楽曲/ま~わ行

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ま行[編集 | ソースを編集]

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  1. 山形県在住のさくらんぼ農家のおじいさんを、一躍国民的歌手にしてしまった名曲。
  2. 冒頭の子どもの声は、本物の孫である。
  3. しかし、盗作疑惑をかけられたこともある。
  4. この曲のヒット以降、たまに「山形県 孫様」「宮城 孫様」の宛名でファンレターが届くようになってしまったとか。
    • あくまでも山形県内の郵便局の機転によるもので、当然ながら宛名不明で送り返される事もある。

街の灯り[編集 | ソースを編集]

  1. 堺正章の名曲の一つ。
    • TBSのドラマ「時間ですよ」の挿入歌の一つとしても知られる。
  2. しかし、これが北海道になると事情が異なる。
    • かつて、北海道で一番有名なラジオ番組で、エンディング近くになるとこの曲を必ず唄うパーソナリティーがいた。
      • 従って北海道民の中には、この曲が堺正章の歌ではなく、そのパーソナリティーのオリジナルだと思っている人が少なからずいた。

まちぶせ[編集 | ソースを編集]

  1. 編曲をやった松任谷正隆曰く「ストーカーの歌」らしい。
    • しかも、「こんなのユーミンじゃないと書けないなあと思います。」と、後に雑誌のインタビューで言い放っている。そんな人を嫁にしたあんたもなかなかなもんだよ……
  2. 石川ひとみの曲だと思われているが、実は、三木聖子という渡辺プロ所属で、ほとんど売れなかった人の曲だったりする。
    • 1976(昭和51)年、三木聖子が歌って出したはずだが、曲自体、まったくと言っていいほど認知されなかった。
    • 1981(昭和56)年、こちらもほぼ鳴かず飛ばずだった石川ひとみが、これが売れなければ引退をするという覚悟の元、カバー。なぜか、今度は梅雨時のじめっとした暑さとともに、じわじわとチャートを駆け上がり大ヒット曲になる。
      • おかげで、石川ひとみは引退はしなかったが、一発屋と呼ばれるようになる。でも一発あてて紅白出場するだけでも大したもんだよなあ。
      • ちなみに彼女はプリンプリンの中の人という事でも有名だったりする。
      • むしろレッツゴーヤングのMCとしてのほうが有名だったと思う。
  3. 実はユーミンがカバーしたのは90年代後半。
    • 40過ぎのおばちゃんが、あの歌詞を歌うという、考えてみればなかなかにホラーな画だよなー。
    • このときは「荒井由実」名義でのリリースだった。ちなみに上記1976年の初出時は結婚直前だった。
  4. 歌詞がぶっ飛んでいる割に、どこかすんなり入ってくるのは、たぶん、松任谷正隆の編曲がよかったからだろう。

マツケンサンバ(松平健)[編集 | ソースを編集]

  1. 「Ⅲ」まである。
    • ちなみに最も有名なのは「Ⅱ」。
  2. 1999年の時、TBSラジオ「コサキンDEワァオ!」で紹介された。
    • コサキンの二人は「イントロが長い。」と言っていた。
    • これがきっかけで若い人が松平健の舞台を観に来るようになった。
      • チケットが高いのに若い人が舞台を観に来るようになったことに松平は驚いてしまった。
  3. サンバではない。多分。
    • 曲調はかつてのズームイン朝のテーマ曲に近く、作曲者の血筋を色濃く感じさせるものである。
      • 本曲は作曲が宮川彬良で、ズームインのほうが父である宮川泰の作曲である。
    • 「音楽の様式としては決してサンバではないが、この曲で楽しく歌って踊るという点では紛れもないサンバである」というラテン音楽専門家の評もあった。

マッチョ・ドラゴン[編集 | ソースを編集]

  1. 当時、新日本プロレスのスター選手であった藤波辰巳選手が歌唱した伝説の1曲。
    • 本人が登場曲として使用したことでも知られる。
  2. これを初めて聞いた観客はもちろんのこと、実況の古舘伊知郎や解説の山本小鉄らは、あまりの衝撃に凍りついたそうな。

まつり[編集 | ソースを編集]

  1. 北島三郎の代表作。
  2. サブちゃんが、巨大な装置に乗って歌唱するのがお約束。
    • ちなみに、北海道函館にある北島三郎記念館には、サブちゃんのからくり人形がこの曲を歌うというアトラクション(?)があるらしい。
  3. 競馬ファンにとってはキタサンブラックのイメージが強いか?

真夜中のドア〜Stay With Me[編集 | ソースを編集]

  1. 松原みきのデビュー曲にして代表作。
  2. 仮のタイトルは「Stay with Me」だったが、堺正章が同名の新曲を発表したため「真夜中のドア」が付け加えられた。
  3. 令和の世になるとシティポップの評価の高まりとともに世界中で話題になり、リバイバルヒットになった。

聖母たちのララバイ[編集 | ソースを編集]

  1. 1981年、この年放送開始の日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の初代エンディングテーマとして制作。
    • 当初は「火サス」のエンディング用なので、ワンコーラスだけ用意されていた。もちろん、レコード化の予定すらなかった。
      • しかし、放送後に視聴者から作品化の要望や問い合わせが殺到したため、急きょ日テレがマスターテープを作って、抽選で200人にプレゼントするキャンペーンを実施。すると、想像をはるかに上回り35万通のハガキが届く!
  2. これに味をしめた日テレは、フルコーラスを作ることを決め、翌1982年にレコード化。
    • 但し、火サスのエンディング用の物とは、イントロが異なるなどのアレンジも加えられた。
    • 結果、82年の日本歌謡大賞を受賞して、紅白歌合戦にもこの曲で出場。岩崎宏美の代表曲となる。

