もしJリーグの昇格・残留争いで○○だったら
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1997年のJFLで[編集 | ソースを編集]
川崎フロンターレが昇格していたら[編集 | ソースを編集]
川崎フロンターレはJリーグ準会員だった1997年、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)で2位東京ガスと勝ち点1差の3位に終わりJリーグ昇格を逃しました。もし2位以上になって翌年からJリーグに加わっていたら?
- 1998年のJリーグは19チームになってしまう。
- 順位ポイントが1年分しかないのでやっぱりJ1参入決定戦に回る事に。
- ただし対戦の組み合わせは異なっていた可能性あり。
- 当時川崎をホームタウンにしていたヴェルディとの「川崎ダービー」が2年早く実現していた(現実では2000年に1年限りの開催)
コンサドーレ札幌が昇格していなかったら[編集 | ソースを編集]
Jリーグ準会員だったコンサドーレ札幌は1997年ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)で1位となり、Jリーグ昇格を達成しました。もし2位以上に入らずJリーグ昇格を逃していたら?
- クラブの大型補強が大々的に非難されていた。
- フロンターレがJリーグに昇格していた。
- 岡ちゃんの監督就任はなかったかも知れない。
大分トリニータが1999年にJ1に昇格していたら[編集 | ソースを編集]
FC東京との昇格争いで勝てば昇格決定であり、最終局では終盤まで1-0でリードしていたが、ロスタイムで相手にきめられ同点になり、延長戦に入るがゴールをきめる事ができずFC東京が昇格し、大分は昇格できませんでした。
もしも、あの時ロスタイムで相手がきめる事が出来ず、大分が昇格したら・・・
- 大分は早々とアビスパ福岡を超えて、九州を代表するチームになる。
- J1での九州ダービーが6年早く実現した。
- FC東京のファンは昇格できなかった事で、監督らに辞任を求める(終盤にとてつもない失速をしたため)。
- 後年の大熊清再任もない。
- もしかしたら、FC東京がこの頃の大分みたい(なかなか昇格できない)チームになってたかもしれない。
- 「東京初のJ1クラブ」の称号を独り占めできなかった。
- ツゥットは翌年もフロンターレでプレーした。
- 当然あの取扱説明書も存在しない。
- 降格するにしてももっとまともな成績を残せていた。
- 柏の監督就任まで吉田達磨の知名度は低かった。
浦和レッドダイヤモンズが2000年にJ1に昇格しなかったら[編集 | ソースを編集]
浦和レッズが1999年にJ2降格に降格し翌年J1に昇格したのはレッズサポならご存知だと思いますが
この時、大分との勝ち点は1で最終節のサガン鳥栖戦の延長前半5分に土橋正樹のVゴールでようやく勝利するという際どさでした。
仮にこの最終節のサガン戦でレッズが負けて翌年もJ2に残っていたら。
- 2年以上もJ2にいた事により人気も実力も弱体化
- 逆にサポーターはあきらめずに応援し続けていたと思うよ。
- 実質上、ホームを埼玉スタジアムへ本格的に移していたのは2005年以降となっていた。
- 少なくとも2005年最終節の年間優勝を巡る死闘はレッズは加われなかった
- 2006年の年間チャンピオンはガンバかフロンターレだと思う。
- J2クラブの経営が良くなった。
- 福田正博が「ミスターレッズ」と呼ばれることは無かった(福田が退団している可能性があっただろうから…)。
- 小野伸二は実史よりも早く海外へ移籍していた。
- 井原正巳の加入はなかった。
- 2002年以降に石崎信弘あたりが監督になり、そこでようやくJ1復帰となっていた。
- ただしそれ以降、浦和が史実通り強豪クラブになったかどうかは不明。
- その場合は川崎の歴史は大きく変わっており、それこそ今のようにJ1にいたかどうか不明。
2004年まで昇格出来なかったら[編集 | ソースを編集]
