もし日本国有鉄道が○○だったら

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独立項目[編集 | ソースを編集]

設立されなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. いまだに鉄道省が存続していた。
    • 流石に小泉内閣で国交省に統合or日本鉄道公社を経て民営化だろう。
  2. 独立採算ではないので赤字垂れ流しでもそれほど問題になっていない。
  3. 鉄道建設が実史以上に進む。
  4. RAIL WARS! のストーリーが変わっていた。
  5. 労働組合は現実通り活発だが、動労は設立されなかったかもしれない。
  6. 日本専売公社、日本電信電話公社も国の直営だった。
    • 公共企業体という概念もなかった。

支社制度が○○だったら[編集 | ソースを編集]

廃止されなかったら[編集 | ソースを編集]

  • 1957年に支配人制度を再編して北海道・東北・関東・中部・関西・四国・西部(後に九州支社に改称)の支社(1959年新潟・中国・四国を分離、1964年東海道新幹線支社設置)を設置したが、組織肥大を招いていると国会などで批判を受けて1970年に廃止された。
  1. 国鉄民営化の際に支社の枠組みで分割されていた。
    • ただし規模が小さすぎるなどの理由で1959年に新設された新潟(関東支社から分離)、中国(西部支社から分離)、四国(関西支社から分離)の各支社は分離前にもどされていた。
      • むしろ中国支社は関西支社から岡山・米子局地域を移管されていた。
    • 東海道新幹線支社は山陽新幹線開業時に新幹線支社に支社に改称して現実の新幹線総局と変わらない。
    • JR九州が中国地方の広島以西の路線を管轄することに。
  2. その分各鉄道管理局の権限は縮小されていた。
  3. 京阪神の新快速電車は彦根止まりのまま。(北陸地方が中部支社「現実のJR東海」の管轄なるので、在来線米原駅が関西支社「現実のJR西日本」じゃなくなるため)
    • ICOCAの適用エリアも。湖西線側も永原駅が会社境界となっていた。
    • 北陸本線の長浜・敦賀への直流電化延伸もなかった。
    • 大阪近郊区間も彦根・近江今津までとなっていた。

支社の区割りが○○だったら[編集 | ソースを編集]

中国支社が岡山・米子鉄道管理局も管理していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 中国支社が名実とともに中国地方全域を管轄する事に。
  2. 四国支社を合併していたかも。

1980年代に夜行列車を全廃していたら[編集 | ソースを編集]

  • 1979年、当時の森山運輸大臣が「夜行列車全廃論」をぶち上げましたがこれが実行されていたら…。
  1. JR化以降に登場した夜行列車は存在しなかった。
    • 北斗星、トワイライトエクスプレス、サンライズ瀬戸・出雲、快速ムーンライトなどは設定されなかった。
      • 但し、JR以降はサービス力向上のため、サービス重視の夜行があったかも。また、サンライズなどの地方都市を結ぶ夜行が設定されたかも。
        • 例として、完全に観光のみに焦点をあてた「ななつ星」などはあるだろう。
      • そのため史実以上にJRの経営は良化していた。
  2. 全国紙新聞の配達エリアが縮小していた。(新聞を積んでいた夜行列車も多かったと思われるので)
    • 地方工場の拡充やトラック・航空輸送の強化で何とかしのいでいたのでは。
      • 参考:読売新聞高岡工場は1961年から稼働。
  3. JR貨物以外に機関車が継承されなかったかもしれない。
  4. 現実で寝台列車が全滅している韓国にも何らかの影響を与えていた。
  5. 客車改造のジョイフルトレインが各地に出現。
    • 倉庫など鉄道以外への転用も相次いでいた。
  6. 夜行バスが現実よりも早く市民権を得ていた。
    • 全国ネットワークも1990年までに完成していた。
      • 当時は本四架橋も開通していなかったので、途中フェリーに乗る夜行バス路線が現実よりも多かった。
      • 本州~北海道間にもいくつかの路線が存在していた。やはり津軽海峡はフェリーを利用している。
    • 旧国鉄→JRバスが夜行列車の代替目的で夜行バスを設定していた。
    • 長距離フェリーも現実以上に重宝されていた。
      • 2020年代にはモーダルシフト先進国として日本が海外から称賛されていた。
  7. 航空需要が現実よりも高まっていたので、関西国際空港や中部国際空港は1990年までに開港していた。
    • 羽田空港の拡張も1980年代のうちに行われている。
    • 公立学校の修学旅行における航空機利用も1980年代のうちに解禁されていた。
    • しかし日本航空123便墜落事故で計画が中止になっていたかも。
  8. 新幹線網の整備が現実よりも早く進んでいたかも。
    • 新幹線と船の利用が進むことで2020年代には日本が脱炭素のリーダーと呼ばれていた。
  9. 583系は全て近郊形電車になっていた。
  10. 現実通り、日本航空123便墜落事故が起こると夜行列車が見直されており、全廃計画は中止になっていた。
    • 船の需要がさらに増していた。
  11. 日本中のありとあらゆる場所に寝台列車より安くて快適な船で旅行することができていた。
    • 大洗や横須賀までいかなくても、東京湾から北海道や九州にいけるようになっていた。
      • 日本中に巨大で美麗なフェリーターミナルができていた。バスだけでなく新交通やモノレールがフェリーターミナルのアクセスに整備され、駅や市街地からのアクセスも改善されていた。
  12. 国鉄の経営がこれほどひどくなることもなかった。
  13. JRの経営はさらに良化していた。
  14. こうなっていたほうがよかったかもしれない。

