もし2025年の万博の開催地が日本の別の場所だったら/近畿

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八尾[編集 | ソースを編集]

  1. 招致には大阪市ではなく大阪府が主体になっていた。
  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 同じ大阪府内での開催であることから名称は現実通り「大阪・関西万博」となっていた。
  2. 会場に関しては八尾空港を夢洲あたりに移転し、その跡地になっていた。
  3. メインアクセスは大阪メトロ谷町線が担っていた。
    • 400系は谷町線に投入され、30000A系も当初から谷町線に投入されていた。
    • 谷町線は梅田(東梅田)や天王寺を通っているため、その点でも利便性は高くなっていた。
      • 八尾南から先、藤井寺や富田林方面への延伸計画が出ていたかも。
      • ホームドア設置も早まっていた。
    • JRのアクセスでは大和路線の志紀駅が活用され、万博期間中に限り大和路快速が停車するほか、新大阪駅からおおさか東線経由のアクセス列車も運転される。
      • 近鉄も万博会期中には近鉄八尾に特急や急行が臨時停車し、会場までシャトルバスを運行していた。
      • 会期中に限り「万博東口(志紀)」駅を名乗っていた。
      • 京都駅からも奈良駅経由で臨時快速が運行されていた。
      • 大和路線に225系が投入されていた。
        • 201系も4扉ロングシートという収容力の高さを活かし、万博輸送に大活躍していた。そして万博終了で引退していた。結果史実(2025年3月)よりも半年長く生き延びていた。
          • 万博期間中はおおさか東線に201系が復活し、大阪駅うめきた地下ホームへの乗り入れも実現していた。
      • それが「エキスポライナー」を名乗っていた。
    • 谷町線はメインゲートの前まで延伸され、既存の八尾南駅の近くにも西ゲートが設置されていた。それ以外にも東ゲートが設置され、こちらはJR志紀駅から徒歩連絡する。
  4. 内陸部にあるので、津波や高潮の心配はなくなっていた。
    • 代わりに史実のゴタゴタは別の形で残っていた。
    • 「夢洲など湾岸は南海トラフ巨大地震による津波の恐れがある」として内陸部に開催地を変更した、ということも考えられた(東大阪市など他の大阪府内の内陸部が開催地になったケースも含めて)。
      • 台風による風水害や高潮被害も(2018年に大阪は台風21号による大きな被害を出している)。
  5. 隣の東大阪市と共同で市内にある中小企業が合同パビリオンを出展していた。
  6. 夏になったら会場内で河内音頭のイベントが行われる。
  7. 会場の最西端が大阪市平野区に越境していた。

彩都[編集 | ソースを編集]

  1. この場合も招致は大阪市ではなく大阪府が中心になっていた。
  • 開催地に選ばれた場合
  1. やはり「大阪・関西万博」と呼ばれていた。
  2. 会場アクセスは北大阪急行電鉄を千里中央から箕面萱野経由で彩都まで延伸していた。
    • 北急にとっては2度目の万博輸送だった。
      • 大阪メトロ400系は御堂筋線に投入されていた。
        • 北急も同型車両を導入している。
    • 他に大阪モノレールも万博輸送に活用される。
      • 東大阪市内延伸も万博に合わせて行われていた。
      • 万博期間中は大阪空港・瓜生堂から会場への直通列車も運行され、大阪空港や阪急・京阪・近鉄沿線からのアクセスとして機能していた。
        • 阪急は期間中京都線の特急を南茨木に、近鉄は奈良線の快速急行を瓜生堂に臨時停車させ、京阪は門真市に停車する臨時の優等列車を設定していた。
  3. 新大阪・梅田・難波・天王寺・大阪空港から乗り換え無しの鉄道アクセスがあるため、現実の夢洲よりはるかにアクセスは良かった。
  4. 近くを新名神高速道路が通っているため、会場近くの空き地に来場者向けの大規模な駐車場が開設されていた。
    • 茨木千提寺ICが会場への玄関口となり、万博会場への案内も併記されていた。
      • 万博期間中のみ「万博茨木IC」になっていたかもしれない。
  5. 場合によっては1970年万博の会場だった万博記念公園も併用されていた。
  6. 茨木市北部にある「ダムパークいばきた」と「グラビテートオオサカ」は万博開幕に合わせたタイミングでオープンしていた。
    • 万博ついでに訪れる人も多く、現実以上に盛況だった。
    • うまくいけば大阪モノレールも彩都西からダムパークの近くまで延伸されていた。

