もしあの駅が○○だったら/近畿
京都[編集 | ソースを編集]
丹波口駅[編集 | ソースを編集]
高架化による駅移転がなかったら[編集 | ソースを編集]
高架化前は現在よりも南側の西新屋敷公園付近に駅がありました。もし地上時代の駅と同じ位置で高架化されていたら…。
- 現実以上に梅小路蒸気機関車館や梅小路公園への最寄駅としての機能を果たしていた。
- 京都鉄道博物館建設に伴う新駅の設置計画は出なかった。
京都駅(近鉄)[編集 | ソースを編集]
4番線の使用が史実よりも早く開始されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、2012年3月に開始されました。
- 翌年の東海道新幹線の開業に控えて、高架化された1963年に実施されていた可能市制が高い。
- もしくは、なら・シルクロード博覧会が開催された1988年に実施されていた可能性もあり得る。
淀駅[編集 | ソースを編集]
史実よりも早く高架化されていたら[編集 | ソースを編集]
1970年代後半から地元自治会から要望を出していました。
- 競馬による混雑が緩和されていた。
- 付近にある淀城跡公園の再整備が史実よりも早まっていた。
- 八幡市→石清水八幡宮駅の待避線廃止が早まっていた。
洛西口駅[編集 | ソースを編集]
高架化された後に駅が開業していたら[編集 | ソースを編集]
史実では、2003年に駅が開業した後に、2016年に高架化されました。もし高架化された後に当駅が開業していたら…
- 無論、駅が設置できるように高架化されていた。
- 駅開業時にTauT阪急洛西口が開業していた。
西院駅(阪急)[編集 | ソースを編集]
地下通路と改札口が開設されていたら[編集 | ソースを編集]
地下化時に、大阪梅田方面ホーム東端付近(地下)から嵐電西院駅前(地上)までの地下通路と改札口が新たに計画され整備されていましたが、地元商店街の反発により、実現しませんでした。ちなみに嵐電西院駅との乗り換えは2017年に改善されました。
- 嵐電西院駅との乗り換えの改善が史実よりも早まっていた。
- 嵐電西院駅の嵐山方面ホームが移設されることはなかった。
- 改札口は地下1階に設置されていた。
- 工事完成はホームが10両分に延伸された1980年代半ばだった。
- 場合によっては大宮駅に代わって特急停車駅になっていた。
- それでもメインの西口の改札が地下1階に移されるのは史実通りの時期だった。
- 駅ビルの建て替えなども絡んでいたため。
- 京都河原町方面ホーム中央部から地上へ向かう非常口は設置されなかった。
大阪[編集 | ソースを編集]
大阪駅[編集 | ソースを編集]
JR京都線から大阪環状線に乗り入れられる構造だったら[編集 | ソースを編集]
京都、新大阪発着の特急、快速は大阪駅と通らずに環状線に乗り入れていますが、もし大阪駅を通ることが可能だったら
- 特急「はるか」や「くろしお」が大阪駅に停車していた。
- 梅田貨物駅の旅客化なんて考えられていなかった。なにわ筋線も松屋町筋線と同等の構想どまり。
- なにわ筋線は南海単独の路線になっていたかも。
- 環状線乗り場が2面4線になっていたかも。
- 大和路快速や関空・紀州路快速に新大阪駅発着が設定されていた。
戦後に淀川の対岸に移転していたら[編集 | ソースを編集]
戦後大阪駅の地盤沈下が激しくなり東淀川駅付近に移転する計画がありましたが実現しませんでした。
- 「新大阪」駅はなかった。
- 新幹線は「大阪」駅に直接乗り入れる形になっていた。
- 梅田は私鉄を中心としたターミナルとなっていた。
- ヨソモンから「大阪駅から梅田駅までの行き方」を尋ねられて困惑する光景は見られなかった。
- 大阪環状線は淀川を2回渡るようになっていた。
- 旧大阪駅の場所に「梅田」駅が存在している。
- 大阪環状線は「8」の字形の環状線になっていたかもしれない。
- 京阪間・阪神間ではJRよりも私鉄が有利になっている。
- 京阪沿線はミナミ志向が強くなっていた。
- 阪急新大阪線の計画は「大阪駅乗り入れ計画」として実現していた。
- 現実の北方貨物線が東海道本線となっていた。
- 駅の所在地は現実の東淀川駅か新大阪駅の場所だろう。
うめきた地下ホームが史実より早く開業していたら[編集 | ソースを編集]
史実では2023年3月開業
