もし高速道路が○○だったら/路線別
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開業時期が別だったら[編集 | ソースを編集]
道央自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1980年代(全線開通)
- JR北海道が大打撃。
- 道内輸送は基本トラック。
- 航空機もヤバいかも
- 赤字から抜け出すために北海道新幹線の開通が早まったかも。
- ルート
- 函館ー七飯PAー大沼公園ー姫川SAー森ー石倉PAー落部ー八雲PAー八雲ー黒岩SAー国縫ー中ノ沢PAー長万部ー静狩PAー黒松内JCTー黒松内ー上目名SAー目名ー蘭越PAー狩太ー曽我PAー倶知安ーニセコSAー小沢ー銀山PAー仁木ー余市PAー塩谷ー小樽SAー小樽ー銭函PAー手稲ー札幌ー白石PAー札幌JCTー江別ー江別SAー岩見沢ー鳩が丘PAー三笠ー美唄ー茶志内PAー奈井江砂川ー砂川SAー滝川ー滝川JCTー江部乙PAー深川ー音江PAー旭川鷹栖ー大雪山SAー旭川比布ー比布JCTー和寒PAー和寒ー剣淵PAー士別剣淵ー多寄SAー名寄風連ー日進PAー美深ー紋穂内PAー恩根内ー天塩川SAー音威子府ー筬島PAー佐久PAー中川ー中川SAー天塩ー開進PAー幌延ー名山PAー豊富ーサロベツSAー勇知ー稚内
- 勾配とカーブがキツイ。
- 特に長万部ー小樽間と美深ー幌延間。
- その代わり函館ー札幌の所要時間は減る。(山線沿いの為)
- 冬は雪でチェーン規制&下手すりゃ立ち往生。
- 2021年の初めに起きた関越道の立ち往生の拡大スペシャルがあちこちで...。
- エゾ鹿注意。
- 勾配とカーブがキツイ。
- 函館ー七飯PAー大沼公園ー姫川SAー森ー石倉PAー落部ー八雲PAー八雲ー黒岩SAー国縫ー中ノ沢PAー長万部ー静狩PAー黒松内JCTー黒松内ー上目名SAー目名ー蘭越PAー狩太ー曽我PAー倶知安ーニセコSAー小沢ー銀山PAー仁木ー余市PAー塩谷ー小樽SAー小樽ー銭函PAー手稲ー札幌ー白石PAー札幌JCTー江別ー江別SAー岩見沢ー鳩が丘PAー三笠ー美唄ー茶志内PAー奈井江砂川ー砂川SAー滝川ー滝川JCTー江部乙PAー深川ー音江PAー旭川鷹栖ー大雪山SAー旭川比布ー比布JCTー和寒PAー和寒ー剣淵PAー士別剣淵ー多寄SAー名寄風連ー日進PAー美深ー紋穂内PAー恩根内ー天塩川SAー音威子府ー筬島PAー佐久PAー中川ー中川SAー天塩ー開進PAー幌延ー名山PAー豊富ーサロベツSAー勇知ー稚内
- 名寄以北が東北道の盛岡以北みたいになりそう(4車線の癖に周りに車が数台しかいない&SAPAがもぬけの殻)。
- ガソリンスタンドも天塩川SAが最後。
- 東北道と距離面や沿線人口で訳が違うからな。ちゃんと維持できるか心配。
- ガソリンスタンドも天塩川SAが最後。
- 狩太ICをニセコICに変えようとニセコ町が働きかけるが、資金が無いため断念。
磐越自動車道[編集 | ソースを編集]
- 2000年代
- 常磐道が先に全通。
常磐自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1990年代(全通)
- 仙台東部道路も同時に全通。
- いわき中央IC-亘理IC間は暫定2車線で開通。磐越自動車道いわきJCT-郡山JCT間は4車線化されない。
- その代わり常磐道いわき中央IC-亘理IC間は2001年の「新世紀・みやぎ国体」までに4車線化される。
東名高速道路[編集 | ソースを編集]
