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もし2025年の大阪・関西万博が◯◯だったら

別の時代に開催されていたら

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  1. 前年の大阪花博は開催されなかった。
  2. 6月には雲仙普賢岳噴火災害があったことから、会場内に募金箱が設置されていた。
  3. 同年は団塊ジュニアのピークである1973年度生まれが大学受験だったことから大学進学を希望するものは受験勉強に追いまくられ、万博どころではなかっただろう。
  1. バブル崩壊は数年遅れていた。
    • 特に関西。1995年の阪神大震災まではバブルの余韻が続いていただろう。
    • 日本経済がまだ好調だったということもあり、入場者数は5000万人を超えていた。
      • 場合によっては1970年万博の6422万人も超え、史上最多を更新していた。
  2. 関西国際空港の開港が早まっていたかも。
  3. 阪神なんば線やJR東西線は1992年3月に開通していた。
    • 阪神8000系は1990年の8231Fで打ち止めになり、翌年からは近鉄乗り入れ対応のVVVF制御の新形式車両が投入されていた。
    • 207系は現実と異なり、国鉄が投入した900番台の量産タイプになっていた。
    • 大阪メトロ(当時は大阪市営地下鉄)堺筋線の天下茶屋延伸も1年早まり、1992年3月となっていた。
  4. 1992年と言えば団塊ジュニアのピークである1973年度生まれが大学1年だったので、受験から解放された喜びと合わせて大きく盛り上がっていただろう。
    • 但し浪人組を除く。
    • 就職組も初任給で万博に行ったりしていた。
    • 会場でアルバイトをした学生も多かっただろう。
  5. 当時100歳の双子だったきんさん・ぎんさんが万博に招待されていた。
    • 若貴兄弟も。会場内で大阪巡業が行われていた。
  6. 新幹線「のぞみ」のデビューが1年程早まっていた。1991年に試験的に東海道新幹線で早朝・深夜に運行開始し、万博開幕前の1992年3月改正で毎時1本の運行となり、山陽新幹線への直通も行っていた。
    • 北陸方面の特急「サンダーバード」も1992年3月改正でデビューしていた。万博期間中は富山~桜島直通の「エキスポサンダーバード」も運行されていた。桜島で会場へのシャトルバスに接続。
  7. 史実で1990年に開催された大阪花博はなかった。
    • 1996年の世界都市博も企画されなかったかもしれない。
  8. 「日清ラ王」は万博でデビューし、会場内でも食べられていた。
  9. 阪神タイガースの優勝争いが万博と合わせて語り継がれていた。
    • もし優勝していた場合、万博と二重で大盛り上がりだっただろう。
    • 「日本国内で万博が開催されたら阪神がAクラスに入れる」というジンクスが生まれていた。
      • 事実、1970年(大阪万博の開催年)は2位、1985年(つくば科学万博の開催年)と2005年(愛・地球博の開催年)はリーグ優勝、1975年(沖縄海洋博の開催年)は3位になっている。
      • 史実通りヤクルトに優勝を献上した場合、「大阪府内で万博が開催されたら阪神がリーグ2位になる」というジンクスも生まれていた。
  10. 前回の一般博は1970年大阪万博だったので、一般博に限れば2回連続で日本、大阪で開催されたことになっていた。
  11. 2025年の万博開催地は大阪ではなかった。
    • 2005年が史実通り愛知県だったとすれば2025年は国内だったら福岡あたりで開催されていた。
  1. 関空の開港が1993年3月だった。
    • 阪神なんば線やJR東西線の開通も。
    • 堺筋線の天下茶屋延伸は万博に合わせたものとなっていた。
  2. 同年はJリーグ発足やドーハの悲劇、皇太子(当時。現天皇陛下)ご成婚などもあり忘れられない年になっていた。
    • 会場内でご成婚の祝賀イベントもあっただろう。
  3. 同年の夏は長雨や冷夏もあり、入場者数はそこまで伸びなかったかもしれない。
    • ただ猛暑と比べると過ごしやすかったと思われる。
  4. この場合も1990年の花博はなかった。
  5. 新幹線の「のぞみ」が毎時1本になったのは万博がきっかけだった。
  6. 阪神タイガースは昨年に続きAクラスを堅持していた。
    • 場合によってはリーグ優勝し、前年の雪辱を果たしていた。
  7. 会場内に遊園地ゾーンが開設されており、その遊園地ゾーンで使われていた遊具の一部が翌年に開業を控えている志摩スペイン村に移設されていたかもしれない。
  8. 7月には北海道南西沖地震があったことから、会場内に募金箱が設置されていた。
  1. 関西国際空港開港記念のイベントだった。
    • 史実通り4月開幕だった場合、開港自体3月に繰り上げられていた。
    • 秋開幕だった場合、会期途中で阪神大震災が発生し、会期中断あるいは途中終了を余儀なくされていた。
      • 大晦日~元日のカウントダウンイベントが万博会場で行われており、「万博で年越し」という人もいたと思われる。
        • 場合によってはNHK紅白歌合戦はこの年限りの万博会場での開催となっていたかもしれない。
        • NHKの「ゆく年くる年」でも取り上げられていた。
        • 1995年1月15日には大阪市の成人式が万博会場で行われていた。
          • 加えて新成人が万博に無料招待されたが、団塊ジュニア世代(1974年度生まれ)で人数が多かったので彼らによる盛り上がりも大きかった。
          • 阪神大震災の2日前ということも話題になっていた。
        • その日に限りパビリオンや土産物店などの施設もオールナイト営業が行われていた。
          • フードコートやレストランでは年越しそばが振る舞われていた。
        • 万博会場での新年のカウントダウンの花火の打ち上げや初日の出も話題になっていた。
      • 発生時間が昼間だった場合、万博に来ていた観客や関係者が地震に巻き込まれていた。
        • マスコミで彼らのエピソードも取り上げられていただろう。
        • 間違いなく新幹線が脱線していたので、事故の犠牲者や負傷者の中にも万博に行く人がいた。
      • 12月にはクリスマスイルミネーションも行われていた。
      • 3月20日には地下鉄サリン事件が発生したことからそれ以後警備体制が強化された。
        • 入口で手荷物チェックが行われていたほか、ゴミ箱の封鎖なども実施された。
        • 最悪オウムは東京ではなくこちらを狙っていたかも…。
      • 会期中断→再開の場合、国民から「震災で中断した分だけ会期を延長してほしい」との要望が相次いていた。
        • 仮に阪神大震災で中断した分だけ会期が延長した場合、おそらく1995年のGW明けあたりまで延長されていた。
          • 万博会場内に募金箱が置かれていた。
            • 万博の収益の一部を被災地に寄付していたかもしれない。
          • ただし、前述の通りオウム真理教が万博でサリン事件を起こしていた場合はその限りではない。
        • 会期再開初日に会場内で黙祷が行われていた。
          • 再開後は震災被災者に配慮し派手なイベントは自粛されていた。
        • この時点で「会期は6週間以上6ヶ月以内」という国際博覧会条約が改定されていた。
          • 場合によっては期間延長できるようになっていた。
    • 南海天下茶屋駅の高架化も万博に間に合うように完成し、優等列車の停車も行われていた。
  2. 地下鉄中央線は1994年3月の時点で夢洲まで開業していた。
    • 但し大阪港から先は万博時点ではOTS社の管轄で、史実(2005年)と同時期に大阪市交通局に移管されていた。
      • 万博で稼ぎまくったので、OTS社の経営状態は現実よりも良かった。1970年万博の時の北大阪急行電鉄と比較されていた。
    • ニュートラムの中ふ頭~コスモスクエア間も同時開業していた。
    • 他にJRゆめ咲線も万博前に夢洲まで延伸し、万博の第2ルートとなっていた。
      • 大阪環状線に207系が投入されていた。帯の色は赤色になっていた。
        • 万博終了後は一部余剰となるのでJR東西線系統に転用されていた。
    • 大阪市営地下鉄は万博を前に完全冷房化を完了していた。
      • 30系と60系は史実より多くの車両が冷房改造され、50系は万博を前に全廃になっていた。
  3. 阪神なんば線・京阪中之島線・JR東西線の開業も万博前に前倒しされていた。