浦和レッズのメインスポンサーである三菱自動車は2004年のリコール隠し騒動の時に相当なダメージを受けています。史実では浦和が黒字経営だった事や前年にタイトルを獲得した事もあり三菱自動車はスポンサーを継続していましたが万が一撤退なんて事になったら
- 三菱自動車のイメージ悪化のシワ寄せがレッズにも到来し、観客動員数の大幅悪化は避けられなかった
- 史実より早く三菱重工・三菱自工共同出資の持ち株会社が設立され、その傘下に入っていた可能性もある。
- 浦和レッズは主力の大量流出、大幅な弱体化に繋がっていた
- 少なくとも後数年は昇格なんて夢のまた夢だった
- 史実の湘南ベルマーレのようになっていた
- 浦和レッズのユース希望者も激減する
- 史実の浦和レッズユースに入団した選手の何割かは大宮アルディージャのユースに入団しそこでプロデビューしていた選手も居た
- 史実で浦和がタイトルを獲得していた時期(03~07年)の三強と言えば鹿島・G大阪・川崎
- 流石に1回位は川崎もタイトルを獲得してたかも
- 未だにオリジナル10で無冠なのは広島ではなく浦和
アビスパ福岡が2001年にJ1に残留していたら[編集 | ソースを編集]
2001年のJ1はセレッソ大阪が最下位で早々とJ2降格が決まり、終盤は残り1枠に横浜F・マリノス、東京ヴェルディ1969、アビスパ福岡が絡む状況でしたが、福岡が年間15位で降格となりました。もし福岡が残留し、横浜FMか東京Vのいずれかが降格していたらどうなったか。
福岡は[編集 | ソースを編集]
- 「落ちない」伝説がもっと長続きした。
- 主力選手の一部放出はなかった。
- 三浦泰年は福岡で現役を終え、北九州ではなく福岡の監督に就任していたかも。
- 中払大介が残るので京都の天皇杯獲得がなくなる。
- それでも翌年に残留争いを強いられただろう。
- 勿論、ピッコリ監督は続投。
- 山下芳輝が「降格請負人」のレッテルを張られることはなかった。
- 大久保嘉人が2006年にセレッソが降格したときに、移籍してきた可能性があったかも。
東京Vが降格[編集 | ソースを編集]
- 東京移転初年度での降格ゆえ「川崎を去った天罰だ」と叩かれる。
- 主力の大量流出は確実。
- 相馬直樹をレンタルで獲得することはなかった。
- 2004年度の天皇杯で優勝できなかったかもしれない。
- もしかしたらこの時点でラモスが監督に就任していた可能性も。
- 最悪の場合、2002年以降J2暮らしが続いていた可能性もある。
横浜FMが降格[編集 | ソースを編集]
- リーグ年間優勝経験かつ同年のナビスコ杯優勝クラブが降格となるため、2005年の東京V以上に衝撃が大きかった。
- アンサイクロペディアのこの年のマリノス事が詳細に書かれていた
- 実際2012年に似たような事やらかしたガンバ大阪(前年順位3位→翌年降格)はアンサイクロペディアに2012年に事を詳細に書かれてる
- アンサイクロペディアのこの年のマリノス事が詳細に書かれていた
- 中村俊輔や川口能活の海外移籍が早まった。
- 中澤佑二、奥大介が移籍して来ることもなかった。
- 2003年からのJ1連覇もなかった。
- 岡田武史の監督就任も無かった…かもしれない。
ベガルタ仙台が2001年にJ1に昇格しなかったら[編集 | ソースを編集]
2001年のJ2は最終節時点でモンテディオ山形・ベガルタ仙台・大分トリニータの3チームに2位で昇格の可能性がありましたが、仙台が優勝決定済みの京都パープルサンガを後半終了間際の決勝点で破って昇格を果たしました。もし他の2チームどちらかが昇格していたら。
仙台は[編集 | ソースを編集]
- 最終節の試合が「西京極の奇跡」と呼ばれることはなかった。
- 岩本輝雄や財前宣之の退団が早まったかも。
- 清水秀彦も早くに監督を辞任していた。
- その後はしばらく僅差で昇格を逃し続け史実通り「待ってけさい」となってJ1初昇格は2000年代後半になっていた可能性も。
山形が昇格[編集 | ソースを編集]
- 仙台に代わり東北初のJ1クラブに。
- 大半の主力は残留していた。
- その後の財政状況も改善された。
- 秋春制導入がもっと本気で考えられていたかも。
- 逆に実現可能性がますます遠ざかるのでは?