- 1930年代~1940年代
- 計画自体は戦前からあった。
- おそらくはドイツのアウトバーンを意識していた。
- 但し労働者の待遇はアウトバーンほどではないw
- 計画では平坦地150km/h、丘陵地100km/hだったそうだが、交通戦争の時期などを挟んで最高速度は史実なみに抑えられる。
- 有事には飛行場として使う案もあったかもしれない。
- 米軍によって徹底的に空爆されていた。
- おそらく全通は叶ってないと思う。
- モータリゼーションの進行も史実より早かった。
- 軍用車両の通行が優先されていた。
- 1950年代(全通)
- 世界銀行の支援で全線を開通させていた。
- 1964年(全通)
- オリンピックに合わせて開通させていた。
- 建設時には「新幹線とかち合って誰も使わない」だの、逆に「新幹線に誰も乗らなくなる」だの言われたが、出来てみればどっちも大盛況。
- 東海道新幹線が存在しなかったらこっちが開通していたかも。
中央自動車道[編集 | ソースを編集]
長野県区間[編集 | ソースを編集]
- 2030年代
- 極端な話、こんぐらいの時代なら南アルプスルートで建設されていただろう。
- 富士吉田線が本線になっていた。
- リニア中央新幹線(計画2027年)とどっちが早かっただろうか。
- どちらかの建設がもう片方の建設に役立っていたことは確実。
- ただし、リニアよりははるかに浅い場所にできていた。
- おそらくこれが開通するより前に諏訪自動車道(大月~岡谷)と木曽自動車道(岡谷~中津川)が開通していた。
- 伊那路ルートは三遠南信自動車道として開通していた。
- 恵那山トンネルは一般有料道路として開通していた。
- 後に中央自動車道に編入されていた。
神戸淡路鳴門自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1880年代
- 淡路が開港場に指定されていたらありえた。
- 1988年(全通)
- 鉄道も同時に整備されていた。
- →もし本四架橋の神戸鳴門ルートに鉄道が通っていたら
- 逆に宇高ルートに鉄道が通らなかったかどうかは微妙。
- 阪神淡路大震災で被害を受けていた。
- 阪神・山陽直通特急の運転開始が早まっていた。
- 1987年12月のダイヤ改正で運転開始していた。
- JR快速の舞子駅停車も早まっていた。
山陽自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1980年頃(全通)
- 史実より低規格で作られていた。
- そのため、史実以上に混雑で悩んでいた。
- 中国山脈を通す新山陽自動車道(新中国自動車道?)が計画されていた。
- 新中国道は新東名みたいにほぼ並走で中国山地まで行かない(ex:上郡・総社・備後府中経由、または海よりに邑久・竹原などを経由)なんて可能性も。
- このルートが「中国自動車道」と呼ばれていた。
- 吹田JCT~下関JCTまで山陽自動車道だった。
- 中国山地の過疎化は史実より深刻だった。
- それでも芸備線や姫新線が繁栄していたかというとそうでもない。
- 少なくとも芸備線東城~備後落合が県境区間よりも輸送密度が低い、なんてことにはならなかったはず。
- 関西圏~中国山地・山陰へはもう少しだけ鉄道優位だったかもしれない。
- それでも三江線の存続はほぼ不可能に近いだろう。
- 姫新線上月以東の高規格化は史実よりも早かったはず。
- 電化されて本竜野か播磨新宮まで新快速が乗り入れていた可能性は…厳しいか。
