辺倒にならなかった。
- JR北海道(在来線電車)もステンレスカー一辺倒にはならなかった。
- 四国にもキハ183系が導入されていた。
- JR東日本は東急車輛と親密になることはなく、総合車両製作所への組織改編もなかった。
- 東急車輛はオールステンレス車体の製造ノウハウを同業他社に公開することもなかった。
- 1段下降窓が解禁されることはなかった。
- 117系100番台も登場しなかった。
- 203系が地上用として量産化されていたかもしれない。
- その場合、国鉄→JRの通勤・近郊型車両はアルミ製が主となる。
- むしろ201系が更に増備されていた。
- 山手線や常磐線快速にも投入されていた。実車にはない青緑色の201系を見ることができていた。
- アルミカーは高価ですぞ?103系1500番台が代わりに量産される。
- 界磁添加励磁制御は211系で初採用されていた。
209系[編集 | ソースを編集]
- 「寿命半分・価格半分・重量半分」のコンセプトに誤解を招くことはなかったので「走ルンです」と揶揄されることはなかった。
- 701系やE127系、E217系も同種のコンセプトで作られることはなかった。
- 大幅なコストダウンで通勤型車両の質が低下することはなかった。
- 京急新1000形がステンレス化されることはなかった。
- 南海8000系も1000系をベースにした車両となっていた。
- 新車の製造コストは未だに高額なままでJR東日本は更新工事を継続していた。
- 京急新1000形がステンレス化されることはなかった。
- E501系も存在しなかった。
- E217系も登場しなっかた。
- 現在もステンレス車両の最先端を行くのは東急である。
- 東急車輛も未だ東急傘下かもしれない。
- 相鉄10000系や都営13-000系、小田急4000形は東急5000系がベース車両になっていた。
- 仮に身内の東急電鉄向けにプレハブ式の電車を製作したとしても、外部には製造工法を公開しなかったと思われる。
- 当然、E231系以降の新車も無かった。
- 走ルンですの愛称はなかった。
- JR東日本はプレハブ式の工法を採用せず、205系や211系の工法のままで設計・製造し続ける。結果、プレハブ式の工法を採用するのは東急電鉄1社だけになっている。
209系500番台[編集 | ソースを編集]
- 中央総武緩行線の103系に車両故障が少なければ十分考えられた。
- 京浜東北線の予備車には中央総武緩行線から捻出された205系が使われていた。
- その後京葉線→武蔵野線に転用されるのも恐らく史実通り。
- 京浜東北線の元901系や京葉線の201系固定編成は同線のE233系が投入されるまで現役を続けていた。
- むしろ209系0番台が中央総武緩行線にも投入されていた。
209系3100番台[編集 | ソースを編集]
- 70-000形の余剰車両はそのまま解体されていた。
- 103系3000番台の置き換え用には当初の計画通り205系3000番台が追加投入されていた。
- その分205系を埼京線増発用に転用できなくなるが、はたしてどうなったのやら。
- 逆に70-000形が6両増備されていたかもしれない。
- その分205系を埼京線増発用に転用できなくなるが、はたしてどうなったのやら。
- JRが初めて私鉄から車両を譲受した例はキハ125形400番台だった。
213系[編集 | ソースを編集]
5000番台[編集 | ソースを編集]
- 211系6000番台が関西線にも投入されていた。
- 飯田線には313系3100番台または1300番台が直接投入されている。
221系[編集 | ソースを編集]
- 関西私鉄王国は現実よりも長続きした。
- 211系がJR西日本にも導入されていたかも。
- 新快速の主力は1990年代後半まで117系だった。
- 阪神大震災直後のJR利用増で史実の223系に相当する車両が登場、ここで初めて3扉転換クロスシートが採用されていた可能性もある。
223系[編集 | ソースを編集]
~代わりに221系が導入~[編集 | ソースを編集]
- 221系は最高時速120km/hなので、新快速は阪神・山陽などと激戦することになる
- もしかすると、阪神&山陽に勝つために130km/hへのアップデート版が出るかもしれない
- 並走する207&321に追い抜かされることがザラになってしまう(新快速の威厳が...泣)
- ゆくゆくは221系ステンレス版が出るかもしれない
- 223系は半世紀以上新快速で使われているのでガタが来ているが221系はわずか11年しか新快速で使われていなかったので、ガタが気ていない→221系が代わりに導入されたら新快速で使われてガタが来て早々廃車に...(orz.
