もし奈良・平安時代が○○だったら
(もし菅原道真が左遷されなかったらから転送)
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奈良時代[編集 | ソースを編集]
平城京から長岡京や平安京への遷都がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 明治維新で東京に遷都されるまで奈良が首都として君臨する。
- 京都に遷都されるんじゃない?
- 平安時代は存在せず、南北朝時代が始まるまで奈良時代となっていた。
- 鎌倉時代は?
- 室町幕府も誕生せず、代わりに秋篠幕府が誕生していた。
- 現在に至るまで京都市より奈良市の方が発展していた。
- 京阪神地域でなく良阪神地域となる。
- それでも京都>神戸だと思われる。よって京阪奈地域。
- 大和郡山市のエリアは奈良府奈良市郡山区に。
- 現実の伏見みたいな立場になっている。
- 修学旅行では奈良と大阪がセットにされる。
- 京阪神地域でなく良阪神地域となる。
- 東海道本線は東京~名古屋~奈良~大阪~神戸を結ぶ路線となっていた。
- 当然東海道新幹線も奈良経由。
- 山陰本線は現実の奈良線の分だけ長くなる。
- 京都鉄道や奈良鉄道という社名はなかった。
- 「JR奈良線」は東海道本線奈良〜大阪間の愛称に用いられる。
- 大阪~京都~敦賀間は北陸本線となっていた。
- 京都~敦賀間は当初から湖西線のルートになっていた。
- 大津駅は現実の大津京駅の場所にある。
- 長岡京駅は神足駅のまま。
- 京都~敦賀間は当初から湖西線のルートになっていた。
- 特急「はるか」は阪和貨物線経由奈良発着となっていた。
- 亀山あたりまで運転していたかも。
- 大阪駅そのものが現実より南寄りに設置される。
- 阪奈間には東海道本線・近鉄奈良線のほかにもう1本の鉄道が建設されていた。
- その路線は大阪~四条畷~生駒~奈良を結んでいる。
- 京都は「葛野」と呼ばれる一地方都市に。
- 現実と比較すると京都と奈良の地位が逆転していた。
- 個人的には「奈良→京都、京都→神戸、神戸→奈良」なんだが。
- 現実と比較すると京都と奈良の地位が逆転していた。
- 当然滋賀県は田舎のまま。
- 近江と山城で「葛野県」となっていた。
- 後者は山背のままだろ。
- 近江と山城で「葛野県」となっていた。
- 滋賀県より三重県の方が発展していた。
- 三重県は日本一の人口増加率を記録する。
- 応仁の乱は奈良が舞台。
- そごうが長屋王邸宅跡を破壊する事など出来なかった。
- ただでさえ大仏商法で怠ける県民なのに更に働かなくなる。
- 国道1号線は亀山から鈴鹿峠を越えず、伊賀上野~木津経由のルートで大阪に向かっていた。
- 名神高速道路も同じルートをとっていた。
- 木津川市と相楽郡は京都府ではなく奈良県となっていた。
- 奈良仏教の勢力が史実より強かった。
- 南朝は十津川村あたりにできていたかも。
長岡京遷都が無事完了していたら[編集 | ソースを編集]
- 平安時代ではなく「長岡時代」になる。
- 藤原北家ではなく式家が摂政・関白になる。
- もっとも、薬子の変は普通に起きていたかもしれない。その場合は北家の台頭は変わらず。
- 神戸は港町ではなく皇居が在った都になっていた。
- それって福原京では?
- 京都市が全体的に西へ移動。
- 伏見市と山科市がある。
- 大津市がもうちょっと自立した存在になる。
- でも人口は今より少ない。
- 高槻市は、ほとんど京都市の一部だと思われている。
- 京都府と大阪府との境界線が史実より西にずれる。
- 納涼床が鴨川ではなく桂川に作られる。
- 向日市・大山崎町は存在しない。
- 長岡京市もなくなる。(長岡京≒京都になるため)
- いやこちらが「長岡市」を名乗った。
- むしろ京都市を名乗っていた。
- 現実の京都市は葛野市とかかな?