- 山陰道の開通時期にもよるが、智頭急行や伯備線は史実より繁栄していたのはたぶん確実。智頭線がもう少し高く(史実では予想3900人/日で100人届かず)見積もられて国鉄の開業になってたかは微妙。
- もし茨城選出の運輸族の大物だった橋本登美三郎が地元の鹿島線の予測輸送密度を水増ししてまで建設継続をゴリ押ししていなかったら、智頭線は輸送密度4000人に何とか届くように見積もられて建設が継続され、国鉄時代のうちに開業していたかもしれない。
- 鹿島線が戦前に全通していたら智頭線は国鉄時代に開業できた。
- もし茨城選出の運輸族の大物だった橋本登美三郎が地元の鹿島線の予測輸送密度を水増ししてまで建設継続をゴリ押ししていなかったら、智頭線は輸送密度4000人に何とか届くように見積もられて建設が継続され、国鉄時代のうちに開業していたかもしれない。
- それでも芸備線や姫新線が繁栄していたかというとそうでもない。
- 逆に、陰陽を結ぶ路線(中国横断道)の開通時期が大幅に遅れていた。
- 岡山米子線は早い時代(下手したら陰陽両線開通と同時期)に出来てそうな気がするが、姫路道(播但線ルート、史実の姫路鳥取道)が2000年代(阪神淡路大震災後)に出来て、浜田道と松江道はまだ開通していない可能性も。
- 山陰道も雲伯区間と鳥取以東は早めに出来てそうだが、出雲以西はなかなか開通しなかったかもしれない。21世紀入ってからになってた可能性も。
- 史実以上に山陽偏重が進んでいた。
山陰自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1990年頃(全通)
- おそらく、中国自動車道を作らず山陰・山陽両方に自動車道を作ることになっていたらこうなっていた。
- 日本列島改造論でも真っ先に取り上げられていた。
- 山陰圏への三大コンビニ(セブンはかなり後そうだが)の進出も早く、ポプラは2010年くらいにローソンの軍門に下っていた。
- うまくいけば小規模ブランドとして名前を残せる可能性もあるかもだが…
- おそらく、益田以西は国道9号・JR山口線と同じく旧山口市を経由。
- 萩・長門経由の萩道も計画されるが、進捗は悪そう。
中国自動車道[編集 | ソースを編集]
- 2001年
- 史実より高規格だった。
- 長距離トンネルや高架橋を大量に使った自動車道だった。
- 当然、低速規制などあるわけない。
- 山陽自動車道が先に開通し、こちらは「新中国自動車道」と呼ばれていた。
瀬戸中央自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1970年代前半
- 海峡部は確実に国道30号の一部だった。
- 鉄道部分の開業も早まっている。
- 下記の宇高連絡船事故を受け児島IC-坂出北IC間の建設を最優先し同区間が最初に開通したと思われる。
- それ以外は道路公団→NEXCO西日本が建設・運営。
- 倉敷JCTから瀬戸中央道だった。
- おそらく現実の中国道は建設されなかった(現実の山陽道が中国道を名乗る)。
- 瀬戸中央道との連絡が優先されたと考えられる為。
- 鉄道部分の開業も早まっている。
- 「紫雲丸事故」を契機に建設開始とされた。
- 下電の鉄道事業撤退が早まった。
- 岡山市の政令市移行が早まっている。
- 高松道高松西IC以西・高知道・松山道の開通も早まっている。
- 伊予鉄バスなど四国のバス会社による長距離路線参入も早まっている。
東九州自動車道[編集 | ソースを編集]
椎田道路[編集 | ソースを編集]