- おそらく、関空線に乗る外国人は「未だに普通鋼をつかうなんて日本ってビンボーなのか?」と思うだろう。
- こいつが大量生産されたおかげで、新快速はサービスが向上する。
- きっと途中から普通の221系を「0番台」、VVVFインバーター化したやつを「1000番台」などということになる
- 車内の古臭さだけは目立ってしまう。
- ここに書かれている通りエアコンがかび臭いため、カビを嫌って山陽&阪神に乗る人が増加。(JR西、なんとかしろよ!
- いつまでたっても221系のリニューアルが終わらなくなる
- なんと207系のリニューアルが先に終わってしまう。
- コロナによる減便で221系があまり、一部は転属。
- さらに、1本は和田岬線のオンボロスカイブルー103系を置き換えることに。
- その場合はもちろんリニューアルが未だに終わっていないオンボロ221系が指名される。
- さらに、1本は和田岬線のオンボロスカイブルー103系を置き換えることに。
227系[編集 | ソースを編集]
- 未だに国鉄広島だとバカにされていた。
- 221系か223系が広島に転属していた。
- 車両の老朽化が激しいので広島地区の本数はさらに削減されていた。
- 和歌山線と桜井線に225系が投入されていた。
- 5100番台の一部設備が変更された車両が投入されて阪和線などでも運用されていた。
- HF601-の先頭部はHF430-のそれと同じだったかも。
- 5100番台の一部設備が変更された車両が投入されて阪和線などでも運用されていた。
E231系[編集 | ソースを編集]
- E233系も登場していない。
- E531系も存在しない。
- JR東日本では通勤型と近郊型の区別が廃止されることなく、一般型電車という区分が使われることはなかった。
- 125系も近郊型として製造されたかも。
- 一般型といえば50系客車か気動車といったローカル専用車両のことを指していた。
- 私鉄にも本形式をベースとする車両が登場することなく、東急5000系や相鉄10000系は登場しなかった。
- 相鉄10000系は日立製となっていた。
- 常磐線快速電車の近代化が遅れていた。
- 209系500番代が更に増備し続けていた。
- 近郊型にはE217系500番台、常磐線向けにはE501系500番台が用意された。
600番台・4600番台[編集 | ソースを編集]
- 山手線のホームドア設置はE235系統一後に行われた。
- 6扉車もそれまで使われていた。
- 山手線のE235系は全て新造車になっていた。
- 他路線転属を考えて山手線は10両になっていた。この場合運転席以外の車両の端は全てフリースペースになっていた。
- あるいはホームドア設置の際にE233系1000番台が山手線にも投入された。
- 6扉車を抜くと9両になるので中央総武線各駅停車に転属されなかった。
- 209系500番台の替わりに武蔵野線に転属していたかも。
- あるいはサハE231形0番台の廃車が52両だけ少なくなり、500番台の中央総武線転用の際に組成されていた。
E233系[編集 | ソースを編集]
5000番台分割編成[編集 | ソースを編集]
- 成東や勝浦に行く列車はE217系総武快速になっていた。
- おそらく付属編成が乗り入れていたと思われる。
- 横須賀総武快速線のE217系の付属編成が12~15両目として改組されていた。
271系[編集 | ソースを編集]
- 287系が史実より多く投入され「はるか」と「くろしお」は共通運用になっていた。
281系[編集 | ソースを編集]
301系[編集 | ソースを編集]
- 営団地下鉄東西線直通電車は全て103系になっていた。
- 203系がこっちにも導入されていたかも。
- その場合103系は105系に改造されていた。105系に新造車はなかった。
- 国鉄はアルミ車体に消極的になっていた。
- 203系もステンレスになっていた。
- 381系が実用化できたか怪しい。