    • 京阪中之島線に関しては計画自体が早まり、万博開幕の時点で西九条まで開業済みだった。万博会場へは西九条でJRに乗り換え。
      • 阪神との接続もあるので、中之島線の状況も現実よりは良かっただろう。
        • 万博終了後に千鳥橋あるいは伝法へ延伸し、阪神と相互乗り入れしていた。
      • 京阪9000系は万博に合わせて1994年に登場し、当初は万博アクセス列車に使用されていた。
      • 京阪特急の全列車8両化も万博前に早まり、増結車はダブルデッカーになっていた。旧3000系のリニューアルも早まり1992年頃に実施。
        • 8000系の後期車両は最初から8両で登場していた。
    • 大阪モノレールも1994年3月の時点で大阪空港~門真市はもちろんのことその先の瓜生堂まで開通していた。
      • 途中の荒本で万博会場に直結する近鉄けいはんな線に接続していた。
  4. 夢洲自体の埋め立ても現実よりも早く進んでいた。
    • 開催規模が現実よりも大きくなっていたため、隣の舞洲も会場として使われた。
  5. 入場者数は3000万人を超えていた。
    • 当時は人口の多い団塊ジュニア世代が20代前半の若者で、その親世代である団塊世代も40代の働き盛りだったため、盛り上がりは現実以上になっていただろう。
    • うまく行けば5000万人程度までいってたかも。
      • いや、前回の万博(約6422万人)をも上回って史上最多の7000万人に達していた可能性もある。
    • バブルは崩壊していたものの、まだそこまで深刻な不況ではなかったため、国民も全体に豊かだった。
      • 現実よりも民間主導で開催されていた。
      • ダイエーマイカル三洋電機もパビリオンを出展していた。
        • 関西のダイエーやマイカルの店舗では万博グッズも売られていた。
        • ダイエーパビリオンの展示物に関しては終了後流通科学大学のダイエー資料館に移設されていた。
        • 人間洗濯機は1970年のそれと同じく三洋のパビリオンで展示されていた。
        • 鉄道関係ではJR西日本や阪急・近鉄なんかもパビリオンを出展していた。
        • ゲーム関係では任天堂やカプコン・SNKあたりもパビリオンを出展していた。
          • 任天堂パビリオンでは花札やテレビゲームをテーマにしていた。
            • サテラビューは史実より1年早くここで披露されていた。それでも史実同様に売れなかっただろうけど。
              • 場合によってはNINTENDO 64も史実より2年早くここで披露されていたかもしれない。
      • 当時、全盛期にあった日本の家電産業(その多くは大阪に本社を置いていた)の集大成となっていた。
        • 地上デジタル放送はこの万博で披露されていた。
          • 薄型の液晶並びにプラズマテレビも。
        • 現在のスマホに相当する技術もここで披露されていた。
        • 関西家電業界の御三家である松下・三洋・シャープの全てがパビリオンを出展していた。
  6. 1990年の花博はなかったか、大阪以外で開催されていた。
    • 2000年の淡路花博や2005年の愛知万博も。これらも別の場所で開催されていた。
      • むしろ淡路花博が史実の愛知万博の代わりに2005年に開催されていた。
      • 2005年の愛・地球博が史実通りだった場合、2025年の万博は日本国内だったら東京か福岡で開催されていた。
    • 2025年の万博開催地が愛知県になっていた可能性もあり。
  7. JR西の北陸特急「サンダーバード」のデビューが1年早まっていた。
    • 万博期間中には富山~夢洲間直通の臨時特急「エキスポサンダーバード」も運転されていた。
    • 寝台列車の特急「日本海」「トワイライトエクスプレス」や急行「きたぐに」にも夢洲発着が設定され、北海道・東北・新潟からの万博アクセスとして機能していた。
      • JR東日本の「夢空間」を使った直通夜行列車も運転されていた。
        • これが「万博のパビリオンの1つ」という人もいたかもしれない。
    • 東京からも夢洲直通の臨時寝台列車が運転されていた。
      • 愛称は「エキスポ銀河」とかだろうか?
    • 智頭急行の開業も少し早まり、万博開幕直前の1994年3月になっていた。もちろん同時に「スーパーはくと」の営業運転も開始。
    • 近鉄の「伊勢志摩ライナー」こと23000系はスペイン村の開園のみならず万博がきっかけで誕生していた。
      • 志摩スペイン村自体万博開幕に開園を合わせていたことになっていた。
    • JRグループは出発・到着地から大阪までの往復切符と関西エリア内乗り放題のフリー切符を組み合わせた回遊券を万博期間中に発売し、万博観覧とともに関西各地への観光をしてもおうという施策に出ていた。乗り放題区間は概ね西は姫路、東は草津、北は篠山口・園部、南は奈良、和歌山で囲まれたエリア内。
      • 大阪市営地下鉄(当時)の乗り放題きっぷとセットになった企画乗車券も発売されていただろう。
    • 「サンライズエクスプレス」も史実よりも早い1994年にデビューしていた。
      • 上記の「エキスポ銀河」にも運用されていた。
  8. 世界都市博は企画自体なかった。
  9. 「スルッとKANSAI」は万博が導入のきっかけだった。
    • 導入が2年早まり、万博開催直前の1994年3月になっていた。
    • JR西の「Jスルー」も万博直前に開始されていた。
    • 近鉄・名鉄・南海3社乗り放題の「3・3・SUNフリーきっぷ」も。
      • これを使って万博に来場した中京圏の人も多かっただろう。
      • 万博会場でも発売し、万博に来た人を伊勢志摩や高野山、名古屋へ向かわせていただろう。
    • 関西のJR・私鉄とも駅のトイレットペーパー設置は万博を前に行われていた(当時関西では駅トイレのペーパーはないのが当たり前だった)。
    • 後の「スルッとKANSAI3dayチケット」のような関西私鉄の回遊きっぷも出ていた。
  10. 同年の夏は記録的な猛暑だったので、熱中症などの問題が出ていた。
    • 加えて少雨による水不足の影響もあった。
  11. 日清「spa王」のデビューが史実より1年早まっていたかも。
    • その場合、万博会場でも売られていた。
  12. 当時は明石海峡大橋の開通前だったので、徳島・高松や淡路島から高速艇が万博会場まで盛んに運航されていた。
    • 場合によっては計画自体が早まり、大橋開通が万博前に繰り上がっていた可能性もある。
      • その場合翌年の阪神大震災で大きな被害を受けていた可能性も…。そうなっていたら復旧まで一時通行止めになっていたが、その復旧は困難を極めたかもしれない(史実では震災当時大橋はまだ工事中で、震災で当初予定より1m長くなった)。
  13. 同年の阪神タイガースは優勝まではいかなくてもAクラス入りしていた。
    • いわゆる「10.8」における巨人の相手は中日ではなく阪神だったかもしれない。
      • その場合、決戦の舞台はナゴヤ球場ではなく甲子園球場になっていた。
    • 万博の盛り上がりが後押ししていただろう。
    • その後の暗黒時代も早期に終結していたかも。
      • その分巨人の凋落が早まっていた。
    • パ・リーグでもオリックス・ブルーウェーブか近鉄バファローズのいずれかが優勝していたかもしれない(史実ではいずれも2位)。
    • その場合1999年に優勝できていたかもしれない。
  14. 大阪駅における大阪ステーションシティは万博に合わせて1994年にオープンしていた。
    • その北側にある旧国鉄大阪鉄道管理局跡地も。その場合メインテナントはヨドバシカメラではないかもしれない。
      • 三越が出店していたかも。その場合北浜の店舗は梅田進出と引き換えに閉店していた。そのため翌年の阪神大震災で店舗が被災することもなかった。
      • 逆にヨドバシカメラが大阪ステーションシティに出店していたかも。
    • あべのハルカスも万博を前にした1993~94年にオープンしていた。その場合横浜ランドマークタワーは日本一の高層ビルになれなかったかもしれない。
  15. 当時はまだ携帯電話が普及する前だったので、会場内に大量の公衆電話が置かれていた。
  16. 新快速は万博輸送のため、期間中はほとんどあるいは全ての列車が12両編成に増結されていた。
    • それに対応して223系1000番台は万博前に登場が早まっていた。
    • 万博期間中はアクセス列車として名古屋や岡山発着も設定されていた。
      • 北陸本線と湖西線の敦賀直流化も万博前に早まっていたかもしれない。