マリーゴールド(あいみょん)[編集 | ソースを編集]

  1. あいみょんはこの曲を9月に作ったけど、夏の曲だからということでリリースを1年近く遅らせたという噂がある。
    • マリーゴールドは、4月、5月には既に咲いて、10月、11月頃まで花を咲かせていたりする品種なのに、夏に限定してしまっている点について、つっこんだらいかんのかな。
  2. あいみょん≒マリーゴールドという感覚の人は多い。
  3. ♪麦わらの~~帽子の君が~~~
    • あいみょん曰く、曲全体で最初に思い付いたのがこの部分らしい。
    • 麦藁帽子を上から見たらマリーゴールドに似ていると思ったから、曲名をマリーゴールドにしたらしい。この着想は、凡人にはわかんわ。

丸の内サディスティック[編集 | ソースを編集]

  1. 御茶ノ水の楽器店でギターを買い、後楽園の税務署で経費として認めてもらおうとしている。
    • 「リッケン620」「グレッチ」はギターの種類。
    • なお「ベンジー」はミュージシャンのミュージシャンの浅井健一
  2. 歌詞に丸ノ内線の駅名が組み込まれているが、荻窪や中野坂上はおろか、新宿すら出てこない。
    • この曲で相手にされなかった銀座以西は、猫の「地下鉄にのって」でカバーしている。そっちは新宿と四ツ谷と赤坂見附が出てくる。
      • よくよく考えたら、管轄の税務署が小石川税務署なのだからそっちが登場しなくてもおかしくはない、か!?
  3. 普通に歌詞見ると初期の椎名林檎っぽい言葉遊び要素がふんだんに取り込まれているが、×××××な内容がうっすらと。
  4. 発売当初はあんまり知名度がなかったが、いつの間にか有名に。東京事変やる前の椎名林檎と言ったら、当時の人々はほぼ「本能」のイメージだったらしい。

みちのくひとり旅[編集 | ソースを編集]

  1. 山本譲二による1980年のシングル。既に歌手デビューから6年が経過していたときのものであり、これでダメならもう後が無いとの覚悟をもってリリースしていた。
    • 本格的なヒットまで1年近くを要したが、この曲により山本譲二のメジャー入りがようやく叶った。
  2. 演歌では珍しく「Cメロ」を含んでいる。
  3. 本人が無人の野球場で熱唱したりフンドシ姿で歌唱したりとネタ含みの展開もあったが、とんねるずの番組内で木梨憲武が披露した物真似がネタ扱いの最たるものであろう。
    • ♪ここで 一緒に~(タライ落下→川にドボン)

魅せられて[編集 | ソースを編集]

  1. ジュディ・オングの代表作。
  2. あのモモンガみたいな白い衣装でもお馴染み。
    • この曲を歌う際には、例の衣装を真似たものを着用するのがお約束。

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ[編集 | ソースを編集]

  1. 宇崎竜童がリーダーを取るバンド、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの4作目。
  2. 阿木燿子(リリースの3年半前に宇崎と結婚していた)が初めて作詞を担った曲である。以後、阿木と宇崎で作詞・作曲を分担する体制が確立された。
    • 詞が先に出来上がり曲を付けようとしたのだが、最初の「一寸(ちょっと)前なら憶えちゃいるが」に何故かスーダラ節の「チョイと一杯のつもりで飲んで」が被って、宇崎はドツボにはまり込んでしまう。
    • そこから全部を語り調子にするという発想にたどり着くまでには、相当な紆余曲折があった。
  3. ある男がヨーコと名乗る女を探して、様々な人に聞き込みをしながら、横浜から横須賀へと巡る内容。サビ以外の歌詞は全て聞かれた人たちの返答で構成されている。
    • ただ、このヨーコは水商売を渡り歩きながら各地で不義理を働きまくっており、聞かれた人たちは皆、最後にあきれ返って男に共通の質問を投げる。
      • 「アンタ、あの娘の何なのさ?」
        • このフレーズは、パロディにかけては定評ある「ドラえもん」の、映画のタイトルの元ネタにもなった。
          • 「ぼく、桃太郎のなんなのさ」

ムーンライト伝説[編集 | ソースを編集]

  1. テレビ朝日のアニメ「美少女戦士セーラームーン」の主題歌として有名。
  2. 実は、メロディは別の歌のものをそのまま使用している。
    • 倍賞千恵子の「さよならはダンスのあとで」だっけ。そのせいで、とても1992年とは思えない古臭い旋律に…
      • ↑全然違う。本当は、KEY WEST CLUBの「夢はマジョリカ・セニョリータ」という曲のメロディに違う歌詞をつけたもの。
  3. 当初は「ミラクル・ロマンス」という曲名になる予定だったらしい。

麦の唄[編集 | ソースを編集]

  1. 連続テレビ小説「マッサン」の主題歌。
  2. 主題歌の作曲を依頼された時、スタッフから大量の資料(その時点で作成済みの台本含む)を渡された中島みゆきは、NHKの本気ぶりを身にしみて感じたらしい。
    • 某局はPから「女の子と犬が出ます」としか言われなかったらしい。