313系5000番台[編集 | ソースを編集]
- 2006年に東海道線名古屋地区に投入された313系は100番台(4連)と400番台(2連)になっていた。
- クハもそれぞれ100番台と400番台となるだろうから、1100、1600、1700番台のクハは100番台になってたかも。
- 2010年以降も大垣区にはこの2つの番台を入れるだろうから、1100番台大垣車と5300番台は存在しない。
- 後者は5000番台がないので尚更。
- 6連の313系は存在しなかった。
- 全席転換可能の313系も。
- 車体間ダンパは多分新幹線にしかついてない。
321系[編集 | ソースを編集]
- 現実の323系が321系を名乗っていた。
- 史実通り3ドアの場合、JR西日本の4ドア車は207系が最後になっていた。
- 京阪神緩行線で201系・205系が現在でも走っていた。
E331系[編集 | ソースを編集]
- E233系5000番代の導入は史実と変わらなかった。
- ただ、209系500番代が1編成だけ残留してしまうようなことはなかった。
- JR東日本にとって手を焼く存在が減っていた。
- 故障が多かったと言われたため。
401・403・421・423・415系[編集 | ソースを編集]
401・421系[編集 | ソースを編集]
- 101系基本のオールクロスシート車の交直流版が登場していた。
415系500番台[編集 | ソースを編集]
- JR東日本はロングシート車一辺倒になることはなかった。
- 国鉄時代に交直流通勤電車が実現していたらほぼ史実通りか。
- 211系ロングシート車も存在しなかった。
- 701系も存在しなかった。
- 登場したとしても座席配置は最初から5000番台などと同様になっている。
- 107系も登場しなかった。
- 413系・717系を直流専用にしたような車両が登場したかも。
- 近郊型のロングシート化は未だに異例の域を出なかった。
- 常磐線中電のラインカラーは青ではなかった。
- JR九州も415系新塗装車を元にしたカラーリングになることはなかった。
- 500番台も登場時は赤電でしたが?どのみち万博絡みで塗装変更は行われる。
- 3扉ロングシートの20m車といえば未だに西武のイメージ。
- キハ35系は? 105系は?
- 失礼しました。東京都心部での話です。
- キハ35系は? 105系は?
- Fo507とFk513~517、Fk520は存在しなかった。
- カツK513編成とカツK517編成がJR九州に譲渡された。
- JR九州の編成番号法則に基づき以下の通りに改番(転属も反映)
- カツK513→Fm113→Fo113→Fk113
- カツK517→Fm121→Fo121
- 史実のFk513~517に該当するのは史実のカツK514~K516とカツK510~K511。
- 史実のカツK510はFk10
- 2013年廃車。最終所属は鹿児島車両センター。
- 史実のカツK511はFk101
- 史実のカツK514はFk114
- 史実のカツK515はFk115
- 史実のカツK516はFk116
- 史実のカツK512編成も九州に転用され、Fk102編成となっていた。
- 史実のカツK510はFk10
- カツK513編成とカツK517編成がJR九州に譲渡された。
415系800番台[編集 | ソースを編集]
- 七尾線の電化が1980年代前半までに実現した。
- あるいは七尾線津幡 - 七尾間も非電化のままのと鉄道に移管されていた。
- IRいしかわ鉄道は存在せず、並行在来線もすべてのと鉄道に移管されている可能性がある。
- その代わりのと鉄道が北陸線引き受け時IRに社名変更されていた。
- IRいしかわ鉄道は存在せず、並行在来線もすべてのと鉄道に移管されている可能性がある。
415系1500番台九州車[編集 | ソースを編集]
- 当初は南福岡初期421系などの置き換えは勝田415系100・500番台の転用で済ませるはずでした