- 柱谷幸一監督の×××××騒動はなかったか?
- 結局J1の厳しい戦いの前に苦戦し1年で再びJ2へ降格、となっていたか?
大分が昇格[編集 | ソースを編集]
- 2年続けて僅差で涙を飲んだだけに喜びも一入だった。
- 逆に東北のサポーターは落胆。
- その後仙台・山形両クラブが史実通りの成績だった場合、東北のJ1クラブ誕生は2009年の山形まで待つことになる。
- 逆に東北のサポーターは落胆。
- 翌年に九州からJ1クラブが消えることはなかった。
- 加地亮のFC東京移籍がなくなる。
- 船越優蔵も新潟に入らなかった。
ベガルタ仙台が03年にJ2に降格しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 他に応援するチームが無いので山形県を除くほぼ全ての東北地域でベガルタのサポーターが増えていた。
- この年に菅井直樹が加入したことと当時のモンテディオの状況を考えると、山形市近辺や山形中央高校関係者にもベガルタサポーターが増えていた可能性がある。
- 上手くいけば平均観客動員数が2万5000人近くにはなっていた。
- スタジアムのキャパを考えなさい。
- 福島県は福島市だけでなく郡山市や会津地方、いわき市周辺もベガルタの勢力圏に
- 岩手県南部もベガルタの勢力圏になっている
- だからと言って栃木県までは勢力圏にならなかった
- 栃木はほぼ全域が栃木SCの勢力圏になる。
- モンテディオ山形が更に地味な存在になっていた。
- 東北ダービーも無いので更に赤字が悪化していた。
- 事実仙台がJ1に居た当時、破綻の危機にあった。
- 現在、仙台はFC東京やアルビレックス新潟のようなポジションになっている。
- ユアスタが5万人入れるスタジアムに改築される。
- ユアスタが手狭になり、全試合を宮城スタジアムで行われるようになる。しかしそれでも満席になってしまい、いつしかチケットがプラチナ化されるようになる。
- もしJ1に定着することが出来て佐藤寿人も移籍することなく残留していた場合、2012年は広島ではなく仙台がリーグ優勝していた。
もし2003年の昇格チームが違っていたら[編集 | ソースを編集]
アルビレックス新潟、サンフレッチェ広島、川崎フロンターレの熾烈な昇格争いとなった2003年、43節・最終節まで昇格争いはもつれにもつれました。もし、この年の昇格チームが異なっていたら…
広島・川崎が昇格[編集 | ソースを編集]
川崎は最終節まで昇格の可能性を残していましたが、新潟の勝利により勝ち点1に泣いて昇格を逃しました。もし新潟が負け、川崎が昇格を決めていたら…
- 当然、石崎監督は辞任せずに続投。
- よって関塚の監督就任も無く、札幌の監督に就任していた。
- 中村憲剛のレギュラー定着は2~3年程度遅れていた。
- 少なくとも2004年シーズンは苦戦を強いられ、残留争いに巻き込まれていた。
- 翌年昇格した要因としては、マルクスなどの加入で攻撃陣に厚みが出来たから。
- 恐らく、2003年の戦力のまま行ったら確実に苦戦していた。
- 反町監督は指導者として名を残せないまま、早い段階で新潟の監督を辞任。
新潟・川崎が昇格[編集 | ソースを編集]
サンフレッチェ広島はこの3チーム中では得失点差が少なく(43節時点で新潟・川崎が+40、広島が+30)、もし43節に勝てていなかったら昇格はかなり厳しい状態でした。もし広島が昇格できていなかったら…
- 1年での復帰が出来なかったため、選手の流出は避けられなかっただろう。
- J2降格1年で仙台を去ったように佐藤寿人はこのチームを去ってJ1チームに移籍していたかもしれない。
- 佐藤寿人はまだこの年は広島にはいないぞ。
- スマン、勘違いしていた。
- いずれにせよ、佐藤寿人が広島へ移籍してくることは無かったかもしれない。