夢想花[編集 | ソースを編集]

  1. 円広志といえばこの曲、という人も多いだろう。
  2. ♪とんでとんでとんでとんでとんでとんでとんでとんでとんで まわってまわってまわってまわ~る~
    • 歌詞の「まわってまわって・・・」にちなんで、大阪環状線福島駅の発車メロディに起用された。
  3. 実はタイトルの読みは「むそうか」ではなくて「むそうばな」。

六つの星[編集 | ソースを編集]

  1. 1976年にセントラル・リーグ発足25周年を記念して作られたセ・リーグ連盟公認歌。
  2. 細川たかしをメインボーカルに、セ・リーグ6球団から一人ずつ(巨人・王貞治、阪神・田淵幸一、中日・星野仙一、大洋・平松政次、広島・山本浩二、ヤクルト・松岡弘)バックコーラスを務めている。

目を閉じておいでよ[編集 | ソースを編集]

  1. 1989年の元日に発売されたBARBEE BOYSの11枚目のシングルであり、同グループにとっての代表曲の一つ。
    • 数少ない「昭和64年」に発売された曲でもある。
  2. 2009年にレイザーラモンRGの「手羽あるある」の影響で再び脚光を浴びることになった。

女々しくて[編集 | ソースを編集]

  1. ゴールデンボンバーの代表曲。
  2. 替え歌バージョンとして「眠たくて」もある。
    • こっちはハウス「メガシャキ」のCMソングとして使われ、このCMで金爆を知った人も少なくないだろう。

もう恋なんてしない[編集 | ソースを編集]

  1. ♪もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対
    • マッキーの場合、恋よりも先にやめるべきものがあんだろとツッコんではいけない。
  2. 一部で、吉幾三の「俺らこんな村やだ」を合いの手っぽく切り抜いて、この曲に当て込んだ動画が流行っているらしい。
  3. マッキーの恋愛感情と照らし合わせてみると...。

炎えろ!近鉄バファローズ[編集 | ソースを編集]

  1. 近鉄バファローズの応援歌。
    • 勇ましい軍歌調であるのが特徴。
  2. 「水戸黄門」のうっかり八兵衛で知られる高橋元太郎が歌唱を担当。

燃えよドラゴンズ[編集 | ソースを編集]

  1. 中日ドラゴンズの応援歌。間違っても「球団歌」ではない、念のため。
  2. 元々は、CBCラジオで板東英二がDJを担当していた番組に送られてきた替え歌がすべての始まりだった。
    • ちなみに、その曲を送ったリスナーが、山本正之(ヤッターマンシリーズ等アニソンの主題歌の作詞や歌唱で知られる)である
  3. 今では水木一郎が歌っているものが定着している。
    • 舟木一夫や松平健も歌ったこともある。
    • 水木はそれ以前に中日の旧球団歌「勝利の叫び」もカバーしている。(原曲は朝倉隆、バックコーラスに当時の主力選手であった星野仙一・鈴木孝政・大島康徳・藤波行雄・田尾安志が参加)
  4. ちなみに板東英二は、この曲の権利を買おうとして、マネージャーに止められたという逸話も。

木綿のハンカチーフ[編集 | ソースを編集]

  1. 太田裕美の曲。
  2. 筒美京平&松本隆というゴールデンコンビの手による作品。
  3. フォーク・ニューミュージック・アイドル・歌謡曲という、それぞれがこれまで壊せなかった垣根を、日本ではじめてぶっ壊した曲。
  4. 150万枚以上売れた大ヒットソング。
    • なのに、オリコンチャートで1位になることはなかった。
      • 同時期に首位を独走していたのが『およげ!たいやきくん』だからなあ。
  5. 男と女が途中で入れ替わるという、当時としては斬新、今でもあまり見ない構成の詩。
    • のちに「さらばシベリア鉄道」でも似たような形態になる。
  6. 松本隆は、ディレクターの白川隆三をイメージして書いたらしい。
    • 松本さんが白川さんに「君にはずっと東京で生まれ育った人だから、君の曲は地方の人にはうけない」と言われて、だったらてめえをイメージして書いてヒットをさせてやるよと奮起したとか。
  7. ♪ねえ涙ふく木綿のハンカチーフください ハンカチーフください
    • よくよく考えれば、この時代(昭和50年頃)、既に「ハンカチーフ」なんていう言葉は使われていなかった。
      • しかも素材は木綿。このおかしな表現はいかにも筒美京平&松本隆コンビの手で創られた曲という感じがしなくもない。

や行[編集 | ソースを編集]

やさしい悪魔[編集 | ソースを編集]

  1. アイドルグループの曲なのに、作詞が喜多條忠、作曲が吉田拓郎というフォークソング感漂う布陣。
    • 各所で溢れ出る拓郎節。
  2. 歌唱時にキャンディーズが着用していた衣装は、同じ事務所のアン・ルイスが自分で縫製して作った。
  3. やたら音域が広く、歌うのが大変な曲。
    • なんでこんな曲にしたかというと、吉田拓郎が、キャンディーズにつきっきりで歌唱指導しようと思うと、こういう難しい曲にでもしないと無理だろうと思ったから。
    • あと合唱のごとくパートが分かれている。
  4. 曲の冒頭のコツコツ音は、吉田拓郎が、自分で手当り次第持っている靴を叩いてコツコツさせて作った音をレコードしたらしい。
  5. 実は、ドリフの早口言葉で、志村けんがやってる変な振付は、この曲の振付。
  6. 政界きってのキャンディーズファンとして知られた石破茂元防衛大臣は「音楽的に完成度が一番高い名曲」なんて宣っている。
  7. 結局、吉田拓郎はセルフカバーしてる。