- K525の九州転用はなかった。
- 811系は415系500番台基本だった。
417系[編集 | ソースを編集]
- 仙台地区に415系が投入されたかも。
- その場合仙台地区に投入されたのは雪切り室などを備えた寒冷地仕様の415系1000番台だった。
- あるいは713系が仙台地区に投入されていた。
- JR東日本は115系あたりでLED式行き先表示を実験していた。
419系[編集 | ソースを編集]
便宜上715系も含みます
- 客車夜行列車は583系電車に次々に置き換えられた。
- 「きたぐに」も特急に格上げされて、その他にも583系の塗装変更が見られたかもしれない。
- 地方で普通列車を増発しない方針だったらこうなっていた。
- 食パン電車と揶揄されることはなかった。
- 九州鉄道記念館の583系にセミクロスシートはなかった。
- 417系と713系は史実より多く製造された。
- 場合によっては415系1500番台と1900番台が419系を名乗っていた可能性が高い。
E501系[編集 | ソースを編集]
- 常磐線の一般車両は未だに国鉄水戸の域を脱していなかった。
- あるいはE531系の登場が2000年ごろに早まっている。
- 先頭車の前照灯・尾灯は209系やE231系と同じく窓下にある。
- あるいはE531系の登場が2000年ごろに早まっている。
- あのインバータ音は京急くらいの認識で終わっていた。
- 鉄道ファンからも評価されることなく、走ルンですの中では一目置かれることもなかった。
521系[編集 | ソースを編集]
- 北陸本線敦賀以東の普通列車は北陸新幹線開業まで国鉄型車両で運行されていた。
- ハピラインふくい・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道も気動車を導入していた。
- キハ127系の登場は史実通りなので、当車両ベースの2両編成が導入される。
581系[編集 | ソースを編集]
便宜上583系も含みます。
- 寝台・座席両用電車...何それ?
- 東北・北陸・九州の昼行特急は485系の独壇場だった。
- クハ481形ボンネット車が「はつかり」にも充当されていた。
- 「寝台特急=客車」の状態が続いていた。
- EF65が「はくつる」の先頭に立つ姿を見ることができた。
- 定期の「明星」にも20系が投入されていた。1975年3月改正まではEF58・EF65が単独デザインのヘッドマークを掲出していた。
- 車両基地の容量不足がさらに深刻化していた。
- 品川電車区のような二層式の留置線が他所でも見られたかもしれない。
- 419系、715系も登場しなかった。
- 12系客車と14系寝台車は史実より多く製造された。
683系[編集 | ソースを編集]
便宜上289系も含みます。
- 当然287系も登場していない。
- 485系3000番台のはくたかは北陸新幹線開業まで存続していた。
- スーパー雷鳥の廃止は事実通りになっていた。
- 「しらさぎ」の485系も681系に置き換えるまで存続しておりよって国鉄色のパノラマはなかった。
683系4000番台[編集 | ソースを編集]
- その代わり287系交直流版が登場していたかも。
- 車両形式は687系になっていたか。
- 287系と同時に登場していた。
- 車両形式は687系になっていたか。
- それでも「雷鳥」は2011年に運行を終了していた。
- 489系も同じく。
701系[編集 | ソースを編集]
- 地方でのロングシート車導入に物議をかもすことはなかった。
- 鉄道ファンからの評価がガタ落ちすることもなかった。
- E127系も登場しなかった。
- 新潟のやつは存続していれば多数派に、いなければE129系の投入が早まっていた
- 50系客車がもう少し長く運用されていた。
- 50系改造電車が実現していたかも。
- 50系はJR東日本でも、気動車化されていたこともあり得る。