奈良[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 名称は「奈良・関西万博」となっていた。
  2. 会場は近鉄けいはんな線沿線の山林を切り開いて作られた。
    • 恐らく白庭台~学研奈良登美ヶ丘の間にある駅が万博アクセス駅として整備されるか、会場最寄りに新駅が設置されていた。
    • 近鉄は万博輸送のため新車両を投入していた。
      • 大阪メトロも現実通り中央線に新車両を投入していただろう。万博会場は路線の反対側だったが。
      • 近鉄の財政状況を考えると大阪メトロの新車投入で余った20系を臨時に借り入れていた可能性も否定できない。
      • 恐らく「7A系」となっていた。
        • デザインは8A系をベースに緑色ベースとなっていた。
    • 建設場所によっては隣の京都府にも敷地が跨っていた。
      • 日本の史上初めて府県を跨ぐ万博となり県境マニアにとっても聖地となっていた。
        • 場合によってはパビリオンが府県境を跨いで設置されていた。
      • 会場内には警察の要望で県境を示すラインが地面に引かれていた。
    • 地元生駒市高山地区の名産である茶筅も展示されていた。
    • または、旧・奈良ドリームランド跡地を有効活用。
  3. 万博を機に宿泊施設が不足していた奈良県内でホテル建設が加速していた。
  4. シャトルバスは大阪市内や奈良県内からの他京阪沿線や高の原駅からも運行されるだろう。
    • 立地上京阪沿線からはバスでショートカットできるので。
    • あるいは近鉄けいはんな線が万博を前に高の原まで延伸されていた。
  5. やはり河瀨直美プロデュースのパビリオンが存在する。
  6. テーマソングは堂本剛が担当。
  7. アンバサダーには明石家さんまや加藤雅也が就任していた。
    • 女性では尾野真千子も。
  8. フードコートには天理ラーメンが出店。
  9. 閉幕直後の2025年10月に奈良県出身の高市早苗が首相に就任したことで「2025年は奈良の年」とも言われていた。

馬見丘陵公園[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていたら
  1. この場合も「奈良・関西万博」になっていた。
  2. メインの玄関口は近鉄五位堂駅で、そこから新交通システムが会場まで建設されていた。
    • 万博終了後は沿線にあるニュータウンの足として活躍する。
    • 北側に近鉄田原本線が通るが、単線で輸送力が低いためアクセスには活用されず、シャトルバスは王寺駅から出ていた。
    • 万博期間中は特急が五位堂駅に臨時停車していた。
      • 阪神からも臨時の直通列車が運行されていた。
      • 史実通り翌年からは正式な停車駅に昇格する。
    • 万博を前に五位堂駅前が再開発され、商業施設がオープンしていた。

東大阪[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. この場合も名称は「大阪・関西万博」となっていた。
  2. 開催地は花園中央公園を整備して会場になっていた。
  3. 地元出身のゆうちゃみがイメージキャラクターを務めていた。
    • 万博のテーマソングを歌っていたかも(史実で2024年に歌手デビューした)。
    • 同年は中居騒動の余波でACジャパンのCMが増えたこともあり、彼女にとっては飛躍の1年になっていた。
  4. 1970年万博の候補地にここが挙がったことがマスコミに取り上げられていた。
  5. メインアクセスは近鉄奈良線が担っていた。
    • 東花園車庫への引込線を臨時に客扱いしていた。場合によっては万博終了後も恒久的に客扱いすることが決まっていた。
    • それ以外に近鉄けいはんな線の吉田~新石切間に臨時駅が設置される。
    • 直通先の阪神や山陽電鉄から臨時の直通列車も運行されていた。
      • 名古屋や京都・伊勢志摩からの直通特急も運行されていた。
  6. 大阪モノレールは万博に合わせて瓜生堂までの延伸が実現し、近鉄側の新駅も開業していた。
    • 大阪空港や千里方面からの万博アクセス路線となっていた。
  7. 史実のゴタゴタは別の形で(ry
  8. 隣の八尾市と共同で市内にある中小企業が合同パビリオンを出展していた。