優しいあの子(スピッツ)[編集 | ソースを編集]

  1. 2019年の連続テレビ小説「なつぞら」の主題歌。
    • NHKの番組の曲を担当したことで、とうとうスピッツも紅白初出場かと思われたが、結局この年も出なかった。
  2. 「なつぞら」は北海道が舞台のドラマということで、草野正宗さんもそれを意識して作詞したらしい。
    • 2番途中で「たどり着いたコタン」と歌詞にアイヌ語が出てくるが、歌詞カードを見てないと、どうしても「たどり着いた答え」に聴こえる。
  3. サビの後の「ルルル…」が特徴的で、「スピッツ ルルル」と検索するだけでこの曲がヒットする。
    • 多分キツネを呼ぶ声という事で大丈夫だよね?

やっぱ好きやねん[編集 | ソースを編集]

  1. たかじんに関西人の女性の気持ちを歌う路線を確立させた名曲。
  2. やしきたかじんといえばこの曲というイメージが強い人は多い。
  3. 大阪人の心の曲といっても過言ではない曲の1つ。
    • 大阪駅環状線ホームの発車メロディに採用されたのも納得。

U.S.A.[編集 | ソースを編集]

  1. 原曲はイタリア人のジョー・イエローが歌った。
  2. 2018年にDA PUMPが日本語カバーし、ダサカッコイイダンスで社会現象にまでなった。
    • 背景に事務所の大先輩荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」のブーム再燃があった。

勇気のしるし[編集 | ソースを編集]

  1. 「リゲイン」のCMソングとして有名。
    • 「24時間タタカエマスカ?」のフレーズが当時の流行語に。
  2. サビの部分は、テレビ創成期の特撮ドラマ「怪傑ハリマオ」の主題歌のそれに似ている。
  3. テレビ朝日の「ミュージックステーション」では、司会者であるタモリがユンケルのCMに出演していた関係で披露できなかったとか。

ゆけ!ゆけ!川口浩[編集 | ソースを編集]

  1. 『ヤンキーの兄ちゃんのうた』に続く嘉門タツオのヒット曲。(デビューは『寿限無No.1!』)シングル発売は1984年。
  2. 人気テレビ番組『川口浩探検隊』の演出がやらせであることを皮肉った曲。
    • ♪川口浩が 洞窟に入る カメラマンと 照明さんの 後に入る (映像上そうなっていないとおかしい)
      • ♪ジャングルの奥地に新人類発見! 腕には時計の跡がある (原始人類なのに時計を使う→原始人役の役者では?)
        • この「新人類」は学会に発表されてない。ヤラセだからか?
    • 嘉門は川口浩にこの曲の発表許可を取りに行く際「川口に怒られるのではないか」と不安だったが、川口本人は快諾、「ピラニアに噛まれた手は自分の手だ」と教えたという。
  3. テレビアニメ『そらのおとしもの』第5話のエンディングテーマに起用されたが、この曲だけ嘉門本人による歌唱(25周年記念のセルフカバー。他は全て声優による懐メロのカバー)だった。

ゆめいらんかね[編集 | ソースを編集]

  1. 1976年に発売されたやしきたかじんの事実上のデビューシングル。
    • その前のデビュー曲は×××××をテーマにしていたこともあり即日発売中止になってしまい、世間一般ではこの曲がたかじんのデビュー曲という認識になっている。
    • ジャケットには商店街の前で笑うたかじんの写真が収められている。
  2. 歌詞は優しい女と付き合っていた男がある日のデートで女に逃げられ、取り残された男は優しい女の面影を探し続ける…という内容となっている。
  3. ある時、泥酔したたかじんが北新地を歩いていた時に下手な演奏をしていたミュージシャンに腹を立て、ギターを奪い取ってこの曲のサビを通りかかっていた金村義明と10分近く延々と歌い続け、かなりの額のチップをそのミュージシャンに全額渡した…という逸話があるらしい。
  4. この歌が縁で当時の宝塚星組のトップスター・鳳蘭のコンサートの作曲者に抜擢され、それどころかこの曲を含め5曲を引っ提げ共演した。現在においても宝塚の舞台に上がったことのある男性はたかじんのみである。
    • これ以外にも『心はいつも』等、度々たかじんは宝塚に楽曲提供をしている。

夢芝居[編集 | ソースを編集]

  1. 作詞作曲はあの小椋佳。
    • 梅沢富美男が、レコード会社のオファーを断るために、小椋佳さんが書いてくれるというのなら歌ってやってもいいと言った結果、実現したとか。(当時の小椋は非常に忙しく、他人の曲の制作オファーは基本拒否という感じだった。)
  2. この曲のヒットで一躍有名になった梅沢だったが、逆に有名になりすぎて昔からのファンが離れた挙句、いただけるおひねりが減って、収入ガタ落ちだったとか。

夢の中へ[編集 | ソースを編集]