        • その場合、湖西線113・117系の敦賀駅乗り入れも見られた。
  17. 東海道新幹線品川駅開業も万博前に早まっていたかもしれない。
  18. 大阪ドーム(現京セラドーム大阪)のオープンも万博前に早まっていたかもしれない。
  19. 万博終了直後の年明けに阪神大震災が発生したので、それで万博の喜びが吹き飛んでいた。
    • 会場跡地も震災による被害を受けていたかもしれない。
  1. 1月17日に発生した阪神・淡路大震災により完成していたパビリオンが被害を受け、最悪中止に追い込まれていた。
    • 仮に無事開催できていたとしても盛り上がりに欠けるものとなっていただろう。
      • 震災被災者に配慮し派手な催しは自粛されていた。
      • 開幕が少し遅れていたかもしれない。
      • 震災で命を落とし万博開幕を迎えられなかった犠牲者の話がマスコミに取り上げられていただろう。
  2. 開幕直前の3月に地下鉄サリン事件があったため、入口で手荷物検査が行われ、ゴミ箱も封鎖されていた。
  1. 世界都市博は企画自体なかった。
  2. 夏に発生したO157感染症の影響がどこかで出ていた。
  1. この年はなみはや国体もあり、大阪で2つの大イベントがあった年になっていた。
  2. JR東西線は万博開幕に合わせて開業していた。
    • 地下鉄長堀鶴見緑地線や大阪モノレールの延伸も。モノレールはこの時点で門真市どころか東大阪市の瓜生堂まで延伸され、荒本で地下鉄中央線に直通する近鉄けいはんな線に接続していた。
    • OTS線は万博アクセスを兼ねて開業が早まっていた。OTSは万博で建設費の大半を回収し、万博終了後直ちに大阪市交通局に移管されていた。
    • 場合によっては明石海峡大橋の開通が1年早まっていた。
      • 阪神~山陽直通特急運転開始も。
        • 阪神なんば線も万博に合わせて開業が早まっていたかもしれない。その場合9000系が近鉄直通対応車両として大量増備されていた。
    • 大阪ではないが京都駅ビルや京都市営地下鉄東西線の開業も。
  3. 京阪8000系ダブルデッカーは万博開催に合わせて導入されていた。
  4. アジア通算危機の影響がどこかで出ていた。
  5. 万博前年の1996年におけるオリックス・ブルーウェーブの日本一が万博と合わせて語り継がれていた。
  6. 安室奈美恵やMAX・SPEEDなどがライブを行っていた。
    • 「沖縄デー」とかあったらなおさら。
  7. 大阪ドーム(京セラドーム大阪)オープンは万博に合わせたタイミングだった。
  1. 明石海峡大橋開通を記念したイベントになっていた。
    • そのため、淡路島や四国方面からの来場に力を入れていた。
      • 四国4県から万博会場への直通バスも運行されていた。
  2. JR東西線開通や大阪モノレール・地下鉄長堀鶴見緑地線の延伸は万博に照準を合わせて行われた。
    • 阪神なんば線や京阪中之島線も万博前に開通が繰り上げられていた。
    • 阪神~山陽の直通特急は万博がきっかけで誕生した。
  3. 2005年の愛・地球博はなかった。
    • むしろ2025年の万博が愛知県開催になっていた。
  4. 同年7月には和歌山毒カレー事件もあり、1998年は関西にとって良くも悪くも忘れられない年になっていた。
    • 会場内でも黙祷が行われていた他、事件後しばらくは会場内のフードコートやレストランでカレーの提供が止められていた。
  5. ≒「もし1990年の花博が開催されなかったら(あるいは大阪以外で開催されていたら)」である。
  6. 「サンライズエクスプレス」の導入は万博がきっかけだった。
    • 登場自体も少し早まり、1998年3月だった。
    • 万博会期中にはこれを使った臨時直通列車も運行されていた。
      • 乗った人から「万博のパビリオンの1つ」と言われていた。
  7. アメリカ同時多発テロ事件前だったので、入場の際の手荷物検査は行われなかった。
  8. USJ開業、およびエキスポランドのジェットコースター脱輪事故より前だったため、1970年の大阪万博と同様に遊園地ゾーンが作られていた。
    • ここで使われていた遊具の一部がUSJに移設されていたかもしれない。
  9. 同年は長野冬季五輪が万博開幕直前に開催されたこともあり、史上初めて日本でオリンピックと万博が同年に開催された年となっていた。
  1. ≒「もし1990年の花博が開催されなかったら(あるいは大阪以外で開催されていたら)」である。
  2. 翌年の淡路花博は開催されなかった可能性が高い。
  3. 大阪駅における大阪ステーションシティは万博に合わせて1999年にオープンしていた。
    • 場合によってはあべのハルカスも万博を前にした1999年にオープンしていたかもしれない(史実より15年早い)。
  4. 同年の阪神タイガースは6月中旬以降失速することはなく、優勝まではいかなくてもAクラス入りしていた。
    • 恐らく万博が気持ちを高揚させたと思われる。
    • その後の暗黒時代も早期に終結していたかも。
  5. 同年に「だんご3兄弟」で人気を博した茂森あゆみと速水けんたろうのイベントが会場内で行われていた。
  6. こちらの場合でも2005年の愛・地球博はなかった。
    • むしろ2025年の万博が愛知県での開催になっていた。
  1. ≒「もし1990年の花博、および同年の淡路花博が開催されなかったら(あるいはそれらが関西地方以外で開催されていたら)」である。
  2. こちらの場合でも2005年の愛・地球博はなかった。
    • むしろ2025年の万博が愛知県での開催になっていた。
  3. 20世紀の終わりを象徴するイベントとなっていた。
  4. 京阪中之島線や阪神なんば線の開業が史実より10年早まっていた。
  5. 当時人気絶頂期だったモーニング娘。のライブやイベントが会場内で行われていた。
  6. それ以前に開催された場合全てに言えるが、入場の際の手荷物検査は行われなかった。
  7. 1970年の大阪万博と同様に遊園地ゾーンが作られており、これがUSJの前身になっていただろう。
    • ここで使われていた遊具の一部がそのUSJに移設されていたかもしれない。
  1. ≒「もし1990年の花博、および2000年の淡路花博が開催されなかったら(あるいはそれらが関西地方以外で開催されていたら)」である。
  2. こちらの場合でも2005年の愛・地球博はなかった。
    • むしろ2025年の万博が愛知県での開催になっていた。
  3. 21世紀の始まりを象徴するイベントとなっていた。
  4. 阪神なんば線や京阪中之島線などの開業は万博前に前倒しされていた。
  5. 同年のプロ野球パ・リーグでは大阪近鉄バファローズが優勝したので、それと合わせて語り継がれていた。
    • 関西の街の盛り上がりは現実以上のものとなっていたかもしれない。
    • 場合によってはヤクルトを下して日本一にもなっていた。
    • 同年はそれ以外にも附属池田小事件、明石花火大会事故、USJ開業、2008年大阪オリンピック落選もあったことから、2001年は現実以上に関西にとってはいい意味でも悪い意味でも忘れられない年になっていた。
      • 関西、いや日本国内ではないがアメリカ同時多発テロ事件も。そのため、2001年は現実以上に後々まで語り継がれる年となっていた。
        • 事件直後より会場内においてアメリカ関連のパビリオンが一時公開中止されていた可能性が高い。
        • 会場内でも黙祷が行われていた(附属池田小事件や明石花火大会事故が発生した際にも言えるが)。
      • その明石花火大会事故では万博と花火大会の両方を楽しんだ観客が事故に巻き込まれていた可能性があった。
        • マスコミで彼らのエピソードも取り上げられていただろう。
          • 明石花火大会事故で犠牲になった子供も「万博を楽しみにしていた」などとマスコミに取り上げられていただろう。
        • 明石花火大会事故を踏まえ、会期途中から雑踏警備が強化されていた。
          • 会場内における花火イベントも自粛されていた。
      • むしろ2008年のオリンピックは大阪ではなく東京か名古屋あたりが招致活動を行っていたかも。
      • ゆうちゃみは万博のあった年に大阪で産まれたことを話題にしていただろう。
        • その後の万博関連のイベントに呼ばれていたかもしれない。
      • 附属池田小事件で犠牲になった子供も「万博を楽しみにしていた」などとマスコミに取り上げられていただろう。
  6. USJは大阪・関西万博の遊園地ゾーンとして開業していた。
  7. スルッとKANSAIバスまつりは万博の関連イベントとして始まったのがきっかけだった。