神戸[編集 | ソースを編集]

  1. 1970年万博における開催候補地の1つだった。
  • 開催地に選ばれていた場合
  1. ちょうど阪神・淡路大震災から30年という節目の年に開催されることになっていた。
    • そのため、防災に関する展示なども行われるだろう。
  2. 会場はポートアイランド・六甲アイランド南の新埋立地・西神ニュータウンのいずれかになっていた。
  3. アクセスとしてはポートアイランドの場合、ポートライナーの輸送力が限界に近づいていることから阪神電鉄の分岐線が神戸空港まで建設されていた。
    • 六甲アイランド南の場合も同様。
      • 関空からは会場直通の高速船が運航されていた。
    • 西神の場合は阪急と市営地下鉄西神・山手線の直通が実現していたかも。
      • 四国方面からのアクセスを考え、垂水区か西区の空き地に大規模な駐車場が整備されていた。
        • 四国4県からの直通高速バスも運行される。
      • 開催場所によっては会場内を日本標準時子午線が通っていた可能性もある。
        • 会場内にもそれを示す標識が設置されていた。
      • 神戸市営地下鉄1000形などの旧型車両の一部は万博輸送のため残され、終了後にまとめて廃車された。その結果史実よりも2年長く生き延びた。
  4. 1981年のポートピア博覧会が引き合いに出されていた。
  5. 名称は「神戸・関西万博」だった。
  6. 神戸空港の国際化が行われていた。
    • その一方で関空からのアクセスは海上輸送がメインになっていた。
    • 本島に神戸空港が国際線化された。
      • 「本島」ではなく「本当」では?
  7. 万博期間中は近鉄特急の神戸三宮直通が行われるだろう。
    • 「ひのとり」の一部車両は阪神乗り入れ対応になっていた。
    • 8A系も阪神に乗り入れを開始していた。
  8. アンバサダーに北川景子あるいは戸田恵梨香が選ばれていた。
  9. 会場内のレストランでは神戸牛や南京町の中華料理が出されていた。
    • フードコートではもっこすのラーメンやそばめしが提供されるだろう。
      • 明石焼も。
  10. 明石海峡大橋に万博をイメージしたライトアップが行われていた。

猪名川町[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 会場は日生ニュータウンの西にある丘陵地を切り開いて建設された。
  2. 会場アクセスとしては能勢電鉄日生線が日生中央から会場まで延伸される。
    • 場合によっては猪名川パークタウンへの延伸も実現していた。
    • 阪急大阪梅田駅発着の「日生エクスプレス」が万博期間中は終日運行し、「エキスポライナー」とかいう愛称も与えられていた。
      • 神戸や京都からの直通も設定されていただろう。
    • 能勢電鉄は万博を前に阪急に合併されていたかもしれない。
    • 能勢電鉄は自社新造車を入れていたかも。
      • 阪急新2000系は万博対応で大量に新造され、能勢電鉄も同型車両(2200系?)を投入していた。
      • 1700系(元阪急旧2000系)は万博輸送を最後に引退していた。
    • 2025年の能勢電鉄運賃値上げはなかった。
      • あるとしても万博終了後に繰り下げられていた。
  3. 会場から近い伊丹空港に一時的に国際線が復活していたかもしれない。
  4. 会場近くに新名神高速道路のインターチェンジがあるので、その周辺の空き地に来場者向けの大規模な駐車場が開設されていた。
    • 新名神自体万博までに全通していたかもしれない。
  5. 会場内限定の三ツ矢サイダーが発売されていた。
  6. 近くにある多田銀銅山の展示施設の知名度が上がっていた。
    • 万博ついでに行く人も多かっただろう。

