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もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/九州

筑豊電気鉄道

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1930年代
  1. 地元資本(主に炭鉱関係者)とどこかの鉄道会社の合弁。
    • 当初の社紋は史実と全く異なる。
    • 合弁相手の鉄道会社は九州鉄道(2代目)が有力。
  2. 黒崎駅へは自力で乗り入れ。
  3. 戦時統合で西鉄の路線になっていた。
    • 路線名は「西鉄筑豊線」。
      • 北九州線全廃あたりで(史実の西鉄SS相当の)「西鉄交通S」に移管されたかも。
  4. 開業当初の車両は「関東や関西の私鉄電車に匹敵する」無駄に高性能なもの。
  5. 飯塚辺りまでは何とか開業できていた。
    • それでも八木山峠は結局越えられず。
  6. 貨物輸送はさすがにやっていない。

沖縄都市モノレール

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終戦直後
  1. 沖縄県の電車復活として開業されるが、アメリカ式の電車として開業していた。
    • 沖縄復帰後は国鉄(JR九州?)が一部の路線として生まれ変わるかもしれない。
    • むしろ地元資本による開業。
      • 当時のアメリカではインターアーバンが衰退期の真っただ中だった。
  2. 走る車両は一時期のソウルや釜山の市電ばりにアメリカのお古だらけだった。
    • 場合によっては一部車両が現在も保存されている。
  3. 少なくとも糸満やコザまでは線路が延びている。
    • コザ暴動で何両か列車が焼き討ちにあっていた。
  4. そもそもこの場合は730まで列車も右側通行になるんだろうか?
    • 現在では右側通行時代の車両が保存されている。
    • 併用軌道の区間がない限りわざわざ左側通行に変える必然性はなさそう。
      • 自動車が左側通行から右側通行に変更されたスウェーデンや韓国でもそれ以前にできた鉄道(路面電車を除く)は左側通行のまま。
    • そもそも730が出来たのは鉄道がなかったからということも言われますし。
    • 「日本国内で右側通行の貴重な鉄道路線」として注目される。
1970年代(返還直後)
  1. 沖縄返還として開業する。もちろんモノレールではなく電車式。
  2. 現実のルートではなさそう。那覇から名護を結ぶ路線になりそう。
  3. こっちの場合も6年間だけ列車が右側通行になる。
    • もしくは予め左側通行への変更準備が行われていた。
1987年
  1. 海邦国体に間に合うように開業。
    • 開業が1年早まった可能性も。
  2. 新都心開発が史実より早まる。
  3. 2000年頃までに4両化される。
  4. 南西放送が開局したかも。
    • でもセブンが2000年頃進出するわけないか。
1990年代
  1. 首里城公園が開園した1992年か九州沖縄サミットに開催された2000年(前年の1999年)に開業していた。
  2. 2003年には、浦添前田駅までに延伸開業していた。
    • 2019年には、てだこ浦西駅までの延伸開業をしていた。
    • むしろ、2003年にてだこ浦西駅までに開業していた可能性もあった。
  3. 会社自体は82年創設なのでこうならなかったのがむしろ不思議。
  4. 現在までに4両編成化されている。
  5. 那覇新都心における再開発が史実よりも進んでいた。
2001年
  1. 21世紀最初の年に開業いていたこともあって、注目された。
  2. 2002年のFIFAワールドカップの開催を機にラッピング列車が運行されていた。
  3. 沖縄タイムスの移転など那覇新都心の開発事業が史実よりも進んでいた。
  4. 2003年頃に石嶺駅まで先行開業していた可能性もある。
    • てだこ浦西駅までの延伸開業は史実通り2019年に開業していた。
    • いや、当初の予定通り、2019年春に開業していた。
    • 2003年にてだこ浦西駅までに延伸していた可能性もある。

首里~てだこ浦西

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2003年

2003年8月に最初から、那覇空港~首里~てだこ浦西間が開業していたら…

  1. 3両編成で運行されていた。
  2. 浦添市でも住宅団地の整備が史実よりも進んでいた。
    • セブンイレブンやドンキホーテなどの企業が史実よりも早く沖縄県に進出していた。
    • てだこ浦西駅周辺の開発も史実よりも早く進んでいた。
  3. 沖縄県において、パーク&ライドが流行していた。
  4. 首里で折り返す列車は通常ダイヤで設定されなかった。
2015年
  1. てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
  2. 2019年の開業の時とあまり変わらなかった?
  3. 浦添市にとって、市制施行45周年という記念すべき年であったので、二重の喜びであった。
2019年春
  1. てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
  2. 浦添市の市街化が史実よりも進んでいた。
  3. 当路線でのSuicaの利用開始も延伸開業を機に同時に行われていた。

大分交通別大線

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1930年代
  1. 別大国道の整備と並行して建設される。
  2. 両端の駅にはターミナルビルのようなものが建設された。
    • 大分側にはトキハ本店が入居していたかもしれない。
  3. 大分市内の区間は戦後復興で専用軌道化される。
  4. もう少し「鉄道線」然とした車両が使われていた。
  5. 場合によっては一部区間が現存していたかもしれない。
    • それでも別府市内の併用軌道部分は廃止される。
  6. 時々身の丈に合わない壮大な延伸計画が持ち上がることもあった。
1960年代
  1. モノレールで開業

長崎本線

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1840年代
  1. 最初はオランダ側が無許可で作ったものなので数年で撤去された。
    • 出島のオランダ人は商館長の江戸訪問時を除き島の外に出られなかったのでそれはない。
  2. 開通当初は長崎の住民に恐怖が充満した。
    • むしろ「恐怖半分興味半分」とでも表記したほうが正確な状態では。
  3. 最初はウシが引いていたが、しばらくして蒸気機関車の使用も開始された。
  4. いったい最初の開業区間はどこなのか…