- 佐藤寿人はまだこの年は広島にはいないぞ。
- J2降格1年で仙台を去ったように佐藤寿人はこのチームを去ってJ1チームに移籍していたかもしれない。
- ミシャは広島の監督になっていなかった。
- オシムの代表監督就任後、ジェフの監督になっていたかもしれない。
東京ヴェルディが2005年にJ2に降格しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも観客動員数が巨人以上に悲惨な事になることもなかった
- スポンサー料も激減する事は無かった
- ワシントン含む大多数の主力が居残っていたら、年間優勝も狙えたかも知れない・・・
- ただしラモスが監督に就任しなかった場合限定
- 東京時代に年間優勝を手にしていたら上手くいけば観客動員数2万前後にはなっていた
- 当然ワシントンは浦和に加入しなかったので天皇杯の連覇や06年の年間優勝もなかったかも知れない
- 浦和の代わりに天皇杯は清水エスパルスかガンバが、年間優勝はガンバかフロンターレが獲得していたかも知れない
- もちろん2006年のACLはJ1所属チームとして参戦する。
- 2023〜24年シーズンにJ2クラブとして出場したヴァンフォーレ甲府が現実以上に騒がれていた。
ジェフユナイテッド市原・千葉が2008年以前にJ2に降格していたら[編集 | ソースを編集]
2000年までに降格したら[編集 | ソースを編集]
- 千葉への実質移転はなかった。
- オシムは来なかった。
- 阿部勇樹は史実より早く移籍していた。
- 祖母井氏がフランスへ行くこともなかった。
- 岡ちゃんはコンサでなくジェフの監督に就任していた。
- 観客動員も低迷していたので、現実の湘南のようにそのままJ2暮らしが現在まで続く。
2008年に降格したら[編集 | ソースを編集]
- 古河の撤退もありえた。
- 間違いなく、ジェフの主力選手の流出は2008年シーズン前よりもかなり悲惨なことに…。
- その結果、アビスパ福岡みたいに何年も昇格できない事態に陥る。
- 巻誠一郎、坂本將貴、エディ・ボスナーも間違いなくJ1クラブへ移籍。
- ボスナーはともかく、巻と坂本はどうだろう?
- 大迫勇也は鹿島アントラーズ入団年にフクアリでの試合を経験しなかった。
- 2021年の代表戦前練習で「前やったんだよな」と述懐することもなかった。
2008年のJ1・J2入れ替え戦の結果が逆になっていたら[編集 | ソースを編集]
ジュビロ磐田は2008年のリーグ戦で16位に終わり、J2で3位だったベガルタ仙台との入れ替え戦に勝利しなんとかJ1残留を果たしました。もしこの入れ替え戦の結果が逆(磐田降格・仙台昇格)になっていたら…
磐田は[編集 | ソースを編集]
- ヴェルディに次ぐ年間チャンピオン経験クラブのJ2降格、ということで衝撃は大きかったと思う。
- 川口能活・前田遼一・駒野友一といった選手は他クラブへと移籍していた。
- 翌年J2で3位以内に入って1年でJ1に復帰したとは思うが、その後2010年のナビスコカップ優勝があったかどうかは微妙。
仙台は[編集 | ソースを編集]
- 翌年のJ1では残留争いに巻き込まれ下手したら1年で再び降格、となっていた可能性も。
- 山形とのJ1での「みちのくダービー」が1年早く実現していた。
セレッソ大阪が入れ替え戦に出場していたら[編集 | ソースを編集]
もし2008年のJ1・J2入れ替え戦のJ2側がセレッソ大阪だったら…
- ジュビロに余裕で勝って昇格を果たした。
- ジュビロは2009年頃から低迷が続いた。
2010年に大宮がJ2に降格していたら[編集 | ソースを編集]
大宮アルディージャはこの年、観客動員の水増しが発覚し、最悪勝ち点剥奪による降格もありえましたが、結局制裁金の支払いだけで済みました。もし大宮が勝ち点を剥奪され、降格していたら?