  1. ≒「もし1990年の花博が開催されなかったら(あるいは大阪以外で開催されていたら)」である。
  2. こちらの場合でも2005年の愛・地球博はなかった。
    • むしろ2025年の万博が愛知県での開催になっていた。
  3. こちらの場合でも阪神なんば線や京阪中之島線などの開業は万博前に前倒しされていた。
  4. 同年のプロ野球セ・リーグでは阪神タイガースが18年ぶりに優勝したので、それと合わせて語り継がれていた。
    • 場合によってはダイエーを下して日本一にもなっていた。
      • むしろパ・リーグではダイエーではなく近鉄が優勝し、この年の日本シリーズは「阪神×近鉄」の関西ダービーになっていたかも。
  5. それ以前に開催された場合全てに言えるが、会場内に遊園地ゾーンが開設されていた。
  6. JR福知山線脱線事故より前だったので、JR西日本がパビリオンを出していたかもしれない。
    • 家電業界では三洋電機シャープもパビリオンを出していた。
      • 人間洗濯機は三洋のパビリオンに展示されていた。
  7. 阪急9300系は万博がデビューのきっかけだった。
    • 登場自体も少し早まっていたかも。
    • 近鉄21020系「アーバンライナーnext」も。
  8. 東海道新幹線品川駅開業が少し早まり、万博開幕直前の2003年3月となっていた。
  9. 同年の夏は冷夏だったので、会場内も過ごしやすく、入場者も多かったかもしれない。
  10. 同年の「今年の漢字」は阪神18年ぶりのリーグ優勝と大阪・関西万博で「阪」になっていたかもしれない(史実では「虎」)。
  1. 万博開催を前に神戸空港が開港した。
    • 万博会場とは船でシャトル輸送が行われた。
    • 地下鉄今里筋線や京阪中之島線、阪神なんば線も開業も開幕前まで前倒しされた。
  2. 前年の愛・地球博はなかった。
    • むしろこちらは2025年に開催された。
  3. 万博前年の2005年における阪神タイガースは日本シリーズでのストレート4連敗がなく、うまくいけばロッテを下して20年ぶりの日本一になれていたかも。
    • 恐らく万博が気分を高揚させていただろう。
  4. それ以前に開催された場合全てに言えるが、会場内に遊園地ゾーンが開設されていた。
  1. 同年開催される夏季五輪に大阪は立候補すらしなかった。
    • 万博に全力を注いでいたと思われるので。
    • その場合、2020年の五輪に立候補し、東京と開催都市を争っていたかもしれない。
  2. 京阪中之島線や阪神なんば線は万博に間に合わせるために開業が早まった。
  3. 同年の阪神タイガースは終盤失速することもなく、優勝できていた。
    • 恐らく万博が気持ちを高揚させたと思われる。
    • 同年の「今年の漢字」は阪神優勝と大阪万博で「阪」になっていた(史実では「変」)。
      • 「西」も有り得た(関西ではないが、埼玉西武ライオンズの日本一もあったため)。
  1. 阪神なんば線及びその少し前に開業した京阪中之島線は万博に合わせたタイミングでの開業だった。
    • 阪神なんば線は開業当初から万博客で大賑わいしていた。京阪中之島線も中之島駅からシャトルバスを出すことでアクセス路線として機能していた。
  2. 同年流行した新型インフルエンザが万博に少なからず影響を与えていた。
    • 前年に発生したリーマンショックも忘れずに。
  3. 2005年の万博は愛知県ではなかった。
  4. 大阪市営地下鉄→大阪メトロ30000系は万博に合わせてデビューしていた。
    • 初投入された線区も谷町線ではなく中央線で、万博終了後余った車両が谷町線に転属して30系を置き換えていた。
  5. 万博前年の2008年における阪神タイガースは終盤の失速がなく、うまくいけばリーグ優勝できていたかも。
    • 恐らく万博が気分を高揚させていただろう。
    • 球団改名後として初めてAクラス入りしたオリックス・バファローズもリーグ優勝できていたかもしれない。
  6. 同年道頓堀川の川底から引き上げられたカーネル・サンダース像が万博会場で一般公開されていた。
  7. 福島での原発事故より前だったので、原子力関連の企業がパビリオンを出していたかもしれない。
  1. 大阪ステーションシティは万博を前にオープンしていた。
    • オープン自体が少し早まっていた。
  2. 3月に発生した東日本大震災の影響がどこかで出ていた。
    • そのため、盛り上がりに欠けていただろう(特に関東以北では)。
      • 関西以外では万博関連番組はあまり放送されなかったかもしれない。
    • 万博会場内に募金箱が置かれていた。
      • 万博の収益の一部を被災地に寄付していたかもしれない。
    • 被災者に配慮して、派手なことは自粛されていた。
    • 原発事故もあったことから、原子力関連のパビリオンは幹並み公開中止に。
  3. 同年の漢字は史実通り「絆」だがこれには万博を通して世界各地の絆を深めた、という意味も込められていた。
    • 「大」も有り得た(大阪の「大」という意味もあるが、それ以外だと「大」地震や「大」雨災害や「大」相撲八百長問題などといった大きい出来事がたくさんあったので)。
  4. 九州新幹線の全通は万博に合わせたものとなっていた。
  5. 会場内でAKB48のライブやイベントが行われていた。
    • 同年の総選挙は万博会場内で行われていた。
  6. 阪神タイガースは万博前年の2010年にリーグ優勝できていたかもしれない。
    • 恐らく万博が気分を高揚させていただろう。
  7. 同年は東日本大震災や紀伊半島豪雨、なでしこジャパンのW杯初優勝などもあり現実以上に忘れられない年になっていた。
    • 紀伊半島豪雨の発生直後は会場内でも黙祷が行われていたほか、会場内に募金箱が設置されていた。
      • 万博の収益の一部を被災地に寄付していたかもしれない。
  1. あべのハルカスの開業と同年セ・リーグ2位でシーズンを終えた阪神タイガースのクライマックスシリーズ優勝とガンバ大阪のJ1優勝が万博と合わせて語り継がれていた。
    • 場合によってはオリックス・バファローズがリーグ優勝を果たしており、こちらも万博と二重で大盛り上がりだっただろう。
  2. 万博に合わせて大阪市交通局が民営化されていた。
  3. 同年4月に韓国で発生したセウォル号沈没事故は大阪・関西万博の盛り上がりに水を差すような出来事になっていた。
    • それと同時に「日本国内で一般博→登録博が開催される年は4月に東アジアで多数の犠牲者が出る大事故が発生する」というジンクスができていた。
      • 事実1970年4月には天六ガス爆発事故が、2005年4月には福知山線脱線事故が起こっている。
  4. 近鉄「しまかぜ」投入は万博も意識していたことになっていた。
  5. それ以前に開催されていた場合にも言えるが、「トワイライトエクスプレス」を使って来場する北海道方面からの来場者もいた。
  6. 同年の「なにわ淀川花火大会」は万博開催に伴う大阪市内の混雑や警備の関係で10月に延期。史実のように台風と重なるような事がなければ、同年の開催中止はなかった。
  1. EXPOCITYは万博に合わせてオープンしていた。
    • 万博会場が史実通り夢洲だった場合、間違えてこちらに行く人も結構いたかもしれない。
  2. 当時人気絶頂期だったμ's(「ラブライブ!」から誕生した声優ユニット)のライブやイベントが会場内で行われていた。
    • 大阪でのファンミーティングライブは万博会場内で行われていた。
    • 会場内が多くのラブライバーで埋め尽くされていたのは間違いないだろう。
  3. オリックス・バファローズは万博前年の2014年にリーグ優勝できていたかもしれない。
    • 阪神タイガースもリーグ2位ながらCS優勝も日本シリーズでの守備妨害による敗退がなく、うまくいけば29年ぶりの日本一になれていたかも。
    • 恐らく万博が気分を高揚させていただろう。
  4. 同年の「今年の漢字」は「博」になっていた。
    • 同年は他に印象に残る出来事が少なかったため。
  1. 4月に発生した熊本地震は大阪・関西万博の盛り上がりに水を差すような出来事になっていた。
    • 関西以外(特に熊本)では万博関連番組はあまり放送されなかったかもしれない。
    • それと同時に「日本国内で一般博→登録博が開催される年は4月に日本国内で多数の犠牲者が出る大惨事が発生する」というジンクスができていた。
      • 事実1970年4月には天六ガス爆発事故が、2005年4月には福知山線脱線事故が起こっている。
    • 万博会場内に募金箱が置かれていた。
      • 万博の収益の一部を被災地に寄付していたかもしれない。
    • 民営化前の大阪市営バスが万博シャトルバスを担当していた。