  1. もともとは井上陽水の曲。
    • 後に斉藤由貴がカバー。こちらはアイドルポップスにアレンジされている。
  2. 探しものが見つからない時に歌いたくなる曲。
    • 見つからない探すものを結局は諦めさせようとする。
  3. ご年配の方であれば、懐かしの人生幸朗師匠のぼやき漫才でもお馴染み。

夢のワールドスクウェア[編集 | ソースを編集]

  1. その名の通り、東武ワールドスクウェアのテーマ曲である。
    • 東武ワールドスクウェア駅はもちろん、鬼怒川温泉駅の発車メロディーにもなっている。
  2. サビで2回ずつ「ワールドスクウェア」という歌詞があるが、その直前が両方とも「東武~」となっているものと「夢の~」「楽しいな~」となっているものがある。
  3. サビの直後には各国の挨拶2種類が歌詞になっている。1番がおはよう→こんにちは、2番がこんにちは(もう1種類の言い方)→ありがとう、3番がごきげんいかが→とてもいいです、となっている。
    • それぞれ英語→フランス語→ドイツ語→イタリア語と欧州圏言語オンリーなのが気にはなるが。

ヨイトマケの唄[編集 | ソースを編集]

  1. 1965年に発売された美輪明宏の代表曲。
  2. 歌詞の中には主人公が幼少期に母親の職業が原因でいじめを受けた悔しさ、途中でグレそうになりながらも高校・大学を出て立派なエンジニアに成長した姿が描かれている。
  3. 歌詞の中に放送禁止用語が入っている影響もあり、1990年代までは民放での放送例が数えるほどしかなかった。
  4. ようやく封印が解かれたのは2000年に放送された「桑田佳祐の音楽寅さん」(フジテレビ系)という番組の中で桑田本人がこの曲を歌い、大きな反響を得てから。
  5. 2012年には美輪がこの曲で紅白に初出場。ほぼフルコーラスで披露され、SNS上で若年層を中心に大きな反響を呼んだ。
    • 美輪曰く「ヒットした時にも紅白出演のオファーはあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と当時を振り返っている。
  6. 一時期、笑点で林家たい平がネタとして歌っていた。

与作[編集 | ソースを編集]

  1. やたらと相槌を打つ歌詞が特徴的。
  2. ♪与作は木を切る
    へー、へー、ほう。
    • 会話文としてみたら、間違いなく「与作」に興味のない奴が聞き役になってる感じだよな。
    • 漫画「スーパーマリオくん」でヘイホーがマリオくんからこの曲にちなんだ駄洒落で「ヘイヘイホー」と呼ばれていた。
    • ヘイホーも「与作は木を切る〜、違うっちゅーねん!サブちゃんか!」とノリツッコミで返していた。
  3. 実はNHK主催のコンテスト公募曲だった。
  4. 「与作は〇〇する」をどんどん滅茶苦茶な内容に変えていく替え歌がいくつか存在する。

四つのお願い[編集 | ソースを編集]

  1. 1970年に発売されたちあきなおみの4枚目のシングル。
    • 累計売り上げは37万枚を記録し、年末の紅白歌合戦にも初出場を果たした。
  2. しかしちあき本人は後に「私はどうも根が暗いせいか、ああいう明るい歌は駄目なんですよ」と語っている。
  3. B面の曲はタイトルの影響なのか、未だにちあきの曲の中ではCD化されていない。
  4. プロレス界で選手入場時にテーマ曲が流れるきっかけにもなった曲でもある。

夜に駆ける(YOASOBI)[編集 | ソースを編集]

  1. 2020年、大いに話題になった一曲。
  2. 数多の芸能人や歌手がこぞってカバーし、人気に一層勢いがついた。
    • その投稿場所は主にYouTube。かつてテレビを主戦場としていた彼らが、何のためらいもなく動画投稿の世界に進出していくようになったことの現れといえる。
  3. 後述の「夜を駆ける」とは助詞が1文字違うだけだが、曲は全く別物。

夜を駆ける(スピッツ)[編集 | ソースを編集]

  1. アルバム『三日月ロック』のトップバッター。
    • 直近3アルバムの1曲目がいずれも2分以内と短かったのに対し、今作は5分強と長めになった。
  2. アルバム曲とはいえ、ファンからの人気は絶大。
  3. 簡単に言ってしまえば、「夜の荒廃した市街地で逢瀬を重ねる二人の歌」。
    • なぜ街が荒れているのか、二人はどういう関わりがあるのか、どうして「駆ける」のか、などの点は完全に聴き手の想像に委ねられるので、いろんな解釈が存在する。
  4. カラオケで歌おうとすると結構リズムが難しい。

吉田松陰物語[編集 | ソースを編集]

  1. つボイノリオの名曲のひとつ。
    • 1976年発売のアルバム「ジョーズ・ヘタ」に収録されている。
  2. つボイいわく「吉田松陰先生をリスペクトして制作した歴史絵巻」とのこと。
    • しかし山口で歌ったら凄く怒られることはほぼ間違いないだろう…。

ら行[編集 | ソースを編集]

Rat-tat-tat[編集 | ソースを編集]