名古屋鉄道管理局が4扉車を積極的に投入していたら[編集 | ソースを編集]

  • 大都市にも関わらず4扉の通勤型電車が全く走っていない名古屋地区(但し中央西線、関西本線で103系が走っていたが)。もし名古屋地区に4扉の通勤型電車が走っていたらどうなっていたかを考える。
  1. 東海道本線普通や中央本線普通は103系で運用されていた。
    • 快速系統はもちろん近郊型電車で運用。
    • JR化後に103系に代わる、4扉通勤型電車が投入されていた。
      • 東海道本線を中心に投入されていた。
      • 現時点でも103系が残っている可能性あり。
        • 東海の体質的に、313投入前に新型全部置き換えでしょ。
      • 名古屋地区に205系が投入されていた。
        • 現実に投入された211系の一部が205系となっていた。
          • 民営化後、205系にも東海独自のマイナーチェンジ車が登場。5000番台を名乗り、中央西線に投入される。
            • 現実の205系5000番台は6000番台あたりになっていた。
            • 211系5000番台同様、冷房は集約分散式だった。
        • さらにVVVF制御の303系(現実の303系とは異なる)が投入されている。
          • JR九州の303系は305系となっていた。
          • いや、209系(JR東と同じもの)が5両で導入。名古屋向けに4000番台が割り当て
            • さらに関西にも8両編成・4両編成・3両編成が導入。こちらは5000番台
            • その上、筑肥線向けに1000番台ベースの6000番台が導入。
            • 国鉄は編成を車両ごとに管理するため、転属も発生した(例:西ミツ→門カラ)
    • 関西本線への103系投入は名古屋-亀山間の電化と同時に行われた。
      • 少なくとも最大6両編成となっていた。
  2. ラッシュ時の遅延は天候が悪い時か事故の時くらいしか起こらない。
    • いわゆる「名古屋乗り」や駆け込み乗車が遅延の原因になることはない。
  3. 名鉄は史実より早くロングシート車が主体となっていた。
    • 6500・6800系は全車ロングシート車で登場していた。
  4. 路線ごとにそれぞれ別の車体色が採用されている。
    • JR東海のラインカラーが増えていた。
    • 史実通りだと東海道線:オレンジ、中央西線:緑、関西本線:紫、武豊線:青などになっていた。
  5. 名古屋近郊区間や名古屋電車特定区間が設定されていた。

あの人が国鉄総裁に就任していたら[編集 | ソースを編集]

小林一三[編集 | ソースを編集]

  • 初代総裁の候補として、実際に挙がっていました。
  1. 三河島事故などの鉄道事故が史実よりも少なくなっていた。
  2. 国鉄分割民営化が史実よりも早く進んでいたかもしれない。
  3. 国労や国鉄の幹部らと激しく対立していた可能性が高い。

村上義一[編集 | ソースを編集]