- 平成のうちに開業していた場合、早朝・深夜に運転されていた阪和線から新大阪駅に直通する快速が大阪駅に停車していた。
- 史実のように廃止されなかったかもしれない。
- おおさか東線は2019年3月の2期区間開業当初から大阪駅に発着していた。
- 大阪駅の地下ホームで201系を見ることができていた。
- 「くろしお」の381系や、開業した時期によっては阪和線の113系も地下駅に乗り入れていたかもしれない。
- 大阪駅の地下ホームで201系を見ることができていた。
- 可動式ホーム柵は開業当初は設置されていなかった。
- うめきたエリアの再開発も現実より早く進んでいた。
梅田駅[編集 | ソースを編集]
阪急梅田駅が現在も南側にあったら[編集 | ソースを編集]
阪急梅田駅はかつて国鉄(現JR)東海道本線の南側にありましたが、電車の連結両数が増加したことから駅を拡張するため昭和40年代に東海道本線の北側の現在地に移転しました。もしこの時の阪急梅田駅の移転がなかったら・・・
- 小田急新宿駅と同様の地上と地下の2階建て構造になっていた。
- おそらく京都線と宝塚線が地上ホーム、神戸線が地下ホームとなっていた。
- むしろ車両規格の異なる京都線が地下ホームになっている気がする。こうすれば中津駅の設置云々も史実通りになるし。
- 地上ホームを10連対応に延伸するため、JRの高架下にもホームが設けられていた。
- 神戸線が地下ホームになっていた場合、淀川を渡ってすぐに地下に潜るため、同線に中津駅は設置されなかった。代わりに京都線に中津駅が設置されていた可能性がある。
- おそらく京都線と宝塚線が地上ホーム、神戸線が地下ホームとなっていた。
- 阪急百貨店はホームに覆いかぶさるように増築されていた。
- 阪急各線から地下鉄各線への連絡が格段に便利になっていた。
- 当然阪急三番街や阪急かっぱ横丁、阪急イングスはなかった。
- JR線の北側はあまり発展しなかった。
- 毎日放送は茶屋町に社屋を移転していなかった。
- 現在でも千里丘に社屋を置いているか、梅田周辺に移転するにしてもハービス大阪などがある西梅田地区だった。
- 梅田北ヤードの再開発の計画が持ち上がってようやく発展の兆しを見せるようになっていた。
- 毎日放送は茶屋町に社屋を移転していなかった。
- JR大阪駅との乗換の連絡通路が出来ていた。
大阪阿部野橋駅[編集 | ソースを編集]
あべのハルカスが建設されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 大阪に日本一の高層ビルができることはなかった。
- 大阪のランドマークが1つ減っていた。
- 日本一の高層ビルは今も横浜のランドマークタワー。
- 東京駅近くに400m級高層ビルの計画が出るのは史実通りで、ここでようやく日本一の記録が更新される。
- しまかぜの登場は史実通りだが、ハルカスの建設費用を他に回せるようになるため、旧型の通勤車・特急車の置き換えが現実よりも進んでいた。
- 2016年現在、8000系(8400・8600・8800系除く)や12200系の置き換えは全車完了している。
- 今頃シリーズ21に続く新型の通勤車両が登場している。
- 大阪阿部野橋駅の乗り場がやや後退することはなかった。
- 近鉄百貨店阿倍野店の名称が「あべのハルカス近鉄本店」に変更されることはなかった。
- それでも阿倍野店本館の建物の老朽化に伴い建て替えが検討されることになるかもしれない。
- その場合現実のハルカスほどではないものの、ある程度高層化されるだろう。
萱島駅[編集 | ソースを編集]
クスノキが伐採されていたら[編集 | ソースを編集]
- 今でこそホームを貫いている事で名物になっているクスノキですが、当初は伐採する予定もあったそうです。
- 元々萱島神社の御神木であった事から、伐採後に何か祟りが起きないか心配される。
- ちょうど時期的に置石による脱線事故が「クスノキを伐採した罰が当たった」と言われていたかもしれない。
- それでも切り株だけはモニュメントとしてコンコースに保存されていた。
- 沿線住民にとっても「萱島=複々線の終端駅」と言う印象しかなかった。
- 少なくともこの駅が全国区で取り上げられる事は絶対にない。
十三駅[編集 | ソースを編集]
高架駅になっていたら[編集 | ソースを編集]
- 実際に、1956年に阪急と大阪市との間で覚書が交わされています。