  1. 三代目J SOUL BROTHERSの代表曲のひとつで、「ラタタ」と読む。
  2. USJのハロウィンイベント向けに作られた。
    • NAOTOと山下健二郎がアンバサダーに就任。山下はかつてUSJのダンサーだったため「里帰り」を果たしたことになる。
  3. 中毒性のある曲とコミカルなダンスが受けたため、TikTokなどで「踊ってみた」的動画がブームになった。
  4. NAOTOは自身のYouTubeチャンネルでLDHメンバーなどにいわゆる「ゲリラタタ」を仕掛けたりもした。
    • 山下も「ZIP!」で当時のMC桝太一アナウンサーに仕掛けたことがある。
    • 岩田剛典とディーンフジオカもSNS上で一緒に踊った。

LOVE2000(hitomi)[編集 | ソースを編集]

  1. hitomiの代表曲。読みは「ラブニセン」。
  2. この曲がにわかに注目されたのは、シドニーオリンピックだった。
    • 女子マラソンの金メダリストだった高橋尚子がレース前にテンションを挙げるために聴いていたのがこの曲だった。
    • この年紅白初出場を果たしたhitomi、審査員を務めた高橋の前で歌い、映像も使用された。
  3. 高橋尚子のイメージが強いが、元々は日本テレビ『劇空間プロ野球』のイメージソングとして使われていた。

LOVE はじめました[編集 | ソースを編集]

  1. Mr.Childrenの楽曲。タイトルからは想像できないような1分以上のイントロから始まり、歌詞も社会風刺が含まれてる。
  2. 収録アルバムの告知CMのうち1つは本曲が使われている。
  3. 随所に流れる「LOVEはじめました」という声はボーカルの桜井和寿の声。

ラブユー東京[編集 | ソースを編集]

  1. ロスプリモスの代表作にして、ムード歌謡の名曲のひとつ。
  2. オリコンシングルチャートの記念すべき1曲目の1位獲得曲である。

ラブユー貧乏[編集 | ソースを編集]

  1. ロスプリモスの名曲『ラブユー東京』の替え歌。
  2. 元々は、何人トリオ(村上ショージ、Mr.オクレ、前田政二の3人)のネタで、この「ラブユー貧乏」のメロディにのって、貧乏ネタを話すというものだった。
    • フジテレビの人気番組「オレたちひょうきん族」のコーナーのひとつだったが、当時はビートたけしが謹慎中であったが、この期間の支えたコーナーのひとつでもある。

Love again[編集 | ソースを編集]

  1. 一部の世代にとっては本家より「軟式globe」の曲というイメージが強い。
    • 「アホだな~」「そうだよアホだよ」

LOVE PHANTOM[編集 | ソースを編集]

  1. B'zの18thシングル。
  2. 実は7thアルバム「loose」からの先行カット扱い。
  3. 1分20秒にも及ぶ壮大なイントロが特徴。
    • 故に2人以上のカラオケで選曲すると白ける可能性が高いので外した方が無難。
    • ライブではイントロをカットされたり、本来ストリングスの部分をTAKがギターで演奏する事も。
  4. B'zのシングルA面曲では初めてタイトルが歌詞に出ない曲だとか。
    • 歌詞に載ってないが一応イントロで話されてはいる。
  5. テレ朝版X-FILESの主題歌だけど、X-FILESの雰囲気とこの曲は合ってない気がする。
  6. ライブではバンパイアに扮した稲葉さん(?)が松本さんに撃ち落され落下する。
  7. サビの出だしから断捨離ソングとしても人気。
  8. 我慢できなーい!

LOVE LOVE LOVE[編集 | ソースを編集]

  1. ドリカム最大のヒット曲でもあり、1995年最大のヒット曲。
  2. 原曲はデビュー前の中村正人が当時の彼女に贈った曲だった。

Runner[編集 | ソースを編集]

  1. 爆風スランプ12枚目のシングル。1988年10月のリリース。同グループの代表曲の1つと言える。
  2. 当時のベース担当である江川ほーじんは、この曲を最後に(チーフプロデューサーとの活動方針をめぐる意見衝突を原因として)脱退することが決まっていた。
    • その江川の去り行く姿を歌詞に含めていたと、サンプラザ中野くんが公表している。
  3. 題名との引っかけから野球の応援曲としてたびたび用いられており、2020年現在でも高校野球ではほぼ定番のBGMである。プロ野球でも使われた実績がある。
    • タイトルや歌詞的に野球というよりはどちらかというとマラソン向けのような...。
      • 24時間テレビでは「負けないで」と並ぶ定番曲。

R.Y.U.S.E.I.[編集 | ソースを編集]

  1. 三代目J Soul Brothersの代表曲で、その名を一気に知らしめた。
  2. 間奏の振りにランニングマンを取り入れていることで有名。
    • NAOTOいわく人格が現れるらしい。
  3. また、ELLYが柿谷曜一朗に考案したゴールパフォーマンスも取り入れられている。

リンゴの唄[編集 | ソースを編集]

  1. 戦後日本初のヒット曲。
    • テレビドラマで闇市のシーンが描かれると高確率で流れる。
  2. もともとは映画の主題歌だった。
    • 「そよかぜ」というタイトルの映画。
  3. 阪神淡路大震災後にもオリジナル版を歌った並木路子により新バージョンがリリースされている。
  4. 結局「リンゴの気持ち」とはどのようなものなのだろうか。

Lui-Lui[編集 | ソースを編集]

  1. 太川陽介の代表曲。
    • 転じて太川の愛称になってしまった。
  2. ♪まるでご機嫌さ~ Lui-Luiさ~ Lui-Lui!!
    • 聞いてて思うのがLui-Luiってなんやねん。