  2. 京都鉄道博物館は万博に合わせてオープンしていた。
  3. それでも同年の「今年の漢字」は史実通り「金」になっていただろう(近年の夏季オリンピック開催年はこういう傾向になりがち)。
    • ただ、上位に「博」など万博関連の漢字が入っていたかもしれない。
  1. 大阪市交通局の民営化が1年早まっていた。
  2. それ以前に開催された場合全てに言えるが、万博招致を最初に企画した堺屋太一氏は生前に万博を見ることができていた。
  3. 万博終了の翌年に大阪北部地震や台風21号といった自然災害があったので、それで万博の喜びが吹き飛んでいた。
  1. 同年6月の大阪北部地震によりパビリオンなど施設が被害を受け、復旧まで会期が中断されていた。
    • 最悪の場合これで中止になっていた。
    • 地震を乗り切っても同年9月の台風21号災害により会場が大きな被害を受け、そこで中止に追い込まれていた。
      • 会場の夢洲は海のすぐ近くで、高潮の被害を受けたと考えられるため。現実に対岸にあるコスモスクエアのマンションが強風で被害を受けている。
        • 会場は地面が嵩上げされていることから高潮の被害がなくても強風でパビリオンが被害を受けていた可能性がある。
      • この程度でも再開するような事があった場合、国民から「災害で中断した分だけ会期を延長してほしい」との要望が相次いていた。
        • 仮にその2つの災害で中断した分だけ会期が延長した場合、おそらく2018年の大晦日か2019年の年明けあたりまで延長されていた。
          • この場合、2018年の大晦日~2019年の元日はオールナイト営業が行われ、会場内で年越しイベントが行われていた。
            • NHKの「ゆく年くる年」で幾多の災害を乗り切った万博会場が取り上げられていた。
            • 「万博で平成最後の年越しをした」という人もいただろう。
            • 2019年における大阪市の成人式が万博会場で行われていた。
              • 加えて同年の新成人が万博に無料招待されていた。
    • よって万博の歴史においても大阪においても黒歴史となっていた。
    • 2020年の東京オリンピックが史実通りだった場合、「ここ最近、日本で開催の国際的大イベントは何かと呪われている」と言われていた。
    • 発生時間が昼間だった場合、万博に来ていた観客や関係者が地震に巻き込まれていた。
      • マスコミで彼らのエピソードも取り上げられていただろう。
    • 同年7月に発生した西日本豪雨や台風21号災害の直後に発生した北海道胆振東部地震とともに大阪・関西万博の盛り上がりに水を差すような出来事になっていた。
      • 万博会場内に募金箱が置かれていた。
        • 万博の収益の一部を被災地に寄付していたかもしれない。
  2. 大阪市交通局の民営化は会期中に行われていた。
    • あるいはタイミングが少し早まり、2017年10月あたりになっていた。
  3. 万博招致を最初に企画した堺屋太一氏は生前に万博を見ることができていた。
    • もちろん喜びのコメントを出していただろう。
  1. 同年は平成→令和改元やラグビーワールドカップの日本初開催もあり、現実以上に歴史的な年となっていた。
    • 場合によっては平成→令和の改元カウントダウンイベントが万博会場で行われており、中には「万博で令和改元の瞬間を迎えた」という人もいたと思われる。
      • その日に限りパビリオンや土産物店などの施設もオールナイト営業が行われていた。
  2. 万博に合わせて近鉄名阪特急「ひのとり」のデビューが1年早まり、万博前に全ての名阪甲特急を置き換えていた。
    • 阪神百貨店梅田本店や大阪中央郵便局の建て替え、およびうめきた新駅開業も万博前に前倒しされていた。
  3. 京阪3000系プレミアムカーは万博開催を前に連結されていた。
  4. 大阪駅地下ホーム、北大阪急行や京阪中之島線の西九条あるいは九条への延伸、大阪モノレールの東大阪市内への延伸は万博に間に合わせる形で開業していた。
  5. 各地からのシャトルバスも事前予約制→クレカ決済限定になることはなく、現金及び交通系ICカードでも支払いが可能になっていた。
    • 運賃も大阪市内発着の場合500円以内に抑えられていた。
  6. 北陸新幹線敦賀延伸前だったので、金沢~桜島に臨時特急「エキスポサンダーバード」が運行されていた。
    • 午前金沢発、夕方~夜間金沢着のダイヤを組んでいた。
  7. コロナ前だったので、マスクをしている客はあまり見受けられなかった。
    • 入場やパビリオンを原則事前予約制にして入場者を制限することもなかった。
      • 従って当日券が主体で、気軽に入場やパビリオン観覧ができた。
      • 現実で起こった諸問題もあまり起こらなかっただろう。
  8. ウクライナ侵攻前だったので、ロシアも万博にパビリオンを出展していた。
    • その代わりウクライナの出展はなかったかもしれない。
  9. 前年の大阪北部地震や台風21号など幾多の災害により一時開催が危ぶまれていた。
    • そのために前年における今年の漢字は「災」だったことから、「日本国内で登録博が開催される前の年の今年の漢字は『災』になる」というジンクスができていた。
      • 事実、愛知万博開催の前年にあたる2004年の今年の漢字は「災」が選ばれている。
    • その台風で大阪湾岸は大きな被害を受けたので、工事が遅れて開幕が数ヶ月遅れていたかもしれない。
      • その場合閉幕も予定より遅れていた。
      • あるいは一部が未完成のまま見切り開幕していた。
      • 場合によっては令和時代の始まりとともに開幕していた可能性もある。
  10. 同年7月には京アニ放火事件もあり、2019年は関西にとって良くも悪くも忘れられない年になっていた。
    • 会場内でも黙祷が行われていたほか、会場内に募金箱が設置されていた。
      • 万博の収益の一部を京アニに寄付していたかもしれない。
  11. 東京五輪は史実より4年遅れて、2024年に開催されていた。
    • 2020年はイスタンブールかマドリードあたりで開催されていた。あるいはこっちがパリになっていた。
  12. 2025年の万博は日本以外での開催になっていた。
    • あるいは横浜花博が2年早く開催されていた。
  13. 同年4月のスリランカでの爆破テロ事件発生に伴い、スリランカ関連のパビリオンが一時公開中止されていた。
  14. 安倍首相(当時)が開会式に出席していた。
  15. 4月に発生した東池袋自動車暴走死傷事故は大阪・関西万博の盛り上がりに水を差すような出来事になっていた。
    • それと同時に「日本国内で一般博→登録博が開催される年は4月に日本国内で死者が出る程の大事故が発生する」というジンクスができていた。
      • 事実1970年4月には天六ガス爆発事故が、2005年4月には福知山線脱線事故が起こっている。
    • その事故から2日後に発生した神戸三宮での市バス暴走事故では万博に行く人が巻き込まれていたかもしれない。
      • その場合、マスコミで彼らのエピソードも取り上げられていただろう。
  16. 当時はまだ「ムーンライトながら」が存在していたので、これを使って万博に行く人が結構いただろう。特に青春18きっぷのシーズンは混雑するので続行便も運行されていた。
    • その続行便は大阪駅発着となり、「ムーンライトEXPO」とかいう愛称が付けられていた。
  17. 東京五輪より前だったので、電通が会場運営に参画していた。
    • そのため建設費の未払いなどの問題は起こらなかっただろう。
  18. それでも同年の「今年の漢字」は史実通り「令」になっていただろう。
    • ただ、上位に「博」など万博関連の漢字が入っていたかもしれない。
  19. それ以前に開催された場合全てに言えるが、万博帰りにづぼらやで夕食を取る人が多くいただろう。
  1. 同年は東京五輪もあり、五輪と万博が同じ年に開催される歴史的な年となっていた。
    • あるいは東京五輪が2024年あたりになっていたか、2016年の時点で当選していた。
  2. やはり新型コロナウイルス感染症の影響で1~2年延期されていた。
    • 最悪の場合中止に追い込まれていた。
    • そういう意味でも1940年と比較されていた(同年も東京で五輪と万博を開催する予定だったが、戦争のため中止された)。
    • もし無事開催に漕ぎ着けた場合、ロシアのウクライナ侵攻の前だったことからまだ深刻な物価高に突入しておらず入場料も現実より安くなっていた。
      • コロナもなかった場合、万博と前後してバブル並みの好景気が日本に到来していた。