泉北丘陵[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 会場は和泉市中央部の丘陵地を切り開いて建設されていた。
  2. アクセスとしては泉北高速鉄道を和泉中央から万博会場まで延伸していた。
    • 万博終了後は沿線にあるららぽーと和泉や工業団地へのアクセスとして機能する。
    • 万博期間中は南海高野線と泉北線の10両運転が一時的に復活していた。
      • 8両固定編成の5000系も輸送力列車として大活躍していた。
  3. 2025年4月に泉北高速鉄道は親会社の南海に吸収合併されるが、タイミング的に万博を見越したものになっていた。
  4. 中百舌鳥駅における大阪メトロ御堂筋線との乗り換え動線が改良されていた。
    • 恐らく地下に南海の改札が設置される。
  5. 万博期間中は特急「泉北ライナー」が昼間時間帯も臨時で運行される。
    • 列車によっては指定席車4両+自由席車6両の10両で運転されていた。
  6. 関西空港に近いので、海外を始め遠方からの来場も便利になっていた。
    • 関空からはシャトルバスが頻発している。
  7. 泉北及び和泉ニュータウンの人口が増加していただろう。
    • 泉ヶ丘駅前の商業施設再開発も万博までに完了していた。

鶴見緑地[編集 | ソースを編集]

  1. 史実でも候補地の1つに上がりました。
  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 鶴見緑地は1990年花博に次ぎ2度目の万博開催地となっていた。
    • 大阪メトロ長堀鶴見緑地線は2度目の万博輸送となっていたが、前回と異なり都心部に延伸しているので、大阪メトロだけで梅田・難波・天王寺・新大阪の4大ターミナルから会場にアクセスできるようになっていた。
      • 但し路線の関係上新大阪や梅田からは遠回りとなる。
      • 小型のリニア地下鉄4両では輸送力が不足するため、長堀鶴見緑地線は6両に増結されていた。
      • 場合によっては今里筋線から車庫線を経由して会場最寄りの鶴見緑地駅まで直通する電車も運行されていた。
        • 会場の北西ゲートに近い鶴見緑地北車庫付近に臨時駅が設置されていた可能性もある。
        • 谷町線からのアクセスは太子橋今市乗り換えも活用されていた。
  2. 大阪モノレールの門真市以南延伸が早まっていた。
    • 瓜生堂(東大阪市)まではともかく最低でも長堀鶴見緑地線に連絡する門真南までは万博までに延伸されていた。
  3. ららぽーと門真は万博を見越してオープンしていたことになっていた。
    • これのオープンに伴い閉鎖された三井アウトレットパーク大阪鶴見跡地も万博関連施設として活用されていただろう。
      • イオン京橋店跡地も。
  4. 前回行われた花博のシンボルである「いのちの塔」は老朽化に伴い解体されていた。
    • あるいは前回のレガシーとして改修の上保存、公開されていたかもしれない。
    • 国際庭園も老朽化のため解体されていた。
    • 「咲くやこの花館」も新たなパビリオン建設のため移転、解体されていたか自然をテーマとした新パビリオンとしてリニューアルされていた。
  5. 花博同様THE ALFEEがテーマ曲を担当。
  6. 京阪守口市駅からの路線バスも会場アクセスとして活用されていた。
    • 普段は中型バスで運用されているが、万博期間中は混雑するため大型車に変更し、増発も行われていた。

寝屋川市[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 恐らく寝屋川公園が開催地になっていた。
  2. メインアクセスはJR学研都市線で、寝屋川公園~星田間に会場最寄りの臨時駅が開設される。場合によっては万博閉幕後も常設駅として存続。
    • 常設駅となった場合こちらが寝屋川公園駅となり、現寝屋川公園駅は元の駅名である「東寝屋川」駅に戻される。
    • 他に京阪の寝屋川市駅からシャトルバスを運行。
      • 万博期間中は特急が寝屋川市駅に臨時停車する。
    • 尼崎・北新地のほか、新大阪や姫路からも直通列車が運行される。このほか京田辺折返しの快速が期間中は全て祝園あるいは木津まで延長され、京都方面からのアクセス向上を図る。
  3. 近くに第二京阪道路が通っていることから、インターチェンジ近くに来場者向けの駐車場が開設される。
  4. 京阪寝屋川市駅前における道路拡幅も万博までに完了していた。