- 嵐山の観光地としての地位が更に高まる。
- 逆に比叡山の地位が下がっていた。
- 阪急京都線が京阪間のメインルートになる。
- そのまま嵐山が終点。現実の桂~河原町は存在しない。
- むしろその区間は京津線の一部になる。
- そのまま嵐山が終点。現実の桂~河原町は存在しない。
- 山陰本線が保津峡ではなく老ノ坂峠を越えるルートになる。
- 当然、愛称も嵯峨野線ではなく、大枝山線か亀岡線になる。
- 亀岡市は大阪のベッドタウンという性格が強くなっていた。
- 「平安~」という名前のものが全て「長岡~」になる。
- 新潟の長岡は「越後長岡市」を名乗る事に。
- 京阪本線は八幡市から北上して長岡京に向かっていた。
- 現実のJR奈良線は六地蔵辺りから大津へ向かう路線となった。
- 片町線の大住から長岡京方面へ分岐し、長岡京~奈良を結んでいた。
- 近鉄京都線は寺田辺りから長岡京へ向かっていた。
- 京都総合運転所の位置が変わっていた。
- 淀は京街道の宿場町にならなかった。
- 伏見も現実よりは発展していない。
- 八幡天皇が存在したかも。
- 伏見も現実よりは発展していない。
- 明智光秀が山崎以外の場所に布陣した可能性がある。
- 平安高校は存在しないか違う校名を名乗っていた。
道鏡が天皇に即位していたら[編集 | ソースを編集]
- 和気清麻呂や和気広虫という名前は徹底的に記録から消され、それぞれ別部穢麻呂、別部広虫売が最初から本名としか後世に伝わらなかった。
- 逆に「道鏡を天皇にすべし」という神託を伝えていたら和気氏は現在も系統が明確に続くほど繁栄していた。
- 称徳天皇は皇位継承の際に他の皇族のみならず、藤原仲麻呂の事もあって藤原氏も警戒して断絶させるほど粛清していた。
- スターリンは「ソ連の称徳天皇」と日本で言われるようになっていた。
- 吉備真備の世の中になっていた。
- 称徳天皇死後に内乱が発生し道鏡は討たれていただろう。
- 道鏡が天皇として平穏に天寿を全うしていたら宇佐神宮は奈良京都の神社仏閣や伊勢神宮を凌ぐほど史実以上に繁栄していた。
- 日本で一番最初に世界遺産登録されていた。
平安時代[編集 | ソースを編集]
菅原道真が左遷されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 「天満宮」「天神」は存在しない。
- 受験生はどこへお参りに行ったらいいのやら。
- オモイカネ神に祈願しよう。お参りは秩父神社へ。
- 「通りゃんせ」は?
- もちろん大阪の「天神祭」も存在しなかった。
- 受験生はどこへお参りに行ったらいいのやら。
- 藤原時平が雷様として祀られている。
- 太宰府市は大宰府を復元して観光資源にする。
- 市名も大宰府市になっていたかもしれない。
- 今でも、ひらがなは正しい日本語として認められない。
- 尾崎商事の商品が「オザキ学生服」になる。
- 太宰府名物の梅ヶ枝餅も存在しないだろう。
- 藤原北家の勢力拡大が一時的に止まった。
- 西鉄太宰府線は建設されなかった。
平安京が荒廃しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 現在の京都市の道路は今よりも広くなる。
- 京都市電は廃止されなかったかもしれない。
- いまでも大内裏が残っている。
- しかし維持費がシャレにならないうえに、内裏の一部と朝堂院がたまに儀式に使われるぐらいなので経費削減の対象になる。
- 平安神宮は存在せず。
- 朱雀大路が今なお京都の中央路。
- 京都駅は現実の梅小路貨物駅の辺りに。
- 「羅生門」が書かれることは無かった。
- 現在の政令指定都市としての区割りは中心部の「右京区」「左京区」と郊外の「東山区」「南区」…という形になっていた。
- 西寺も現存し、世界遺産になっている。
- 右京の完成は11世紀以降にずれ込んでいた。
平将門の乱が成功していたら[編集 | ソースを編集]
- 将門塚ができない。
- 奥州藤原氏や伊勢平氏は存在しなかった可能性がある。
- 現実の茨城県西部は鉄道がもっと充実していた。
- 日本全体を支配
- 同時期に反乱を起こした藤原純友が京都を陥落させ、藤原政権は崩壊。
- 将門は「新皇」を名乗り純友と共闘して関東(現在のつくば市近郊)で武家政権を成立させる。
- そのまま藤原純友との闘争に突入していた可能性もある。
- 以降、日本でも数百年ごとに王朝が変わることになった。
- ということは、皇室の万世一系という考えは存在しないことになる。
- 将門も皇室の血を引いていたのだから、史実の南朝と北朝の違い程度だよ。