      • 通常時の1日券が5000円程度だっただろう。
  3. 大阪メトロ中央線の夢洲延伸は2020年初頭に行われ、北急の箕面萱野延伸も早まっていた。
    • 梅田貨物線の地下移設及び大阪駅地下ホーム開設も。うめきたの再開発も早まっていた。
      • おおさか東線は全線開通当初から大阪駅発着となっていた。
    • 夢洲駅への加算運賃適用もなかったかもしれない。
  4. 各地からのシャトルバスも事前予約制→クレカ決済限定になることはなく、現金及び交通系ICカードでも支払いが可能になっていた。
    • 運賃も大阪市内発着の場合500円以内に抑えられていた。
    • 会場内も完全キャッシュレスではなかった。
  5. 北陸新幹線敦賀延伸前だったので、金沢~桜島に臨時特急「エキスポサンダーバード」が運行されていた。
    • 午前金沢発、夕方~夜間金沢着のダイヤを組んでいた。
  6. ウクライナ侵攻前だったので、ロシアも万博にパビリオンを出展していた。
  7. 招致に尽力した安倍元首相は生前に万博を見ることができた。
    • 当時は在任中だったので、開会式にも出席していた。
  8. まだ新幹線の車内販売があったので、車内で万博土産も売られていた。
  9. 韓国梨泰院の雑踏事故が起こる前だったので、会場内で行われる花火イベントの開催時間も公表されていた。
  1. 同年は当初の予定から1年延期された東京五輪もあり、五輪と万博が同じ年に開催される歴史的な年となっていた。
    • あるいは東京五輪が2024年あたりになっていたか、2016年の時点で当選していた。
  2. 前年から続く新型コロナウイルス感染症の影響に加え、同年の夏は長雨もあったことから、入場者数はそこまで伸びなかったかもしれない。
    • 場合によっては4月に緊急事態宣言が出された時点で会期が中断されるか、中止を余儀なくされていた。
      • 国民から「コロナで中断した分だけ会期を延長してほしい」との要望が相次いていたかも。
        • 仮にコロナで中断した分だけ会期が延長した場合、おそらく2021年の大晦日か2022年の年明けあたりまで延長されていた。
          • この場合、2021年の大晦日~2022年の元日はオールナイト営業が行われ、会場内で年越しイベントが行われていた。
            • NHKの「ゆく年くる年」でコロナを乗り切った万博会場が取り上げられていた。
            • 「万博で年越しをした」という人もいただろう。
            • 大晦日恒例のNHK紅白歌合戦も史実の東京国際フォーラム・ホールAではなく、万博会場で開催されていたかもしれない。
    • よって万博の歴史においても大阪においても黒歴史となっていた。
  3. それ以前に開催された場合全てに言えるが、ロシアのウクライナ侵攻の前だったことからまだ深刻な物価高に突入しておらず、入場料も現実より安くなっていた。
    • 通常時の1日券が5000円程度だっただろう。
    • そのロシアも万博にパビリオンを出展していた。
    • コロナもなかった場合、万博と前後してバブル並みの好景気が日本に到来していた。
  4. 同年のオリックス・バファローズ25年ぶりリーグ優勝が万博と合わせて語り継がれていた。
    • 場合によっては阪神タイガースもリーグ優勝を果たしており、こちらも万博と二重で大盛り上がりだっただろう。
  5. こちらの場合も北陸新幹線敦賀延伸前の開催だったので、金沢~桜島に臨時特急「エキスポサンダーバード」が運行されていた。
  6. それ以前に開催された場合全てに言えるが、招致に尽力した安倍元首相は生前に万博を見ることができた。
  1. 同年はロシアのウクライナ侵攻や知床遊覧船沈没事故、安倍元首相殺害事件などもあり現実以上に忘れられない年になっていた。
    • 特に安倍元首相殺害事件は7月に発生したことから、関西にとっても良くも悪くも忘れられない年になっていた。
      • 会場内でも黙祷が行われていた。
    • 知床遊覧船沈没事故は4月に発生したことから、「日本国内で一般博→登録博が開催される年は4月に日本国内で死者が出る程の大事故が発生する」というジンクスができていた。
      • 事実1970年4月には天六ガス爆発事故が、2005年4月には福知山線脱線事故が起こっている。
  2. 同年のオリックス・バファローズリーグ2連覇→26年ぶり日本一が万博と合わせて語り継がれていた。
  3. こちらの場合も北陸新幹線敦賀延伸前の開催だったので、金沢~桜島に臨時特急「エキスポサンダーバード」が運行されていた。
  4. それ以前に開催された場合全てに言えるが、夏休みなどには(まだ改悪される前の)青春18きっぷを使って万博に行く人が結構いただろう。
  5. 岸田首相(当時)が開会式に出席していた。
  1. 新型コロナウイルス感染症の2類→5類への格下げは万博直前に行われていた。
    • 2023年3月だった。
  2. 同年の阪神タイガース18年ぶりリーグ優勝→38年ぶり日本一が万博と合わせて語り継がれていた。
    • 同年の日本シリーズが阪神×オリックスの関西ダービーということもあり、「2023年は関西の年」と言われるようになっていた。
  3. こちらの場合も北陸新幹線敦賀延伸前の開催だったので、金沢~桜島に臨時特急「エキスポサンダーバード」が運行されていた。
    • 北陸3県からの来場者も現実より多かっただろう。
    • JR弁天町・西九条両駅へのホームドア設置前だったので、特急「はるか」「くろしお」の一部列車が会場へのメインアクセスとなる大阪メトロ中央線との接続駅である弁天町駅に臨時停車していた。
      • ただホームが8両分しかないので、9両編成以上だったら一部車両のドアカットが行われていただろう。
      • 関空や和歌山、南紀からのみならず、京都からの万博アクセスにも使われていた。
    • 北陸の人からは「敦賀分断前でよかった。あと1年遅かったら…」と言われていた。
  4. この年の今年の漢字に「万」か「博」、はたまた大阪の「阪」が選ばれていたかもしれない(史実では「税」)。
    • 「阪」の場合は前述の通り阪神タイガースの18年ぶりリーグ優勝→38年ぶり日本一もある。
    • 史実通り「税」になったとしても、上位に万博関連の漢字が入っていたかもしれない。
  5. 前回の万博開催年に生まれた中山美穂が万博会場を訪れていただろう。
    • 訪問の際にはもちろんそれをネタにしていた。
    • 会場で行われたライブで歌も熱唱していた。
  6. 岸田首相(当時)が開会式に出席していた。
  7. 青春18きっぷの改悪前だったので、夏休みなどにはこれを使って万博に行く人が結構いただろう。
    • 姫路や滋賀県などではまとめ買いも結構あったと思われる。
    • 上の北陸と言い来場者自体現実よりも多かっただろう。
    • 青春18きっぷを使った人からは「改悪前でよかった。あと1年遅かったら…」と言われていた。
  8. 「ちまたのジョーシキちゃん(関西ローカル)」等で万博をテーマにした企画が放送されていた。
  9. それ以前に開催された場合全てに言えるが、新幹線の車内で万博土産が売られていた。
    • 新幹線の車内で販売されているあのアイスクリームにもパッケージにミャクミャクが描かれたものがあった。
  10. この年の3月に保津川川下り船転覆死亡事故があった事から、「平成以降、大阪で万博が開催される年は3月に関西地方で悲惨な出来事が起こる」というジンクスができていた。
    • 事実1990年に大阪で花博が開幕する1ヶ月前に、兵庫県尼崎市で長崎屋火災が起こっている。
  1. 元日に発生した能登半島地震の影響が出ていた。
    • 万博自体は中止にはならないだろうが、会場内に募金箱が設置されていた。
  2. 北陸新幹線敦賀延伸は万博開幕直前に行われた。
    • それとともに並行在来線の3セク転換とともに特急「サンダーバード」の敦賀分断があったので、最悪のタイミングだと言われていた。
      • あるいは万博輸送のため、3セク転換は万博終了後まで延期されていた。
        • 巷で「改悪」と言われている青春18きっぷのルール改変も同じく万博終了後まで延期されていたかもしれない。
  3. 同年はパリ五輪も行われたので、史上初めて五輪と日本での万博が同年に開催される年になっていた。
  4. 万博前年の2023年における阪神タイガースのリーグ優勝・日本一が万博と合わせて語り継がれていた。
  5. 同年の「今年の漢字」はやはり夏季オリンピック開催年にありがちな「金」になっていた。
    • ただ、上位に「博」など万博関連の漢字が入っていたかもしれない。
  6. 開会式の時期によっては岸田首相(当時)が開会式に出席していた。
    • おそらく最後の公務になっていただろう。