服部緑地[編集 | ソースを編集]

  1. 史実でも候補地の1つに上がりました。
  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 北大阪急行がメインアクセスとなり、2度目の万博輸送となっていた。
    • 他に阪急の曽根あるいは豊中駅や大阪空港からシャトルバスが運行されていた。
      • 服部天神駅には「万博会場の最寄駅ではありません」という掲示が出されていた。
        • あと曽根駅に「万博西口」の副駅名が追加され、場合によっては急行が臨時停車していた。
          • 曽根駅からの徒歩ルートも推奨されていた。
    • 万博期間中だけ阪急は京都線特急を南方駅に臨時停車していた。
    • 新大阪・梅田・難波・天王寺にダイレクトでアクセスできる御堂筋線がメインアクセスとなるので、利便性は高かった。
      • そのためシャトルバスは最小限で済まされた。
    • 新大阪折り返し電車が万博期間中は箕面萱野まで臨時で延長されていた。
      • 一部は桃山台止まりとなり、入庫していた。
      • 千里中央駅手前にある会場線の跡地に臨時に引き上げ線を作り、ここで折り返していたかも。
  2. 公園内にある民家集落博物館は移転を余儀なくされていた。
  3. ダイエー曽根店の建て替えは万博までに完了していた。
    • 食品売場では万博へ行く客が弁当など食材を買う光景が見られた。

大泉緑地[編集 | ソースを編集]

  1. 史実でも候補地の1つに上がりました。
  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 大阪メトロ御堂筋線の新金岡駅と近鉄南大阪線布忍駅がアクセス駅となり、そこから徒歩あるいはシャトルバスで連絡となっていた。
    • 布忍駅は万博に伴い大改良が行われ、期間中は特急・急行・準急が臨時停車していた。
      • 万博がきっかけで難読駅名である「布忍(ぬのせ)」が読める人が増えていた。
    • 御堂筋線は万博期間中は天王寺以南で大増発が行われ、終日新金岡行きが運転されていた。
    • 南海も万博期間中は中百舌鳥駅に特急・急行・区間急行を臨時停車していた。
  2. 「大泉」が縁で大泉洋がイベントに参加していたかも(彼は北海道出身だが)。

京都[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 名称は「京都・関西万博」となっていた。
  2. 会場は巨椋池干拓地が有力。
  3. アクセス鉄道は京阪淀駅から会場への分岐線が建設され、他に近鉄京都線も活用される。
    • 近鉄側は向島駅が万博アクセス駅となり、特急や急行が臨時停車していた。
    • 中之島線の不振で大損をこいた京阪にとっては一発逆転のチャンスとなっていた。
      • プレミアムカー付きの特急が淀屋橋あるいは中之島から万博会場まで直通運転される。
        • 合わせて8000系に代わる新特急車も登場していた。
        • 万博期間中は通常の特急も淀駅に臨時停車していた。
    • あるいは京都市営地下鉄烏丸線が竹田から万博会場まで延伸され、京阪との交点に京阪共々新駅を設置していた。
      • その場合油小路通は中央に地下鉄の高架が敷ける構造になっていたかもしれない。
        • ちょうど新御堂筋のような構造となっていた。
      • らくなん進都が現実よりも発展していた。
  4. 任天堂がパビリオンを出展していた。
    • 他に村田製作所・島津製作所・ニデック・京セラと言った京都の有力企業も。
  5. イメージソングは倖田來未が担当。
  6. フードコートには餃子の王将や天下一品が出店。
  7. 万博期間中は京都の主要観光地が想像を絶する混雑になっていた。
    • ホテルも予約困難となり、周辺の大津や高槻に泊まる人も多かった。
    • 前年に開館したニンテンドーミュージアムも万博と一緒に訪れる客で大賑わいだった。
  8. 京都の夏は大阪以上に暑いので、暑さ対策が現実以上に問題になった。
  9. 京都アニメーションが万博記念の特別なミニアニメを手掛けていた。
    • 場合によってはアニメをテーマにしたパビリオンを出展していた。
      • 放送期間中に放送されていたアニメ『CITY THE ANIMATION』との連動企画もあった。
    • 2019年7月に発生した京アニ放火事件で命を落とし、万博開催を見届けられなかったアニメーター達の話がマスコミで取り上げられていただろう。