鹿児島本線 (八代~川内~鹿児島)

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1900年代
  1. 当然、九州自動車道の八代以南は西回りで建設された。
  2. 人吉~吉松間は建設すらされなかった。
    • 代わりに立野-延岡間が1930年頃に全通。
    • 現実より急勾配・急曲線が多く、トンネルの数が少ない。
  3. 宮崎方面へは水俣駅で分岐していた。
  4. 人吉は平成の大合併まで市制を敷けなかった。
  5. 現実以上に曲線が多かった。
    • 電化時に一部区間の線路が付け替えられる。

福岡市営地下鉄七隈線

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1980年代
  1. 1000系電車と同じタイプの車両が登場していた。
  2. 天神~橋本間or博多~橋本間として、開業していた。
1990年代
  1. 遅くても、1999年頃までに開業していた。
  2. 3000系電車の登場は史実通り。
  3. 史実通りに天神南~橋本間として、開業していた場合、2005年に天神南~博多間が開業していた。
    • 博多駅前道路陥没事故は起きていたのであろうか?
    • 九州新幹線が全通した年である2011年に開業していた可能性もある。
      • その代わりに、東日本大震災の影響により、開業記念イベントは中止となっていた。
  4. キャナルシティ博多の利用客が史実よりも多くなっていた。
    • キャナルシティ博多イーストビルの開業も史実よりも早まっていたかもしれない。

南阿蘇鉄道

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1914年
  1. 「宮地軽便線」で開業。

吉塚-篠栗

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1930年代
  1. 西鉄前身の会社が建設。
    • 標準軌が採用されDC600V複線電化。

篠栗-桂川

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1904-1910年
  1. 当初峠越えの区間は急な勾配や曲線が多かった。
    • 鉄オタに難所で知られた。
    • 場合によってはスイッチバックが存在した。
    • もし史実通り八木山峠をトンネルで貫くルートだったら、工事で相当な数の犠牲者が出ていた。
  2. 「筑前山手」駅は「山手」駅で開業していた。
  3. 長尾線→筑豊線の一部になっていた。
    • 史実の桂川-原田は開業しなかったか遅れていた。
      • 開業していたら「原田線」に分離された可能性も。
    • 戦時中まで吉塚-桂川-飯塚が複線化された。
    • 20世紀中に吉塚-桂川-折尾が電化された。
      • 電車運用は鹿児島線と共通に。
    • 史実で筑豊本線を経由した本州直通の特急・急行は博多駅にも停車していた。
  4. もし全国の炭鉱や鉱山を存続させていたら沿線がかなり発展していた。
    • 史実通り閉山しても、早いうちに福岡市のベッドタウンとして開発が進んだ。
      • 篠栗町、粕屋町、桂川町は市制施行していた可能性もある。

西日本鉄道

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西鉄大川線

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1980年代
  1. 史実で(天神)大牟田線に編入された津福-大善寺は1930年代に開業していた。
    • 安武-犬塚の線形は史実より良かった。
  2. 九州国際空港の実現を見越して建設され「空港線」になっていた。
    • 史実の「地下鉄空港線」は「地下鉄博多線」になっていた。
    • 「空港線」開業前に大牟田線の試験場前-大善寺が複線化された。
  3. 5000形が史実より多く導入された。
    • 6000・8000形登場が早まったかも。

西鉄貝塚線

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1980年代
  1. 地下鉄との相互乗り入れを前提に建設された。
    • 全線複線化前提で踏切は存在しない。
    • 鹿児島本線との相互乗り入れも前提にしており、この場合、千早以北は建設されなかった可能性もある。
  2. 西鉄と県や古賀・福津・宗像市と新宮町などが株主の3セクが運営。
    • 貝塚-三苫が地下鉄箱崎線でそれ以東を運営。
      • 史実より前者区間の利用者が多い。
    • 当初の保有車は地下鉄1000系同型車。

熊本電気鉄道

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1960年
  1. 産交熊本国体に合わせ建設。
  2. 開業から市電と直通

佐賀関鉄道

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1920年代後半
  1. 省線で開業。
  2. 「日鉱」は駅名に付かない。

福岡市地下鉄空港線

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1930年代
  1. 福博電車が一部地下化しただけ。
1984年
  1. 国鉄103系1000代の筑肥・唐津線転用が実現していた

北九州モノレール

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1920年代
  1. 「日本初のモノレール」だった。
  2. 日本のモノレール普及が早まったかも。

佐賀電気軌道

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1930年代
  1. 最初から普通鉄道で開通し電化。
1980年代
  1. 九州国際空港の実現を見越して建設された。

鹿児島交通枕崎線

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1930年代
  1. 「指宿線」の一部だった。

博多南線

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1900年代
  1. 要するに那珂川軽便が実現していた。
1975年
  1. 山陽新幹線の全通と同時だった。
    • 当初は日中の列車全てに「ひかり」用の16両編成(食堂車連結)が使われる。
2011年
  1. 九州新幹線博多〜新八代間開業の見返りとされた。
  2. ひょっとしたらホームが本線上に設けられ、駅の管轄がJR九州だったかも。
1950年代
  1. 八代~人吉~佐土原間(現実の湯前・妻両線)が「八広線」になっていた。
    • 人吉~隼人間が「人国線」に。

雲仙鉄道

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1930年代
  1. 島原鉄道の「雲仙線」で開業。