- 阪急にとっては、梅田駅に次ぐ大規模な工事になっていた。
- 新大阪線(十三・神崎川~新大阪~淡路)は確実に開業していた。
- 高架下に大規模な商業施設ができていた。
戦後に「十六駅」に改称していたら[編集 | ソースを編集]
- 旧制北野中生のための駅だったが、学制改革で高校生に…
淡路駅[編集 | ソースを編集]
史実より早く高架化していれば[編集 | ソースを編集]
- 実際は、2024年度末に高架切替予定
- 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたら、確実にあり得た。
- 早ければ1969年の堺筋線開通と同時に高架化されていた。
- 平面交差による速度制限がなくなるので、ダイヤ上のネックは解消された。
- 布施駅のように、通過線が設けられた。
- 堺筋線の天六発着が淡路まで延長されていた。
- ネスカフェスタンドと阪急そばが設けられた。
- おおさか東線との接続は考慮されなかったかもしれない。
高架化ではなく地下化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実よりも早く立体化されていた。
- 早くて2013年、遅くても2020年までには完成していた。
- 駅は現在線の真下に建設されていた。
- 地上の駅跡地は周辺とともに再開発されていた。
- 平面交差を避けるため、やはり上下2段式になっていた。
- 日照権などの問題も起こらなかった。
- 分岐駅ということで京王調布駅と比較されていた(向こうも地上時代は平面交差がネックになっていた)。
- 但しこちらは駅の前後ともに分岐しているのが異なる点。
- 柴島駅と下新庄駅は地上駅のままだったかもしれない(前後に川があるため)。
東梅田駅[編集 | ソースを編集]
御堂筋線側に駅があったら[編集 | ソースを編集]
- 大阪メトロ谷町線東梅田駅のすぐ隣には御堂筋線の線路が通っていますが、駅はありません。
- 谷町線と御堂筋線は東梅田駅の改札内で乗り換えることが可能になっていた。
- そのため、東梅田⇔梅田駅の改札外乗り換えができなくなるため、乗り換えの途中で買い物をすることもできなくなっていた。
- 但し四つ橋線の西梅田駅は離れているため、こちらは改札外乗り換えになっている。
- JR東西線の北新地駅は御堂筋線との乗り換えも便利な位置に設置されていた。
- 駅名は梅田になっていたかも。
難波駅(南海電鉄)[編集 | ソースを編集]
1970年代に駅改良工事が完成していたら[編集 | ソースを編集]
史実では、1980年11月に完成。
- 遅くても、1975年11月頃に完成していた。
- あるいは1973年頃に完成し、架線電圧の600→1500V昇圧も同時に行われていた。
- 関西最大の駅になっていたかも。
- あるいは1973年頃に完成し、架線電圧の600→1500V昇圧も同時に行われていた。
- なんばCITYの開業が史実よりも早まっていた。
- 1973年11月に完成した阪急梅田駅と比較されていた。
北新地駅[編集 | ソースを編集]
尼崎寄りに折り返し線が設置されていたら[編集 | ソースを編集]
- 京橋行きが北新地まで延長されていた。
- 学研都市線方面から梅田方面に行くのに京橋駅で降ろされることはなく、利便性も向上していた。
- JR東西線や北新地駅の利用客は現実よりも多く、その分大阪環状線の京橋~大阪間の混雑が緩和されていた。
- おおさか東線が放出以南で部分開業した際にも北新地行きが設定されていた。
- 全線開通後は新大阪方面に振り向けられるが、一部北新地行きも残されていた。
泉佐野駅[編集 | ソースを編集]
史実よりも早く高架化していれば[編集 | ソースを編集]
史実では、2005年11月に完成。
- 関西空港の開業までに高架化されていたかもしれない。
- 本来の計画ではそうなる予定であった。
- 駅周辺の整備も史実よりも進んでいた。
夢洲駅[編集 | ソースを編集]
万博会場の真下にホームができていたら[編集 | ソースを編集]
- 大阪・関西万博の東西両ゲート双方にアクセスできるようになっていた。
- それでも出口はゲートの外側になるようになっている。
- ホームが東ゲート寄りに作られていた場合、西ゲートへは動く歩道で結ばれていた。
- 入場者が東ゲートに殺到することはなかった。
- 東西両ゲートの入場者数の差も現実ほどではなかった。