亀岡[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 北大阪急行が千里中央から箕面萱野を経て亀岡まで延伸されていた。
    • それに伴い豊能町の北大阪ネオポリスは人気の住宅地となっていた。
    • 京都側からはJR嵯峨野線がアクセス路線となっていた。
      • 混雑緩和のため同線の221・223系はロングシート化されていたか323系の4連バージョンが投入されていた。
    • 箕面有料道路も亀岡まで延伸され、大阪~亀岡の道路事情が改善されていた。
  2. 保津川下りや嵯峨野観光鉄道が万博と一緒に訪れる客で大賑わいだった。
    • 嵐山も大混雑だった。
  3. 亀岡名物のハバネロが会場で展示されていた。

滋賀[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 名称は「びわ湖・関西万博」になっていた。
  2. 会場は希望が丘文化公園。
  3. アクセスとしてはJR野洲駅から新交通システムが建設されていた。
    • 東海道新幹線の野洲付近に新駅ができていたか、びわこ栗東駅の計画が復活していた。
      • 後者の場合、駅から会場までシャトルバスが運行されていた。
      • 新交通システムの運営母体は恐らく近江鉄道で、同型の車両が後に西武山口線の新型車両として導入されていた。
        • 親会社である西武グループが首都圏で大々的に宣伝していた。
          • ラッピング車も運行されていた。
    • 万博期間中は新快速が増発され、草津発着の列車が米原まで延長されていた。
      • ピーク時には野洲まで毎時8本で全て12両編成で運行されていた。
  4. 近江商人をルーツとする企業がパビリオンを出していた。
  5. テーマソングを担当するのはTMRこと西川貴教。
    • アンバサダーにはモデルのSHIHOや高橋メアリージュン・ユウ姉妹、八木莉可子、ダイアンあたりが就任。
    • 彼は1970年生まれであることから前回の万博の年に生まれたことも話題にしていた。
  6. フードコートには滋賀県代表として来来亭やちゃんぽん亭が出店。
  7. 1970年万博でも候補地に上がったことも取り上げられる。
  8. 会場内のオフィシャルショップには平和堂が出店していた。

三田市[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. メインアクセスはJR福知山線が担当する。
    • 大阪駅から快速が増発されるほか、普段は塚口止まりのJR東西線快速が万博期間中は会場最寄駅まで延伸される。
      • 万博対応のため、323系の4扉バージョンである325系が投入されていた。
      • 快速・丹波路快速は万博を機に大阪駅発着から新大阪駅発着に変更されていた。場合によっては万博終了後も継続される。
    • 開催場所にもよるが、神戸電鉄公園都市線が会場まで延伸されていた。
      • 神戸電鉄は万博で経営が好転し、準大手私鉄に復帰していたかもしれない。
  2. 有馬温泉の宿泊客が増えていた。
  3. 「三田」を「さんだ」と読める人が現実よりも増えていた(特に非関西人)。

りんくうタウン[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 大阪市内からは遠いが、関空の目の前にあるので遠方からの来場は便利だった。
    • そのため、現実よりも関西以外からの来場が多くなっている。
      • 海外からの来場も多かっただろう。
  2. メインアクセスは南海本線・空港線及びJR阪和線・関西空港線だが、関空への乗り入れ本数が限られるので南海羽倉崎駅もアクセス駅として活用されていた。
    • 会期中は特急「サザン」が羽倉崎駅に臨時停車するほか、難波~羽倉崎に臨時急行も増発されていた。
    • 何はともあれ、南海電鉄は万博で大儲けしていた。
      • 「サザン」や「こうや」の新型車両が万博に合わせて導入されていた。
        • 「天空」に変わる新型観光列車も。