2025年7月

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  1. 子どもたちの夏休みに合わせて開幕していた。
  2. 猛暑だった夏場は序盤で、涼しくなった秋に中盤を迎えるため、終盤への集中が現実よりも抑えられていた。
    • そのため、序盤はさらに入場者が低迷していた。
  3. 閉幕は恐らく成人の日を過ぎたあたり。
    • 会場内では大阪市の成人式が開催され、新成人が特別に無料招待されていた。
    • 大晦日~元日にはオールナイト営業が行われ、カウントダウンイベントが開催されていた。
      • 会場内のレストランやフードコートでは年越しそばも提供されていた。
    • 年末年始は会期終盤であることから大混雑していた。
  1. 近年の夏は猛暑が続いているので、それを避けるため秋開幕になっていた。
  2. 秋は春に比べて天候に恵まれることが多かったので、気持ちよく万博見物ができただろう。
    • 梅雨の時期も避けることもできた。
    • 冬場は寒いものの、猛暑と比べるとましだった。
      • 場合によっては雪化粧した万博会場がSNSなどで話題になっていた。
      • 現実とは逆に寒さ対策が必要になっていた。少なくともパビリオンは暖房完備になっていただろう。
        • 電車が止まったりして会場内に取り残される事態になった場合、原則パビリオン内やレストランなどに避難することになっていた。
      • 夜間の観覧は現実ほど多くなかっただろう。
  3. 2025年12月31日~2026年1月1日はオールナイト営業が行われ、万博会場でカウントダウンイベントが行われていた。
    • 万博会場で年越し、という人も多かっただろう。
    • 会場内のレストランでは年越しそばが振る舞われていた。
    • 大屋根リングから見る初日の出が大きな話題になっていた。
    • 大晦日恒例のNHK紅白歌合戦もこの年限りで万博会場で開催されていたかもしれない。
      • その後番組である「ゆく年くる年」も万博会場からの生中継となっていた。
      • 毎年12月12日に清水寺で発表される「今年の漢字」もこの年だけは万博会場での発表となっていたかも。
        • いや、清水寺と万博会場を生中継してつないでいたかもしれない。
      • 11月の日テレ系「ベストヒット歌謡祭」もこの年に限って万博会場で開催された。
  4. パビリオンの建設は全て開幕に間に合っていただろう。
  5. 年末にはクリスマスイルミネーションが会場内で行われていた。
  6. 年明けには大阪市の成人式が万博会場で行われ、新成人が万博に無料招待されていた。
  7. 会期終盤には満開の桜が見頃になっていた。
    • 万博会場でお花見、が名物になっていた。
    • 前々から別の場所で桜を育て、開幕直前に会場に移植していた。
    • 桜の前には梅も見頃になっていた。
    • 会期前半は秋になるので、こちらは紅葉が見頃だった。
  8. もしかすると、少し開催期限をのばして卒業&入学祝い向けに営業していたかも。
    • そのため10月前半に開幕し、4月の春休み終了あたりで閉幕となっていた。
    • 卒業旅行で万博を訪れる人も多かっただろう。
  9. 開会式の時期によっては高市首相が参列していた。
    • 恐らく最初の公務になっていただろう。
    • あるいは石破首相最後の公務となっていた。
    • 開幕早々トランプ米大統領が万博会場を訪れていただろう。
      • それ故当日は警備が普段以上に厳重になっていた。
  10. なにわ淀川花火大会は例年通り8月開催だったか、猛暑を考えて9月開催となっていた。
  1. ドバイ万博延期の影響を受け今後すべての万博が1年延期になっていた。
    • 2020年東京五輪も1年延期だったのでやはり万博も…と言われていた。
  2. 史実ほどパビリオン建設の、遅れはなかった。
  3. ドバイ同様大阪の猛暑を避けて秋開幕になっていた可能性も。
    • その場合、大晦日~元日のカウントダウンイベントが万博会場で行われていた。
      • 「万博で年越し」という人もいたと思われる。
        • 大晦日には会場内のフードコートやレストランで年越しそばが振る舞われる。
      • 場合によってはNHK紅白歌合戦はこの年限りの万博会場での開催となっていた。
      • 間違いなくNHKの「ゆく年くる年」で万博会場が取り上げられていた。
      • その日に限りパビリオンや土産物店などもオールナイト営業を行う。
      • 大屋根リングから見る初日の出も話題になっていた。
    • 2027年における大阪市の成人式が万博会場で行われていた。
      • 加えて同年の新成人が万博に無料招待されていた。
    • 12月にはクリスマスイルミネーションが行われていた。
  4. 万博前年の2025年における阪神タイガースのリーグ優勝が万博と合わせて語り継がれていた。
  5. 高市首相が開会式に出席していた。
  6. この年の2月に衆議院選挙があった事から、「平成以降、大阪で万博が開催される年は2月に衆院選が開かれる」というジンクスができていた。
    • 事実1990年2月に衆院選があった後、4月に大阪で花博が開幕した。
  7. 中東情勢の影響で開催が危ぶまれていたかも。
    • 無事開催できていたとしても一部の国が出展できていなかったと思われる。
  8. 同年の春における京都府南丹市における男児の行方不明事件(男児は後に殺害)は大阪・関西万博の盛り上がりに水を差すような出来事になっていた。
    • それと同時に「日本国内で一般博→登録博が開催される年は春に関西で悲惨な出来事が発生する」というジンクスができていた。
      • 事実1970年4月には天六ガス爆発事故が、2005年4月には福知山線脱線事故が起こっている。
  1. 昨今の猛暑を考えて春ではなくドバイ万博と同様秋開幕となっていた。
    • 史実でもドバイ万博の後に開催された大阪・関西万博は秋開幕になっていないのだが…。
  2. 大阪モノレールの東大阪市延伸やなにわ筋線は万博開幕を目処に開業するように建設される。
    • 近鉄の架線集電式⇔第三軌条方式両用車両も万博前に営業運転を開始する。
    • 下記のようにIRも開業していたので、JR桜島線も開幕前に夢洲まで延伸していた。
      • 京阪中之島線も夢洲までは無理としても、西九条あるいは九条まで延伸していた。
  3. 万博開幕と同時に会場隣接地にIRも開業していた。
    • 大阪メトロ夢洲駅が万博閉幕後に秘境駅になることもなかった。