- 将来できる予定のIRへは西改札からアクセスするようになっていた。
兵庫[編集 | ソースを編集]
三ノ宮駅[編集 | ソースを編集]
移転しなかったら[編集 | ソースを編集]
もともとJR三ノ宮駅は元町駅付近にあったそうですが
- 現実の三ノ宮駅は生田駅になっていた。
- 現実の三ノ宮駅にある施設は元町駅付近に集まっていた。
- 元町商店街や南京町が再開発に飲み込まれたかも。
- モトコーはもっとおしゃれな商店街になっていた。
- 阪急も乗り入れていた。
- 代わりに花隈駅はなかった。
- そごうと大丸と阪急百貨店の競争が激化する。
神戸三宮駅(阪急電鉄)[編集 | ソースを編集]
震災で駅ビルが損傷しなかったら[編集 | ソースを編集]
地下駅だったら[編集 | ソースを編集]
計画当初は地下駅とする案もありました。
- 神戸線は西灘駅を過ぎると一気に地下に潜っていた。
- 春日野道駅も地下駅となっている。
- 1985年に神戸市営地下鉄西神・山手線が開通すると阪急線との間に連絡線が設置され、相互乗り入れが行われていた。
- 神戸市交通局の車両は当初から阪急乗り入れ対応になっている。
- 阪急とJRが高架線で並行する姿は見られなかった。
- 神戸高速鉄道東西線の阪急側の線路にも元町駅が設置されていた。
- 代わりに花隈駅は設置されなかった。
- 運賃は阪神との対抗上、阪急側から元町駅まで乗った際も神戸高速鉄道の運賃は加算されず、阪急線内として扱われる。
御影駅(阪神電鉄)[編集 | ソースを編集]
石屋川駅と統合されていたら[編集 | ソースを編集]
- 統合駅の駅名は「御影」あるいは「御影石屋川」になっていた。
- 名目上は御影駅の移転、石屋川駅の廃止となっている。
- 後者の場合、阪急御影駅と駅名が区別されていた。
- 現実の御影留置線の場所に駅が移転していた。
- 現実の御影駅の方が逆に留置線となっていた。
- カーブ上のホームではなくなるので、安全性は向上していた。
- 近鉄車両の停車も可能になるので、快速急行も停車していた。
- 統合の時期によってはホームが近鉄8両対応になっていた。
- 「御影クラッセ」はなかったかも。
姫路駅(山陽本線・播但線・姫新線)[編集 | ソースを編集]
史実より早く高架化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実では、2008年12月に高架化が完成した。
- 早くても、1970年代~1980年代に着工し、1980年代~1990年代に完成した。
- 姫路貨物駅の開設も史実より早まっていた。
- 東姫路駅の開業が史実よりも早まっていた。
- 姫路~英賀保間に「手柄山公園駅」が開業していた。
- 完成時期によっては、阪神淡路大震災の被害を受けていた。
春日野道駅(阪神電鉄)[編集 | ソースを編集]
開業時から相対式ホーム2面2線を有する地下駅になっていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、開業時は島式ホーム1面2線の地下駅だったが、2004年に改良工事で相対式ホーム2面2線の地下駅になりました。
- マスコミで「日本一危ない駅」や「日本一怖い駅」として、取り上げられることはなかった。
- 通過電車が減速することはなかったので、ダイヤ編成上のネックになることはなかった。
- 西元町駅or花隈駅と似たような構造になっていた。
- 上下線の間にある旧ホーム跡はなかった。
改良工事が行われていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 2009年3月以降は近鉄の20m級車両があの狭いホームをゆっくりと通過していた。
- 相変わらずダイヤ上のネックになっている。
- ネット社会になり、デジカメやスマホの普及率が上がると撮影する人が増えていた。
- ネットニュースで取り上げられる機会も増えていた。
- 鉄道系Youtuberの格好の取材対象となっていた。
- 「ナニコレ珍百景」に間違いなく取り上げられていた。
西宮北口駅[編集 | ソースを編集]
平面交差が存在しなかったら[編集 | ソースを編集]
1926年12月の今津線全通から1984年3月の同線分断まで阪急神戸線の西宮北口駅に存在した平面交差(ダイヤモンドクロッシング)。今日まで鉄道ファンの間で語られているものですが、もしこれが存在しなかったら?