舞洲[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 大阪メトロ中央線では遠回りになるため、JR桜島線の延伸が行われていた。
    • 中央線もサブルートとして延伸される。
  2. 舞洲ベースボールスタジアムは夢洲に移転していた。
  3. 場合によってはネモフィラ園が潰されていたかも。
  4. バスでのアクセスは市内各地からのシャトルバスのほか、桜島駅からの北港観光バスや西九条からの大阪シティバス81系統も活用されていた。
    • しかも予約不要で運賃も210円と安いことからシャトルバスの利用客を奪い、万博期間中は大混雑になっていた。

万博記念公園[編集 | ソースを編集]

  1. この万博を企画した堺屋太一氏はここを第1候補に挙げていました。
  • 開催地に選ばれていたら
  1. 1970年のそれに続いて2度目の万博開催だった。
  2. さすがに北大阪急行電鉄会場線を復活させるのは難しいので、大阪モノレールがメインアクセスとして機能していた。
    • 混雑緩和のために6両に増結されていた。
    • 阪急京都線は会期中は特急を南茨木駅に臨時停車させ、京阪は門真市に停車する優等列車を臨時で設定していた。
      • JRは新快速が会期中茨木駅に臨時停車し、そこでシャトルバスに連絡していた。
    • 阪急千里線の万国博西口駅が山田駅の北側に復活していた可能性はある。
      • 山田駅に近すぎることや、万博開催中の期間限定駅のため、独立した駅ではなく山田駅の一部という扱いになっていた(近鉄八木西口駅のように)。
      • モノレールの輸送力を考えるとこちら側にメインゲートができていた可能性もある。
        • その場合、淡路駅の2重高架化は万博を前に完成していただろう。
    • 万博までに東大阪市の瓜生堂までの延伸が実現していた。
      • 近鉄奈良線の優等列車が万博期間中瓜生堂駅に臨時停車していた。
    • 大阪モノレールは輸送力が小さいが、東西双方からアクセスできるので愛・地球博におけるリニモが参考になっていた。
  3. もちろん太陽の塔が今回の万博でもシンボルになっている。
  4. 会場近くにあるEXPOCITYは万博客でこちらも大賑わいだった。
    • 入場前の食事や食料購入の場にもなっていた。
    • ニフレルなどが万博との共通入場券を出していたかもしれない。
  5. 千里中央の再開発は万博までに完了していた。
  6. 会場から近い大阪(伊丹)空港に一時的に国際線が復活していただろう。
  7. 会場面積が史実の夢洲の倍以上あったので、混雑も緩和されていた。
    • あるいは来場者自体も史実よりも多かった。
    • パビリオンも史実より多かったかもしれない。
  8. 公園内にある国立民族学博物館が移転していた可能性がある。

伊丹[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪空港が廃止されていることが条件。
  • 開催されていたら
  1. 名称は「伊丹・関西万博」となっていた。
  2. 会場は伊丹空港を廃止し、その跡地で開催。
  3. 会場は大阪府と兵庫県に跨がり、史上始めて「2つの府県に跨る万博」になっていた。
    • 警察の要請から会場内の地面に府県境を示す線が引かれていた。
  4. 鉄道アクセスは阪急曽根あるいはJR伊丹から分岐線が作られ、大阪モノレールもサブアクセスとして現実通り延伸されていた。
  5. 入場ゲートは大阪府側に東ゲートが、兵庫県側に西ゲートが作られていた。

堺市湾岸部[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 会場は恐らく堺浜あたり。
  2. アクセスとしては大阪メトロ四つ橋線が住之江公園から会場まで延伸されていた。
    • 以前の計画とは異なるが、四つ橋線の堺市乗り入れが実現していた。
    • 大国町で御堂筋線と線路が繋がっていることを利用して箕面萱野・新大阪~万博会場直通列車が運行されていた。
    • 南海沿線からのアクセスは本線堺及び高野線堺東からのシャトルバスのほか天下茶屋⇔四つ橋線岸里の徒歩連絡も活用されていた。
      • それと同時に堺筋線天下茶屋駅との乗り換えにおける運賃通算も行われるようになり、岸里駅の駅名も「岸里(天下茶屋)」と副駅名が追加されていた。
  3. 日本館の名誉館長に沢口靖子が就任していた。
    • テーマソングをコブクロが担当するのは史実どおりだが、アンバサダーに小芝風花が就任していた。
  4. シマノなど堺市に縁のある企業がパビリオンを出展していた。