- 命拾いしたFC東京のサポーターが悪意に満ちた「ありがとう大宮コール」をする。
- 当然某GKの「浦和に期待した僕が(以下略)」などと言う言葉は生まれなかった。
- 「Nack5スタジアム」という名称は無くなっていた。
- 多少の戦力流出は避けられないが、クラブの経営規模を考えれば1年でJ1に復帰できた可能性は高そう。
2011年のJ2降格チームが違っていたら[編集 | ソースを編集]
2011年のJ1は優勝争いの最有力だった浦和レッズの想定外の大不振、川崎フロンターレの夏場の大失速などで残留争いは最終盤まで大混戦となりました。史実ではヴァンフォーレ甲府、モンテディオ山形、アビスパ福岡の3チームが降格しましたが、もし降格したチームが史実と異なっていたら…
川崎が降格[編集 | ソースを編集]
2011年シーズン、川崎フロンターレは相馬直樹を監督に迎えてシーズン当初は優勝争いに加わるほどの快進撃を見せましたが、後半戦に入って8連敗を喫するなどで残留争いに巻き込まれました。辛くも残留しましたが、下手したら降格もあり得た状況でした。もし8連敗だけでは済まなかった、または連敗脱出後もなかなか勝てない状況が続いてJ2へ降格していたら…
- 相馬監督はシーズン終了まで指揮は獲るも、1年で解任。
- 少なくとも相馬監督の解任は史実よりも早まっていたことは想像に難くない。
- 城福浩は甲府の監督ではなく、川崎の監督に就任していた(事実上、富士通時代から16年ぶりの復帰)。
- または風間八宏が2012年シーズン開幕から監督に就任していた。
- 稲本潤一などの主力選手の移籍は避けられなかった。
- 伊藤宏樹、中村憲剛はおそらく残留していたと思うが、ジュニーニョは史実通り。
- 等々力陸上競技場の改装は凍結されたか、白紙撤回されていた可能性も。
- ジェシとレナトが川崎へ来ることは無かった。
浦和が降格[編集 | ソースを編集]
2011年シーズン、浦和レッズは予想外の大不振に陥るも15位で何とかギリギリでJ1残留、という結果で終わりました。もしこれがJ2降格、という結末になっていたら…
- おそらく降格決定時にはサポーターが暴動を起こしていた可能性あり。
- 2012年にミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任することはなかった。
- もし「J2でも構わん」とミシャが来たら、柏みたいに復帰1年目での優勝もあり得たかも。
- その後はどうなっていたかはともかく、ミシャ本人は広島時代もJ2で監督経験があるだけにあまり抵抗はないかも知れない。
- 満を持しての福田正博…があったかも。
- もし「J2でも構わん」とミシャが来たら、柏みたいに復帰1年目での優勝もあり得たかも。
- 柏木陽介、マルシオリシャルデスあたりの主力選手の何人かは移籍していた。
- 当然阿部勇樹の復帰、槙野智章の加入もなかった。
- 1999年に降格したときの例から行けば、2012年はJ1クラブの年間収入が軒並み減っていた。
- もともと予算の厳しい札幌はもとより、この時すでに2年連続で赤字だったマリノスは更に悲惨な状況になっていた可能性も。
- 逆にJ2のクラブは浦和サポが大量に来ることにより収入が増えていた。
- 33節までの結果が史実通りなら八百長が疑われる。
- 場合によっては意外とJ2で苦戦→1年でJ1復帰果たせず、となっていた可能性もありそう。
- 戦力的に行けばFC東京や柏のように優勝してあっさりと復帰、の可能性は高かっただろうが2位に以内に入れずプレーオフへ、となっていたら怪しかったかも知れない。
- J2へ降格させた監督、ということで浦和サポの間で「ペ」の存在が史実以上に×××××になっていたのは間違いない。
共通して言えること[編集 | ソースを編集]
- モンテディオ山形が残留していた場合、前田遼一の「初ゴールの相手は必ず降格」のジンクスは崩れ去っていた。
- (=甲府がJ1残留、ということで)ハーフナーマイクは海外移籍せず2012年も甲府でプレーしていたかも。
2012年のJ1残留チームが違っていたら[編集 | ソースを編集]