- 全般
- 戦前の大阪梅田・神戸三宮間特急は当駅に停車せず、完全なノンストップ運転になるか、代わりに十三に停車していた。
- その場合、西宮市は史実ほど発展していなかった。
- 神戸線の10連運転開始の時期が早まっていた。
- 神戸線と今津線が立体交差になっていた場合
- 今日に至るまで、今津線の運転系統は分割されない。当然、全区間6両編成。
- もちろん、全区間で車掌が乗務している。
- 現在今津南線と共通になっている甲陽線の車両は伊丹線と共通の扱いになっていた。
- おそらくこの世界でも今津駅は高架化されるが、もちろんホームの有効長は6両分である(もしかしたら8両分?)。
- 西宮北口駅は秋葉原駅や鶴橋駅、京橋駅などに匹敵する複雑な構造の駅になる。
- 明大前駅や下北沢駅、自由が丘駅などのような構造もありえた。
- 本線を連絡線がまたぐ形になりダイヤの支障となるため、神戸線と今津線の直通運転は行われない。
- よって仁川の臨時ホームはない。
- むしろ本線と連絡線が立体交差になってダイヤの支障が少なくなるので現実以上に直通運転が盛んに行われていた。
- 場合によっては近鉄大和八木駅の大阪線と橿原線の連絡線のような大規模なものが新設されていた。
- 今津線は西宮北口駅でスイッチバックしていた場合もある。
- 小田急藤沢みたいなのか。
- 有川浩の「阪急電車」が西宮北口駅より北の駅のみを舞台とすることはなかった。
- 当然阪神国道・今津両駅も登場。
- タイトルも「阪急電車 片道20分の奇跡」となっていた。
- 今津駅で接続する阪神電車や阪神タイガースファンも劇中に登場していた。
- 今津線が当初より西宮北口を境に運転系統が分断されていた場合
- 宝塚・西宮北口間は西宝線、西宮北口・今津間は今津線となる。
- 実際の開業時のように、西宝線のホームは神戸線の三宮方面を向いたままとなり、梅田・宝塚ではなく三宮・宝塚の直通運転が実施された。
- 当駅のデルタ線は今日まで残っている。
- 今津線は長らく単行運転で、阪神国道や今津に6両編成のホームが設けられることは無く、甲陽線や現状と同じように3両編成が歴代の最長となる。
- 今津線は単線で建設されていたかもしれない。
- 今津線の西宮北口・今津間が開業しなかった場合
- 路線名はやはり西宝線のまま。
- 上と同じように、三宮から宝塚への直通電車が設定され、デルタ線も残る。
- 阪神西宮駅と西宮北口駅を結ぶバスが早い段階で設定された。
- 現実の今津駅は無く、阪神本線の久寿川駅が今津駅として現在も存在する。
- かんべむさしの「決戦・日本シリーズ」は存在しなかった。
- あるいは神戸高速鉄道を使用していた。
- 当然阪神の快速急行が今津に停車することもなかった。
- 神戸線が西宮北口で分断されていた場合
- 逆に今津線が繋がっていて、神戸線が分断された場合。まずありえないけど。
- 西側は今津線の北側に直通していた。
- 三宮-宝塚間で一本の運用を行っていた。
- そもそも神戸線の名前が存続したかも怪しい。
- 阪神間は史実以上にJRが圧倒的なシェアを誇っていた。
- 神戸線の西宮北口以西が開業しなかった場合
- むしろこっちの方があり得た。
- 阪神本線は大正時代に複々線となっていた。
- 現実の神戸線西宮北口以東は「阪急西宮線」となっていた。
- 梅田から宝塚方面へは所要時間が短い西宮北口経由がメインとなり、現実の宝塚線は能勢電鉄直通をメインにしていた。
- 甲陽園線は阪神の路線。
- 芦屋市と東灘区は史実ほど発展していなかった。
- 阪神間は史実以上にJRが圧倒的なシェアを誇っていた。
- 神戸線と今津線でX字状に平面交差していた場合
- 京都線の淡路駅や近鉄大和西大寺駅と同様の構造をした平面交差駅になっていた。
- 大和西大寺駅と同様車庫があるのでダイヤ上のネックになっている。
- 神戸線では遅延が常態化する。
- 今津線経由で梅田~宝塚を直通する電車が終日運転されている。
- もちろん西宮北口駅にも停車する。
- 神戸線のホームを10両分に延伸する際は今津線を分断せずに行われた可能性もある。
- 行く行くは淡路駅と同様2階建てで高架化される。
今津駅[編集 | ソースを編集]
高架化後も阪急のホームが阪神と平行に設置されていたら[編集 | ソースを編集]
実際には高架化で阪急と阪神のホームは逆T字接続になりました。
- 阪急と阪神の大阪方面ホームは同一平面で乗り換えられるようになり、明らかに利便性が高くなっていた。
- 当初は両者の間に連絡改札口が設置されるものの、阪急阪神の経営統合で撤去されていたかもしれない。
- ここで阪急と阪神・山陽・近鉄が同一ホームに並ぶ姿も見られるようになっていた。
- 阪急の今津駅手前の単線区間は高架化後も存在していた。
- 但し急カーブは緩和されていただろう。
奈良[編集 | ソースを編集]
北宇智駅[編集 | ソースを編集]
電化時点でスイッチバックが解消されていたら[編集 | ソースを編集]
- 「近畿の駅百選」に選ばれなかった。
- その後も交換駅だった可能性は低い。