- 当然靖国は存在しなかった。伊勢神宮のような極右カルト養成神社は千年前に破壊されていただろう。
- 史実の靖国神社の敷地は全部築土神社になっていた。
- 神田明神は東京ドームより広い日本最大の神社になっていたので、秋葉原は電気街ではなく宗教街になっていた。
- 朝廷と並立
- 東国のみで、新政権を樹立。
- 東日本と西日本は別の国として歩んで行くことになる。
- だが、特に戦乱の時代などは、それぞれ強い影響を及ぼし合う。
- イングランドとスコットランド、ポルトガルとスペインのような関係になる。
- 東日本の首都は東京、西日本の首都は京都あるいは大阪となっている。
- だが、特に戦乱の時代などは、それぞれ強い影響を及ぼし合う。
- 現代では、東と西で言語に大きな差が生じている。
- 東海道新幹線が建設されることはなかったかも。
- 国際列車として運行されていたかもしれない。
- 東西日本に分かれたままそれぞれ独自に近代化を成し遂げた場合、第二次世界大戦後に東日本は共産圏に入っていたかも。
- 民のために戦った将門公の末裔なら、WW2でも、韓国や中国の市井の人々と連帯し連合国側について参戦し日帝と戦ったかもしれない。
- 当然、ヒロヒトは死刑になっていた。
もし保元の乱で崇徳上皇側が勝利していたら[編集 | ソースを編集]
- 崇徳上皇が勝利した場合、後白河天皇は廃位されるが、地方に流罪はなかったはずなので日本最大の怨霊は生まれなかった。
- 崇徳の第一王子・重仁親王が第78代天皇に即位した。
- 鳥羽上皇と対立していた崇徳が勝ったら、正史では後に八条院領になる鳥羽上皇の荘園群を崇徳が得て日本史が大きく変わった可能性も
福原遷都が成功していたら[編集 | ソースを編集]
平清盛は都を福原(現在の神戸市)に遷すことをもくろんでいました。音戸の瀬戸の開鑿や、厳島神社の保護などと併せ、瀬戸内海を使った海外交易を重視していたのだと言われていますが、もしこの時に都が京都から福原に遷っていたら?
- 京都よりも地形的に守りやすいので、木曽義仲を撃退する。
- 義経のようなムチャクチャをやるヤツが居ない限りは、側面や背後を衝かれる心配はない。
- 首都としてきちんと防衛整備が済んでいれば、義経の奇襲攻撃にも耐え、頼朝の派遣軍も撃退する。
- 結果、平氏は滅亡しない。源氏方とのにらみ合いが続く状態になるかも。
- 清盛の没後数十年経って京都に戻った可能性も。
- 明治維新の時、史実よりも東京遷都に抵抗がなかったかも。
- 海に面している神戸だと、外国の脅威の感じ方が京都の比ではない。
- そもそも日米修好通商条約で兵庫が開港地になっていない。
- 海に面している神戸だと、外国の脅威の感じ方が京都の比ではない。
- 「福原御所」が残っているので、福原は現在のような歓楽街にはならなかった。
- 京都市は現実ほどには発展せず、現実の奈良市と同規模の都市となっていた。
- もちろん政令指定都市にはならなかった。
- 東京に次ぐ地位の帝国大学は神戸に置かれた。
- 東海道新幹線の名古屋―新大阪間は米原・京都経由ではなく亀山・奈良経由となっていた可能性もある。
- 西日本の中心都市は大阪市ではなく神戸市になっていた。
- 東海道新幹線と山陽新幹線の境界は新大阪駅ではなく新神戸駅となっていた。
- ただ現実の新神戸駅の場所はトンネルに挟まれていて土地がないので、ポートアイランドに新神戸駅ができるか新幹線が三ノ宮駅に乗り入れていた可能性もある。
- 阪神なんば線も1970年代までに開業し、近鉄の「アーバンライナー」も当初から阪神三宮発着となっていた。
- ただ阪神・淡路大震災の被害は現実より大きかった。
- 死者は間違いなく1万人を越えていた。
- 大阪市は史実の京都市とほぼ同規模な都市になっていた。
- 京阪電気鉄道は準大手私鉄どまりだった。
- 1970年の万博は福原、ポートピア'81は大阪南港で開催。
- 1990年の花博は布引で開催されていた。
- 姫路市は政令指定都市となっていた。
- 山陽電鉄は大手私鉄となり、岡山への延伸も実現していたかもしれない。
- 岡山県は近畿地方として扱われ、関西への傾斜をさらに強めていた。
- 逆に三重県は完全に東海地方の扱いとなっている。
- 滋賀県も現実ほど人口が増加せず湖東は東海、湖北・湖西は北陸志向が強かった。
- 逆に三重県は完全に東海地方の扱いとなっている。
- 岡山県は近畿地方として扱われ、関西への傾斜をさらに強めていた。
- 山陽電鉄は大手私鉄となり、岡山への延伸も実現していたかもしれない。
- 新開地は今でも衰退せず、三宮と並ぶ神戸を代表する繁華街となっていた。
- 神戸電鉄は大手私鉄の一角を占めていた。三田線・粟生線ともに複線化は既に完了済みで、粟生線の存廃論議もなかった。