2012年のJ1はコンサドーレ札幌が最下位で早々とJ2降格が決まりましたが、残る2枠は最終節までセレッソ大阪、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、アルビレックス新潟の4チームに可能性が残る大混戦となりました。もし残留チームが史実と異なっていたら…
- いずれにせよG大阪が残留したらジュビロ磐田の前田は注目される存在ではなかった。
- 西野監督を切ったチームが落ちたということも言われなかった。
- 「得失点差プラスで降格」という不名誉も免れた。
- G大阪は同年の天皇杯で優勝していたかも。
- 松波正信は翌年も監督続投していた。
- 当然、長谷川健太は監督に就任していなかった。
- 同じ降格組の神戸あたりの監督になっていたかも。
- 中澤聡太も川崎へ移籍せず、残留していた可能性が高かった。
- 当然、長谷川健太は監督に就任していなかった。
- ただここでJ1残留していたら2014年の3冠獲得があったかどうか?と言われると…(ガンバにとってもJ2降格によってクラブ全体が生まれ変わるきっかけになった、という部分は大きいと思うので)
- 東北電力は2012年限りで新潟スタジアムのネーミングライツを降りただろう。(史実では2013年末まで延長)
- J1で雪国のチームが比較的少ない東北太平洋側の仙台だけになるので、秋春制の議論が一気に加速したかもしれない。
- C大阪・G大阪が残留だった場合、大阪の奇跡という名前が付いていたかも。
- 逆にC大阪・G大阪が共に降格の場合、在阪サポーター自体の嘆きは果てしないものとなっていた。
- 前田遼一の「初ゴールの相手は必ず降格」のジンクスは崩れ去っていた。
- 残留チームが「セレッソとヴィッセル」もしくは「ヴィッセルとアルビレックス」の場合は史実通り。
- C大阪が降格していた場合2013年の柿谷曜一朗のブレイク、及び女性サポーターの大幅増加はなかった。
- フォルラン、カカウなどがセレッソに加入することも無かった。
2012年のJ1昇格プレーオフで違うチームが昇格していたら[編集 | ソースを編集]
2012年から始まったJ2の3位から6位までのチームによるJ1昇格プレーオフ。その初年度は3位京都・4位横浜FC・5位千葉・6位大分の間で争われ、大分が京都・千葉に連勝し見事下克上でJ1昇格を果たすも翌年のJ1ではわずか2勝(ホームゲームでは未勝利)というワースト記録に終わり再びJ2降格となってしまいました。もし仮に他の3チームがプレーオフを勝ち抜き昇格していたら?
全てに共通すること[編集 | ソースを編集]
- 最終的に1年で再降格、となっていたとしても少なくとも史実の大分よりはマシな結果になっていたのは間違いない。
- 横浜FCはともかく、京都と千葉は上手く行けば中位進出を果たせていたかもしれない。
- 「史上最大の下剋上」は今も、2010年のCSにおける千葉ロッテマリーンズのイメージだったのは言うまでもなかっただろう。
京都が昇格[編集 | ソースを編集]
- 2013年はC大阪が関西唯一のJ1、となることはなかった。
- 「テキストの呪い」などと言われることもなかった。
- もちろん大木武は監督を辞任せず、現在も京都の指揮を執っていた。
- 少なくとも、翌年はJ1残留ぐらいは果たせただろう。
横浜FCが昇格[編集 | ソースを編集]
- 2013年は神奈川県の4チームが全てJ1に所属することに。
- 横浜ダービーも2007年以来6年ぶりに実現していた。
- カズの手によってJ1最年長試合出場、最年長ゴールが更新されていた。
- 山口素弘は史実以上に「フリエの英雄」として名声を挙げていた。
千葉が昇格[編集 | ソースを編集]
- 木山隆之は翌年のJ1でも監督を続投していたか、あるいはオファーを出すも破談に終わった関塚隆が就任していた。
- 柏との千葉ダービーも3年ぶり(J1に限れば4年ぶり)に実現していた。
2014年のJ1残留チームが違っていたら[編集 | ソースを編集]
2014年のシーズンは徳島が最下位を独走した挙句早々と降格が決定、続いてC大阪と最終説で大宮が降格しました。 もしこの3チームのうちどれかが残留してたら?