- 2014年
- 国道10号の椎田パイパスは徳永交差点の手前まで現実のルートを辿った後、福岡県道58号を拡幅する形で整備され、野添池交差点~現実の椎田南ICまでは新たなバイパスが整備されて、以降は現実のルートで整備されていた。
- 椎田南ICは存在しなかった。
- 現実の築城ICと椎田ICの両者の中間に築上ICが整備されていた代わりに、現実の築城ICと椎田ICに当たるICも存在しなかった。
延岡南道路[編集 | ソースを編集]
- 2005年
- 延岡道路の一部として整備されていた。
- 無料で通行できた。
- 本線料金所は門川IC~日向ICにある。
- 国道10号は土々呂地区も4車線化されていた。
- 門川ICはフルICで整備されていた。
- 国道10号の宮崎方面から延岡南ICへのランプウェイへは直接入れたかも。
九州自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1950年代
- 1960年代までに開通した区間は世界銀行からの融資で建設された。
沖縄自動車道[編集 | ソースを編集]
- 1960年代
- 琉球政府道として建設されていた。
- 当然、開通当時は右側通行だった。
- 西原IC以南は現実の国道330号のルートを辿っており、安里が終点になっていた。
- 歩道や平面交差が出来ることもなかった。
- 浦添以南の国道330号は旧政府道5号、28号、40号を経由し、泊交差点から国道58号に重複するルートになっていた。
あの高速道路が○○だったら[編集 | ソースを編集]
東北自動車道[編集 | ソースを編集]
那須IC以南が宇都宮自動車道に改称されたら[編集 | ソースを編集]
- 福島県民が確実に暴動を起こす。某県のナンバーの車は焼き討ちされる。
- 類似の事例と比較すると人の生命が奪われるような事態になるとは思えない。
- せいぜいNEXCO東日本の本社前でデモが行われたり県議会が抗議の決議を採択するくらいかと。
- 白河の関ならぬ那須の関が設けられ、某県のナンバーの車は通行禁止。
- 那須の関があるおかけで大渋滞。高速道路として機能しなくなる。
- そのような行為はどう考えても警察やNEXCOが阻止する。
- 当然ETCはなし。
- なぜ多くの利用者の不興を買うだけでなく効率低下にもつながることを行う必要が?
- 強行突破した某県のナンバーの車は発砲され強制停止させられる。
- 結果として常磐自動車道がバイパスとして繁栄する。
- 茨城と浜通りが発展し、某県と中通りは衰退・廃墟と化す。
- と、思いきや、磐越自動車道のおかげで郡山以北はそれほどでもない。
- でも某県のナンバーの車はやっぱり郡山JCTから東北道へは移動できない。
- 常磐道いわき~仙台の全通が現実より大幅に早まる。
- と、思いきや、磐越自動車道のおかげで郡山以北はそれほどでもない。
- 北関東道も某県民の迂回路として発達する。
- 茨城と浜通りが発展し、某県と中通りは衰退・廃墟と化す。
- 全国的に高速道路の路線名改称を求める動きが活発化する。
- 例:圏央道茅ヶ崎JCT~高尾山ICが相模縦貫道とか?
- 元々その区間にはそういう名称がある。さすがに名乗らないが。
- 名神高速道路の米原JCT以西と北陸自動車道長浜IC以南を「琵琶湖自動車道」に改名しろという声が出る。
- むしろ「京都自動車道」か。
- 西名阪自動車道も「大和路(やまとじ)自動車道」に改名されていただろう。
- 例:圏央道茅ヶ崎JCT~高尾山ICが相模縦貫道とか?