  • 初代総裁の候補として、実際に挙がっていました。
  1. 日本国有鉄道の経営が史実よりもマシになっていたかもしれない。
  2. 下山事件はなかった。
  3. 佐伯勇氏らの近鉄の重役を後任として、登用していたかもしれない。
    • 佐伯勇も後に国鉄総裁になっていた。労使関係も史実よりは良かったかもしれない。
  4. 同姓同名の広島県内男性最高齢者(1889-1995)がネタにされていた。
  5. 阪神のライバルという事で、村上ファンドや村上宗隆の例から、阪神は現実以上に村上姓を苦手にしていた。
    • 一方でスワローズからは、村上宗隆や元親会社やファンの村上春樹の存在から現実以上に村上姓を得意にしていた。
    • その阪神にも村上誕生

東京圏で近距離輸送を行わなかったら[編集 | ソースを編集]

  • 地方都市では国鉄は都市間の長距離輸送、私鉄は都市内・都市と郊外の近距離輸送で住み分けしていた地域もある。東京圏でも国鉄が長距離輸送に専念して、近距離輸送を行わなかったら。
  1. 山手線はあくまで常磐線東北本線の貨物・旅客を東海道に流すための路線。環状運転は行われない。
    • 山手線の旅客列車は湘南新宿ラインのみ。
      • 埼京線が存在しないので湘南新宿ラインが板橋・十条に停車。
        • 東北と山の手をショートカットするので赤羽線はあるということか。
  2. 根岸線も貨物列車のための路線。旅客列車は走っていたとしても貨物駅のある根岸と、乗り換えのある杉田くらいにしか駅はないだろう。
  3. 京浜東北線がない代わりに東北本線・高崎線の東京駅乗入(現:上野東京ライン)は東北新幹線開業後も現在に至るまで続けられる。
  4. 現在高尾どまりの中央本線普通列車が東京駅まで来る一方で、東京高尾間の中央線快速・三鷹以東の総武緩行線がない。
    • 東京駅は現在の山手線・京浜東北線のホームのある場所が中央本線の2面4線ホーム。史実の3階中央線ホームは建設されない。
    • いまだに万世橋か飯田町で折り返してそう。
  5. 実際には電車特定区間の多くが複々線以上だが、近距離輸送を行わなかったら複々線区間は上野-日暮里間(東北本線と常磐線)、神田-東京間(中央本線と東北本線)、代々木-新宿間(中央本線と山手線)の3箇所だけ。
    • 特定区間外から続く小田原-品川(東海道線と東海道貨物線)も複々線(史実では大船-東戸塚間と横浜-鶴見間は三複線)。
    • そもそも電車特定区間は存在しない。
    • いやいくら近距離輸送を行わないといっても長距離列車は東京駅発着なので東海道本線大船以北や中央線高尾以東の線路はある。
  6. 電化は遅れた。
    • 電化はされるものの、電車ではなく電気機関車牽引客車での運行。
  7. 副都心線の開業が早かった。
    • 渋谷-品川間も地下鉄が通っている。
  8. 東西線は西側も混雑が激しい。
  9. 京王・京急はあるが、国鉄に並行するさらに別の私鉄が新たに誕生し、国電に替わって近距離輸送を担っている。
  10. 営団地下鉄が発足当初の野望を実現していただろう。
  11. 東京一極集中も史実ほどではなかったかもしれない。
  12. JRになってからは近距離輸送にも力を入れるようになり、新駅の増設や貨物線の旅客化、列車の増発・スピードアップなどで利用客を並行私鉄から奪うようになっていた。
    • 特にJRと並行する区間の多い京急・京成はJRの攻勢で大打撃を受けていた。

一本列島が国鉄時代に実現していたら[編集 | ソースを編集]

史実では民営化後の1988年に実現しましたが、日本列島が全て線路で結ばれるのが国鉄時代に実現していたら…。ただしここでは同じ年に津軽海峡線と瀬戸大橋線が両方開業した場合に限ります。

ついでに淡路島にも鉄路を繋げます。

あの時期に実現していたら[編集 | ソースを編集]