- 更に12系客車まで気動車化され、発電エンジンも走行兼用化されていた。
- 50系はJR東日本でも、気動車化されていたこともあり得る。
- SL銀河の客車は既存の50系を改造していた。
- 牽引機もC58ではなくD51が担当(勾配がきついため)
- DD51等を補機担当で使っていた可能性もある。
- 牽引機もC58ではなくD51が担当(勾配がきついため)
- 50系改造電車が実現していたかも。
- 701系といえば西武鉄道の方だった。
- 815系も転換クロスシートで製造された。
- 719系が更に増備されていた。
- 青い森鉄道701系とIGRいわて銀河鉄道7000系も登場しなかった。
- これらには軽快気動車が導入されていたかも。
E721系[編集 | ソースを編集]
- =JR東日本が普通列車のクロスシート復権を受け入れなかったら、といえる。
- 209系の房総地区転用に際してもロングシートのままだった。
- 仙台空港鉄道の車両も701系ベースになっていた。
- 阿武隈急行線の置き換え車両も同様。
- E129系も登場しなかった。
- その代わりE127系ももう少し製造されていたか。
- JR北海道の721系と混同されなかった。
E751系[編集 | ソースを編集]
- 青森車両センター廃止までつがるは485系が使用されていた。
- つがるにE653系が導入されていた。
- いなほと共通運用になっていた。
- 「いなほ」の青森発着は2010年以降も存続。E653系1100番代が「つがる」「いなほ」にも使用されたかも。
- JR東日本に交流専用特急電車は存在しなかった。
- 北海道新幹線1次開業の早期実現が前提なら(485系の延命で済ませる事),十分考えられる。
789系基本番台[編集 | ソースを編集]
- 北海道新幹線開業まで津軽海峡線の昼行列車は485系電車特急「はつかり」、50系客車快速「海峡」で運行されていた。
- もしかしたら781系特急電車の転用も検討されていた。
- 特急「ライラック」は復活しなかった。
- 下手したら大雪・サロベツはキハ54の急行か快速になっていた。
気動車[編集 | ソースを編集]
キハ37系[編集 | ソースを編集]
- =加古川線、久留里線が1980年代に電化していたらである。
- 高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線、木原線では廃止・3セク転換までキハ30などが使用されていた。
- キハ54形、キハ185系にも影響をあったかもしれない。
キハ38系[編集 | ソースを編集]
- 八高線は1980年代に全線電化していた。
- あるいは、キハ37が八高線にも投入されていた。
キハ45系[編集 | ソースを編集]
- 2ドアセミクロスシートといえば小田急2320形程度の認識で終わっていた。
- キハ47形、417系、富士急行5000形などの2ドアセミクロスシート車も登場しなかった。
- 西武4000系も。
キハ80系[編集 | ソースを編集]
- 東北特急の近代化が遅れていた。
- 東北本線全線電化まで待たなければならなかった。
- 北海道の優等列車も急行の天下が続いていた。
- というか、非電化線区の優等列車は急行の天下が続いていた。
- 新幹線が史実通り開通していった場合、岩手・富山・三重・広島・山口・徳島・高知・沖縄はJR特急が走らない県に(新幹線は除く)。
- 初期不良で「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と揶揄されることはなかった。
- 動力近代化計画に、客車の運行縮小が盛り込まれたかあやしい。
- DD51の開発が数年早まり、はつかりはDD51で無煙化された。
- ナハ20が史実より多量に増備された、あるいは14系の登場が早まった。
キハ85系[編集 | ソースを編集]
- キハ80系も塗装変更されていた可能性がある。
- むしろキハ181系を導入した可能性は?