- 某県民の旅行先が福島から新潟や長野に変わっていた。
- 現実でもそうなりつつある。
- 那須IC以南が片側3車線になっている。
常磐自動車道[編集 | ソースを編集]
全通当初が4車線以上だったら[編集 | ソースを編集]
- 福島県内の休憩施設が今より充実していた。
- 茨城県内に関しても田野PAに売店が新設され、中郷SAの施設は拡張していた。
- 茨城県内の6車線区間が増えていた。
- 少なくても北茨城ICまでは6車線化されていた。
- 東北道経由より所要時間で有利になるので、所要時間で有利になっていた(現状はやや短い)。
- 仙台宮城ICの渋滞が現実よりマシだった。
仙台東部道路及び北部道路が常磐道だったら[編集 | ソースを編集]
仙台東部道路及び北部道路はE6で常磐道系統ですが、もし、常磐道として編入されていたら。
- 少なくても常磐道と番号が連続していた。
- 仙台市内にSAが設置されていた。
- 開通当初から全線4車線以上で整備され、東部道路区間は利府JCT〜名取IC間は6車線化されていた。
- 当然、仙台宮城ICと分散するので渋滞も今ほど酷くなかった。
磐越自動車道[編集 | ソースを編集]
郡山JCT以西が全線4車線化で初めから全通していたら[編集 | ソースを編集]
- 関西・中京以西から仙台のアクセスが北陸道と磐越道経由に切り替わっていた。
- 少なくても北関東道経由は少なくなっていた。
- 当然、首都圏の渋滞も今よりマシになっていた。
- 少なくても北関東道経由は少なくなっていた。
- 阿賀野川SAの給油所廃止はなかった。
- 廃止されなかった他、インフォメーションなどの施設も設置されていた。
- 五百川PA以外の休憩所でも売店などが設置された他、阿賀野川SAと磐梯山SAの売店は夜間営業していた。
- 当然、その影響で黒埼PAと名立谷浜SAの夜間営業も行われていた。
東北中央自動車道[編集 | ソースを編集]
並行する鉄道路線に合わせて奥羽自動車道になっていたら[編集 | ソースを編集]
東北中央自動車道は略しても路線名が長いので、もし並行する鉄道路線と合わせて奥羽道にしたら。
- 少なくても看板表記が読みやすくなっていた。
- 路線名の看板も『奥羽道』となり、東北道や中央道の誤認は減らせた。
日本海東北自動車道[編集 | ソースを編集]
並行する鉄道路線と合わせて羽越自動車道になっていたら[編集 | ソースを編集]
こちらも路線名が長いので並行する鉄道路線に合わせた名前にしたらどうなるでしょうか?
- 新潟県にある高速道路は北陸道を除いて『○越自動車道』だらけになっていた。
- 長い読みが解消され覚えやすい羽越自動車道となり、略称も羽越道となる。
- 但し、新潟中央JCTでは磐越道と羽越道で誤認する事態が相次ぐ。
関越自動車道[編集 | ソースを編集]
北陸道全通後も長岡JCT~新潟中央JCT間が関越道のままなら[編集 | ソースを編集]
- 北陸道は新潟方面が上り、米原方面が下りになっていた。
- 黒崎PAや栄PAは関越道のパンフで掲載されていた。
練馬ICで首都高と繋がっていたら[編集 | ソースを編集]
- 少なくても晴海線は12号を名乗っていた。
- 練馬線は10号になるので。
- 練馬の渋滞が今より楽になっていた。
- 少なくても信号渋滞はなかった。
- 西武池袋線は地下化していたか、手早く高架複々線化していた。
- その影響で外環道も大泉JCT以南は地下経由になっていた。
- 6車線区間が東名東京ICと同じく練馬ICまでになっていた。
- IC構造も高井戸ICに近いものになる。
東関東自動車道[編集 | ソースを編集]
北関東道以南の常磐道より先に全通していたら[編集 | ソースを編集]
- 成田空港や湾岸方面のアクセスから東北太平洋側〜東京はこちらの経路がメインにとなる。
- 酒々井PAはSAになっていた。
- 夜間営業売店も行っていた。
- 首都高中央環状線の混雑が今よりマシになっていた。
中央自動車道[編集 | ソースを編集]
当初から諏訪経由で計画されていたら[編集 | ソースを編集]
当初中央自動車道は、河口湖ICから南アルプスを貫通するルートの予定でしたが、建設費がかかりすぎることから現在の諏訪経由に変更されました。では、当初からこのルートで計画されていたら?