戦前
  1. 宇野~高松間は海底トンネルで開業していた。
  2. 舞子〜鳴門間も海底トンネルで開業していた。
1960年代
  1. 無論、宇野~高松間は海底トンネルで開業していた。
    • 青函トンネルは戦時中のによる工事中断を経ての開業であった。
  2. 上野~札幌間の寝台特急・寝台急行、東京~高松・松山・高知間の寝台特急・寝台急行、大阪・新大阪・京都~高松・松山・高知間の特急・急行が運行されていた。
    • 特急「白鳥」が函館までに乗り入れていたかもしれない。
    • 一部の特急が淡路島経由だったかも。
1970年代
  1. 札幌オリンピックの開催に控えた1971年頃が有力であろう。
  2. 485系電車とキハ181系気動車が史実よりも多く製造されていた。
  3. 1972年に実現した場合、鉄道100周年という年でもあるので、北海道と四国で盛大なイベントが行われていた。
  4. 本四備讃線建設における債務は国鉄が支払っていた。
  5. 青森~函館間を結ぶ急行と岡山~高松間を結ぶ急行が運行されていた。
    • 1980年代に快速に格下げられていた。
      • もしかしたら特急格上げも。
1980年代(1986年以前)
  1. 無論、青函トンネルは在来線規格で開業していた。
    • 民営化後はJR北海道の所有になっていた。
    • 本四備讃線建設における債務を国鉄が支払うことができていたかは怪しく、その債務の処理は国鉄清算事業団に引き継がれた。
  2. キハ185系気動車の登場が史実よりも早まり、史実よりも多く製造されていた。
    • ただ民営化後に製造されることはなかったかもしれない。
  3. 無論、予讃線(高松~観音寺)、土讃線(多度津~琴平)の電化が史実よりも早まっていた。
    • 123系電車の登場が史実よりも早まっていた。
  4. 1985年以前に実現した場合、日航ジャンボ機墜落事故を機に利用客が若干増えていた。
  5. 1986年に実現した場合、北海道と四国では民営化に見据えたダイヤ改正も行われていた。
    • その場合、11月のダイヤ改正で北海道と四国では、修正と増発に留まった。
    • 快速「マリンライナー」、快速「海峡」の登場が史実よりも早まっていた。
  6. バブル経済の煽りで、津軽海峡線と本四備讃線の利用客が共に史実よりも多くなっていた。
    • ただJR北海道とJR四国の経営は史実とあまり変わらなかったであろう。
  7. 山陽自動車道(倉敷JCT~早島IC)の開通も史実よりも早まっていた。
  8. 瀬戸大橋京阪フィッシャマンズ・ワーフの開業が史実よりも早まっていた。
  9. JR後には北斗星の一部が旭川までに乗り入れていた。

いずれにせよ[編集 | ソースを編集]

  1. 青函連絡船と宇高連絡船は国鉄時代に廃止されていた。
  2. 1998年3月のダイヤ改正は地味なものになり、JR1周年を祝うイベントが盛大に行われていた。
  3. いい旅チャレンジ20000kmの達成者が史実よりも多くなっていた。
  4. 特急「うずしお」、特急「しまんと」、特急「いしづち」、特急「北斗星」、急行「はまなす」、特急「トワイライトエクスプレス」、臨時特急「エルム」の登場が史実よりも早まっていた。
    • 特急「瀬戸」の高松乗り入れと特急「はつかり」と特急「日本海」の函館乗り入れも史実よりも早まっていた
      • 逆に、特急「おおとり」、急行「むろと」が国鉄時代に廃止されていた。
        • 場合によっては、急行「いよ」、急行「土佐」、急行「阿波」が国鉄時代に廃止されていたかもしれない。
    • 特急「とかち」は1988年のダイヤ改正で登場していた。
  5. 津軽海峡線と瀬戸大橋線を経由する旅立ちJR号が運行されていた。
  6. 宇野線(早島~久々原)の複線化が史実よりも早まっていた。
    • 妹尾駅と大元駅に行き違い設備が設けられるのも史実よりも早まっていた。
  7. 寝台特急「あけぼの」は1988年3月にダイヤ改正以降も3往復で運行されていた。
    • 「北斗星」捻出のために廃止されたため。
    • 上野~青森間1往復は583系電車で運用され、上野~秋田・青森間2往復は24系25形客車で運用されていた。583系電車の廃車が史実よりも少なくなっていた。
  8. 東北新幹線新青森開業は2002年に、北海道新幹線新函館北斗開業は2010年に、札幌開業は2016年に実現していた。2023年時点では旭川までの延伸工事が実施されている。

関連項目[編集 | ソースを編集]

JNR 日本国有鉄道

新幹線 / 成田新幹線 | 動労千葉
車両 / (新幹線 | 電車 特急・急行形|近郊形|通勤形
気動車 | 客車 | SL | EL 旧型直流機| DL
国鉄スワローズ | 偽モノ
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