ルビーの指環[編集 | ソースを編集]

  1. 寺尾聰といえばこの曲。
    • しかし、当時所属していた石原プロモーションの専務は、「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と否定的だった。逆に社長の石原裕次郎は「いいんじゃないの」と好感触だったという。
  2. この曲がヒットしたのちに建てられた溜池山王の東芝EMIビルは別名「寺尾ビル」とも言われている。
  3. 『ザ・ベストテン』では12週連続1位、『ザ・トップテン』では10週連続1位という両番組の最長記録を樹立するほどの人気ぶりだった。
  4. この曲を収録したアルバム『Reflections』も同時に大ヒット、昭和に発売されたアルバムでは最高の売り上げを記録した。

RAGE OF DUST[編集 | ソースを編集]

  1. フリージアと同じくオルガのイメージが付いてしまっている。
    • 真っ直ぐに走ってくるオルガの姿を想像してしまう。
    • 実はオルガの死亡シーンにこの曲は使われていない。

レッツゴー!陰陽師[編集 | ソースを編集]

  1. 空耳が多いことで有名。
    • 富士蹴るなぁ!
    • 藤木 ルナ(18)
    • ぷよぷよするなぁ!
  2. 平成を代表する曲のひとつ。
    • ニコニコ動画を代表する曲でもある。
      • ニコニコ動画では現存する最古の動画である。
  3. PVを観てると逆に悪霊がよってきそうだ。
  4. まさかのパチンコとのコラボにはビックリ。
  5. 成仏しろよ!
    • 「超オムツしろよ!」と聞こえる時もあるとか。

Lemon(米津玄師)[編集 | ソースを編集]

  1. 米津玄師の曲でもっとも再生された曲。
    • そしてパプリカと共に米津の代表曲。
  2. Lemonと調べればこれが真っ先に出てくるほど。
  3. 「ウェッ」
  4. 「♪笹ならばどれ程よかったでしょう~」
  5. 「机からロボット出ちゃったでしょう〜」

ロード(THE 虎舞竜)[編集 | ソースを編集]

  1. きっかけはファンに起きた悲しい出来事だった。
  2. 当初は13章で完結する予定だったが、いつの間にか15章までできていた。

Rocking Son Of Dschinghis Khan[編集 | ソースを編集]

  1. 曲の日本語名は「ロッキング・サン」。太陽のsunではなく息子のsonである。
  2. 歌詞から辿れるストーリーの荒唐無稽ぶりがすごく、「なんかよくわからんけど、めっちゃ元気が出る」ような曲。
    • どういうことかと言うと……
      • いい年してロクに父の仕事の手伝いもせずロックンロールにのめりこんでいる息子がいる。
        • 息子が憧れているアーティストはリンゴ・スターである。
      • 息子は合間にカブいたパフォーマンスを父に見せるが、そのたび父の部下に取り押さえられ下がらせられる。
        • 父の部下はコーラスの合いの手で「なんてこった!」「恥を知れ!」と嘆く。
      • しかし息子はめげずに「親父、これを見てくれ!」と叫びドラムソロを披露。すると父がだんだんノリノリになって行き……
      • 父がいきなりドラムを飛び越えてジャンプし前に立ち、「お前、楽しいことやってるじゃないか!」と一緒になって踊り出す。めでたしめでたし……
    • 上記の何が荒唐無稽かと言うと「父親=チンギス・ハーン」であること。これを歌唱しているのはDschinghis Khanであり、そもそもこの曲はあの有名な空耳満載の曲「めざせモスクワ」のB面収録曲なのである。
  3. ファースト・シングルでは「全く歌わないセンター」であったルイが最後にバリバリの低音で独唱しながら縦横無尽に踊るため、「ジンギスカン」と「めざせモスクワ」のイメージだけを持っている人は驚かされること間違いなしである。
  4. 作中の息子役を担当したのはレスリー。彼が参加しなくなってからは2005年の再結成時のみスティーヴが代行したが、末期の肺癌であったことを隠しての渾身のパフォーマンスであり、長く伝説として語り継がれている。

六甲おろし(阪神タイガースの歌)[編集 | ソースを編集]

  1. ご存知、阪神タイガースの球団歌。
  2. ちなみに、この歌の正式名称は「阪神タイガースの歌」。
    • 「六甲おろし」という曲名は、阪神ファンで知られる朝日放送・中村鋭一アナウンサー(当時)が命名。
  3. 今では信じられないかも知れないが、1985年にタイガースが優勝するまでは、コアな阪神ファンにしか知られていない曲だったらしい。
    • 大の野球ファンにして阪神ファンでもある阿久悠ですら1985年までは知らなかったという。
  4. 忘れちゃいけない、オマリーの六甲おろし。
  5. タイガースのお膝元・関西では古くから、タイガースが勝った翌朝には、この曲を斉唱する風習がある。

ロビンソン[編集 | ソースを編集]

  1. スピッツ最大のヒットソング。
    • 1995年発表の歌だが、2020年に入ってYouTubeの再生回数が1億回に達した。
  2. 曲名の由来がよく分からないことで有名。
    • 一説には同名のデパートから取ったとかいう話がある。
      • 札幌や春日部にあったデパートではなく、バンコクにあったデパートらしい。
  3. 出初めの頃は曲名(ロビンソン)とアーティスト名(スピッツ)を取り違えられまくったらしい。
  4. イントロの部分は、ギターの三輪テツヤ氏(サングラスの人)の発案らしい。
    • ちなみにテツヤ氏が作った曲は初期を中心に数曲存在する。