- それでもほぼ史実通りの時期に完成する。
- 但し、地方路線と位置付けられて東名高速方面の建設が優先されていたかもしれない。
- 大月IC~多治見ICは開通当初は暫定2車線で建設。暫定2車線の解消は21世紀に入ってからになっていた。
- 大月IC〜河口湖ICは中央道としては建設されないが、東富士五湖道路がほぼ同じ場所に建設される。
- 史実の中央道河口湖ICと東富士五湖道路富士吉田ICが単一のICになっていた。
- おそらく東富士五湖道路は大月では無く大石峠を突っ切って甲府へ向かっていただろう。
- 都留バイパスの整備予定が早まっていた。
当初から大月JCT以東が6車線規格で開通していたら[編集 | ソースを編集]
当初、東京寄りは6車線規格で建設される予定でしたが、東名と経路が被るがゆえに利用者が少ないと予測されていたので4車線規格で建設されました。その後、渋滞問題で上野原IC~大月JCT間は6車線化されましたが、当初から大月JCT以東が6車線規格で開通していたら。
- 中央道の渋滞が現実より楽になっていた。
- 少なくても殆ど動けない渋滞は減っていた。
- 下道の国道20号の渋滞もマシになっていた。
- 談合坂SAの上下線の距離が現実より短くなっていた。
- 藤野PAと石川PAの規模が少し大きかった。
- 特に石川PAは給油所が設置されていたし、下り線の施設は更に広かった。
- 藤野PAも鮎沢PA位の規模になっていた。
- 藤野は崖っぷちにあるし、すぐ下を中央線が通っているから、それは考えにくい
- 大月以東の国道20号の渋滞が幾分かマシになっていた。
- 東名高速の渋滞が現実よりマシになっていた。
- 少なくとも山中湖を目的とする車は大部分が中央道にシフトしていた。
- 上野原IC〜大月JCT間の下り線は左右ルート型にならず片側3車線規格のトンネルになっていた。
- 大月JCTと大月ICが一つのICとして扱われていた。
- 「中央高速道路」のままだったかもしれない。
開通当初から高井戸IC名古屋方面入口があったら[編集 | ソースを編集]
当初は高井戸ICの下り入口が導入される予定だったら反対運動の末、なかった事になりました。もしあったらどうなるでしょうか?
- 国道20号と246号の渋滞が緩和されていた。
- 少なくても高井戸ICから入れるので甲州街道は渋滞せず、246号の渋滞もマシだった。
- 道路事情の良い20号から楽に入れるので東名も今より楽に入れるようになった。
- 少なくても高井戸ICから入れるので甲州街道は渋滞せず、246号の渋滞もマシだった。
- 東八道路が全線開通が早く、そちらが20号を名乗っていた。
- 少なくても20号の道路事情は良くなったかと。
- 逆に甲州街道は東八道路の20号化で環八〜調布IC間が2車線に減らされていた。
- 環八中の橋交差点内回りに右折レーンが新設されていた。
東名高速道路・名神高速道路[編集 | ソースを編集]
岡崎IC~大垣IC間が6車線で運用されていたら[編集 | ソースを編集]
- 名古屋地区の渋滞は解消されていた。
- 特に一宮JCT付近の渋滞は大幅に減少していた。
- 東海環状道の建設が遅れていた。
- 特に土岐JCT~美濃関JCT間。
全線6車線で運用されていたら[編集 | ソースを編集]
- 新東名と新名神は建設されなかった。
- 史実よりキャパが減るので、一般道のバイパスが充実していたかも。
東京近郊が8車線で運用されていたら[編集 | ソースを編集]
- 渋滞はかなりマシになっていた。
新東名高速道路[編集 | ソースを編集]
浜松いなさJCT~岡崎SAが6車線で運用されていたら[編集 | ソースを編集]
- 静岡区間はほぼ全線6車線化していた。
- 猪瀬ポールも存在しなかった。
- 最高速度の引き上げが容易になっていた。