- 名鉄キハ8500系も登場しなかった。
- 京都丹後鉄道KTR8500形も存在しない。
- 特急南紀が2両編成で運行されることもなかった。
- HC85系はもっと早く登場していた。
キハ125形[編集 | ソースを編集]
- キハ220形の登場が早まっていた。
- 同型車として、島原鉄道がキハ2500形、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)がキハ3710形を投入することはなかった。
- 高千穂鉄道からの譲受車である海幸山幸用の400番台は本系列への編入ではなく、特急形として別の形式を起こしていた。
キハ183系1000番台[編集 | ソースを編集]
- =オランダ村特急がなかったら、である。
- オランダ村特急はむしろ、485系を改装した車両が充てられていた。
- 廃止後は一般車に復元。
- オランダ村特急はむしろ、485系を改装した車両が充てられていた。
- 九州にキハ183系は存在しなかった。
- 電車と気動車の本格的な協調運転はJR北海道の731系とキハ201系で行われていた。
- 転用改造で迷走した車両が減っていた。
- ゆふいんの森・ゆふDXは別の車両、シーボルトは存在しなかった。
キハ185系[編集 | ソースを編集]
- おそらくキハ183系1500番台も登場していない。
- キハ181系が更に増備していた可能性も。
- 九州を走る「九州横断特急」や「A列車で行こう」は存在しなかった。
- あるいは九州のキハ183系1000番台がキハ185系を名乗っていた可能性がある。
キハ187系[編集 | ソースを編集]
- JR西日本に「はまかぜ」の他にもキハ181系の新塗装が登場していたかも。
- 2024年現在、最後のスーパーを名乗る特急列車は「スーパーはくと」のみになっていた。
- 「まつかぜ」の名称は復活しなかった。
- 史実のキハ189系がキハ187系を名乗っていたかもしれない。
- 「はまかぜ」同様に「おき」「いなば」「くにびき」にも導入されていた。
キハ201系[編集 | ソースを編集]
- 学園都市線がせ90年代に電化していたらである。
- ニセコライナーは廃止され、函館本線は小樽で系統分断されていた。
- ↑ニセコライナーが朝夕,札幌-小樽間キハ150の6両編成で存続したかも(エンジン高出力車両に統一することにより定時制を向上できた)。
- キハ150が現実以上に増備され、3両連結してニセコライナーに使用されていた可能性もあった。
- ↑繁忙期は4両に増車されたかも。
- キハ150のみの6両編成が(札沼線北海道医大以南が現実通りの時期に電化された場合)札沼線で見ることができた。キハ40 401・402の代わりに,キハ150が札沼線石狩当別以北のワンマン運用に入った。
- あるいは函館本線五稜郭 - 小樽間が電化された。
- この場合はニセコライナーの代わりに特急「ワッカ」「ヌプリ」が定期で設定され「北斗」は設定されていない。
- 室蘭本線長万部 - 東牟婁卵管も電化され、「北斗」は785系→789系が充当された。
2000系[編集 | ソースを編集]
- 振り子式気動車第1号はキハ281系になっていた。
- 試作車だが、キハ391系は?
- その分キハ185系が更に増備されていた。
- JR九州への譲渡や普通列車転用はなかった。
- それでもアンパンマントロッコのようなキハ185系改造のジョイフルトレインは史実通りだったかも。
- JR九州への譲渡や普通列車転用はなかった。
- JR四国の特急は高速バスに史実以上に苦戦していた。
- 結果利用者減で減便されていた可能性も。
- 8000系は振り子無しになってたかもしれない。
- 2600系はキハ185系置き換え用として史実より2.3年ほど早く導入された。
- 量産が断念されることはなかった。
- 智頭急行HOT7000系にも何らかの影響があった。
TSE登場後開発中止になっていたら[編集 | ソースを編集]
- TSEは団体用になっていた(実際にコケた場合はそうする予定だったとか)。
- 「アイランドエクスプレス四国Ⅱ」は登場しなかったかも。
- これ以降振り子式気動車は登場しなかった可能性がある。
- 結果北海道や山陰の特急列車は新型車両導入後もあまり所要時間を短縮できずバスや航空機に利用者が流れていた可能性が。