ロマンスカー[編集 | ソースを編集]

  1. 1992年に発売された村下孝蔵の21枚目のシングル。
    • 同日発売のアルバム「名もない星」にも1曲目として収録されている。
  2. 当時、村下は「この曲が売れなきゃおかしい」という思いでこの曲を制作。完成時には「やっと納得できる作品が出来た!」と周囲に語るほどの渾身の一曲だったが…。
  3. この曲の発売から7年後の1999年6月に村下は46歳の若さで急逝。出棺の際には生前の村下が最も気に入っていたこの曲が流された。

Romanticが止まらない[編集 | ソースを編集]

  1. C-C-Bの代表曲でドラマ「毎度おさわがせします」の主題歌だった。
  2. 内藤大助の登場曲としても知られ、世界チャンピオンになったことで当時の若者世代でも認知度が高まった。
    • 内藤自身C-C-Bのファンで、いじめられっ子だった小学生の頃にラジオを通じて励ましてもらっていたとか。

論理空軍[編集 | ソースを編集]

  1. 音楽グループ・P-MODELが1999年に発売したアルバム『音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE』の1曲目に収録された曲。
  2. PVではモニターの付いた飛行機(平沢曰くユンカース)に平沢進・小西健司・福間創の3人が乗り、レコード会社を爆撃するという内容になっている。
    • 何故かそのレコード会社がJASRACと勘違いされているらしい。

わ行[編集 | ソースを編集]

若者のすべて[編集 | ソースを編集]

  1. フジファブリックの10枚目のシングルであり、同グループにとっての代表曲の一つ。
  2. 作詞の志村正彦曰く「夏の終わりの花火大会が終わった後の切なさや虚しさなど、感傷的になり考えてしまう所を歌った曲」。

我が良き友よ[編集 | ソースを編集]

  1. 1975年に発売されたかまやつひろしの名曲。
  2. 前年『シンシア』を連名で発表した吉田拓郎(当時はよしだたくろう)から提供を受けた。
  3. かまやつひろしのシングルで唯一月間チャート1位を獲得した。(この曲がA面で、B面は『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』)
    • 内山田洋とクールファイブや吉幾三など多数のカバーが出ている。吉田拓郎も「吉田拓郎とLOVE2 ALL STARS」名義でセルフカバーしている。

私以外私じゃないの[編集 | ソースを編集]

  1. ゲスの極み乙女。の2枚目のシングルであり、同グループにとっての代表曲の一つ。
    • コカ・コーラのCMソングとしても使用された。
  2. 甘利経済再生担当大臣(当時)はマイナンバー制度のPRの一環として記者会見でこの曲の替え歌を歌った。
    • しかし甘利大臣も政治資金規正法絡みの不祥事が発覚し辞任。ボーカルの不倫騒動なども含めて「呪い」扱いされてしまった。

私がオバさんになっても[編集 | ソースを編集]

  1. 森高千里の代表曲。
  2. 2番歌詞の「女盛りは19」とあるが、実際に20歳過ぎだった森高がスタッフから言われたことに起因するとか。
  3. 2019年に森高は50歳を迎えたが…。
    • この年にDHCのCMでこの曲をセルフカバーし、「女ざかりは19だと誰がいったのよ篇」として放送された。

わたしの城下町[編集 | ソースを編集]

  1. 作曲:平尾昌晃、作詞:安井かずみの名曲。小柳ルミ子のデビュー曲でもある
  2. デビュー曲にして12週連続オリコンチャートトップという快挙は、今のところまだ破られていない。(令和2年)
  3. 「わたしの城下町」という曲だが、その城下町のモデルは諏訪。
    • 平尾先生が若いころ、この地で静養していたとかで、作曲時には信州諏訪高島城を思い浮かべたそうな。

渡良瀬橋[編集 | ソースを編集]

  1. こちらも森高千里の代表曲。
  2. その名の通り、栃木県足利市に架かる渡良瀬橋を歌い込んだ楽曲である。
    • 渡良瀬橋の近くには歌碑が設置され、また東武の接近メロディやJRの発車メロディとしても使われるなど、地元民に愛される楽曲である。
  3. どうして「渡良瀬橋」なのかというと、そもそもは歌詞の題材を探すために地図帳を眺めていたら「渡良瀬川」という名前が出てきたことが最初のきっかけである。
    • その渡良瀬川が流れる栃木県足利市は、1989年に足利工業大学の学祭でライブを行っているという縁があり、そこに「渡良瀬橋」が架かっていることから、何度となく足利市を再訪してイメージを膨らませて詞を書いたという。
      • このように、森高千里は栃木出身ではないにも関わらず、足利の地とは縁があったのでこの曲が出来上がったと言え、出来て早々地元民に愛されるご当地ソングとなっていった。

わな[編集 | ソースを編集]

  1. キャンディーズの名曲の一つ。それまでと違ってかなり大人な感じの曲。
    • 作詞は、やはりこの人、穂口雄右。「夏が来た」以来数年ぶりの復帰。
  2. それまで、メインを張ったことがなかったミキをメインにした曲。
  3. ジャケット撮影は、あの篠山紀信。

関連項目[編集 | ソースを編集]

楽曲
あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