- 少なくても法令で120km/h引き上げが実施された直後にほぼ全線で120km/hに引き上げられていた。
首都川中央連絡自動車道(圏央道)[編集 | ソースを編集]
久喜白岡JCT〜大栄JCTが建設当初から4車線開通していたら[編集 | ソースを編集]
- 成田空港便のリムジンバスは外環道開通後も引き続き圏央道経由がメインだった。
- 首都高や外環道の混雑は今よりマシだった。
- 関越の練馬IC付近も外環道経由が減るので信号渋滞も今より楽だった。
- 首都高や外環道の混雑は今よりマシだった。
- 常磐道〜東関東道経由する車がメインとなり、江戸崎PAには売店などが設置されていた。
東名阪自動車道[編集 | ソースを編集]
四日市JCT~亀山ICが6車線で運用されていたら[編集 | ソースを編集]
- 伊勢道直結線の開通が現実より早まっていた。
- 名阪国道へ向かう車も現実より増えていた。
- 少なくても新名神亀山西JCT~四日市JCTが開通するまでは酷い渋滞が起きずに済んだ。
名阪国道[編集 | ソースを編集]
有料で建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 道路公団管轄になっていた。
- 上社から松原まで「名阪自動車道」になっていた。
- 公団の民営化後には、NEXCO西日本に引き継がれていた。
- インターの数が現実よりはるかに絞られ、当時の自治体一つにつきインター一つくらいになっていた。
- 関-柘植-上野-山添-針-福住-五ヶ谷-天理みたいな感じになってた。
- Ωカーブなんて作られず、トンネルで高さを稼いでいた。
- その分開通は1965年より遅くなる。下手したら大阪万博(1970年)に間に合わなかったかも。
- その分非名阪は若干改良されていた。
- 下手したら、新名神の亀山〜大津間も建設が一時凍結され、開通が2030年代になっていた。
新名神高速道路[編集 | ソースを編集]
土山サービスエリアの規模が縮小しなかったら[編集 | ソースを編集]
本当は全国第2位の規模で開業するはずだった、新名神高速道路の土山サービスエリア。しかし、「高速道路マニアからすれば大戦犯以外の何者でもない誰かさん」により、新東名や新名神と一緒に予算削減されて平均的なサービスエリアとなった。ちなみに、新名神や新東名は4車線に計画変更され、結局後から6車線にし直すという、100点満点の茶番のような無駄っぷりを披露してくれた。話を戻すが、ここでは、もしも土山サービスエリアがしっかりと作られて、さらに現在、海老名よりも大きくなっていたら。という、99.9%即シカト案件にして、100%実現不可能な妄想を繰り広げる。
工事・設定関連[編集 | ソースを編集]
- 周りが木で景色が悪すぎるから、土地を嵩上げするところから始めたい
- 今気づいた。嵩上げしても何もないから景色どうこうじゃないな。
- その調子で行くと宝塚北も嵩上げしないといけない感じだけど、宝塚北、中日本の管轄外なんでシカトします
- 敷地が広いからハイウェイオアシスを作りたい
- 開業した時期的に、EXPASAもNEOPASAもできてなかったから、後からリニューアルしてどちらかになってた説
- それか、規模が縮小してなければ工事に時間がかかるから、サービスエリアのオープン自体何年かあとになってた説
- 海老名の如く、サービスエリアに行くための車で渋滞して、鈴鹿トンネルが激混みしそう
- ブランドはEXPASAやNEOPASAだとつまらんからなにか別のものにしたい
バカでかい駐車場[編集 | ソースを編集]
- 現在の駐車場は上下線とも横長だけど、宝塚北みたいに縦長にしてもいいかも
- そうすれば小型車は軽く500台は止められる気がする。
- 大型車も最低でも170台ぐらいはとっておこう。
- 少なくないか?
- 確かに。200台ぐらいにしよう。
- 少なくないか?