大宮が残留した場合[編集 | ソースを編集]
- 可能性としては最終節で清水が甲府に敗戦して降格したと考えられる
- 落ちないお守りは2015年シーズンも販売されていた。
徳島ヴォルティスが2015年にJ3に降格していたら[編集 | ソースを編集]
前半戦は21節でわずか3勝、一時21位に沈むなどJ2残留も危ぶまれていました。後半は持ち直して14位まで順位を戻しましたが、もしこの年J3に降格していたら?
- Jリーグ史上初めて「J1昇格から2年でJ3降格」という事態になっていた。
- 大分トリニータと共に降格していたら、「J1在籍経験のあるクラブのJ3降格」が一度に2クラブ発生していたことになる。
2018年のJ1昇格争いで…[編集 | ソースを編集]
2018年のj2での昇格争いは最終戦直前の時点で自動昇格枠の2位までに入る可能性のあるチームは松本、大分、町田、横浜FCの4チーム存在し最終戦終了時の勝ち点は1位松本が77、2位大分、3位横浜FC、4位町田の勝ち点は76で1位松本との差は勝ち点1、プレーオフ圏内である6位までに入る可能性のあるチームも大宮、東京V、福岡含めると7チームありました。
また最終戦終了時に3位に入った町田に関しては当時J1ライセンスは公布されず、仮に町田が2位以内に入っていた場合自動昇格枠が一つ減る予定でした。
横浜FCが昇格していたら[編集 | ソースを編集]
- 横浜FCが昇格した事により、神奈川県はJ1に4チーム集結し大いに盛り上がっていた。
- 一方でラグビーワールドカップに伴う2019年J1のスケジュール設定は史実以上に困難を極めていた。
町田がJ1ライセンスを交付されていたら[編集 | ソースを編集]
なお町田ゼルビアはJ1ライセンスが交付される期限である9月27日の時点で昇格圏内の2位に入っていました。
- ゼルビアに所属する選手のモチベーションが下がらず勢いが続きJ1昇格圏内である2位以内に入っていた
- なお史実でゼルビアは35節以降は3位に転落して以降1度も昇格圏内に入る事は無かった
- 史実より5年早くJ1の舞台を経験したことになる。
- 2023年に黒田剛を監督に就任させることはなかったか。
町田が優勝していたら[編集 | ソースを編集]
町田ゼルビアが最終戦で東京ヴェルディ相手に勝利していればこのような展開になってました
- 優勝なのに昇格不能という前代未聞の事が起こっていた
- J3では2017年にブラウブリッツ秋田が経験しているが…
- ただし大分トリニータがプレーオフを勝ち抜き、J1の17位になり入れ替え戦に回った柏レイソルに勝った場合は史実通りの展開になっていた
福岡が6位以内に入っていたら[編集 | ソースを編集]
- 井原正巳はアビスパの監督を退任する事無く、翌年の2019年も引き続きアビスパで指揮をとっていた
東京Vがプレーオフで磐田に勝っていたら[編集 | ソースを編集]
- 名波浩はこの年限りでジュビロの監督を退任していた
- 東京ヴェルディのプレーオフでの奇跡的な勝ち上がりが史実よりも有名になっていた
- ロティーナはヴェルディの監督を続けていた。
- この場合セレッソの監督はユン・ジョンファンが続投していたかも。
- 上の横浜FCが昇格していたらの項目と同じく、ラグビーワールドカップの影響をかなり受けていた。
ベガルタ仙台が2021年にJ2に降格しなかったら[編集 | ソースを編集]
- ホームタウンが県内全域に拡大することはなかった。