- 結果として空気ばね式の車体傾斜気動車の開発が早期に進んだ可能性もある。
客車[編集 | ソースを編集]
10系[編集 | ソースを編集]
- 近代的な外観、内装が気動車、電車にも波及することはなかった。
- 北陸トンネル火災でやり玉に挙がることはなかった。
- ナハネ10、ナハネ11、オハネ17が存在せず、B寝台はスハネ30ばかりだった。ナロ10も存在せず、オロ61がもっと大量にあった。
12系[編集 | ソースを編集]
- 14系も存在しない。
- 夜行急行列車の近代化すらされなかった。
- 20系の急行運用が現実以上に拡大し、ナハ21形への改造数が増えていた。
20系[編集 | ソースを編集]
- 「走るホテル」と呼ばれることはなかった。
- 寝台特急にも10系が投入されていた。
- 寝台特急「日本海」火災事故は発生しなかった。
カニ22形[編集 | ソースを編集]
- パンタグラフを搭載した客車は、日本国鉄では事業用以外に存在しなかった。
- JR西日本もスハ25形を計画しなかったかもしれない。
- カニ21の製造数が6両多かった。
- カニ25も登場しなかったか、マニ20あたりが種車になっていた。
E26系[編集 | ソースを編集]
- 「カシオペア」も当然存在しない。「北斗星」も現実より短命に終わっていた。
50系[編集 | ソースを編集]
- 普通列車用客車は歴史上、完全新製車は存在しなかった。
- 当然、キハ141系やキハ33形は登場しなかった。
- キハ141が登場しないことから学園都市線では車両が不足し北海道の鉄道路線としては珍しく混雑率200パーセントという状態が電化するまで続いていた。
- 学園都市線を電化していたorキハ150をさらに増備していたのでは?
- 逆にキハ48やその中間車版であるキハ49(仮)が更に増備されていた。
- 特急格上げで捻出した急行型車両を普通列車に回すため、485系やキハ183系が更に増備されていた。
- SLあそBOY(人吉)の客車は旧型客車を改造した非冷房車になっていた。
- むしろ12系から改造していた。
- 快速「海峡」も14系座席車のみで実際より本数が少ない状態だった。
- =国鉄民営化時に客車列車を全廃させる予定だったからである。
- 1980年代の時点で機関車や機関士の余剰が問題となっていた。
- 代わりに14系座席車が80年代半ばまで導入が続いた。旧型客車の急行運用は14系座席車導入まで続いた。
- 14系500番代は完全な極寒地向け新車だった。
ななつ星in九州関連車両(77系客車・DF200-7000)[編集 | ソースを編集]
- 「四季島」や「瑞風」といった豪華寝台列車も計画されなかった。
- 日本での豪華列車ブーム自体起きなかった。
- =「ななつ星in九州が計画されなかったら」である。
- DE10の黒塗りが増備されることはなかった。
- DD200-701も普通の赤塗りになっていた。
機関車[編集 | ソースを編集]
EF66形[編集 | ソースを編集]
- 国鉄に流線型の新性能電気機関車は存在しない。
- EF65形の重連運用が増えていた。
- JRになってから増備が再開される。
- このロットが2000番台を名乗っていた。
- JRになってから増備が再開される。
- 九州ブルトレはロビーカー登場後に瀬野八での補機連結を復活させていた。
- 3.による広島以遠発着のブルトレの所要時間が長くなることにより,呉線の線路と電化設備の強化が実施される。
EF200形[編集 | ソースを編集]
- EF66 100番台が更に増備されていた。
- 性能を持て余す車両が減っていた。
- EF500、ED500も製造されなかった。
- 日立は今もJR貨物の機関車を製造していた。
- 現実のEF210形がEF200形を名乗っていた。
DD51形[編集 | ソースを編集]
- =動力近代化計画がなかったら、である。
- SLファンから疎まれることはなかった。
- 「赤ブタ」「文鎮」と揶揄されることはなかった。
- DF50形が更に増備されていた。
DD54形[編集 | ソースを編集]
- 度重なる欠陥でやり玉に挙がることはなかった。
- 54機関車のジンクスが減っていた。
- DD51形の製造数は史実と変わらない。