- 中日本の最近の施設にありがちな、「小型車の駐車場にしっかりとした歩道」があったほうが良さげ
- ほどほどにして、あとは普通の小型車駐車場にしないと、台数が足りなくて後から改良するというバカな真似をすることになる。
- あとから拡張するみたいなバカな真似はしたくないので、最初から素直に広い駐車場にしたい
京都縦貫自動車道[編集 | ソースを編集]
綾部JCT~大山崎JCTまで本線料金所がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 舞鶴や小浜へ向かう際にはこちらから経由になっていた。
- 京都や大阪、奈良から天橋立に行くのに大幅に料金が下がっていた。
- 全てのIC出入口に料金所が設置されていた。
- 交通量が増えるので綾部JCT以南は4車線化を行っていた。
中国自動車道[編集 | ソースを編集]
新山陽自動車道として開通していたら[編集 | ソースを編集]
この場合山陽道が中国道よりも先に作られていた設定です。
- 明らかに高規格。
- もうちょっと山陽道に沿ってたかも。
- 変な山奥にICが設置されることはなかった。
- 新名神と直結していた。
- もうちょっと山陽道に沿ってたかも。
- 下手すりゃ新関門橋が出来て博多まで延伸された。
山陽自動車道[編集 | ソースを編集]
神戸JCT〜三木JCTが6車線だったら[編集 | ソースを編集]
- 新名神も概ね6車線で運用された。
- 山陽道の交通量も増えていた。
- 少なくても山陽道内では宝塚の渋滞は避けられていた。
宇部下関線以外の支線が接続先の道路名だったら[編集 | ソースを編集]
- 文字通り、神戸淡路鳴門自動車道や瀬戸中央自動車道と名乗っていた。
- 本線料金所はなかったか、JCT手前に置かれていた。
舞鶴若狭自動車道[編集 | ソースを編集]
吉川JCT〜三木JCTがあったら[編集 | ソースを編集]
- 宝塚の渋滞は今よりマシになっていた。
- 少なくても神戸JCT絡みの渋滞はなくなっていた。
- 山陽道〜北陸のアクセスが大きく向上していた。
全通時に全線4車線で開通していたら[編集 | ソースを編集]
- 宝塚や米原以西の名神の渋滞が大幅に減少していた。
- 特に草津JCT以西の渋滞を避けられるので京都府内の渋滞が京滋バイパス区間を含めて大きく緩和された。
- 舞鶴PAか加斗PAがSAを名乗っていた。
- 少なくても有人休憩所。特に上荒川PAは売店が設置されていた。
- 中国道の交通量は今よりマシな位、多かった。
高松自動車道[編集 | ソースを編集]
IC番号が鳴門IC起点にふられていたら[編集 | ソースを編集]
- 本四淡路鳴門道との接続が早くから行われていた。
- 少なくても鳴門ICは『1』。鳴門JCTは『2』になっていた。
- その代わり松山自動車道や高知自動車道は路線ごとの番号になる可能性もある。
- 少なくても鳴門ICは『1』。鳴門JCTは『2』になっていた。
- 開業当初から4車線化されていた。
徳島自動車道[編集 | ソースを編集]
本四淡路鳴門自動車道との直接接続していたら[編集 | ソースを編集]
- 距離的な問題から徳島道経由がメインで建設された。
- 当然、上板SAには夜間営業の給油所も存在した。
- 売店等の営業時間も長かった。
- 高松道より先に4車線化された。
- 当然、上板SAには夜間営業の給油所も存在した。
- 徳島IC~鳴門JCTが2015年3月に開通して実現しました。
東九州自動車道[編集 | ソースを編集]
みかん農家の行政代執行が○○だったら[編集 | ソースを編集]
- 回避できていたら
- 早期にみかん農家が買収に応じていれば早く開通していた。
- トンネル建設の場合、史実通りの時期に開通していた。
- バックスバニーショーの「No Parking Here」が引き合いに出される事はなかった。
- 地域住民の声が報道されていたら
- 行政への批判は小さくなっていた。