- 明石海峡大橋は史実より早く開通し、無理をしてでも鉄道道路併用橋となっていた。
- 場合によっては瀬戸大橋より早く開通していた。
- 本四連絡のメインルートは最初から神戸鳴門ルートだった。
- 関西国際空港は神戸沖あるいは淡路島に建設されていた。
- 神戸空港が関西国際空港になっていた。
- 伊丹空港は史実通りの場所にあったとしても正式名称が違った。
- 四国の中心は高松市や松山市ではなく神戸に近い徳島市となっていた。
- JR四国の本社も徳島に置かれていた。
- 豊臣秀吉も福原(神戸)に本拠地を置いていた
- 本能寺が福原にあったとすれば中国大返しのスケールは小さくなる。
- 「神戸」「兵庫」は小地域の地名のままだった。
- 戦国時代に福原は、織田、毛利、本願寺との三つ巴の戦いになり市内は度々焦土と化していた
- 修学旅行で神戸を行き先とする学校が増えていた。
- 明石は市制施行以前に神戸市に吸収合併され、「神戸市明石区」となっていた。
- 湊川の戦いは起こらなかった。
- 代わりに加古川辺りが決戦場になっていた。
平氏が源氏に勝っていたら[編集 | ソースを編集]
- 武家政権は樹立せず、太政大臣が政権の長に。
- ますます「平氏にあらずんば人にあらず」。
- 藤原氏も五摂家も蹴散らされ・・・
- 光GENJIの代わりに平家派が大人気になり反町隆史が「ソッくん」としてアイドルの道を突き進む。
- HEIKE派に。
- 光HEIKEと源氏派になる。
- 平家みちよはもっと人気が出ていた。
- 皇族は安徳天皇の系統が代々続く。
- Leafの「Routes」は発売されなかった。
- 戦前の貴族院は半数以上が平○○議員で占められる。
- 近衛文麿も首相になってなかったかも・・・
- ヘイケガニがゲンジガニに。
- ヘイケボタルとゲンジボタルが逆に。
- 平氏と奥州藤原氏の間で日本一決定戦が行われる。
- 源氏は基本的に身内に冷たいので、一族の誰かが成り上がったらみんながそれにへばりついてゆくという大陸・半島型の慣行がおこなわれなかった。その点、平氏は「平氏にあらずんば……」のセリフで明らかなように、成り上がった者が身内を引き立てるということが普通だった。平氏が勝っていたら、たぶん現代の日本も、大陸・半島的な血縁社会から脱せていなかったのではないかな。
- 現実以上に血縁が重視され日本の総理大臣は「天」平藤橘の子孫しかなれない。豊臣秀吉も徳川家康も天下を取れず?
- 神戸が現実よりも発展していた。
- NHKの大河ドラマ「平清盛」の視聴率がもっと高かったかもしれない。
- 武家政権のあり方が大きく変わっていたのは間違いないが、ぶっちゃけその後の展開は史実とそんなに変わらないかも。
- 「平家物語」は藤原氏における「栄花物語」のように合戦と平家の繁栄を書く物語だった。
- 史実の平家物語の源氏バージョンができる。(「源氏物語」だと紫式部と被るが)
- 「将門記」のように源氏が反旗を翻して鎮圧されるまでの顛末を書いたのみになる。
- 当然ながら、関東なんて見向きもされない。
- 明治以後の関東の繁栄はない。
- まず平家物語がなくなる。
- そして源頼朝が処刑される。
- 鎌倉幕府ができない。
- 足利氏もいないので室町もできない。
- 応仁の乱が起きない。
- てことは戦国時代も来ない。
- ただ、鉄砲がそのままやってきた場合戦国時代が来るかも。
- てことは戦国時代も来ない。
- 平氏が好きなように政治ができる。
- しかし平敦盛に政治力がない場合、別の武士月からを持つか、藤原氏と同じ末路に向かうか。
- そして建武の新政が成功する。
- (もし他の武士が力を持っていたら無理)
- 征夷大将軍がなんでもない職になる。
- 徳川も秀吉と同じことをする。
源頼朝・義経兄弟が平家に殺されていたら[編集 | ソースを編集]
源頼朝・義経兄弟は「平治の乱」で源氏敗北後に捕らえられたが前者は池禅尼の助命にいよって伊豆に流罪となり
後者は義経の母である常盤が清盛の妾となる事を条件に助命の許しを得た、仮に平家によって頼朝・義経兄弟が処刑されていたら
- 二人とも殺されていた場合
- 日本を統一するのは木曽義仲
- ただしココで平家に逃げられていたら日本は「東西朝時代」に突入する可能性もある
- (実史でも義経が京都陥落以前に戦死または壇ノ浦の戦いで手こずっていたら「東西朝時代」になる可能性があった)
- 幕府と言う概念が生まれないので義仲は藤原氏の様に天皇と血縁関係になろうとする事で権力を保持しようとする
- 鎌倉が寂れた農村になる。
- 奥州藤原氏が健在
- 東北の半独立が常態化する。
- 東西北の三国時代?