別の場所が立候補していたら

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もし2025年の万博の開催地が別の場所だったら

開催されていなかったら

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  1. 大阪メトロ中央線の夢洲延伸は数年遅れていた。
    • 恐らくIRが具体化するまで見送られていた。
    • 大阪メトロ400系の導入もなく、中央線20系の置き換えは30000系の増備で賄われていた。
    • 中央線のホームドア導入やワンマン化が遅れていた。
      • 場合によっては谷町線の方を先行していた。
    • 大阪メトロが万博輸送のためEVバスを大量導入することもなかった。
      • これが欠陥で使用不能になることもなかったので、一般の車両を導入することで大阪シティバスの古い車両の置き換えが進んでいただろう。
  2. その反面うめきたの再開発は万博と無関係に進んでいただろう。
  3. 関西の鉄道業界でクレカ決済の導入が遅れていた。
    • KANSAI MaaSの知名度が現実ほど上がらなかっただろう。
      • 1日乗車券などのお得な乗車券がデジタルフリーきっぷ限定になることもなかった。
  4. なにわ淀川花火大会をはじめ関西の花火大会の多くが秋に延期されることもなかった。
  5. 京阪バスが交野市内の路線を大幅に廃止することもなかった。
    • 交野市長が京阪バスに文句をつけることもなかった。
  6. むしろ国内では福岡あたりが万博に立候補していた可能性がある。
    • 札幌や東日本大震災からの復興を目指す仙台だった可能性もある。
  7. 毎年6月に開催される「スルッとKANSAIバスまつり」は2025年も開催されていた。
    • むしろこちらが夢洲か舞洲で開催されていたりして。
    • あるいは千里の万博記念公園になっていた(2026年の開催地がここになった)。
  8. 京阪の大阪側普通の4両ワンマン化や運賃値上げが早まっていた。
    • ともに2025年春に断行されていた。
  9. 平日昼間における阪神~近鉄直通快速急行は2025年以降も毎時2本のままだった。
  10. 大阪市内で路上喫煙が市内全域で禁止されることもなかった。
    • 喫煙所の不足もそれほど問題にならなかった。
  11. 2027年の横浜花博は現実よりも盛り上がっていただろう。
    • 場合によってはこちらが登録博となっていた。その場合「横浜万博」と呼ばれていた。
  12. ヨコレイの知名度は現実よりも低かった(特に関西)。
  13. 河森正治の知名度は現実よりも低かった。
    • ナウルも。ナウルくんも存在しなかった。
  14. もし2008年のオリンピック開催地が北京でなく大阪だったらである。
  15. 2030年代以降に開催されるオリンピック招致に動いていたかもしれない。
    • もし当選したら「2008年の雪辱を果たした」と言われるだろう。
    • 余談ながらこれまで日本国内で五輪を開催した東京と札幌は開催前に1度落選している。
    • 2026年か2030年の冬季五輪開催地が2度目の札幌になっていたかもしれない。
  16. 特に関西においてキャッシュレス決済が現実ほど浸透しなかった。
  17. 大阪維新の会→日本維新の会は令和に入って急速に失速したかも。
    • そうなっていたら大阪都構想は静かに消えていた。
    • 2026年の総選挙では大阪でも自民党が躍進していた。
  18. 同年の「今年の漢字」は史実通り「熊」になっているが、上位に「万」や「博」など万博関連の漢字が入ることはなかった。
  19. ミャクミャクなんて影や形もなかった。
  20. 翌2026年4月に千里の万博記念公園の入場料が260→450円と大幅値上げされることもなかったかも。
    • 値上げは万博会場の建設費が想定より大幅に高騰し、1970年万博の基金を取り崩した可能性もあることが要因のため。

第2会場があったら

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  • 愛・地球博は長久手会場と瀬戸会場に分かれていました。
  1. 恐らくうめきたか対岸の舞洲に設けられていた。
    • うめきただったら大阪駅前という最高の立地だった。
      • 閉幕後に改めて再開発されていた。
  2. ある意味愛・地球博と比較されていた。
  3. 両会場を結ぶシャトルバスが運行されていた。
    • 万博のチケットを持っていたら無料で乗ることができた。
    • 舞洲だったらメイン会場である夢洲との間に海上ロープウェイが設置されていたかも。
      • 桜島駅からのシャトルバスは舞洲会場のゲートに発着していた。
        • その他桜島駅や西九条駅から舞洲を結ぶ路線バスで来場する人もいただろう。場合によればリーズナブルな会場アクセスとして大混雑していた。
  4. 全体の会場面積が広くなっていたことから、入場者数はさらに多かった。
    • そのようなことから、万博の未使用券は現実ほど多くなかっただろう。
    • 史実では出展しなかった国や企業のパビリオンの出展もあったかもしれない。

IRのスペースも使っていたら

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  • 万博会場に隣接してIRの予定地があり、万博期間中にIRの工事が始まりました。もしここも万博の会場として使われていたら…。
  1. 面積がかなり広くなり(約200ha)、会場内の混雑が緩和されていた。
    • あるいはさらに入場者が多くなっていた。会場への入場に予約は必要なかったかもしれない。
      • 大阪メトロ中央線だけでは輸送力がパンクすることから、JRゆめ咲線の延伸も行われていた。
    • 現実には出展しなかった国や企業のパビリオンの出展もあった。
      • 海外ではメキシコやニュージーランド、モンゴル(史実ではコモンズで出展)はパビリオンを出展していただろう。
      • 国内企業では任天堂、JR西日本、阪急阪神ホールディングスあたりが出展していたかもしれない。
        • 日清食品も。
    • それでも1970年大阪万博(約330ha)よりは狭くなっていた。
    • 現実の東西両ゲートの他に北ゲートも作られていた。
  2. その分IRの着工は遅れていた。
  3. シンボルタワーがどこかに立てられていたかもしれない。
  4. 場合によっては隣接する太陽光発電施設も会場に使われていた。

事前予約制をとっていなかったら

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  • 当日券は発売されましたが、原則は事前予約制でした。
  1. 一般入場者数は3000万人を超えていた。
    • その分混雑が深刻になっていたかも。
    • 大阪メトロ中央線がパンクしていた。
      • JRゆめ咲線を夢洲まで延伸しなかったことが悔やまれていた。
    • 黒字も現実以上だったのでパビリオン建設の未払い賃金も万博の収益から補填されていた。
    • シャトルバスが史実通り予約制だったらバスに乗れない人が続出し、1つ手前の舞洲行きの大阪シティバスや北港観光バスに乗って舞洲から会場まで歩く人もいたかもしれない。
  2. パビリオンも予約不要で並べば入れるようになっていた。
  3. 現実よりも気軽に参加できる万博になっていただろう。
    • 終盤における「死に券」問題もなかった。
    • 2025年における「今年の漢字」は「万」か「博」になっていた可能性もある(史実では「熊」)。
      • 「ミャクミャク」で「脈」の可能性もある。
        • 同年には阪神の2年ぶりリーグ優勝もあったので「阪」になっていたかもしれない。
      • 流行語大賞も「ミャクミャク」が選ばれ「大屋根リング」なども上位にノミネートされていた。
    • その分閉幕後の「アフター万博」はそこまで盛り上がらなかったかもしれない。
  4. 関西圏以外からの来場も現実よりも多かった。
    • そのため、大阪を始め関西圏のホテルの宿泊価格がさらに上がっていた。
    • 関西に親戚や知人がいるような場合はその人の家に宿泊させてもらっていた(1970年万博でもよく見られた現象)。

失敗していたら

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  1. ミャクミャクは黒歴史に。
    • 閉幕後もブームは続くこともなく、グッズはディスカウントストアなどで叩き売りされていた。
    • ラッピング車なんかも閉幕後直ちに解除されたほか、閉幕後1週間も経つと町中からほとんど姿を消していた。
    • 大阪府の吉村知事なんかも万博終了後はミャクミャクのバッジを外していた。
    • 会場内にあったミャクミャクの像も終了後はどこかに廃棄されていた。
    • 『ミャクぷしゅ』も制作されなかった。
    • 万博翌年に写真集を出すこともなかった。
  2. 入場やパビリオンの原則事前予約制が失敗の要因とされていた。
    • その反面「並ばない万博」が皮肉にも実現していたかもしれない。
  3. 5年前の新型コロナウイルス感染症の蔓延も失敗の要因に挙げられていた。
    • 2024年における特急「サンダーバード」の敦賀分断や青春18きっぷの改悪も。
  4. 2年後の横浜花博は現実以上の逆風に晒されていた。
  5. 大屋根リングも会期終了後全て解体することが決まっていた。
    • それとともに閉幕後も移築などで残るパビリオンもほとんどなかった。
    • 夢洲の会場跡地は工場や物流施設になり、万博の面影は消え失せていた。
  6. 2026年の衆院選で日本維新の会は惨敗していたかもしれない。
    • 場合によっては同日の大阪ダブル選で吉村府知事か横山大阪市長の双方あるいはいずれかが落選していた。その場合大阪都構想は立ち消えになっていた。
    • 自民党も現実ほどの圧勝にならなかったかもしれない。その分中道改革連合や参政党・れいわ新選組などが票を伸ばしていた。
  7. 同年の「今年の漢字」は史実通り「熊」になっているが、上位に「万」や「博」など万博関連の漢字が入ることはなかった。
  8. トランプ関税による悪影響があったとも言われたか。
  9. 翌年の万博1周年イベントもなかった。

関連項目

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