富田林[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれた場合
  1. メインアクセスは近鉄南大阪線+長野線が担う。
    • 他に南海高野線もアクセス路線となるだろう。
    • 万博輸送にはかつて存在したPL花火輸送のノウハウが活かされ、7~8両編成の準急が大阪阿部野橋~富田林間で大量に運転される。
      • 万博輸送のため近鉄は南大阪線に6A系(8A系の南大阪線バージョン)を投入していた。
      • 道明寺線は万博期間中はツーマン運転になっていた。
        • JRは大和路快速を万博期間中は柏原駅に臨時停車していた。
  2. この場合も「大阪・関西万博」となる。
  3. 8月1日にはやはり花火大会が開催される。

天理[編集 | ソースを編集]

  1. 恐らく天理教が誘致に関与した。
  • 開催地に選ばれていた場合
  1. アクセスは近鉄とJRが担う。
    • ともに大阪・京都から天理までの直通列車が頻繁運転される。
    • JRは大和路快速を天理まで延長運転していた。
    • 阪神神戸三宮~天理直通も数多く運転され、阪神車も天理駅まで乗り入れていた。
    • これを機に関西本線経由で名古屋~奈良を直通する列車が設定され、万博期間中は天理まで延長運転されていた。
  2. 天理教がパビリオンを出展していた。
  3. フードコートにはもちろん天理ラーメンが出店。

大和郡山[編集 | ソースを編集]

  1. 開催期間は24号線、大和中央道などが大渋滞
  2. アクセスは近鉄橿原線関西本線が担う。
  3. まほろばは大増発でJR郡山駅に停車。
  4. 開催決定からまほろばはすぐに定期列車化していた
  5. 大和路快速は全列車環状線経由で、うめきた→新大阪へ
  6. みやこ路快速も王寺行きとなる。
  7. 近鉄特急も近鉄郡山に停車。
  8. 阪神三宮や名古屋、大阪難波、京都方面などなど たくさんの臨時列車が運転。
  9. クラブツーリズムもツアー開催
  10. パビリオンには金魚館あり。

和歌山[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. 名称は「和歌山・関西万博」となっていた。
  2. 恐らく和歌山市か海南市あたりが会場となっていた。
  3. 万博期間中は大阪環状線・新大阪・天王寺~和歌山に「エキスポ快速」が運行され、日根野以南も通過運転を行っていた。
    • 南海サザンもこの期間ばかりは指定席が連日満席となり、臨時便も増発されていた。
      • 「ラピート」の車両による全車指定席の臨時特急も運行されていた。
    • 関空~和歌山の直通列車もあった。
    • 南海フェリーも四国方面からの万博客で大盛況だった。
  4. 和歌山市の人口減少に歯止めがかかっていた。
  5. 会場内のフードコートには和歌山ラーメンの店が出店。
    • それだけでなく玉林園の「天かけラーメン」も。
  6. 花王・島精機製作所など和歌山に本社や事業所を置く有力企業がパビリオンを出展していた。
  7. 和歌山電鐵貴志駅のねこ駅長も来場していた。
  8. アンバサダーはhyde。
    • 生まれが和歌山ということで明石家さんまも可能性がある。
    • 溝端淳平や坂本冬美もありうる。

交野[編集 | ソースを編集]

  • 開催地に選ばれていた場合
  1. さすがに現交野市長も万博を否定することはないだろう。
  2. アクセス鉄道はJR学研都市線と京阪交野線が担っていた。
    • 京阪は終日に渡り本線と交野線の直通列車が運転される。JRは学研都市線で増発されるほか新大阪からおおさか東線経由で直通する快速「エキスポライナー」が運行されていた。
    • 玄関口となるのはJR星田・河内磐船と京阪河内森あたりか?
    • 奈良県からは生駒駅あるいは白庭台駅からシャトルバスが運行されていた。
  3. 「交野(かたの)」という難読市名を読める人が多くなっていた。
  4. 「星のブランコ」が万博期間中は大賑わいとなっていた。