- 東北の半独立が常態化する。
- 弁慶がただの怪力坊主で終わる。
- 大江氏の子孫は武士にならなかった。
- 広島のJリーグクラブは別名称になる。
- 「義経号」なるSLやイベント列車が存在しなかった。
- 歌舞伎の判官物が成立しないため、それほど歌舞伎が盛り上がらなかった。
- 頼朝だけ殺されていた場合
- 源氏の棟梁として範頼が関東武士たちに担ぎ出される。
- 範頼は関東ではなく遠江に流されていたから、どうかなあ……
- 最近の研究では甲斐源氏もしくは下野の小山氏と深い関係が持っていたといわれている。そもそも範頼は平治の乱当時平家に認知されていなかった。
- 範頼が史実の頼朝のポジションになっているのを除けば、1185年の平家滅亡まではほぼ史実通りに進む。
- この場合、平家追討の総大将は誰になるだろうか。実史では範頼自身が総大将、義経は別働軍の指揮官という役柄だったが……
- 義経が総大将になっていた場合、配下の武将たちとの衝突が多くなって、かえって負けてしまったりして。
- 範頼自身が総大将になって乗り出せば、戦の経緯は実史どおりになっていたろうが、その後がカオス。実史の東国政権の樹立にあたっては、頼朝が関東から動かなかったことが大きな要因になっているので。
- この場合、平家追討の総大将は誰になるだろうか。実史では範頼自身が総大将、義経は別働軍の指揮官という役柄だったが……
- 頼朝と違って温厚な性格の範頼ならば、義経との確執が生まれる可能性は低い。
- 範頼が義経を東北に派遣、奥州藤原氏は戦わずして源氏に降伏、本領を安堵される。
- 義経が範頼から正式に後継者に指名されて後を継いだ場合、北条一族は史実ほど活躍できず、承久の乱も起こらない。
- 朝廷寄りの義経は東国武士団の反発を招き、やはり北条氏に乗っ取られている。
- 奥州藤原氏が義経側についた場合、北条氏と不仲な比企氏、畠山氏が義経側に寝返る可能性もある。そうなるとただでさえ団結力に乏しい東国武士団は完全に烏合の衆となり、容易く蹴散らされる。
- 範頼と北条氏の接点は無い。従って北条氏は源氏の縁戚になれず、伊豆の辺境の一御家人として盛衰するだけだろう。
- つまり上の記事は、「範頼が頼朝の代わりに蛭が小島に流されていて、頼朝の代わりに北条氏の娘と結婚していたら」というかなり都合の良すぎるイフの結果ですな。
- 朝廷寄りの義経は東国武士団の反発を招き、やはり北条氏に乗っ取られている。
- 範頼が後継者を決めないまま没した場合、範頼の子と義経の間で家督争いが勃発する可能性もある。
- 義経だけ殺されていた場合
- 義経がいないため、木曽義仲の力が強大化する。
- 頼朝が義仲討伐に失敗して戦死した場合、そのまま義仲が日本を統一。
- 義仲が史実通り滅ぼされた場合でも、源氏同士の争いを機に平家が再び勢力を盛り返し、「東西朝時代」に突入する可能性が高い。
- 東に「朝」はないので完全な独立国となる。その後の歴史はどうなることやら。
藤原泰衡が義経を裏切らなかったら[編集 | ソースを編集]
- 藤原家・義経連合軍と頼朝の全面戦争が勃発する。
- 藤原家・義経連合軍が勝利した場合、平泉幕府が出来ていたか。
- でも義経は朝廷に操られていたから平氏に習った政治を行うのでは。